記事タイトル:続「武士道」とは何ぞや 


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お名前: むささび   
くにさん,こちらの一方的な書き込みの放言におつきあいさせて
しまって済みませんでした.決して「論争,論破」のつもりは毛頭
なく,くにさんや皆様のお知恵をいただきつつ論題を盛り上げたい
と思ったのみです.

近代武道にある「儒教的礼節」の要素は自分も最大限に評価し大切
に守りたいと思っています.只厳密な「儒教」と日本で咀嚼消化され
たものとには差異が在るのも事実でしょう.自分の意図はそれを指摘す
る事で日本人の武道や日本文化全体が独自性に富んだ偉大な先人の遺産
であり,充分に誇り得るものだと強調したかったのです.

儒教は中国分明の圧倒的に偉大な遺産ですし,形式に堕したとはいえ猶
(な)お人倫の道を示した功績は,若し中国程の統一帝国に法家思想の
厳正法罰主義だけや厭世的な達観の老荘思想だけだったらば果たして人民
がどれ程に困難であったかを思うに評価して余りあるものがあります.

しかし日本にも十分それに対抗するだけの独創の才の煌めきありきと主
張したい思いもあります.これも若しかしたら明治に新渡戸の西欧に対抗
した気持ちに通ずるのではとも夢想してみたり.

くにさん,長々とおつきあい,ありがとうございました.

お名前: くに   
書き込みしなくてすいません。
やはりちょっと忙しくて対応できそうにありません (^_^;)

御説に納得したわけではありませんが、まぁ儒教論争をするのが目的のトピでもありませんから、
「武士道」に教科書はない…ということがわかればわたしはもう充分です。
どなたか聞き手がいると、もっといろいろ説明していただけそうですが、どなたか出てこないかな?

いろいろありがとうございました。

お名前: むささび   
こちらからの書き込みが続いて済いません〜

儒教を宗教とする立場とそうでない一般日本人の倫理観が相克,ぶつかる
例として井沢元彦氏(この方も小室直樹,山本七平両氏と同様儒教を宗教
とする著作が多い論客ですが)の著作に〜戊辰の役の際,錦の御旗の官軍
に対し幕軍は「賊」になりますからその結果,戦死した亡骸も「打ち棄てる」
事が儒教の規定から徹底される事になり,開臨丸(勝海舟らが遣米に用いた
最初の軍艦)も撃沈されましたがその200余名の乗組員が海岸に打ち上げら
れましても官軍は断じて埋葬供養を禁じ触れさせなかったそうです.しかし
場所柄「清水の次郎長」親分らは「てやんでぇ,死ねば皆仏じゃねぇか」と
亡骸を葬ったそうです.会津の役でも同様に幕兵は打ち棄てられ山陰に腐る
にまかされた訳ですが,日本人の心情としてはこういった「教条主義」の
徹底には強い違和感を覚えると思います.

いまに至るもこの儒教の思想は現役です.靖国問題も儒教圏からでないと
発想出来ない要求が原因です.日本人なら亡くなれば生前を問いませんし
近代法律では処罰を了えれば人権から平等に帰すのが当然です.死者に
鞭打つのは儒教であり,ひいては古代中国の呪術思想だと思われます.儒者
は導師(道教)同様元来は死者を弔う呪(まじな)いにはじまるのだそう
です.「怪力乱神を語らず」と孔子が述べた事ばかり強調されますが超自然的
事物に対しても具体的方法で対処するの意ととらえれば「礼」の規定で詳細
にお祀り方を定めた孔子の意図が見えてくる気がします.

「死ねば皆仏」自体も実は仏教にない発想ですし,「親の因果が子に宿り」も
教義に反しています.因果律は個人単位で来世来来世と転生しつつ継続する
ものですから.死んで帳消しにも成りませんし,親族で受け継ぎもしません.
同様に日本人が儒教的と思いがちな偉人,例えば二宮金次郎(尊徳)も労働
を奨励する意味では非儒教であります.労働肯定から日本資本主義の胎動に
つながった(山本七平説)石門心学で理解すべきでしょう.

自分は「無節操」故に仏教も儒教も越えて自由な発想が出来,遂に近代化も
できた日本人の柔軟性=無規範性もそんなに悪くはないし,ちゃんと日本人
に共有される不文律的倫理観は変化しつつ在り続けると思うもです.要は
それをより善くする助力に武道が貢献したいという点なのですが.

