書き込み欄へ
ヘルプ
お名前: Hide.
URL
To 高2君
そうだね。
君たちの世代が大人になり親になったときにも、そういう意識をもちつづけてくれれば、
青少年犯罪を減らすことは可能だと思いますよ。
僕らオヤヂも頑張りますので、君たちも頑張ってくださいヽ(^.^)ノ
お名前: 高2
青少年犯罪が減る事
を願ってます
お名前: けい
高2さん
>やはり生活のためにお金がいるんですよね
>僕はまだ働いてないから社会の厳しさがわかりませんが
>テレビを作る人も魚を取る日本人もそれをしなければ生活デキマセンよね。
>でもやはりなんだかかなしいんですよね
私もHideさんと同じで、常にそういう気持ちを持つことは
とても大切だと思います。ここまでは常識の範囲だが、
これ以上やると人間として自分も他人もダメになる・・・
そんな人間としてのプライドをしっかりと持って行動すれば
社会の中でもしっかりとやっていけます。
大切なのは自分を大切にする気持ちと、他人を思いやる気持ち。
どちらもとても大切なことです。
そして高2さんのように、周囲のことに感心を持ち『何かおかしい』と
思う気持ちもとても大切なのです。そういう人間が増えれば社会も
おかしな方向に向かうはずがありません。
お名前: Hide.
URL
to 高2君
そういう気持ちを持つことは大切です。
全世界の人が世の中の事物すべてに感謝の気持ちを持ちながら生活できれば、きっとすば
らしいユートピアが出来上がるでしょうが、現実は、人間は弱い生き物です。欲望に負け
て他人を傷つけたり犯罪に走ったりする人も・・・。
でも、少なくとも自分と自分の家族、そして周りの人はそういうことがないように、お互
い気を使い支えあって生きていく努力をしていきましょうよ。
なぁに、人生そんなに捨てたもんじゃありません。
自分がそういう心でいれば、自然とすてきな人が自分の周りに集まってきてくれるもんで
す。心栄え正しく生きてほしいと念じますp(^-^)q
お名前: 高2
やはり生活のためにお金がいるんですよね
僕はまだ働いてないから社会の厳しさがわかりませんが
テレビを作る人も魚を取る日本人もそれをしなければ生活デキマセンよね。
でもやはりなんだかかなしいんですよね
お名前: けい
新聞記者の妹がため息をついていたことがあります。
『ニモ』というお魚のアニメ映画が流行っていた時のことです。
あまり可愛いのであの熱帯魚をペットショップに売ればお金に
なると、南の海で日本人が本当にたくさんあの熱帯魚を捕って
しまい、絶滅寸前になったとか・・・。『お姉ちゃん、日本人は
どうしてこういうことをすぐするのかな・・・』ととても残念
がっていたのを思い出しました。
もちろんその日本人たちは熱帯魚を殺した訳ではないですが、
自分たちの都合で何も考えずにやっていることに違いはありません。
珍しいから、可愛いから・・・理由はいろいろあるでしょう。
そんな理由で捕って、あるいは買って、要らなくなったら近所の池や
川に捨てる・・・最近問題になっていますね。
人間の都合で尊い命の火を消したり、もて遊んだりすることは
やはりいけないことです。
お名前: 守破離@
To まるさん
>なんで命は尊いのですか。
>牛や魚は食べるのに。
Hide.さんがおっしゃっておられるように人間以外は捕食行動以外の殺生は行いませんね、
ですが、心を持った人間は命をつなぐため自分に食べられた命に感謝の心を「いただきます」
という言葉で表現しているんですよ。宗教が違ってもこれは世界共通なもののようです。
お名前: Hide.
