記事タイトル:変わった格好 


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ここは「剣道 いちに会」という剣道専門の個人サイトです!

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お名前: Hide.    URL
To hirotaiさん

過分なるお言葉痛み入りますm(_ _)m

私はただ剣道が好きで、ここにお集まりの皆さんも「私と同じ気持ちなんだ」と考えてカ
キコさせていただいているだけです。それが「自他不二」にあたるかどうかはわかりませ
んが、言葉だけの世界ですので、「より心をこめて接しなければ」とは考えております(^^)


私が子どもだったころの先生方は、みなさん継のあたった剣道着に、なめし皮を張った面
や小手をつけておいででした。今から見れば「何とみすぼらしい」と思うような姿でした
が、先生方は素晴らしく立派に見えたものです。
今の人たちは壊れればすぐに「修理するよりも…」と剣道具を使い捨てにしてしまわれま
すが、とても悲しいことですね(>_<)


先輩がお作りになったhirotaiさんの剣道具、いつかお目にかかりたいものです。
毎年2月に東京で電脳剣士稽古会を開催しております。それは、「段位、年齢、性別」に
は関係ない楽しいお稽古会ですよ。よかったら足を運んでみてください(^_-)〜☆
[2008/06/08 06:28:32]

お名前: hirotai   
To HIDE.さま

話題に上がった防具のことですが、剣道を学ぶ子供達の繰り返しの打ち込みと、稽古を
お願いする相手が発する正面打ちで、ついに防具の頭頂部ど真ん中が破れ始めました。

以前は破れたり、色が褪めたりすれば愛着も冷め、安いのはいくらでもあるから買い換
えればいい。捨てればいい。なんて思っていた私でしたが、なぜか今回の破損は喜ぶべ
き怪我のような気がしました。うれしく修理し、さらに大事にしたいです。
今日の朝稽古終了後、隣県の武道の神様がおられるというお寺に持参し、お礼も含めて
防具と一緒に祈祷を受けてきました。
今の稽古内容で防具がどこまで耐えられるか分かりませんが、もし今度買い換えるよう
なことがあればどんな剣道観でどんな道具を注文するか楽しみです。

さて、自他不二のお話が出ました。自他不二ってなあに?と問われれば

『いちに会』みたいなこと。

と答えたいです。HIDE.さんの言葉使いには鎬が含まれていて、誰に対しても誠実に剣先
が向いていると感じます。
受ける太刀は返す太刀。HIDE.さんの言葉使いには軽妙ななかに味がありますよね。
誰にも真似できないことだと思います。

私達が稽古に励む郷里出身の大先輩、渡辺敏雄先生のお話や、持田盛二先生のお話のよ
うに、相手と同じ目線で稽古が出来、大海原にさらされるようなインターネット世界で
きちんと鎬のある言葉使いでいろんなレベルのたくさんの剣士の声を聞かれているHIDE
さんを尊敬します。

今回、高段者稽古会でのワンシーンが取り沙汰されたわけですが、こういった稽古会も
必要でしょうけれども、全剣連で、HIDE.さんのような方が中心になって、国境や性別、
段位に分け隔てない、入場資格制限のない稽古が出来るなら、もっと夢のある剣道ができるのになあ。なんて思います。
[2008/06/07 15:51:55]

お名前: hirotai   
To 好月さま

はじめまして。hirotaiと申します。
正直いいますと、はじめてこのトピを拝見したとき、いわゆる誹謗中傷と思っていたの
です。
立会いに例えますと、初太刀のレスを出すまでに自分自身の総ざらい点検が数日、そし
てレスの中にある刃筋や剣先、鎬の位置まで考えての書き込みでした。
ご存知のように相手のことなど眼中にない、独りよがりの読みにくい長文であったにも
関わらず、好月さまに目を通していただけたことに感謝しています。有難いことです。
どうか、今後ともご指導願います。

>貴方ほどになれば、防具で無くとも剣道で御師匠様に報いることが出来ますでしょ
う。奇をてらっていないこと、お師匠様への思い…文面からよくよく解りました。

出来の悪い弟子ですから卒業後も大いに迷惑を掛けています。できることなら剣道だけ
でなく地続きとなっている普段の生活で人の役にたてるよう、師匠の教えを守ってゆき
たいです。

>ご自身がどう思うかで無く、周りがどう思うかを優先すべき

おっしゃる通りです。
このたびの好月さまのご指導で身にしみて痛感したことです。教訓にしておきます。

>貴方のような方が現れると、自他不二の修行が到底無理なことだと思い知らされます。

自他不二の修行が到底無理なのではなく、自他不二の修行がいかに困難なことかと解釈
しています。
地球上生きとし生けるものの連鎖のなかで、深海や宇宙にまだまだ未確認のまま残って
いる生物の存在も含め、どう関わっていけるのか。自他不二という四文字への挑戦が
竹刀を通じて出来るといいなあと思います。

>hirotaiさん、これまでの失礼の段、平にお許し願います。

お言葉はそのままお返しさせてください。こちらこそありがとうございました!



