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体罰についてどう思いますか?
日時: 2013/12/14 22:58:54
名前:  

剣道界は体罰の嵐です
ですがそれらは何故か黙認されています
暴力を肯定する方があまりにも多いです
暴力は暴力でしょう
殴ったり蹴ったりしてもそれは指導なのですか
もうすぐ寒稽古の時期ですが、またあちこちで体罰が行われるのでしょうね
皆様はどうお思いですか
いい加減暴力を無くしませんか
メンテ

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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.95 )
日時: 2014/02/01 06:53:19
名前: 道心 

toだみ声さん

心が温まるような家族のお話をうかがう事ができ、
ありがとうございます。
先にも書きましたが、そうならないための指導が
大切と再認識いたしました。

体罰に関しても、いもむしさんが話されていたような
クソガキに対して、言っても分からない場合は
手を上げるのも致し方ないとの考えでしたが、
実際そういう生徒に会う機会はないですし、
(もし自分の指導する部にいたら、退部させます)
昔剣士さんの言われるような特殊な事例と思いました。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.96 )
日時: 2014/02/01 07:36:36
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

クソガキに関してですが、クソガキには大概クソ親がくっついています。
親まで理解した上で指導にあたらなければならないことも事実です。

最近はぶっとばすよりも「帰れ!」と怒鳴ることが多い私です。
でもそれって「指導放棄」ですから教育的には「どうなのかな?」と思っています。

暴力を肯定するわけではありませんが、クソガキを遠慮なくぶっ飛ばしていた当時の方が
きちんとお相手と向き合っていたのではないかと考える次第です。
もちろんぶっ飛ばすだけではなく、あとのフォローもきちんとしてました。

そういう生徒たちの方が、卒業後や大人になってから妙になついてくれていたりします。


さて、殴る叩くという行為は感情に訴える行為です。
聞く耳を持たないお相手にショックを与え、有無を言わせずこちらの主張(正論)を聴か
せる効果があると考えます。それが、だみ声さんが例示されていた「娘さんを叱った」件
だと思います。もちろん別の方法もあったでしょうが、多分それは、娘さんの心にも深く
刻まれた(プラスに)ことだと思います。
そしてそれは「懲罰」のための「叩き」ではないと考えます。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.97 )
日時: 2014/02/01 12:08:15
名前: 道心 

toだみ声さん

先ほどの返信に書いたクソガキに対してのくだりは、
私自身の考えですので、だみ声さんに言ったわけでは
ないので、誤解なさらないようお願いいたします。

to Hide.さん

>最近はぶっとばすよりも「帰れ!」と怒鳴ることが多い私です。
でもそれって「指導放棄」ですから教育的には「どうなのかな?」と思っています。

この気持ちも良く分かります。
体罰が禁止である以上、指導放棄もやむなしと
考えています。
中には「それでいいのか。」との意見もある
のでしょうが、仕方ないでしょう。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.98 )
日時: 2014/02/01 19:09:04
名前: はくどー 
参照:

皆さん、こんにちは。

先のレスで、私は、

>やはり剣道界はコンプライアンスの意識が少々低いのかなと感じた次第です。

とコメントさせて頂きました。

本来、私の感想の対象を正確に書くのならば、

 いちに会の掲示板にご参加の皆さんの中の一部の方々に対して、コンプライアンスの
 意識が少々低いのかなと感じた次第です。

と書くべきだったろうと思います。

それなのに、なぜに先のコメントで「やはり剣道界は...」という表現に至ったのか。
それが正にこのコンプライアンスの重要性に関わる部分だと思います。

ちなみに「コンプライアンス」という言葉を聞き慣れない方もいらっしゃるかも
しれません。その場合は、ネットで語彙検索するか、下記のページなどをお読みに
なってみてください。

 コンプライアンスとは 〜 コンプライアンスの必要性 〜 など
 http://www.internalcontrol-navi.com/request/compliance/outline.html

上記サイトの中の「企業」という言葉を「道場」に、「利益」を「成果」に読み替え
ながら目を通して頂ければ、私がこれから申し上げたいことの概略はご理解頂けるの
ではないかと思います。


さて、ひと頃、食品偽装が問題となって世間を騒がせたことがありました。

そこで、もしも食品業界の記者会見のような公開の場で、一般消費者の立場にある記者から、

  食品業界は誤表示の嵐です
  ですがそれらは何故か黙認されています
  偽装を肯定する方があまりにも多いです
  偽装は偽装でしょう
  ・・・(中略)・・・
  またあちこちで誤表示が行われるのでしょうね
  いい加減偽装を無くしませんか

という趣旨の質問をされたとします。

皆さんが食品業界に身を置く立場だったとしたら、どのように回答されますか?。


たとえば、その発言をした記者に対して、

  あなたご自身の発想の中で「誤表示」と「偽装」の区別についての認識を示して
 頂きたいです。

などと逆質問したりしますか?
 
あるいは、

  私は、
  1).誤表示≠偽装(誤表示は偽装ではない)と認識しております。 ただし
  2).誤表示≒偽装(誤表示は偽装に含まれる事がある)とも認識しております。そして
  3).誤表示と偽装の間に、明確なボーダーラインはない、と認識しております。

などと前置きした上で、誤表示と偽装の違いを例示し、

  私は、「誤表示」=「必要善」と定義しているのです。

なんていう回答をしますか?     ...しませんよね。


私が申し上げたいことは、皆さんにももうお分かりになって頂けますね。
物事は、ほんの少し立場を変えて考えてみると、その本質が見えて来ることがあります。

誤表示であって偽装ではないなどというのは業界側の論理であって、一般の消費者にとっては、
「誤表示」も「偽装」もまったく同じことです。ですから、誤表示と偽装の違いを
業界関係者から懇切丁寧に説明してもらっても、何の問題解決にはなりませんし、
むしろ食品偽装に関する疑いをますます強くするばかりです。

消費者が望むことは、二度と食品偽装の問題が起きないように対策してくれることと、
正しい表記に基づいた安全な食品を提供してもらうことなのです。

同様に、剣道指導の場において、体罰と暴力の違いなどは指導者側の論理です。
世間一般の目から見れば、「体罰」も「暴力」もまったく同じだと思います。

保護者や社会全般が剣道指導者に望んでいることは、「体罰」の言葉の定義だとか
「体罰」と「暴力」の違いを説明してもらうことなどではなくて、二度と暴力事件を
起こさないようにするという確固たる決意とその具体策の明示であって、その上で
正しい指導に基づいた安全な稽古を普及してくれることなのではないでしょうか。

それなのに、本来ならば過去の反省に立って最も襟を正すべき立場にいるはずの
業界人や剣道指導者自身から、こうした公開の場で、
「私は誤表示肯定派です」とか「体罰肯定派です」などという発言を堂々とされて
しまったら、それが大勢の中のたった一人の発言だったとしても、
世間は「やはり食品業界は...」「やはり剣道界は...」という目で見てしまう
のではありませんか。

そうすれば、「食品偽装を根絶しよう」「暴力問題を決して起こさないようにしよう」
と毎日毎日一生懸命に努力している大勢の関係者に多大な迷惑をかけることになって
しまうのではないでしょうか。(たとえ、ご本人にそのつもりが無かったとしてもです)

私も一人の剣道関係者として、ここに危機感を感じてしまったものですから、
突然の飛び入りコメントをしてしまいました。

決して特定個人を非難したり攻撃したりする意図はございません。
あくまで一般論として申し述べましたことをご理解ください。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.99 )
日時: 2014/02/01 19:09:58
名前: はくどー 
参照:

だみ声先生へ

おそらく私よりご年配と思われるだみ声先生に対し、飛び入りして横から失礼な
コメントを差し上げるご無礼をお許しください。

また、先のコメントでは、あくまで一般論と申し上げながらも、だみ声先生の過
去レスの一部を引用編集したかたちで掲載し、結果として個人を特定して批判し
ているような文章になってしまったことを深くお詫びいたします。


だみ声先生がおっしゃりたいことの真意は、私も十分に分かっているつもりです。

だみ声先生が決して暴力指導者などではなく、非常に熱心で心の温かい人望ある
指導者であることも理解しています。

そして、日々指導と教育のはざまで、様々な苦慮をしておられるであろうことも
想像できます。

でも、教育現場における剣道指導者という立場にいらっしゃる先生が、このよう
な公開の場において「体罰を容認」するような不用意な発言をなさってはなりま
せん。

先にも書きましたとおり、剣道指導の場には、ほんの些細なことからでも、体罰・
暴力に発展する危険性が潜んでいます。

ですから、指導者は常に細心の注意を払って指導に臨む必要がありますし、それ
でも発生してしまう可能性のある事故に対しては、すみやかに的確な対処をして
その被害を最小限に食い止める必要があり、さらに最終的にはどのような結果に
なろうともその責任を負う覚悟をもっていなければなりません。

それなのに、日頃から「私は体罰肯定派です」などという主張をしていたら、も
しも万が一、だみ声先生の指導の場で些細な原因からの事故が発生してしまった
とき、周囲は「あの指導者は、インターネットで体罰を肯定していた。今回の事
件もきっと行き過ぎた指導による体罰の結果だろう」という憶測を生まないとも
限りません。

そうなれば、これはもうだみ声先生お一人の問題ではなく、先生の指導の場にお
ける周囲の関係者はむろんのこと、ここ「いちに会」に参加されている皆さん、
ひいては剣道界全体にまで波及し、「やはり剣道界は自浄作用が働いていない」
というレッテルを貼られてしまうことにもなりかねません。

ですから、どうか「体罰肯定論」は速やかにご撤回ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.100 )
日時: 2014/02/01 19:10:51
名前: はくどー 
参照:

再び、だみ声先生へ
(続きです)

さて、その上で、だみ声先生がスレ主蛍様のご発言に対して、本当におっしゃりた
かったのは、次のようなことだったのではありませんか。

  剣道の指導には、剣道をよく知らない保護者や第三者の目から見ると、
  それが「体罰」や時には「暴力」に見えるような指導がある。
  しかしそれは、決して「暴力」などではなく、ちゃんと指導的意味合い
  を持った昔ながらの稽古法なのだ。
  剣道をよく知らない人が、表面的なものだけを見て、何でもかんでも
  「体罰だ」「暴力だ」などと騒がずに、私たち指導者を信頼して、
  その指導の成果、結果を正しく見極めてほしい。

言葉の表現は多少違うでしょうが、おおむねこのような趣旨ではないでしょうか。


例を挙げれば、次のような稽古です。

私が子供の頃の合宿稽古です。

指導の先生に懸かってゆくと、ふらふらになるまで懸かり稽古をさせられた上に、
「駆け抜けが遅い!」と叱咤されながら隣の柔道場に走り込むほどに引き回され、
足下がふらついたところを大人の体躯で上からのし掛かられて床に押し倒され、
先生が馬乗りになって防具の面を外し、その面を遠く道場の入口近くの廊下に放
り投げられ、再び立たされて今度は素面のまま正面打込の連続、そして切り返し。
ようやく蹲踞して放り投げられた面を取りに行くと、「邪魔だから、廊下に出て
面を着け直せ!」と怒鳴られ、廊下で急いで面を着けて次の先生にまた並ぶ。

こんな稽古の繰り返しでした。

傍目から見たら、きっと体罰・暴力まみれの稽古に見えるでしょうね。
もしも私の親が見ていたら、「先生、やめてくれ」と懇願したかもしれません。
しかし、残念ながらこの時代に親が子供の部活を見に来ることはありませんでした。

