記事タイトル:古流を練習する意義 


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お名前: 一刀流を教わった人   
左手拳をスナップを利かせずに、拳が降りてくる
よりより先に、剣先が降りてくる方法は技術として
ありますか?>

順天堂大学にいた清野先生もスナップを利かせるというのは
竹刀打ちの発想で刀はスナップは利かせることはできないと言ってました。
順天堂の出身の人は手首よりは肩関節で打つ剣道ですよね。

お名前: 宮沢   
 昨日、11年ぶり?で一刀流の稽古に行きました。
50本全部覚えているかな?と思っていたところ…。
昔、一緒にやっていた人から「切り落とし」から
注意を受けてしまった。結局、1本目で終わってし
まいました。

 宗家からもいくつか注意を受け、どれも自分自身
に思い当たることがあったので納得と言う感じでした。

 一緒にやってた人からは「剣道での使い方になれて
しまった」というのですが…。彼曰く、剣道も同じで
スナップを効かすやり方が間違っているとの事でした
が…。どうなのでしょう?

 そう、チョットわからないのは「左拳を振り下ろす
際にスナップを効かすな!」という事です。

この事は、本来は木刀も竹刀も、古流も剣道も同じ
で、つまり振り下ろしたせつなに左拳を閉めたとき
に反動で、自然と切っ先が伸びるようになると言う
事か?とも思うのですが…。

 確かに、剣道を始めたときによく言われたのは
振り下ろしすぎる。つまり振りかぶりすぎる。
これは、一刀流の稽古のときに、剣道とは逆に
(剣道でも切り返しや素振りの時の振りは一刀流
と全く同じ事を言われるのですが…。)切っ先が
弾まぬように、きっちり物打ちで切るようにと口
すっぱくいわれて見に付いてしまったのですが…。

早稲田ではいかがでしたか?
左手拳をスナップを利かせずに、拳が降りてくる
よりより先に、剣先が降りてくる方法は技術として
ありますか?

 それとも、剣道と古流では別に覚えなさい!と
言うことなんでしょうか?今ひとつ納得が行かない。
どう思われますか?        宮沢

お名前: 越生梅林   
剣道の技術の源流は日本刀を操作する刀法による剣術であり江戸時代の剣術は
「形稽古」が主流であった。こうした古流の形稽古は剣道の本質である
剣(刀)を刃筋正しく使う技術を学び感性を磨く鍛錬法である。
それとともに剣道の文化的特性は竹刀を「竹の棒」と認識するのではなく
「日本刀」を扱っているという観念を持って竹刀を扱うことにより
人間形成がなされていることである。剣道の競技としての打突部位は
面、小手、胴、突があるが「竹の棒」による得点を取る技術として発展したとしたら
剣道の技術は心の表現からかけ離れたものになる。
「日本刀」を操作する刀法の中に武士道では精神性の追求が見られ技術と心は一体
となり発展してきた。
古流の型の練習は剣道の稽古以上に刀法の意識を高めることができる。
今日まで伝承されてきた流派の形稽古を学習することは
格闘技の妙味を競う技術の理解を深め、伝統文化の奥の深さを実感し
剣道の対人技能を高める効果があるとともに、知的好奇心を刺激して
生涯運動としての武道に興味・関心や理解を高める上で有効である。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

形稽古は「約束稽古」になりますので、身体接触もなく怪我も少なく、防具の購入・着装など面
倒な手間も省けます。体育の教材として扱うには、男子にも女子にも適していると思います。

ただ、打方と仕方に分かれますので、指導者が2名いないと示範できないですから辛いかもし
れませんね(^^;

お名前: 桜井   
授業では外部講師として先生を招かないと難しいのでは

お名前: 佳   
体育の授業で古流の形を指導することは意義はありますか。
生徒の技量や試合欲求とは違う展開とは思いますが。

お名前: Hide.    URL
to 宮沢さん

丁寧なカキコありがとうございます。
私自身じっくりと読み返し、咀嚼してからご返答差し上げたいと存じますm(_ _)m


to 鐡心さん
>以前、ニ天一流のご宗家からお言葉を戴いた事がありまして、
     (・・・後略・・・)
深いお言葉ですね(^^)
私なども、カラダが動きますうちは当たるを幸いにお稽古しておりましたが、加齢ととも
にカラダが動かなくなってまいりますと、理合の大切さ尊さに気がついてまいりました(^o^)