URL
To まるさん
捕食行動と関係なく命を殺すことを、他の動物は一切行なわないんですよ。
人間は、食欲とは別の感情で人を殺すことがあります。
これは罪深いことですね(^^)
お名前: 怒髪天
>>まるさん
よって、尊いものを食べてると自覚する創造力が必要だと思います。
「悪い事をしたら罰が当たる」なんてことを今の親の方は言うのかな?何でも
理屈で教えていると必ず矛盾やら屁理屈が出てくるもんで。
言葉なんかを過信すべきではない。本当に子供の頃のうちに人間としてやっては
いけない事を「トラウマ」として植えつけるべきだ。
「何で?」と言う哲学的質問はこの植え付けがあったうえでしか成り立たない。
こんなのゲームなんてのはキッカケにすぎない。今のどんづまりの世の中、60歳
すぎの爺様までおかしな殺人事件おこしているじゃない。爺様はゲームさすがにやら
ないと思う(笑)そう、きっかけはどこにでも落ちているのだ。強姦犯は木の根を
見てもそれがキッカケになるものだ。これ以上規制でも増えてガス抜きでも出来なく
なったら、もっと最悪な事態になるでしょう。それとも共産主義者であるというのだったら
理解は出来ます。
とりあえず「ボーリングフォーコロンバイン」でも見た方が良い。
お名前: けい
まるさん
生きているものの命はみな尊いと思います。
だから人間が魚や肉をいただく時は、やはり感謝をしなくては
いけないと思います。きれいごとと言ってしまえばそれまでですが
人間だけでなく、魚は小魚を食べ、動物もまた何かを食べて
それぞれ必死で生きているのです。
そして、そのことと、人間が個人的な感情やなんの目的もなく殺されて
しまうこととは、また違う問題であると私は思うのですが、まるさんに
とっては全て同じことに思えますか?
お名前: まる
なんで命は尊いのですか。
牛や魚は食べるのに。
お名前: けい
命の尊さを教える教育が、家庭でも学校でももっとされないと
いけないですよね。でもたとえそういう教育がされていても、家に帰れば
父親や母親までゲームにはまっていて、仮想空間の中で平気で登場人物を
殺しちゃって、結構スーッとしていたりする訳でしょう?
そんな中で子どもがどういうふうに育つんだろうって、思っちゃいます。
私はゲームというのはあくまでもちょっとしたリクリエーションの範囲に
とどめておくべきで、一日中部屋に閉じこもってやるものではないと
思っています。テレビのドラマもそうですが、何でも行き過ぎると
やっぱりその影響はこわいなぁと。
ゲームはその売り上げを伸ばすため、ドラマは視聴率を上げるため
どちらも競争社会の中でその過激さを増していくのだと思いますが
あまり良い影響はないと思っています。過激さで勝負するより、もっと
考えたり推理したりするところの面白さで勝負して欲しいなぁと思うの
ですが・・・。
お名前: ぐっぴぃ
やはりそういった事件が増えているのは『正しい事』が『正しくない事』に変わりつつあるからではないでしょうか。
今、ドラマなどで殺人シーンがごく当り前のように出てきます。これを見て殺人が『正しくない事』から理由さえあれば『正しい事』になっていってると思います。
やはり現代人にとって殺人はいけない事という意識が薄れつつあるのかも知れません。
お名前: けい
高2さん
私もね、日本のドラマは殺人事件を扱うものが多すぎると思っています・・・
というか、逆にそういうものを好む人が多いからまた放映されるのか・・・
どちらにしても良くないですね。
刑事ものなども多いですが、『殺人が起きる。犯人が逃げる。刑事が事件を
巧みに解決する。そして犯人はつかまる・・・』ただそれだけしかない番組が
多いですよね。それでは殺人はゲームと同じです。あちこちでそんな番組を
やっているようですが、人間の死というのはそんなゲームみたいなものでは
ないと思います。
それからやはり恐いのは子供たちのゲームです。大人たちがこのゲームで
儲けようとしている限り、子供たちは体を動かす楽しみを忘れていくと
思っています。
日本人てとかく流されやすい。そこにあるものをそのまま受け入れて
疑問も何も持たない人が多いんです。私は、高2さんのように疑問を
持つ若者が増えてくれないと、本当に日本の将来はよくないなと思って