でも、このような「荒稽古?」にも、指導的意味合いはありました。

剣道初心者は、どうしても身体に力みが入って、伸びのある打込みが出来ません。
その身体の力みをほぐす目的を持って行われる稽古法の一つに「懸かり稽古」や
「打込稽古」があります。次から次へと連続して打ち込みを行うことによって力
みをとって伸びのある打込が出来るよう導きます。

先生は、私たちに懸かり稽古を課しながら、力みがとれてきたところを見計らっ
て柔道場の畳の上へと私たちを誘導し怪我をさせないように押し倒し、仰向けに
寝かせて胴の上に馬乗りになったまま腹を押して腹式呼吸で息を整えさせながら
私たちの面を外し、外した面は稽古中に躓いたりする危険が無いように、道場の
入口から外の廊下に出し、再び立たせて、今度は素面で私たちの表情や顔色を確
認しながら体力の限界を見極めつつ、私たちの視野が開け、呼吸も整った状態で、
力みのとれた伸びのある面打ちを行わせる。
蹲踞後は、わざと廊下へ追いやって、私たちが廊下の傍らにあった水道の蛇口に
かぶりつくのを見て見ぬ振りして給水させ、また急いで面を着けて列に並ぶよう
仕向ける。おかげで面着けも素早く出来るようになりました。
また。稽古前の準備運動の時には、柔道場の畳の上ででんぐり返しをしながら、
転んだときの受け身のしかたも習いました。

本当に厳しい稽古でしたが、私の剣道の基礎の基礎を造る上で、とても役に立っ
た稽古だったのだろうと、当時の先生に感謝しております。(今はもうお亡くな
りになられましたが)


内容は多少違えども、だみ声先生も、上記のような心のこもった情熱ある指導を
されているのではないかと推察いたします。であるからこそ、厳しい稽古も必要
であるという思いを持って、「体罰も時には必要」というような表現をとられて
しまったものと思います。

でも、体罰は絶対にいけません。

そして、上記のような稽古であったとしても、万が一事故が起こってしまえば、
その責任を問われる事態となってしまいます。

私たちの先生は、そうなったときの対処とその責任をしっかり自覚した上で、私
たちを厳しく指導してくださっていたのだろうと私は信じています。


さて、私たち剣道関係者が今為すべきことは、剣道界がこのような厳しい世間の
目にさらされていることを自覚しながらも、剣道の伝統的稽古法、指導法を正し
く次代に伝えてゆくよう努めることではないかと思います。

事故が起きたら怖いからと厳しい稽古を回避したり、体罰はまずいと子供を甘や
かせるような指導をしてしまったら、これもまた本末転倒だと思います。

私たちがやるべきことは、剣道における様々な伝統的稽古法の意義と目的をしっ
かりと学んで理解した上で、安全に最大限配慮しながらその稽古を行うと同時に、
それを第三者にもしっかり分かるように説明できる、いわゆる「説明責任」を果
たせる能力を身につけられるよう日々研鑽することだろうと思います。

そういう目的を持って、こうしたスレッドでは、

  「私の道場では伝統的にこのような稽古を行っています」
  「その稽古の意義や目的は、このようなものです」
  「でも、この稽古にはこんな危険が伴います」
  「その危険を回避するために、私たちはこのような対策を立てています」
  「結果、その稽古によって、このような成果が上がりました」

というようなことを互いに披露し批評し合える場になれば、ここを見ている保護
者の方や第三者の方々にも、剣道の稽古の奥深さを知っていただく機会になるの
ではないでしょうか。

以上、長々と生意気なことを書き連ねて申し訳ありませんでした。



Hide.さんへ

もう、10年以上も前のことになりますでしょうか。Hide.さんもご存じのとお
り、私自身が開催したオフ会において、参加者にアキレス腱断裂の事故を招いて
しまったことをとても反省しています。怪我をしたのが、たまたま私の親友だっ
たものですから、なんとか事なきを得たものの、あれが他の人に連れてこられた
お子さんだったらなどと考えると、今でも身の毛がよだつ思いです。あの折も、
参加してくださった電剣会の皆さんばかりではなく、開催に協力して下さった方
や会場を提供してくれた方々にまで多大な迷惑をかけてしまいました。

現在、武蔵会という団体を率いる立場にあるものとして、今回のようなコンプラ
イアンスに関わる問題には過剰に反応してしまいがちです。
突然の飛び入り横レスをどうぞご容赦下さい。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.101 )
日時: 2014/02/01 23:37:24
名前: 昔剣士 


はくどーさんのコメントは、個人を指してとも受け取
れますが、剣道界全体で受け止めるべき忠告として認
識させて頂きます。

有難うございました。

道心さんへ

様付けして頂けるほどの者では有りません。

どうぞご自由にお呼び下さい。

>手を上げざる状況を作らない指導を模索したいと思います。

御理解頂き有難うございます。

より良き指導をお願いします。

早速で申し訳ありませんが、一つだけ気に成る点が有
りますので意見を申し上げます。

Hide.さんの

>最近はぶっとばすよりも「帰れ!」と怒鳴ることが多い私です。
でもそれって「指導放棄」ですから教育的には「どうなのかな?」と思っています。

「帰れ!」と怒鳴ることは「指導放棄」では有りません。

指導放棄と思う事こそ、法律を無視して運用されてい
た時代の産物です。

このHideさんの行為こそ正当な手段で指導放棄などで
は有りません。

そもそも、そこで体罰を振う事が違法で適切な指導で
はなかったという事です。

躾と学校教育が混然として扱われて本来教師が行うべ
き行為以外を教師が担ってきたということでしょう。

そういう事に長年従事されてこられた方ほど混乱され
てしまうのでしょうが、こらからはそうでは無いとい
う事です。

本来、学校の集団生活に支障がないように躾けるのは
保護者の責任です。

保護者に躾ける能力が無ければ、学校では無く別の法
律で規定された別の機関で行われるべきです。

教育と躾は分けて考えるべきです。

教師がそういう生徒に翻弄されて本来の職務に影響
すれば、一番の被害者は真面目に学校に来ている大勢
の一般的な生徒です。

私は、問題のある生徒を切り捨てろと申しているので
はありません。

その生徒の発育に応じてそれにふさわしい機関で教育
か躾されるべきだと申しています。

体罰の運用を厳格に行うのならば、当然躾についても
厳格にすべきだと思います。

当たり前のことを当たり前に行うという事です。

Hideさんへ

>聞く耳を持たないお相手にショックを与え、有無を言わせずこちらの主張(正論)を聴か
せる効果があると考えます。

現行ではもう認められていないのですが、従前でも
正論が十分に検討されたもので客観的に認められる
ものであれば問題ないのですが、個人の独断であった
場合で、子供が別の価値観であったら、殴られた子供
はもう二度と心を開かなくなるでしょう。

そういった問題も有るので、以前より体罰禁止と成っ
ていたのだと思いますが如何でしょう。

Hideさんがそうだとと言っている訳では有りませんの
で誤解なきよう願います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.102 )
日時: 2014/02/02 07:01:31
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To はくどーさん

管理人のHide.です。
お久しぶりです
また、わかりやすく問題を整理していただきまして感謝致しております。

主催した大会や錬成会、稽古会での怪我は、主催者として一番悩ましいところです。
「自己責任で」とあらかじめご納得いただいているはずですが、それでも、心を痛めます
ね。そのあともその人が元気に顔を見せてくれれば何ら問題はありませんが、それをきっ
かけに姿が見えなくなると…。

体罰とは違い、偶発的な事故ですが、命に関わるようなことも起こらないとは限りません。
今回のはくどーさんの書き込みは、心したいと考えます。



To 昔剣士さん

「指導放棄」ではないのでしょうか?
出てくる子は指導できますが、稽古に出てこない子は指導できません。
出てきているにもかかわらず「帰してしまう(もちろん、帰るような子はおりませんが)」
のはやはり「指導放棄」になっていると思います。

それに、この手法は学校教育(とくに公立の義務教育)では通用しないでしょうし。

指導者が「自衛」のために、こうした手段を余儀なくされるのだとすると、あまりにも寂
しいことです。人間と人間の関係がどんどん希薄になっていく世の中にこそ危惧を覚えま
す。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.103 )
日時: 2014/02/02 10:25:16
名前: 昔剣士 

Hideさんへ

>出てきているにもかかわらず「帰してしまう(もちろん、帰るような子はおりませんが)」

結局は指導できているではありませんか、特殊な場合
を除けばそれで十分だと思います。

これは、殴られる側の元クソガキの感想ですが、確か
に殴られて良くなったケースもあったのですが、殴ら
れた事で心を閉ざし面従腹背をし指導に成っていない
ケースも有りました。

思ったほど効果はないということです。

殴った方は、自身の強い意志を示したと自己満足でし
ょうが、殴られた方に伝わらなければ(悪い行動が改
善されなければ)同じ事です。

様々な子供がいます、同一の行動が同じ結果を生む
とは限らないという事です。

>それに、この手法は学校教育(とくに公立の義務教育)では通用しないでしょうし。

逆にそういう方向に進むとみております。

学校教育法は置くとして、その人の将来に責任を持つ
ものだけが殴れると思いますよ。

親、師弟関係の師匠、普通はそれくらいでしょう。

現代では師弟関係は稀ですので親という事になります。

これからは、特に親の躾が問われることになるという
ことも合わせて申し上げております。

>人間と人間の関係がどんどん希薄になっていく世の中にこそ危惧を覚えま
す。

殴る殴らないにかかわずということではありませんか?

殴ったから濃密、殴らないから希薄ということではないでしょう。

どうかかわるかという事が重要だと思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.104 )
日時: 2014/02/02 10:44:37
名前: 昔剣士 


上記の親だけが殴れるの件は、好きに殴ってよいと
いっている訳では無く、簡単に他人が殴れるものでは
無いということ申し上げておりますので誤解なきよう
願います。

念のため。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.105 )
日時: 2014/02/02 21:39:31
名前: だみ声  < >

このスレッドで「体罰と暴力、その相違点と重複部分」について議論を重ねていただいた皆様。
100を超える意見交換(しかも文字のみ)の中で、各種感情のもつれも含みつつ、それこそ丁丁発止
の真剣なやり取りを実施して、ついには、親馬鹿一刀流先生、はくどー先生(二刀流の達人と認識して
おります)のご説明をいただきました。

結論から申せば、誤標示と偽装の比喩を理解した時点で(体罰と暴力を置換しての比喩)細かい相違は
抜きにして、僕の今の認識は「体罰は暴力に限りなく近い」と位置付けることとします。
それでも不足だとおっしゃる方もおられると思いますが、現時点における僕の思考回路にはまだ先の思
考の「残像」があります。 いずれ消えると思いますが、親馬鹿一刀流先生、はくど―先生の説得力あ
るご説明により、認識変更するに至りました。

昨晩寝床で横になって考えつつも、なかなかまとまらず、寝るに眠れず、かと言って書き込むには混乱
もあって、支離滅裂状態でした。
そして今日は、早朝から市役所主催の駅伝マラソンのスタッフとして会場に立ち、その後昇段審査会場
へ移動して、中学校剣道部の教え子の審査に立ち会い、二段1名(2年生)、初段1名(1年生)、(い
ずれも13歳規定による早めの受審者)の合格を得て、気持ちが吹っ切れた思いとともに、一気に書き
込んでいる所です。

特に昨晩寝ながら思った事は、喫煙者には大変肩身の狭いご時世ですが、かつては「成人は喫煙するも
の」が当たり前だった事を引き合いにして考えておりました。
今やたばこに関する社会的認識は「喫煙は体に毒」であり「間接的な喫煙」も嫌煙権として確立してい
ることにかんがみ、同じ土俵で体罰と暴力を検討すると、大勢が認識している「体罰=暴力」はもはや
社会的合意のレベルとしなければならないと悟った次第です。

