このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment
トップページ > 記事閲覧
剣の理法とは?
日時: 2016/03/13 19:03:50
名前: だみ声  < >

剣道を習い始めると、初段審査の筆記試験で、「剣道の理念」を記述する問題が多く出題されると思います。
これが制定されたのは比較的新しく、昭和50年(41年前)だったと思います。 同時に「剣道修練の心構え」も
制定されました。
僕が昭和39年に大学生になって剣道部に入ったころには、まだ制定されておりませんでした。 その後、いわゆる
「リバ剣」して、これらの文言と出会いました。 平成19年には「剣道指導の心構え」が制定され、指導における
基本として、剣は相手に向けると同時に自分に向けられたものでもあり、「心気力一致」を目指す事、相互の人格を
尊重し、礼法を重んじること、そして生涯剣道として「人間形成の道を見出す指導に努める」とあります。

そして理念として「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」と教えられます。 ここまでは普通に読めば
それだけなのですが、はたして「剣の理法」とは何だろう?  そしてそれを修錬すると「人間形成」するのでしょ
うか?
その前に人間形成って何だろう?  そして「剣の理法」と「人間形成」の関連性とは?

僕の考えですが、剣の理法とは文字どおり有効な剣の扱い方で、最も良く「切る」ために刀をどのように使うのかと
いう事だと思います。 力任せじゃなく、力学的にも物理法則通りに、刃筋正しく「スパッ」と、切り口も平面で鮮
やかに両断するような切り方が出来るように刀を扱う事です。
ただし、いつの時代も真剣でこんな事(終局的には切り合い)ばっかりしておれませんから、刀を意識において竹刀
で「切り合い」の訓練を繰り返しております。 ところが全く真剣を使わなくなった現在では、「当てる剣道」にな
り、「切る剣道」と次第に距離が離れてしまいます。 この距離が遠すぎてはよくないので、竹刀を扱う時も「刀」
を意識においてやることを忘れず「稽古に励むこと」が「剣の理法の修錬」だと理解しております。
この点に満足できない人は、真剣で「抜刀術」や「試斬」の稽古をして、本当に「切る」感覚を磨いているのではな
いでしょうか?

以上の事をもって「剣の理法」の全てだとしたら、どのように「人間形成」と繋げるのでしょう?
実は以上の事は剣の理法の一部なので、その他の部分をもって、人間形成へとつながる理屈が存在していると思うの
ですがいかがでしょう?  ただしこの理屈はいささか抽象的です。 心理的要素を含んでおり、哲学的思考も動員
するのではないかと思います。

では、剣の理法の物理的要素以外の部分とは何でしょうか?
実は全剣連が挙げているこの「剣道の理念」については全剣連の詳しい解説文が見当たりません。 あるのかもしれ
ませんが少なくとも簡単な検索では出て来ないようです。 あえて成文化せず、各個人に「考えろ」と言うのかもし
れませんが、最近は「剣道で人間形成なんてできっこない」と言う言葉も散見するようになっております。 そんな
はずないと思うので、いろいろ考えてみたのが今回の投稿なのです。

上記に書いた部分は、理(物理法則)にかなった刀の使い方であり、その他部分とは「切る以外」の現実(心の在り
方)の捉え方だと思います。
刀を物理法則の通りに動かせば、いとも簡単に切ることが出来る事は、実際に切った事のある方には理解できると思
います。

刀を持って戦う時、その結果は、「勝つ=生きる」あるいは「負け=死ぬ」です。 極端な場合「相打ち」で「双方
が死ぬ」もあり得ます。 この場合、どちらかが1/100秒程度長生きするに過ぎない事も起こります。
真剣勝負を想定して、いつも真剣で稽古する事などやはりできない訳ですから、模擬的に木刀などで稽古してきまし
たが、それでも鍔の強度は危ういもので、怪我の続出は避けられなかったと思います。
結果として「組太刀」と言う各流派ごとの真剣な「形稽古」が主流だったようです。
そんな背景の中、防具が開発され、竹刀を刀として実際に打ち合う(切り合う)稽古が出来るようになってきました。

