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お名前: 匿名希望
通りすがりの者ですが、二万対三百で、死者0ってな、いくらなんでもちょっと…
達人でも、ありえないかと…
お名前: くおん
武蔵に関する史料はたいがいいい加減なものが多くて、後の小説とかまじってかなりどうにもこうにも…。
ただし武蔵に負けたということが明確で、そして一流の兵法者は少なくとも一人います。
神道夢想流杖術の夢想権之助。
のちに武蔵にリベンジを果たしたとも云われていますが、後の杖道の基礎を開いたこの男に勝った武蔵が弱かったことなんてありえない。
あと二刀流は武蔵によるものでは厳密にはありませんが、二天一流は広く伝わっていました。
後の小説でほとんど広まらなかったというのはウソです。
現状ではあんまり残ってませんが、あれほど広まっていた一刀流にしてからがあんまり残ってないのを考えれば、そこらは当たり前でしょう。時代が違う。
お名前: 政宏
上泉伊勢守信綱・宮本武蔵・仏性寺弥助ぐらいしか思いつきませんでした。
このなかでも上泉伊勢守信綱・宮本武蔵の対決がもっとも興味をそそられます。
結果は、より無駄な動きをしなさそうに思える上泉伊勢守かな。
彼は木刀での試合も禁止したそうです、戦国時代の武人で最もやさしさを持った人だったんでしょう。
やはり自分を生かしてくれる尊敬できる人を「最強の剣豪」と称したいです。
竹刀での勝負となれば仏性寺弥助の勝利が頭をよぎります。
しかし、かれは低い身分の出で人付き合いも悪かったので最強でありながら賞賛はされなかったそうです、実力本位の社会ではなかったんですね。
剣豪映画で一番観たいのは仏性寺弥助の一生です。
お名前: 亮
最強は分かりませんが、武蔵が最高だと
思っている。
お名前: けんじろう
私事ですが、母方が、心形刀流継承者の一門です。伊庭八郎が、最強の剣豪ではないかとおもいます。
お名前: 元立ち
仏生寺弥助などマイナーなところは?
錬兵館の天才だったらしいです。
お名前: 強さの果てに
自分の意見としては、誰が史上最強かは、戦わせて見なければわからないでしょう。
というしか、ありません。個人的な意見でいえば、「剣聖」と呼ばれ、狂人に背後から切りかかられて無刀取りを会得した 上泉伊勢守信綱 、若いころは「鬼夜叉」と呼ばれ、妾に裏切られ、酒を飲まされ熟睡している所を武士たちに襲われたにも関わらず、それを切り抜けたり、背後に迫ってくる影を無意識に斬り、「夢想剣」の極意を得た
伊藤一刀斎 、小笠原源信斎から新陰流を習うも31歳で己の剣に疑問を持ち、無住心剣流を編み出した 針ヶ谷夕雲正成 が猫の妙術に至った代表的な三人で、この三人は、
史上最強と呼ぶに値します。小野派一刀流の秘伝書「猫の妙術」というのがあり、その
中に出てくる、眠り猫の境地に達した人は、誰であれ最強と呼んでいいと私は、思います。
猫の妙術
「猫の妙術」は、一刀流の秘伝書とされるもので、剣術を鼠捕りに置き換え、問答式に古猫が修行について説明しています。以下、概略について記載します。
勝軒という剣術者の家に大きな鼠がいます。
勝軒は、飼い猫や近隣の猫にこの鼠を捕まえさせようとしますが、この鼠に歯が立ちません。
やむなく勝軒は数町先にあるところから、並々ならぬという噂の古猫を借りてきて、この鼠を捕まえさせます。
古猫を見た鼠は萎縮してしまい、難なく捕まえられてしまいました。
その晩、勝軒の家に多くの猫が集まり、古猫を上座にして問答がはじまります。
「我々は技量を磨いてきたが、今回のように強い鼠に会ったことはなかった。あなたは、どのような術を遣ってあの鼠を捕まえたのか?」
古猫が答えます。
「思わぬ不覚をとったのは、道理に適った技法を知らないからでしょう。まず、あなたたちがどのような修行をしてきたのかお聞かせください。」
ある猫が述べます。
「私の家は代々鼠を取る家柄であり、その道のことを心がけ、精進し、いろいろな技を身につけた。」
古猫が答えます。