・・・・・ところで、聖人って・・・・星人の変換違いじゃないですか・・・・?(笑)
[2008/06/07 15:13:41]

お名前: Hide.    URL
To hirotaiさん
>この初太刀の失敗に『打ち崩れ』『打たれ崩れ』がない。心を留めない修行だと思って
>きましたが、相手に心が通じないようでは高段者とはほど遠いですね。
実際がどうであったかは不明ですが、内省するのは悪いことではありません(^^)

>おかげさまで負け通しであるのに何故か豊かです。まさに魔法の防具です。
>どうかお会いされましたら宜しくお伝えください。
先輩はどんなに金を積まれたとしても、納得のできない仕事は受けないお方です。先輩が
hirotaiさんのためにお作りになられたのですから、妥協のないものだと思われます。
先輩にお会いした時は、拙サイトでこんな話が持ち上がったことをお話ししてみますね(^^;

>なんだか完璧に無視しちゃったようで完全にこれまでの皆さんの流れをぶち壊しにして
>います。
いえいえ、出てきてくださったことにより、「謎だった部分」が明らかになりましたので、
私はよかったと思っておりますけどね(^_-)〜☆


To 錬七さん
>ことさら品格・人柄についてこだわる必要があるでしょうか?
>剣道はあくまで「剣の理法の修練」です。
>ただ理合だけを考えて稽古する。これがいいんだと思います。
今発売になっております「剣道時代」(2008年7月号)には、倉澤照彦範士と小林英雄範
士が「剣道の品格」というテーマで対談をなさってますので、ご一読ください(^_-)〜☆

心映え正しくお稽古を積み上げることが肝要なんですね(^^)
[2008/06/07 08:21:07]

お名前: 好月   
To hirotai さん

 奇をてらう事、目立とうとする事について、実例ということで貴方らしき人のことを
書かせていただきました。さぞ不愉快に思われたでしょう。結果的に陰口になってしま
い、心からお詫び申し上げます。
 たぶん間違い無いと思いますが、写真で見る限りさほど違和感は感じませんでした。
白紐と聞いていましたし、もっとみすぼらしい物を想像して居りましたので…。ただ、
写真では違和感が無いとしても、稽古会で実際に初めて見れば、やはり驚くでしょう
ね。 写真は、ご本人ですか?実に立派な構えをして居られますね。
 貴方ほどになれば、防具で無くとも剣道で御師匠様に報いることが出来ますでしょ
う。奇をてらっていないこと、お師匠様への思い…文面からよくよく解りました。

 すみません。hirotaiさんには、私から何も申し上げられません。人生観・世界観・宇
宙観…全て次元が違います。二人のお師匠様はとても立派な方でしょう。hirotaiさんの
兄弟弟子の皆さんは、数百・千、二千と居られるのでしょう?そんな中で、たった一人
あの防具を作り、纏っていかれる…。正直、百人中七、八人いるであろうお調子者を題
材にするつもりでした。貴方は、私の思考で及ばないところで工夫し、努力されていま
す。失礼を承知で言わせていただければ、正真正銘の奇人・変人です。(禅の世界では褒
め言葉ですからね!)
 あと、民族衣装の葬儀の例え…。あれだけは凡人として聖人にご忠告!無いならとも
かく、持っているなら礼服着て下さい。こういう場所では、ご自身がどう思うかで無
く、周りがどう思うかを優先すべきだと多数の凡人が思ってますから…。

 貴方のような方が現れると、自他不二の修行が到底無理なことだと思い知らされます。

 hirotaiさん、これまでの失礼の段、平にお許し願います。
[2008/06/07 00:58:11]

お名前: 錬七   
hirotaiさんの防具、美しいですね。
こんな防具も作れるのかと関心いたしました。
防具に恥じない稽古を祈念いたします。

ことさら品格・人柄についてこだわる必要があるでしょうか?
剣道はあくまで「剣の理法の修練」です。
ただ理合だけを考えて稽古する。これがいいんだと思います。
[2008/06/06 22:21:47]

お名前: hirotai   
To Hide.さん

>長文ではありましたが、一気に読ませていただきました。

貴重な時間を割かれたことでしょう。本当に御迷惑をお掛けしました。
このトピを拝見した時、自分の稽古態度に本当に落ち度が無かったか、失礼が無かった
か、真剣に考えてみました。
まったく、時間制限のある立会いで無造作な初太刀を失敗したまま、最後まで突っ切
ってしまったときの感覚によく似ています。
この初太刀の失敗に『打ち崩れ』『打たれ崩れ』がない。心を留めない修行だと思って
きましたが、相手に心が通じないようでは高段者とはほど遠いですね。

この書込みが非常に思いを伝えにくいものだとうすうす気がついていましたが、そのま
ま突っ切ってしまう私の技の傲慢さを垣間見ているのが偽らない正直な気持ちです。
もしかすると如月さんのご友人さまはそんな私の太刀筋を見透かしておられたのかもし
れませんね。

息の臭きは主知らず

修行は一からやり直しです。

>そうですか、福田先輩のところでお作りになられたのですか。

福田さんに迷惑がかからなければいいがと心配していましたが、おっしゃる通り、本当
にお世話になりました。
『着けると幸せになる剣道具』と思い、毎日ガンガン遣いながら稽古が終われば自分の
身体以上に大事にしています。

私の今回の書込みはまさに氷山の一角と言えるほど、本当に面倒くさいわがままを福田
さんはいやな顔一つせず受け入れてくださいました。
この手のメールを毎日のように送り続けたのですから、福田さんも本当に困られたと
思います。

おかげさまで負け通しであるのに何故か豊かです。まさに魔法の防具です。
どうかお会いされましたら宜しくお伝えください。







このいちに会はHide.さんの道場です。
確かにHide.さんの道場には、書込みにも作法がありますよね。
なんだか完璧に無視しちゃったようで完全にこれまでの皆さんの流れをぶち壊しにして
います。
心を込めて書き込みしたとしてもこれでは誰にも伝わりません。

相手に気持ちが伝わるような書込み、そして技の遣いをもっと私は考えるべきだったと
如月さんのお顔に思いをはせながら反省することしきりです。
[2008/06/06 21:58:36]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん
>目立つ防具・剣道着だけで、姿勢も着装も悪く所作に隙だらけでは、「化けの皮」以外
>の何物でもありません。
好月さんが最初にお書きになられた方がそういう人物なのでしょうか??

