記事タイトル:伝統文化の理解とは 


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お名前: ODA爺   
Pマン様

私の発言に理解をお示しいただき感謝いたします。
剣道のそんなところがいいな〜と、いつも考えています。

お名前: 浜口   
そうした意味では今の警察官大会なんかを見に行くと
シャモの喧嘩みたいな試合ばかりですね。

構えと刃筋の通った試合はほとんどありません。
勝つことで警察官のプライドが保たれるのでしょうが、
宮崎あたりが優勝して剣道も武道の姿からスポーツに転換してしまいましたね。

お名前: 武道研修センター   
「剣道の理念」や「武道憲章」を読むと武道の最終目標を人間形成の道の追求に
置いています。武道で学んだ理論を自己の生活に置き換えて実践
できるようになることが、伝統文化を理解して変容した姿と考えて良いみたいですね。

茶道、華道等の道の名のつくものは
1 形の文化
2 心を表現した技術
3 伝書等の伝承されてきた教え
などを伝統文化としています。

剣道では身体文化というものがあり
・刃筋と体さばき(丹田等を含め)
を伝統文化と考えられる要素でしょう。

お名前: Pマン   
ごきげんよう

伝統文化という言葉に引かれて、伺いました。
わたくしは、以前から剣道は他のスポーツとは違うとか、剣道はオリンピック種目にすべきでは
ないとか、そして剣道は日本の文化であるなど議論に自分なりの意見を見出せず、もやもやとし
た暗い闇の中で悶々としておりましたが、皆さんのご意見を拝見してようやく一筋の明かりが差
したように感じております。
特に、 ODA爺様のご意見にはわたくしにとって目からうろこ状態で御座いました。

>剣道や武道をとおして伝統文化を理解するということは、正にこの「思いやりの心」
>を理解することだと思います。

日本の伝統文化にとは、思いやりの心・・・・
実に素晴らしい・・・
わたくしは、あまり難しいこと(歴史や哲学等)が分からないバカの壁を張り巡らせた愚か者で
御座いますので、ODA爺様の真意すら取り違えているのかもしれません。
が、しかし、このお言葉でわたくしは、清らかな光明を見たので御座います。

辞書に書かれた文化とは、人間が向上しようとして作り出した物心両面の成果とか、世の中が明
け進むこととあります。
それをODA爺様風にちょっと言い換えて・・・・・・
文化とは、その国で培われた思いやりの心・気遣い・まごころをさまざまな形で表現したもの。
となれば、わたくしとしては、今までの剣道の議論だけでなくさまざまな事柄に自分なりの答え
を見出せるので御座います。
例えは、わたくし的に富士山が世界遺産に登録されなかった理由を考えると、日本の伝統文化の
中の悪しき部分の現れが招いた結果ということになります。

剣道が他のスポーツと違うと言う事も、ドイツ語のシュピール(spiel:遊び・気晴らし
等)を語源とし楽しむことを本来の目的とするスポーツと、戦闘技術からその作法を重視した競
技に変化した剣道とでは、互いに築き育て上げられた文化が違うということになるので御座いま
す。

現在の剣道は、武道という武士道精神を伝統的に継承した日本文化であると、わたくしは考えて
おるので御座います。
したがって、オリンピックの種目としてさまざまな文化的価値観により、日本文化が違った形に
変化してしまうのはわたくしとしては我慢できません。
そのかわり、柔道のような世界のjuudouにのし上がることは出来ずに、自己満足的狭義
(競技)に陥るかもしれませんね。

井上正孝先生は、著書「我が剣道と人生」の一番最初に書かれた「我が剣道人生と反省」の中
で、剣道以外のスポーツは、軽視排撃の迫害等の辛酸を乗り越え、実に素晴らしい成長を遂げ、
反対に剣道は、多くの国民の支持・国家の庇護応援を受け「大家のボンボン」的育ち方をし、そ
の堕性と怠慢とが負の遺産として残ったことを強く後悔していると書かれておられます。
先生は、剣道という素晴らしい日本文化を伝承する人間が、変な意地や形に囚われて正しく(世
界に)伝え残せるのかを憂いていらっしゃいます。

わたくしは、これからは剣道を日本の伝統文化として語るならば、日本的思いやり・気遣い・ま
ごころを正しく理解したうえで普段から実践し、強い意思で日本の後継者のみならず世界の人々
にアピールできなければならないと、大家のボンボン的甘い自分(実際は貧乏人)を戒めていく所存で御座います。

それではまた、ごきげんよう

お名前: 矢野   
柔道の精力善用と同じようなことでしょうかね?