こうして竹刀の打突による剣術となり、武士のたしなみとして幕府も奨励しました。 幕末の混乱した一時期、道場
稽古に強かった人が、真剣による切り合いで同じように強かったかどうかは不明です。
しかもしょっちゅう切り合いが行われたわけじゃなく、武士にとっても「刀を抜く」事自体尋常な事でなかったわけ
ですから、問題解決のほとんどは対話によったはずです。 ここには「交戦力」ではなく、「交渉力」が求められます。

結局は切る技術は学ぶし上達もしますが、それを行使するのでなく、自己の精神を高め、徳を積み、信用を得る優れ
た人材となる方向へと自然に成長する事だったのではないでしょうか?  全剣連制定の剣道の理念では、それを一
言で「人間形成」と表現したのだと思います。 「文武両道」の範疇でもあります。

結論として剣の理法とは、刀の物理法則に基づく扱い方を習得すると同時に、それを行使しないで実生活に生かすこ
とで社会秩序を平穏に保ち、社会を成長させると言う意味であり、稽古によって心身を修錬し、習得した技術と知識
の実践をもって「人間形成」へと繋いでいると解釈しております。

いろいろなご意見を伺いたいと思います。
メンテ

Page: 1 |

Re: 剣の理法とは? ( No.1 )
日時: 2016/03/13 23:38:50
名前: 通りすがり 

剣道は斬りあいの練習ではないという意見があるサイト
>>引用 剣道の技法は「機会を捉えて初太刀を打ち切る」ことにあります。
引用終わり
http://hakudoh.com/wp/study/page_0501/page_02


柳生但馬守宗矩が剣好きな将軍に剣を通して修身と治国の術を教育したとする説を、ネット上で普及したキャラを使ってコミカルに描写
http://tagenmatome.blogspot.jp/2009/07/blog-post_06.html
引用
&#8226;外伝その3・後編5「活人剣・治国平天下の剣、その礎3( 政 『武家諸法度・儒教』)。そして総論」
引用終わり、時間がない方はまずはここだけ

これらが、だみ声さんが提起した問題を考えるうえで役に立つような気がしたので紹介いたします。
これらがみなさんの目にどう映るのかも気になっています。
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.2 )
日時: 2016/03/14 07:00:44
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

管理人のHide.です。

へ〜、調べてみたことがありませんでしたが、剣道の理念を全剣連は解説していないので
すね。そういうことこそきちんとしておくべきなんじゃないのかなぁ。

「剣道修練の心構え」というのも全剣連は発表してますよね。
これに沿って稽古をしていくことによって、「理念に到達せよ」ってことだと思いますが


私は「剣道が人間形成の道」なのではなく「剣道にどう取り組むかによって人間形成の道
となる」のだと理解しています。取り組み方が悪いと「高段位だが怪しい人格」という方
がおられます。これは自らの修業が間違っていたということですから「恥ずかしいこと」
ですよね。

審査を受けられる前に、剣道の技術云々だけではなく、まず自分がその段位にふさわしい
人格(人間性)を持っているかどうか自身でチェックするべきでしょうd(^-^)!
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.3 )
日時: 2016/03/20 17:41:54
名前: 三七式ヨシ 

三七式ヨシと申します。
非常に難しい問題であるとともに、この後の書き込みについて、まだまだ修行中で実践できていないことをお断りしておきます。

「剣の理法の修練による人間形成の道。」
ですが、言い換えれば、剣道の修行をしていく中で、より良い人格を作っていくことであると理解しています。

まずは、剣技を磨き表現が難しいですが、端的に言えば強くなることを目指すこと。
その中で、出あった人(先輩後輩を問わず)や、先人たちについての文章などから学び、よりよい人格を作り上げることではないかと思います。

