記事タイトル:攻めとは? 


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お名前: めざせ達人   
頑張ります!!

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

けっこうですね、その意欲で大いに研究なさってください!

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

ありがとうございます。
この試合で勝てたことは大きな自信になりました。自分の攻めを確立できそうな予感です。
こうなったら、いろいろ欲が出てきて、攻め以外にも、竹刀操作や体の使い方などどんど
ん研究していきたいです。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

おおお、そうですか、それはよかったですねヽ(^.^)ノ
傍からどう見えようとも、とりあえず「自己改革」の手ごたえがあるなら大収穫ですよ!
これをきっかけに、ますます精進され、「自分らしい攻め」を身につけられますことを念
じております。
頑張ってくださいねp(^-^)q

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

昨日は攻めを意識して試合を進めて勝つことができました。
いつもなら相手の動きを見てそれからそれにあわせるように動いていたので
自分に対応できないくらいの攻めの強い人ならあせってしまうということになっていたの
ですが、昨日は自分が攻めていたので落ち着いてできました。
かなりパワフルな選手だったので周りからは押され気味に見えたようですが。
今回は、攻めの気を手数と前進で表現しましたが、もっといろんな攻めができるように稽
古に励みます。
昨日は県のそこそこのレベル以上の方が出てくる東西対抗のような大会でした。地元が開催地
だったため枠が多くメンバーに入れてもらったのですが、勝てたのはこのトビの成果だと
思います。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

本トピと両誌がお稽古に役立ちますことを念じております!!

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>どちらも攻めがテーマですね。参考にされてはいかがでしょうか(^_-)〜☆

早速購入して研究してみます。
このトビで攻めの心構えのようなものが分かりました。
技術的なことは、実践あるのみです。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

少しでも拙サイトがお役に立ちましたのならうれしく存じます。

「剣道時代」の今月号(2006年12月号)の特集は「緩急強弱で打つ技術」ですね。「剣道
日本」は「打突の好機を作る」です。
どちらも攻めがテーマですね。参考にされてはいかがでしょうか(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>私もうれしいですよ(^0^)

ありがとうございました。これからも頑張ります。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>でも、このアップをしてから少しずづわからないながらも攻めを意識した剣道
>ができるようになってきたと思います。
>この間、稽古のあと、ちょっと変わりましたね、といわれたときはうれしかっ
>たですね。

そうですか、それはよかったですね!
私もうれしいですよ(^0^)

でも、学生時代の勝負癖みたいなのって、けっこう引きずりますよね。お察しいたします(^^;

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>待ち剣では、試合のイニシアチブを握れませんね。また「あなた任せの剣道」
ではなかなか勝ちきれません(^^;

学生のとき団体戦では、引き分けがかなり多かったですね。
私たちのチームは、県下では中の上くらいで、勝ち上っていくには、自分たち
より強いチームと対戦しないといけなかったんです。
当時、先鋒だった私は、強いチームの動きの速い先鋒に何とか引き分けようと
手数を減らしているうちに待ち剣になってしまいました。
でも、このアップをしてから少しずづわからないながらも攻めを意識した剣道
ができるようになってきたと思います。
この間、稽古のあと、ちょっと変わりましたね、といわれたときはうれしかっ
たですね。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

待ち剣では、試合のイニシアチブを握れませんね。また「あなた任せの剣道」ではなかな
か勝ちきれません(^^;

「自分が働きかけてお相手を引き出す(動かす)」といった形での「待ち剣」でしたら問
題はないんですが・・・。

お名前: めざせ達人   
To Hideさん


>たとえば「飛び込み面を打とう」と思われた場合、いくつかの攻めのパターンが思い浮かびませんか?
 
