記事タイトル:剣道は武道かスポーツか 


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お名前: Hide.    URL
To Toshiさん

お久しぶりです(^^)


>今後の剣道界の進むべき方向として私が望むことは、精神的な側面も含めた文化と
>して世界に広まって行くことです。
>そして連盟に望むことはその後押しと、精神的な側面の確固たる保全です。

おっしゃるとおりです。
なんとなく「競技化=技術的側面の向上」ばかりが目に付きますが、一番大切なのは、精
神性ですね。武道として「敗者をいたわる思想」「廉恥の精神」「他者を敬う」などは、ぜひ
ぜひ日本国民にも再認識していただくと同時に、世界の剣道愛好家にもしっかりと伝えて
行ってほしい事柄です。

連盟には、そういった方向性で力を尽くしてほしいですね(^^)
[2006/12/21 08:05:54]

お名前: Toshi   
長らくご無沙汰しておりましてすみません。

今後の剣道界の進むべき方向として私が望むことは、精神的な側面も含めた文化と
して世界に広まって行くことです。
そして連盟に望むことはその後押しと、精神的な側面の確固たる保全です。

万が一にでも大地震等で社会が根底から崩壊でもしない限り、実際の武力行使手段
としての剣道が日の目を見るとは考えられません。
江戸時代以前のように普段から凶器を持ち歩く社会が来るとは思えないですよね。
それなのに何故に今更武道としての剣道なのかと言いますと、そこには武道では
ないスポーツでは得られない精神修養があるからだと思います。
(私が「剣道は武道」寄りなのはこの点です)
私は未だ戸口に立ったばかりですので、スポーツとは違う何かがあることを感じては
いますが、まだそれが何物かは解りません。

現場の指導者の方に望むのはその何物かの伝授です。
スポーツでは得られない武術による精神修養の道としての剣道指導を望みます。
[2006/12/21 00:55:08]

お名前: Hide.    URL
To Toshiさん

管理人のHide.です。
長文の、ご意見ありがとうございました。

ちなみに、今後の剣道界はどのような方向性で進むのが望ましいとお考えなのでしょうか。
連盟としてのあり方、現場の指導者の示す道筋はどのようにあるべきでしょうか?(^^)
[2006/09/04 08:19:01]

お名前: Toshi   
「武道かスポーツか」
結局は本人次第だと思います。

☆乱暴な言い方をすれば、刀で相手を切り殺すか木刀で撲殺する技術を研鑚するのを最終
目的として、その修練手段として剣道をしていれば、たとえ本人がスポーツであると主張
しようとも100%武道でしょう。(武道を敢えて乱暴に表現しています)
そして、武道にとっては世界選手権の試合さえも稽古の一環でしかなく、防具着て竹刀
振って、当たったの当たらなかったのという、スポーツ剣道のルールで審判が判ずる勝ち
負けには拘らないと思います。

★逆に竹刀は竹刀であって、刀や木刀の代用品ではない、というスタンスで、"手足の
一致"や"気剣体の一致"は理念ではなく、単にそういうルールであり、ルールで許される
範囲内で当てに行く"打ち"をしてでも勝つ、と競技に拘る場合は100%スポーツですね。
スポーツだと、試合の更に先に在る実戦を想定して、稽古する訳ではないのですね。

◎そして現在、剣道をしているほとんどの人は両方の意識をブレンドして持っていて、
でもその多くの人は、自分の中の“ブレンド意識”の自覚が無いから、時代を超えて
「武道かスポーツか」論が湧き起こるのではないでしょうか。

◆日本剣道連盟の立場としては、剣道は爪先から天辺まで武道であるが、現代社会に受け
入れさせ、理念ごとの技術を(敢えて『文化を』とは言わない)継承させていくには、
スポーツとしての側面を押し立てなければならないのだと推測します。

しかしスポーツとしての側面は飽く迄も看板(隠れ蓑では言いすぎでしょうか?)でしか
ないので、武道としては一つの型稽古に過ぎない竹刀を振る試合の勝敗に、金メダルに
よる莫大な経済的価値が付加されると、今以上試合の勝敗に拘り、どうしてもスポーツに
重心が傾いてしまう恐れがあるので、Olympicには乗り気ではないのかもしれません。
また今でさえスポーツとしての側面を押し立てるだけでなく、警察関係と懇意にしたり、
政治家を要職に据えたりなど、世間での居場所に気を使っているのですから、これ以上の
政治的取引は勘弁して下さい、と言うことも有るかも知れませんね。(判りませんが;-p)

でも一子相伝のようなものとはせず、民間に遍く広めることで、社会貢献と同時に、
武道である剣道の底辺を支えようとする連盟の役割は崇高だと思います。


???スポーツは武道ほど礼(精神)を重んじなくても良い???
礼を重んじるのも精神を重んじるのも同じことだと考えますが、社会との関わりの中で、
自分の剣道向上の為の、指導や機会や環境を与えられるのですから、その為にお世話に
なる周囲に対して礼を尽くすのは、武道でもスポーツでも、そのどちらでもなくても
当然のことではないでしょうか。相手もいないことには稽古も試合もできないのです。
JUDOで礼の前にガッツポーズを取る選手がいるのは、JUDOの品位が低いからではなく、
選手個人の(或いはプラス指導者の)品位が低いのだと思います。

???武道はスポーツほど“結果こそ大事”ではない???
武道では“本番”で負けたら死ですから、むしろ武道の方が死ぬほど結果が大事です。
但し防具を着て竹刀を振っている限り試合も稽古の一環なので、試合結果に拘らない
訳です。

(なお別に武道の方が偉い訳でもスポーツの方が偉い訳でもありません。念の為。)

私の場合は武道の方が濃いめにブレンドされていますが、武道であれスポーツであれ、
限りなく同じに近い動作の稽古ですから、片方が上達すればもう片方も上達することと
思われます。自分の中にある二つの意識の存在と違いを自覚して、研鑚に励みたいと
考えます。
[2006/09/03 06:21:07]

お名前: Hide.    URL
To 寺さん

はじめまして、管理人のHide.です(^^)

>最近この掲示板を知って楽しく読ませていただいております。
>ほんとに勉強になります。

お役に立ちますればうれしく存じます(^0^)
今年はこれをご縁にどんどんカキコしてくださいね!


>たとえば、相撲でも土俵の下に突き落とした相手に手を差し伸べて引き上げることがよ
>く見られます。思いやる心が伝わって清清しく感じられます。

思いやりの心っていうのは大切ですね。
私は剣道で対戦するお相手は「敵じゃないんだよ」と生徒たちに教えています。ともに死
力を尽くして戦いあうお相手。魂と魂をぶつけ合う仲間なんです。そう考えれば自然に礼
節と思いやりのある態度で接することができますよね(^^)
[2004/01/02 09:12:36]

お名前: 寺   
最近この掲示板を知って楽しく読ませていただいております。
ほんとに勉強になります。

古くなった話題で恐縮ですが、相手の落とした竹刀を拾ってフェアプレー賞を
もらった高校生について、誤解があるようなので一言お伝えさせてください。

高校の新聞によりますと、竹刀を落とした瞬間打突できるという規則は十分承知
でしたが、あの場面は打突できる機会ではないと判断したのだそうです。その後
膝をついて両手で竹刀を拾い相手に渡したという態度が評価されたようです。

たとえば、相撲でも土俵の下に突き落とした相手に手を差し伸べて引き上げることがよく見られます。思いやる心が伝わって清清しく感じられます。
[2004/01/02 03:35:07]

お名前: Hide.    URL
to 歯医者さん

管理人のHide.です。

>敗者をいたわるって
>指導者は敗者をボコボコにするけどな〜〜〜〜

そんな指導者ばかりではないと思われますが、いかがでしょうか?(^^)
[2003/09/04 17:45:46]

お名前: 歯医者   
敗者をいたわるって

指導者は敗者をボコボコにするけどな〜〜〜〜
[2003/09/02 21:42:00]

お名前: Hide.   
to 剣志郎さん

>だからこそ剣道の学術的な体系を作ってから世に送り出さないと、雄弁な海外勢に押し
>切られてしまう事だと思います。

おっしゃる通りです。
ま、ここから先は、私どもではなく連盟の仕事になるとは思いますが(^^;


>いろいろ考えさせて頂きありがとうございました。

こちらこそ、真摯にお付き合いくださいまして感謝ですヽ(^.^)ノ
[2002/12/24 09:51:23]

お名前: 剣志郎   
hideさんへ
>ただ、柔道が「JUDO」になっちゃったように剣道が「KENDO」という新しい競技になっちゃう
>のはごめんですね(^^; スポーツ的側面は剣道という大きな山のホンの一角にしかすぎまん
>その小高い丘を目指すことも、修業過程としては必要でしょうが、そこに上ることだけが目的
>になることは避けなければなりません。

そうですね…。確かにhideさんがおっしゃられる様に「kendo」という競技になってしまう恐
れはあるかもしれませんね…。だからこそ剣道の学術的な体系を作ってから世に送り出さない
と、雄弁な海外勢に押し切られてしまう事だと思います。いろいろ考えさせて頂きありがとう
ございました。
[2002/12/23 18:31:02]