お名前: むささび   
そうですね,「まったり」書き込みを続けたいと思います〜

「国教」としては中国は漢の武帝を以て,朝鮮では李氏朝が科挙に
儒学を専門科した時点を元まりとするのが定説の様です.それに
より他教は事実上の勢力を殺がれますから(儒教には他教信仰を
禁圧する発想がない様です).

李退渓に就いては何せ大儒として国民の誇りであり1000元札に映
る存在ですからもっと日本人にも浸透すべきでしょう(謂わば
朝鮮の聖徳太子か天神様=菅原道真かって存在でしょうし)

日朝の儒学の差といったら天地の開きがあり続けましたのも,
一つに国力を統べて儒学に注ぐ「文の国」であったからでもあり
ましょうが,別面日本式「書き下し,訓読」が存在しない朝鮮語
では純粋に外国語として漢籍にあたるからだとの指摘もありま
す.何れにせよ奈良以降急速に朝鮮経由から中国直輸入になった
仏教と違い儒学は幕末に至るまで朝鮮の恩恵を最優先に与った
点は忘れてなりません.

女帝存在の有無とは別に中国では正式な皇帝としては「則天武后」
(武則天)すら長く正式に認められなかったとか,「メン鶏が鳴く
と家が潰れる(女帝は亡国の前触れ)」と嘆くお国柄からでしょう
か?

異民族が入り乱れる大陸では必ず外形的行動規範によって各々の
アイデンティティーが規定されます.そして内心の自由を守る術
ともしてきました(有名な聖パウロの「内心の信仰の自由」も
ここから).それは逆に「教条主義」と批判したくなる論理的
二分法の性格も強めます.日本人はそこから自由過ぎます,故に
理解されない事にもなりがちです.

戒律を守るより心根が清浄かが大事だと思いたい日本人と,行動
で示さなくては意味がないとする論理的発想は相容れないので
しょう.少なくとも世界の常識は後者を支持します.この点を故,
山本七平は「日本教」と名付けました.日本人は何の宗教に属する
以前に日本式「内心の神に従う直感的信条」に基づいて判断行動
するからだと.

実際儒教は先祖崇拝の形式主義が本義なのに孔子孟子の仁徳ばかり
注目し,仏教は出家僧侶が戒律を守る代わりに喜捨(布施)で労働
から解放されて涅槃(悟り)を目指す(信者はそれを支える事で
来世に福を積む)システムですから僧侶が妻帯,飲酒,姦淫などした
ら成立しません.しかし親鸞の心を美しいとして破戒を認める日本人
は変です.

神道にはそもそも究極的「善悪」の基準が明確に定義されず一種の
「美意識」で判断するものでしょうし.石田梅岩であれ,鈴木正三で
あれ「解脱」と「労働」を結び付ける発想は仏教,儒教に根本的に
反しているのですが日本人の直感にはそれが「神ながらの道」に
適ったのでしょう.

逆に心情的には感心するイエスの教えもその「排他性,独善性」が
嫌われ遂にメジャーになれません.論理的なら韓国の様に(先祖崇拝
がない為永く迫害されましたが)一旦信じるとなればキリスト教徒が
人口のメジャーになってもおかしくないのですが.(結婚式を教会や
キリスト教式でする率ならもう圧倒的でしょうにねぇ・・)

結局日本人には常に緩やかな共同体的規範として「不文律」が支配
して来ていると思えてきます.そのなかに歴史的に「武士道」と
して武士に体現され,日本人全体も認識した一定の方向性や意識も
あったと思えるのです.

お名前: くに   
Hideさんもロムに徹しているようだし、なんだか二人のためのトピみたいになってますね(笑)
別に、他の人が書き込んでもいいんですけど (^_^;)

月末でちょっと忙しく,、雑な応答になってしまいますがお許しください。

儒教が宗教か否か、康有為のように国教にしようとして運動を起こした人もいるんですね。
孔子教ですか…。
ただこうした考え方には反発もあって、梁啓超などの批判があるようです。
御説のような考え方があるということ、わかりました。
おかげさまで勉強させていただきました。

文禄慶長期は朝鮮本の大量流入期で、おっしゃるとおり文化的な影響も大きかったでしょうね。

>女王や女性摂政が容易(朝)か極めて困難(中)

清朝では皇帝が幼い時、皇太后が補佐したり、末期には西太后のような人が現れたのに
朝鮮では出なかったようです。歴史はなかなか面白い展開を見せますね (^_^;)

>やはり具体的に明治の「軍人勅愉」昭和の「戦陣訓」の様なものを
>江戸幕府に探すのは困難な様です.「五輪書」も「葉隠」も公式テキ
>ストではなく広く流行した程度ですし.

