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管理人のHide.です。

あくまでも私の認識ですが、剣道など武道はもともとお相手を殺傷する目的で生まれまし
た。つまり、「負けイコール死」をも意味していたんですね。いくら勝ち、生き残ったからと
いって、死者を前に喜ぶのは人間として悖る行為です。勝者は死者の健闘をたたえ、「明日
はわが身」とその亡骸をねんごろに弔い、次の戦いへと旅立っていったのです。

それは時代を越えたいまでも同じです。「勝者をたたえる」のではなく「敗者をいたわる」と
いうのがスポーツと武道の最も大きな思想の違いといっていいでしょうね(^^)

お名前: 剣志郎   
とおりすがりさんへ☆

「いけない」というより「見苦しい」が正しいと思います。とうりすがりさんは剣道をされ
ているかどうかわかりませんが、剣道はスポーツ的に技を競う面と武道としての文化的側面
を含んでいます。そのために他の競技にはない、礼法や所作が存在しているのですが、その
根本に据えられている哲学が「武士道の精神」なのです。まぁ、そう言うとかなり難しい話
になりますし、一般的ではないのですが…(苦笑)。(興味があればお調べください☆)

その道徳律に沿って様々な所作が決まっています。武士道には忠孝仁義礼勇智信という道徳
を基本として構成されています。今回の場合、この中の「仁」に基づく「礼」を大切にした
考えが反映されているようです。「仁」とは「人としての優しさ」を説いたもので、「相手
への労わり」を重要視しています。元々は「立場の強いもの(武士)が立場の弱いもの(領
民)に対しての労わりを以って政治を行い、自らを律する」という概念のものです。この考
え、思想を剣道人に伝え、現在の生活に生かしてもらおう!というのが剣道の理念の一部で
す。そうした背景から現代剣道においては「敗者への労わり」「試合相手への感謝」を表す
ものとして、「過度な勝利への喜び」をあまり良しとしてはいません。

したがって、ルールというわけではないのですが、各指導者が「見苦しい」として戒めてい
るのです。最近ではそうした感覚も薄れ、過度に大喜びする方もおいでですが、本来はそう
したものではないとお考えください。

でも、「じゃ、優勝しても祝勝会とかしちゃダメなんですか?」といわれそうですが、やは
りつらい稽古の成果が試合に勝利という結果で現れた訳ですから、嬉しくて当然、喜んで当
然です。しかし、これ見よがしに試合相手の前で喜んで見せるのはいかがでしょうか?お互
い死力を尽くして戦った相手です。互いに健闘を褒め称えあうのが美しいと思いませんか?
それが日本特有の文化の美意識です☆ その場でなく、後でみんなで喜んでも良いのではな
いのでしょうか?要は時と場所だと思いますよ☆

あぁ、ちなみにこれは私個人の意見ですのであしからず(笑)☆

お名前: とおりすがり   
何故剣道は試合で勝った後喜んではいけないんでしょうか。

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