お名前: Hide.   
to 剣志郎さん

>どうせならそののま「budou」でも良いような気がします。武士道もbusidoですし、武士
>はsamiraiですからね(-_-;)。

私もそれがベストだと思っています(^0^)
ただ、柔道が「JUDO」になっちゃったように剣道が「KENDO」という新しい競技になっちゃうのはごめんですね(^^; スポーツ的側面は剣道という大きな山のホンの一角にしか
すぎません。その小高い丘を目指すことも、修業過程としては必要でしょうが、そこに上
ることだけが目的になることは避けなければなりません。

これからも私は、「剣道はスポーツではない」と言い続けて行く所存です(^_-)〜☆
[2002/12/23 07:12:08]

お名前: 剣志郎   
hideさんへ
なるほど、あくまでも「武道」の直訳での理解によってhideさんは剣道を広めて行きたい訳で
すか…。まぁ、お互いそれは個人的主観の問題ですから致し方ないですね(;_;)。でもhideさ
んと基本的な考えが一緒でよかったです。事実私も「剣道は武道だ」と思っていますから(^^)
。あと実際私は「martial arts」の訳には賛同しかねます。どこから派生した熟語であるか解
りませんが、「martial=軍」ですから…。果たしてその表現が正しいのか、ちょっと疑問で
す。どうせならそののま「budou」でも良いような気がします。武士道もbusidoですし、武士
はsamiraiですからね(-_-;)。

じあんびーさんへ
>私は武道とは「武士の道」(そのまんま?)と理解しています。
>技術や歴史的変遷を現代剣道と無理矢理こじつけなくても…
>あまりいろいろなことを結びつけてごちゃごちゃにかき回すことも無いように思いますが。

じあんびーさんの全体におっしゃられている文面はよく理解いたしていますし、私も基本的に
は同じ意見です。ただ、「武道とは「武士の道」…」ではないですし、「…現代剣道と無理矢
理こじつけなくても…」という言葉には賛同しかねます。こじつけでも何でも私はないと思い
ます。過去の変遷を辿らなければ、根本的な解決にもなりませんし、「剣道は武道だ」と言っ
て置きながら自分自身が何も理解出来ていないのでは話になりません。そういう意味でそうい
った勉強をしてみるのも私は必要だと思います。ただただ漠然と「剣道はいいものだ」では何
も通じないですし、自己満足の範疇だと思うのです。例えばL・ベネディクトの「菊と刀」や
新渡戸稲造の「武士道」古文の「葉隠」なんかお勧めです。そこで語られている「武士道」
「武道」「日本文化」とはどういったものなのか、どう理解されているのか、私がhideさんに
「martal arts」の訳に違和感があると言った意味が理解できるかもしれませんよ。
ごちゃごちゃゴタクを並べた事はご容赦ください。m(__)m

そういえば前に「騎士道とはどういったものか?」というレスがありましたが。私の知るとこ
ろによると、騎士道はキリスト教を道徳規範としていますので「隣人愛」が非常に強調されて
いるようです。弱い者や隣人などへの敬愛心が重要とされ、敵対する者には徹底的な攻撃を加
え改心させる事が武力行使の大儀となっているようです。信条と価値観が自分自身の道徳観(
キリスト教的)に根ざして行動を起こすところが「武士道」とは違いがあるかも知れません。
[2002/12/22 23:38:34]

お名前: Hide.   
To 剣志郎さん
うーん、私はスポーツという訳し方をしなくても「剣道は剣道であり、それはスポーツでは
なく武道という日本の文化なのだ」という方向で世界に皆さんに認識していただきたいで
すね(^^) 剣志郎さんとは、剣道の本質論では合意に達してますが、どうしてもこの部分
ではかみ合わないようです(^^; まぁ、個人の趣向的閉塞感までは、論議によって変えることは不可能だと思われますし。

私は剣道をスポーツとして認めるわけには行きませんし、日本舞踊や能の仕舞をダンスと
するわけにはいきません。敷居が高いといわれようが、平易な方法での底辺拡大によって、
剣道が著しくゆがめられてきた戦後の歴史を放っておくわけにはいかないからです(^^)

だからこそ、その技術論においては、私は「日本一のレッスンプロ」を目指して、平易で
わかりやすく剣道を解説することに全力を尽くしております。過去の指導者がとってきた
ような、難しい文献や歴史を引用して煙に巻くような解説の手法を、私は善しとしてはい
ないのです。

ちなみに、正しいニュアンスになって外国人に伝わっているのかどうかは定かではありま
せんが、武道の英訳はmartial artsです。これは、「格闘技」という意味合いのようですが、
sportの「運動、体育、競技」という訳よりはよろしいのではありませんか?(^^) 外国人に
剣道を説明する場合、私はmartial artsを用いますが・・・(^^;


To じあんびーさん
格闘技ではあるが、お相手を痛めつけることを目的としていない・・・、これが、剣道の
持つ特異性ですよねヽ(^.^)ノ かといって、単に「打った、打たれた」のポイント争いでも
ない。真剣にやりあったお互いに通じ合う連帯感と協調感。むろん、スポーツの世界でも
あるでしょうが、年代や性別を超えてそれを共有できる剣道は、加齢とともに力を落とし
てしまう他のスポーツや競技と比べて完成度の高いものだといえるのではないでしょうか。

剣道が一番いいとは申しませんし、剣道でなければ人間形成ができないなどというつもり
はありません。ただ、この、世界に誇るべき日本の伝統文化を、決して平易な形で広めた
り残したりしないよう、今、剣道を学ぶ我々がしっかりと自覚することが必要なのだと思
います(^0^)
[2002/12/22 08:32:46]

お名前: じあんびー   
じあんびーです。
私は昔の剣術から現代剣道への発展、昇華の変遷については全くの不勉強ですので
何もいえません。
しかし、
>>ただ、今の剣道に「生き死に」が関係しているのでしょうか?と言うのも「剣道は剣術
>>でない」との違いお認めになるhideさんなのに、どうしてその部分だけは剣術という過
>>去にさかのかが解りません。

>次にこの部分ですが、私は現代剣道において「生き死に」を取り上げているのではなく、「敗
>者へのいたわり」という思想が現代剣道を支える大きなルーツのひとつであり、スポーツと
>は違う「日本文化の薫り」を持っていて、スポーツとの絶対的な違いがその部分だから「武道
>であること」にこだわりを持っているのです(^^)
この部分は本当にそう思います。
剣道は取り組み方を間違えるとば単に竹の棒で殴り合う競技です。
でも、それではただの暴力となってしまいます。
相手をただ痛めつけるだけではスポーツにも発展しないでしょう。
相手の痛みがわかることが剣道のもっとも優れた特性ではないかと思います。
他のスポーツと比較してここがもっともちがう点だと思います。
相手の痛みを持って自分の技術が向上する→相手へ敬意を払う→人に優しくなれる
とまあ無理矢理結びつけましたが、この点が他の武道を含めスポーツと異なる点だ
と思います。

私は武道とは「武士の道」(そのまんま?)と理解しています。
今の時代に「生き死に」が関係しているとは思いませんが、平和な時代
とは言えないと思います。少なくとも混沌とした先の見えない時代です。
そんな時代に「剣術」という今より凄まじい時代から昇華された「剣道」は
剣道をしている方々の人生に元気を与えるエッセンスが凝縮されており、剣道を
しない周囲の人たちをも幸せにする力があると信じています。
技術や歴史的変遷を現代剣道と無理矢理こじつけなくても、現実感として剣道が
生活に役立っている事は剣道している人なら感じていると思います。
(もちろん剣道の歴史的背景を理解することは大切ですが)
筋道さえ外さなければいろいろな取り組み方があっても良いかと思います。
あまりいろいろなことを結びつけてごちゃごちゃにかき回すことも無いように思いますが。
失礼します。
[2002/12/21 23:59:06]

お名前: 剣志郎   
hedeさんレスありがとうございます☆
>武道である認識を、指導者も競技者も持つことができれば、現在のように若年層における試
>合偏重に歯止めがかかるはずです。
>今の傾向が続けば、剣道がどんどん競技スポーツ化していってしまう危惧を、剣志郎さんは
>お感じにはなりませんでしょうか?(^^;
私の場合、「武道というこだわりが、何か剣道を息苦しくしてしまっているのではないか?」と
考えているのです。ダンスの括りですが、能も日舞もダンスの区切りに入ると思いますよ。単
に日本語を英語に翻訳しただけなのですがね(笑)。日本という狭い範疇で物事を捉えるので
はなく、全世界的視野で考えて見るのも必要だと思うのです。人生そのものを説く剣道である
からこそ、日本だけでなく、人類共通の何か大切なものが(一つは徳かなぁ)凝縮されている
のではないかと感じるのです。だからこそ「人格形成の道」とうたえる訳で、仮にそうでない
としたら、ご都合主義のデタラメではないかと考えるのです。