「それは技、技法に偏っているからです。今日では技法が専らとなり、単なる技くらべとなっている。それでは技法が尽きれば終わりです。本来、技には深い真理があり、技を教えるのは、その手段に過ぎません。」
ある猫が述べます。
「私は、武術において気が重要であると思い、気を練ってきた。まず気合で相手に勝ち、その後、声に反応して変化する相手に応じてきた。」
古猫が答えます。
「それは気力を頼みにするに過ぎません。自分が勝とうとするときは、相手も勝とうする。その相手が気勢に屈しない敵であった場合にはどうしますか。」
ある猫が述べます。
「私は、心を鍛錬して、気勢をあげず、争うことなく、相和してきた。」
古猫が答えます。
「あなたの和は自然の和ではなく、考えによる和です。考えて和を為そうとしても、自然の感をふさいでしまうため、妙手は生じません。感にしたがって、ただ無心に、自然に応じることが良いのです。」
古猫が述べはじめます。
「昔、私の故郷にある猫がいました。いつも眠っていて、木で作った猫のようでした。だれもその猫が鼠を捕まえるのを見たことはありませんでしたが、その猫の行くところ、近辺には鼠の姿はありません。私はその理由について4度尋ねましたが、その猫は答えませんでした。これは、その猫は自分を忘れ、ものを忘れていたからでした。真に知るものは言わず、言うものは真を知らないということです。」
この猫達の問答に聞き入っていた勝軒は、古猫にたずねます。
「私は長いあいだ剣術を修行しているが、いまだにその道を極めれずにいますが、先ほどのおはなしを聞き、おおいに悟ところがありました。宜しければ、その奥義を示していただけないでしょうか。」
古猫が答えるには、
「私は獣であり、鼠は食べるもの、人のすることはわかりません。ただ、剣術は人に勝つためのものではなく、変に臨んで生死を明かにする術であると聞いたことがあります。生死の理に徹し、心静かに安らかで平常心であれば、自由自在に変化に応じることができましょう。しかし、この心がなければ、かたちが生じ、敵が生まれ、争うことにもなってしまいます。そして仮に争いに勝ったとしてもそれは偶然であり、剣術の本旨ではありません。敵も自分もなく、考えることなく、なすことなく、動くことなく、無心、無物でいることが肝心です。」
これに対して勝軒が再び尋ねます。
「敵も自分もないとはどういうことでしょうか。」
これに対して古猫が答えます。
「自分があるため敵がいるのです。自分がなければ敵もいません。敵というのは、陰・陽、水・火と同じであり、形があるものには必ず対となるものが存在します。よって自分の心にかたちがなければ、当然対となるものもなく、争うこともないのです。ものも自分も忘れて、静かに安らかに、一切の妄念を絶てば、和してひとつになれます。すべては自分の心の問題であり、迷うようなことがあれば、その心が敵を助けてしまいます。私が言えるのはここまでです。残りは自分で求めてください。師は技を伝え、理を諭すだけで、その真を得るのは自分です。これを自得、以心伝心といいます。教えというものは、自分にはあるが、自分では見ることができないところを、指して知らしめるだけです。師から授かるのではありません。教えることも聞くことも容易いことですが、自分にあるものを確実に見つけ、自分のものとすることはむずかしいものです。これが修行上の一眼目であり、覚ということです。
最近、宮本 武蔵などがテレビや本、インターネットで
馬鹿にされているのを目にするようになったので、良き理解者は、いないものかと探しておりました所、みなさんが、武道の良き理解者だと感じたので、嬉しくなって不慣れなコメントをさせていただきました。
長々しくなって申し訳ありません。
お名前: ヘロドトス
武道の究極は敵という概念がなくなる境地に行くことです。戦国の世が去って江戸時代の剣豪たちが思っていたのは誰に勝ちたい負けたくないではなく、己がどうあるべきかだったのではないでしょうか。勝ち負けはそのあとについてきたように思うのですが・・ 映るとも月は思わず 映すとも池は思わず さるさわの池 この境地に行きたいと修行しています。
お名前: 五味錬三郎
小野次郎右衛門忠明 !