います。
お名前: 怒髪天
こんばんは
「現実とドラマは違う」事を徹底的に教えないと駄目だと思います。親がしっかり
しないと!だいたいそれ言っちゃうとゴールデンタイムどころでは無く時代劇なんて
いったい何人しんでいるのか。お年寄りの楽しみも奪われちゃう。
「死」ってものは誰にでも来る、一番解りやすいドラマ性あるものなんです。
これは無くてはならない題材ですよ。ドストエフスキーの「罪と罰」なども殺人が
題材ですが不屈の名作として名高いですよね。もし「名作は良い」のであれば
それは悪しき権威主義だ。表現の貴賎はそれを見る人間に委ねられなければならない。
生命力のあるうちはネガティブな作品を求めるものです。それ自体は、悪い事ではない。
むしろはけ口にもなっている部分もあります。表現の弾圧は反対!私は小学校から
スプラッタムービーやら親に隠れて裏○○○なんか見まくってましたが殺人も強姦も
してませんよ。重ねて言いますと「現実とドラマは違う」としっかり教える事!これです。どっちも偏りすぎはバランスが悪くなっちゃう。人間には暴力的衝動や性的衝動
があって当たり前なのだから上手くバランスの取り方をつかませないと。
あとは、「美学」の欠如。金儲けのうまい人間がのさばる殺伐とした世の中では
スピードについてゆけない人間は落ちこぼれてしまう。そういう人を忘れない世の中。
むしろ道徳は街中で求めたいものです。椅子に平気で靴のまま足を乗っける高校生、
ものを投げてよこす輩、電車で化粧する女性、等等ひどいもんだ。
剣道は人材の育成、人間形成。これをあらためて見直すべき時です。勝ち負けばっかり
じゃ駄目なんです。剣道によって社会を教えてあげるのが大人、先輩の役割と考えます。
お名前: よし
私も、テレビに限らずずっと思っていました。
「死」は生きている限り避けては通れないものだとも思っていますし、
色々な事件もあり子供ともたまに「死」について話すことがあります。
・ヒーロー(主人公)はなかなか死なないが、
実際は人間なんてちょっとしたことで簡単に死んでしまうこと。
・K-1やプロレスの人は死なない為に鍛えている。(実際は?ですが子供用です)
・ゲームはリセットできるが本当の「命」はリセットがきかない一度きりであること。
・愛する人の死に立ち会ったときの家族や関係者の悲しみの深さ。などです。
ドラマ等の殺人や人の死のシーンに関して子供たちへの影響については何とも
言えませんが、又、死を考える・知る意味では必要なこともあるかもしれませんので
上記のようなことにもフォローした内容にして欲しいと
個人的にはずっと思っていました。
お名前: Hide.
URL
管理人のHide.です。
う〜ん、はたしてドラマが感覚の麻痺を生んでいるかどうかって難しいところだと思いま
すよ。人間の死は、ある意味において一番ドラマティックな部分ですから、過去から、たく
さんの死が小説や映画の題材として取り上げられてきたはず。だからといって、それらか
殺伐とした事件の引き金になったとは言いがたいのではないでしょうか?(^^;
ただ、未成年者に影響するとも考えられますので、ゴールデンタイムの放送を減らすなどは
考える必要があるかもしれませんね(^^)
お名前: 高2
僕は最近青少年の凶悪な悲しい事件が
おきている事がとても残念です。僕がおかしいと思う事は
テレビです。毎週火曜サスペンスとかで絶対人が死ぬし、ドラマとかでも
殺人が起きます。一年に何人の人が仮想の世界で死んでいるのかなと不思議に思います
人が殺されるのも結構リアルだと思います。見ている時とかコイツガ犯人やねとか
家族で話している時も本当だったらとても深刻な問題なのに普通に言っている自分
はなんかおかしいような気がシマス。ニュースとかでは殺人の現場は絶対流さないのに
ドラマでは例え作り話でも殺人の様子を生々しく流すのはおかしいなと思います
旨く言えませんが、子供たちに日常的に見る機会があったらやはり少しは悪影響があるとおもいます。道徳的にこのような番組は減らしていったほうがいいと思います
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る