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残心について
日時: 2014/10/09 02:20:06
名前: 三七式ヨシ  < >

先日のわが市の稽古会で、湯村範士がDrベネット氏の「日本人の知らない武道」を紹介されました。

内容については武道とスポーツの違いについて、「残心」の有無が大きいとのお話でした。

ネット検索でこんなのを見つけたので、You Tybeで参照しください。

考えさせられるところがあったので、情報提供です。

”Zanshin - the lingering mind in Budo: Alex Bennett at TEDxMeieki”
メンテ

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Re: 残心について ( No.14 )
日時: 2014/10/24 06:47:27
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 三七式ヨシさん

>同じようなことの繰り返しを書き込みますが、全剣連としての統一見解が欲しいです。
>色んな事情でまとまらないのでしょうか

仰るとおりです。

太刀七本目仕太刀の胴の切りつけなどは、以前は「一歩目で担ぐ、二歩目で胴を打つ」
となっていましたが、最近では「一歩目で切る」という形に変わってきているようです。
これは、中山がそういう使い方をしていますね

少しは研究がなされている…と考えたいですm(_ _)m
メンテ
Re: 残心について ( No.15 )
日時: 2014/10/24 17:27:10
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ様

私見ですが、そもそも時代で解釈が変わる、人により解釈が変わる事柄に、普遍の理などあるわけがないと思うのです。

見も蓋もないですが・・・(^^;

枝葉ばかり見ていると考えます。

各流派が寄せ集めで作った中学生のための形を
「そこに全てがある」と聖典のように扱うのも限界があるのかも知れません。
メンテ
Re: 残心について ( No.16 )
日時: 2014/10/25 09:44:19
名前: 三七式ヨシ  < >

Hide先生、ずんべらぼんさん書き込みありがとうございます。

五本目の上段にたいする剣先の付け方や、七本目の胴の抜き方…

昇段審査などで、できていなかったら×が付くのでしょうか?

>「そこに全てがある」と聖典のように扱うのも限界があるのかも知れません。

姿勢、刃筋、呼吸法、機会の読み…など、修練により得られるものもたくさんあるのでしっかり稽古が必要だと思います。

ただ、解説書に書ききれない部分もあるのでしょうが、普遍的な部分、技の選択や残心が形であらわすものと気残心を混在した理由などの記載が欲しいですね。
メンテ
Re: 残心について ( No.17 )
日時: 2014/10/25 10:06:58
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

>私見ですが、そもそも時代で解釈が変わる、人により解釈が変わる事柄に、普遍の理な
>どあるわけがないと思うのです。

う〜ん、形はそうであってはいけないのではありませんか。
元々の教えや解釈が、時代とともに変化していくことなどありえないように思えます。

その次代に生まれたものを忠実に行い、その中に「どんな理合が存在するのだろう」と追
求していく事こそ、「形の修行」だと思いますが 〜☆


>各流派が寄せ集めで作った中学生のための形を
>「そこに全てがある」と聖典のように扱うのも限界があるのかも知れません。

流派の方や組太刀を学べない人たちのために編纂された「古流への入門用の形」だと思い
ます。日本剣道形をスタートとして、古流を学ばれたらいいと思います。

実際居合道などでは、全剣連の制定居合だけではなく、高段者になる方はみなさん古流を
学ばれますよねd(^-^)!



To 三七式ヨシさん

>五本目の上段にたいする剣先の付け方や、七本目の胴の抜き方…
>昇段審査などで、できていなかったら×が付くのでしょうか?