更に僕が体罰肯定論者と言いつつも、行使してきた事実は極めて少ない事や、自他共に認める「子供大
好き人間」な僕が過去の指導に於いて、いろいろ書いて来た「悲喜こもごも」もご理解いただいている
事を知り、これ以上誤解を生む可能性を維持しつつ、一つの思想に拘るのは年寄りの「頑固さ」の何者
でもなく、進歩が停滞するだけという結論を得ました。

ご不満をお持ちの方もまだあるとは思いますが、僕の認識は先に書いたとおりです。 今後は気持ちを
新たにして、更に後進の指導に(決して剣道は上手ではありませんが…(汗))かかわって行きたく思
います。
皆様、本当にありがとうございました。


スレ主の「蛍」さん
最後になりますが、剣道の稽古風景は「棒を振り回す事」を訓練する内容を削除できない宿命にありま
す。
その稽古風景のどれもが、体罰・暴力のオンパレードなどではない事を良くご覧いただきながら観察し
ていただきたく思います。 大声でやる稽古ですから、視覚的に激しさを感じている所に、聴覚的にも
激しさを感じる事も事実ですが、それの大部分(「全て」と言えないのが残念です)が、真剣で真面目
な稽古風景なのだと言う切り口も併せ持ったお気持ちで剣道をご覧いただきたく思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.106 )
日時: 2014/02/03 01:18:45
名前: 親馬鹿一刀流 

だみ声さん

だみ声さんの返信に対し、更に色々な事を考えておりました。
考えをまとめてから書き込もうと思っていたのですが、先にだみ声さんの書き込みを読むに至り
だみ声さんのお考えは認識しました。。

恥を忍んで書きます。
実は私、剣道指導において痛みを使って指導した事が過去に数回あります。
出来ていない事を分からせるために特定の部位を認識させる行為です。

だみ声さんのピシャリとは大きく違います。
悪い事を行った際に行う罰とは明らかに違い、剣道の技術を指導する為に行ったのです。
また、おふざけをする子供に対して、今日は気持ちが落ち着くまで見取り稽古だ。
体育館の隅で座って稽古を見ていなさいと命じた事もあります。

怪我をさせる行為ではありませんし、一定程度有効な手段と思っておりました。
現在は認められない行為ですし、なぜかやらなくなりました。

再度自分に対し確認の意味で書きます。
体罰と暴力指導は違う。
体罰は子供達が悪い事をしなければ起き得ない。
技術が未熟なのは子供達の責任ではない、指導者の責任。
技術・体力の向上の為には、生理学的に現在の技術・体力に対し適正な負荷を掛けなければならない。
指導の名を借りて必要以上の体力負荷、痛み、精神的な苦痛を与える行為は暴力である。


昔剣士さん

書き込みを見落としておりました。
ご推察の通り、私は一般的な剣道(全日本剣道連盟流とします。)とは少し違う事を習ってきたと思います。
ご指摘の中の
>なにより、自身の考えと違う団体に所属しているとい
う自己矛盾が説得力に大きく影響しています。

ですが、私の社会人になってからの師匠が全日本剣道連盟に属さなかった影響もあり20歳から
40歳手前まで全日本剣道連盟に加入しませんでした。
30歳過ぎから少年指導に関わるようになり、必要にせまられて現在は全日本剣道連盟に加入
しております。
また、私は地域の少年剣道の団体の一員ではありますが学校教育には関わっておりません。

そんな経歴なものですから、誤解を受けるような発言があったかもしれませんがご容赦をお願いします。

小学生に上段を教えるのは上段の形まで振りかぶって打つ事を指導するためです。
突きを教えるのは構えが正しくないと突く事ができない事を教えています。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.107 )
日時: 2014/02/03 01:49:42
名前: ザビエル 

私は過去 教育に携わってたこともあり書かせていただきます。体罰には色々あります。文字通り身体に罰(苦痛) を与えることです。もし、少年団で月謝をもらってる場合は、剣道をさせないで立たせるのも体罰、他の人が休憩しているときに、腕立て伏せや走らせるのも体罰になります。暴力ですが、言葉の暴力もあります。下手、何回言ったらわかる、お前だけできてない、等々。身体的ストレス障害にもなることがありますので、指導者は難しいですが、頑張って頂きたい。一保護者としてでした。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.108 )
日時: 2014/02/03 07:18:54
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 昔剣士さん

>結局は指導できているではありませんか、特殊な場合
>を除けばそれで十分だと思います。

それれはたまたまです。
殴ったからといって効果が上がるケースと上がらないケースがあるように、「帰れ」と言
われて帰らなかった生徒でも、指導ができない場合があります。
そのケースにも「面従腹背」がありえるのです。


>殴ったから濃密、殴らないから希薄ということではないでしょう。
>どうかかわるかという事が重要だと思います。

おっしゃる通りです。



To ザビエルさん

管理人のHide.です。

懲罰のために有形無形に苦痛を与えることが体罰と考えることができます。
それはあってはならないことだと考える次第です。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.109 )
日時: 2014/02/03 19:33:21
名前: はくどー 
参照:

だみ声先生へ

早速に、ご理解ご配慮いただき、ありがとうございます。

ただ、少々しつこいようですが、私の比喩の仕方が悪かったからか、一点だけ誤
解があったようなので、再度コメントさせて頂きます。

>大勢が認識している「体罰=暴力」はもはや社会的合意のレベルと
>しなければならないと悟った次第です。

私は、「体罰=暴力」が社会的合意レベルだから、「体罰」を行ってはならない
と申し上げたのではありません。

「学校教育の現場」においては、「暴力」はむろんのこと、社会通念上許容され
ている範囲内の「体罰」であっても、「学校教育法」という法律の下で「(全面)
禁止」されているので、その「学校教育の現場」で剣道指導を行う立場にいらっ
しゃるだみ声先生が、当該「学校教育現場」において、仮に限定的であったにし
ろ「体罰を肯定する」旨のご発言を公開の場でされるのは控えるべきでしょう。

ということを申し上げたかったのです。

言い換えれば、学校教育法が及ばないところにおける「体罰」までをも、「全て」
否定しているわけではありません。

私は、人間として社会生活に適応してゆく上で必要とされる「躾け」や「適応教
育」の手段として、「体罰」というのは(限定的ではありますが)必要な場合が
あるという認識でおります。

これは、おそらくだみ声先生の思いと共通する認識だろうと思います。

夜遅く帰宅した娘を平手打ちにするのは、平手打ちによって娘に与えた肉体的苦
痛を超える肉体的・精神的・社会的苦痛が娘自身やその娘を取り巻く環境(親兄
弟、友人、関係者など)に将来襲い来る危険性を事前に排除するため、最小限の
痛みを持って娘に学習させる、いわゆる「戒め」の目的を持った「体罰(だみ声
先生がおっしゃるところの必要善)」なのだと思います。

そして、通常はこのような「体罰」の行使の後には、「言い聞かせ」という、体
罰を行使した目的や意義や効果や対策などに関する説明が伴います。私が先に述
べた「説明責任」というのは、こういうことも含んでいるとご理解下さい。

また、一方で、どんな崇高な目的を持って行われた「体罰」であっても、「暴力」
との境目を第三者が判定することはなかなかに難しいものです。

ですから、こうした「体罰」を行使できる人というのは、昔剣士先生が先のレス
で明快におっしゃって下さっているように「その人の将来に責任を持つ(ことが
できる)者だけ」であろうと、私も思います。

「学校教育の現場」では、この重い責任を全ての教師に負わせることが出来ない
ため、「体罰全面禁止」となっているのだと思います。ですから学校教育法の定
めは、生徒を守るためというより、教師を守るためと考えた方が納得できるかも
しれません。


なお、「体罰」と「暴力」の違いを論ずれば、これ以上は言葉遊びになってしま
いそうですので控えますが、

>100を超える意見交換(しかも文字のみ)の中で、各種感情のもつれも含みつつ、

が、ちょっと気になりましたので...もう一点だけ。

このスレッドの発端であるスレ主蛍様のご発言の裏には「剣道の指導形態そのも
のが体罰や暴力のように見える」という思いが見え隠れしているように感じられ
ました。

ですから、スレ主様の問題提起に応じて、剣道指導者がまず議論し明確にすべき
ことは「剣道の稽古・指導法」と「体罰・暴力」との違いだったと思います。

ところが、これをすっ飛ばして最初から「体罰」と「暴力」の違いの議論に入っ
ていってしまったため、これを本題に戻そうとされた方との間で「議論がかみ合
わない」状況が生じてしまったように見受けられます。

私は、どちらのおっしゃっていることも正論だなあと感じておりましたし、両者
のご意見からいろいろの勉強させても頂きました。

ありがとうございます。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.110 )
日時: 2014/02/03 19:34:26
名前: はくどー 
参照:

皆様へ

ここからは、私の私論です。
具体的な研究や論文に基づいたものではありませんので、「ソースは?」などと
突っ込まないようご容赦願います。m(_ _)m


はるか遠くの昔から農耕民族である日本人社会の基盤には、各地域に根ざした
「ムラ社会」とも言うべき「地域コミュニティ(地域共同体)」の存在があると
考えます。

農村部では、上流から下流に流れる一本の水利を中心に大勢の人間が集まり、共
同で農耕をし生活を営むための共同体を形成してきました。都市部でも、一定の
地域内でそれぞれが商工業の様々な分野を分担し合い、その地域内での自給自足
が図られるような仕組みが作られてきました。

自らが所属する「地域コミュニティ」が崩壊するということは、自らの生活の基
盤を失うことになりますから、人々はそのコミュニティを存続させるためにあら
ゆる知恵を絞りました。

その一つが、「職・住・育 一体化」です。つまり、仕事をする場所、住む場所、
教育を施す場所が全てそのコミュニティ内に存在するようにします。

特に、コミュニティを永続させるためには後継者の育成が大事ですから、人々は
子供の躾や教育にはコミュニティ全体で取り組みました。

所属するコミュニティの後継者にふさわしい人間を育てるため、自分の子供であ
ろうと他人の子供であろうと分け隔て無く接して、厳しい躾や教育を施すと同時
に、その子供たちの将来に対する責任もコミュニティ全体で負っていました。

一方で、コミュニティの秩序を乱し、その存続に障害となる人物が出現すると、
いわゆる「ムラ八分」という手法でそれを排除し、秩序を守ってもきました。
(この是非は別の機会にでも)

こうした地域コミュニティの根幹は、縄文弥生の時代からつい近年まで、時代に
よって支配階級が多少変わろうとも、大きく変化すること無く連綿と続いてきた
ものと思います。


ところが明治以降、狩猟民族であったヨーロッパ人の文化が大量かつ急速に流入
し、長い間続いてきた日本の「地域コミュニティ」の在り方に変化が見られ始め
ました。

先ずは、家内制工業から工場制工業への移行に伴って「職域コミュニティ」とも
い言うべき新しいコミュニティが従来の「地域コミュニティ」とは別に形成され
るようになりました。いわゆる「職場社会」の出現で、「職・住 分化」が始ま
りました。

この「職域コミュニティ」は、始めのうちは「地域コミュニティ」に包含される
程度ものでしたが、二度の世界大戦を経た戦後の高度経済成長期に入ると、交通
網の発達と「金の卵」と称される農村部から都市部への若者の大量移動によって、
「地域コミュニティ」の存続を脅かすようになりました。