そうしてみた時、単純に「スポーツ」という単語は外せないのでは?と考えたのが一つです。
「どう、このスポーツという単語を使って剣道を表現するか?」と考えて見ました。前述で語
られていたカテゴリーの問題では私も「剣道は単なるスポーツではないな」と思い「やはり武
道だ!」と思いました。しかし、「武道って、表現するとしたら何になるの?もっと平易な表
現はないのか?」と考えたのです。と言うのも「武道」という言葉には様々な要素、文化的背
景、宗教、人生訓…などなど主観的要素も含まれた複雑な哲学用語のようなものでして、これ
を端的に的確に答える事は不可能に近いと考えます。しかし、一般の方は安易に「武道」と言
う言葉を使われますが「ホントに意味理解して使ってんの?」「歴史的背景は?誰の主観?」
などいくつも疑問が湧いてきます。

私はそのままの状態で剣道を国際化した場合、hideさんがおゃられるように「柔道のように
なるのでは?」と同じように危惧したします。だからこそ敢えてどんな言葉に翻訳しても、
「剣道のもつ本来の精神」の部分をここで確認したいと思ったのです。それが上手く表現で
きれば、hideさんがおっしゃっていた「誤った理解(競技主義的な)」を回避できるのでは
ないのかと思い「スポーツ」という単語にこだわってみたのです。つまり「武道」という難
解な言葉を平易な言葉に表現できれば、誰も間違わずに「武道である認識を指導者も競技者
も持つことが可能」なのではないかと考えたのですm(__)m。

話の中では外国人(国際化)を例としてお話しましたが、ともすると我々日本人の剣道初心者
にありがちな問題でもあると思うのです。「武道」という言葉は様々な要素も含まれていて使
う側には便利な言葉ですが、一般的には非常に敷居の高い言葉ではないでしょうか?そこを理
解するには恐らく何十年とかかるはずです。剣道自体素晴らしいものであるのに剣道人口が伸
び悩むのも、最初の入り口が非常に理解しにくい「武道」という言葉で締めくくられているか
らではないかと思うのです。それを「このままで良いじゃないか。」と思う部分に息苦しさと
いう閉塞感と個人の趣向的閉塞感を感じてしまうのです。

剣道が「人間形成の道」であるのならば、それは日本人に対してだけ通じるものではあっては
ならないはずです。人類共通のものでなければ、それは村的な常識だし、古いとかダサいとか
言われる過去の価値観です。私は剣道の価値観は古くもなく現代にも深く通じる価値観だと思
っています。それを上手く表現できない剣道人が、剣道そのものを過去のものへと追いやり、
特殊なものとしてしまってるのではないか?と考えるのです。
(例えるなら武道という単語は微積分のようなものです。確かに正しく的確な表現ですが、一
般の人が平易に理解できるか?と言えばNO!だと思います。小学校で習った図形の面積で積分
値を求めても近似値は出ると思います。私の考えはそれに似ていて、スポーツという一般化さ
れた言葉を利用して置き換えは出来ないかなぁと思いました。)
それが剣道の本当の発展に繋がると思うのですが…。

長々と書きましたが、私の基本的な考えもhideさんと同じです。競技だけでは両輪とはならな
らず、片輪の剣道であると。そして本当に重要なのは剣道のもつ活人剣的要素であり、限られ
た勝利者(競技優勝者)を育てる(に成る)のではなく、社会的人格者を育てる(に成る)こ
とだと考えています。m(__)m
[2002/12/21 21:58:39]

お名前: Hide.   
To 剣志郎さん

それでは反対にお尋ねしますが、どうして剣志郎さんは、日本の文化を「スポーツ」という外国のカテゴリーでくくろうとなさるのですか? 日本舞踊や能の仕舞もダンスというカテ
ゴリーでしょうか? 押し殺した動きの中に喜怒哀楽や人生さえも表現する日本舞踊や仕
舞は、同じように高い精神性と芸術性を表現しうるものであっても、けっしてクラシック
バレエやモダンダンスと同じ「ダンス」というカテゴリーでくくられるべきではないはずで
す(ちなみに、クラシックバレエの人は、モダンダンスを「バレエ」というカテゴリーに入れ
てませんよ(^^;)。
たとえ「文化的」と冠がついていたとしても、身体活動を伴う競技をすべて「スポーツ」とし
てくくろうとする考え方に対して、まず、異論を唱えます(^^)


>ただ、今の剣道に「生き死に」が関係しているのでしょうか?と言うのも「剣道は剣術
>でない」との違いお認めになるhideさんなのに、どうしてその部分だけは剣術という過
>去にさかのかが解りません。

次にこの部分ですが、私は現代剣道において「生き死に」を取り上げているのではなく、「敗
者へのいたわり」という思想が現代剣道を支える大きなルーツのひとつであり、スポーツと
は違う「日本文化の薫り」を持っていて、スポーツとの絶対的な違いがその部分だから「武道
であること」にこだわりを持っているのです(^^)

外国にいって剣道をされた方にお話をうかがいますと、外国の方は打たれないと「お相手の
強さ」を認められないのだそうです。また、打たせてもらったものも「自分が打った」とお考
えになる方が少なくないとも聞きます(むろん、そうでない方も多数いらっしゃると思いま
すが(^^;) 。これらの事例は、その外国人の方が剣道を、「決められた打突部位を打突し、
ポイントを稼ぐスポーツ」と認識しておられるからですね。
たぶん、おじいちゃん先生に、面を打っていってパッと小手につけられたとしても「打たれ
ていないので一本ではない」と考えるのではないでしょうか(^^;
そして、これらは、競技を中心に剣道をされている方にも共通してはいませんか?

私たちは、お年寄りや女性とお稽古をするとき、スピードやパワーに頼ったことをしません
ね。また、下位者や子供たちと剣を交えたとき、ことさら自分の強さを誇示するような稽古
はいたしません(一部にそういった方もいらっしゃらないわけではありませんが(^^;)。
これらは、お相手に対する「いたわりと敬意」という「礼」なのではありませんか? こうし
たものは、武道の持つ「徳」のひとつであり、スポーツとは分けて考えられるものではないで
しょうか?(^^)


私のほうこそ、どうして剣志郎さんが剣道を武道であると考えることにこれほど難色を示
されるのか理解に苦しみますねぇ(笑) 剣道は間違いなく日本で生まれた自国の文化です。
私は自国の文化を愛するがゆえに、外来のスポーツとの違いを明確にし、後世に残していき
たいと切に願っているのですが・・・。柔道が誤った国際化によってたどった道を、剣道
のスポーツ化によって見たくはないのです。


>道を極める過程で競技重視となることも必要ですし、当然それだけでは文化面に磨きを
>かけていないわけですから道は極まらない訳で、その両輪が備わってこそ剣道であり剣
>道人でないのでしょうか?そう考えると武道というものに偏重してしまうのは逆に違う
>のではないかと考えるのです。

武道である認識を、指導者も競技者も持つことができれば、現在のように若年層における試
合偏重に歯止めがかかるはずです。
今の傾向が続けば、剣道がどんどん競技スポーツ化していってしまう危惧を、剣志郎さんは
お感じにはなりませんでしょうか?(^^;
[2002/12/21 10:16:46]

お名前: 剣志郎   
hideさんへ
なるほど、確かにそう言われてみると、そうかもしれませんね。ただ、今の剣道に「生き死に
」が関係しているのでしょうか?と言うのも「剣道は剣術でない」との違いお認めになるhide
さんなのに、どうしてその部分だけは剣術という過去にさかのかが解りません。

以前、私は「日本文化に根付いた剣道」を誤った解釈で分析し「国際感覚に非常に隔たりのあ
る特異な考えだ!」と別トビで主張しました。その際にhideさんから言われた一言で「あ、そ
っか。日本文化をグローバルというモジュールで見ているから違和感があるんだ。剣道そのも
の自体、文化なのだから、そこまで平準化して考えるのは元々可笑しな話だなぁ…」と思い考
えを改めさせて頂きました。しかし、今回は正直ちょっと良くわからないです…。

そもそも、平和な社会に「武」の考え(殺人刀)は不要だし、どちらかと言うと「道」の考え
(活人剣)の方が重要であると思うのです。多分それにはhideさんも異論はないと思うのです
が、問題はそれが「スポーツマンシップとどう違うのか?」です。他のスポーツでは万能なる
言葉で「人生との結びつき」を多くは説明されてはいませんが、多くの自叙伝や個人を題材と
した書物では十分に語られていると思います。そこに語られた内容と我々剣道人が目指すもの
とに大きな差があるようには思えないのですが…?

