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お名前: PEKI
星に願いをさんへ
あたたかい、お言葉ありがとうございます。年の暮れに喪中のあいさつをかわすのは、
日本の良い習慣ですよね、新しい年に向かって気持ちも切り替えていかなければ・・・
多分、他のコーナーで私を知って下さっている”星に願いをさん”なのでしょうね。
優しいあなたとご家族にも、明るく希望に満ちた新年が訪れますように!
30歳男さんへ
横からおじゃまして、ごめんなさいね。Hide先生のお庭では、本当に老若男女いろいろな
方とごあいさつを交わし、心があたたまる時間を過ごさせていただいてます。
また、どこかでお会いしましょう。
お名前: 星に願いを
PEKIさん
お気持ちお察し申し上げます。
見送る気持ちというのは、なんとも言葉では・・・いいあらわせません・・・よね。
でも、家族の歴史はきちんと足跡になってこころに残っているものです・・・。
また、いろんなことをあらためて感じる、教えられるときでもあるような気がします。
そして、なかなかこころやからだいろんなことの整理のつかないときでも
あるような気がします。PEKIさんもお体を大切にされてくださいねぇ。
お名前: PEKI
30歳男さんへ
1年以上経ってようやく、新しい命の誕生を目前に、ご自分の思いをキーボードにこめ、
書かれたこと、いろいろな方法のなかで、ここに書いたあなたの思いに深く胸をうたれます。
私事ですが、今年2月に父を亡くしました。心筋梗塞で、全く突然に前触れもなくでした。
今、喪中はがき書きながら、また泣けて来る毎日です。
でも悲しいことの多かった今年は、振り返れば亡き父が、今まで忘れていた人のやさしさや、
ありがたさ、あたりまえであることの大切さ、などを教えてくれた1年だったとも思えるのです。
子供をどう愛してよいかわからない父親とか、せっかく授かった命を大切にできない事件など
ありましたが、30歳男さんのような体験をきかせてやりたいものですね。
ここを読んだたくさんの人々が、お姉さまのことに思いを寄せ手を合わせて下さいますよ。
どうか、ご両親と奥様、お大切になさって、ステキなパパになってくださいね。
お名前: Hide.
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To 30男さん
>不幸であったかどうかは本人が決める事で、当事者で無いものが言える事は、
>「可哀想な人生」「不運な人生」というところでしょうか?
それも違うと思います。
それは私たちの生き方や価値観に照らしたときにそう思えるだけなんじゃないでしょうか。
また、お姉さまの人生の意義は30歳男さんが決めるものでもありませんし、お姉さまの
ためにこれからの人生を生きるということをお考えなら、それもおこがましいことなので
はないでしょうか(^^)
30男さんが幸せになること、それこそがお姉さまの何よりの喜びだと思いますよ(^^)
生まれてくるお子様、奥様、そしてご両親とともに、幸せな家庭をお築きになられます
ことをお祈りいたしております(^_-)〜☆
お名前: 星に願いを
30歳男さん、来春はお父様になわれるのですねぇ。おめでとうございます。
新しい命の誕生はとてもすばらしいことですよ。
お姉さまがこの世を去られてからたくさんのみちあふれる思いがわきあがるのは、
それだけ30歳男さんがお姉さまをこころから愛していたあかしです。
いつまでもお姉さまを思うこころを大切にしてください。そして、これから新しく誕生する命を、お姉さまの生まれ変わりだと思い大切に愛してはぐくんでください。
また、これからは奥様を大切にされ、生まれてくる新しい命を父となり夫となり男として
がんばって家族をまもりささえて楽しい明るい家庭を築いてくださいねぇ。
30歳男さん、あなたをお姉さまはいつもみまもってくれていますよ。
お名前: 30歳男
何ともコメントしにくい内容だったとは思いますが、
励ましのお言葉を頂いた事に感謝しております。
思い切ってここに投稿し、諸先輩方ならびに中学生の方からもコメントを頂けた事で、
20年間の心のわだかまりを理解してもらえたような気がして、涙がにじみ出てきました。
また、私の姉に対する想いが少し一方的である事にも気付かされました。
不幸であったかどうかは本人が決める事で、当事者で無いものが言える事は、
「可哀想な人生」「不運な人生」というところでしょうか?