そうですか。
それでは「武士道」とは、武士の言行を見てその「不文律」を推測する
という作業によって、とらえられるというようなものなのですね。

お名前: むささび   
 宗教が成立する条件は先ずに「外形的規範」の有無ですから,
儒教は間違いなく宗教であると言えます.日本人の儒教を単なる
教養としてとらえる感覚と,それに伴う本来の儒教の規範(戒律)
への無知そのものが中国,朝鮮側からはいらだちの対象になりか
ねないと指摘されます.
 
儒教で守られるべき行動規範は先ず部外婚(同一姓,宗族=本貫
から嫁を取らぬ事),聟(むこ)養子は同一宗族から取る事.に
はじまり祖先を祀る各種の儀礼を家長を中心に滞りなく行う事
であり,総てが詳細にマニュアル化されています(父を亡くした
際の泣き方から食事の作法にいたるまで.喪の服し方も家長を亡
くした際など極端に煩雑で長期に渉ります).親の死に目を見ない
のは人非人の最たる者として最前線に従軍の兵士すら帰郷する話
は有名ですね,あと金日成死去の際の号泣の光景も実は儒教の伝統
と納得します.善き儒者とはこの規範を守る人を指し,仁徳に篤い
と評判になる人の事ではありません.

家康が虞れたのが正に自分も亦た纂奪(さんだつ,革命で王位を
奪われる事)される事でしたから今後それのなき様にと朱子学
で序列を守る正義を強調し,自らを天皇に対抗する権威の「権現
様」に据えたとするのが一般的解釈ですね.

清朝が建ち亡命の明学者(朱舜水など)を大量に迎える(光圀の
頃ですね)までは惺嵩の師,姜亢(きょこう,こうはさんずい偏)
が李退渓学派で,江戸初期は専ら朝鮮本がテキストだったそうです.
李退渓の道統は遥か後代の徳富蘇峰までつながるそうです.

中国,朝鮮に於ける主な儒教の差異は,相続の際に均等配分(中)
か長男など墓を守るものが優先(朝)か.女王や女性摂政が容易
(朝)か極めて困難(中)か,あたりだそうです.用語としては
宗族(中)=本貫(朝)なんかが代表例ですね.あと科挙の時代
には受験資格を原則平等の中国と両班(世襲貴族)に限る朝鮮も
大きな違いでした.

鎌倉武士なら「御恩と奉公,一所懸命」や,戦の際に於ける振る舞い
の潔さ,一番首を(刀,長物,弓の順で優位が付く,より困難を作す勇敢
さが基準)競う等,どれも明文化されない慣行ですね.義経は「卑怯」
戦術が得意でしたから当時は評判が悪く,討たれて後に義士になった
との説もありますから.

やはり具体的に明治の「軍人勅愉」昭和の「戦陣訓」の様なものを
江戸幕府に探すのは困難な様です.「五輪書」も「葉隠」も公式テキ
ストではなく広く流行した程度ですし.

お名前: くに   
今回は短いようなので、少々個々についてのコメントも書きますね (^_^;)

>宗教を信じる行為は本来規範によって明確に定義されるのが常識です.

そうかなぁ…?教義とか戒律のようなものって後からできるものではありませんか?

>守らないのは日本人くらいといわれます.儒教を宗教とします
>と膨大な祭礼,お祀りに忙殺されなくてはなりませんし,婚姻の問題
>から親戚付合いまで規定だらけで父系社会ですらない日本人には
>手に負えませんね.養子も取れませんし(養子は逆に同族からのみ
>許される).

朝鮮を念頭に置いて考えていませんか?
儒教が宗教であるようには思えないんですが、祭礼とは「釈奠」のことでしょうか?
儒教という思想と中国や朝鮮の習俗を混用しているように見えてしまうのですが… (^_^;)

>逆に教養として学ぶなら自由な立場で学んでそれまでですからこれが
>日本人向きです.家康の儒学好きも所詮教養の範囲であったのは事実
>でしょう.