かって仕合った柳生十兵衛三厳曰わく
「わしは小野に対して目付をしたがついに形をとらえることが叶わなかった。
形をとらえられぬ相手に打ち込む術などありようもない」
小野忠明の説いた「多敵の位」
幕末.服部武雄は油小路の闘いにこの戦法で勇名をはせた。
お名前: おま
上泉伊勢守がやはり最強ではないかと思われます。 柳生宗厳がほとんど何もできずに
子供扱い。 丸目蔵人、宝蔵院胤栄など一流の者が挑んでも結果は同じ、彼らが伊勢守に
負けて即、弟子入りしている史実からしても彼が並の強さでないことは否定できないと思う。
世代的には少しずれるが、仮に宮本武蔵が挑んでもおそらく結果は同じようなものだったでしょう。
お名前: 只之一刀流
ただ最強と挙げるのって難しいですよね。
そもそも、最強ってのは何かしらの条件による縛りが無いと決まらないものですし。
条件が無いと成り立たないなら、最強ではないのかもしれませんが。
ただ漠然と最強を挙げるならば…。
核射つ権限がある人に剣を差してもらうとか。
どうでしょう?
有象無象に関わらず最強の剣豪の出来上がりです。
剣豪なんて剣を持っているだけで名乗れるもんです。
真面目に答えれば
最も強い剣豪は
そもそもいません。
…いや、皆さん分かっているとは思うけど一応ね(苦笑)
お名前: 脇差し
武蔵は脇差しで相手を一刀両断したと聞いた事があるけど、
本当なら武蔵に一票。
お名前: 剣豪ファン
何と云っても剣聖と云うに相応しいのは上泉伊勢守信綱だ。
お名前: 柳生十衛
やぎゅうなんて読むのですか?
お名前: 木刀の侍
沖田総司
お名前: 木刀の侍
沖田総司
お名前: 夢
伊藤一刀斎に一票。
お名前: 輪党内
「鎧兜をつけて戦わない新しい剣法」 意味が分からん。
人生が戦の剣豪たちにとって、いかなる状況でもどんな強い相手でも勝つ。
それが最強って物じゃないの。「鎧兜をつけて戦わない新しい剣法」、それしか勝つ
方法を知らない男が最強の筈が無い。
お名前: えいちゃん
柳生兵庫助利厳でしょう。信綱は確かに新陰流の祖、宗厳の師匠筋にあたるが、剣道を戦国剣法の特徴である沈なるかまえから脱却させ、旧式の戦国剣法に改良を加え柳生新陰流を完成させたのは、彼。それまでの伊藤一刀斎や塚原卜伝も強かったと思うが、鎧兜をつけて戦わない新しい剣法では、兵庫助に分がある。なぜ石舟斎が我が子但馬守宗矩に3代目道統をつがせず兵庫助につがせたかを考えればおのずとわかりますよね。柳生家のなかで不世出の天才とうたわれながら江戸柳生の柳生十衛のほうが有名なのはマスコミのせいなのかな。おそらくは同世代の剣客宮本武蔵に勝てる可能性があるのは彼だけ。みなさんもっと勉強してください。
お名前: 陸月
上泉信綱の弟子に丸目蔵人佐がいる。実力は、柳生石舟斎以上と言われる。
お名前: 捨
無住心剣術って、達人が多いよね。一世が五十二回に及ぶ真剣勝負無敗の針ヶ谷夕雲。
二世は、白井亨が日本史上最高の名人と称えた小出切一雲。三世は師小出切一雲を倒し、無住心剣術の神話を崩壊させた真理谷円四郎。その円四郎を倒した中村権内。
お名前: 示現流
東郷重位
お名前: 雲助
上泉信綱に一票です。
お名前: S
私は佐々木小次郎に一票
お名前: 和藤内
針ヶ谷夕雲
お名前: 山嵐
寺田宗有でしょ。千葉周作の師に当たる人物。又二百年来の名人白井亨の師。
寺田宗有、高柳又四郎、白井亨の三羽烏最強の男。
お名前: おぃぃぃ
上泉伊勢守秀綱
お名前: Hide.