私は皆様のお話を聞いていて「剣道とは武道文化を元にした高潔なるスポーツ」ではないかと
考えています。実際に人を殺めるものでない以上、運動系は全てスポーツではないかと思いま
すし、元が「武術」を発端とし体系的な思想をもつ文化でもあり、精神面に重きを置いた文化
的スポーツが現在における地位ではないかと考えるのです。

また、道を極める過程で競技重視となることも必要ですし、当然それだけでは文化面に磨きを
かけていないわけですから道は極まらない訳で、その両輪が備わってこそ剣道であり剣道人で
ないのでしょうか?そう考えると武道というものに偏重してしまうのは逆に違うのではないか
と考えるのです。競技人口の性でオリンピック化ができないのであれば仕方ありませんが、そ
うした考え方の問題でオリンピック化が出来ないというのは可笑しな話であると私は思います
。そのうやむやな辺りをしっかり定義し、剣道の良さを広められなければ、私はその方が本来
の剣道のあり方ではないと考えるのです。
[2002/12/20 17:34:18]

お名前: Hide.   
to 剣志郎さん

簡単に言ってしまいますと、武道(武術)で勝つことが「自分が生きるための行為」であ
るとするならば、スポーツでの勝利は「自分(チーム)の悦楽のための行為」なのではな
いかと愚考するものです(^^)
[2002/12/19 13:46:12]

お名前: 剣志郎   
hideさんへ

>「楽しみのために作られた」スポーツと「他人を殺傷する技術」として生まれた武術とでは、
>同じ「勝ちを求める姿勢」において違いがあってしかるべきなのではないでしょうか(^^)
のレスの「勝ちを求める姿勢」とは?一体hideさんにとってはどんな事なんでしょうか?そこ
の当たりが勉強不足でよく理解できないのですが…。竹刀の重さや刀法の違いなどでは「剣術
とは違うと素直に認めるべきだ」という意見には賛成されていたと思うのですが…。
[2002/12/19 13:24:14]

お名前: Hide.   
To 剣弁さん

>「フェンシングは騎士道かスポーツか?!」
>フェンシングをしている人の登場をまちましょう!(来ないか・・・笑)

うーん、なるほど・・・。
私は騎士道については詳しくありませんが、フェンシングが棋士たちの表芸として、騎士の
倫理や哲学にまで深く関与した歴史があるという話は、あまり聞いたことがありません
が・・・(^^;

実際のところ、どうなんですかねぇ???
[2002/12/19 10:02:11]

お名前: 剣弁   
みなさんこんにちは。
考えれば考えるほど頭痛と腹痛がしてきて今日の稽古をサボりたくなってきた剣弁と申します。

>「楽しみのために作られた」スポーツと「他人を殺傷する技術」として生まれた武術とでは、
>同じ「勝ちを求める姿勢」において違いがあってしかるべきなのではないでしょうか(^^)

というHide.さんの意見を見て、ふとフェンシングはどうなんだろう・・・?と疑問に
感じました。
フェンシングも元は「他人を殺傷する技術」として発展してきたものと思うのですが、
フェンシングをされている人はこんな話題にはならないのでしょうか?(笑)

「フェンシングは騎士道かスポーツか?!」
フェンシングをしている人の登場をまちましょう!(来ないか・・・笑)

こんな切り口ダメ・・・?
[2002/12/18 14:59:15]

お名前: Hide.   
to えーじさん
>もちろん私も学生の頃は「剣道は武道だ」と口では
>いいながら、勝利至上主義で稽古してきましたが
それでよろしいのだと思います。そういう修業の時代を経たから、現在があるとも言えま
す。剣志郎さんもおっしゃってますが、元々は勝ちを求めるための武術からスタートして
いるわけですから。これを「道」という生きる力に昇華させたところに文化の薫りがある
と思いませんかヽ(^.^)ノ


to 剣志郎さん
>「元を正す」と言えば逆に本来「勝利至上主義」の学問です。それを考えると「スポー
>ツと武道は違う」という言葉にさえ疑問を持ちます。
だから、何度もお話している通り、「楽しみのために作られた」スポーツと「他人を殺傷
する技術」として生まれた武術とでは、同じ「勝ちを求める姿勢」において違いがあって
しかるべきなのではないでしょうか(^^)

>「本来は…」「昔は…」にとらわれない「現代剣道」を目指すべきではないでしょうか?
うーん、どんな物事にもルーツというものがあり、それが、人々の工夫によって進歩発展
してくるものだと思います。むろん、そうした過程の中で淘汰されてしまうものもたくさ
んあるわけですね。現代剣道は、カラダが巨大化し滅びゆく運命にある恐竜のようなもの
ではないでしょうか。しっかりとした理念と哲学を伝播することなく、競技中心のスポー
ツ的な側面ばかりが強調されて今日に至っています。昔のものをありがたがったり尊がっ
たりする懐古的な見方ではなく「温故知新」の気持ちで新しい時代の「文化としての剣
道」を創出していくことこそ望まれるのではないでしょうか(^^)
[2002/12/18 10:56:28]

お名前: 剣志郎   
お久です☆

hideさんへ
>アハハ、よく勉強をしておられる剣志郎さんらしからぬご意見ですね。
>元々剣道は武道だったんですよ。それを戦後、剣道を復活させるときに「スポーツだ」と
>して再開にこぎ着けたんです。もし、間違いや誤解があったとするならば、その部分で
>しょうね(^^)
私もそれはよく分かっているのですが、いみぢくもhideさんが後談おっしゃれたようにカテゴ
リー別けと取られかねない失言だったように思えるのです。確かに元は「武道」というカテゴ
リーに入っていました。しかし、それは昔はスポーツというカテゴリーがあった訳でなくでは
ないので、何とも言えません。昔は体を使って覚える学問はすべて「道」という概念的な言葉
で表現されていました。その体系を学術的に支えているのは「兵法」と呼ばれる創始者の体験
的理法であり「勝者の理」です。「元を正す」と言えば逆に本来「勝利至上主義」の学問です
。それを考えると「スポーツと武道は違う」という言葉にさえ疑問を持ちます。


皆さんが「武道、武道」とおっしゃられているのは、いわゆる聞き伝えの概念的な武道であっ
て、武道の根幹をなす意味合いではないと思うのです。今、大半の人々が「武道」という言葉
を使うとき、それは「平和な時代の中で生きる剣術」を指し柳生宗矩が説いた「活人剣の理」
一点に絞られた考えです。その究極は山岡鉄舟の無刀流で大きく華開きますが…元は戦国の時
代が去り、刀の世が終わりを迎え、安寧の世の中にどう剣術を残すか?という大命題の中で生
まれた考えです。

そこへ、儒教的概念と仏教の虚無の思想、人生観、など様々な概念を凝縮して学問としての道
を進んで行ったのです。ですから、他のスポーツに比べ非常に高度な精神レベルを求められる
のですが、その根幹を辿れば「人を斬ること」「争いに勝つこと」にあった訳ですから、礼節
や味わいの類で理を推し量ろうとしても必ず矛盾にブチ当たりると思うのです。

とは言え、私自身「活人剣としての武」には大賛成で、今でも剣道を続けている所以は「剣道
は武道だよ」とおっしゃる皆様と志を同じくしているからです。しかし、このトビで語られて
いる「剣道はスポーツか武道か?」について言えば、現段階の剣道界においては「同じ事だ」
と私は思いますし、昔の大先生及び皆様の言われる武道は狭義的には違いはあっても、真に元
を正せば「同じ事」と私は思います。

私は今の剣道連盟のどっちつかずの対応にだらしなさを感じています。また私は「…元を正す」
必要はないと考えています。かの柳生宗矩が行ったように、「時代にあった剣道を模索し、改め
て提唱し直せば良いのではないか?」と考えています。(例えば徒弟制的道場のあり方にも疑問
が有ります。剣友会的組織でも一貫した教育は出来ますから…)様々な剣道観は存在しますが、
単一組織で有るならば、しっかりとした単一的な見解と方向性を持ってもらいたいと思います。それに従えない団体や組織があるのならば、そちらはそちらで新しい連盟を組織すれば良いだけ
で、清濁合わせ飲む必要性はどこにも無いと思うからです。歴史の長い分だけ尊卑分脈、価値観
は存在してもいいと私は思います。それが自然であり、過去の流派でもある訳ですから…。

突き詰めて考えると、剣道人口の減少の一因にこの事が根深くあると私は思います。権威主義
も結局は「論拠のない部分」を補うためであり(私のように文献をまさぐる者は多くない…)
またそれは質問者の「納得したい」という欲求を満たしてくれるからです。しかし、それにも
限界があり様々な矛盾に出くわします。剣道教育の成果はかなり時間を経てから現れるもので
一長一短では有りません。したがって、試合等でも稽古でも成果の現れない人々にとっては大
変つまらないものであり、新たな矛盾に出くわした時に明快な回答と目標を与えてやらなけれ
ば挫折仕舞いがちになります。そして、それによって途中で辞められては指導者が目指す教育
にもなりません。指導者にとっての究極の目標は「生涯剣道を友人の様に付き合っていっても
らうこと」であり、「極めて限られた勝者育てる事」ではないはずです。そう考えた時、これ
だけ多くの「試合への不満」「態度の悪さ」などを考えて見ると、組織的怠慢が剣道人の疑問
を増やし、「興味の無さ」や「剣道のマイナー化」を助長していると感じてしまいます。「本
来は…」「昔は…」にとらわれない「現代剣道」を目指すべきではないでしょうか?
[2002/12/16 21:52:45]