それまで都市部において形成されてきた従来型の「地域コミュニティ」の中に、
他の「地域コミュニティ」で育ってきた人たちが大量に流入してきたわけです。
しかもその流入者たちが生活の基盤としているのは、その地域とはまったく関係
ないところにある「職域コミュニティ」でした。

当然、前住者と新住者との間のコミュニケーション(意思疎通)が不十分となり、
様々なトラブルが発生しました。

そのトラブルを回避するために、人々は「地域コミュニティ」には極力関わらず、
互いのプライバシーを重視して、隣人との距離を置くことを選択したため、「地
域コミュニティ」は急速に弱体化してきました。

「地域コミュニティ」が弱体化し、教育の役割を担えなくなってくると、人々は
より高度な教育を求めて「越境入学」や「私学への入学」を模索し始め、今度は
「地域コミュニティ」とは別の「教育コミュニティ」が新たに形成され、「職・
住・育 完全分離」の状態となりました。

ある一つの「教育コミュニティ」に属している生徒の生活基盤となっている「地
域コミュニティ」や親の「職域コミュニティ」が生徒それぞれに違えば、教師は
生徒の将来まで見据えて責任を負うような長期的視野に立った教育がしにくくな
ります。

また、学校教育現場は教師自身の「職域コミュニティ」でもあり、これを数年で
異動させられる状況にもなってくると、躾や社会適応教育のように、時には体罰
も必要とされるような教育を教師に担わせるのは少々酷な面が出てきます。

昔剣士先生が、「躾は家庭で」とおっしゃっているのは、このような理由による
ものと思います。


一方、仕事の合理化によって、人々は「余暇」を手に入れました。「余暇」とい
うのは、人間の生活時間から「生理的必要時間(睡眠、食事など)」と「労働時
間」を差し引いた時間です。

昔は、一部の特権階級を除いて、一般庶民に「余暇」などほとんどありませんで
したが、近年は多くの人々が「余暇」を手に入れられるようになりました。

この「余暇」を利用して、それぞれが「趣味」を行うようになり、同じ「趣味」
を愛好する人同士で「趣味コミュニティ」を形成するようになりました。野球や
サッカーのチーム、生け花や茶の湯の教室、俳句や釣りなどの愛好会です。剣道
の町道場や剣友会なども「趣味コミュニティ」と言って良いでしょう。

そして、学校教育では担いきれなかった躾や社会適応教育の一部を、このような
「趣味コミュニティ」が担う場面も出てきました。「趣味コミュニティ」には、
学校教育法が及ばないため、体罰を伴う指導や教育もある程度は許容されます。

そして、それが良い方に働いて成功を収めた事例もいくつかありましたが、一方
で問題を起こした事例も確実に存在しました。やはり、その子供の将来にまでき
ちんと責任を持つことの出来る資格と覚悟のある指導者でなければ、体罰を含む
指導や教育をすることが出来ないからでしょう。

ただ、私は、「剣道」こそが、こうした「趣味コミュニティ」の中にあって、躾
や教育の一部をしっかりと担うべき「コミュニティ(共同体)」に成長して行け
る可能性があるのではないかという思いを持っています。

しかし、残念ながら現状では難しいでしょう。

剣道がそういう「コミュニティ」に成長してゆくためには、現状の競技性(ゲー
ムスポーツとしての側面)を捨てる覚悟が必要です。

それこそ「絵に描いた餅」と言われそうですが、極論すれば、剣道の発展のため
には現行の剣道競技は不要だと思っています。
(あくまで私論ですから...これについては、また機会があれば...)


最後に、これまで述べてきた「コミュニティ」に加え、もう一つ新たなコミュニ
ティが急成長してきております。フェイスブックなどのSNSに代表されるよう
な「バーチャルコミュニティ」です。Hide.さんが運営されているこの「いちに
会」も「バーチャルコミュニティ」と言って良いでしょう。

「バーチャルコミュニティ」の存在は、世界中で様々な問題を引き起こしている
面もありますが、運用の仕方、活用の仕方次第では、未来の「コミュニティ」の
在り方を大きく変える可能性を秘めていると思います。

ですから、これまで現実の「趣味コミュニティ」と仮想の「バーチャルコミュニ
ティ」を、この「いちに会」を通して本当に上手に融合しながら発展させてきて
いるHide.さんのご活躍をこれからも期待し心から応援しております。

長々と「私論」におつきあいいただき、ありがとうございました。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.111 )
日時: 2014/02/04 00:26:15
名前: 昔剣士 

はくどーさんへ

剣道は武道として昇華できれば、世界でも唯一無二に
成れる競技だと思っています。

全面的に支持させて頂きます。

が、一つだけ、私はまだまだで足りぬ事だらけの人間
です。

先生はご容赦頂きますようお願い申し上げます。



Hideさんへ

>「帰れ」と言
われて帰らなかった生徒でも、指導ができない場合があります。
そのケースにも「面従腹背」がありえるのです。

仰る通りですが、元クソガキとしてはもうひとつ、
振り返れば、叩かれた事より覚えているのは言葉
です。

その時は意味が解らず、興味がないような顔をして
おりましたが、人生の時々に応じて、この事だったの
かとかと感心させられる事も多いのです。

そういう時に師の偉大さを実感します。

Hideさんのお説教もちゃんと指導に成っていると思い
ますよ。

親馬鹿一刀流さんへ

学校教育法は置くとして、

御事情は存じませんが、やはりその団体に属するので
あれば理念とルールは守るのが筋だと思います。

殴る、蹴る、投げるというのはやはり剣道では有りま
せん、あくまで剣の理法の習得により、道を知るとい
うことが前提ですので、それらを入れるとなると全く
別の競技と成るでしょう。

別の団体所属の方が、全剣連ばかりが剣道では有りま
せんというのは理解できるのですが、所属しておいて
というのは理解できません。

いわゆる、ダブルスタンダードではありませんか?

私は否定しますが、100歩譲って

剣の理法の習得の為に他競技技を取り入れた稽古をしている。

ということであれば、ある程度筋はとおると思います。

しかし、それでも安全性の確保(床で投げられる装備
ではない等)に問題が有ります。

体罰云々よりも、筋論、安全性に問題が有ると思いま
す。

多分子供達の為にそうしてらっしゃるとは思います
が、そうであるのなら、なおさら筋論は重要ではあり
ませんか?
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.112 )
日時: 2014/02/04 14:08:15
名前: 剣道未経験パパ 

皆さん、色んな意見がありますね...
思うのですが、体罰を肯定される方や否定される方両方が居られるのは、ご自身が過去の経験上でここまでは体罰でここからは暴力と線を引かれる基準が違うのだと思うのですが
個人的な意見としては体罰も暴力も相手を傷つけることには変わらないと思います。刑法で言うところの傷害罪に当るのではないでしょうか?
昨今の学校指導教育においても体罰は禁止となっておりますが、誰を守るではなくコンプライアンスの遵守によるものではないでしょうか。

高校野球などは、ニュースなどで取り上げられていますが、暴力(指導者の認識は体罰)行為による対外試合禁止、活動の停止などあります。柔道においても問題として取り上げられてもいます。剣道でも大きなニュースになっていませんが耳にすることがあります。これらを考えて暴力、体罰の排除が必要だと思っています。

自分自身、子供の頃の学校やスポ少などで体罰の経験ありますが、本人や保護者を含め納得していた部分が大きかったと思います。
コメントされてる方で体罰を有る程度、容認されてる方はこれらの経験から来ているものだとおもいます。
今の保護者世代がこれらの経験をされてる方が少なくなってきているため、体罰が容認されなくなってきているのではないかと感じています。
ゆとり世代、小子化などなど子供に対しての政策がこの10〜20年で変わって来ている中で、協会や連盟などはまだまだ昔の体制であり、武道などは特にそうだと思いますが、今の時代にあった指導方針に替えていくことも中央で管理しているところの仕事だと思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.113 )
日時: 2014/02/04 15:55:53
名前: 親馬鹿一刀流 

昔剣士さん

「子供達をひっくり返したり壁に押し付けたり押さえ込んだり、振り回す事」を稽古の中に取り入れ
る事は子供達の体力・技術を把握して行う分には意味があるという考えです。
大変効果のある稽古法なので大いにやりましょうという事ではありません。

また「殴る、蹴る、投げる」も普段の稽古でやっている訳ではありません。

初心者向けの具体的な稽古内容を書いた方が良いでしょうか?

以下の動作を入会時に一緒に行います。
・9歩の間合いからお互いに歩み寄って手のひらを合わせて軽く体当たりをして下がる。
・同じ動作で手のひらが合う瞬間に体を反転させてすり抜ける。
・上記の動作で腕を掴んで軽く投げる(転がしはしません)。
・上記の動作で投げる瞬間に肘打ち等の動作を見せる。
刀がどんどん短くなって無くなっちゃったらどうなるか?合気道みたいになるよと説明して
・竹刀で打つ動作をさせ、上記の掴む投げるを見せる。
・先に説明した肘打ち動作を模して面返し胴の動作を見せる。
・歩み足、開き足、送り足の動作が含まれている事を説明する。
袴を着けたら
・肩、腰を打たないように注意するように声を掛けて床の上で横に転がる、前転を行う。
・尻餅をつく様にして背中を丸め後頭部を打たない様に稽古する。
・防具を着けている子には受身動作をやらせる。

>別の団体所属の方が、全剣連ばかりが剣道では有りま
せんというのは理解できるのですが、所属しておいて
というのは理解できません。

私の剣道に対する個人的な考え方ですので、やむをえない事と思うのですが。
私の考えでは、剣道という大きな円の中に、
全日本剣道連盟(剣道・居合道・杖道)。
全日本剣道道場連盟(剣道・居合道)。
日本体育協会(スポーツ少年団(剣道))。
日本剣道協会
各流派の古流・居合、合気道等。
の小さな円が複数あるベン図のイメージを持っています。
重なっている部分もあれば、交わらない部分もあります。

私は、全日本剣道連盟に所属しながら、一刀流の型稽古を習ったり、無双直伝英信流の居合道を
習ったりしましたがいけない事でしょうか?
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.114 )
日時: 2014/02/05 00:24:07
名前: 昔剣士 

親馬鹿一刀流さんへ

>私は、全日本剣道連盟に所属しながら、一刀流の型稽古を習ったり、無双直伝英信流の居合道を
習ったりしましたがいけない事でしょうか?