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

いやぁ、すっかり出遅れてしまったので、いまさらのこのこカキコをするのも気が引けるのです
が、一応私の考え方を述べておきましょう(^^)

私が師匠から指導者になるにあたって道場訓としていただきました言葉が「剣理精通」です。
これは、
 ●剣道で学ぶことの出来る物事(精神性も含めて)はすべて人生のすべてに通じるものだ
という教えで、裏返すと「剣道の(社会への)善用」となります。
21世紀の世の中で、竹の棒を振り回す武技を覚えたとしても、なんら役にはたちません。大切
なことは、それを学ぶ修行を通して、立派な社会人となる基礎を育み、さらには人格の完成を目
指すことなのだと考えます。
すなわち、「剣道は目的ではなく手段である」ということですね(^^)


>伝統文化を理解したとは、どのような行為が見られた時に変容したと言えるのでしょうか?

という山田さんのご質問ですが、本質的には「歴史と哲学を理解したとき」ということになるで
しょうが、観念論ではなく、「さすが、剣道をやっている人だな」と評されたときではないでしょ
うか。それは、姿勢であり態度であり言葉遣いであり立ち居振舞いであるかもしれません。その
人のちょっとしたしぐさに「おっ」と思わせるものが垣間見られたとき、身体的なレベルでの「理
解」があったと考えて差し支えないと思います(^0^)

お名前: 佐藤   
広辞苑によると伝統は伝承されたもの、文化は生活様式です。
伝承された生活様式ですから剣道そのものが伝統文化といえます。
正確には伝統文化の特性の理解になるのではないでしょうか。

お名前: ODA爺   
う〜ん、ここにお集まりの皆さんは、さすがによく研究されておられますね。
ただ、肝心の山田さんは何処へ行ってしまったのでしょうか。皆さんの貴重なご意見に対し
ても、何らのご発言がありませんが。
思うに、山田さんがお聞きになりたかったのは、崇高な学問や評論の世界のお話ではなく
もっともっと身近な、事柄、山田さんの文章をちょっと加工させていただくと(すみません
ね)、
「伝統文化を背景とした」剣道の修行を通じて、その効用は具体的に実生活面で
どのような形で現れるのでしょうか?
・・・といったことだったのではなかったのかな?と思ったのですが・・・山田さん
違っていたらごめんなさい。
だとしたら・・・
わたしは、学問書や著名人の箴言をひも解くよりも、一言
「思いやり」
とお答えしたいと思います。
俺が俺が、自分が自分が・・・と偏狭になってしまった今の日本で、われわれが取り戻さ
なければばらばいのは、「他人に対する思いやり」ではないでしょうか。
自分は、人のために何が出来るのか、これこそが日本の古き良き伝統文化とは言えませんか?
主君や、親や妻子、自分が信ずる道のためなら命さえ惜しまない。これこそ正に、武道の
底流に流れていたものだったのでは無いでしょうか。
時代は変わって、今は刀で命の奪い合いをすることはなくなりました。ですから、現代
剣道が目指すべきところももはや取った取られたではないのではないでしょうか。
剣道の世界における、お相手に対する「思いやり」。これがどのような形で表現されている
のか、これは高段者のレベルの高い剣道のなかに時として見られる現象です。
あるいは、高段位にならなくても熱心に稽古を積み重ねることで、自得することです。
即ち、剣道は、一人でガツガツと勝負をしかけても、あるいは一人で踊りをおどっても
成り立たないということです。これはどなたでも経験したことがお有りかと思います。
剣道は、お相手との相対的な関係の中で、お相手の心に思いをいたすことで、初めて
成り立つのではないでしょうか。
即ちお相手を「思いやる心」こそが剣道の中心を占めており、スピードやパワーや、打突の
強弱などは、これに付随するものだと考えます。
これを日常の生活に体現することこそ、現代剣道を志す者の目指すべき道ではないで
しょうか。
剣道や武道をとおして伝統文化を理解するということは、正にこの「思いやりの心」
を理解することだと思います。