お名前: えーじ   
こんにちは。
剣道は武道という理解でよいのではないでしょうか。
もちろん私も学生の頃は「剣道は武道だ」と口では
いいながら、勝利至上主義で稽古してきましたが
最近稽古して思うのは、剣道のなかに深〜い精神世界の
ひろがりを感じます(なんてかくとちょっと宗教っぽい?)。
みなさんがどう感じておられるかはわかりませんが、
一般の社会人で剣道をしている人は、そんなところに
魅力を感じているのではないでしょうか。

剣道は礼をする姿が美しい。構えた姿が美しい。(と思う)
そんななかで、自分を(自分の心映え)を表現する。
そういうところに、私は他のスポーツにはない喜びを感じます。
(私は他にもサッカーやスキーも大好きですが…。)

また、相手を思いやり自分も思いやることなくお稽古しても
楽しみ半減ではないでしょうか。

剣道に限らず、武道とは本来師弟制度。それはその精神や
価値観も共に伝えてゆくものではなかったでしょうか。
現代では、少数の指導者で多くの弟子や子供達に
伝えてゆくので、そのあたりがむづかしいのかも
しれませんが、「武」矛を止めるための修行をしていかねば
なりませんね(^^)


to剣童さん
>試合を離れた所に、そういった奥深いものを持っているのが剣道だと思います。
>で、剣道はむしろこちらが大事だと言われています。
>「世界選手権優勝者を手玉に取る70歳」なんて、どのスポーツにもいないでしょう
同感です(^^;
私の師匠も80歳なんですが、いつも稽古つけていただくと、剣道場のかどに
押し込まれてしまいます。昔海軍の武術師範とかで…。(−−;
[2002/12/16 14:40:01]

お名前: Hide.   
to じあんびーさん

>苦しい時代だけれども現在の指導者が改革することで剣道は武道的側面を打ち出せる
>、軌道修正できるチャンスかもしれません。

非常に前向き&建設的なご意見、ありがとうございますヽ(^.^)ノ
剣道指導者が襟を正して臨まなければ、次代の剣道はますます傾いていってしまうように
思われます。まさに、正念場といってもいいかもしれませんね。頑張らねばいけません!
[2002/12/15 07:23:27]

お名前: じあんびー   
じあんびーです。
「スポーツ的取り組み」というのは勝利に向かって日頃の練習のみならず、
周りの人間(チームメイト、先生)との協調性、また支援してくださる
方々との関係、私生活も含めた取り組みと私は考えております。
ですから、この点においては武道=スポーツでもそれほど外れていないのかな
あと思ってます。
今の剣道界でまずいのは、とにかく試合偏重になっていると言うことかもしれません。
そして進学、就職に結果が影響してしまうのです。
で、結果的に残ったものだけが英才教育を受けて次世代の指導者となっていく・・・
(語弊があるかもしれませんが)
剣道の特長とは裏腹に勝利至上主義も成り立ってしまい、対立しているのだと思います。
でも、今の時代本当の剣道のあり方をアピールできるチャンスかもしれません。
景気も悪く就職、進学もままならないときに、競技剣道だけの剣道アスリートでは通用しなく
なっているからです。
苦しい時代だけれども現在の指導者が改革することで剣道は武道的側面を打ち出せる
、軌道修正できるチャンスかもしれません。
話がずれました。ごめんなさい。

今日のスポーツ新聞に柔道の吉田選手が全国一県一カ所ずつ吉田道場を展開したい
と申しておりました。確かに普及にはつながると思いますがこれこそJUDOになりや
しないか心配です。
剣道がこのように筋道を外れた発展はして欲しくないと思います。
[2002/12/14 17:53:07]

お名前: Hide.   
to 剣志郎さん
>ふと、思ったことで恐縮ですが、過去のお偉い大先生が「剣道は武道である!」と言っ
>たのが、そもそも間違いなのではないでしょうか?
アハハ、よく勉強をしておられる剣志郎さんらしからぬご意見ですね。
元々剣道は武道だったんですよ。それを戦後、剣道を復活させるときに「スポーツだ」と
して再開にこぎ着けたんです。もし、間違いや誤解があったとするならば、その部分で
しょうね(^^)

>「武道=人格形成」「スポーツ=勝敗重視」という短絡的な考え方がそもそも間違って
>いるのではないでしょか?
現在見ることの出来るスポーツを拝見いたしますと、とくにプロ化したものがマスメディ
アに乗っているせいもありましょうが、「スポーツ=勝利至上主義」という図式が否めな
いと思いますが、そうはお感じになられませんでしょうか?(^^)
そして、残念なことに、昨今の試合における剣道も・・・。

>「武道であるか?スポーツであるか?」とは、お話を読んでいて、あまり関係が無いよ
>うに思えてきました…。如何でしょう?
そうですね、カテゴリー分けはあえて必要ないかもしれませんが、↓で述べました通り、
その発祥の違いから剣道はスポーツではあり得ないということはご理解いただけますね(^_-)〜☆


to ボスさん
>このトビ自体がスポーツと武道でどっちが偉いかみたいな話しで盛り上がっているよう
>な気がするんです。
少なくとも、私はそういう論点でお話いたしてはおりませんが・・・(^^;
「武道であるかスポーツであるか?」というトピですので、発祥の点、そして勝敗に対す
る考え方の違い(とくに敗者に対するいたわり)をあげて、「武道である」というお話を
させていただいておりますので、「どちらがえらいか」というお話ではありません(^^)

>だたそれは武道愛好者のおごり高ぶりであって、ほかの競技の選手から見れば武道だか
>ら礼儀正しいというのはおかしい部分もあるわけです。
うーん、どうして、それが、「武道愛好家のおごり高ぶり」なのでしょうか? また、
フェアプレー賞というものが、どの剣道大会にも規定されているならともかく、その一大
会の事例を取り上げて、全体を論じるのにはムリがありませんでしょうか?(^^;

さらに、武道だから礼儀正しいとは申しませんが、この平和主義の世の中において竹の棒
で殴り合いをする競技ですから、必要以上に「礼」に対する考え方が前面に出ているのは
至極当然のことなのではないでしょうか? 私はそれを、肯定的材料として子供たちのし
つけ教育に活かす道を実践させていただいておりますが(^0^)
[2002/12/13 22:46:20]

お名前: ボス   
剣道の「権威主義」と「武道」をはき違えているわけではありません。
だから、初めの方に書いているとおり、武道でもスポーツでもいいと
思っているから、このトビ自体がスポーツと武道でどっちが偉いかみ
たいな話しで盛り上がっているような気がするんです。はっきりいっ
て違いなどありません。あるとすれば、意識の問題。武道をやれば礼
儀正しくなるとか・・・・そんなもんでしょう。じゃ武道をやれば礼
儀正しくなるかといえば、それは指導者の問題。他の競技だって指導
者しだいでは素晴らしく礼儀正しくなる。剣道家だからみんな礼儀正
しいとは限らない。ただいえるのは、武道というカテゴリーの競技で
なければ、フェアプレー賞に推薦しなかったと思います。他のスポー
ツといわれる競技では推薦できないことだと思います。だたそれは武
道愛好者のおごり高ぶりであって、ほかの競技の選手から見れば武道
だから礼儀正しいというのはおかしい部分もあるわけです。
 わかってもらえないでしょうかね。うーん、うまく説明できないな。
ごめんなさい。
[2002/12/13 22:29:08]

お名前: 剣志郎   
ふと、思ったことで恐縮ですが、過去のお偉い大先生が「剣道は武道である!」と言ったのが、
そもそも間違いなのではないでしょうか?

と、言うのも「スポーツマン精神」なんて言葉がありますよね?あれって「正々堂々と…」じゃ
なかったですかね?なんか似てないですかね?「スポーツ人としてのあるべき姿」と…。そう考
えると、そもそも当時の大先生が「スポーツ」のことをあまり理解していなくて…もしくは精神
的表現をうまく伝えられなくて「剣道は武道である!」と言ってしまったんではないでしょうか
?終戦直後は英語の普及率も悪く翻訳的誤差が生じたのではないかと考えるのです。「武道=人
格形成」「スポーツ=勝敗重視」という短絡的な考え方がそもそも間違っているのではないでし
ょか?