剣道をしながら、他の競技をしてはいけないと言って
いるのではありません。

居合道、杖道についても、必要とあらば稽古されても
結構だと思います。

私が申し上げているのは、居合道、杖道、合気道、柔道等々ではなく、剣道で、しかも蛍さんのご覧になったであろう稽古の事を想定して論議をしています。

御自身は大大円総じて剣道と仰っているようですが、
私の場合は全剣連の剣道を指しています。

蛍さんの場合が必ず私のそれとは限りませんが、その
シェヤ及び別段違う団体等と読み取れる部分も無いの
で全剣連の剣道という事で話を進めています。

全剣連が全て正しいとは言い切れませんが、他競技と
混ぜて、それも剣道というのは、やはり違うのではな
いかと思うのです。

稽古に他競技の動きを取り入れる事までは許容できる
のですが、「刀が無くなった」の状態は剣道ではない
というのが一般的だと思います。

なにより、それも剣道として稽古の範疇で有るかの如
く表現するのは、一般の方に誤解を生じると思います。

御自身以外のその心得の無い人が真似をして、そのような稽古をしていると想像して頂ければ、それは如何に危険な稽古だと御認識頂けるもと思います。

これからが本題と成るのですが、

まず、私は御自身を批判しているのではないということを申し上げておきます。

ただ、理化が出来ないと申しあげているだけです。

御自身のお考えに依ると、剣道は総合格闘技との事、
刀が無くなれば組み伏せるとの事ですよね。

であれば、それを禁じている団体に所属する意義は
あるのかという事です。

これが、御自身の総合格闘技の稽古の一環で全剣連
の剣道をするために所属するということであれば理解
できます。

であれば、一般的には剣道では無いと申し上げるしか
ないとなるのですが、如何でしょう。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.115 )
日時: 2014/02/05 02:54:55
名前: いもむし 

剣道は、全剣連で理念が定められております。
「剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である」となっております。
 
一番わかりやすいのは、日本剣道形だと思いますが、これは、数多くの流派の形を参考に、人間形成に役立つところを組み合わせたと理解しております。

ですから、現在の剣道と古流の剣術とはまったく違うと思います。目的がそもそも違いますね。

まったく違うと言ったら、また誤解されそうですが、違うと思ったほうがいいと思います。

剣道は、対人のためのものではないのです。理念にもあるように剣の理法の修練をして自己の人間形成をするものです。ですから壁に押し当てる、投げるといった技術は必要ないと思います。

ただ、色々な流派を勉強することは、それはそれでとても役立つことだと思います。
(なぜ、そうやるのかを子供に説明する時など、役立ちます。)
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.116 )
日時: 2014/02/06 00:08:26
名前: 親馬鹿一刀流 

昔剣士さん

>これが、御自身の総合格闘技の稽古の一環で全剣連
の剣道をするために所属するということであれば理解
できます。

私の剣道観では総合格闘技の稽古をしているとは思っていないのですが、「稽古の一環で全剣連
の剣道をするために所属する」で概ね合っています。


いもむしさん


>ただ、色々な流派を勉強することは、それはそれでとても役立つことだと思います。

はい私もその思いでおります。
剣道形が制定された時代の武徳会の剣道も剣道と思い参考にしています。
私が色々書きましたことは、あくまでも私の考え、思いですので、こんな考えで剣道の稽古をして
いる人もいるんだなあ程度にご理解頂ければと思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.117 )
日時: 2014/02/06 00:21:36
名前: いもむし 

 了解しました。ご自身の経験から体育的なお考えを合わせて指導しているということですね。理解致しました。

 私もきちんと古流を習ってみたいです。

 

 
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.118 )
日時: 2014/02/06 02:33:39
名前: いもむし 

すみません追加で。
 私、親馬鹿一刀流さんの指導方針にケチをつけたつもりはありません。豊富な経験から独自の考えで指導されていることは理解致します。

 ただ、ちょっとこれを読まれている方で、知識、経験がなく、「おお。そういう稽古もあるか」と真似されたら危険かな。と思っただけです。

 まあ、真似する人はいないと思いますが。
 
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.119 )
日時: 2014/02/06 03:25:14
名前: だみ声  < >

すみません、割り込みになるかもしれませんが、お許しください。

その後考えをまとめるつもりで、数日を過ごしておりますが、その間にも皆様の、積極的な書き
込みがあります。
基本的に僕は「軌道修正」したつもりですし、今後目の前で起こるであろう事態には、一呼吸お
いて対応することとなるでしょう。 そして本人に対しては、説明しながら理解させる試みをし
て行くつもりです。 気づきを与えてくださった先生方には、心より感謝申し上げます。
当分の間は(頻度は低いでしょうが)、「今までの僕ならぶっ叩いているぞっ!!」ぐらいは言っ
てしまうでしょうが…、更に「叩いた方が君にも理解しやすかったかもしれないぞ!」等言うか
もしれませんね。(今度は言葉の暴力か…!?)

でも今回、正直に偽らざる気持ちを書かせていただきますが、僕の理論は「正論である」と信じ
ておりました。 ショック療法として、「イテッ!」「なんで??」「そうなのかぁ」と言う理解プ
ロセスは、未熟な若者を導く指導法として、大きく逸脱しているものではない。
しかし成文化した学校教育法の中に記述がある以上、コンプライアンスに準じるなら、そこにか
かわる以上「受け入れるべき」事であり、「体罰肯定論者」等と言う誤解を生じる発言をしてはな
らないし、行使もしてはならないと言う事だと理解しました。
過去の自分の指導実績から見ても、さほどの大きな修正(実施頻度から見て)でもありませんか
ら、意識の問題として認識できると思います。

そしてはくどー先生の「ムラ社会」理論との関係も興味深く読ませていただきました。
僕の住むここ(伊豆の田舎)にはいまだ、その「ムラ社会」は地域活動として、しっかり存在して
おります。 と言いつつ、その形態は変遷を繰り返し、「ムラ八分」は今や排斥すべき「地域の異
端者」では無く、「ちょっと変わった住民」であり、彼らには生活上の不便(農作業やっているわ
けではないですから)は全くありません。

むしろ煩わしい近所付き合いをしなくていい便利な選択でもあるのです。「ムラ八分」の語源は、
火事と葬儀以外の付き合いはしない(10の付き合いの内、かかわらざるを得ない2件以外の付
き合いをしない)という事と学びましたが、火事は110番、葬儀は葬祭センターでやるとなれ
ば、付き合い不要なわけです。 今やムラ八分には、そういうトレンド性も含んでおります。

従って、「地域で子育て」も不要ですし、第一子供は成人したら、ほとんどが地域にとどまらない
わけで、悪ガキを近所のおじさんおばさんが叱りつけて地域で育てる必要もない、と思われてお
ります。

お互いが無関心であり、それで社会が成り立っていますが、本当の意味で「心の繋がり」を形成
する大切な部分も失われております。 不登校や虐待の問題の一部の要因が、このあたりに潜ん
でいるとも言えます。
個人的なことでありますが、僕は子供たちが社会へと旅立つ時、住み着いた土地での「町内会」
には「積極的に参加しなさい」と言い渡しております。 よそ者ではありますが、今住むこの地
域において、この地域の住民になるには、それが最もいい方法であると信じているからであります。

最後に、はくど―先生のおっしゃる「剣道が本来の武道としての形態を取り戻すためには、その
ゲームスポーツという面を捨てる覚悟」が必要という大変重い課題を感じております。
今、剣道から試合をなくし、ひたすらその竹刀さばきのみを修錬する修行において、競争社会に
いる若者が、どれだけ興味を示すのでしょうか? 武道精神を学ぶ段階に試合がなくては、理解
に至る時間がかかりすぎ、さらに競争心を磨く部分が減退することも懸念されます。

長い目で見れば、試合もあって、勝利至上主義の指導者にも出会い、旗の上がり具合に「喜怒」
の感情をむき出しにする時期を経過し、勝敗の向こうにある、「修行」の意味を考えるようになり、
交剣知愛の意味を熟考して、円熟した剣士になるプロセスにおいては、あながち試合を全てなく
す事もしない方がいいように思います。

だんだん本題から外れている気もしますが、剣道に対するこういう真剣な検討をさせていただく
機会に恵まれ、一方では道場で汗をかき、帰宅してこういう思案にふける喜びを感じております。
ただただ有難うございました。 これからも剣道を頑張って行きたいと思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.120 )
日時: 2014/02/06 22:30:07
名前: 昔剣士 


親馬鹿一刀流さん

>私の剣道観では総合格闘技の稽古をしているとは思っていないのですが、「稽古の一環で全剣連
の剣道をするために所属する」で概ね合っています。

やはりそういう事でしょう。

しかし、一般の方には充分説明された上でお願いしま
す。

誤解されてお互いにメリットはないと思いますので宜
しくお願いします。

又、同じ部位を何度もということを、体罰とされてい
たようですが、治療が必要なほどなると話は別です
が、隙が有る部分を打つという事は当然の事で隙が
有ると教えるにはそれしかないと思います。

正当な稽古と解しておりますが如何でしょう。

ただし、部位を外した場合は平謝りです。

何時でも何処でも同じように打つと思っておりますが
中々旨くはいきません。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.121 )
日時: 2014/02/08 00:44:33
名前: 親馬鹿一刀流 

昔剣士さん

>又、同じ部位を何度もということを、体罰とされてい
たようですが、治療が必要なほどなると話は別です
が、隙が有る部分を打つという事は当然の事で隙が
有ると教えるにはそれしかないと思います。

正当な稽古と解しておりますが如何でしょう。

はい正当な稽古と思います。
私も行います。

しかし、私が過去に数回行った事は別の事なのです。
あえて、痛みを覚えさせて矯正するというものです。
対象者のレベル、稽古の取り組みにもよりますが、普段の指導に加えてあえて強く打つ行為等です。
この事に関しては私なりに考えがあり、体罰の議論とは別のトピで分けて考えたいと思います。

だみ声さん

私もずっと考えています。
実は私は体罰は必要と思っていました。
危険な事をさせない為に、あるいは悪い事をしたら罰があるのは当たり前ではないかと。
剣道の稽古上での暴力ではありませんよ。
私が考えを変えましたのは法律で定められている以上は従わざるを得ないという事です。
しかし、色々考えているのですが、もし法律に間違いがあったとしたら私はどうすべきか?
もう少しゆっくり考えてからまた書き込みをしたいと思います。
メンテ
指導者の資質 ( No.122 )
日時: 2014/02/08 18:28:49
名前: KEN-ICHI 

だみ声様

サイトから長らく離れており、今、久しぶりに訪問いたしました。コメントありがとうございました。

私が挙げさせていただいた、河合薫さんの記事
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20130203/243209/
で、異常に厳しい指導者が、試合に負けた当時高校2年生だった河合さんたちに「髪を切れ」と命じたことを機に先生と生徒の関係が決定的に悪化、そこで、当時男子を指導しておられた若い七段の先生の指導で河合さんたちが熱く剣道にのめり込むようになったエピソードです。

本当は著作権の問題もあるのでしょうが、皆様に読んでもらいたく、一部を抜粋させていただきます。

「そんな状況を周りは見かねたのだろう。それまで男子しか見ていなかったもう1人の顧問が、女子を見ることになった。その先生は前の顧問と違い、「先生のために勝ちたい!先生を喜ばせたい」。そんな思いにさせてくれる人だった。

 「なぜ?」と問われると困ってしまうのだが、何と言うか、「私たちのことを大切にしてくれている」と感じる瞬間を、何度も経験したのだ。

 例えば、稽古をつけてもらう時にも、転がすなんてことはせず、正々堂々と向き合ってくれた。

 その方は最年少で7段を取り、全国的にも有名だった先生。にもかかわらず、私たちと真正面から向き合い、稽古をつけた。

 もちろん私たちのレベルに合わせてくれていたのだとは思う。でも、真剣に向き合ってくれる先生から抜き胴や出小手を決めたり、合面で1本取れたりすると無性にうれしかったし、大きな自信にもなった。

 しかも不思議なことに、その先生は決して饒舌に話をする人ではなかったのに、いろんな話をしたという思い出がある。

 なぜ剣道を始めたのか。坂本龍馬に憧れていたこと。勉強が嫌いだったこと。初恋の人の話……。いくつもの「対話」が存在し、先生と私たちの間は実に近かったのである。

 かといって、友達感覚は一切ない。指導者と選手。顧問と生徒。そういったお互いの立場を尊重する関係が、常にあったように記憶している。

 で、高校総体の県予選の1カ月前。女子剣道部のメンバー全員で、「気合いを入れるために髪の毛を切ろう!」ということになった。

 誰が言い出したわけでもない。私たちの中で、「どうにかして勝ちたい!」とモチベーションが高まり、「髪の毛を切れ!」と言われて反抗した私たちが、気合いを入れるために自主的に髪の毛を切ろうと決意したのだ。