治世の為に使ったように思えますが、個人的には教養の範囲だったわけですか…?


>家康の功績は林羅山,藤原惺嵩らを通じて御用学問に朝鮮系(李退渓の流れ)
>の朱子学の道を拓いた事なのでしょう.有名な長子継承の原則は孟子の易姓革命
>(為政者が無能ならすげ替えて是しの思想)を嫌ったせいともいいますからこれも
>純粋な信心の行為ではなさそうですね.

この辺は、朝鮮経由の朱子学を入れることによってどのような意義があったとお考えなのでしょうか?
李退渓に匹敵するような学者が、当時の中国にはいなかったということでしょうか?
易姓革命は、天皇に対して天帝が行うということが日本の場合適当でないとの考えかと思います。
長子継承が儒教の影響だとしたら平安時代くらいにはもう存在していたということになりましょうか。

徳川家と林羅山・藤原惺嵩について言っておられるのですか?
家康を皇帝になぞらえるとしたら、まさにその人が易姓革命によって豊臣氏を打ち滅ぼして
登場したわけですから矛盾しますよね (^_^;)

>鎌倉武士から戦国武士,江戸以降では武士の性格も規範も大いに変化
>しています.下克上の是非,裏切りの是非も一定した基準が古来あった
>わけでもありません.寧ろ常に変化しています.これは「武士道」が
>明確な規範として明文化される程の定型化を得ていない証拠でしょう.

なるほど、時代によって変化したのですね。新田義貞・赤松満祐・松永久秀・明智光秀…、
それぞれの武士道があったということですね。

>しかし常に時々で基準となる「もののふの道,美意識」の基準は不文律
>で存在したはずです.

どんな道なんでしょうか?

>武士道」なるものがどれ程明確に存在したかは研究を続けなくては判らない問題に思います.

なるほど、まだ結論を導き出すには早いということですね。
ありがとうございました。

お名前: むささび   
くにさん,一方的に書き込むばかりで申し訳ありません.
 
宗教を信じる行為は本来規範によって明確に定義されるのが常識
です.守らないのは日本人くらいといわれます.儒教を宗教とします
と膨大な祭礼,お祀りに忙殺されなくてはなりませんし,婚姻の問題
から親戚付合いまで規定だらけで父系社会ですらない日本人には
手に負えませんね.養子も取れませんし(養子は逆に同族からのみ
許される).

逆に教養として学ぶなら自由な立場で学んでそれまでですからこれが
日本人向きです.家康の儒学好きも所詮教養の範囲であったのは事実
でしょう.家康の功績は林羅山,藤原惺嵩らを通じて御用学問に朝鮮
系(李退渓の流れ)の朱子学の道を拓いた事なのでしょう.有名な長子
継承の原則は孟子の易姓革命(為政者が無能ならすげ替えて是しの思
想)を嫌ったせいともいいますからこれも純粋な信心の行為ではなさ
そうですね.

鎌倉武士から戦国武士,江戸以降では武士の性格も規範も大いに変化
しています.下克上の是非,裏切りの是非も一定した基準が古来あった
わけでもありません.寧ろ常に変化しています.これは「武士道」が
明確な規範として明文化される程の定型化を得ていない証拠でしょう.
しかし常に時々で基準となる「もののふの道,美意識」の基準は不文律
で存在したはずです.

まぁ「切腹」すら元来が用語の誤解が高じた行為で実際の「はらきり」
は渡世人の行うもの(皮下脂肪までを切り詰めまた癒着させる「指つめ
」以前の本来の「おとしまえ」方法)だけだとする説までありますから.
「武士道」なるものがどれ程明確に存在したかは研究を続けなくては
判らない問題に思います.

お名前: くに   
どうも。…続きを書こうかと思ったら、また長くなっているようで、まともに応じていると
かなりの時間PCに向かわなければならなくなりそうです (-_-;)それは無理

個々の事例については申し上げたいこともありますが、要は「無節操」な日本人を実証して
居られるということですので、「そうかな…?」と思う程度にしておきます。

…で、日本独自の不文律があって、武士というものは「力あるものの矜持以上の意味は持ちません.
剣豪である必要もありません.只只万民の為に責任を全うする存在です.」
ということになるわけですね。
学問や剣術は、それを全うするために有用だったから取り入れられたものに過ぎない
ということになる。

まぁ、何を教わっていたかより、何のために教わっていたかを考えると、教科書がどうだったか
などということは二次的なものになりましょうね。

宗教が「元めから「神ながらの道」に直感的に具わっていた」とすると、「武士道」という
ものもはじめから日本社会の不文律として存在していたんでしょうか?