このことは、姉の人生を意義あるものにできるかどうかが掛かっていると思うので、
これからじっくりと考えていきたいと思います。
最後に、私の事までもご心配頂きましてありがとうございます。
姉の死からしばらくは涙の止まらない日々でしたが、すでに1年以上経っていますので、
時々悲しくなることがありますが、今では元気に生活しております。
私事ですが、今夏に結婚をして、来春には第一子誕生の予定です。
私の両親にとっては初孫となりますので、本当に嬉しいようで、
父親は性別も分かっていないのに「名前を決めよう!」などと言い出す始末です。
ただ、「姉の子が初孫なら良かったのになあ」と思ったりするとまた悲しくなりますが、
元気な子でさえあれば、私達夫婦のみならず両親にとっても宝物となることでしょう。
お名前: ヨーコ
はじめまして、中学生の掲示板の方にカキコさせてもらったりしています!
今回ここでははじめてかな。。??よろしくおねがいします。
30歳男さんのお姉さんご冥福いのります。。う〜んなんて言葉をだしたらいいのか
お姉さんは本当にすばらしい人だったのでしょうね。実は私もあまり言いたくなかっ
たのですけど私も今年の夏休み大切な大切な友達でもあり同じ剣道部員である人
を一人亡くしてしまいました。死亡原因は水難事故でした。ちょうど7月の終わり
川であそんでいたところ向う岸へワタロウとした瞬間川の勢いに負けて流されて
しまいました。遺体はその3日後に朝見つかりました。私はその3日間ずっと川
にいました。毎日中学生の掲示板にカキコしてたけどPCすらひらいてませんでした。
ニュースでも何回も放送されて夏休みに懇談会があるうちの中学校もそのときは
緊急で中止になりととても大変だったそうです。私は実際遺体がみつかった時偶然にも
その場にいました。顔は見てないのですけどまるで寝ているようで今にも起きてくれそ
うな感じでしたけどもう二度と動きませんでした。もちろん泣きましたそしてその日
少しいつもいってた中学生の掲示板に顔をだして皆に少し事情を言ってた時期もありま
した。そのときHide先生はどこか遠征に行ってたんだと思います。
私のその友達は私と同じ高校行って伝説残そうぜ!!って言うてそのまま逝ってしまい
そても悔しかったです。もっと剣道したかったな〜。ウチが今使っている胴はその人が生きていたときもらった物です今も大切に試合用、遠征用などで使っています。いちに会の皆にとっても
励ましてくれてなんとか立ち直れましたよ^^身近な人が亡くなるというのは私は
今回が初めてですっごく辛かったです最近二段合格の賞状が学校に届いたのですけど
その亡くなられた男の子の分もありましたとてもくやしくて涙が止まりませんでした。
もうすぐ4回目の月命日なのでまたお線香でも上げに行こうかと思います。あと
賞状を渡しに。。
なんか自分の話になってすみませんでした
お名前: 星に願いを
30歳男さん、お元気でいらっしゃいますか?。
30歳男さん、お姉さんがいてくだすったことに感謝してくださいねぇ。
生きるすばらしさを身近で教えてくれた立派なお姉さんを誇りに思ってくださいねぇ。
人はいつでも一生懸命走り続け生きていかなければなりませんよねぇ。
どんなにつらいこと苦しいことがあっても・・・・・・。
生きることのすばらしさをお姉さんは最後まで頑張って頑張って生きて生きて
神様がここいらでもうそんなにがんばらなくてもいいよって、
ごほうびをくれたんだと思いますよ。生きるすばらしさを教えてくれたお姉さんだから・・・。
お姉さんが歩んでこられた人生は、家族に囲まれ幸せだったと思いますよ。
30歳男さん、お姉さんをいつまでも忘れないでくださいねぇ。
いつでもあなたをみまもっていてくれていますよ。
生きるすばらしさを教えてくれたお姉さんを・・・。
30歳男さん、今はとても悲しく寂しくつらいとき・・・かもしれません・・・けれど・・・。
お名前: Hide.