>私が尊敬する方々は、大勢が参加する合同稽古でも、二階席から一望するだけですぐ見
>つけられます。後輩達から見て、私がそうなれるよう頑張ってみます。
そうですか、それは素晴らしい!
超一流の方々は、100人にようが1000人いようが、その中で光り輝いております。
私もそんな剣士を目指してお稽古に励んでおりますが、道はなお遠いですね(>_<)


To hirotaiさん
管理人のHide.です。
長文ではありましたが、一気に読ませていただきました。

好月さんがお書きになられたのがhirotaiさんのことかどうかはわかりませんが、hirotai
さんがその剣道具に寄せる思いを知ることができましたのは収穫です。

そうですか、福田先輩のところでお作りになられたのですか。
でしたら、どんなにお金を積んだとしても、奇をてらったものをお作りになられるわけが
ありません。hirotaiさんの御心に打たれたからこそできた剣道具なのだと確信いたしま
す(^^)
[2008/06/06 21:01:40]

お名前: hirotai   
話が少し逸れますが、剣聖中山博道先生の有信館の門下生のいでたちは白の上下の剣道着袴姿だったといいます。今となっては剣道のオーソドックスなスタイルのひとつですし、その凛とした爽やかさの中に秘めた厳しさに支持者は多いようです。
しかし、当時は白の袴を剣道で使うとはまったく異常なことで、弟子達も最初は嫌がったそうなのですが、私が思うに、この白袴姿に、弟子達の中山博道先生への強い尊敬や憧れ、有信館の誇りと覚悟が内在してのことだったと感じるのです。
決してユニフォームや校則で定められた制服といったものではなく、その姿そのものが有信館の剣道観なのではないでしょうか。一糸乱れぬ姿が目に浮かび、『信有る』この道場のネーミングもいよいよ迫力を増してきます。

こういったことは、民族衣装に例えることができるかもしれません。
仮に、世界の中にもう残り少なくなっている少数民族が自分達の大事な仲間の弔いに参加するとき、独特の民族衣装をまとい、心から弔う風習があるとします。
もし、その愛する仲間が日本人だったとして、当地の日本の葬儀の慣例に従い、黒のスーツに黒のネクタイという一般的なフォーマルで参列するのもひとつですが、私は民族の誇りをもってその独特の民族衣装を着てこられたならば、これはとがめられないことだし、むしろこのほうが心がこもっているのかもしれないと考えてしまいます。これぞ、真のフォーマルだと認めたいところです。

流派を少数民族に例えてお話していますので脱線もはなはだしいのですが、この感覚が伝わりますでしょうか。

生きることは絶対だが、生きてゆくことに絶対はないぞ。(湯野正憲先生)

剣道は文化ですから、当然、規範や様式、格式がなければならないはずですが、刀を帯びて、『生きる』という命題を顔面に突きつけられ、『人間いかに生きるべき』という問題と格闘するとき、その生き方の方法を限定することや、世界各国の剣心の百花繚乱を認めないで、剣心の国際化などありえない。ただ勝つことのみを目的としたチャンピオントーナメントならそれは空虚かもしれません。
また、段位制度が奨励を超えて、錬度を数量化し、連盟が定めた『いい剣道』ができる人と、そうでない人を単にセパレートするための段位システムであったとしたらお株違いだと思えます。金太郎飴の表現にはあいづちを打ちました。

有信館の白袴に象徴される流派、そして民族の誇り。

そういったものを私は師匠のくたびれた剣道具に見出し、私もグレードの違いこそあれ、2人の師匠の背中を一分たりとも見失わないような覚悟で毎日を過ごしたいと思います。

確かにやることなすこと極論になって、ご理解いただけない部分があったり、それが屁理屈だと思われても仕方ないところもあります。鼻につく人もおられるでしょう。こういったご無礼に対し、深くお詫びします。
如月さんのおかげで、自分の剣心を再確認することができました。有難いご指摘に心打たれながら、つたない私の修行が進み(守)、如月さんの境地に達するその日(破)まで、私は、この剣道具、そして師匠の剣道観と運命をともにしたいと考えています(守)。

読まれる人のことも考えず、思いやりのかけらもない長文になり、まさしくKYそのままではありますが、どうか御容赦ください。
(ようやく終わります。)
[2008/06/06 18:26:35]

お名前: hirotai   
自主的な改行が必要だと知らず、うまく配置できず読みにくい文面ですみません。

さて、好月さんがそのうえに問題とされている普段の稽古用の剣道具をなぜ、高段者稽
古会という『公式』の場に使用したのかということです。

しばらく、打たれるための剣道具で稽古を続けているうち、自分自身に違和感を覚える
ようになりました。
確かに、稽古用に作ったはずの剣道具ですが、そもそも、『本番』とか『公式』という言葉は、剣道において、果たしていつのことを言うのだろうかということです。

