記事タイトル:純粋な愛の鞭。 


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お名前: 6尺   
とある高二さん

他の人と比べるとなんか僕の書き込みはスカスカなのに、そこから何かしらを掴んで
くれてとても嬉しいです!!
それに、これだけ自分と向き合えるなんてすごいですね。同学年ながら尊敬に値します。

うん、お互い頑張りましょう〜!
[2007/01/09 19:03:06]

お名前: 剣士以前   
しかし、この子(とある高二)はすごいな...。
ここまで、冷静に分析できるとは。そして理路整然と記述できると。
このレベルに至らない大人は一杯いるよね。

とある高二さん

君の将来に期待します。
[2007/01/09 16:48:30]

お名前: Hide.    URL
To とある高二さん

少しでも拙サイトがお役に立ちましたのならうれしく存じます。
そうですか、少し考え方が変わってきましたか。いやぁ、よかった&よかったヽ(^.^)ノ

剣道の主たる目的は、「弱い自分に打ち克つ」っていうことだと思います。ご自身の心と
しっかりと対話しながら、乗り越えていってほしいと念じます。
頑張ってくださいねp(^-^)q
[2007/01/08 21:46:57]

お名前: とある高二   
アドバイスを下さいました皆様、本当にありがとうございました。
皆様からのご意見を参考にしばらく考えてみました。

>じじ様
【完璧な人などいない】……まさにその通りだと思いました。教える側も、受ける側も。
教えるほうがいくら純粋な心で打っても、受ける側が【虐待されてる!?】と思い込んでしまえば
意味がありませんし、Hide.さんが仰る【先輩のしごき】も、受ける側の若い日のHide.さんに
『強くなってやる!』という心があったからこそ、強くなれたのだと思いました。

ここでよく言われているように、【相手がいるからこそ自分も強くなれるのだ】と考えれば、
どんな立場になっても、高い段位を取得しても……心は一生鍛えていく必要があると思います。
これから先、後輩やさらに今年入ってくる新一年生にも、そんな【心】を感じてもらえるような
剣道を心がけて行きたいと思っています。本当に、ずっとずっと修行……ですね。

>剣士以前様
人の親としてのご意見、ありがとうございました。
私が人の親になるのはまだまだ先だと思いますが、大切な人に必死なメッセージが伝わらない
というのは、イライラしたりソワソワしたりしてしまいますね……
【愛情が溢れかえった時に】という文章から少し考えてみましたが、
同じ愛の鞭を振るったとして、あとは普段の行動がお子さんの気持ちを左右するのではないかと思います。
剣士以前さんが、普段から常にお子さんの事を想い、愛情を持って接していらっしゃるならば、
そのお子さん達はただ泣いたりトラウマになったりするだけでなく、
【あの時どうしてお父さんはあんなに怒ったんだろう?殴ったんだろう?】と考えてくれるのでは……?
皆様のご意見をもとに考えたことですが、【愛の鞭】は振るった瞬間に終わるわけでは無いと思うのです。
今までの行動に、これからの行動すべて含めて、愛の鞭になるか、ただの虐待になるかが分かれるのではないでしょうか?

【強くなりたい!】という願いを元に、私もこれから練習して行こうと思います。
良い結果が出るまで諦めずに頑張っていきますので、剣士以前さんも頑張ってください。
お子さんが立派に育ってくださるよう、願っています。

>ぐり様
【殴る方の痛み】ですか……漫画、小説など、色々な場面で聞く事ですよね。
ちょっと前まで私も【殴られる方が痛いに決まってるじゃないか!?】などと思っていましたが、
意見をくださった皆様は親として、指導者として、憎くも無い人を心を鬼にして打っているんだと思った時、
【殴る方の痛み】が少し分かったような気がしました。
TVとか漫画にあるような、【見るからに嫌な悪人を懲らしめる話】などを見ると、
『人を殴って賞賛されてる!気持ち良さそう……』などと感じましたが、それとは全く話が違いました。
現実では憎くも無い人を殴って気持ちよいわけが無いし、相手の性格によっては恨みも買います。
ハイリスク・ローリターンであり、あまりすすんでやりたいとは思わないでしょうね……
唯一あるとすれば、殴られた側の人が心から反省し、その人の拳を無駄にしない事だと思います。

