記事タイトル:剣道の楽しみってなんでしょう? 


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お名前: R   
あたしも剣道やっテル中学2年の者なんですがやっぱり先輩がいて楽しいってあたしは思います。励ましてもらったり、ほめてもらったり・・・・
先輩じゃなくても周りの人がきっと助けてくれるはずですょ☆★

お名前: ミッキー   
あたしも剣道やっテル中学2年の者なんですがやっぱり先輩がいて楽しいってあたしは思います。励ましてもらったり、ほめてもらったり・・・・
先輩じゃなくても周りの人がきっと助けてくれるはずですょ☆★

お名前: キラりん子   
私も少しダケ辞めたくなっちゃった時ありますよ・・・辛いだけと思っていた
稽古の前憂鬱だったケド。。。引退する先輩が最後に『3年間頑張りぬけ!
辞めたら本間おもんないゾ!』って言っていてそこまで言う剣道ってなんぞや!って思って心入れ替えよ☆って思いました↑
それから。。。
思いっきり稽古したら剣道が・・・自分が大っ好きになっちゃいました!
1年生が入った時先生はみんな一回は辞めたいと思うもんや、でもそこを
乗り越えると精神的に強くなれるっておしゃってました!
友達が辞めたいと言い出した時何を言ってもダメでした。そんな時再び先生
の言葉が蘇り、うちらが支えたらな。。。って思いました!
掛かり稽古などはみんな泣くくらいキツイけど信頼出来る先生や何度倒れても
『がんばれ!』と叫んでくれる仲間が居るから耐えられるし、終わった後の
充実感は他のスポーツに無いです♪
こあらべあさん何か私、自分の事しか書いてゴメンナサイ。。。
今は苦しいけれど耐え抜いた人だけが味わえる楽しさがきっとあると
思うので頑張ってください!
その時が来ますように☆★

お名前: Hide.   
アハハ、剣道寄席さん、楽しいですねぇヽ(^.^)ノ

こういう専門の掲示板創ろうかしら(笑)

お名前: 剣道寄席   
♪テンテケテンテン・・・

「剣道」と懸けて、「南国のリゾート地」と説く

その心は、
1年のほとんどが夏→なかなか「秋」にならない→なかなか「アキ」が来ない→なかなか「飽き」が来ない

失礼しました \(^◇^)/

お名前: Hide.   
to こあらべあさん

長期の合宿に行っていたため、すーーかりレスが遅くなってしまい申し訳ありま
せんでしたm(_ _)m


>あのうHideさんなら、的確な答えが返ってきそうなので質問します。

うーん、やばいなぁ。そんなに期待されても、たいしたことは出てきませんよぉ(^^;


実は、私は「剣道ってそんなに楽しいもんじゃない」って思ってます。元々「人
を殺傷する技術」として生まれた剣術が、他の外来スポーツと同じように、「楽
しめる」わけがないからです。

楽しくない理由を考えてみますと、
 1.覚えなければならない作法や所作が多く、わけもわからず「礼」を強要さ
   れる
 2.冬は寒く夏は暑く、厳しい環境にあるときほど「修業だ」と言ってお稽古
   を強要される
 3.初心のうちは打たれるばっかり( -o-) フゥ
 4.初心のうちはろくすっぽまともにお相手してもらえない(^^;
 5.「ダメな自分」「弱い自分」を痛烈に実感できる(;_;)
 6.上達の度合いが主観的にも客観的にも分かりにくいヽ(-.-)ノヤレヤレ・・・
 7.わからないことを質問しても、明確に答えてくれる人が少ないうえ、聞き
   にくい雰囲気が漂う
 8.年功による序列や段位による序列が明確に存在し、自分がちっぽけな存在
   に感じられる
 9.「人間形成」と二言目には言いながら、あやしい人格の持ち主が多い(苦笑)
なんてところでしょうか(爆笑)


我々いちに会では、そんな「つまらない剣道」を「楽しい剣道」に変えることを
目的として活動する団体です。どうやって楽しむかって言いますと、

1.仲間作り
 ですね。気心の知れたお仲間とのお稽古は、しかめっ面をした老先生にしごかれ
 るのと違って楽しいですよぉヽ(^.^)ノ そうした仲間には、自分の悩みや相談
 を心置きなく話せます。けっこうみんな同じようなことで悩んでるのがわかっ
 て、ホッとしたりするものです(^^)