つたない私にも日本一を目指して励んだ時期がありましたが、確かに全日本大会が本番
で、その本番のために今を修練しているという取り組みでした。それも大筋間違いないことだと思いますが、今、師匠の元を巣立ち、地域に根ざして、一人一人が大事にできる剣道を考えた時、毎日の生活のことや、純白の心が通う初心者の方々の剣心に触れる普段の稽古を『公式』と捉えないでどうするんだという思いにかられるのです。

当然『高段者』とくくられた稽古会や試合は『公式』の場ということに異論はありませんが、その『公式』稽古と普段の稽古でいでたちが変わったり、最悪のケースでは稽古態度さえ変わってしまうことに少し疑問を持ち始めました。

濃霧に包まれて前が見えにくくなっているあてどない今の日本だからこそ、『打たれること』を真剣に考え、できれば『直心是道場』ならぬ、今のここのありあわせにして精一杯の自分の二足立ちそのものを本番、あるいは公式の場とし、毎日の迷いまくった生活の中で、迷いのない颯爽とした立会いが誰に対しても分け隔てなくできる。厚い雲を撥くような青空(アズール)が広がるような快剣の稽古を心期し、打たれる剣道具を『高段者』のくくりの一隅に持ち込むことこそ、自身の剣道観への大きなチャレンジだったと思います。

『稽古は試合(審査)のように。試合(審査)は稽古のように。』と先人の残された言葉がありますが、稽古(審査)も試合もセパレートされたものではなく、そもそもいずれも真剣勝負。
『生きる』という待ったなしの命題に対してその両者は地続きとなっているべきだと思うのです。
(だらだらと申し訳ありませんがさらに続きます)
[2008/06/06 18:23:22]

お名前: hirotai   
このトピを拝見し、もしも好月さんのご友人さんが言われていた白革の剣道具をつけた人物が

http://www6.big.or.jp/~budogu/new/kasumiryu-mishin.htm
http://www6.big.or.jp/~budogu/new/kanso.html

なら、まぎれもなく私のことだと思います。
この同様の剣道具を所持している人は、私の2人の師匠と私を含め3人おりますが、この師匠の使われた剣道具を道場に大事に祀り、弟子の大事な心のよりどころとしている道場もあるようです。

http://www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/6840/

この剣道具の原本は私の2人の師匠が、私達門下生の莫大な量の切返しや打ち込みを受けるためにお揃いで特注されたものです。
当時最高の剣道具師が、最高の材料を使って製作した、いわゆる稽古用の剣道具ですが、これは『黒色』の強靭な牛なめし革を粗く刺し、面の中には学生達の強烈な打突に耐えるために竹を張りめぐらせたものでした。
師匠はこの道具を身に着け、私達の2時間にも渡る打ち込みを毎日基に立ち、その強靭な道具ばかりか自分の身を破壊するところまで門下生に身を預けられたのです。

この偉大な2人の師匠に幸運にも薫陶を受けた私は、剣道のテーマを『打たれる事の肯定』と考えています。
年齢や性別、段位や国籍に分け隔てなく、『打たれることろは打てるところ』『打てるところは打たれるところ』という諸手剣の理です。
田舎に根を張り、初心者を含む子供達と、共に剣を学ぶとき、師匠と同じように自分の打突部位を惜しげもなく呈し、次代を担う子供達に師承の剣を伝えていくために、師匠と同じような打たれるための剣道具を心ある剣道具師に製作してもらいたいと思うようになりました。

しかし、師匠の道具をその当時のまま再現するにはあまりに時代が変わっており、同じ職人が同じ道具をつくることさえ困難な状況でした。
そのほか、訪ねたお店では、笑って相手にされないようなこともありました。

その時、埼玉県にそんな私のわがままな剣道観を笑わないで真剣に聞いてくださる方がおられました。本当に有難い事でした。
その剣道具師さんが一点だけ、私の要求に答えられないことがあり、それは師匠と同じ道具を作る際、あの強靭な黒色の牛なめし革が現在ではもう手に入らないのだということでした。
黒色合皮を使えば、見てくれは同じものになるにしても、強度や風合い、刺しの技法からして、私が要望する、『打たれるための剣道具作り』には材料としては不適。断念せざるを得ませんでした。
すでに師匠の剣道具は度重なる私達の打ち込みを受けて黒の吟面が剥離し、白く変色していましたので、あえて紺ではなく道具師さんが自信をもって薦められる白革を使用することになったのです。
剣道具師さんは『自身のわがまま』と自分を責めておられましたが、私は真剣に私の剣道のことを考えておられる姿にすべてを託すことにしました。

好月さんが指摘されておられる白革の使用は、奇をてらって、何も人前で目立ちたいということが根幹なのではなく、時代の流れのなかでの職人事情と、私の剣道観がお互いに譲れない一足一刀の間でスパークした攻防の末に生まれた結果でしかありません。

(長くなりそうですが続きます。)
[2008/06/06 18:17:24]

お名前: 好月   
To 錬七さん

>変わった格好や技を遣うと
 人柄にまで言及されてしまうのですね。

 昔から「剣は心なり…」と言われ、私も剣道はその人の性格が出るものだと教えられ
認識し、注意してきました。驚懼疑惑が構えの崩れとなって出れば、自信がけれんみの
無い技として発現します。師匠から「打たれずに打とうと考えるから姑息な技となるん
だ!」とよく言われました。剣道に人柄を見るのは、結構一般的だと思いますが…。