お名前: 鐵  心   
こんにちは。
私は一刀正伝無刀流を修行していまして、現代剣道は経験がありません。

以前、ニ天一流のご宗家からお言葉を戴いた事がありまして、

「剣術を修行していく上で、理合を大切にしてください。
 今の若い人たちはどうしてもこちらのほうが有効なんじゃないかとか、
 このほうが効くんじゃないかとか言いまして、理合を忘れていらっしゃいます。
 理合は先人が命を懸けて作り出してきたものですから、
 騙されたと思って理合を大切にして稽古をしてください。」
と。

今このお言葉が何となく分ってきたような気がしています。
この古流の理合が現代社会に通じるところがあるので驚いています。
言葉で説明するのは大変難しいのでなんとも言いようが無いのですが!
理合に従って行動して助けられることもしばしばあるのは事実なんです。

もっと修行をしてこの理合を自分の体に染み付けて、
役立てることができればと思っている今日この頃です。

お名前: 宮沢 泰行   
 HIDEさん、今晩は
 古流と剣道は別物と考えることについて…。

私は、剣道はまだまだ初心者の域をでていないので的確に意見を言う資格など
本来はもてない者と思いますが、その点はご容赦ください。

1.剣道の利点でもあり限界でもあると思うのですが、
  打突によって、一本という勝負をつけるルールをつくり、且つ一本をとる
  打突の部位を決めたことは、
  その目的が「一本をとるためのものとなる」事によって、実戦の武術から
  は離れたものとなると思います。

2.剣道の求めているものとか、武道としてのあり方といった是非論ではなく
  剣と剣を使った戦闘では、肌にチョット触れただけでも血が出るわけです。
  例えば、小太刀などで間合いを切って相手の懐に飛び込んでしまえば、否
  長刀でも、相手の剣をかわしながら間を切って相手の内側に入りそのまま
  首を薙れば相手は絶命してしまいます。 
  勿論、 
  古流にそんないい加減な技や乱暴な技はありませんが、剣道と戦闘とでは
  そうした違いがあると思います。
  そして、古流の技は戦闘を通して完成されたものだけに、形稽古といって
  も剣道よりはよほど、その動き方においては自由であるような気がします。
  歩み方も含めて、その形の動きの過程こそ千変万化な戦闘の中から生まれ
  てきた物と感じられるからです。
  
3.ただ、一番大事な事は、
  剣道にしても古流にしても、目的意識をどこに置くか?だと思います。

  例えば、真剣で竹刀剣道のような動きはできないという人がいます。
  真剣を使って、剣道のような動きをした場合に(危険という事の他に)
  まず腱鞘炎になってしまうのではないか?などのように。
 
  ところが、真剣を使った場合に
  その重さ故に、余計振り上げてからの打ち下しは難しく、その意味で
  は、試合における竹刀剣道の面の打ちこみ(基本練習のそれではなく)
  のようなものになるのではないか?と思います。
  その点では、ますます7・3の物打ちでの活かされ方が問題となる訳
  で、その点では「剣道」も「古流」も「稽古」と「実戦」での違いも
  含めて同じなのかも知れません。
  とすれば「剣道の試合、稽古の打ち」と「一刀流のとどめの小手打ち」
  も同じで有るべきものなのかもしれません。
  と言って、鬼小手を打つ時に木刀が弾む事なく、且つ剣道をする時に
  打ち下ろす事なくすると言うのは、なかなか難しい事だと思いますし
  正しいかどうかもわかりません。ただ、それを意識しながら練習する
  のも意味がある事だと思います。  

4.また、竹刀には鎬も反りもないから限界があるという人もいらっしゃ
  るようですが、それは意識の持ち方、竹刀の使い方の工夫で克服でき
  るのではないか?と思いますし、切り落としも、巻きも、張りも、鎬
  を使った外しもできると思います。
  この点でも、古流も剣道も同じ結果になると思いますが、但し意識の
  持ち方次第では全く別なものになると思います。
   
5.古流と竹刀剣道とでは「間」のあり方が違いますよね。
  剣道の場合は、一足一刀の間で絶えず双方死地にあります。
  一刀流などの場合、例えば「五点」の「妙剣」や「陰刀」のように
  一見すると遠間からの攻めがあったりします。
  小太刀では、間を切って中に入って相手の動きを封じます。
  普通、竹刀剣道の動きにはこうした動きはありません。
  応用して使えなくはない?とも思うのですが一般的には注意の対象
  になるのでは?と思います。
    