もちろん、多くの書籍を読み、著名人の箴言に耳を傾けることは、知的欲求を満足させ
、人生を豊かにする上で、とても大切なことだと思います。

お名前: Oga   
to 剣志郎さん

こんにちは。掲示板上ではいろいろとお世話になっております。また今回はお誉め
の言葉をいただき、たいへん嬉しく思っております。

実は森さんの「剣道の伝統文化の定義は」というご質問が私には禅の公案のように
難しく感じられていたところでして・・・剣志郎さんのご意見は私にとってたいへ
んありがたい助け船になりました。

「かたち」と「こころ」、「目に見えるもの」と「目に見えないもの」、どちらが
大切かと問われたら、私は間違いなく後者を取るでしょう。精神こそが人間の本質
であると信じてもいますので、「かたち」を生み出した先人の「こころ」に思いを
めぐらせることが肝要だと思っています。

ただ、そこの主従さえ間違わないように留意すれば、学びの順番として「かたち」
から入るのも悪くない方法ですね。
単純に「このような所作をマスターしたから精神が円熟の境地に達し、伝統文化を
理解したと言える」などというものはないのでしょうが、「かたち」は「こころ」
の乗り物の機能を果たしているのでしょうし、先人が自分の思いをはるか遠くまで
届けるために、どのような乗り物をつくり上げたのかを先に知るのも、よいと思い
ます。


to 森さん

私は最初の方で書いていますよね、「むずかしいことは分かりませんが」って。多
少補足的なことは述べましたが、どうぞあまり突っ込まないでくださいね(笑)。

ご質問に直接お答えするのは私には荷が重すぎるので、かわりに参考書籍を探して
おきました。「外国人剣士に対してどうするか」という部分もたぶんカバーしてい
ると思いますよ。
よい機会ですから、研究のために入手されてはいかがでしょうか。剣道関係ですと、
国際武道大学の大矢稔先生も執筆に加わっていらっしゃいます。

書名 『近代武道の系譜』
著者  大道 等(国際武道大学)・頼住一昭(同朋大学)編著
出版社 杏林書院

頁数・判型 288頁・A5判
ISBN 4-7644-1570-4
本体価格 2,600円
発行年 2003年

 http://www.kyorin-shoin.co.jp/taiiku_jinbun.html

から入って目次などの詳細が見られます。


to 参考 さん

この文章を読むのは私は二回目なのですが、やはりものごとを深く理解している人
というのは、言葉が生きていますよね。これを読んで、ふと思い出したことがあり
ます。

私が最近読んだ本に『上達の法則(岡本浩一著・PHP新書)』というのがあるの
ですが、それによると、上級者の特徴として「技能のコツを言葉(メタファ)で表
現できる」というのがあるそうです。

この本の文中に出てくるのですが、ある茶道の先生はお弟子さんを指導するときに、
「茶筅(ちゃせん)を畳に置くときの手の離しかたをもう少し丁寧に」の意味で、
「別れ際に恋人の手を離すときのように」とおっしゃったとか。

野村さんの文章も、内容としては基礎・基本として「型」を学ぶことの重要性が中
心になっていますが、ご自身の書きぶりは見事に応用の域に入っていると思います。

もしかしたら、倦まずたゆまず伝統的な「型」の修練を重ねながらも「自らの言葉
で語り始める」というのが、「変容」したことのひとつの表れなのかもしれません
ね。

お名前: 参考   
教養とは
  (狂言師・中央教育審議会初等中等教育分科会臨時委員 野村萬斎)