今までを考えてみると私はやっぱり待ちが多い。相手が動くのを見て、それから動いてい
ます。
それじゃダメですよね。今まで打つまでの経路を考えたことがないってことですね。
「攻め」初心者です。
これから稽古のとき以外でも攻めについて考えてみたいと思います。
来週、試合があるのですが、待ちの剣道をしないようにしたいと思います。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>でも、相手と対峙しても何も浮かんできません。
>先読みをして行動することは、どちらかというと得意なんですけどね。
>剣道となると、ほんとに何も浮かんできません。

そうれはヘンですねぇ(^^;
攻めをお相手に伝えるというのは何気にけっこう厄介なんですが、攻めの筋道を自分なり
に考えることはそんな難しいことじゃないんですが・・・。

たとえば「飛び込み面を打とう」と思われた場合、いくつかの攻めのパターンが思い浮か
びませんか?
 A案:お相手の手元が弱い場合、表から強く乗り抑えて一気呵成に面に伸びる
 B案:ディフェンスが強いお相手なので、表押さえからの小手を多用し、お相手の注意
   を十分に小手にひきつけておいて面で勝負
なんて具合にね(^_-)〜☆

「何を打つためにどう攻めるのか」「お相手がこう反応したから、こう攻める」ってやっ
ていきますと、きちんとした詰め将棋になるものなんです。
もちろんそれを一瞬の攻防の中で直感的にやっていくわけですが(^^)
そしてそれが「稽古」なんですね。

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>つまるところ、ご自分の得意技(あるいは一本になる技)を一本にするために「どういう攻めを展開していくか」っていうことなんです。

ですよね。
でも、相手と対峙しても何も浮かんできません。
先読みをして行動することは、どちらかというと得意なんですけどね。
剣道となると、ほんとに何も浮かんできません。
だから、意味も無く右に動いたり、前に出たり、裏に竹刀を回してみたり。
攻めを考えるようになってから、自分はいったい今まで何をやっていいたんだろう?って
思うようになりました。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

そうですね、攻めって本当に難しいです。「攻めを考え出すようになったら、剣道も初級
は卒業」といわれますが、実はここからが泥沼なんですね(^^;

でも、何のために攻めるとお考えになりますか?
それがわかると、出口が見えてきます。
つまるところ、ご自分の得意技(あるいは一本になる技)を一本にするために「どういう
攻めを展開していくか」っていうことなんです。詰め将棋や詰め碁と一緒ですよd(^-^)!

お名前: めさせ達人   
To Hideさん

なかなか「自分の攻め」ということを見出すのは難しい。
方針すらつかめません。
現在は、ただ竹刀を上下させたり、出ようとしてやめたり、と形を作り出すことが精一杯です。こんなのでいいのかなぁっていつも思っています。そればかりにこだわるとこんどは積極性がなくなるし。あー難しい。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>和すためにも圧倒的ではいけないということですね。
>やっぱりそういうのは難しい・・・。

お相手の技量を性格に見極め、それ以上の気力気魄で臨めなければいけないっていうこと
ですから、そうやすやすとは「和す」とはいきません。
それはふだんからのお稽古の積み重ねによって、そうしたことが会得していけるものだと
思います(^^)


>それだけに負けたときは全人格を否定されたような気がしてがっくり来ますけど。

でも、剣道は強いが人間性は「???」ってな人も少なくないわけで、打たれたからとい
って、自分の人格を否定されたって考えるのは、ちょっと大仰過ぎるんじゃないでしょう
か(^^;
「たかが剣道」ですから(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>相手の気のレベルが低ければ和した10は小さくなるんですね・・・

和すためにも圧倒的ではいけないということですね。
やっぱりそういうのは難しい・・・。

>「攻めとは、全人格的圧倒性だ」と書かれたことがありました。

私もそのとおりだと思います。
それだけに負けたときは全人格を否定されたような気がしてがっくり来ますけど。
剣道以外でも人生いろんなことがありますが、「全人格圧倒性」を高めるためと受け入れる
ようにしています。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>例えば、相手が8の場合、いきなり9を持ってくるのではなくて、2で和した上でそれ
>をどう盛り返すか、そういう過程をたどらないといけないということですか。