2.自己表現の一形態だと考える
 剣道は「強い自分」を表現し育てる競技だと考えるんです。「いやぁだなぁ」
 「辛いなぁ」に負けない自分。だって、自分の心ひとつコントロールできなく
 ては、竹刀自由に操作しお相手を打ち込むなんてことが出来ようはずもありま
 せん。
 剣道は「非日常」です。職場や家庭生活での嫌なことを忘れて、一心不乱に自
 分と向きあうことが出来ます。その「非日常性」こそ、平々凡々とした毎日に
 衝撃的ともいえるスパイスとなるものです。その中から、少しずつでも「強い
 自分」を表現する術を学べるとしたら、それは必ず「日常」にも応用が利くは
 ずですヽ(^.^)ノ

3.考え・工夫し・実践する喜び
 竹刀が自由に振れるようになると、次に考えるのは「どうやったらお相手に打
 ち込めるか」ってことが大いなる楽しみとして浮上してきます。
 お年寄りが10代後半や20代前半の運動能力が盛んな若者を苦もなく打ち伏
 せてしまう「不思議な競技」剣道。それは、単なるスピードでもパワーでもな
 い世界。年齢や性別すら超越してしまう身体運動が、他にあるのでしょうか?
 そして、初級から中級に進む過程に「攻め」の問題に突き当たります。「攻め
 て打たなきゃあたらないよ」と先生方がおっしゃいますが、「攻め」と「攻撃
 (メンコテドウを打つこと)」が「違うらしい」と気付きはじめたとき、剣道
 の深遠なる魅力の片隅に手がかかりつつあるのです。その時から、「自分」と
 向きあってきた剣道がお相手という「他人」と向きあうことになっていきます。
 自分の心を「平常心」に保ちつつ、お相手の心に「四戒(恐懼疑惑)」を生じ
 させるように働きかける。そのために、「考え、工夫し、努力する」剣道が始
 まります。単なる技術を超えた「精神性の世界」。自分の中の内面世界と他人
 のそれとの対峙・・・。我々はそこに、剣道の無限の広がりを感じ、限りない
 魅力を見いだすことが出来るのですヽ(^0^)ノ


自分という人間は「自分以上」でもなく、「自分以下」でもありません。常に真
実の自分と向きあい、対話し、他人の存在を強く認められる剣道の世界こそ、「人
間としていきていくこと」を発見させてくれる、「楽しみ」なのではないかと愚
考いたしますヾ(^-^)ゞ イエーイ

お名前: Fすずのすけ    URL
こあらべあさん、こんにちは。
  わたしからも一言。剣道を再開して思ったのは、「学生のころは、
不必要に悲壮感を持って部活をしてたなあ」ということ。
  あの「ファイトー」という励ましの声ひとつとっても、声の出し方によっては、
なんか余計に元気なくなりそうで、いやでね。

あと、懸かり稽古で最後の懸かり手が、こってり長時間コースをさせられる時に、
なんかの事情で友人が「おれ最後やるから」と言うので、これ幸いと、ゆずって最後から二番目をしました。そうしたら、最後じゃないから気楽に
済ませて、友人のラストを見物しようと思チたら、友人は三往復ぐらいであっさり
終わってた。つまり、警察から来てたコーチのかたは、二番
目だろうが今日はわたしを最後の懸かり手とみなして稽古を
つけてたんですね。ですから、それ相応の料理のされ方だったはずなのに、
自分はラストじゃないからと悲壮感がないから、伸び伸び済ませちゃった。 どうかこあらべあさんも、わたしのように中途でやめて
もったいないことにならないようにと、願います。

お名前: みのる   
こあらべあさんこんにちは

Hideさんは今合宿中でまだカキコできない状況らしいのでその間に私も・・
そうですね、剣道ってこあらべあさんが思っているようにどうしても楽しいって事には
直結していないように思えますよね、わたしなんかも稽古に向かってもイヤで途中で引
き返したことが何度あったことか。そんな時ってあとで自己嫌悪になるんですね。
反対に行く時は嫌々ながらでも稽古をしてしまえば、終わって見ると充実感で満たされて
人間的にも自信がでてくるような気持ちになったものです。そんな繰り返しできたようね
気がします。気が付いてみればもう老年剣士になってしまいました。続けて来たお陰で
プラスになったことは数え切れません、継続は力なりって実感してます。
こあらべあさんも継続にチャレンジして下さいね。必ずいいことがありますって(^_^)