URL
To 手無人さん
管理人のHide.です。
空想に遊ぶっていうのもよろしいのではないかと考えております(^_-)〜☆
お名前: 手無人
見てもいない会ってもいない歴史上の人物の誰が最強か?などと、何と信憑性に欠けた
戯言をのたまいよるか。
お名前: 後北条
伊藤一刀斎でしょう。若くして道場の師範となった。
お名前: 二十四
武田物外は、あまりにも天才で危険人物とされた。そのため15歳で国外(城下)から追放される事になる。
お名前: 24
武田物外。近藤勇と試合をしたことがある。近藤は槍を持って試合に挑んだが、対する物外は、二つの木のお椀で戦った。結果は、物外の圧勝。ちなみに、物外は「僧」なので、剣客ではない。
お名前: 趙匡胤
矢張り剣聖と言われた上泉伊勢守信綱でしょう。親町天皇から上殿を許される従四位の位を頂いた剣豪で武将。一流の弟子を数多く育てた正に日本一の剣士です。
お名前: ベイ
中村一心斎は、若き千葉周作、男谷精一郎、斎藤弥九郎が心服したほどの剣の使い手。
お名前: お前ら分かってない
「鬼神」より強かった千葉周作に決まってる。
お名前: 海
上泉信綱凄すぎ。
お名前: 於富(おとみ)
やっぱり「剣聖」と言われる上泉伊勢守秀綱(信綱)が最強ではないでしょうか。理由はいくつも挙げられますが、まず彼は敵を殺すときほとんど剣を交えることなく、たいていの場合最初の一撃で殺すそうです。また戦場においても(この場合槍の描写が多いですが)最強と言われる武田の騎馬軍団二万を相手に、秀綱はたった三百の騎馬(ほとんどが自分の弟子)を率いて突進して行ったそうです。結果は秀綱たちは死者0、彼らのとおった後にはまるで道のように武田軍の屍が累々と横たわっていたそうです。そのまま旋回しまた武田軍に突進して行こうとする秀綱に、あわてて信玄は使者を送り折衷案を持ちかけたと言う話があります。このシーンではないですが剣の天地という書物には、武田軍が秀綱のその姿を「まるで、魔神が通り過ぎたようであった」と語っているところもあり、関ヶ原の合戦において出撃した宮本武蔵の戦果と比べると雲泥の差があるようにも思われます。
剣術、槍や弓、馬術などの武芸一般に優れているだけでなく、戦の戦略を立てるのもうまかった秀綱は、まさにただの「剣豪」ではなく「剣聖」にふさわしい人物だと分かるのではないでしょうか。
因みに柳生新影流で有名な「無刀取り」も、確かに完成させたのは石周斎(すみません字忘れました)ですが、考案し彼に完成させるように命じたのは秀綱(この頃は信綱)だそうです。
お名前: ベイ
水戸の御前試合を扇子一本で制覇した、中村一心斎だと思う。
お名前: 辻
中村権内だと思います。千回に及ぶ他流試合に無敗の真里谷円四郎を唯一負かした男。
お名前: 新免無理斎
やっぱり宮本武蔵ですなあ。彼以外は最強と認められません。そういえば親父の無二斎は吉岡憲法を破って「日下無双兵法術者」と称えられたそうだが本当だろうか?最近は武蔵よりも無に際に興味が沸いてきた。
お名前: ぶう
松林蝙也って知ってる?
お名前: 蓮
私もやはり上泉伊勢守信綱が最強だと思う。理由は刀さんとまぁ同じようなものだが・・・
ただ伊藤一刀斎も捨てがたい。上泉伊勢守信綱と塚原卜伝に勝ったと、何かで聞いたことがある。
宮本武蔵は確かに強く不明な点も多くカリスマ性では右に並ぶものはいないかもしれないが、やはり剣術では彼らより一歩劣るのでは・・・
お名前: 一刀斎
塚原卜伝はどうなの?