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

引き続きROMさせていただきます。
いやぁ、勉強になりますね・・・って読むのがたいへんだけど(^^;

お名前: むささび   
くにさん,お返事ありがとうご在ます.

論理に従えば教条主義が導かれます,それに従わない分は自分の
直感に従い判断した事になります.日本人は先ず結論ありきで論
をあてる傾向にある様に感じます.逆にユダヤ人なんて完璧に
論理的と指摘されますが少なくとも宗教はそうでしょうね.

武士は何のために学問したか?と申しませばもうこれは第一に
家督相続以外にありません.幕臣の子息なら湯島の聖堂で四書
五経の素読試験をとなったそうですが元服で(実際は12才から可)
受ける適齢としますとやはり幼少期から素読をする風景は日常
のものだったと納得します.

しかし逆にいえば試験の為の学問であり,更には「読み書き」
の為(流石に武士が町人程度の手習いではすみませんものね)
だったでしょう.日本人にとっては学問は国語力養成が第一義
だったでしょう,その内容も感覚的に受け取るだけで教条主義
にとらわれる人は稀だったでしょう.

日本人の「無節操」は宗教から見れば一目瞭然で,大体儒教だって
宗教ですから寺院で論語が素読されるのも破天荒なはなしですが,
儒者(一般武士)が儒式に葬儀する事があったのでしょうか?
服喪がかなり面倒な気がします.その点朝鮮では徹底して儒教を
行いますから結果仏教寺院は山野の果てに棄てられる身分に墜ち
た訳ですね,極めて論理一貫しています(是非は別として).

日本人が真面目に外来の宗教に従う気がなかったのは仏教に
留まらず儒教も同じで,姓名から本貫家系まで一切儒式に従い
ませんでした.家系を売買し近親を娶(めと)る日本人が一度
でも真面目に儒教に従ったとは思えません.現実に立派な儒者
であるには長幼の礼をまもるのが第一義的で,徳に篤いかじゃ
ないですから.これが教条主義ですが,論理的な帰結でもあり
ます,南方の仏僧が酒は禁止でもタバコはOKでじゃんじゃん
吸うのと同じですね戒律に有る無しが大事ですから.逆に
日本人なら〜にあるまじきと直感で行動の是非を判断しちゃい
ます.

鎌倉仏教は日本仏教の本格的,決定的な逸脱期ですが,平安の大乗
戒壇建立を天皇に伺う時点で矛盾と指摘する人もいます.親鸞が
仏教だと納得する南伝仏教の方はいないでしょうね.自ら破戒する
宗祖というのは刺激的過ぎます.むしろそれを受け容れる日本人
こそが分析の対象です.論理的=教条的でこれが可能な筈があり
得ません.日本人にとっての宗教は元めから「神ながらの道」に
直感的に具わっていたのでしょう,あとは名義を変える様に宗儀
も変えて平気なんです.内在の神が前提の宗教観とでも申せましょ
うか.

日本人は不思議なもので,教条主義的拘束はうけなくとも不文律
にはやかましいものです.それだけ「憚(はばか)り」文化なの
だと思います.そこの機微機知に長けない者には排除が働きます
が,しかして更に跳び抜けると認知されます(最近ならホリエモ
ンですね).ですから律令から諸法度まで出来た法はどんどん風化
しても不文律は共有されていますから不都合なく執政できたの
でしょう.その日常の想定外の事態になれば混乱しますが元来論理
で動かないものですから教条主義に縛られずに対応が始まります.
とうとう乱世になればガラガラポンしちゃいます.