お名前: こあらべあ   
大さん、ありがとうございます。なんか一筋の光が見えてきたように思います。剣道って、外に
求めるものではなくて、自己の錬磨もかなりなウェイトを占めているのですね。考えを変えなきゃ、楽しいっていう意味を誤解していたようです。自己の技や、思いを高めたときの喜びっていうのがあるのですね。苦しい稽古をやり抜いた自信とか・・。なんか周りの人たちは剣道にはま
っていて、理解できなかったですがちょとだけ解る気がします。野村監督が先日、言っていたことばに、がまんと忍耐の違いとか言っていたらしいですね。目標がみえなく耐えるのが、がまん
今、苦しんでいてもそれが報われるのが忍耐・・剣道やっていたらなにかつかめるかも知れませんね。^^・・がんばってみます。

お名前:   
こあらべあ さん こんにちわ  年配剣士の 大 です。 ヨロシク

 剣道初めて半年ですよね、はじめた動機と環境にもよると思いますが一番面白くない時期ではと思います。剣道が楽しい!これって大事な大事なことですよね。剣道の楽しいことについ
ては、Hide.剣道研究室サイトの剣道の『良さ』について(1)に記されていますし、この後、
多くのカキコがあることと思いますが、楽しみ方は年齢や職業によって様々だと思います。

そこで、こあらべあ さんは10代の女子学生かな?と勝手に推察し以下の手記を紹介します。

月刊 『剣窓』平成13年7月号に東京大学法学部教授の寺尾美子氏の手記が有ります。

以下抜粋・・・・・・

 もう30年ほども前のことになる。『女子を入れると風紀が乱れる』との反対があると聴かされ、『やってして稽古についてこれたら・・・・』という条件付きでようやく入部を許された
私は、伝統ある東大剣道部の女子第1号となった。
 更衣室からして自分で探してこなければならない。稽古の後、帰るのはいつも一人だった。
付けられた『条件』も実は追い出すためのものであったらしいいと後で知った。
 剣道部の"卒業式"では、各人の名前を彫り込んだ木刀が"卒業証書"として手渡される。どん
なことがあっても私もあの木刀を手にしたい。これが、私の大学生活4年間の目標となった。
 今、振り返ってみると、『何であんなに頑張ったたんだろう?』そして、『なんであんなに
頑張れたのだろう』と思ってしまう。
 その答えは、簡単である。私は剣道が好きだったからである。剣道をしている時の自分が好きだったからである。でも何故?なぜ私はあんなにも剣道が好きだったんだろう?
 青春時代、人は誰でも自分に対する強烈な自己嫌悪観ト対峙し、格闘しなければならないの
ではないだろうか。私のそれも。人一倍屈折し、強烈だった。真ん中、真ん中、己の中にある
真ん中の中心を求めて繰り返す素振り。正面を、どこまでも正面を求めて攻める面打ち。自分
より上の相手と対する時には、恐れや、諦め、萎縮する己の心が敵となり、自分より下の相手
と対する時は、相手を侮り、油断する己の心が敵となる。剣道は己の心の状態を実に忠実に映し出してくれる。恐れず、侮らず、慎重に、しかし思い切って、攻める。良い精神の状態、
『無心』の状態へと己の心を高めつつ、身体と心と剣とを合わせていく。良い稽古ができた
時の『黙想』『礼』の後のすがすがしさは、何ものにも変え難かった。
心から『師』と呼べる方々に出会えたのも、剣道が初めてである。こう考えてみると、剣道
の世界の不思議な力、懐の深さを思わずにはいられない。・・・・・・後略・・・・・

 少々長くなりましたが剣道の良さをよく表現された手記だと思います。

こあらべあ さん もうしばらく辛抱して面白さ、楽しさを発見してほしいと祈ります。

お名前: こあらべあ   
あのうHideさんなら、的確な答えが返ってきそうなので質問します。私は半年前剣道を始めました。みんな、楽しそうに剣道談義をされていますが、私は剣道が楽しいと思うことがありません。練習前なんかははっきり言って苦痛です。なら、やめれば〜ぁってことなんでしょうけど、
な〜んか続けて行くうちに楽しくなることもあるのかな?年輩の方も続けているところを見ると
なんか魅力があるのかなって思ってやめる気にはなりません。でも、稽古に行くのがおっくうです。どうせ先生からしかられまくりで、きつ〜い稽古が待っているのですから。どうせ、他の
人に聞いたって、いやならやめればぁ〜とか、剣道はそんな甘いもんではないんだよ。とかしか
答えが返ってこないのです・・・;;

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