 野村萬斎と申します。私は日本の伝統芸能・狂言の演者で、普段は教育の
現場に関わっているわけではないのですが、ご縁があって昨年5月、文部科
学省中央教育審議会臨時委員に任命されました。任命前に一度、『教養につ
いて語ってほしい』ということで審議会に呼ばれたことがあります。教養・
・・。教養とは一体なんだろう。

 私の考えた教養とは、人間が社会で生きるために必要な機能であり、狂言
師が舞台で表現するために必要な教養とは「型」であるということでした。

 狂言の教授方法は、師匠から弟子へマンツーマンで「口伝」します。特に
親子の伝承が多く、1対1で子が親の真似をしながらその「型」を覚えてい
きます。つまりそれは、動物が身を守ったり餌を取ったりすることを親の真
似をして覚えていくようなもので、頭で知識として覚えるものではなく、手
段・方法として体得することです。

 子どもの教育に個性の尊重が大切だと言われますが、このころの私たちの
稽古は、個性の尊重などとは無縁のものです。ひたすら、師匠の言ったこと
を確実に忠実に繰り返していく。この狂言の「型」を覚える稽古は、コンピ
ュータに喩えるとプログラミングするということに近いように思います。我
々の言い方でいうと「型にはめ込む」ことなのですが、そのようにプログラ
ミングして狂言師としての機能を身体にたくさん植え込むことが、とても大
切なことなのです。

 一般的に、型にはめ込む=没個性のように考えがちですが、デジタルに植
え込んだ「型」をアナログな人間が動かしているわけで、より多くの精巧な
情報を組み込まれたコンピュータを持っていれば、使いこなすうちに機能し
始め、それはさまざまな表現・個性となって発揮されることになります。

 一般的にも同じことが言えるのではないでしょうか。やみくもに最初から
個性ばかりを尊重しても仕方のないことで、まずは言語なり方法といった表
現の仕方をしっかり身につけることが重要だと思います。また、そういった
ことを身につける上で制約があったとしてもそれは別に不自由なことではあ
りません。基本型があるからこそ、それを応用するという次のステップに進
める喜びがあります。子ども達、若い人達には、そんな意識を持って自分な
りの教養とは何かを見つけてほしいと思っています。

お名前: 剣志郎   
森さんへ☆

>これは申し訳ないけど剣道をやってる人同士でないと理解できない言葉なんです
>よ。外国人剣士や日本人でも素人の人に説得するには「目に見えないものを見え
>るようにすること」が求められるんです。

ん…。確かにねぇ、実は私もそれに近いようなことを日々考えていることでして、ま
だまだ修行の途中です(苦笑)。まぁ、そんな中でひとつ気づいたのは「形では無い
」という事です。

「どうしても」とおっしゃるなら、先人が伝えた「形」としての「心の表現方法」と
は、「礼法とそれに伴う所作」と言うことになりますよね? 元々は孫子がその心を
求める際に「礼記」という書を記し、儒学と共に日本へ伝播したわけですが、そこに
日本独自の文化(風土、さまざまな宗教、言葉等など)が取り入れられ、日常我々が
行っている礼法になったわけです。つまり、形としての入門編(誰にでもわかり易い
)は「礼法とそれに伴う所作」ということになりますよね!☆

しかし、それはあくまでも最初の入り口です。それが出来たから理解が出来たとは言
わない訳です。なにせ「心のあり様を大切にすること」が目的な訳ですから、形ばか
り真似したところで意味無い訳です。例えば剣道の試合において「なぜ負けた人の目
の前でガッポーズをしてはいけないのか?」その意味を理解することが大切なんです。