自分は日本が科挙を入れず官僚国家にならずに済んだのは望外の
幸運だったと思います.必ず教条主義で特権階層が形成され利権
と対外排除がはじまりますから.官僚に対抗すべく審議官を設けて
も腐敗はとまらず,皇帝に宦官を付けて対抗してもどちらも腐敗
するだけでした.「官」で解決する発想が無効だと悟るのに人類
は果たして先日の冷戦終結までかかったという事でしょうか.(
文明力がある分共産国家の官僚被害は甚大ですねぇ)

アングロサクソンの狡猾さの賜物の自由主義がマグナカルタに肇
まるとするならやはり権力の分散が奏功した例にはまりましょう.
令外の官から地方武士が台頭し遂には武が国家を執政した日本が,
結果的には江戸期の儒者が指摘する徳治国家の理想を実現した(
とするならば,ですが)皮肉,歴史そのものがパラドクスの宝庫です.
「地獄への路は善意で舗装されている」と言わしめる現実に今だに
民主化できない幾つかの隣国の大衆の悲哀が重なります.

お名前: くに   
早速長大な応答を賜りましてありがとうございます。
書名などを持ち出しますのは対話の色づけ。一般社会常識しか知らぬものの質問ですので、
煩雑とお感じになるかもしれませんが、お許しください。

>日本人の特徴に何でも形式は尊重しつつも本質まで変えて平気な「無節操」さが指摘されます.

教条主義をよしとするのもどうかと思いますが、日本人にはそんな特性があるんですか…。

>出家,受戒による「非生産」こそが本来なのに妻帯,肉食から労働までして・・でも外観はしっかりと
>古色をたもとうとする辺りやはり論理的民族には思えません.

妻帯・肉食は破戒行為ですよね。
それを容認したのは他力本願を本旨とする浄土系の教団が誕生してからでしょうか。
法然や一遍そして親鸞が登場したのは末法思想が蔓延した平安から鎌倉の転換期。
隋から唐の時代に末法を唱えた三階教でもなし得なかった破戒行為の肯定が日本の鎌倉時代には
出来たんですね。
天台宗でも本覚思想や真言密教では破戒と思える行為を肯定することが出来る考え方が
あると思いますが、立川流のようなものまで出てきて、外部から見れば堕落と写るんでしょうね…。
禅ならば入塵垂手。…まぁ、出来てない人も多いのでしょうが…。

>武士を儒教上の存在として位置付けるのも原理に従えば無理でしょう.武を
>賎しむ儒学では官僚の警備や専門軍人が妥当で天下国家を案ずる立場にあり
>ません.しかしいつの間にか武士が執政の位置にありました.日本史はパラド
>クスの連続です.

まさにこの辺がお聞きしたいことだったのですが、何故家康は林羅山を武士の教育機関の
長に据えたんでしょうか?
朱熹は、仏教の魂の救済に対して秩序ある社会の構築にこそ力を注いでいたように思います。
幕府にとって必要だったのはこの点だったのではないかなどと思ったり…。

『論語』も、室町時代に流行した正平版(魏・何晏注)ではなく朱熹の『論語集註』が教科書として
使われていたのだろうと思います。
…というか、思っていました。でも、内閣文庫の漢籍目録に載る『論語集註』は
刊年未詳ながら天明2年(1782)に62歳で没した後藤芝山の点が入るものですから江戸初期から
使われていたとは言いがたい。
林羅山の旧蔵書からも『論語集註』の古刊本は出てこない。明暦の大火のときに焼けた
蔵書のほうに入っていた、ということかとなのかな?
とにかく、そんなことを考えるとこの時代、本を読んで自得するのではなく、先生の講義を聞いて
学習するような教育だったと考えるべきなのだろうと思いました。

森鴎外も幼時には、漢籍を繰り返し読んで覚えてしまうような教育を受けていましたし、
明治になっても教育勅語や歴代天皇の諡号を覚えたり。丸暗記の伝統は残っていたっように思いますが…。
…余談でした (^_^;)

え〜とにかくそんなことで、教科書というものは各自が持っていなくてもいい。
頭の中に記憶として書かれて、その解釈は先生がやってくれるというようなことで行われていたのかもしれない
などと勝手に思ったりしているのですが、違いますかね?