>というよりもそういう見方をする人が多数いるという事に
 非常に嫌悪感を覚えます。

 Hide.先生も、技や格好が問題なのでなく、その人の品性の問題と仰っていますが、私
も前出のコメントでニュアンスは違えど同じ様な考えを述べています。
 目立とうとして打つ技が胡散臭いのであって、理に適って派手に決まった技に文句を
付けている訳ではありません。目立つ防具・剣道着だけで、姿勢も着装も悪く所作に隙
だらけでは、「化けの皮」以外の何物でもありません。
 私は、個性は主張するものではなく、自然に滲み出るものと信じます。

To Hide.先生

>「●●先生の面」なっていうところまで、自身のわざとせめを高めることをお一人お
 一人が意識されますと、剣道ってもっと楽しいものになるように思えます(^_-)~☆

 そうですね。私が尊敬する方々は、大勢が参加する合同稽古でも、二階席から一望す
るだけですぐ見つけられます。後輩達から見て、私がそうなれるよう頑張ってみます。
[2008/06/06 10:21:53]

お名前: Hide.    URL
To 錬七さん

>というよりもそういう見方をする人が多数いるという事に
>非常に嫌悪感を覚えます。

品格のある方がつけると、安物の防具でも高級品に見えますよね。
技とか格好ではなくて、その方の品性の問題なんじゃないですか(^^)
[2008/06/06 07:37:57]

お名前: 錬七   
変わった格好や技を遣うと
人柄にまで言及されてしまうのですね。
気をつけなければ・・・

というよりもそういう見方をする人が多数いるという事に
非常に嫌悪感を覚えます。
[2008/06/05 22:45:42]

お名前: 錬七   
好月様

>また、逆に返せば私は、目先の技や、勝負の駆け引きには無関
>心で、求道者の香りが漂う方達に囲まれているんだなあ…とも感じました。

実にうらやましいです。
[2008/06/02 21:35:50]

お名前: Hide.    URL
To 竜馬さん

管理人のHide.です。
あなたはその先生の人柄をどうこう言えるほど、先生とお近しい方なのでしょうか?
ご兄弟かご友人ならともかく、たいへん失礼なカキコだと思いますが(-_-)
[2008/06/02 21:17:37]

お名前: 竜馬   
馬〇先生って、富士山だか銭湯の胴をつけている先生・・?
素晴らしい本を書きますが、人柄が・・・。
[2008/06/02 17:40:46]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

少しでも拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます。


私も現在、個性的な技(技前を含む)で天下一なのは、間違いなく有馬先生だと思います。
私も大好きな先生ですよヽ(^.^)ノ

先生の技は決して奇をてらったものではありません。
打たれたお相手も、見ている観客もハッと心を打たれます。それはその技と技前が十分に
理にかなっているものだからだと考えます。
それは、好月さんもおっしゃっておられる通り、先生の卓越した基礎力に裏打ちされてい
るからにほかなりません。
あの、股割による手首の返しを入れた素振りなど、常人ではとてもできません。足、腰、
上半身の柔軟さと強靭さを兼ね備えていればこそですから(^0^)


>でも金太郎飴なんかじゃないですよ!それぞれに個性派ぞろい。
>やっぱり個性は滲み出ちゃうものなんでしょうね。

個性は自然にに滲みだす。それはむしろ当然といえば当然すぎることだとは思います。
求道者のような先生方であるからこそ、もっと個性的な技を磨いていただきたいですね。
「●●先生の面」なっていうところまで、自身のわざとせめを高めることをお一人お一人
が意識されますと、剣道ってもっと楽しいものになるように思えます(^_-)~☆
[2008/06/01 08:25:35]

お名前: 好月   
To 錬七さん

>調子に乗っている人には「理合勝ち」するのがいいと思います。しかし剣道以外のと
 ころで仕返しされちゃったことがあります。

 そりゃあお気の毒でしたねぇ。私の経験では、このタイプの人に「理合勝ち」して
も、相手には分からないと思います。「○○語りの○○知らず」で、分かったようなこ
とは仰いますが、ご自身の剣道が、なぜ打たれるかという理合に気づかれていない人が
多いような気がします。

To Hide. 先生

>技には心映えが現れるもの。「個性的な技=下品な技」ばかりではないこともご理解
 ください。

 特に好きだと言うわけではないですが、個性的な剣道と言えば、大阪の有○先生が一
番先に浮かびます。この先生の魅力は、大技、個性的な技、他では見られない技…まさ
に「技のデパート」ですね。しかし昔、基本打ちを見たことがありますが、とても素晴
らしく、これが「一番派手な技」に違いない…と思ったものです。でも同じく「素人は
真似できない」とも思いました。先生は機を読む目に優れ、それに呼応し上体のバラン
スを乱さぬ素晴らしい足捌き、そして柔らかくしなやかな竹刀捌き、肩の柔らかさ手の
内の良さは、間違いなく世界一だと思います。そして何より旺盛な気構え、いつも先・
先と間合いを揺さぶる荒々しさがあってこそ、相手の動揺を誘い大技が決まるのだろう
と思います。他人が遣う派手な技や、個性的な技を、見かけのカッコよさだけで遣うと
下品なものになってしまいがちです。自分の技とするには、基礎力を高めたり技前の工
夫にもたっぷりと時間をかけてもらいたいと思います。