さぁて、どうでしょうか?
大欠点ではないでしょうから、それだけで×が付くことはないと思われますが、私は審査
員ではありませんので、確かなことはわかりかねますm(_ _)m


>ただ、解説書に書ききれない部分もあるのでしょうが、普遍的な部分、技の選択や残心
>が形であらわすものと気残心を混在した理由などの記載が欲しいですね。

そうですねぇ、しっかりと研究された「公式」の解説書がほしいところです。
「自得せよ」ということなのかもしれませんが(^_^ メ)
メンテ
Re: 残心について ( No.18 )
日時: 2014/10/25 15:54:22
名前: ずんべらぼん 

hide.様

あら?普遍的なものは変わらないはずだと書いたのですが・・・・・。

日本剣道形は入門用のはずなのですが、八段審査でも試験項目なんですよねえ。しかも模擬刀でもなく木刀で。

昇段審査のありようからして全剣連としても日本剣道形は聖典のように扱っているといえます。

でも本来、形稽古は誰かに評価されるためにあるのでもなく、演武のためにあるわけでもなく、普遍の理を練るためにあるはずです。
やってもやっても発見があり気づきが得られるのが
本来の形稽古だと感じています。

そう考えると統一的な解説をしちゃうと形の意味がないものなのかもしれません。

あらゆる形は「さて、どう考えますかな」という脈々と受け継がれる宿題のようなもののはずなんで。

>実際居合道などでは、全剣連の制定居合だけではなく、高段者になる方はみなさん古流を
学ばれますよねd(^-^)!

そうですね。日本剣道形だけじゃ限界がかなり低いと感じます。


三七式ヨシ 様

ここに書いてて自分の考えが整理されていくようで
感謝いたします。

私も日本剣道形の解説を大事に大事に考えてきましたが、そのやり方はもったいないのではないかと思えてきました。

先にも書いたように先人からの宿題と考えれば、模範解答を見ながらやった宿題は意味なきように思います。
あら?子供のころそんなズルをやったような記憶が(笑)

脱線ですが宿題代行屋なんてのが成立する時代ですなあ
メンテ
Re: 残心について ( No.19 )
日時: 2014/10/26 07:25:27
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

>そう考えると統一的な解説をしちゃうと形の意味がないものなのかもしれません。

それはあるかもしれませんが、やはり作った当時の方々がお考えになっていた理合(教え)
というものに忠実である必要があるはずです。

それを無視して各々が勝手な解釈で形を打つことは、形の本質を歪めることになりはしな
いでしょうか?

その「普遍的な理」を明確にしていただきたい、こういうことです。


>そうですね。日本剣道形だけじゃ限界がかなり低いと感じます。

他の場所でも書いたと思いますが、私は大学生になって渡辺敏雄から小野派一刀流を学び
ますが、一刀流を学んだ後、日本剣道形の見方が変わりました。一本一本に内包する理合
が浮き彫りになった、という経験を持っております。

一刀流の組太刀は、非常にシンプルな作りになっていますが、それ故、理合を学びやすい。
逆に、剣道形は「入門用」と言いながらも、いろいろなものを詰め込みすぎてしまって
「わけが
わかりにくくなってしまった」ように思えます(>_<)


>先にも書いたように先人からの宿題と考えれば、模範解答を見ながらやった宿題は意味
>なきように思います。

明確な理合がわかっていたとしても、その理合のとおりに形を打つことは容易なことでは
ありません。自分ではそう打っているつもりでも、外から見たらそう見えないことが多々
あります。

形の良し悪しは、外から見て「そう見える(理合が浮き彫りになって見える)」ものだと
考えます。それは答えのわかっている宿題を丸写しするレベルではないと思います 〜☆
メンテ
Re: 残心について ( No.20 )
日時: 2014/10/27 13:10:01
名前: ずんべらぼん 

hide.様

有り難うございます。
やはり、hide.様のご意見とそう離れていないように感じるのですが。
書き方が悪いのかも知れません。

日本剣道形に意味がないとは思っていません。
が、統一見解である解説がころころ変わるという事につき、
理合そのものがコロコロ変わるなんてあり得ないのに何故だという思いなのです。

私は「理合」を「教え」とはとらえてないからhide.様と意見が対立するのようにとらえられるのかも知れません。

「理」とか「理合」というのは、今自分に与えられている環境(体、心、身体構造、物理法則などの自然全ての共通原理)に従う事と思っております。
もちろん、相手も自然の一部です。
自分側の個人的意図を自分の体で意のままに表現するという方向ではないと思っています。