  以上、とりとめもない事を延々と書いてしまいましたが、古流での
  稽古の仕方をそのまま剣道に生かそうとしても、かえって邪魔にな
  ってしまう事のほうが多いように思います。
  当然、剣道の稽古方法で古流の稽古はできません。

  始めの内は、それぞれ別のものとして見につけて行った方が良いよ
  うに思います。                 宮  沢 
   

  防具の発明は、それによって身を守りながら、安心して打突の修練ができ
  打突のみならず、実戦での早間での気を練ったり、動きを身につける事が
  できると思います。

お名前: Hide.   
管理人のHide.です。
高校の関東大会で留守にしていた関係で、この掲示板へのレスが著しく遅れてしまってお
りますことをお詫び申し上げますm(_ _)m


to 宮沢さん
ご丁寧な紹介のカキコ、ありがとうございます! 宗家の元で小野派一刀流を修業なさっ
たのですねヽ(^.^)ノ


>ただ一つだけ言えると思うのは、剣道と古武道は全く別物として理解すべきだと個人的
>には思っております。

このあたりのお話は、もう少し突っ込んでお伺いしたいですね。どうしてそのようにお考
えになられたのでしょうか?(^^)


>但し、竹刀にせよ刀にせよ、剣道と古流の両方を別々にやって、初めて「武道」と言う
>のが見えてくるのではないか?と思っております。

この点につきましては、私も同感です。とかく現代剣道は「当てること」に固執する傾向
にあります。また、スピードとばねに頼った直線的な剣風が流行しています。しかし、古
流の持つ複雑にして重厚、味わい深い技の数々は、先陣が命を削りながら作り上げた魂の
結晶であります。それを知ることはしない剣道に奥行きと可能性を加えることになると私
は信じておりますが(^o^)

お名前: 宮沢 泰行   
一刀流は、現在の17代宗家の笹森建美(たけみ)先生の道場で行われていますよ。
土曜日が練習日のようです。日曜日は、門人たちの自主稽古になっているようです。
住所:世田谷区 代沢 1−13−2/TEL:03−3412−6986
電話をかけると始めに「駒場エデン教会です」と出ると思いますが、実は此処は
キリスト教の教会でもあり、小野派一刀流の宗家の道場「礼楽堂」でもあるのです。
一刀流極意を書いた16代宗家の笹森順造師は青山学院の院長もなさったキリスト教
の信者です。そして長年、教会を建てるのが夢だったそうです。
現在の17代宗家の建美先生は牧師になられて、父である順造師の長年の夢をかなえる
ように、順造師の道場兼自宅を教会兼道場になさったと言う訳です。
因みに建美先生は、キリスト教と武道はなんら矛盾することなく共存するばかりでなく
相通ずるものがあり、明治になってキリスト教が入ってきたときに最初にそれを受け入れ
たのが、内村鑑三や新渡戸稲造だった…など等の観点から書かれた著作がいくつかあります。
道場で折に触れてそうした話を聞くと「武道」特に「古武道」と言われるものが、実際に武道
として存在していた時に、どのように感じられていたのか?などが彷彿とされたりして面白い
なと思ったことがあります。
私は、今は時間の都合が合わなくて稽古に行けないでおりますが、一刀流はなさる機会がある
のであれば、ぜひお薦めいたします。
私は、今は剣道の稽古の方が中心になっておりますが、両方やった方がいいと思います。
剣道の間合いと一刀流の間合いとの違い、刀で切りあう場合の刀の使い方と竹刀の使い方の
違いなどなど…。大変、興味深い問題点がたくさん出てくると思います。
ただ一つだけ言えると思うのは、剣道と古武道は全く別物として理解すべきだと個人的には
思っております。但し、竹刀にせよ刀にせよ、剣道と古流の両方を別々にやって、初めて
「武道」と言うのが見えてくるのではないか?と思っております。  宮沢

お名前: 小野 歯 一刀流   
道場さがしてみては?