 錬七さん Hide.先生、ありがとうございました。どうやら私は、個性にもっと寛容と
なるべきのようですね。また、逆に返せば私は、目先の技や、勝負の駆け引きには無関
心で、求道者の香りが漂う方達に囲まれているんだなあ…とも感じました。でも金太郎
飴なんかじゃないですよ!それぞれに個性派ぞろい。
 やっぱり個性は滲み出ちゃうものなんでしょうね。
 
[2008/06/01 07:24:50]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>派手な技を遣うのは構いませんが、それをわざわざ派手に打って、派手に残心を示すの
>はいかがなものか?調子に乗って、わざとらしさが見え見えでも、個性と認めるべきな
>のか?…ということです。

それはごもっともです。
「芸」ではなく「技」を見たいものです(^^)
技には心映えが現れるもの。「個性的な技=下品な技」ばかりではないこともご理解くだ
さい。


>なんかトーナメント戦とかより、気が入っていない感じが…。

おや、そうですか。私は範士の立ち会いの方が好きだなぁ。
でも、なかには互いに「寝てんじゃないの?」ってな気の入ってない立ち会いがあること
も確か。それは、教士八段の中にもありますがね(^_^ メ) 

私は日ごろこのサイトで「腐っても八段」と書かせていただいてますが、京都大会で演武
を見ますと「腐っちゃった八段ってのもいるんだな」ってな感想を持たざるを得ません。
怖いですねぇ、あれ(>_<)
[2008/05/31 07:25:57]

お名前: 錬七   
調子に乗っている人には「理合勝ち」するのがいいと思います。しかし剣道以外のところで
仕返しされちゃったことがあります。
堅実にしても派手にしても理合を求めていればそれは正解でしょうね。

あと「拝見」の方がいいところを見せようと緊張することもあるでしょう。
応じ技が使えない状況だと余裕を出すのが難しいですからね。
[2008/05/30 21:35:56]

お名前: 好月   
To 錬七さん & Hide.先生

>ただ、目立つ格好と同じで目立つ技を好む方もいます。
 そういう人を認めるのも大切と思います。

>私が好きな先生方は、型にはめたような剣道ではなく、ちゃんと「ご自身のカラー」
 をもっておられる方ばかりです。

 お二人とも、ほぼ同じお考えのようですが、私のニュアンスがうまく伝わってない
ようですね。(^_^;)変に実例を挙げたのがまずかったようです。失礼しました。

 私の考えをストレートに言いますと、個性はどうしても表れるもので、ことさらに自
ら個性を表そうとするものではないのではないか?派手な技を遣うのは構いませんが、
それをわざわざ派手に打って、派手に残心を示すのはいかがなものか?調子に乗って、
わざとらしさが見え見えでも、個性と認めるべきなのか?…ということです。
 で、私の考えは、ノー!私は癖を抜こうにも抜けずに苦労した。けれどもやっと少し
は抜けてきた。しかしまだまだ…という思いがあり、稽古の向上よりも好みを、基本の
技よりも、お粗末な大技・派手な技を優先しているかのような方に対すると「俺が馬鹿
にされているのか?剣道そのものが冒涜されているのか?」と疑ってしまいます。

 人それぞれ、目標も取り組み方も違いますから、認めてあげるべきという考え方は理
解出来ますが、それならそれで分相応の格好で良いんじゃないの?。派手な技が好きな
ら、せめて打ち込み台ででも練習して遣えるようになってからやってよ!って感じです。

 京都大会での範士の立会いの件ですが、私はもっと深刻に考えています。範士の部は
「拝見!」で審判されないのですから、裂帛の気・熱い攻防・静中動・動中静・一刀両
断・捨て身…出来るはずなんですけどねぇ。なんかトーナメント戦とかより、気が入っ
ていない感じが…。だから、試合の方が燃えるのかなぁ…と (-_-)
[2008/05/30 17:49:18]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>範士の先生が、剣道の醍醐味を表現してくれなきゃ、伝統文化としての剣道は無くな
>ってしまいますよねぇ?  (ーー;) 

私が好きな先生方は、型にはめたような剣道ではなく、ちゃんと「ご自身のカラー」をも
っておられる方ばかりです。まだまだ、剣道界も捨てたものではありません(^^)

昨今、段位審査が厳しくなっているという話を聞きます。金太郎飴のような剣道界にだけ
はしたくありませんよね(-_-)
[2008/05/29 23:04:10]

お名前: 錬七   
なるほど・・・

どこがなるほどかと申しますと、
>「味のある技」というのは、普通に遣っておられると思います。
>相手に中心を取らせ充分の技を出させて、自分が中心をかわして打つ、呼び込んで打つ。
です。

ただ、目立つ格好と同じで目立つ技を好む方もいます。
そういう人を認めるのも大切と思います。
いかにせよ仲間はずれをつくる事は好ましくないなー。
[2008/05/29 20:46:12]

お名前: 好月   
To 錬七さん

>逆に地味な人は堅実な稽古をします。

 「堅実な稽古」というのは、具体的にイメージが湧かないんですが・・・。
 本来、打突というものには味(理合)が無いといけないと思っています。ですから、地
味な稽古の人でも「味のある技」というのは、普通に遣っておられると思います。
 地味な稽古をする強い人は、技を遣えるけど遣わない、技を自ら封印している方がほ
とんどです。30を過ぎたら技はもういい!肚を遣え!と良く言われます。自得した技を
捨てるとは、身を投げ出すこと。捨て身の修行に入られた人たちで、高い境涯に達して
おられる立派な方達と思います。