ちなみに、剣道をしたからと言って、全ての伝統文化(日本文化)を理解できるわけ
ではありません。それはあくまでも剣道における伝統文化であって、剣道自身が武士
文化の最たるものですから、「小笠原様式の礼法」が主として選択されているわけで
、その礼法だけが全てではもちろんありません。剣道はその礼法を基調として「心の
あり様の示し方」を学んでいるに過ぎません。後にその中から心を学ぶのです。それ
はどういうことなのか?と言うと、いままさに森さんが「何故なのか?」と感じた瞬
間から始まるのです。そこから調べたり実践したりして、深みを増してゆきます。ま
たここで重要なのは「学んだことを実践し、生活に活かすこと」が出来なければなり
ません。それが出来なければ意味を成しませんし、頭デッカチなだけで「理解した」
とは到底かけ離れたものだと私は考えています。

>中学生・高校生の伝統文化の理解は学習指導要領の解釈に
>伝統的な行動の仕方として克己心から発現される礼法と
>ガッツポーズなどとは違う勝敗に対する態度のことを言っています。

ガッツポーズに関してはその思想によって解釈が異なりますが、「克己心らの発現」
と書いてあるのですよね、その学習指導要領には…。それでしたら、まずその「克己
心とはどういう意味なのか?」からお考えになっては如何でしょう? 私はその文面
の編者ではないので的確にはお答えできません。私は剣道に関して言えば、前にHide.
さんが話していたものと、自分の解釈を加えた「剣道は元々人を殺すための行為であ
った。その真剣勝負を模している剣道という競技に置いて、人を斬り殺し(負かす)
して、その目の前で大喜びするのは、人として(仁道を志す武士)恥ずかしい行為で
はないのか?」と考えています。私の理解では日本の道徳の根幹にあるものは「廉恥
」であると考えていますので、この廉恥に該当するような行為は慎むべきものと考え
ています。

>これは学校の剣道の伝統文化理解の目標なのですが、一般人の剣道では
>もう少し範囲が広くなるのかなと思っているのですが、自分には
>納得のいく答えがみつからないのです。よろしくご意見下さい。

森さん自身はどのようにお考えなのでしょうか? 現在の私の考えはその様な所です
。文化、伝統と言った場合には思想、歴史、風土、言語などなどさまざまな要素が盛
り込まれていますので、一言では答えようもありません。そして、その理解と範囲は
その人の人生経験、生涯学習の中で培っていく以外に、あまりにも膨大で答えようが
ないと私は感じています。学校での教育というのは極々きっかけにしか過ぎません。
算数のように簡単な数式で表せられるものではないと考えています(カオス理論やフ
ェルマー予想(定理)なんかは別ですよ…笑)。

お名前: 森   
剣志郎さん>
>…。「心のあり様を大切にする文化」な訳ですから、
進捗度合いは、日常の生活の中で、または、お尋ねの武道等の修練の中で、
習慣的に「触れ」「感じて」行くものであって、意識的なものではないと思いますよ。
ジワリジワリと歳を重ねながら感じてくるものだと思いますよ。
「俺って日本人なんだなぁ」って折に触れて漠然と(笑)。
それが確信へと変わって行くのでしょうが、それが「何かをしたから」ではない
と思いますよ。


これは申し訳ないけど剣道をやってる人同士でないと理解できない言葉なんですよ。
外国人剣士や日本人でも素人の人に説得するには
「目に見えないものを見えるようにすること」
が求められるんです。

中学生・高校生の伝統文化の理解は学習指導要領の解釈に
伝統的な行動の仕方として克己心から発現される礼法と
ガッツポーズなどとは違う勝敗に対する態度のことを言っています。
これは学校の剣道の伝統文化理解の目標なのですが、一般人の剣道では
もう少し範囲が広くなるのかなと思っているのですが、自分には
納得のいく答えがみつからないのです。よろしくご意見下さい。

お名前: 剣志郎   
Ogaさんへ☆

>私は、伝統とは「原因と結果の連鎖」であり、また「時代を超えた、人と人との知恵や
>情熱のつながり」だと思っております。
私には難しくて答えようもなかったですが、Ogaさんの意見、とっても簡潔で素晴らしい意
見だと思います。(^ー^)


山田さんへ☆

>剣道や武道を通して伝統文化を理解したとは、どのような行為が見られた時に変容した
>と言えるのでしょうか?

