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お名前: カンカン
ありがとうございます、みなさんの意見に感動しました!
六三四の剣はすごいですね。
お名前: へっぽこ大将軍!
To カンカンさん。
六三四の剣の最後の修羅との試合、あれは果たして「運」だったのでしょうか?
修羅は試合後タクシーの中で心の中で父に「完敗だった。六三四君に右脇を突かれた時に
もう打ち落とし技は使えないことに気がつくべきだった。」と回顧しています。
つまり、試合のあの場面で本当は修羅は打ち落とし技を使ってはいけなかったのです。
でも使ってしまった。それは修羅の得意技に頼った慢心から来る人間的な未熟さでは無いでしょうか?
対する六三四は片手技を打ち落とされた時点でほぼ勝機は無くなります。
六三四は首も怪我していて首避けも出来ない状態でした。
本来でしたら修羅がそのまま竹刀を振り下ろして「勝負あり」です。
しかし、六三四は本来絶対に間に合わなく、はぼ勝機0%の状態から逃げることなく
最後の力を振り絞って(片手で)二の太刀を放っています。それが有効打につながっていきます。
つまり作者は修羅を通して、試合中常に冷静に判断し、我慢すること。そして状況によって柔軟に
作戦を変えていくことの重要性を、
六三四を通してはどれほど絶望的な状況におかれても最後まで逃げずに相手に向かって行くことの
大切さを言いたかったのだと思います。
お名前: カンカン
なるほど、そういうことですか。納得しました、ありがとうございます。
お名前: リバイバル剣士
六三四の剣は六三四と修羅の二人が主人公なのです。
よってあの終わり方ならば二人の実力は甲乙つけ難く
20数年を経ても物語は永遠に続いているのではないで
しょうか。
お名前: cheval
山本勘助も最後には
策を看破されて討死にするからね・・・。(大河ネタバレ)
お名前: Hide.
URL
管理人のHide.です。
「勝負は時の運」っていうことを言いたかったのではありませんか。
実際勝敗を分けるのは多くの場合「運」ですので(^^)
お名前: カンカン
六三四の竹刀が修羅の脇に刺さって、相面で六三四が勝ったというあの勝ち方が
どうも好きになれません。作者は何を伝えたかったのでしょうか?試合には運も
必要なのはわかりますが、あの最後を運で勝つのはどうかと思います。
せめて最後は思いっきり相面で気持ちよく終わらせて欲しかったです。
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