同じ形なのに、世代毎に教えていただいた形が違うなんていうのは
形の根底にある共通原理に注目せず、枝葉ばかりを見ているからではないかと思うわけです。

解説するとするならば、絶対に変わらない部分を解説すべきで、その他の部分は各人の修行段階で自得してゆくべき事ではないかと思うわけです。

皆が納得する枝葉の解説など出来ないはずなのですが、
審査対象用ともなってるので、枝葉まで解説を望む声に無理矢理答えているのかも知れませんが。


>一刀流の組太刀は、非常にシンプルな作りになっていますが、それ故、理合を学びやすい。
逆に、剣道形は「入門用」と言いながらも、いろいろなものを詰め込みすぎてしまって
「わけがわかりにくくなってしまった」ように思えます(>_<)

このご意見は非常に良く分かります。
しかも日本剣道形は一見すると動きが平易なので分かりにくい。

居合などの座技は、わざわざ動きにくい姿勢で座り、そこから一挙動で抜刀したりするので「どうなってるの?何故そんなことが出来るの?」ということを思いながら取り組めるので、分かりやすいですね。
日本剣道形にはそういったことの取り組みが、し難く分かりにくいと感じています。
メンテ
Re: 残心について ( No.21 )
日時: 2014/10/27 22:22:05
名前: 三七式ヨシ  < >

こんばんは。

三七式ヨシです。

剣道形が大日本武徳会剣術形から、変遷をへて日本剣道形になったいきさつの概要はWikipediaに
まとめてあることは前述のとおりですが、解説書が出来たのは、やはり練度などにより違いがある
ものの、どこで、だれが形をうっても概ね同じものになるためだと思います。

また、伝えるという意味で、ずんべらぼんさんが後進に伝えるものと、私が伝えるものに多少なり
ともさはあるにしても、私はこうならった、いや違うここはこうだではいけないのではないでしょ
うか。

先回、五本目と七本目を例に挙げ、Hide先生にご回答いただきましたが、審査時に審査員が「こち
らは拳で、今回は柄頭なので…」なんてありえないと思います(レーザーポインターでも使えば別
でしょうが)。

また、ずんべらぼんさんのおっしゃるように、小委員会が開かれる度に変わるようではお話になら
ないと思います。

小委員会での討論というより、どこからか質問があってのことなのかもしれませんが。

毎年変わるようなものこそ(今までがです)明文化してしまったほうが後腐れないような気がしま
す。

それより、一本目から始まって小太刀の三本目まで、「機」の捉え方の違いについての解説だとか
残心のとり方が上段により示されるのはなぜとか、気残心を取る理由などの記載を要望します。
メンテ
Re: 残心について ( No.22 )
日時: 2014/10/28 06:52:06
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

>解説するとするならば、絶対に変わらない部分を解説すべきで、その他の部分は各人の
>修行段階で自得してゆくべき事ではないかと思うわけです。

はい、そこは重要ですね。
それをどう表現するかは、動きそのものが変わってしまわない限り「各人の修行と理解に
応じて自由」でいいように思えます。
その解釈が本筋から違っていれば、上位者が正せばいいのだと思います

枝葉の部分をのみ修正しようとするからブレが出てしまうようですね。



To 三七式ヨシさん

>それより、一本目から始まって小太刀の三本目まで、「機」の捉え方の違いについての
>解説だとか残心のとり方が上段により示されるのはなぜとか、気残心を取る理由などの
>記載を要望します。

形としての残心があるものとないものの違い(ないものはどのように残心を示しているの
か)に関しては、理合(=教え)の根幹をなすものですから、しっかりと定義付けして欲
しいですね
メンテ
Re: 残心について ( No.23 )
日時: 2014/10/28 12:35:04
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ様