悪いですが、非常に意味の解らない日本語です。「剣道や武道を通じて伝統文化を理解し
た」と完成形でお尋ねになっていますが、それはどこまでの完成度を指しているのでしょ
うか?…触れる程度なのか?生活に取り入れる程度なのか?博識を有するものなのか?…
出題の意図が計り兼ねます。(-.-;y−〜〜〜
また「どのような行為が見られたときに」と形式をお尋ねになっていますが、そもそも日
本の文化って、そうした形式的なものを行ったからと言って理解したことになるのでしょ
うか?…日本文化って「廉恥の文化」に代表される反物質文化だと愚考しますが?
そうなると「変容した」という質問すら滑稽です…。「心のあり様を大切にする文化」な
訳ですから、進捗度合いは、日常の生活の中で、または、お尋ねの武道等の修練の中で、
習慣的に「触れ」「感じて」行くものであって、意識的なものではないと思いますよ。ジ
ワリジワリと歳を重ねながら感じてくるものだと思いますよ。「俺って日本人なんだなぁ
」って折に触れて漠然と(笑)。それが確信へと変わって行くのでしょうが、それが「何
かをしたから」ではないと思いますよ。


森さんへ☆

>剣道の伝統文化の定義は何かありますか?
あなたも不思議な日本語使いますね…。何を聞きたいのか理解できません…。
剣道の歴史を知りたいのですか?剣道と日本文化との関わりにつて知りたいのですか??
森さん自身は「伝統文化の定義」とは何だと思われます?「剣道の定義」とは?そもそも
森さん自身どのように感じられているのでしょうか?非常に範疇が広い話をいち概念でひ
とくくりにするためには限定したものでなければ答えようがありません。

「何故、日本の花が桜なのか?どうして桜が好まれるのか?」なんていうものに限定した
としても、思想、歴史的背景、地域的習慣…等など、とても書き切れるものではないでし
ょう。ぜひ発刊されている本をお読みください。m(_ _)m

お名前: 森   
Ogaさんへ

剣道の伝統文化の定義は何かありますか?

お名前: Oga   
to 森さん 音楽の世界の参考意見 さん

>それにしても、教師自身の伝統文化の理解と尊重が先決のように思われるのである。

私も仕事上は教師をやっておりますが、こと「伝統文化の理解」ということになると
非常に勉強不足で、またお恥ずかしいレベルであって、皆さんにご教示いただかなけ
ればならないことばかりだと思います。実際、子どもたちに教えるのはほんとうに難
しいですね。

ただ先ほどのような流れで「『何か大切なこと』とは何か」と聞かれたなら、おそら
く私は次のようなことを伝えようとするでしょう。もちろん、私自身が大切だと思っ
ているからに他ならないのですが・・・。もっとも、これだけだとたいへん抽象的な
ので、説明するための事例はその場に応じて分かりやすいものを用意しなければなり
ません。

1.ものごとには必ず原因があり、それから生じる結果があるということ。
2.自らの一瞬一瞬の選択がその後の未来を決めていくのであり、選択には責任が伴
  うということ。
3.ものごとには、一見別のものに見えるが、同じ根から生じているものがあるとい
  うこと。自他は別々のものではないこと。
4.すべての存在や出来事には意味があるということ。また、すべてのものには生命
  があるということ。
5.「こころ」が根本であり、目に映る事象は「思い」の結果として現れてきている
  ということ。

基本的には「目の前にあるものをただ見るのではなく、その向こう側にあるものを認
識しようとしなさい」ということです。仏教の影響が濃い考え方ですが、日本人なら
比較的なじみの深いものではないでしょうか。

最初の段階としては、まず伝統的に用いられている「形(日本剣道形だけに限りませ
ん。日本の伝統文化の中にあるさまざまな形式・様式)」を教え、次にその元になっ
た精神を教えるという順番になるかと思います。