ですから私も、先生に『あの時、悪いところを本気で打ってくださってありがとうございました』と
言える様、精進します。悩み続ける事も、大事な勉強ですよね……ありがとうございました。

>6尺様
そんな考え方もあったんですね……私にとっては新発見です。ありがとうございました。
私以外の同級生は全員、中学以前からの経験者なので『下手とやるのは得るものが無いなぁ…』
と思われている気がして、ただ申し訳ないと思っていましたが、そう考えると気が楽になりますね。
私は部の中で一番小さいので、小柄な相手とやるには役に立つ……はずです。
後はもっと強くなって『小柄で強い奴とやるには』の、いい練習相手として役に立てるよう精進します!

あと、【この人の打ちはイタい!】ですか……それは良い感想だと思いました。
負の感情で一杯になっていた私には気付くべくもない気持ちでしたが、その【痛い】は、
磨けば光る強さの元になるのではないでしょうか?
まず、何故【痛い】と思うか?身長差によるものか、打突の角度によるものか?
その、打つ人のパワーは、腕前はどうなのか?どうやってそんな打ち方が出来るのか……?
それを考え、自分の打突に活かす事が出来たら、それはとても素晴らしいことではないでしょうか?
私もそんな感じ方の出来る、自然体の心をもつべく頑張っていきたいですね。

同じ高校生同士、まだまだ先を目指してお互い頑張りましょう!

>Hide.様

経験をもとにしたアドバイスに、心からありがとうございます。
指導者の視点から見ると、荒稽古の辛さがこれだけ変わって見えることに驚きました。
恥ずかしながらしごかれる側としては【こんなに痛い思いをしない側なんだから、ラクに決まってる!?】
などと思っていましたが、怪我をさせたときの責任や教職を追われるリスクを考えると、
絶対そんな事ありませんね……自分でも書いたとおり、本当に嫌なら相手にしないのが一番です。

では、何故そんな事をするのか?……それは個人で意見が分かれるかもしれませんが、
【教えた分、その人が強くなるのが嬉しい】という親のような気持ちだと考えます。
私の学校は公立の小さな部活です。強豪校では決してありません。
それでも、試合に勝つだけなら経験者の選抜メンバーだけを鍛えれば良いだけの話です。
私に時間を割いて、身体と教師生命と精神をすり減らしてまで指導してくれるとしたら……
そんな人はとんでもない善人か、物好きか……確かに今時珍しいタイプですね。

Hide.様も仰るとおり、うちの先生は本当に今時そうはいない、素晴らしい人だと思っています。
稽古の時は確かに容赦ない(時々他人とするを見ても【この人鬼じゃないのか!?】と思える)人ですが、
普段は人一倍生徒の健康や怪我に気を使ってくれる人です。
良く考えてみれば、練習が終わった後に必ず言う『気をつけて帰れよ、本当に』の言葉からも、
普段の性格が分かります。
そんな人が、悪意を持って生徒をしごくはずはありませんよね。

じじ様へのレスでも申し上げましたが、ほとんどは相手の受け取り方次第だと感じました。
先生と対峙した時は、剣気とプレッシャーで泣きそうになるほど怖いのは変わりませんが、
根底には信頼があるつもりです。ですから、私が強くなりたいと心から思えば、
先生の打突を正面から正しく受けられるのだと信じて、頑張ろうと思います。

だいたい、強くなりたくて剣道をしているのに、打たれるのを怖がるというのも変な話ですよね……
いや、確かに怖いのは事実ですが、それを克服したくて毎日竹刀を振っているんですから。

皆様のおかげで、気持ちの整理はつきました。
多分、対峙すると恐怖感は出てくるでしょうが……一歩でもいいから前進する気持ちで、
根気良く、諦めずに向かって行きたいと思います。
そして、引退する日には鍛えてくれた先生に『ありがとうございました!』と言える様精進します。