お名前: りんご
二刀流という着眼・発想は,無論,他の開祖にも一部見られはするが,武蔵に
おいては,特に際立ったもので,剣術史上大きな意義があると思う。
一刀流(伊藤一刀斎)は,多くの分派を生み,主流となったが,武蔵の剣は,
他に模倣すらできない独特・難解の剣であったことは多くの武術研究家が指摘
しています。
また,上泉伊勢守信綱は,あまたの流派の開祖といっても良いほどに分派を
生み,確かに強かったと言え,強さは武蔵と同格かもしれないけれども,「一
番槍」だとか「武田信玄から信の字をもらった。」ことをその理由とするのは
あまりにも教科書的で,権威主義的だと思います。
少なくとも,評価としては,武蔵の方が「剣豪」という名称にふさわしいと
いえると思う。
お名前: 都民
やはり剣豪に詳しい人なら剣聖と言われた上泉伊勢守信綱を選ぶでしょう、
あの戦国時代に武田信玄からも他の武将に使えられないようにと自分の名前
信玄から「信」の字を与え程の人物ですから。
お名前: りんご
いや,やっぱり,一番は宮本武蔵。実質的に二刀流の創始者である彼の強さ
は広く伝説にさえなるほどに強い。恐らくあまたの有名な剣客の中でも際立っ
ていたと思われる。もっとも,「権威」を持ち出すならば,彼は,むしろ当
時の有名な剣客からも為政者からも,そのあまりの強さゆえに却って疎んじ
られ,仕官もついにかなわなかったから,権威はない。(しかし,武蔵自身
はあくまで有名な剣客との試合を望んでいた。これが後の巌流島の小次郎と
の決闘につながる。)
「権威によるお墨付き」の地位に収まらないほどに彼は強く,利口な剣客
彼を避けた。実際,「柳生宗矩にくらべそうらいでは,碁にていわば,井目
も武蔵強し」と柳生宗矩自身の弟子渡辺洪庵に言わせているほど。(「碁で
言えば,プロとアマの違いほど武蔵が強い」の意)
次には,上泉伊勢守,針ヶ谷夕雲(無住真剣術)。伊藤一刀斎(一刀流)。
幕末では男谷誠一郎が一番。寺田五右衛門,白井亨(天真白井流),山岡鉄舟
(無刀流),千葉周作(北辰一刀流)でしょう。
お名前: 武蔵境の雀
私も上泉信綱だと思います、信綱が一流の剣士と立ち会っていないとの投稿がありますが、箕輪場では上州に一番槍の称号もあり、何よりも一流の剣士が数多く弟子に成っているのが最強の良い証拠でしょう。
お名前: あさま号
なんと云っても直木三十五の接の通り、上泉伊勢守信綱でしょうね、当時のp一流の剣豪達が沢山弟子に成っているし、天皇から従四位下を叙されたのは信綱しかいない。
お名前: りんご
宮本武蔵こそ,最強の剣豪だと思う。
武蔵の戦った相手は,二流・三流の人物だというのは当たっていないのでは?「西国の鬼」と言われた佐々木小次郎と対戦し,見事勝利しているし。むしろ,上泉伊勢神にせよ,塚原卜伝にせよ,有名な剣客とは対戦していないことはすでに多く指摘されているところ。武蔵と小次郎,吉岡との試合こそ,ほとんど数少ない一流者同士の真剣勝負。(なお,五輪書には吉岡については,単に「天下の兵法者」と述べられ,佐々木小次郎については,名前さえ出てはこないことから,実在すらをいぶかしむ人もいるが,しかしこの点などは,あくまで一部の研究家のことばに過ぎない。現実に武蔵は当時から大いに注目され,小次郎がどんな人物だったかはつまびらかではないものの,かなりの剣客として存在したことは疑いない。その他,いにしえの対戦勝負の敗者側のことなど多く記録にとどまらないのも当然で,これはどの剣客についても言えること。)
武蔵がこれほどの伝説となったのは決してまやかしや宣伝上手によるものではないと思う。
