記事タイトル:「利家とまつ」脚本 天才竹山様の憂世の詩 |
「はっ!・・・って、へっ?」
管理人のHide.です。 私はNHKの大河ドラマなるものを見る習慣がありませんので、このネタにはついていけ ません。申し訳ありません(^^;
それに対する黎民の皆様のご意見。 ・結論 竹山=あほ ・書いてあることと現状とがかなり食い違ってるんですけど。 ・>時代考証のことで、激怒し、降板する旨を申し入れる。徳川家康に側室の男子などいないという。ドラマのことを大切に思っていないために、このようなばかげた考証のことを持ってくるのだ。 >ドラマは歴史と違う。ドラマは人間の感情を書くものだ。 >ただ歴史の真実を視聴者に告げるものではない。昔、生きた人間の感動を伝えなければならぬのに、考証者が自分の存在を誇示するためにものを言っていることを、何故心血を注いだ仕事をしている作家にぶつけにくるのかわからない。 >総じて我慢するつもりだったが、こういう仕事は私の心を歪める。いままで、黙して来たが、もうこれ以上は黙っていられない。私は作家なのた。厭なものは厭と言わなければ書けなくなる。 すげえ馬鹿だな。時代ものなら少なくとも事実は抑えるのが常識だろ。 いやなら架空の設定でやれ。猿、犬と佐々が仲良しってのだけでも萎えるんだよ。 ・宗教の本みたい。これってネタだよね?(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル ・310枚・・・単純計算で220ページ位? 多いだろうとエバっているのか少なくてごめんと言いたいのか(苦藁 ・私も実は、杓子定規に歴史にそう必要はないと思います。つまり「利家とまつ」は、ドラマとしてみてくれということだと思います。 そこでいいたいのは、どこが 「 人 間 の ド ラ マ 」 な の か ! ってこと。 ひどい脚本家もいたもんだ。私は、不自由な(家来の命、恐ろしい信長の命令、どうしても出さねばならない人質、現代ではありえない武将としての見栄や野心)に苦しむのを見るのが歴史劇と思っています。 そうした制約なしの自由なドラマにしておいて、なおかつ人間が描かれない(利家の外で事件が解決してしまう)のが、死ぬほど納得できません。 ・>時代考証のことで、激怒し、降板する旨を申し入れる。徳川家康に側室の >男子などいないという。ドラマのことを大切に思っていないために、このような >ばかげた考証のことを持ってくるのだ。 側室が生んだ男子ってことか? 信康と亀姫以外は全部側室の子だと思うんだが… それともこの時期には誰も側室からは男が生まれていないと いうことか? どっちにしろ日本語が意味不明なんだよ。ほんとに脚本家かこいつ。 ・チクザンだめぽ。 ・どうせ史実を無視した女性迎合滅茶苦茶ドラマ。 いっそのこと前田幕府を作れば? 初代将軍は「まつ」。小姓=利家 もう誰も怒らないから。 ・「利家とまつ」、最初は腹を立てて見ていたが(だから途中見ていない時期も)、いまは脚本家や演出家を嗤うために観ています。 こんな見方もいいでしょう。 今日は、政宗の言った「ははっ! えっ?」が最高! 後、まつがまた飛んできて、秀吉の考えを3分で変えてしまったところ。 それから家康のわざとらしい笑い声。 来週はどこで笑わせてくれるかな。 そうかお笑い番組か。NHKも考えたものだのう。まんまと引っかかった。 ・さてまつは朝鮮まで行くか? 名護屋城どまりか? どーする竹山。 越前の一向宗信徒を根絶やしにしようとした信長の書状 「府中の町は死骸ばかりですきまもない。見せたいものである。」 天正年間の織田信長の軍勢と、一向一揆の戦いは凄惨を極めた。 何万もの民衆が犠牲になったのだ。対する民衆からの声として、 近年、発掘された当時の瓦から以下のような文言が読み取れた。 「後世の方はどうか語り伝えて下さい。5月24日に一揆が起こり、 前田利家が千人を生け捕りにした。磔(はりつけ)、釜茹で、その 有様を書き留めておきます。」 ・このドラマはフィクションです。 実在の人物、団体とは関係ありません。 ・発想が卑屈なんだよね。としまつを持ち上げるために周囲を貶める。 大日本帝国とか中華思想とか今のカンコックみたいなもんだ。 そうではなくて、すこぶる男ぶり、大人物として慶次郎や政宗なりを 描いて、そんな奴等にすら一目置かれ頼りにされた存在として利家や まつを演出すればいい。 そこらへんを秀吉との関係でかもしだしたいのかもしれないけど、秀吉 は犬をゴミ扱い。