皆様のアドバイスを元に、今回色々考えさせられました。
おおまかな答えとして、『心の持ちよう』で同じ鞭でもその後は全然違ってくるのだと感じました。
ただ【嫌なものは嫌】として片付けてしまっては、何も変わらないという事も。
【痛いのは嫌】という正直な感情は否定できませんが、それを乗り越えた先に、
もっと素晴らしい世界があって、それが分かるというのは本当に嬉しいことなのでしょう。
剣道もそうですが、他の世界(芸術とか社会)においてもそんな事がたくさんあると思います。

【分かる、成長する】喜び……できるだけ生涯たくさん味わっていきたいと思います。
それを教えてくれた皆様とうちの先生、そして剣道に改めて感謝したいです。
本当にありがとうございました。
[2007/01/08 08:20:09]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

いやぁ、とある高二さんは実にしっかりしてますね。自分の内なる感情をよく、冷静に分
析できていて立派だと思います(^^)

そうですねぇ、私もここまで指導者としてずいぶんと荒稽古をしてきました。その中で負
の感情がなかったかといえば、嘘になります。
「日ごろ、こんなに頑張って稽古しているのに、なんで、一番大事なときに弱い心を出し
て負けてしまうんだ!」という怒りとも憤りともつかない気持ちで、生徒をしごいてしま
ったこともありました。
でも、そんな時、心ではいつも泣いていたんです(>_<)

むろん、後味が極端に悪いので、終わった後は反省することしきりでした。
でも常に、「この稽古を乗り越えることが、この子にとって必要なんだ」という信念だけ
は持ち続けていました。うまくお相手に伝わっていなかったこともりますが・・。


荒稽古は指導者にとってとてもパワーを使う稽古です。

まずなんといっても「怪我をさせない」ということが第一条件だからです。ぶっ倒したり
剣道具以外のところを打つこともあるわけですが、大切な選手を怪我させてリタイヤさせ
たのでは本末転倒。鍛えるためにやっているわけですから、まず、そこに一番腐心します。
ただ、だからといって、「本気に見えないような稽古」では、何のプラスにもなりません。
生徒からは「力加減をしている」とは見えず、最大限のパワーで「ぶっ飛ばしている」よ
うに見えるよう、かなりの演技力も必要になります(^^;

また、生徒の限界点を見極めることも重要です。それには「体力・身体的な限界点」と
「精神的な限界点」の2つがあります。これを見誤ると、ただただ「つらいだけの稽古」
になってしまいます。
こちらがそれ以上のパワーを持って生徒に当たって、生徒の限界点を引き上げる。これこ
そ、荒稽古の持つ最大のポイントです。ゆえに、決して手抜きはできませんし、指導者と
しては一瞬たりとも気を抜くことができない難しい稽古なんです。


そんな苦労をしても、生徒にそれが十分に伝わらないこともあります。
とある高二さんのように、さまざまな要因から「自分の壁を破れない生徒」っていうのが
必ずいるんですね(>_<)
「どうして素直に打たれられないのかなぁ」は、先生の心の叫びです。とある高二さんに
誠心誠意ぶつかっている教師の葛藤の声です。先生も苦しんでいるんです!


先生は身体と教師生命をかけ、精神をすり減らして、とある高二さんの潜在能力を引き出
し壁を打ち破ろうとしてくれています。ひとつ間違えば、「暴力教師」「行き過ぎた部活
指導」「思い込みの激しい熱血教師」として、部活の顧問どころか教職を追われることに
もなりかねない。そんなリスクを犯してまで、生徒に情熱を注いで稽古をつけられる先生
って、最近ではめったにいないんですよ(>_<)

そして、それに応えるのは、あなたの気持ちの転換ひとつにかかっているんです。


話は少し脱線しますが、私は、とても生意気な高校生であり学生でしたので、先生ではな
く先輩たちからかなりひどいしごきを受けました。もう、半端ない暴力の稽古でした。で
も私がそれを乗り越えられたのは、先輩方の負のエネルギーを自分のプラスのエネルギー
の置き換えたからです。「これを乗り越えたら、俺は強くなれる!」「俺をしごいている
こいつらよりも、絶対に勝てる選手になってやる!」という妄念ともいえるパワーでした。

