To HIDE氏。
あ、あなたは「研究室」の項で、体罰を与えて鍛えるのが
間違いのように言っているが、それは違う。
私にとって体罰とは実に心地よく、適度のエクスタシーを与えてくれる物であった。
例えば、私が小学生の時、学校で飼育していた鶏の尻の穴に爆竹を詰め込み、結果的に
死に至らしめてしまった事があったが、その時の先生の対応がとにかく殴る蹴る事
しきりで、今思い出しても根神が濡れる・・・。
しかし、あの当時の私の精神では決してそれのみに満足することができず、仕方なく
私は両親に事の次第を話し、それで満足を得ようとした・・・。
以下、私と親の会話。
我「うぅ・・・あぁぅ・・・」
母「どうしたの?学校で何かあったの?」
我「せ・・先生・・に、な・・殴ら・・れ・・は・・ハァハァ・・」
父「何だと!?父ちゃんに詳しく話してみろ!!事と場合によっては学校に
抗議してやる!!」
我「が・・学校・・で鶏の・・尻に・・ば、爆竹を・・・」
と、言うが早いか、母は私の前から今まで食べていた飯を取り上げ、それと同時に
父、我に迫る・・・。
そして、大喝一声。
「このバカタレが!!何をしとんのじゃお前は!!」我「??・・・!!!」
「ドカッ!!バキッ!!ベシッ!!グキョッ!!バボッ!!」
あぅあ。
追伸・この一連の事件の後、私は私なりにではあるが命に対して慈しみをたれる事
公序良俗の大切さを考えるようになり、それが私をして仏教・印度哲学・剣道
・風水への道を歩ませる原動力となっている。今も私は「ケンタッキー・フライド
チキン」を食べながら、瀬戸内寂聴・中村元・井上秀克・Drコパの本を読んでいる。