ただ、剣道に見られる形式・様式の中には日本神道の流れをくむものがあり、「精神
性を表現したかたち」はあっても、「言語化された教え」の部分が明確に伝わってい
ないものが多いので、その点は注意が必要です。これについては、伝統的に日本人の
学問として重要視されてきた仏教や儒教を学ぶことで、補わなければならない部分が
あるように思います。

さて長くなりましたが、たぶん「伝統」ということも、こうした考え方との関連で説
明できるのではないでしょうか。私は、伝統とは「原因と結果の連鎖」であり、また
「時代を超えた、人と人との知恵や情熱のつながり」だと思っております。

お名前: 音楽の世界の参考意見   
文部省教科調査官だった花村大先生は『伝統文化の理解と尊重、
その伝承は文化の創造の基底をなすもので、
この思想を欠くところには文化の開花は期待できない。』
 といっておられたが、これからは音楽ばかりでなく、
総合的に伝統文化を尊重する教育が強力に展開されなけらばならないと思う。
 日本の伝統音楽を指導してきた体験から、子どもは日本の伝統音楽を理解し、
これを発展させていく資質を十分備えていると思うし、
わが国の伝統文化の良さ深さを体得させていけば諸外国の伝統文化の重さを理解し、
これを尊重するようになることは確かだと思う。
しかし、現実の子どもの姿を見た時、
こういう態度はごくありきたりの指導で育つようなものではない。
やはり、教育課程に明確に位置づけられた意図的計画的な指導の積み重ねがあって
こそ、はじめて可能になることだと思う。それにしても、
教師自身の伝統文化の理解と尊重が先決のように思われるのである。

お名前: 森   
Ogaさん ありがとうございます。>
意見を聞かせて下さい。

外国人剣士に対してや、日本人でも剣道をやっていない人に対して

「日常の雑事と見えることをおろそかにせず、心を込めて行うから、
それを出発点としてだんだんと
何か大切なものをつかめていくということなのです。」

何か大切なこととは何かと聞かれたらどう答えられるでしょうか。
意見を聞かせて下さい。

お名前: Oga   
to 森さん

>もっと高尚なものがないと説得力がない気がします。

私は変容の始まりの部分を言っているのですよ。「分かりませんが」と書きまし
たが、もう少々言葉を足しましょう。
つまり、一見日常の雑事と見えることをおろそかにせず、心を込めて行うから、
それを出発点としてだんだんと何か大切なものをつかめていくということなので
す。
「雑巾がけ」はそうした学びの象徴であって、それは「素振りの一本一本に心を
込める」にも通じるものです。

もちろん、雑巾がけが伝統文化の理解の到達点だとは私も思っていないので、そ
こはご理解くださいね。

ところで手持ちの資料によれば、仏教の経典である『撰集百縁経』には、釈尊の
説いた掃除の五功徳として、次の五つが挙げられています。

1.自らの心垢を除き、
2.また他の心垢を除き、
3.驕慢を除去し、
4.その心を調伏し、
5.功徳を増長し、(転生において)善処に生まるるを得る

最高の悟りを得た釈尊が、掃除をおろそかにしていなかったことは、注目してよ
いところですね。

お名前: 森   
例えば、外国人剣士が剣道を通して日本の伝統文化理解するということは
心をこめて雑巾掛けをし始めることなのかなあ?

もっと高尚なものがないと説得力がない気がします。

お名前: Oga   
やっぱり「道場の雑巾がけを心を込めて行う」といった行為でしょうね。
テレビであの栄花直輝選手の姿を見て感動した人は多いと思います。

「伝統文化の理解」とか「変容」とか、むずかしいことは分かりませんが、
真理というものは意外にシンプルなことが多いし、身近なものごとの中に
ちゃんと含まれていると思うので。

お名前: サラリーマン剣士   
慣習や伝統の中にこそ、
今を生きる知恵があるような気がいたします。

お名前: 山田   
剣道や武道を通して伝統文化を理解したとは、
どのような行為が見られた時に変容したと言えるのでしょうか?


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