「利家とまつ」に学ぶ ビ ジ ネ ス マ ン の た め の 49 の 知 恵 竹山洋 著 「利まつ49の知恵」 「利家とまつ」をかくまえ、夢の中にまつが出てきました。若いころのまつで、とても清楚な女性でした。 「利まつ49の知恵」 松嶋さんがまつを演じたことは重要だと思います。頂点に立った人は、やはり頂点の人をひきつけるのでしょう。 皆さんすばらしい演技をしています。 「利まつ49の知恵」 竹山洋の未公開日記から (ふざけるな?)))) 1999年6月17日 「利家とまつ」の小説はなかなか筆を進める気持ちになれない。 欲張らなければ書けるはずだ。私の小説の欠点はとにかく文章に対する欲である。 無心ということが、シナリオでは簡単にできるのに、小説では不可能ということなのか。 小説で賞を狙うつもりで、と、逆に自らを奮い立たせる必要があるかもしれない。 2001年8月13日 大河17回を渡す。 ふと考えて、唐沢利家がシナリオ上で希薄な気がした。以降、すべて利家を中心にすすめる。 「利まつ49の知恵」 2001年10月19日 時代考証のことで、激怒し、降板する旨を申し入れる。徳川家康に側室の男子などいないという。ドラマのことを大切に思っていないために、このようなばかげた考証のことを持ってくるのだ。 ドラマは歴史と違う。ドラマは人間の感情を書くものだ。 ただ歴史の真実を視聴者に告げるものではない。昔、生きた人間の感動を伝えなければならぬのに、考証者が自分の存在を誇示するためにものを言っていることを、何故心血を注いだ仕事をしている作家にぶつけにくるのかわからない。 総じて我慢するつもりだったが、こういう仕事は私の心を歪める。いままで、黙して来たが、もうこれ以上は黙っていられない。私は作家なのた。厭なものは厭と言わなければ書けなくなる。 「利まつ49の知恵」 2002年5月1日 早朝3時半に起床し、聖書を読む。信仰心さえあれば山が動くと教えられた。 同5月2日 まどろんでいると夢を見た。 道を歩いていると五十二,三の女が歩いてきた。知り人のような女で見詰め合った。下品な感じの女である。 その女が、笑いながら私の顔を見て「かわいそうに」といった。 私は、「何だ」と訊いた。 「死ぬわ」と女が言った。 私は「やはり」と内心思った。女は私の顔をマジマジと見つめたときに、私が死霊に取り付かれている事を見抜いたのだ。 女の言葉が思ったとおりだったので安心した。 「どうして死ぬんだ」と尋ねると 「あなたが邪悪な言葉を撒き散らしているからよ」といった。それで夢から覚めた。夢の意味をずっと考えた。夢告かと思った。 「利まつ49の知恵」 2002年 某日 ただ一度だけ収録現場にいったことがある。みんな驚いていた。 私たちは、高級な芸術をやっているわけではない。ラーメンいっぱいを節約し、リストラに悩んでいる人たちに楽しんでもらえるようなドラマを作りたいと考えている。 芸術は独りよがりでもできる。だがドラマではそれはできない。意識を集中し、完璧なものを目指す。誰もが本物の良さを知っている。中途半端な感覚で望めば、手痛い報いを受けるだろう。 「利家とまつ」は、、日曜日の8時から放映される。毎回、社会にボールを投げているような心持で放送を受け止めている。毎回毎回が勝負である。 視聴者に受け入れていただけるか、拒否されてしまうか。どんな結果になっても、最後まで、しっかり見届けたい。 「利まつ49の知恵」 45.「生きた会話」と「人間ドラマ」しかいらない。 私は、ナレーションを二行書くよりは、役者さんの台詞で物語をつないでいくほうが好きです。歴史の本を読めば分かるようなことをやれば、すぐに裏番組に流れてしまいます。 46 まつのきめ台詞を「私にお任せくださいませ」、信長のきめ台詞を「であるか」にしました。私は、まつのせりふがはやるとおもっていましたが、「であるか」のほうがよりはやっていると聞きました。 49 過激なディベートなしに名作なし 「利松49の知恵」 P248 徳川家康は、仏になろうとした武将だと思います。とにかく自分が殺されないためには、仏のような人になればいいと考えたのです。 「利まつ49の知恵」 「自動筆記者」として 私は自分のことを料理人、または自動筆記者だと思って書いています。 「利家とまつ」をかいていたとき、万年筆を持って集中すると、清洲城の中で、信長が利家と話しているところに居合わせているのです。次の瞬間には、京の屋敷でまつとおねが話しているところにいる。 私は、無意識のうちに見ている光景や会話を、ただ書き写しているとしか思えないのです。 私は、脚本を書くことは不思議な世界と魂の交感をすることが書くことだと思っています。 何かが降臨して書かせるのです。かつて自分の頭の中で物語を作っているうちは駄目でした。僕にとって書くこととは、登場人物と交感することなのです。 今部屋に、利家とまつをお祀している尾山神社のお札を置いたり、神社でいただいた水晶の数珠を手にしたりして、毎日、彼らとの好感を試みています。 「利まつ49の知恵」 「利家とまつ」は、出世競争も描いていますし、究極のラブストーリーという人がいるかもしれません。 ホームドラマでもあります。でも私が一番視聴者の皆さんに感じてほしいのは夫婦の物語です。 「利家とまつ」に学ぶビジネスマンのための49の知恵 「利家とまつ」原作者・脚本家 竹山洋 幻冬社 1400円 最後に面白いことが書いてある(のっている) 「 この作品は書き下ろしです。 原稿用紙枚数310枚(400字詰め)。 」 何じゃこりゃ??