少なくとも、『五輪書』や『葉隠』が教科書に使われることはなかったから、あそこに書いてあることが
武士の共通認識になっていたとは言えませんよね。

わわわ! こんな寄り道していたら、最後まで行きそうにないぞ (-_-;)

朝鮮などではおっしゃるとおり、儒教の武道蔑視があったと指摘する方もいらっしゃいますので、
まぁ、日本でそんなことがあってもおかしくはなかったわけですが…。

>外観は東洋風なのに本質は別,これが常に外国人が日本を理解できるかの分か
>れ目だと言えましょう.最近でも日本を独自文明と定義するSハンチントンが
>注目されました.日本を中国の亜流と看做す傾向の発想より余程納得します.
>古来温暖湿潤な気候の農水産業の生産性がもたらす圧倒的な人口の膨大さとそ
>の結果の地域ごとの多様性は西ヨーロッパひとくくりと対比するスケールがあ
>るのですから.「狭い,小さい日本」は大陸国家のみを基準にした偏見です.
>日本と西欧にのみ封建制から近代民主主義への速やかな以降が可能だった点
>は幾ら強調してもし切れない意義があります.牢固な官僚制に圧殺されて近
>代化が叶わなかった朝鮮,中国の志士らの無念は歴史や文明の質でこそ説明
>できましょう.一見理想と思える律令制度が実際は腐敗と人民の軋轢こそを
>もたらした現実,孔子の時点で「苛政は虎よりもこわし」と言わしめていた
>中国政治の理想は常に統一以前の古代王朝であった訳ですし.

この辺は、だいぶ私とは見解が異なりますので、そうお考えになっているんですかと申し上げるよりないですが… (^_^;)

富永仲基については内藤湖南がほめてますね。何をほめているかといえば合理的思考方法によって
物事を見ようとするその研究者としての態度でしょうか。
学説が時代によって変化すると考えるこの人の説が無節操なのかどうか?
私は故実を持ち出して自己肯定しようとする風潮に対する批判と受け取っておりまして、
神・儒・佛の思想自体の評価とは別のものと考えております。
…しかし、こんなことを書いていては時間はなくなるし(もう眠い…)むささびさんの
おっしゃりたいことにも辿り着けなくなりそう… (-_-;)

続きは後にして、ひとまず寝ます。

お名前: むささび   
お返事の書き込みが(ハングアップは自分のMacのせい?)かうまく出来ず,
新規に立ち上げさせて戴きます.

くにさん,自分は全くの浅学の徒,雑学のなぐさみですので文献的精確は御
容赦下さいませ.せめてものお情けで着眼点を寛大なお心でご評価下さい.

日本人の特徴に何でも形式は尊重しつつも本質まで変えて平気な「無節操」
さが指摘されます.一つの代表例は仏教でしょう〜出家,受戒による「非生産
」こそが本来なのに妻帯,肉食から労働までして・・でも外観はしっかりと
古色をたもとうとする辺りやはり論理的民族には思えません.

武士を儒教上の存在として位置付けるのも原理に従えば無理でしょう.武を
賎しむ儒学では官僚の警備や専門軍人が妥当で天下国家を案ずる立場にあり
ません.しかしいつの間にか武士が執政の位置にありました.日本史はパラド
クスの連続です.

外観は東洋風なのに本質は別,これが常に外国人が日本を理解できるかの分か
れ目だと言えましょう.最近でも日本を独自文明と定義するSハンチントンが
注目されました.日本を中国の亜流と看做す傾向の発想より余程納得します.
古来温暖湿潤な気候の農水産業の生産性がもたらす圧倒的な人口の膨大さとそ
の結果の地域ごとの多様性は西ヨーロッパひとくくりと対比するスケールがあ
るのですから.「狭い,小さい日本」は大陸国家のみを基準にした偏見です.

日本と西欧にのみ封建制から近代民主主義への速やかな以降が可能だった点
は幾ら強調してもし切れない意義があります.牢固な官僚制に圧殺されて近
代化が叶わなかった朝鮮,中国の志士らの無念は歴史や文明の質でこそ説明
できましょう.一見理想と思える律令制度が実際は腐敗と人民の軋轢こそを
もたらした現実,孔子の時点で「苛政は虎よりもこわし」と言わしめていた
中国政治の理想は常に統一以前の古代王朝であった訳ですし.

信長の意義が西欧にも先行した近代性にあるのと同様,江戸の儒者や国学者
も後世からはその発想が如何に時代性を超越したかで亦別の評価が可能です.
有名な富永仲基の儒仏文献への批判精神(大乗仏教や儒学の文献は所詮後世
に創作,追加されたとする説を江戸期に近代的比較分析で独自に達成した早逝
の天才,一応皆様のため脚注します)も当時には異端です.しかしこれが日本
の「無節操」さの賜物と言えなくはない筈です.石門心学も神仏儒を折衷した
上に労働を解脱の機会とするなど幾ら外観が東洋風でも本質は滅茶苦茶です.