剣道の様々な問題に関しても「精神と競技」の偏重度(バランス)が問題なのであって、「武道
であるか?スポーツであるか?」とは、お話を読んでいて、あまり関係が無いように思えてきま
した…。如何でしょう?
[2002/12/13 17:20:07]

お名前: Hide.   
To オキクルミさん
うーん、「格闘技としての剣道」っていうのは、また、別のテーマなんじゃないでしょうか?(^^;
もし可能でしたら、別トピでやりたいですねぇ・・・。ここで、二つの話題を取り上げてい
くのは、混乱しそうな気がいたしますので(^_^ メ)


To じあんびーさん
「スポーツ的取り組み」がすべて「勝利至上主義」とは申しませんが、そうなる懸念が非常に
大きいと思いますし、現在の中高生~大学生にいたるまでの試合を拝見しますと、多分にそ
の傾向が強くなってきているように思います。
そうした風潮を戒めるのが、本来は現場の指導者ですが、そうした「スポーツ的取り組み」
をしてきた若い指導者が増えてくるにしたがって、この傾向には拍車がかかってしまいま
せんでしょうか?(^^;
[2002/12/11 10:17:02]

お名前: じあんびー   
Hideさん
丁寧にレスいただきありがとうございます。うれしいです。
僕も試合とかで相手にガッツポーズされたり、反則を使ってでも一本と
するような技(わざと押し出す、無理矢理竹刀を落とす・・・)をされると
悲しくなります。
そういう意味ではやはり剣道は武道であるべきです。(正々堂々とか、そのような
概念)僕もHideさんのおっしゃるとおりだと思います。
僕は基本的にスポーツ的取り組みでも間違いではないと思います。
でもその取り組みにおいて剣道の歴史的背景、精神性を理解しているのといないのとでの
違いが各人の取り組みの差になっているように思います。

オキクルミさん
僕も格闘技としての剣道については興味があります。
ただ、最近の格闘家(ボブサップのような)のパフォーマンスなんか見ると
剣道選手であんな人がいたら気持ち悪いです。
格闘技とはちがうかも知れませんが豪快な剣道にあこがれてますので
真っ正面からぶつかりあう剣道はかっこいいと思います。
当然その中には技の応酬も含まれます。
でも、格闘技として考えた場合、筋肉マンのみが残ってしまう可能性があるので
やっぱり味わいとしては半減するのかなあと思います。
[2002/12/11 00:48:40]

お名前: オキクルミ   
このテーマも、皆さん、議論が熱中していらっしゃる様で。
“武道としての剣道”と“スポーツとしての剣道”。
どちらも、なかなか結論は出せないと思うのですが、
それとは別に、もっと違った視点に立てないでしょうか。
それは、“格闘技としての剣道”です。
柔道や空手とは違って、剣道は“格闘技”として
見なされる事は殆どありません。
格闘技として見た場合、剣道はどうなのでしょうか。
[2002/12/10 22:17:48]

お名前: rice   
To Hide様
レスありがとうございます。
剣道の話題の所に居合道の話をいいかなぁ?と少し気にしておりました。
こちらこそ、これからもよろしくお願い致しますm(_ _)m
[2002/12/10 14:00:48]

お名前: Hide.   
To じあんびーさん
はじめまして。管理人のHide.です(^^)

私も、「武道>スポーツ」なんていう考え方を持っているわけではありません。スポーツ界
にも友人はたくさんおりますが、みな、すばらしい仲間です(^^) スポーツが彼らの人間性
を高め、その人間性のバックボーンになっていることは紛れもない事実です。けっして、「剣
道(武道)のみが、人間の精神性を高めるものだ」なんて盲信してはおりません。

ただ、こと試合(競技)に対する考え方の違いが、剣道(武道)とスポーツでは顕著である
とお話させていただいているわけです。その部分を持って、「剣道はスポーツではない」と
いうのが私の持論です(^0^)

だから、剣道競技が「勝てば善し」としたスポーツ的な風潮に染まっていくのには耐えられ
ないんです(^^;


To ボスさん
管理人のHide.です。

そうですねぇ、どちらでもいいようにも思いますが、そうしたあやふやさが、剣道普及の妨げになっているというのが、ボスさんのお考えなのではありませんか?(^^)

>僕はこの行為はルール上認められている行為をせずに敵に情けをかける最低の行為だと
>思います。これが最高の行為であるならば、武道など入りません。
もし、私が監督の立場だったとしたら、やはり「やめ」がかかるまでなぜ一本打たなかったの
かを責めると思います。ボスさんがおっしゃる通り、試合審判規則で認められている「竹刀
放しをした直後の打突」を怠ったのですから、選手としては責められても仕方がありません
ね。その一本を打った後に、拾い上げてあげるのは悪いことだとは思いませんが。私も、「甘
い」と思いますよ(^^)

ただ、「最低の行為」とは思いませんね。選手としては「甘い」ですが、人間としては「好まし
いやつ」じゃありませんか(笑) 彼がそこで打ったとして、それが一本になるかどうか分か
りませんし、お相手のミスに付け込んで勝ちを拾う前に、他のメンバーがしっかりとポイン
トをとっておけばいいだけの話です。彼にチームの負けの責任を背負わす行為こそ、「最低」
ですよね(^^)

>結局あやふやで実態がなく、ただいばりたいためにあるのが武道ということばなんでは
>ないのですか。
うーん、ここの部分がよくわかりませんね。「誰が誰に対して威張りたいのが武道」なんで
すか? あつしさんの「まとめ」からも、ぶどうの徳というものは、そんな類のものでは
ないように思われますが・・・。ひょっとすると、剣道の持つ「権威主義」と「武道」とを混
同してませんか?(^^;
[2002/12/10 11:10:39]

お名前: ボス   
 皆さんの意見を楽しく読ませていただいていますが、ぼくはどっちでもいいと
思いますけど。というかどっちつかずですよね。武道だというなら試合なんかに
でなきゃいいだろうし、スポーツだというならもっと宣伝とかどんどんして人口
増やして欲しいと思う。結局、どっちでもいいことにこだわる体質が剣道の発展
を押さえているのではないでしょうか。だって、他のスポーツだって精神論はた
たきこみますよ。剣道家って本当に視野が狭くて剣道しかできない人が多いんじ
ゃないかって思ってしまいます。(実際世間ではそういわれていますよね。)
 それじゃダメだって感じます。どっちでもいいから、とにかく真摯に取り組む
ことが大切だし、武道だからスポーツとは違うなどというのではなく、お互いの
競技性の違いやよいところを認め合い、吸収し合っていくことが大切だと思うの
ですが・・・・・。
  一昔前に、秋田の高校生が竹刀を落とした相手に対して打たずに礼法にのっと
って試合をひろい渡したことが日本フェアプレー賞になったことがありました。
 これを偉い武道家の先生方は諸手をあげてほめたたえたそうですが、その試合
その高校は負けています。他のチームメイトのことを考えると僕はいたたまれな
い気持ちでありました。これが武道なら武道でない方がいいと思っています。
 だって、相手を思いやる気持ちの方が身内を思いやる気持ちより上に立つのが
武道だということでしょう。僕はこの行為はルール上認められている行為をせず
に敵に情けをかける最低の行為だと思います。これが最高の行為であるならば、
武道など入りません。結局あやふやで実態がなく、ただいばりたいためにあるの
が武道ということばなんではないのですか。ちなみに僕も剣道家ではあります。
[2002/12/10 05:53:38]

お名前: じあんびー   
初めまして じあんびー といいます。
最近このホームページの存在を知って毎日楽しく見ています。
ずいぶん難しいテーマですね。
剣道はみなさんのおっしゃるとおり『武道』であると思います。
ぼくも武道人であることに誇りを持って稽古に励んでいます。
でも、武道>スポーツ という図式は必ずしも成り立たないのでは
とも思います。(>とは優れているという意味とさせてください)
野球、サッカーとかでも目標達成のために苦しい練習を乗り越える、
それを通じて強い精神力を養える、相手を思いやる、人に優しくなれる、
・・・などなど根幹の部分では武道=スポーツの側面もあるのではと思
うのです。
何となくスポーツ的取り組みが否定されているコメントが多く感じまし
たので勇気をもって発言してみました。
結局の所、個人の取り組み方だと思います。
不勉強でスミマセン。
あ、誤解を招かないように言い訳しますが、あくまでもぼくは剣道とは
武道であると思います。
議論ではありません。
[2002/12/09 23:09:56]

お名前: Hide.   
to あつしさん

素晴らしいまとめをしていただきましてありがとうございますヽ(^.^)ノ
(1)〜(7)まで、いずれも剣道の持つ武道的側面を簡潔にまとめておられます。


>潔く、竹刀剣道は刀を扱うのとは違うとおっしゃればよいのに・・・
>刀の操作をおぼえるなら居合をするべきかと思います
>おっと話がそれてしまいました。

同感です(^^;
剣道は刀で人や物を切る道ではなく、己の心の中に生ずる「非心」を切る道と心得ます(^^)
[2002/12/09 13:52:46]

お名前: あつし   
私のなかで一つの結論としては
武道とは
?技術より精神面を重視する
?相手ではなく自分に向き合う
?結果ではなく過程を重んじる
?勝利を一番としない
?精神、技術の向上とともに人間的成長を遂げる
?礼節を重んじ、年長者を敬う
?体力にたよらず、精神力で勝負する

ざっと思いついて書いてみましたがやっぱり剣道は武道ですよね。
試合中心に稽古されている方は競技であるんでしょうが。生涯剣道を実践する
には武道の剣道でないとダメですね。

竹刀の操作と刀の操作は違うと思いますが、武道であると思います。
先生方は真剣のように扱えとおっしゃるのには疑問がありますが・・・
潔く、竹刀剣道は刀を扱うのとは違うとおっしゃればよいのに・・・
刀の操作をおぼえるなら居合をするべきかと思います
おっと話がそれてしまいました。
[2002/12/08 23:28:38]

お名前: Hide.   
to riceさん

管理人のHide.です。カキコありがとうございます(^^)