どうでしょう、参考になるかどうかわかりませんが、「これを乗り越えれば、自分は必ず
強くなれる」っていう風に考えてみては(^^)
人生、生きていれば、毎日たくさんのことが起こります。自分にとっていいことばかりで
なく、つらく、苦しく、逃げ出したくなるようなこともたくさんありますよ。でも、それ
って、神様あるいは仏様のような全知全能の存在がいて、「自分に対しての試練を与えて
くれているんだ」って考えてみるのです。
「これを乗り越えてごらん」って、進むべき方向を示唆してくれている。そんな風に考え
てみるのです。そして「乗り越えた先に、きっと新しい自分がいる」と信じることです(^^)


考え方を変えると、今まで見えていた景色が変わってきます。
剣道は「打って反省、打たれて感謝」。剣道が好きなあなたなら、きっと、先生の立場に
たって物事を考え、自分にとってどうすべきかをしっかり見出すことができると信じてま
すよd(^-^)!
[2007/01/05 18:41:18]

お名前: 6尺   
とある高二さん

同じく高校生剣士です。
とある高二さんの文を読む限り自分の中ですごく考え込んでいますね。感服します。
僕は今まで(といってもまだ数年ですが)剣道をやってきた中で練習中に相手に打たれて「ありがとう」と思ったことは多分ないです。でも「嫌だな」と思ったこともないです。
打たれた時に思う事といえば「この人の打ちはイタイ!」このくらいです。このくらいしか考えない僕はまだまだ若輩者です…。

とある高二さんは練習するときに相手を打ちますよね。もちろん、打たないと自分の練習になりません。
逆に相手に打たれているときは相手の練習になっています。打たれる側の時に『嫌な事』
と感じてしまうのは、今のとある高二さんには仕方のない事だとおもいます。
でも、打たれているときは相手の練習に一役買っているわけです。「嫌だな」と思う以外に「今は相手の役に立っているんだ〜!!」とも考えてみてください。

あまりまとまりがなくてゴメンナサイ
[2007/01/05 17:25:06]

お名前: ぐり   
はじめまして。
確かに、「負の感情」で相手に手を上げることは、あるかもしれませんが、やはり良くないことですね。

でも、剣士以前さんがおっしゃるように、全ての場合においてそのような負の感情で手を上げているわけではないと思い
ますよ。うまく説明するのは難しいのですが、例えば「悪いものは悪い」「ダメなものはダメ」という(理屈ではないよ
うな)ことを、口で説明してもわからないとき、大人が子供に対して指導する場合には、ありうる話だとは思います。

僕もまだ学生の分際ですので偉そうなことは言えませんがね。
悩み続けることもまた勉強なのだと思っています。

とある体育大学の主将が、悪さをした(具体的に何をしたのかは知りませんが)後輩を殴って言った一言

「殴るほうの痛みも知れ!」

こういうのを、愛の鞭っていうんでしょうか。。。
また、「鉄拳制裁」との違いは。。。
すみません、自分でもよくわからなくなってしまいました・・・(^^;)
[2007/01/05 17:24:00]

お名前: 剣士以前   
とある高二さん

ほとんど理屈ではしっかり解っているではないですか。
それでよいのだと思いますよ。
ただ、ご両親の事で引っかかっていて、そこに難しい部分があるかなって思います。

私も二人の子供を持つ親ですが、私も感情を子供・家族にぶつけていた(ぶつけている)
人間です。でも、愛情がないからそうしているのではないのです。
愛情が溢れかえった時に、そうなるのです。
「何故、俺のこの思いが解らないんだ!!」とプッツンしちゃうんです。
私は、未熟で、手が先に出てしまう人間で、自分では良くわかっていて、直そうと思っていますが
そう簡単には直りません。
でも、愛情が溢れた時にそうなるのです。
とある高二さんに今理解しろ、というのは難しいかも知れませんが、貴方のご両親も
私と同じなのではないでしょうか?
家族での間で意地悪な気持ちを持つときもありますが、その時は暴力は出ませんね。
私の場合は。
完全な人間はいないし、私も、貴方のご両親も似たようなものではないでしょうか?