To Hide.先生

>「剣道日本」の京都大会のレポートでしたかね、「荒々しくも流派のにおいを残すよ
 うな立ち合いをする範士がほとんど見られなくなり、『全剣連流の剣道祭』になりつ
 つある」と書かれていたのが頭にこびりついています。

 そうですね!私もそう思います。範士と呼ばれる人たちに、試合で練った人が増えた
ためでしょう。出来もしない自分が言うのもなんですが、当てるのがうまい人たちが相
手では、たとえ古流の大家が流派の極意を出しても、秒殺されること間違いなしですか
らね。昔の立会いは、根性試しや我慢比べで、お互いに「動いたら打つぞ」の気当たり
が、周囲の目にも充分見て取れましたからね。ですから、昔の先生は相手に充分な打ち
を出させなかった。今の当てるのがうまい先生は、相手に中心を取らせ充分の技を出させて、自分が中心をかわして打つ、呼び込んで打つ。
 範士の先生が、剣道の醍醐味を表現してくれなきゃ、伝統文化としての剣道は無くな
ってしまいますよねぇ?  (ーー;) 
[2008/05/29 18:41:37]

お名前: Hide.    URL
To 錬七さん

>最近は少しずつ味のある剣道が見直されてきているかと思います。

どうなんでしょうか。
「剣道日本」の京都大会のレポートでしたかね、「荒々しくも流派のにおいを残すような
立ち合いをする範士がほとんど見られなくなり、『全剣連流の剣道祭』になりつつある」
と書かれていたのが頭にこびりついています。

個性的な剣風はどんどん淘汰されていく傾向にあるのではないでしょうか(>_<)
剣道はもっと自由度の高いもののはずなんですが…。
[2008/05/29 07:40:19]

お名前: 錬七   
私の感覚では、個性的ないでたちの人は
技にも味のある技を遣うことが多いと思います。
逆に地味な人は堅実な稽古をします。
最近は少しずつ味のある剣道が見直されてきているかと思います。
[2008/05/28 23:12:17]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>正装が望ましいところへ普段着で参加する。正道を追求しようと課題を持って取り組
>んでいるところへ、邪道とも取れる何でもありの攻防をしかける…。
>こういうことです。私がKYと思う人たちは・・・。

私の身の回りにはそんな方がおられませんので、何ともコメントのしようがありません。
その方はいったい何を表現しようとしておられたのでしょうか。
ぜひここに登場してその真意をお話しいただきたいものですね(^^;
[2008/05/28 21:47:11]

お名前: 好月   
 市販されているもの、常識の範囲で機能に問題ないものは別に良いんですよ(^^♪
ですから、Hide.先生や馬場先生のような方のことを指しているものではありません。

 白の上下に白防具・変わり塗りの胴。高段者が集まる晴れの席にはぴったりでしょう
し、指導の際に豪華な加賀蒔絵の胴を着け、写真に納まって、稽古の際には実用的な胴
に着け換える。当たり前でしょう。これらは常識の範囲内だという事…。そりゃもちろ
ん、立派な防具の着装が悪かったり、胴に傷がつくのを恐れ必死で守る姿を見せられた
ら、気分を害すどころか笑いをこらえきれずに、後ろ向いて笑ってますけど…

 正装が望ましいところへ普段着で参加する。正道を追求しようと課題を持って取り組
んでいるところへ、邪道とも取れる何でもありの攻防をしかける…。
 こういうことです。私がKYと思う人たちは・・・。

 他にも気分を害された方がいらっしゃいましたら、お詫び申し上げます。<(_ _)>
[2008/05/28 17:36:53]

お名前: Hide.    URL
To 錬七さん

管理人のHide.です。
なるほど、やはりそっちの意図でしたか(^^;

先生のお考えも「武士の鎧と同じ」としておられたのではなかったですかね。
どの本か忘れましたが、著作にそんな記述があったように記憶しておりますが…。
[2008/05/28 07:35:30]

お名前: 錬七   
Hide.さん

馬場先生といえば剣道芸術論を著作された方です。
その方があのような目立つ防具をつけてらっしゃるところに
凡人の計り知れない深慮があるのではないでしょうか?
[2008/05/27 22:45:55]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

何しろ見ていないので、その方がどのような意図でそういうものをお召になっていたかっ
ていうことの考察が推察の域を出ません。

奇をてらうと申しますが、私も、大勢の稽古会では、できるだけ目立つような着装を心が
けますが、やはりKYなのかな(苦笑)


ちなみに、下で錬七さんが「馬場欽司先生に伺いたい」と書いておられますが、どういう
観点からのカキコなのかなぁ。
「着装に関して一家言お持ちの馬場先生」ということなのか、「あのド派手な剣道具の馬
場先生」ということなのか???(^_^ メ)
[2008/05/27 22:09:08]

お名前: 好月   
To Hide. 先生

 私も見ていないもんで、イメージが湧かないんですが…。古いものじゃなかったみた
いです。昔風のそれを特注?したみたい…らしいです。他の人は真新しい深い紺色の防
具を纏っているわけですから、色移りしても不思議じゃないのに…あえてそれか?って
感じでしょ?