 私たちを尊重してくれた顧問がいて、その顧問の情熱を感じ取る対話が私たちを動かした。はるか遠い記憶ではあるけれど、当時の“熱い思い”だけは鮮明に覚えている。」

結局は、指導者の人格なのでしょう。

中小企業の社長向けにリーダーシップについて論じた本で、

「人は『正しい人』のこ言うことを聞くのではなく、好きな人の言うことを聞くのだ。だから、あなたたちは嫌われてはいけないのだ」

との記述がありましたが、無理に好かれる必要はありませんが、敬愛される人格を、生徒のことを真に考える人格を持つべきなのでしょう。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.123 )
日時: 2014/02/08 18:42:23
名前: はくどー 
参照:

こんにちは。

>> No.121 親馬鹿一刀流 様

ご無沙汰しております。さて、

>私が考えを変えましたのは法律で定められている以上は従わざるを得ないという事です。

そのとおりで、そもそもこのスレッドは、それを前提に議論しなければならなかったはずです。

体罰も暴力も、どんな言い訳をしようとも違法行為なのですから、肯定の余地がありません。
(この法律が間違っているので、法律改正を求めたいというのなら別ですが)


>> to All

皆様も、もう一度このスレッドの議論を最初から冷静に見直してみると良いかもしれません。


スレ主様の問題提起は、

剣道の稽古は体罰の嵐(のように見える)
(剣道界では)、その(体罰もどきの稽古)がなぜか黙認されている
(体罰どころか)暴力(までをも)肯定する人が、(剣道界には)あまりにも多い
(どんなに言い訳しても、体罰や)暴力は、(全て法律で禁止されている)暴力でしょう
殴ったり蹴ったり(しているように見える行為・稽古)は指導の一環なのか
(私には、とても正当な稽古のようには見えないし、正しい指導法だとも思えない)
もうすぐ寒稽古の時期だが、(剣道界では)またあちこちで(指導と称した)体罰が行われるのだろう
いい加減(剣道界から)暴力をなくしませんか

ということだったと思います。


この問題提起に対して、私たち剣道界に身を置く者たちが、まず最初に回答すべき事は、

 殴る蹴るなどの明らかな暴力行為は、もちろん指導の一環などではないこと。
 剣道界から、こうした暴力は根絶してゆかなければならないので、自分たちも日々努力をしている。

ということだったと思います。(Hide.さんが、正にそのように回答しております)


その上で、
 もしかするとスレ主様の目からは体罰や暴力行為のように見える稽古があるとしたら、
 それはスレ主様の誤解かもしれません。
 これは昔から荒稽古と称して、明確な目的を持った指導の一環であり、暴力とは一線を画すものです。

と、荒稽古の指導的意義と目的を丁寧に説明し、暴力行為との違いを理解してもらえるように
努めれば良かったのだと思います。

たとえば以下のようにです。

 稽古中に投げ倒しているように見える行為は、床に叩き付けているのではなく、
 懸かり稽古で息が上がってきている生徒を安全に配慮しながら仰向けに寝かせ、
 腹式呼吸で息を整えさせるためのものです。

 もしもこの時に、言葉を持って「息を整えろ」と言うと、生徒はそれを休息の指示
 と受け取ってしまい、それまで続けてきた稽古の緊張を一瞬のうちに解いてしまいます。
 
 稽古中に、一瞬でも緊張が解けてしまった状態で稽古を継続することはかえって危険なので、
 常に精神的な緊張感を持続させたままで、肉体的に短時間の休息を与えることによって
 懸かり稽古本来の効果を上げるという、昔から工夫されてきた稽古法の一種なのです。

 また、壁に何度も押しつけているように見える稽古も、
 体当たりの際の体幹の作り方を自得させるために行うぶつかり稽古を、
 道場の真ん中で行うと、勢い余って真後ろに転倒してしまう危険があるため、
 壁を背にして行わせることで、安全性を図っているのです。

 さらに、試合直後に生徒の頬を平手で叩く行為なども、一見暴力的に見えることがありますが、
 試合直後の異常な精神の高揚状態、勝って興奮した状態や負けて茫然自失になった状態から、
 一瞬で目を覚まさせるために行う場合があります。

 これは悪いことをした事に対する罰として肉体的な苦痛を与えるという意味の体罰ではなく
 精神高揚状態にある者に対して、その状態が継続することで生じる危険性を回避するため、
 肉体的な刺激を与えることによって、精神的な平常心を取り戻させる処置の一つです。

 このように、指導者が荒稽古に対する明確な目的と意義、また、そこに含まれるであろう
 危険性に対する十分な自覚と配慮、そして万一の場合に対処する覚悟をしっかりと持って
 行うのならば、それは暴力ではないと私は思います。

というように説明すれば、トピ主さんにも多少は理解して頂けたのではないでしょうか。


ところが、こうした説明もないままに、このスレッドの議論はおかしな方へ向いてしまいました。

 体罰と暴力は違う。暴力は許されないが、体罰は必要な場合があるだろう。

という主張です。

現行教育法で、体罰も暴力も禁止とされている状況であるにも関わらず、体罰を肯定するのは、
例えが少し極端かもしれませんが、強盗はダメだが万引きなら許されるのではないか
と言っているのと同じことだと思います。

どちらも、法律ではダメだとされていることをあえて肯定しようとしているわけですから。

このようなおかしな主張は、一般社会ではまず出てくることがないと思うのですが、
それがごく当たり前に、しかも、むしろまるでそれが正論あるかのごとく出てきてしまうのが、
剣道界の不思議なところです。

さらに、「いや、それは法律で禁止されているからダメですよ」と一般常識の見地から
その主張を諫めようとした人に対して、

 あなたとの議論はかみ合わない。
 あなたと議論がかみ合う人などいない。
 あなたの意見で胸が痛くなった。
 あなたの意見は絵に描いた餅であり発言は荒しだ
 あなたの意見は暴言だ。

などというような、訳の分からないレスの集中砲火でした。


ここに来て、一傍観者だった私も、
「なんだか剣道界の常識はちょっとおかしいぞ」と
同じ剣道界に身を置く者としての危機感を感じてしまったため、
ここにしゃしゃり出てきてしまいました。


おそらく、法律に反してまで体罰や暴力を肯定しているように見えてしまう
肯定派の皆さんの主張の本意は、体罰や暴力そのものを肯定しようとしているのではなく、

 剣道の稽古や指導法の中には、外部から見ると体罰や暴力に見えてしまうものもあるが、
 それは、本来の意味の体罰(懲らしめのために肉体的苦痛を与えること)や暴力(他者の
 意思に反して、その身体や財産、精神などに強制的に加えられる破壊の力)などではなく、
 剣道の稽古や指導の上で、それなりの目的と意義を持った必要不可欠な措置なのだ。

ということだと思います。

Hide.さんも、議論の経過の中で、
>懲らしめることが目的ではなく、教育的目的または指導的目的で行われる行為とは一線を画して考える必要があるでしょう。

とタイミング良くおっしゃって下さっています。

ですから、その稽古や指導における「体罰・暴力に見えてしまう行為」の真の目的と意義を
誰もが分かるように丁寧に説明すれば良かったのです。

ところが、この具体的な説明がないままに、

 偉大な先人たちが残した稽古法だから
 剣道に荒稽古は必要なことだから
 体罰には教育的な意味があるから
 でも実際には体罰や暴力をふるったことは数度しかないから
 総合武術としてやっていることだから
 ・・・

これでは説得力がありません。もちろん説明にもなっていません。
ですから議論はますます混迷の度を深めて行ってしまいました。

これを端から見れば、剣道の指導者は、

自身で行っている稽古や指導の目的や意義をきちんと理解しているのだろうか?

昔、自分もやられてきたことだからと、荒稽古の意味をちゃんと考えることなしに、
ただただ惰性で「かたち」だけを真似て同じ事をしようとしているだけではないか?

と勘ぐられてしまっても仕方ありません。


子供たちに剣道を指導されている方々は、自分が指導として行っている様々な稽古の意味を
きちんと理解して行っていますよね。

特に荒稽古の必要性を主張される方々は、その荒稽古の目的と、それがもたらす効果、
そこに内在する危険性等をきちんと把握した上で、自己の責任の下で行っていますよね。

だったら、そのことを剣道を知らない人にも分かるように丁寧に説明すれば良いだけです。

もしも万一、それが分からない、説明できないというのでしたら、
その稽古を他人に課してはいけません。

素振りの目的や意義を分かっていない人が、他人に素振りを指導したら、
それは素振りの稽古ではなく、単なる運動になってしまいます。
いや、下手をすると肉体に苦痛を与えるだけの体罰や暴力になってしまうかもしれません。

・・・

最後に再び、
>> No.121 親馬鹿一刀流 様(...ここからは半分冗談ですよ (^^ゞ)、

>しかし、色々考えているのですが、もし法律に間違いがあったとしたら私はどうすべきか?

法律に間違いがあった場合は、それを改正しなければなりません。
そのために国会(立法府)があります。

体罰を禁止する学校教育法に疑問を感じ、その改正を求めるのであれば次の方法があります。
(わたしはかつて法律を定める仕事のお手伝いをさせて頂いていましたから(笑))

先ずは、同じ意思を持つ人々を集めて団体を作り、国会でロビー活動を行います。
体罰容認に賛同しそうな国会議員一人一人にあたって仲間を増やし、
国会の中に議員連盟と称する勉強会を立ち上げてもらいます。
その勉強会を通して、改正法案を起草し 世論に訴えます。
同時にその法案を議員立法として上程してもらい、
政府与党にも賛成してもらえるよう働きかけます。

ある程度の時間はかかりますが、これで改正にこぎ着けることが出来るかもしれません。

ただし、新聞にはこんな見出しが躍るでしょう。
「剣道関係者が学校教育における体罰を容認すべく国会でロビー活動を行う!」

世論がどのように反応するのか、私には想像できません。
でも、今の世の中、意外と賛同者が多いのかもしれませんね。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.124 )
日時: 2014/02/09 23:58:54
名前: 親馬鹿一刀流 

はくどーさん

こちらの方こそご無沙汰でした。
法律の事等、ご説明頂いた事は私も理解しています。
何だか転がす稽古に注目が集まってしまいました。私としては子供達の実力体力に合わせて
やり方によっては効果・意味のある稽古である事を書きました。
それを(楽しみに)求める子供達も多い事も書きました。
しかしトピ主さんの子供達は嫌がっている。
多分むやみやたらの稽古と想像しましたので、止めて構わない、他に楽しい競技もありますと
書きました。

稽古上での暴力的な行為と見るか、そうではないと見るかは人それぞれですが、保護者に稽古の
意味を分かってもらう事は重要な事と思います。
問題は適正以上に負荷を掛ける事。
では適正な負荷とは?
指導者は事故を起こさないよう、勘と経験だけではなく医学的な知識を持って指導に当たる必要が
あります。
この事を講習会で改めて習い、記憶が鮮明だったので良いタイミングと思い書きました。

少しくどいですかね。


改めてだみ声さん、はくどーさん


>もし法律に間違いがあったとしたら私はどうすべきか?