そこが理解できれば、少しは貴方の思っている方向へ行けるのではないでしょうか。
人は思わなければ願いは叶いません。そうしようという、ポジティブな思考を志向
すれば、きっと良い結果が出てくると思いますよ。
[2007/01/05 08:42:54]

お名前: じじ   
とある高二 様

私もまだ若造なので、的確なアドバイスにならないのですが、
ご自身で一生懸命考えているみたいですね。
まだ感情等のコントロールが完璧ではないのでしょうが、このまま
その考えを持ち続け、ご精進することでよいのでは?
私も含め、完璧な人などいないと思いますよ。

後輩の方、自分の子、将来指導することとなれば人様のお子さん、
絶対手を上げることのないようお願いします。
言葉では気持ちが通じない場面が来るかもしれません。
そのとき「愛の鞭」ということがわかるかもしれませんね。
わたしもまだまだ未熟なので修行中です。
[2007/01/05 08:00:27]

お名前: とある高二   
はじめまして。

高校生から剣道はじめてまだ初段。試合でもほとんど勝てない未熟者ですが、
心のありかたについて質問があります。

私の学校は一年、二年五人ずつの小さな部活です。
私同様高校からはじめた後輩に指導する事があるのですが、顧問の先生や同級生との
稽古で打たれたり倒されたりした時の苛立ちを後輩にぶつけてしまいました……
悪いところを指摘する意味で空いている面を打ったりするのですが、
自分でもはっきり分かるほど明らかに過度な力をいれ、苛立ちをぶつけるような打ち方をしてしまったのです。
練習の後に謝ったら、そんな私の邪心を気にするようでもなく許してくれました。
きっと、彼は精神的に私より大人です。

実力的な未熟さはまだ我慢できますが、精神的な未熟さで人に当り散らすのは最低の行為だと思います。
そんな未熟さを戒めるためにも稽古をしているのですが……
私はどうしても、【打たれる=攻撃性=悪意】と言う思考が抜けないようで、
先生や先輩のせっかくの指導を受け止められません。

これは私個人の主観ですが、私の両親は教育というより腹いせに子供に手をあげる人間でした。
(教育の意味で子供を躾けるなら、子供を怒る時に皿や箪笥の引き出しは飛んでこないと思いますので)
そのせいかは分かりませんが、愛の鞭という感覚が分からないのです。

勿論、理屈で考えれば本気で嫌な奴には相手をしなければいいのです。
『叩く、叱るというのはその人を思うが故の行為』というのは理論的に考えても分かります。
社会に出たならば、駄目な人間に対して『殴る、虐める』などしないでしょう。面倒ですし。
関わらない事が一番安全です。いじめと違って逆恨みされる事も無いでしょう。
こちらに多数ある他のトピを読んで、それは理解しているつもりです。

しかし、それがどうしても『身体で』または『感覚で』分からないのです。
かかり稽古でバシバシ打たれている時など、それが愛の鞭と分かっていても嫌で堪りません。
素直に受ける気になれず、小賢しく避けてしまい、逆にもっと痛い結果になります。
先生にも『そっちの方がもっと痛いのに、どうして素直に打たれられないかなぁ』と、
ずっと言われ続ける毎日です。

Hideさんはじめ教える立場の剣士の皆様、他人の指導の時にそんな負の感情が混ざる時ってありませんか?
本当に純粋な愛の鞭ってあるんでしょうか?
そして、自分のために打ってくれる愛の鞭を、心から『ありがとう』と思って受けられるようになるには、
どう考えていけば良いと思いますでしょうか?

理屈で分かっているつもりでも、打たれている時はただの『嫌な事』としか感じられない
自分が歯がゆいです。
この悩みを除けば稽古は楽しいし、剣道も好きなのです。
どうかよろしくお願いします。
[2007/01/05 03:47:47]

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