>先日居合道の先生が「武士道について」話しているのを読んで
>“なぜ自分が居合道を楽しくやってるか?の答えをみつけました。

interbiew、拝見いたしましたヽ(^.^)ノ いやぁ、良く出来たページですね。また、皆さ
んのお話と写真がマッチして、臨場感あふれるページだと思います。
拙サイトには少数ではありますが居合の方もカキコしてくださいます。これをご縁に、ぜ
ひぜひよろしくお願いいたします(^0^)
[2002/12/08 07:45:14]

お名前: rice   
皆様 こんばんは。
剣道経験はないのですが、居合道を始めて2年になるriceと申します。
“剣道は武道か?スポーツか?”皆様の意見楽しく拝見させてい頂きました。
ひと言では語り尽くせないテーマですよね。

私も以前スポーツ好きの知人に“サッカーやバスケはやってて楽しいけど
居合道(なんて)やってて(どこが)楽しいの?”と聞かれ答えにつまりました。
うまく説明できない自分がかなり悔しかったです。
丁度このトピを読んでそんな事があった事を思い出しました。

先日居合道の先生が「武士道について」話しているのを読んで
“なぜ自分が居合道を楽しくやってるか?の答えをみつけました。
「ただ楽しむだけのスポーツではなく、自分は武道を習ってるんだ」
という事を再確認しました。

少しテーマからも剣道からもずれるかもしれませんが、
よろしかったらこちら「再生生活」
http://www.saiseiseikatsu.com/
の画面左下のinterbiewから行ってみて下さいm(__)m
[2002/12/07 22:17:38]

お名前: Hide.   
昭和50年3月に制定された「剣道の理念」や「剣道修練の心構え」はあきらかに「武道としての剣道」を我々に示唆していると思います。しかし、文言があまりにも抽象的すぎ
て、日常においてどうお稽古していけば、あるいは、どう剣道に取り組んでいけば「理
念」や「心構え」に則っているといえるのか、という部分があまりにもあいまいなんです
ね(^^;

もちろん、「人間形成の道」と大上段に振りかぶってしまったものに「あーせい」「こう
せい」は妙な話になりますが、少なくとも、青少年(あるいは初心者)に学ばせるにあ
たっての「精神的な指針」のようなものをはっきりさせる必要はあるのではないでしょう
か。

それがないから、現場での指導者も「試合で勝つこと」を身近な目標として設定してしま
い、子供やその父母に対しても勝負にこだわる側面が強調されるので「スポーツ」という
ように誤った認識を持たせてしまいがちになる・・・。
「理念」や「心構え」にそって剣道を学ばせるのは、全剣連の指導力の問題です。「武道
かスポーツか」に関しても明確な回答が出せずに議論が百出してしまうのは、全剣連の公
報的な部分での怠慢が引き起こしているといっても過言ではないでしょう(^^)
[2002/12/07 12:47:01]

お名前: 剣志郎   
こんばんは☆
私もなんとなくあつしさんの危惧している理由、このトビを思いついたきっかけが理解できます
。hideさんや剣童さんが言われているのはもっともだと思う一方、あつしさんのような疑問も
浮かんできますね…。剣弁さんが言われるように各人の取り組みの問題でもありますよね。

私の考えは「全日本剣道連盟の剣道は武道でもスポーツでもない曖昧な存在」であるという感想
を持っています。徐々に精神性の部分を大切にして「武道である」というスタンスに変貌しつつ
はありますが、誰もが理解できる、「理論立てされた共通の解釈」というものが存在していない
ように感じます。「剣道の理念」という言葉は存在していますが、その理念にそぐわない態度を
取る者に罰則のようなものが無く、自由奔放な解釈の中で運営されているように思われます。

だからと言って「罰則」を決めなきゃならない訳ではないですが、「武道としてこういう側面で
稽古に励んで頂きたい」とかを組織的に推進して行くべきだとは思います。「当然、そんなこと
は知ってて当たり前だ」とか「全員の意見を縛るのは思想誘導につながる」ではなく、社内、校
内スローガン的に連盟所属団体に働きかけるなどして、啓蒙活動を行うべきだと考えます。

そもそも理論立てできない理由は現代剣道の成り立ちにあると考えます。その昔「剣術」「兵法
」と呼ばれていた頃、諸流百般に分れていて、それぞれに流儀、考え方、技が存在していたもの
を一刀流剣士達が多数決的に一つのものにまとめてしまった背景があります。しかしながら、他
の流儀を認めないという訳にもいかず、それはそれとして尊重して残して来た事実があります。
その後、武道の専門家を養成する「武専」などが作られ→その門下生が高段者となり→剣道を普
及し、余多あった流派が一つのものに(一部に違いのあるまま)様々な流儀を包含した形で形作
られたのでした。そして、態勢の決した昭和36年に全日本剣道連盟が強硬手段に出て「連盟統一
・他団体による称号、段位は一切認めない(他は剣道で無い!…位の勢い)」という方針を打ち
たて統合したのです。その際にもいくつかの団体に協力を得る為、それぞれのやり方・考え方を
包含したと思われます。そのような成り立ちから中々一個の方針を打出せずにいるようですが、
そろそろ一大方針を打ち立ててもよいのではないかと考えます。

余談ですが、hideさんが前申されていた「段位更新制」ですが、あれ、大賛成ですね☆そうす
れば変な高段者もいなくなる(貢献度だけで段を貰うような方々)し、高段、高齢になっても
目的意識を失わず稽古に励めると思いますから。でもなかなか難しい問題があります。実は警
察の問題なのですが、段位と階級はリンクしているようで、各警察署の武道師範ともなると、
師範室と言うものがあてがわれ、師範在任中は警察署長待遇だとか…。軍隊・警察において階
級は絶対的権限ですから、それが段位とリンクしているとなると死活問題です。おまけに現在
の剣道高段者は警察官が主な訳で…なかなか難しい問題です。現在の剣道界が異常なまでに段
位にこだわるのはそうした背景があるためだと推察いたします。ア〜ンド、武道にこだわるの
も実は教育的背景よりもそうした高齢高段者の名誉を守るためだとも噂を聞きます。
[2002/12/07 01:51:14]

お名前: pine-m   
みなさんこんばんは。
私は、この問題について自分自身で考えてみると、年齢、段位の変化に伴って意識が変化して
きたように思います。
高校生くらいまでは他のスポーツとは違うと思いながらも剣道をスポーツととらえておりました。
途中の中断はあるのですが、今40代になって、剣道は武道であると明確に意識しております。
身体的スキルをを最重要と思わなくなってから精神性に気づいたのかな?
それとも体力の低下をを精神性にすりかえているのでしょうか?
しかし、今の私は高校生の私よりも強いですよ。
一生剣道はスポーツだ、または武道だ、と自分の立場をカテゴライズするのは無意味だと思います。
私は、剣道を続けることによって武道と理解しました、また自分のイメージする剣道の
完成への道のりはさらに遠のきました。
どうも失礼しました。
[2002/12/06 23:09:54]

お名前: あつし   
確かに各個人の捉え方の問題です。
しかし、武道とはなにか、スポーツとの違いはといった事がしっかりと
説明できなければいけないのではないでしょうか?
そうしないと武道としての剣道が衰退していき、柔道のようになってしまうのでは
ないかと危惧します。
技前の問題ではなく精神面での武道を継承していかねばと思います。
相手を敬い、年長者をたて、礼を重んじるといったことは武道ならでは
のものだと思いますから
[2002/12/06 18:38:58]

お名前: 剣弁   
こんにちは。剣道について深く考えると頭痛がしてくる剣弁と申します。よろしくです。



正直、どっちでもいいです(笑)。
子供の目線で考えたときに、武道でもスポーツでも、「楽しい!剣道大好き!」と
思えるのなら。

ただ、指導者としてはヘタッピ剣士さんのように場面、場面で使い分けて教えるのも
「有り!」かなと思います。(もちろん信念は持つべきだと思いますが。)

自分の剣道(と人生)の修行としては武道として捉えたいです。(生活即剣道!ですから!笑)

各人がそれぞれの立場、それぞれの修行レベルなどに応じて、考え方も自由に持っても
良いのでは?とかんがえますがいかがでしょう?