剣の理法とは、その時の理にかなった扱いをすることではないでしょうか。

攻め勝って、乗って打つ、先をかけてお相手の浮いたところを応じるなど、場面によって理にかなった竹刀の操作、体さばきなども含まれるものと思います。

これは、一朝一夕では出来ず、身に付かせるためには反復練習、対人練習が必要になります。
剣道の上達には対人練習が必要であり、それに伴って礼法があると思います。

礼について、時々頭を下げる行為を礼と勘違いされている方をお見受けしますが、そこには感謝の意を表することが入っていないせいではないかと思っています。
行為としての礼ではなく、自分の上達に力をお借りしたという感謝の意を表する気持ちがあれば、それなり形になるのではないでしょうか。
そういう私も、学生のころは列を作っての移動稽古時に、会釈程度の礼をしていましたが。

また、相互の礼、特に地稽古等で最初と最後に礼をしますが、お相手の動きに合わせることが大切で、試合中にお相手の動きを読む練習にもなると思っています。

「自分以外、皆師」であることを念頭に置き、見習うべきは見習い、自分がされて嫌な気持ちになるものについては、反面教師として学ばなければいけないと思います。

また、なるべく子供たちに対して話すことは、自分が実践するよう心がけています。
例えば、少し遠回りでも歩道を渡ったり、切り返しの時は速さよりしっかり左手を面の上まで上げたりするようにしています。

時々、地方大会のエキシビションの紅白対抗戦などに出場しますが、勝つことを目指してはいるものの、負けても気持ちの良い負け方をしたいと思っています。
全日本選手権や世界大会を拝見すると、勝敗にこだわりすぎ子供たちには見せたくない試合がちらほら見受けられます。
参加される選手の方々のプレッシャー、勝敗へのこだわりなど私の理解できる領域ではなく、立ち合えば秒殺されるのは間違いないでしょうが。

私が子供の時にご指導いただいた先生は「注意は出来ても、直してやることは出来ない。」とよくおっしゃってました。
これは、剣道の技量向上のことのみでなく、人間形成についても当てはまることだと最近思っています。

結局は、本人が気づかなければ、改善することは周りの人間に出来ない訳です。

このお言葉を胸に、修行を続けたいと思っています。
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.4 )
日時: 2016/04/06 01:03:13
名前: だみ声  < >

通りすがりさん、Hideさん、三七式ヨシさん コメントありがとうございます。 返信がすっかり遅くなってしまい
ましたがお許しください。

通りすがりさんのおっしゃる「治国平天下の剣」「武家諸法度・儒教」も
Hideさんのおっしゃる「段位にふさわしい人格(人間性)」も
三七式ヨシさんのおっしゃる「剣道の修行をしていく中で、よりよい人格を作っていくこと」も、
基本的に僕が言わんとしている範疇の内容だと解釈しております。

一方で、特に若い剣士の間では、「本当に剣道で人間形成できるの?」の疑問があるんじゃないかと思うのです。
反対に世の中には、剣道やってなくても立派な人格者(人間形成できた人)が大勢います。
つまりは「剣道をやらなければ(剣の理法を習得しなければ)人間形成できない」と解釈できる「剣道の理念」に対
する漠然とした疑問、あるいは反論があるのじゃないでしょうか?

世の中には、「いわゆる技を極めた人」が大勢おります。 ある人は陶芸家であったり、ある人は絵師であったり、
医師であったりしますが、NHK番組の「スゴ技だっ!!」で極めてハイレベルの球体を研磨する職人とか、紙飛行機
を1m×1mのダクト20mを通過させる技などに取り組む人々などは、究極の技を具現(究極の技で高度な製品を仕上
げる)しているわけす。
こういう製品を、求める性能が出るように技を注ぎ込んで仕上げる過程には、手先の器用さ以外に、もっと広い視野
をもって自分の仕事を眺め、常に集中し、さらに他業種の技も習得して制作に当たらないと目指す品質にならないの
ではないでしょうか?
特に制作過程で経験する「失敗」に対する謙虚な見直しと、そこを改善し、向上を目指す姿勢には、「究極」を求め
る真摯な探求心がうかがえます。
そして僕は、番組の最後で彼らが語る「本音」の中に、彼らの単に「職人」や「技師」としてだけじゃない人間的な
一面を感じるのです。 そしてそれが「人間形成」の一面だと感じてしまうのです。