ご意見を読んで思ったことを書きます。

雑誌や書物などは全県連の見解に縛られてはいけないと思いますが、
「全県連ではこうだが、今のところ私はこう解釈するに至っています」という記載等が必要なのかなと思いました。

小委員会の委員であれ、委員でない人であれ、自由な意見は大事ですから。
しかし、委員であれば全県連の見解と誤解されかねないので、そこは注意が必要ではないかとのご意見だと思います。
そうであれば、私も三七式ヨシ様の意見に同じです。


hide.様

そういうふうになれば気持ちいいのですがねえ。



メンテ
Re: 残心について ( No.24 )
日時: 2014/10/29 10:01:13
名前: 三七式ヨシ 

おはようございます。

ずんべらぼん様、Hid先生。

三七式ヨシです。


修練の過程で、例えば初段と七段の方が打たれるのに、理解度や経験、
個性がある程度でるのは致し方がないと思います。

そのため、理解を深めるたに解説書に対する補足として、雑誌の記事な
どを参考にできれば良いのですが、記事ごとに考え方の差があると、読
み手はどれが正しいのか迷ってしまわれる方もでるのではなでしょうか。

その辺を、取材を受ける側も出版する側も考慮して記事にするべきであ
と思うわけです。

つまり、解説書の存在意義は、全建連が制定した形を普及するにあたり、
統一性を図るのが大きなの役割であると思います。

さて、話が飛びます。

剣道形の組立においては、打太刀と仕太刀の役づけ?についてはご存知
の通りですが、以前にも書き込んだ通り、後の先で勝ちを得る仕太刀が
先をかける必要があると思っています。

この点については、ずんべらぼん様の書き込みにありましたが、馬場先
生が動画を交えて解説されているのがYou Tybeにアップされていました。

ただし、あそこまで先を掛けるのに形に表すものなのかは、考え方にも
よるとは感じました。(昔は小太刀の入身についても形を表していたと
思います)。

さてそこで、打太刀は機を見て技を仕掛けるのですが、同じ小手を打つ
のに二本目と六本目では機の捉え方も打ち方も残心も違うわけです。

別すれで、六本目の小手について打つ機会は、打太刀が上段から中段に
戻るのに合わせ、仕太刀が上げていた剣先を戻しているところを打つと
理解してることについて触れました。

二本目の小手は打太刀は、仕太刀の先を感じ、こちらが技を仕掛けても
対応できる準備が出来ているのを機として打ちかかると理解しています。

このあたりについて、はくどー先生がご自分の研究についてHPにアップ
されているのを拝読し、なるほどそういう捉え方もあるのかと思いまし
た。(詳細は全体の流れからの説明が必要になりますので、はくどー庵
でご覧下さい)

既に連載が終了してから随分になり、監修をされた松田隆智先生は鬼籍
に入られましたが、少年が成長していく中で中国拳法を修練することを
軸にした「拳児」という漫画があります。

太極拳を本場で教えを受けていたとき、老師が「太極拳の形の動作を理
解しているか。」と質問を受ける場面があります。

ここで、老師は同じ突きが来て受けるのに、こういう変化、応用がある
と説明するのですが「各動作の意味が分かれば、理解の仕方が変わる。」
とおっしゃっています。

Hide先生が一刀流の形と剣道形の作りについて触れられておられますが、
解説書には技の組立や理合いについての記述がもう少し加筆していただけ
ないものかと思います。

また、記述がないからこそ、枝葉の解釈がことなり、剣先の付け方や打ち
のタイミングが話題になってしまうのではと思います。

左上段に対する剣先の付ける位置など、レーザーポインターでも使わぬ限
り、本人や横から見ていてさえ正確に向かっているかなどわからんと思い
ます。

下段の剣先の高さに幅を持たせているのに、拳と柄頭のどちらに付けるか
など、どんな意味があるのか私には理解できません。

また、別スレで触れましたが、四本目の足使いと、斬り結びの後の間合い
についての解釈が度々変わります。

理合いが理解できれば、動作の多少の誤差は許容すれば良いと思っています。
メンテ
Re: 残心について ( No.25 )
日時: 2014/10/29 11:13:05
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