お名前: Hide.   
To 如意観音さん

>一刀流の稽古を行う時は
>掲示板にでも日程を示して頂ければ伺いたいと
>思います。

あくまでもプライベートな集まりですので、掲示板に宣伝するほどのこともないと考えておりま
す。もしご希望でしたら、メールをいただければご案内いたしますが(^^)

また、電脳剣士稽古会の方でも、小野派一刀流研究会が計画されているようです。そちらでした
らオープン参加となるはずですので、「電脳剣士情報交換ボード」をチェックしてみてください
(^_-)~☆

お名前: 如意観音   
一刀流の稽古を行う時は
掲示板にでも日程を示して頂ければ伺いたいと
思います。

お名前: Hide.   
to 如意観音さん

>Hideさんの母校のW大は一刀流はやってないのですか?

ハイ。残念ながら、渡辺敏雄師範が泣くなって以来、小野は一刀流は受け継がれておりま
せん。今度、渡辺先生の直系ともいえる方が師範になられますので、小野は一刀流が復活
してくれれば・・・と密かに望みをかけているのですが(^^)


>一般の高段者がほとんど古流に触れないのは、原因は
>どこにあるのでしょうか?

現代剣道と古流との融合性が感じられなくなったからだと思われます。
これは居合道にもいえるのではないでしょうか。昔の先生はほとんど例外なく居合も抜か
れたようですが、戦後の先生は(私も(^^;)両道を勉強される方が少ない。剣道から、投
げ技・関節技・組み打ちなどが取り除かれ、武術としての側面が少なくなり、単に試合規
則にのっとって、面・小手・胴・突を打突しあう競技になってきて、古流の持つ自由闊達
な技や刀法に(試合規則上反則になる場合も(^^;)価値が見いだせなくなってきているも
のと考えます。

これは、日本剣道形に対する、取り扱われ方を見ても同様ですよね( -o-) フゥ


>Hideさんは今どこで一刀流を練習されているのでしょうか?

まったくの自主稽古です。
幸い、何人か、周りの方で勉強したいという方がいらっしゃいますので、その方々ととも
に、笹森順造先生の「一刀流極意」や宗家のビデオを参考に、渡辺先生の教えを思い出し
ながら取り組んでおります(^^)

お名前: 如意観音   
Hideさんの母校のW大は一刀流はやってないのですか?
一般の高段者がほとんど古流に触れないのは、原因は
どこにあるのでしょうか?

Hideさんは今どこで一刀流を練習されているのでしょうか?

お名前: Hide.   
管理人のHide.です。

うーん、このご質問が、「指導者研究室」にふさわしいものかどうかはやや疑問ですが、とりあ
えず、私がお答えできる範囲でお話しましょう。

私は大学時代、大学で小野派一刀流という古流の形を教わっておりました。これは、亡くなった
師範が指導にあたられておりまして、現在、母校では行なわれておりませんが。
小野派一刀流は、太刀組太刀だけで50本もある壮大なもので、学生は、4年間で打方か仕方のど
ちらか一方を覚えることになっておりました。

それまで、日本剣道形しか打ったことのなかった私ですが、小野派一刀流との出会いは強烈でし
た。体が小柄なこともあり、「お相手の打ちをかわして打つ」という剣風だった私ですが、小野派
一刀流の初手にして極意の「切り落とし」は、お相手が打ちかかるのを真っ向から進み出て、「お
相手の太刀を理を持って打ち落とし勝ちを征する」という強烈なものでした。それは二本目「迎
突」にも現れておりました。これが、私の剣道観を大きく根底から揺るがしたのです!ヽ(^.^)ノ

また、師範との出会いもしかりでした。師範は身長こそ私と同じくらいでしたが、小野派一刀流
そのものの豪放磊落な剣風とお人柄でした。私の剣道はそこを基点として、大学卒業後も小野派
一刀流の自主稽古に取り組んでまいり、現代剣道との融合を模索してまいりました。私の剣道観
のみならず、基本や技の太刀筋にも、小野派一刀流が大きな影響を与えてくれております(^^)


>また、高校や大学の剣道部で古流をやってる学校はあるのですか?

あくまでも私の知っている範囲ですが、順天堂大学では今でも小野派一刀流のお稽古を続けてい
るのではないかと思われます(^^)

お名前: 目黒センター   
現代剣道には直結しない古流を
稽古する意義はどんなことなんでしょうか?

また、高校や大学の剣道部で古流をやってる学校はあるのですか?

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