このフォームからは投稿できません。
name
e-mail
url
subject
comment
トップページ > 記事閲覧
体罰と大学教育
日時: 2016/12/26 01:03:38
名前: 佐藤 

剣道だけではないのですが、体罰がもとで事件になった場合その当事者の顧問の先生が非難されるのは当然ですが、それ以上にそのような先生を育てた、それまでの環境にこそ問題があるように思います。その顧問が体育教師であった場合、その専門種目の指導ノウハウは大学の部活動で補われたはずです。剣道であれば、先輩から後輩へのしごき、指導陣から部員への過度な稽古が見られます。それ自体を否定する考えはないのですが、体罰事件の原因であるとも思えます。なので、体罰の事件が起こった場合、その先生の出身大学の部活動の実態を調査するべきだと思います。また大学の部活動の指導陣も何かしらの原因究明を行うべきと思います。
メンテ

Page: 1 | 2 |

Re: 体罰と大学教育 ( No.1 )
日時: 2016/12/26 09:13:45
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

管理人のHide.です。

確かに育ってきた環境がその人の指導課にゃ指導方法に大きな影響を及ぼすことは否定い
たしません。

しかし、それを言い出したら大学ばかりとは限らないのではないでしょうか。
高校時代や中学時代、いや小学生時代の道場の影響もあると思います。

私が育ってきた時代は、小学生のころから、しごきや懲罰としての稽古、指導者や先輩か
らぶっ飛ばされたり蹴られたりなんて日常茶飯事でした。
そんな私が指導者になりまして、そのような手法に何ら疑問を抱きませんでした。

しかし、あくまでも私の場合ですが、高校までの方が大学時代よりもひどい状態だったと
思います。
むしろ、大学時代はしごきはありましたが、暴力や体罰はありませんでしたね。
もちろん、そのような指導手法を大学で身につけたということもございません。
アルハラはものすごかったですが、今はそういうことも全くありません。

大学の剣道部にのみ目を向けるのはいかがなものかと思われます。
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.2 )
日時: 2016/12/26 10:18:06
名前: ぽん 

それを言い出したら家庭環境だって大きな影響があるんじゃないですかね?
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.3 )
日時: 2016/12/27 09:25:59
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To ぽんさん

管理人のHide.です。

家庭内暴力に及ぶ人は、育ってきた家庭環境に問題があると指摘されていますね。
体罰に及ぶ剣道指導者がそうであるかどうかは、因果関係はつかめておりませんが。

少なくとも私自身は、家庭は至極円満で平穏でしたので、家庭環境に左右されたわけでは
ないと思いますm(_ _)m
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.4 )
日時: 2016/12/27 10:54:26
名前: 佐藤 

体育教師を輩出する大学として最低限のモラルややってはいけないことを再認識させることが必要と思いますが、逆に率先して暴力を振るっている大学だってあるでしょう。最低限そういった現状を変える努力をするべきという意味で大学に目を向けています。すべての原因ではないと思っていますが。
普通であれば傷害罪ですが剣道の中であればまかり通る。それが剣道の現状であるわけです。そのような部分をなくすように剣道連盟も努力しなくてはならないでしょう。
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.5 )
日時: 2016/12/27 17:42:20
名前: けんた 

剣道の場合稽古によって体罰する方法がありますね.たとえばかかりげいこで、突き倒すとかどう考えても体罰としか思えないとこもまかり通るのが、怖いです。
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.6 )
日時: 2016/12/27 19:20:45
名前: 佐藤 


その辺は法律がどうなっているのか気になりますね。任意の暴行の場合は犯罪にならないのでしょうか?
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.7 )
日時: 2016/12/28 09:35:41
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To けんたさん

管理人のHide.です。

現在は、懲罰的な稽古は「体罰」という判断です。
ただ双方に信頼関係があり「倒す」などの行為が「鍛錬」として行われる場合は、外から
は「暴力的」に見えても、体罰にはなりえません。

本人が「暴力的な懲罰」と感じれば「体罰」ですし、「鍛えてくれている」と認識してい
れば「厳しい稽古」になります。


「かかり稽古で突き倒す」という行為も、バランスを崩された程度で倒れないようにする
ための体押しなのかもしれませんし、一概に「体罰」と断ぜられないと考えますm(_ _)m
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.8 )
日時: 2016/12/28 10:53:07
名前: 佐藤 

ヒデさん
お互いの信頼関係?それは洗脳の後の体罰ですよ笑
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.9 )
日時: 2016/12/29 00:34:34
名前: 佐藤 

ヒデさん
ヒデさんは高校、大学で暴力的な指導を受け、それに疑問を持たず後に指導者になった時、生徒にもそのような暴力的な指導を加えたということでよろしいですか?
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.10 )
日時: 2016/12/29 09:51:09
名前: Hide.◆vm9xYr4tCqk  < >
参照:

To 佐藤さん

「信頼関係」は「洗脳」とは違います。
また、「厳しい稽古」と「体罰」も違います。

「懲罰的」「懲罰」というのは、何らかの行為に対して「罰則を与える」ことです。
 ・試合に負けた
 ・稽古をさぼった
 ・悪いことをした
等を罰する目的で「暴力的な稽古」をすることは「体罰」と考えます。

そうした罰則ではなく、お弟子さんを鍛える目的のために行われる稽古は厳しいものであ
っても「体罰」には当たりません。「罰」ではないからです。

お相手が何を求めているのか?
それに到達するために厳しい稽古が必要であれば、それに応えるのが指導者の務めです。
選手にケガをさせたりやる気を殺いでしまうようでは意味がありません。そういうことに
ならないように、厳しい稽古は最善の注意をもって行わなければならず、指導者としての
技量が求められる稽古なのです。


ただ、指導者とお弟子さんという関係ですと、「パワーハラスメント」と受け取られるこ
とがあります。故に「信頼関係」が必要だと書かせていただいております。

セクシャルハラスメントに置き換えてみますとわかりやすいでしょう。
信頼関係のある女性のお弟子さんの竹刀の握り方が悪かった場合、手を取ってそれを直し
たとしてもお相手はセクハラとは受け止めないでしょうが、そうでなかった場合はセクハ
ラと受け取られる可能性があります。

外から見れば、「女性の手をとって握りを直した」という行為ですが、互いの信頼関係の
有無でお相手の受け取り方が違ってきます。

厳しい稽古も同様です。
「暴力的に見える稽古」も本人が「鍛えてもらっている」「自分のためにしてくれている」
とお弟子さんが受け止めれば「暴力」ではないのです。


剣道は格闘技です。竹の棒でお相手を殴る競技です。剣道をご存知ない方が見たら「暴
力」
と見えることもあるかもしれません。それゆえ、剣道指導者は十二分に気をつけなければ
いけないと思う次第ですm(_ _)m


>ヒデさんは高校、大学で暴力的な指導を受け、それに疑問を持たず後に指導者になった
>時、生徒にもそのような暴力的な指導を加えたということでよろしいですか?

小学生の時も、中学でも、暴力的な指導や体罰を受けてきました。
しかし、それによって心身ともに強くなれたという実感もありますし、今でもあれがなけ
ればここまでにはなれなかっただろうとは思っています。

そういう時代だったんだなとも思います。私が育ってきた時代は、高度経済成長で、テレ
ビでも漫画でも「スポ根全盛」の時代でしたから。社会的にもそれが「ふつう」だったん
です。

私自身、懲罰的な意味合いできつい稽古を付けたり、足をかけて倒したり、スコップ突き
をくらわしたり、ひたすら素振りをさせたり、面の上からぶっ飛ばしたり、胴を蹴り飛ば
したこともあります。
けっして怒りではなく、それがその子のためになると信じて行っておりました。

今は、そうした行為が間違いであった(別の手法があった)と考えておりますので、一切
行っておりません。しかし、たくさんの剣道嫌いを作ってしまったことでしょう。バカが
つくくらい熱心ではありましたが、お世辞にもいい指導者ではありませんでした。

時折、当時の教え子たちと飲む機会がありますが、みんな「こんなことがあった、あんな
ことがあった」と笑い合い「社会に出て何があっても動じませんよ」と恨み言を言わない
のでよけい胸が痛みますm(_ _)m
メンテ
Re: 体罰と大学教育 ( No.11 )
日時: 2016/12/29 09:58:30
名前: 砂糖 

私は第三者としての見方ですが、
今の時代は教員・指導者を処罰するために、かなり物事を歪めて表現しています。

物事の原理は
1 原因 2 結果であり、体罰は結果ですよね。

1の原因はまず子どもにあります。
例 正しい行動ができていない
  気合が入っていない
  ふざけていた 等

本来、先生は勉強(剣道)を教えるのが本職なのに、
例にあるような、「学ぶ姿勢」段階から指導しなければならない。
それはすでに保護者の問題であったり、幼年期の教育の問題であったりします。
ですから、体罰という結果が出た時でも、原因は子どもであると思います。

ただし、その場合の指導方法の選択肢についてですが、
40年前の教育は問題ある原因を改善する選択肢のひとつとして、
体罰も容認されていましたが、
現在は、「その方法を選択するな」という時代になってますので、教員免許を取る教育機関の段階で指導すべき、そしてエラーが出た時には、その時点の指導ができていたかが、問われるものだと思います。

私自身が心配するのは、原因を作りだした子どもの方が、問題行動を問われることなく、体罰の教員が一方的に処罰される社会風潮が教育の質を低下させることを心配します。



メンテ

Page: 1 | 2 |

Subject 入力禁止
Title 入力禁止
Theme 入力禁止
題名 スレッドをトップへソート
名前
E-Mail
URL
URL
コメント中には上記URLと同じURLを書き込まないで下さい
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

クッキー保存