はくどーさんにはお手を煩わせてしまいました。ご説明頂いた通りと思います。

自分の考えをまだ纏められていないので、断片的ですが今現在の私の今の発想のきっかけだけ
書きます。

・戦前の教科書・教育。戦後の教育。
・戦後のアメリカ国の日本に対する意図的な教育(3S政策)。
・国民の意思による正当なデモ行進。
・戦後教育の影響。
・平成元年前・前後のバブル経済。NTT株その他の利益等・不労所得を求めた国民。
・IT国家戦略。
あえて改行。

・ゆとり教育の事。
 あるラジオCMから。
 ゆとり教育は大人が決めた事、子供達に責任はない。
 部下に対し、だからゆとり世代は駄目なんだとある課長。。
 パソコンの使い方が分からなくてゆとり世代の部下に助けを求める課長。
 パソコンに関しては、課長がゆとり世代だと皮肉るCM。
・映画のシーンから
 (申し訳ありません、正確に覚えていませんが)
 ○イギリスのパブリックスクール。校則違反をした生徒と先生が事実確認を行う。
 先生が今あなたがすべき事は何と質問?
 生徒は黙って手の甲を差し出し、先生は指揮棒のような物で(鞭)で手の甲を打つ。

 ○別の映画で、地域の大人に取って高校生に思想上有害と思われる図書を燃やす先生に対し、
 子供達に有害な事は削除する事で同調していた町の教育者でもある牧師が「いつからあなたは
 裁判官になったんだ」と言って図書を燃やす事を止めさせるシーン。

今の学校教育法を否定するつもりはありません。体罰を推奨するつもりもありません。
国民性もあります。
社会の事、剣道の事を合わせて自分はどうすべきなのか?
私は裁判官ではありません。
未だに考慮中です。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.125 )
日時: 2014/02/10 16:46:15
名前: はくどー 
参照:

こんにちは、親馬鹿一刀流さん
今年は、火・金の稽古にも顔を出せれば良いなと思っています。
その際にはどうぞよろしく。

さて、

>何だか転がす稽古に注目が集まってしまいました。私としては子供達の実力体力に合わせて
>やり方によっては効果・意味のある稽古である事を書きました。

私も、いわゆる荒稽古そのものを否定するものではありません。
昔から行われてきた荒稽古には指導的目的、教育的目的があります。

ただし、それを指導者がきちんと理解していなければなりません。
荒稽古の目的や意義を理解していない指導者が他人に荒稽古を施せば、、
それは体罰や暴力にもなってしまいます。

言い換えれば、荒稽古を他人に課す事が出来るのは、
その荒稽古の意味をきちんと理解し、安全に配慮して自己の責任で行える指導者だけです。

そのためには、指導者は、剣道はもちろんのこと、医学的なことも含めて様々なことを
常に勉強をし研鑽を積んでおくことが必要だと思います。

そして、そういう指導者であるならば、おそらく荒稽古を行っても、それが体罰や暴力には
決して見えないのではないかとも思います、

それでも、万が一第三者から、「その稽古は暴力でないか?」と指摘されたとしても
その稽古の効果や意味を具体的に示し、暴力でないことをきちんと説明できるはずです。
それが説明責任を果たすということでしょう。

親馬鹿一刀流さんも、そういうことを深く勉強されている方だと私は思っています。

ですから、親馬鹿一刀流さんの指導に対して、これまで周囲から特に批判がなかったというのは、
その指導内容が、たとえ子供を転がしていても、それが体罰や暴力には見えていなかった
ということなのでしょう。

しかし、その一方で、
世間から剣道界に対して「剣道の稽古は暴力まがいに見える」という厳しい指摘があることも事実です。

これは、多くの指導者が、稽古の意義をきちんと勉強することなく、それが分からないままに、
ただ、「自分もやられてきた稽古だから」とか「昔から続いている稽古だから」などと、
無批判に惰性で行っている現状があるからではないでしょうか。

昔剣士さんのご発言の真意は、そういう剣道界の現状に警鐘を鳴らしているものと思います。

ですから、私たち剣道界に身を置くものは、そこのところをきちんと受け止めなければならないでしょう。

先のレスで、「素振りの目的や意義が分からない人が、素振りの指導をしてはいけない」
という意味のことを述べました。

剣道に限りませんが、人に何かを指導するというのは、その指導すべき事柄について
自らが実践できるのは当然のことながら、その目的や意義や危険性等についても
しっかりと勉強し、正しい知識を持って行うということが最低限の必要条件だと思います。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.126 )
日時: 2014/02/11 01:02:14
名前: 昔剣士 

はくどーさんへ

警鐘を鳴らすなどと高尚な事では無く、元来が天邪鬼
なので「本当にそうなのか。」と問うているだけです。

上記は置くとして他の仰っている事に関しては同意さ
せて頂きます。

ところで荒稽古についてですが、真の荒稽古は、多
分、公けの剣道では無く、個人的なもの伝承に必要
では無いかと考えています。

しかし、これは目的を同じとする個対個の師弟関係で
なければ有りえないと考えておりますが如何でしょう
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.127 )
日時: 2014/02/11 10:47:14
名前: はくどー 

こんにちは、昔剣士さん

昔剣士さんが以前におっしゃっていたように、剣道が武道として昇華できれば、
日本の教育にとって、世界に誇れる画期的な手段になれるという期待と自負を持っています。

そうなれば、荒稽古も剣道教育の中で普通に認知される日が来るかもしれません。

しかし残念ながら、現行の試合偏重の剣道界では難しいでしょう。

先にも述べましたように、現行剣道の試合の在り方を、その廃止も含めて見直すべき
というのが私の持論ですが、それをここで展開することは、このスレッドの趣旨から
外れるでしょうから、また別の機会にでもということにさせて下さい。

とりあえずは、昔剣士さんがおっしゃっるように、個対個の師弟関係で成り立っている
「二天一流武蔵会」という団体の中で、剣道の将来を託せるような指導者を一人でも多く
育てることを目標に、細々と活動しています。

ちなみに、私の剣道に対する考え方は、よろしければ下記をご覧になってみて下さい。

  剣道の本質(剣道は武道)
  http://hakudoh.com/wp/study/page_0501

  剣道の修法(武士のたしなみ)>[5]剣道の試合
  http://hakudoh.com/wp/study/page_0506/page_05

少々長文ですが、お暇なときにでもお読みになって下さって、
掲示板やメールなどでご意見等をいただければ幸いです。

以上、ご参考まで。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.128 )
日時: 2014/02/11 19:18:31
名前: 昔剣士 

はくどーさんへ

是非伺わせて頂きます。

その折はよろしくお願いします。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.129 )
日時: 2014/02/17 09:28:04
名前: 梵我 

はくどー様

はじめまして、梵我と申します。
上記から はくどー庵に立ち寄らせて頂きました。

先日、初〜三段の審査会がありました。
その際、作文と形は全員合格となっていましたが、
形に関しては大幅な間違えがなく動きの順番があっていればそれでいいのか?
審査においては同時に何組も見る事もあってそうなのかもしれませんが
私としては剣道形も上手くできるようになりたいと思うと同時に
形に含まれる教えの意味の理解も深めたいと強く思いました。。

そんな矢先でしたので、フラッと立ち寄ってみた はくどー庵にて

一つ一つの形の教える所を深く掘り下げて研究しておられ
わかりやすく説明頂きました事、大変、感謝しております。。
本当にありがとうございました。

もちろん、何度も反復し稽古する事が肝要ですが
意味をあまり理解せずに動きだけなぞるのとは
後々、上達の度合いが大きく変わってくる事と思います。


さて、トピの本題から逸れてしまいましたが

体罰と愛のある激しい稽古の境目って
人には感じ方、受け取り方に個人差があり
教わる方にも指導する方にも性格の差があり
キチンと分けるのは難しいのかも知れません。。

特に、第三者が見て判断するのは尚更だと思います


私が思うのは、まず信頼関係ありきで
教わる側には、師を信じる気持ち、感謝の心
指導者側には、子を思う気持ちと同時に冷静な判断と
限界付近の見極めなど指導には大変な労力が必要なことと思います。。


先日、初対面の先生に稽古をつけて頂いた際に
まだ、信頼関係が築けていないのにも関わらず
後ろから打たれたり、振り向きざまに上体を突き上げられ
体を崩されたりの普段より激しい稽古をつけて頂いたのですが、、

終わってから冷静に考えてみると、後ろにも油断するな!!
とか主に私のスキを指摘して指導頂いていたのだと
理解するに至りましたが

稽古中は恥ずかしながら、高段者のクセに卑怯だぞ!とか
なんだ?このジジイ、後ろから打つのが指導者の正しい在り方なのか?
とか正直、思ってしまいました。。笑


大人でもこうなのですから
子供相手の指導となると、受け取り方が千差万別だったり
教えの意味や効果を理解したり、自身が上達を感じるのにも時間差が生じます

優しく理論的に教える事だけがいい指導とも思いませんし
技術はともかく、精神力を養うというのは
食糧や情報や物質が豊かな今の時代には
尚更、困難で取り組みにくい事なのかも知れません

本当は、だからこそ必要で価値のある事なんだと思いますが、、

とりわけ、気の毒に感じてしまうのは
師の指導に対して、子ではなく親からクレームがつくケースでしょうか?

親御さんも子を大事に思う気持ちからなのでしょうが
このせいで、身のある指導が台無しになったり
場合によっては、指導者としての立場まで危ういものに
されかねない事も現場では実際にあると思います。。

現代における指導者というのは
昔以上に色々なケースも想定して事に当たらなければならず
尚且つ、短期間で結果も求められ
やり方によっては、批判やクレームなどの仕打ちもありうると考えると
本当に大変だと思います。。

昔も今も、師という存在は本当にありがたいものです

まとまりのない文書になってしまいましたが

口だけの指導と違い、我が身を打たせて子の上達を促す
剣道の指導の在り方には本当に頭の下がる思いです。

その在り方に心から感謝している事と
指導者としての皆様の活動を影ながら応援している事を
拙い文書ながらも、ここに記した所存で御座います。


長文と乱文、大変失礼致しました。


我以外皆師

剣道の世界には数多くの素敵な教えや言葉がありますが
私はこの言葉が大好きです。







メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.130 )
日時: 2014/02/17 15:07:04
名前: はくどー 
参照:

梵我さん、こんにちは。

ご丁寧なレス、どうもありがとうございます。

拙庵における剣道形についての記述は、もう10年ほど前、正にこの「いちに会」の旧掲示板で、
いろいろな方々と議論を交わし合った中から生まれてきた考察です。

一人で考えているだけでは、とうてい思いもつかないような思考も、いろいろな立場からの
様々な意見のもとで侃々諤々の議論を続けることによって、深く深く掘り下げられ、次第に
形が整って来るものです。

ですから、こういう掲示板で議論を戦わすことは、場合によっては一見喧嘩のように見えるもしれませんが、
互いがより深い思考をもって、それぞれの視野を広げる上で、とても役に立っていると思っています。

長年に渡ってこういう場を設けてくれているHide.さんには、心から敬服し感謝しております。


話は変わりますが、剣道の指導というのは自転車の乗り方を教えるようなものだと思っています。

右に倒れそうなときは左にハンドルを切って、などと理屈で教えてもなかなか習得することは出来ません。

指導者が出来ることは、後ろで支えてやって、頃合いを見て手を離す。。。この繰り返しですね。

何度も転んで、膝をすりむいて、痛い思いをしながら少しづつ身体で覚えてゆく。
これが、いわゆる「自得」です。

しかし、この自得の課程で、指導者が手を離して、直後に自転車が倒れて膝をすりむけば
それを見ていた人は「ひどいことをする指導者だ」と思ってしまうかもしれません。

剣道は、昔から先人たちがその経験によって積み上げてきた指導法があります。
この指導法の多くは「自得」を促すためのものですから、一般の「指導」のイメージのような
「手取り足取り」というようなものではなく、見方によってはかなり理不尽と思うような稽古も
たくさんあります。