この系譜に沢庵と宗矩らによる「剣禅一致」の発想もありましょう.禅は仏道
の悟りを表す用語であり,それに殺傷法をあてるとは「お釈迦様でも思うまい」
です.まぁ僧兵なんてのがある国ですから,この程度は御愛嬌なんでしょうが.
自分にはこの自由さこそ日本人の思想の根幹と思いたいです.

神も仏もごちゃまぜが先の西行「〜なみだこぼるる」(うろ覚えで済みません
でした)はお伊勢さんで詠んだそうですが,大体僧侶が神社にお参りしたりと
大したものですが,根本的な問題として「色」に執着しない筈の立場で「花」
に魅了されてていい訳ないですから.でも日本人にとって西行の感性は全く
共有できるものであります.「願はくば 花の下にて春死なむ その如月の
望月のころ」(手許文献不在に付き誤植御容赦を)は紀貫之の句同様日本人
に何日までも保たれると思います.(「世の中に たへて櫻のなかりせば 
春の心はのどけからまし」)

武士自身は四書五経から神,仏まで真面目に学び徳目としたでしょう.しかし
真面目に考えたら武士が執政にある事自体が理想に反してしまいます.国学
のやりすぎが高じて尊王攘夷になったとはいえ,実際は国益で大義名分に天皇
を用いたのが本音でしょう.日本人は常にその様に直感的で論理は便宜としか
信用していないのではないでしょうか.論理の誤謬は古来人類の災厄の元凶
であった訳で,論理の非一貫性を愚かさと混同する理由はないのですから.(
所詮,論理思考の行き着く先は「アキレスと亀の競走」ですから)

自分は最近日本の政治は「お神輿」と分析される以上に「悪いようにしない
から」の法則であったと思います.白紙委任で為政者を信用し従順に従う大衆
とそれをある程度意義に感じて悪いようにはしない関係の事なのですが,こん
なのは世界に類例が少なくまして大陸,帝国文明には皆無でしょう.プラトン
の徳治政治が「村落規模」を前提としたにも却らず日本では国家規模で可能
にした奇跡を認識したいです.徳川政権にしても大名の自治を容しわざわざ後
の倒幕の芽を摘みませんでした.世界的にはナンセンスです.

文明が統一帝国となって歴史には華々しくとも大衆は使役される奴隷に等しい
大陸型よりも,温暖湿潤な気候の生産性にまもられた篤実な政治があった島国
がましでしょう.一人の反逆者の為に万人規模で一族ごと処刑する大陸文明の
残虐性を知らぬままに後世に都合善く書かれた歴史書の壮大さだけにとらわれ
て羨ましがる必要はありません.

「悪い様にしない」政治で,リスクをとる代わりに権威や名誉を得たのが武士
でしょう.戦さでは関ヶ原規模のものも整然と短期決戦で収拾させるサムライ
を庶民は遠くの丘から手弁当で高みの見物をし,後に戦利品目当てに回収する
国でしたから.戊辰の役までは庶民は戦から自由の身でした,近代化が平等に
兵役を与えると知って庶民は新時代を望んだでしょうか?その後の大久保ら
の性急な官僚化が軍部官僚を肥大化させ,日本史最大の恥辱の先の大戦300万の
犠牲に至りました.戦後はその恨みが武士の否定に向かう流れを日本の弱体化
を望むGHQと共産勢力合同で押し進めました.その結果が今日の乱れた世相であ
るとすれば「武」不在の悲劇でしょう.

官僚は権力はあっても「責任」は回避します.「切腹」する武士とは違います.
国民の苛立ちを余所に全く国益を無視で自分の出世の為に相手側の利便に奔る
外交交渉に終始する官僚の姿は戦後の「武」を喪失した日本の為体(ていたらく)
そのもです.自分にとっての武士とは力あるものの矜持以上の意味は持ちません.
剣豪である必要もありません.只只万民の為に責任を全うする存在です.その
精神を形成する為に儒学はじめ学問と剣術が有用であったとするなら,今日
の武道もその心を保ちたいとねがいます.

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