>よそゆきなんて概念もなかったと思われますが(^_^ メ)

 当時はそれで良かったかもしれません。情報も余裕もなかった時代でしょうから。
でも今は、いろんな先生が教えてくださるし、防具だって恥ずかしくないものが安く
手に入ります。社会人になって5段を受けるころ「防具も剣道着や袴も、あまり色落ち
せず清潔で折り目の通ったものが望ましいでしょう。新しすぎてもダメですよ」と教え
て頂きました。しないについても同様に柄や先皮が変色したものは好ましくないとも教
わりました。
 こうした意味で、基に立つ機会が増えた私は、昨年10ん万円の防具を新調し、剣道
着、袴も余所行きだったのを下ろして稽古に使っています。

 この方も、普通の防具はお持ちだと思いますがねぇ(^_^;)
あえて、そうした稽古会に使用した。あえて、そこで目立ちたかった。…これが、見て
いないけども、なんとなく気分が悪いんです。(ー_ー)!!

 でもこのタイプの人って、自身も気をてらっているなど全く思ってなくて、あっけら
か〜んと天然ちゃんで、流行のKYっていう人なんでしょうねぇ(~_~;)
[2008/05/27 17:44:53]

お名前: Hide.    URL
To 好月さん

>しかし、今回の御仁はどうやら違うようです。昭和40年代に道場の隅で埃を被ってい
>た子供用防具を復刻したかのようなもので、面垂・小手筒・垂も短く飾りもなく、派手
>さは全くなくむしろチンチクリン…だったと友人は申しておりました。

実際に拝見していないので何とも申し上げようがありませんが、私が子ども自分の先生方
は、そんな剣道着や袴で、ツギアテだらけの埃をかぶった剣道具でお稽古されてましたけ
どね。
よそゆきなんて概念もなかったと思われますが(^_^ メ)
[2008/05/26 23:02:13]

お名前: 錬七   
馬場欽司先生にご意見を伺いたいですね。
[2008/05/26 22:42:05]

お名前: Pー51   
航空自衛隊に入った道場の子が
新しく赴任した隊長の点呼で「自由服装」でスゴイ格好させられたそうです。
短パンだけの上に垂れ・胴・面・小手。
記念の写真見ましたが・・・これは「国家機密」かも。
[2008/05/26 22:33:46]

お名前: 好月   
 やっぱり言えないですよねぇ(^_^;)もし、自分が言わなければならなくなったと想像
しても、言葉は浮かんできませんものね(@_@;)

>戦では甲冑を飾りたてて臨んだわけです。多くの人の中で、目立つことは決して剣道
 の精神に反することではないと思われます。

 確かに変わり塗りの胴とか、雲形・胸飾り、飾り紐や縁皮の形を華やかにして心栄
えや見てくれに恥じない態度を表すっていうのは理解出来ます。しかし、今回の御仁は
どうやら違うようです。昭和40年代に道場の隅で埃を被っていた子供用防具を復刻し
たかのようなもので、面垂・小手筒・垂も短く飾りもなく、派手さは全くなくむしろチ
ンチクリン…だったと友人は申しておりました。
 私の勝手な想像では「奇をてらう」こと以外の何物でもないと思います。

 剣道だけでなく、社会全体が個性については何も進言出来なくなっていると思いま
す。個性的なことが自分らしさだと、全てにおいて自分を表現しようとする。何も言わ
れなければ、許されていると思い込んでいる。意見をしようにも、まず自分は自分とい
う事を捨て去る気がないので、相手の意見に耳さえ傾けない。

 剣道をすることは、剣道を通して自己表現すること。これは間違いありません。
しかし、剣道を修行する段階で、徹底した自己否定を繰り返し、自我を押さえ潰して得
た本当の自分、捨てようにも捨てきれない「我」こそが、個性と呼べるものなんじゃな
いでしょうか? すみません、少々脱線してしまいました。
[2008/05/26 18:00:24]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

戦では甲冑を飾りたてて臨んだわけです。多くの人の中で、目立つことは決して剣道の精
神に反することではないと思われます。

まぁ、個人の価値観の問題ですので、その方が「よし」と考えているものに対しては、お
師匠様でもない限りご意見申し上げるのはいかがなものかと(^^)
[2008/05/26 08:09:24]

お名前: 好月   
 私が見たわけではなく、少し前に友人から聞いた話ですが、多くの皆さんのご意見を
聞きたいと思ってトピを立てました。

 全剣連主催の地区合同稽古会に、白紐で補強皮の部分(紺皮や合皮・織刺しとなってい
る部分)が白皮の防具をつけた方が居られたそうです。友人が言うには、目立つことを通
り越して、強烈なインパクト、むしろ違和感を感じ見ている方が恥ずかしくなった…と
言っておりました。参加資格は6段以上ですし、友人が言うにはしっかりした剣道をさ
れていたようですから、紛れもない高段者のようです。

 私が思うには、地元の稽古ではどんなに変わった格好をしようが構いませんが、やは
り公式の場では、多少の好みは別として、節度ある着装が望ましいのではないかという
ことです。たとえば、国体などの予選会であまりに目立つ格好をされると、所属剣連の
他の会員までも、非難や冷やかしを受けたりしそうです。ましてや高段者ならなおさら
品格や礼節を問われることになりはしないか…所属剣連会長が「アイツ、なんとかせぇ
よ!」と役員さんから言われはしないか…とも思います。
 でも規則違反でもないし、あまりに変わったことをされると、直接本人には言えない
もんですよね。(^_^;)

 稽古会に参加されていた8段の先生方は、その方についてどう思われたのでしょう
か?もしかしたら、私が古い考えなのか、或いは好みが地味すぎるだけなのか?

 みなさんのご意見をお聞かせください。
[2008/05/25 10:36:23]

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