彼らが語る「本音」の中には、その途中には「そんなの簡単だ」で取り組んだけれど、とんでもない隘路にはまり込
んで「もがき苦しんだ」と言う言葉もありました。 まさにその道の「理法の修錬」であり、乗り越える工夫の中に
は、「自分と真剣に対峙する」訳で「邪念など全くない」自分にならなければブレークスルー出来ないのだと思いま
す。
そういう自分に自分がなっていることに気付かないで取り組んでいると、世間の人は「出来た人だ!」と評価するの
ではないでしょうか?  言い換えればそういう人が人間形成の道を知らず知らず歩んでいるのだと思いますし、剣
道で言えば、剣の道を究める工夫に取り組んでいる人にも、自然について来る評価が「剣道の理念」に言う「人間形
成」と考えていいのじゃないでしょうか?

分かりやすく書きかえれば、『人間形成とは、その道を究めようと真剣に取り組む過程で自然に備わる人格のような
ものであるが、終焉もない』であって、「道」は剣道だけじゃない、と言うのはいかがでしょう?
我々剣道家は、その「道」を剣道を通じて実践しようと日夜工夫を重ねているのではないでしょうか?
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.5 )
日時: 2016/04/06 08:43:21
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To だみ声さん

私は常々、剣道の理念は「剣道でなければ人間形成ができない」ということを表している
のではないと考えておりますし、拙サイトでも教えている子どもたちにもそう話していま
す。

おっしゃる通り、剣道はあくまでも一手段にしかすぎません。
ただ、竹の棒をもって殴り合いをする剣道は、方向性を間違えると暴力になり、腕自慢、
技自慢に陥りやすい要素を持っている。勝つことのみを尊いと考える勝利至上主義はその最たる例です。
それゆえ、その方向性を明確に示し、単に技術のみを追求することではなく、「同時に人
間性も高めていかなければいけませんよ」という戒め(指針)を与えているのが、この理
念なのだという解釈です


理念を剣道をおやりにならない方に吹聴して回れば「傲慢な競技だ」と誹りを受ける可能
性があります。これは、我々剣道を学ぶ者が常に心に秘めて修行しておくべきもので、
「剣道を学んでいるから人間ができている(できる)」などと勘違いしてはいけませんd(^-^)!
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.6 )
日時: 2016/04/07 13:10:02
名前: くらけん 

だみ声さん、こんにちは。どうもタイミングが合うようで、私が取り組んでいるトッピクでしたので、私も参加いたします。

剣道指導理念委員会のメンバーであった小川忠太郎先生は「剣の理法」についてこのように語られたそうです。

なぜに、刀を差さない現代に「剣」という字を用いるかというと、この「剣」の中に剣道の特色で一番大事なものが入っているからである。
真剣であるからやり直しがきかないという気持ちが入っている。それが小手であっても、斬られたら、もうお終いである。単なる練習ではないのだという厳粛な気持ちが入っている。
また、この「剣」のなかには、同じことは二度とない。どう来るか分からないものに対して、いつも新たな気持ちで対応しなければならない、という気持ちが入っている。
そういう精神を残していこうという意味で、「剣」の一字が入れたのである。
(「刀耕清話−小川忠太郎の遺した魂」より)

私なりに突き詰めて考えると、
- 生死は生物の根本問題
- 時代をさかのぼり真剣での立会いでは、それは生死の問題であり、少し切っ先が触れただけでも出血してしまえば、処置が遅れ出血多量で死んでしまうかもしない
- 真剣で立ち会うことはそんな生きるか死ぬかの場面であり、竹刀を使う剣道において「刀である」という意識を常に持つことができれば、
その「生きるか死ぬか」の場面を疑似体験として、人としてどうあるべきかについての学びの場となる
- だからこそ「一足一刀の間合い」は間違いないなく怖いところ。その間合いでどうあるかだけではなく、その間合いに入るためにどう準備するのかも当然に考えなければならない
- その間合いとは人生におけるそれぞれの「場面」と捉えることができる
- そうすれば、剣の「道」、どう生きるべきかという終わりなき「道」となる
- ただ当てればよいではスポーツ。ガッツポーズで終わればよい。それでは勿体ない。剣道を通じて、その人間の根本問題でもある生死についてしっかり向き合おうではないか