>雑誌や書物などは全県連の見解に縛られてはいけないと思いますが、
>「全県連ではこうだが、今のところ私はこう解釈するに至っています」という記載等が
>必要なのかなと思いました。

ここは重要ですね。
「個人の解釈や意見」を雑誌に掲載することは問題ありません。「こうだ」「これが正し
い」と言い切ってしまうことは危険ですね。
そこのところは、編集部がしっかりと記事を修正しなければいけないでしょう(>_<)



To 三七式ヨシさん

>理合いが理解できれば、動作の多少の誤差は許容すれば良いと思っています。

結局はそこなんです。
理合が見えるかどうかが「いい形」であるかそうでないかの分かれ目です。

左上段につけた時の中段の剣先の位置ですが、外から見ていても「効いている」か否かは
一目瞭然です。まして小太刀の一本目二本目などは如実にわかります。
そういう部分での理解が、日本剣道形には不足していて「形(かたち)」のみが先行して
しまっている危惧を覚えますm(_ _)m
メンテ
Re: 残心について ( No.26 )
日時: 2014/10/29 13:42:50
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ様

有り難うございます。

>理合いが理解できれば、動作の多少の誤差は許容すれば良いと思っています。

私もこれでいいと思います。
ころころと解説が変わる部分、解説に書いてない部分は各人が
「理に従えばこうじゃないか、いや、こうかな」と錬ればいいと思っています。

あくまで私見ですが、昇段審査でも、
ころころと解説が変わる部分、解説に書いてない部分は
審査員もそれぞれに意見があるところでしょうから、
そこで合否が決まるとも思えません。

審査はあくまで試験(剣道の本願ではないという意味で)なので、
こういうことで割り切るつもりです。(笑)

指導者として形を指導するときも、ころころと解説が変わる部分は
「今はこう解説されてます。議論があるところなのでしょう」、
解説に書いてない部分は、
「今のところ私はこう考えてます。でも他にも意見はあるでしょう。吟味下さい」で
いいのではないかと思います。

三七式ヨシさんのおっしゃる「理合が理解できれば」の部分ですが、
理合は各々の修行段階でどんどん深まっていくもので、
解説があったとしても各人の理解度、感度が全然違うと思うのです。

また、委員会で理合を詳細解説を作成したとして、
その後、その委員会の各委員もさらに深い理合に気づく(そういう稽古を重ねられていると信じたい)わけで、
これが正解なんて書けないのではないかとも思います。

「一本目の形はこうです。ここからあなたは何を学べますか?」が私は楽しいように思います。

私は、
「理」は普遍の原理や自然そのもの、
「理合」は「理」に従うこと、
「教え」は理合に近づくための訓示や遺訓ととらえています。

ですから、「なぜだろう、どうなんだろう、どういう事だろう」という事こそが私は楽しいです。
メンテ
Re: 残心について ( No.27 )
日時: 2014/10/30 22:24:44
名前: 三七式ヨシ 

こんばんは。

三七式ヨシです。

ずんべらぼん様。

私は初段になる前、中学校県大会のエキビジョンで太刀の形の演武をすることから練習を始めました。

現在は、それなりに自分で解釈ができ、雑誌記事の中でも自分なりに消化できるようになったと思いあがってます。

中学校で始めたころは、先生のおっしゃるまま順序を覚えるのが精いっぱいでした。

四、五段のころから中央伝達講習会で剣先の付ける位置が変わったりすることに疑問を持ち始めました。

私の場合は、周りに相談できる方がいらっしゃたのがとっても幸運だと思います。

また、ずんべらぼん様のようにご自分で見分できるようになれるまでに至った方はそれほど迷われないと思います。

問題は、三段ぐらいからのだんだん見識が出来始める方が迷うのではないかと懸念している所です。
メンテ
Re: 残心について ( No.28 )
日時: 2014/10/31 17:26:52
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ様