お名前: 剣道部
物外は有名ですが・・・
文体も失礼ですし、もう少し世間を知っていただけるとありがたい
お名前: 刀
私としては、上泉伊勢守信綱が最強の剣豪だと思います。「柳生新陰流」の創始者である柳生石秀才の師匠にして、「神陰流」の開祖。あの武田信玄ですら恐れた剣豪であり、何度も信玄から家来にしたいという申し出を受けた人物。しかし断りつづける秀綱(信綱)に対しあきらめた信玄は、敵にならない証として自分の名前から「信」の字を秀綱に与えたといいます。
お名前: 多賀
宮本武蔵は勝ちにこだわってたからね、
ある意味では最強と呼ぶにふさわしい人物だと思うよ。
なにしろ武蔵は真言行者だから、とにかく目の前の敵全てに打ち勝たないと悟りを開けない。だから勝ちにこだわったんだってね。
剣禅一体の剣客等はそういった意味では最強という称号を必要としないかもしれない。
山岡鉄舟なんかはその好例だよね。
というわけで「最強」を本気で目指していた武蔵に一票。
お名前: さうじ
一説には沖田は近藤よりも腕が立つとも言われていたわけですし、弁慶と沖田の話に武田物外を引き合いにしているのはよくわかりません。つか、まぁ、素人の意見ですが。
お名前: 三国志
武蔵坊弁慶と沖田総司では弁慶の方が強いよ。
弁慶とくらべるなら武田物外ぐらいの実力がないと無理だね
武田物外ってしらないでしょみんな?
殺し合いの剣の腕前では榊原健吉の上をゆくといわれた近藤勇(もちろん幕末では最強の一角)
が本物の槍で試合したが軽くあしらわれたんだよ。
お名前: くに
武蔵は恵まれた剣豪だと思います。
吉川英治の小説で広く世に知られるようになりましたし、剣術だけではなく水墨画をよくしておりましたので
その作品を見て評価が下せます。
作品を残した剣豪が他にいるかというと、浅学にして山岡鉄舟くらいしか思い浮かびません。
彼の作品は評価が高いですね。
私は理に趨って実を欠いているように思え好きではありませんが、私が彼の境地まで達していない事の
証明かもしれません。
汚物を喰らって浄穢不二を実戦してみただけとうそぶく胆力には驚嘆しますが、絵を見ると武蔵の方が
うわてに見えます。
お名前: ガロアウス
そうだったの?私は趙雲子龍と張飛翼徳からの合成かと思ってた。
お名前: 趙翼
to くに様
>「趙翼」というハンドルネームは、清朝の歴史家に依るものでしょうか?
はい、そうです。
元々は「史官」となのっていたのですが、ふとした思いつきにより、途中からこの
ハンドルネームにかえさせて頂きました。
>誰が最強かというのは・・
確かに、言われてみればそうでしたね。(うぅむ、無謀なスレをたてたか、じゃが、今更、
後には引けん・・・)
>趙翼さんのお好きな剣豪についてお書きになって、みなさんのご感想でも寄せていただいたらいかがですか?
わははは!これは一本取られましたな。
でも、私の好きな剣豪となると、やはり、宮本武蔵になるんですよね。
何だかんだ言っても、日本有数の偉大な剣豪である事には間違いありますまいしね。
尤も、「最強の剣豪」としてあげるのは、少し自重しますが・・。
お名前: くに
面白そうなトピなのにレスが付かないようですので。
まぁ、つなぎのつもりで…。
「趙翼」というハンドルネームは、清朝の歴史家に依るものでしょうか?歴史がお好きな方なのかな?
誰が最強かというのは、例えば武蔵坊弁慶と沖田総司が戦ったらどちらが強いかと聞かれているようなもので、
答えられないんじゃないかという気がします。
趙翼さんのお好きな剣豪についてお書きになって、みなさんのご感想でも寄せていただいたらいかがですか?