と。

これを小学生に伝えるのは大変です。同委員会ではどの目線でこの理念を制定すべきかの議論があったそうです。結局、高い層(4段以上)とし、
子どもたちには教えている指導者が噛み砕いで諭すべしとなったようです。その噛み砕いたものが「修練の心構え」であるのですが、
まだまだ抽象的な部分もあり、どう伝えるべきか試行錯誤の毎日です。
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.7 )
日時: 2016/04/08 01:37:11
名前: だみ声  < >

Hideさん
>「剣道でなければ人間形成ができない」
とか
>「剣道を学んでいるから人間ができている(できる)」
   と言う勘違いをしてはならない!!
という事は僕も基本的に同感であり、そう書いてきたつもりです。
   そうでないように受け取られたならば、それは今回の僕の書き方がまずかったのだと思います。

何事によらず、高度な技を探求して行くという事は、初期の内はその技の究極を追及しているのだが、そのさらに上
のものを追及する道があることに気付き始めると、「技に魂を宿す」ような取り組みとなり、その究極は「人間形成」
なのだと言いたかったのです。 こういう書き方に自分でも「飛躍」を感じますがご理解いただけるでしょうか?
そしてそれはその人の人間性として、ごく普通の日常の生活をする上での「生き方」や「考え方」に反映され、自然
と尊敬や敬意をもって周囲の人が接するようになる… と言いたかったのです。

従って
>『人間形成とは、その道を究めようと真剣に取り組む過程で自然に備わる人格のようなものであるが、終焉もない』
であって、「道」は剣道だけじゃない… として見たのですが、
   『人間形成とは、「技と心」の両方の向上を同時進行させて達成を目指す道だ』と言う方が分かりやすいでし
ょうか。

元より技術探求にも、人間形成の道にも終わりなはいものと理解しております。


くらけんさん
コメントありがとうございます。
小川忠太郎先生の言葉は、まさにその通りで、「真剣勝負」の特色です。 「やり直しがきかない」のではなく、「や
り直しはないっ!」ですから、「負け=死ぬ」でおしまいです。  これは明らかに剣道の特色です。 他の競技に
はない考え方です。
ただし真剣を竹刀に持ち替えた時「競技」として扱う事も出来、現代剣道ではそれが全部とも言えます。 そこには
「叩き合い」と言うだけでも競技は成立するかもしれませんが、剣道としての醍醐味は消滅し、もとより競技として
は勝敗の曖昧さゆえに、早晩廃れていくでしょう。

剣道が今も盛んにおこなわれている理由は、明らかに「剣の理法」に対する自らの理解を深め、人間形成への道を模
索する剣士がいるからであり、剣道が単なる「たたき合いじゃないもの」と言う理解が浸透しているからではないで
しょうか?
特に剣道の指導者にとって、教える相手(老若男女)に対して避けて通れない大切な指導内容なのだと思います。
メンテ
Re: 剣の理法とは? ( No.8 )
日時: 2016/04/08 06:58:45
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照: http://ichinikai.com

To だみ声さん

結局、二人で同じことを繰り返し言っているってことですね



To くらけんさん

管理人のHide.です。

「剣」のもつ意味、非常に大切ですね。

指導者として、「竹刀道」でなくて「剣道であることの意味」を子どもたちにもしっかり
伝えていけるように頑張りたいと思います。

ありがとうございました
メンテ

Page: 1 |

Subject 入力禁止
Title 入力禁止
Theme 入力禁止
題名 スレッドをトップへソート
名前
E-Mail
URL
URL
コメント中には上記URLと同じURLを書き込まないで下さい
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

クッキー保存