いつも有り難うございます。

>問題は、三段ぐらいからのだんだん見識が出来始める方が迷うのではないかと懸念している所です。

大いに迷っていいのではないかと思います。
「誰の言ってることが正しいのか」と思いながらというのは、多角的に形を考えることになるのではないでしょうか。

そこで悩んで「誰のいってること」から離れ、「正しいとはなんぞや」という疑問に変わってくれば
「理とはなんぞや。理合とはなんぞや」とどんどん深まっていけると思うのです。

そうすれば、入門編の形の役目は十分果たせるのではないでしょうか。
「剣道形だけじゃ訳が分からん。居合か古流をやってみよう」なら万々歳です。

迷ってわけが分からなくなって剣道をやめちゃうなら、良い師に巡り会えてないか、
根気がなさすぎるかではないかと感じます。

また、理合はいくら文章で書いても書ききれません。

宮本武蔵の五輪書はすばらしいのですが、自分に都合良く読んで
全く別物に解釈しちゃうことがほとんどではないかと思います。

実際、現代剣道では自分の都合のいいところだけ抜き取って、分からないところは
「現代剣道に合わない」といって切り捨てているのが現状でしょう。

武蔵自身は「此書に書つけたる処、一ことゝゝ、一字々々にて思案すべし。大方におもひては、道のちがふことおおかるべし」と書いてあるのにもかかわらずです。
(一部分だけ取り入れるぐらいなら、いっそ全く取り入れない方がましだと思います)

理合は正しく錬り続けている師から直接指導を受けないと、弟子も正しく錬ることは
不可能だと感じています。

三段で迷いだしたのなら、さらなる師を求める切っ掛けにもなるのではないでしょうか。
重要なのは人だと思います。

個人的には日本剣道形の解説は現在のもので十分ですが、「ころころと変更を加えるな!」
という気持です。

剣道形の理解が一般的になかなか深まらないのは解説書の解説不足が問題ではないと考えます。

問題は人材の不足、師に巡り会う機会の不足、師に会う機会そのものの不足なのかなと思います。

そういう機会は自分で求めて作るしかないと思います。
メンテ
Re: 残心について ( No.29 )
日時: 2014/11/01 10:29:05
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ずんべらぼんさん

>理合は正しく錬り続けている師から直接指導を受けないと、弟子も正しく錬ることは
>不可能だと感じています。

まさにその通りですね。
常日頃から研鑽を積んでおられる方から学びたいものです。


>個人的には日本剣道形の解説は現在のもので十分ですが、「ころころと変更を加える
>な!」という気持です。

御意!
瑣末な部分に手を入れることはやめていただきたいものです(-_-)
メンテ
Re: 残心について ( No.30 )
日時: 2014/11/01 11:25:36
名前: 三七式ヨシ 

ずんべらぼん様、Hide先生おはようございます。

三七式ヨシです。

結果、いろいろな意味で「能々吟味。能々鍛錬あるべきものなり。」ということですね。
メンテ
Re: 残心について ( No.31 )
日時: 2014/11/02 07:16:47
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 三七式ヨシさん

そこに尽きると思います。
頭で理解できたとしても、それを表現できるかどうかは別問題。
宮本武蔵は世界に名だたる極意書を著しましたが、結局「そう簡単にはできないよ。しっ
かり稽古しなきゃね」というエールを贈ってくれたのだと思います 〜☆
メンテ
Re: 残心について ( No.32 )
日時: 2014/11/03 07:35:38
名前: ずんべらぼん 

三七式ヨシ 様
hide.様

本当にそう思います。
武蔵は五輪書で事あるごとに
何度も何度も「吟味すべし」と繰り返しておりますね。

メンテ
Re: 残心について ( No.33 )
日時: 2014/11/03 11:28:40
名前: 三七式ヨシ  < >

おはようございます。

Hide先生、ずんべらぼん様、返信ありがとうございます。

ひとまず結論が出たようです。

また、別スレでよろしくお願いします。
メンテ

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