URL
管理人のHide.です。
最近この掲示板は「恋愛相談所か」と思うくらい中高生の恋の話が続いておりましたので、
トピのタイトルを拝見したとき「またか」という思いに苦笑をいたしました。しかし、内容
を拝読してみて驚きました。30歳男さんのお姉さまのご冥福を衷心よりお祈りいたします
(合掌)
お姉さまの闘病生活、そしてそれを支えてこられたご家族の皆様の苦悩を知りもしない私
がいうのは気が引けますが、「意味のない命なんてない」「意味のない人生なんてない」と私
は考えております。お姉さまは、限られた時間の中、命を全うされました。命と時間に対
して、われわれ健常な人間の何倍も密度の濃い人生を送られたことと拝察いたします。
時間としては31年だったかもしれませんが、その密度は3倍にも4倍にもなっていたことで
しょう。そして、30歳男さんのような弟さんや、ご両親の深い愛情を、常に全身に感じて
おられたことと拝察いたします。きっとお幸せな生涯であったろうと考えます。
どうかそんなお姉さまの人生を「不幸であった」と嘆かないであげてほしいと思います。
お姉さまは世間一般でいわれている幸せとは縁がなかったのかもしれませんが、きっと毎
日を前向きに生きておられたことと思われます。そんなお姉さまを「不幸だ」と哀れんでし
まうことこそ、「お姉さまの命」に対する冒涜になるのではないでしょうか(^^)
私の20年来の知り合いの先生のご子息が、この夏29歳の若さで他界されました。中学時代
に白血病を患い、以来、闘病生活でした。その過程で、片足切断という大手術も経験しま
したが、先生をはじめご家族は常に前向きに生きておいででした。ご葬儀にあたりまして
も、少なくとも私たちが見ている前ではご家族の涙はありませんでした。ご子息もご家族
も立派に生き抜いたことを誇りに思っておられるようでした。
たいへん僭越ではありますが、30歳男さんにおかれましても、「心に傷」などとおっしゃ
らずに、お姉さんの分まですばらしき人生を送られますよう心より念じます。
深い事情も知らず、勝手なことを申し上げました。お気を悪くされましたらご容赦願いた
いと思いますm(_ _)m
お名前: リバ剣部員
30歳男(匿名希望)様
リバ剣部員と申します。
何気なく読ませていただいたこのトピでしたが
なんと、言葉をおかけしてよいのか…
本当にお辛いことでしょう。
私は、31歳の同世代ということで
何か、余計に心に感ずるところが大きかったです。
お姉さまのご冥福と
今後、30歳男様とご家族の皆様
の人生が少しでもお幸せな方向に
(今はそんなことをお考えにも
なりたくもないかも知れませんが)
展開することをお祈りするばかりです。
「仕事が辛い」
「プライベートが充実しない」
「試合でなかなか勝てない」
「思うような剣道ができない」
などと、日々不平不満ばかりを口にすることの多い
自分自身の甘ったれた生き方を反省させられました。
このトピを読まれた多くの剣士の皆様も多かれ少なかれ
そのような思いをもたれたのではないでしょうか。
お姉さまの人生について、このトピであなたが、話されたことは
きっと、多くの人に「生きる力」を与えたことに
なるように思うのは私だけでしょうか…
日々、健康に仕事ができ、剣道ができる大きな幸せを
今更ながらに痛感するとともに、いっそう剣と人生に
努力しなければならないと思いを新たにしております。
私自身は、剣道をしている時間は、目の前のお相手に
全身全霊を傾けるためなのか、辛いこと
いやなこと、をすべて忘れてしまえる
(少なくともその時間だけは)ことがあります。
忘れることなど、できるわけはないし、
忘れる必要もないのだと思います。
ただ、30歳男様ご自身がお書きになられているように
「前を向いて進んでいかなければならない」のも