  (一例)剣の理法は自得する
      http://hakudoh.com/wp/study/page_0501/page_01#09  

ですから、指導者というのは自分が受けてきたその理不尽と思うような稽古の意味をしっかりと考え、
その目的を理解した上で、その稽古を次代につなげてゆかなければならないと思います。

梵我さんが、初対面の先生から受けた稽古に反発を覚えるだけでなく、その奥にある深い意義を
見い出したのは、とても素晴らしいことだと思います。

これからも、ぜひ頑張って下さい。

今後ともよろしくお願いします。

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.131 )
日時: 2015/11/15 01:08:48
名前: てんてん 


だいぶん前のスレだと思いますが
学校の顧問から息子への体罰で悩んでいましたので
横から失礼させてもらいますね。

息子は小学校から剣道を始め
中学、高校と剣道部に入部しました

剣道だけは真面目にやっていましたが
高校二年時に辞めました。部活も剣道自体も。

顧問には日常的に平手打ちや
人格を否定するような酷い言葉を言われていました
当時の部員の全員、被害者です

部活を辞めるまでは、そんな顧問のもとで剣道を続けていましたが
昨日までの自分より強くなりたい
負けた相手に次は勝ちたい・・剣道楽しい・・
そう思う気持ちが、だんだんと無くなってしまい

試合では顧問の機嫌が悪くなるから勝たなきゃ・・と思うようになり
稽古では先輩方が
顧問に指示されたその日のターゲットを技だのなんだの関係なく
何度も何度も突き飛ばす、立ち上がった所をまた突き飛ばす・・・
それをしないと先輩達が顧問に「やられる」

そんな日々を繰り返しているうちに
剣道が楽しい、剣道が好きだった自分が
馬鹿らしくなった、道着も防具も全部捨てたくなった・・と。

同じ事をされて、全ての人が息子と
同じようになるとは思っていませんが
子供たちの中には
大人の行う暴力行為や人格否定の酷い言葉の数々によって
大好きだった剣道から離れていく人間がいるということを
もう一度、真剣に考えて欲しいです。

忘れちゃいけません!
・剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である
・相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める。
できていますか? 指導に当たる前、当たった後に考えてください

余談ですが
ちなみに、この顧問は今年「練士」の称号を取得したようです
顧問は自分を「識見優良なる者」と思っているという事ですよね
・相手の人格を尊重し、心豊かな人間の育成のために礼法を重んずる指導に努める。
この言葉は飾り?
こんな顧問に出会ったことが、悲しく虚しいです。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.132 )
日時: 2015/11/15 07:31:37
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To てんてんさん

管理人のHide.です。

ご子息のこと、本当に残念でしたね。
でも、剣道にはそんな思想者ばかりではありません。いつの日か、自身の人生の背骨とし
て、もう一度竹刀を握っていただきたいと、心から念じる次第ですm(_ _)m

私も教員をやっておりましたが、必ずしもいい指導者ではありませんでした。
学校の指導者は、自分の部活の中だけでお稽古が完結してしまうため、どうしても独善的
になりやすいものです。そして、知らず知らずのうちに態度や言動が横暴になり絶対君主
として君臨するような形になりやすい。
その轍を踏んでしまう指導者が跡を絶ちません(-_-)

民間の剣道愛好家以上に、自分に指導法や取り組みに関して敏感になる必要があると愚考
いたします。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.133 )
日時: 2015/11/16 00:06:19
名前: てんてん 

Hide.さん
温かいお言葉ありがとうございます
また、マルチスレッドの件、申し訳ありませんでした

もちろん顧問のような指導者ばかりじゃないのも
理解しております。小学校の頃から通った道場の先生方は
とても暖かく指導しながら応援してくれる
そんな先生方でした。
中学、高校と進んだ後も、変わらず暖かく応援して頂きました

だからこそ、息子も先生方に申し訳ない気持ちで
連絡することも出来なくなってしまったようで
道場の先生方とは疎遠になってしまいました。
高校卒業したときは、卒業の報告をしに
挨拶に行ったようです。

道場で一緒に竹刀を振っていた仲間たちにも
自分が脱落者という後ろめたさや、かっこ悪さもあって
一切の連絡も取らなくなって
ばったり会っても、気づかれないように隠れたり・・・・

そんな風に人間関係まで変わってしまった事も
残念で無念に思っています

剣道に関わる方々には
定期的に講習会とかあると聞きました
そういう場で「体罰」についての話にはならないのでしょうか?
講習会などでも指導の仕方についても
お互い高めあって頂ければと願います

平手打ちすること、人格を傷つける言葉を投げつけることが
教え導くことに繋がるのか、もう一度じっくり、本気で考えて欲しいです

大人たち、特に指導する人の行動・言動は
体は怪我しなくても、心に深い傷となって残ります
記憶として残ります。暴力、暴言に頼ることなく
時間をかけてじっくり指導してください
もし、暴力・暴言が出てしまったら
即座に相手とじっくり話してください
人間同士だから感情があふれてしまう事も
あると思います。でも、必ずフォローを入れてください

傷ついた子供を見ていると親も傷つきます。
子供たちには笑顔で楽しく剣道をして欲しいと
心から思います。よろしくお願いします


メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.134 )
日時: 2015/11/16 07:12:11
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To てんてんさん

そうですか、それはいけませんねぇ。
なんとか、ご子息の心の傷を癒やすことは出来ないものでしょうか?
道場の先生はとてもご理解のある方だと読み取れます。そうした方にご相談なさってみて
はいかがでしょうか?

剣道の講習会では、体罰に関する指導は行われていないのが実情です。
また、段位や称号も、残念ながら人間性とは無関係の評価です。
本来、高段位になれば人格も伴っていくことが求められているのですが、残念ながら現状
はそうではありません。最高段位の八段の中にも「???」という方がいらっしゃいます。

ただ私は、こうしたことは剣道の問題というよりも個人の資質の問題であろうと考えてお
りますm(_ _)m
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.135 )
日時: 2015/11/18 09:14:54
名前: 新春能 

管理人様の仰る通り、
個人の資質だとつくづく思います。

先日ある大会の小学生の部で、監督席におられる女性指導者が
大声で「メンは!コテは!」「いいとこー!」などと怒鳴り、
負けてきた選手を小突いたりしておりました。

遠方から出てこられて、恥を晒しているようなものです。
道場の内側でならよいとまでは言いませんが、衆人の前であのような態度をとられるのは
子供のやる気を引き出すどころか、晒し者にして徒に心を傷つけているように感じました。

こちらの書き込みを拝見しながら・・
高校進学など、指導者を選択できる機会でしたら、進路に考えている先の指導者の人となり、稽古内容などをある程度把握し納得の上でお預けしなければと感じた次第です。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.136 )
日時: 2015/11/19 07:05:22
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 新春能さん

管理人のHide.です。

たぶん「熱心さゆえ」なのだと思いますが、やはり問題があると思われます。

剣道も含め芸事には「三年早く始めるより、三年賭けてよき師を探せ」と言われます。
学校も道場も、しっかりと指導者を見極める必要があると考えます(-_-)
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Re: 体罰ですか? ( No.137 )
日時: 2019/07/14 00:41:17
名前: とある剣道部員です。 

私が所属している高校の地稽古で、顧問の先生を空けてしまいました。
すると、先生は上がられ強くなりたい気持ちが見えないと
仰られました。
その後に、顧問の先生が「自分がいいと言うまで跳躍素振りをしろ」といいました。
私たち部員は「やめ」と言われるまで跳躍素振りを必死でしました。開始から50分後で「やめ」と言われました。
数にすると約5,000本です。
その間顧問の先生は、スマートフォンを見たり、跳躍している姿をダルそう?に見ていたそうです。(自分は背中を向けていました)
これは、体罰に値するのでしょうか??
教えてもらえませんか?
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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.138 )
日時: 2019/07/14 07:22:36
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To とある剣道部員ですさん

管理人のHide.です。

懲罰的に素振りをさせたとしたら好ましい指導ではなかったと考えます。

ただ、この掲示板で「体罰かもしれません」という意見が書き込まれたとして、あなたは
どうしたいのでしょうか?
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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.139 )
日時: 2019/07/14 12:57:04
名前: 千葉剣 

地稽古で先生を空けてしまうのは私の認識では失礼にあたります。ただ、よほど長い時間先生が空いていて、動ける生徒がいるのに誰もかかりに行かない場合です。

状況が分かりませんので何とも言えませんが、先生に対して失礼な稽古をしてしまい、それに腹を立てた先生が「罰」として跳躍を振らせたのなら「体罰」と言えると思います。

罰としてではなく「稽古」として考えたとしても跳躍を連続50分というのは正しい稽古とは思えませんが・・・。

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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.140 )
日時: 2019/08/03 22:16:55
名前: よく考えて。 

とある剣道部員です。様
それは体罰です。

http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/press_release/2014/files/r ..... iryou1.pdf
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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.141 )
日時: 2019/08/05 15:30:30
名前: 気弱な剣士の父 

気合を入れる為に
奮起して貰う為にあえて辛い練習をさせる
そんな事もあるとは思いますが

スマートフォンを見たり、跳躍している姿をダルそう?に見ていたそうです。(自分は背中を向けていました)
って言うのはダメですね

子供たちが苦しい中頑張ってる姿、状況を
指導者もしっかり見ていなければいけないと思います、
厳しい苦しい稽古の際には特に指導者との
信頼関係が必要だと思うのですが。
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Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.142 )
日時: 2019/08/08 21:10:37
名前: よく考えて。 

こういう問題に良く信頼関係を挙げる方がいらっしゃいますが、
単なる思い込みに過ぎません。

信頼関係があれば文科省のガイドラインを超える体罰を与えても良いと考える。(もちろん超えていなければ信頼関係無くても体罰の範疇には成りませんからね。)
体罰という訴えが無いから信頼関係が築けていると勘違いしている方もいらっしゃると思います。

それ、親も子も指導者が怖くて言えないだけです、または、そう思うしか選択肢が無い状態なんです。
先生の指導が素晴らしいです!ってしか言えないんです。
→指導者「だろ?俺は間違えていないな、信頼関係も出来てるな」
これが体罰の蔓延を生み出しているって考えてください。

皆様、信頼関係という妄想は危ういんです。
メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.143 )
日時: 2019/08/14 10:33:34
名前: 気弱な剣士の父 

体罰否定派の方の多くは何を言っても理解出来ない
と思いますが

「それ、親も子も指導者が怖くて言えないだけです」
「皆様、信頼関係という妄想は危ういんです。」

昔は怖い先生がいて、すぐ殴るや懲罰的な練習はありました、
でもみんな納得してましたけどね〜
自分たちが殴られたり、激しい練習を課せられるには
それなりの理由があると理解してました、
それって信頼関係が出来てるからだと思いますよ。

でも悪い事をした子に対し、
体罰やモンペを気にして何も出来ないでいる学校を見ていると
この考え方が今の常識なんだな〜と思いますけどねw

メンテ
Re: 体罰についてどう思いますか? ( No.144 )
日時: 2019/08/14 21:34:34
名前: から 

親が躾で我が子の尻を叩く事も、法で禁じ罪に問われる国ですからねぇ
稽古中、先生は生徒に迂闊に打突出来ないですよねー

そのうち、格闘技や武道が全部無くなるんじゃないですか?(笑)
メンテ

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