すみません。不勉強なものでたいした意見が言えず・・・。
[2002/12/06 17:13:06]

お名前: 蘭崎剣   
武蔵会にあったページをみますと、現在行われている剣道は剣術でいう「切りつけ」の
練習にはいいそうです。実際、刀を用いて切りあう場合、相手を傷つける「切りつけ」と
相手にとどめをさす「切り下ろし」があるそうです。実力、気力が伯仲している場合、一刀
のもとに切り下ろし勝負が決することは少ないのかもしれません。「切りつけ」によって相手
に怪我を負わせればほとんど勝負が決したと考えられます。
竹刀剣道を通じて、刀方は身につけることができなくても、攻め方、間合い等学べることは
多かったはずです。
ということで、剣道は今でもしっかり武道の側面があると考えます。
[2002/12/06 16:23:43]

お名前: あつし   
hideさんの考え方に同意します。
竹刀が重くなるとチャンバラ剣道がなくなるような気はしますが・・・
私の師匠は剣道は反則に一番遠い技が素晴らしいのが剣道のよいところである。
とhideさんに近いことをおっしゃいます。
[2002/12/06 16:12:06]

お名前: 先鋒のぎゃん   
一本の価値を下げるような剣道は、もはやスポーツになってしまっているのでは?!
サッカーの中の、タックルしたりしてファウルを取られさえしなけりゃいいみたいな、
そーゆーのはいかん!!のでは!?
[2002/12/06 13:59:48]

お名前: ドク   
今の「剣道」はスポーツ
  「剣術」は伝統芸術(芸能)
そんな気がします。 また、批判の嵐になりそうですが。
[2002/12/06 13:14:51]

お名前: ヘタッピ剣士   
あつしさんへ
僕個人としては、剣道は武道であり、スポーツです。細かく言わせていただくと
「稽古」は間違いなく武道だと思います。上位(指導者、先輩)の者は自分のレベルアップ
を図りながら、下位(生徒、弟子、後輩)の者のレベルアップをしているはずです。
また、「試合」はルールが存在する時点でスポーツだと思います。もっとも、Hideさんが言うように
「敗者をいたわる」等の点においては、武道の側面があるとの意見は否定しません。
[2002/12/06 12:26:51]

お名前: 剣童   
失礼します。

あつし 様
武道かスポーツか ? (ー_ー) ンンーーーーン・・・ とても難しいのですよ。

先生達は大体「武道だ!! スポーツとは違う!!!」とおっしゃるはずです。
「スポーツ」の語源は、「日常を離れる」「普段と違うことで楽しむ」といった、「楽
しむ」ことからきているようです。かたや剣道は「武士道」が根幹にありますから、「楽
しむ」ではなく「生活の精神的基本」ということになります。
この考え方で行くと「剣道はスポーツではない」ことになりますね。

?の竹刀については、新陰流発祥のところから話が始まりますので・・・(とても長い(-。-))
単純に言えば「真剣を使うための練習用具」が竹刀です。ですから「刀と同じように扱う」
よう教えられてきたのです。
長さの問題は別です。往時の竹刀の強度や重量から判断されたと思いますが、現在の規
則も耐衝撃テストなどを繰り返して決められています。

?なぜ三本勝負か ? 天覧試合発祥のところから・・・(これも長い(>_<))
当時、高名な先生が、これを「剣道は終わった。」と嘆かれたそうです。


剣道は年齢・性別を超えて稽古することができます。20代・30代のバリバリの現役
選手を、ヒョイッ と打ち負かす高段者や、その高段者にバンバン打ち込む、更に高齢
の段位の低い(m(__)m失礼)方など、ゴロゴロいらっしゃいます。

試合を離れた所に、そういった奥深いものを持っているのが剣道だと思います。で、剣道はむしろこちらが大事だと言われています。
「世界選手権優勝者を手玉に取る70歳」なんて、どのスポーツにもいないでしょう

「試合」を中心に考えれば、「スポーツ」の要素が強くなってくると思いますが、剣道
は持っているバックボーンの方が重要だと私は思っています。そして日本が持っていた
「武士道」という精神文化を引き継いでいる(良い悪いは別)とも考えています。

やはり「スポーツ」ではなく「武道・・(文化)」かな、
何だ先生達と同じじゃないか・・・(−_−)/(#_<) ッテ 言われそうですが。


と、書き込もうと思ったら hideさん のが入っている・・・・(._.)
さすが hideさん 私など及びもつきませんね、とりあえずいれときます。m(__)m
[2002/12/06 12:13:43]

お名前: Hide.   
この問題は、すでに何度か拙サイトでやらせていただいてまいりましたが、「古くて新しい
テーマ」ですよね(笑) まぁ、私なりの考えを述べさせていただきます(^^)

私は剣道は武道という考え方を持っています。スポーツは本来、人間が楽しむための活動と
して生まれ、徐々にルールが整備され競技として成熟してきたものです。これに対して剣道
は、他人を殺傷する技術として生まれ、江戸時代には「武士のたしなみ」として哲学や宗教と
も結びつき成熟してきた背景があります。江戸の中期に竹刀・防具が考案されると、武士だ
けではなく、広く大衆に剣道が普及していきました。
第二次大戦後、GHQによって「武道禁止令」が出され、大日本武徳会が解散となり、剣道を
はじめ他の武道も命脈を絶たれたかに見えましたが、学校教育の現場を中心に「スポーツ」
として認められ剣道は復活をいたします。
しかし、これは政治的な駆け引きであり、その本質的なものが変わったのではなく、「スポー
ツとしての側面」が強調されただけです。剣道は今でも、単に有効打突を競い合う競技では
なく、その理念においても「人間形成」を謳っております。スポーツとしての側面は剣道とい
う大山のほんの一角にしか過ぎません。私は、剣道は日本民族は世界に誇るべき武道であり
文化のひとつであると認識しておりますヽ(^.^)ノ


武道であるとする一例を挙げますと、「敗者に対するいたわり」があります。
剣道では、過度な応援や有効打突をとったときのガッツポーズなど、喜びの表現を戒める傾
向にあります。これは、剣道の持つ武道的側面ですね。
かつて、真剣を用いた勝負で立ち会った両者は、負ければ命を落とすことがありました。勝
者といえども、明日の命の保証はありません。自分と真剣に立ち会い命を落とした敗者に対
して、武芸者はそのむくろをねんごろに弔い、更なる精進を誓い旅立っていったのです。
生あるわが身に感謝することはあっても、そこには勝ちを喜ぶ気持ちはありませんでした。
こうした姿は、相撲にもみられますね(^^)
卑怯な勝ち方を潔しとせず、正々堂々と立ち会うことにこそ美学を見出していたわれわれ
の先輩たちは、きっと、今の「打たれんかな」とした防御の姿勢や、一本をとて時間稼ぎを
する姿などを苦々しく思っていることでしょうね(^^;

これに対して、スポーツは多くの場合「勝利至上主義」です。反則ぎりぎりのプレーも、それ
が勝利に結びつくなら賞賛される世界です。勝者は大いにたたえられ、また、それを大いに
喜んでもなんら差し支えないものです。
柔道はオリンピック化されて多くの国で盛んに行われておりますが、柔道という文化の伝達にはいたらなかったようで、JUDOというスポーツになってしまったのはご存知のとお
りですね。日本人選手でも礼をするよりも前にガッツポーズをしたり、金メダルにキスをす
るような状況は、もう、国内でも武道としての認識が低下している表れかもしれません(^^;


>?先生方は竹刀を真剣のように使いなさいとおっしゃいますが、なぜ竹刀の長さが
> 3尺9寸で520gしかないのか?真剣なら3尺2寸がいいとこで重さも1000g
>  はゆうにこえるのではなでしょうか?

そんな重いもので真剣で切るように打ったら、防具をつけていたって骨折してしまいます
よ(^^; 竹刀の操作は、真剣のそれとはまったく違いますね。打突時に手の内を効かせて
止め、しかも押し切りがメインです。この打ち方で刀を振っても、高段者の先生方でさえ物
は切れません。技術大系においては、刀法を踏襲してはいないと考えられます(^^)


>?試合がなぜ3本勝負なのか?真剣なら一本で致命傷にいたるはずなのに・・・
> とふたつの疑問があります。

あくまでも推測ですが、柔道と違い剣道は瞬間的に有効打突が決まってしまいますので、
三本勝負を採択したのではないでしょうか。でも、私も、「一本勝負がいい」と考えている一
人なんですよ(^^) 実際に、全国警察官大会は昨年度から一本勝負で争われております。


>剣道をされない方(父兄)もスポーツとしてとらえている人が大半です。

それは、われわれ剣道をしている人たちでさえ、明確な答えを持っていないからだと思いま
す。武道であると認識することが「戦前の軍国主義的思想に逆戻りすること」とさえ考えて
おられる人もいるくらいです(^^; 戦争によって剣道もまた、誤った使われ方をしてしま
いましたが、私たちはこれを自国の文化として大切に育て伝承していく義務と責任がある
と思うのですけれどねぇ(^0^)
[2002/12/06 10:32:43]

お名前: あつし   
こんばんは、今日、稽古にいって父兄と話をしながら自分でもわからなくなって
きました。
剣道は武道なんでしょうか、スポーツなのでしょうか、私は今まで精神を重んじると
いう意味から武道である。との見解をもっていました。しかし疑問がわいてきたのです
その疑問とは
?先生方は竹刀を真剣のように使いなさいとおっしゃいますが、なぜ竹刀の長さが
3尺9寸で520gしかないのか?真剣なら3尺2寸がいいとこで重さも1000g
はゆうにこえるのではなでしょうか?
?試合がなぜ3本勝負なのか?真剣なら一本で致命傷にいたるはずなのに・・・
とふたつの疑問があります。
剣道をされない方(父兄)もスポーツとしてとらえている人が大半です。

剣道のオリンピック競技化が叫ばれているなか、スポーツならオリンピック化が
なされてもよいのではと思いました。(今までは反対でしたが)

みなさんはどうお考えでしょうか・
[2002/12/05 22:27:07]

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