また、人間なのでしょうね…
「前を向いて進む一つのきっかけ」として、
剣道の稽古が一つの手助けになればいいですね。
寒い季節となりますが
どうかお体を大切にお過ごし下さい。
お名前: 30歳男(匿名希望)
我が家のプライバシーですので、10歳の時から親には口止めされていました。
見ず知らずの剣道仲間の話と思って聞いてやって下さい。
私には3つ年上の姉がおりました。
普通の家庭に生まれ育った姉が13歳(中学1年)の時、
特定疾患、いわゆる原因不明の不治の病を診断され、
健常者と同じようには生活できない事、平均余命が5〜10年であること等
を告知されました。(病名、病状等は伏せさせて頂きます。)
それ以来、およそ20年という人生の3分の2にもおよぶ闘病生活を経て、
姉は昨年夏に31歳の生涯を終えました。
闘病生活というと、「病院で寝たきり」などを連想されるかも知れませんが、
姉の場合は、定期的もしくは計画的に入院はしたものの、一応は学校に通うこともできました。
しかしながら、運動禁止、ケガおよび風邪等の病気への過度の配慮等々、生活上の様々な制限
がありました。
特に姉にとって辛かったことは、大量の出血を伴う生理を止めるために男性ホルモンの薬
を飲まなければならなかった事でした。
副作用で、十代の年頃の女性の声が低くなり、ひげが生え、体毛が濃くなるのです。
また、他にもいろいろな薬を服用するため、それらの副作用で、顔がむくれ、吹出物が
できました。
そして、2〜3ヶ月毎に輸血をするのですが、血液と体の相性が合わない時などは
全身にじんましんが出るといったこともありました。
そのような20年を経て、体調が悪くなりだしたのが、去年の春でした。
頭痛が一週間程続いたので病院に行くと、脳内出血でした。
軽度の出血だったので手術はすぐに終わりましたが、今思えばこの頃には長い闘病生活で
すでに姉の体は完全に蝕まれていたのでしょう。
その後はみるみる体力が失われていっているようでした。
そして夏、足が痛くて歩けないということで緊急入院、痛みが和らいできたので退院が
決まったのですが、その矢先に気を失って倒れ、そのまま危篤状態になりました。
それから3日間、昏睡と痙攣の繰り返しでした。
そして、痙攣が起こる度に神経がやられて、次第に、目が見えなくなり、耳が聞こえなくなり、
呼吸が不規則になってきました。
4日目の朝、急に血圧と脈拍が上昇したかと思うと、次の瞬間には力尽き、
血圧と脈拍が下がり続け、数値が0になると同時に息を引き取りました。
最期の力を使い果たし、力尽きて永眠した時の姉の表情は言いようも無いほど虚しさに溢れ、
「自分は何のために生まれてきたのか?」と私達に問いかけているようにも、
「自分は苦しむために生まれてきたのか?」と自問自答しているようにも思われました。
しかしながら、しばらく時間が経つと長い長い苦しみから解き放たれて、安らかな表情で
幸せに眠っていました。
人の命に甲乙など付けられるべくもありませんが、あまりに不幸な人生を運命付けられた
姉の事を思うと、1年以上経った今でも感情が込み上げてきて、こうしてカキコしている間も
涙が溢れ出てきます。
しかし、姉の運命を目の当たりにしたことで心に深い傷を負うこととなった私の人生もまた
運命であると真摯に受け止め、前を向いて進んで行かなければならないのでしょう。
長くなりましたが、私の20年間の心のわだかまりを披露させて頂きました。
最後に、
「いちに会の部屋」という全世界の剣道仲間とのコミュニティの場を提供して頂いた
管理人のHideさんに感謝します。
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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