映画「雨あがる」の三沢伊兵衛を素晴らしいとお考えの方もおられるようですが、そんなのもありでいいのかな?(笑)
お名前: 趙翼
あれから、なかなかレスがつかないな〜。
あ、そうだ、スレタイにもあるように、別に「歴史上の最強剣豪」だけじゃなくて
、例えば「自分に剣道の何たるかを教えてくれた恩師」と言った、「自分にとって
最高と思える剣だ尾家」のお話とかもして下さるとありがたいと思います。
自分としては、何も技術をあげるだけが剣道ではない、自分や回りの人の人格向上や、
信念を作り上げる為の剣道があってもよいではないか、と思っていますし、また、
技術的には(歴史上の剣豪と比べ)普通の人でも、すばらしい物を御持ちになっている剣士は
沢山いるではないか、という観念を持ってますので。
ま、お暇があって、「少しカキコしてやろうか」という木徳な方がいらしたら何か下さい。
to 無名武将@お腹せっぷく様
>Hide.さん
仰る通りです。
このような立派なサイトを立ち上げて、そこに自由自在に我が駄文を書かせて下さっている事、
感謝に堪えません。
お名前: 趙翼
to (−。−)様
「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」(孫子)ですな。
確かに、仰る通りだと思います。
只、私の言葉が足らなかった為とは言え、誤解して頂きたくないのは、
「武蔵は最強ではない云々=弱いペテン師という事ではないと言う事です。
例えば、『三国志』なんかで「諸葛孔明」の名を上げると、今でも多くの人が
『正史』に描かれているような「戦の指揮には多少問題があったものの、高潔かつ
誠実で、優秀な政治家として蜀の国を支え、人々から慕われていた名宰相」ではなく、
『三国志演義』に描かれる「鬼神をも欺く、完全無欠な智略を持ち、時には妖術や超能力の
類までも駆使した半神半人の奇才」として捉える人が多くおり、「宮本武蔵」についても、
インタネ等で色々な情報が集められる今においても、未だ「超人的な剣術を駆使する鬼神」
のイメージを持っている人達がかなりいるようなので、釘を指す為に件の一文を書かせて頂きました。
しかし私は、例え史実の武蔵が、一般のイメージの武蔵と比べられても、その偉大さに
遜色がつく事はないと思っています。
あの「生き残る事すら困難」な戦国時代において、天寿をまっとうしたと言う事はやはり特筆
すべき事でしょうし、また、後継者をしっかりと育成して、「ニ天一流」の礎を揺るぎ無い物と
した教育者としての優秀さも称賛されてしかるべきでしょう。
そして、瞬時に相手の実力を見抜く見識も「見事」の一言に尽きます。
こうして見ると、やはり彼は「第一級の剣豪・人物」であったと言えると思うのです。
只、一般の方がイメージするような「鬼神の如き剣神」でもないので、一概に「最強剣豪」
と認定するのは早計だとも思われます。
ご理解頂けましたでしょうか?
つまり、私は「剣豪としての武蔵」を考える時、「超人的な偉大さ」から推し量るのではなく、
「(超人ではないが)人間的な偉大さ」の側面から量るべし、と申し上げたかったのです。
お名前: Hide.
URL
趙翼さん、ユニークなトピをおたてくださいましてありがとうございます(^^)
私自身は歴史マニアではありませんし、どちらかというと苦手なほうですので、「最強の剣豪」
を考察するに十分な知識を持ち合わせておりません(^^;
皆様からの闊達なご意見を楽しみにしてしておりますヽ(^.^)ノ
お名前:
Hide.さん
お名前: (−。−)
宮本武蔵は、勝てる相手とのみ戦い、勝てない相手とは戦わなかった。
とされている。
ある意味ではこれは笑い話かもしれない。
だが私はそれはそれで凄いと思う。
正に相手と自分との力関係を瞬間的に把握していたのだろう。
お名前: 趙翼
一般の人々のイメージでは、宮本武蔵なんかが「最強の剣豪」に当るんでしょうが、
よくよく武蔵関連の史料なんかを調べていくと、武蔵の戦った相手の殆どは二流・三流の者が
殆ど(つまり、剣術家としてはズブの素人レベル)で、一流の相手と戦った事は殆どないらしく、
そういう連中に勝ちつづけた事で、武蔵を最強とするのはちょっと難があると思われる。
では、一体誰が、真に「最強の剣豪」と称されるのに相応しいのだろうか?
皆さんからの五位剣、御要望、ご批判、罵倒、煽り等、お待ちしてま〜す。
このテーマについての発言をどうぞ。
※半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
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