いえいえ、それは違います。
10というのはあくまで総合計のことではありませんで、比率の問題なんです。
お相手が8であれば、それを上回る気でお相手を2に引き下げ自分を8として和すのです。

つまり、お相手の気のレベルが高ければ和したときの10の値が大きく、お相手の気のレベ
ルが低ければ和した10は小さくなるんですね・・・って、ご理解いただけますでしょう
か??(^^;

お相手が20gの気であれば、80gの気で和せば「2−8の10」になります。総合計は100g
の気ですね。お相手が80gの気できたら、320gの気をもって対処すれば「2−8の10」に
なります。総合計が400gですので、前者よりも互いにレベルが高い攻防っていうことにな
りましょう。
2:8=80:Xっていう数式ですね(^_-)〜☆


>そう思うと、これからの修行、剣道そのものだけでなく、いろいろなことを克服してい
>かなければ、真の強さは得られないということですか

別トピですが、やはり攻めに関しての考察をしたことがあるのですが、そこである人が、
「攻めとは、全人格的圧倒性だ」と書かれたことがありました。大げさな言い回しですが、
たしかに言いえて妙ではあります。技術だけではないプラスαがかなり多いのも剣道の魅
力のひとつでしょうかヽ(^.^)ノ

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>剣道はお相手とのかかわりの中に存在しておりますので、身勝手な剣道であってはいけないわけです。

 例えば、相手が8の場合、いきなり9を持ってくるのではなくて、2で和した上でそれを
どう盛り返すか、そういう過程をたどらないといけないということですか。
 強い人と稽古をしたとき、目にも留まらぬ速さで打たれると思っていましたけど、それば
かりではないんですね。私が、防御できないとき、気づかないときを捉えているんですね。
ボーっとしてるときも結構ありますけど。っていうか相手を見ていても何も浮かんでこな
い。それをどう回復していいかさえ分からない。結局、私のプレッシャーが通じず、相手
のプレッシャーに完全に押さえられているということですね。そういう人に打たれると単
にスピードで負けたり、駆け引きで負けたりしたときより「負けた!」って思います。
 そう思うと、これからの修行、剣道そのものだけでなく、いろいろなことを克服していか
なければ、真の強さは得られないということですか。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>「そういう合気の作り方をしなさい」という教えですねd(^-^)!

その通りです(^^)


>それにしても、全体を10にするというバランス感覚というのは、ほんとに奥義ですね。

御意!
剣道はお相手とのかかわりの中に存在しておりますので、身勝手な剣道であってはいけな
いわけです。「和して10」にはそんな思いもあるのではないでしょうか(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>こちらの精神状態の比率が高まれば高まるほど、自分が有利(=お相手が不利)な状態になるわけです。
「そういう合気の作り方をしなさい」という教えですねd(^-^)!

少し考え違いをしているようでした。この教えは、10になるようにということだけでは
ないんですね。さらに比率を上げていく必要がある。

それにしても、全体を10にするというバランス感覚というのは、ほんとに奥義ですね。
難しい。
凡人なら1対100がいいと考えてしまいますから。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>合気と驚懼疑惑を引き出すことというのは、同時に存在しうるものなんですか。

下にも書きましたが、合気にならなければお相手の心の動きが感じられませんでしょ(^^;


>この言葉は聞いたことがあります。いつでも10になるようにくらいしか分かりませんけど。

「10で和す」というのは「合気を作る」というのと同義です。
つまり、合気になるにしても五分と五分の精神状態では、どちらが勝つかわかりません。
しかし、こちらの精神状態の比率が高まれば高まるほど、自分が有利(=お相手が不利)
な状態になるわけです。
「そういう合気の作り方をしなさい」という教えですねd(^-^)!

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>お相手と合気になるからお相手の心の中に生じた「驚懼疑惑」を感じることができるん
です(^^)

合気と驚懼疑惑を引き出すことというのは、同時に存在しうるものなんですか。

>「5−5の10(ごごのじゅう)で和したのでは対等。2−8の10(にはちのじゅう)、
1−9の10(いっくのじゅう)で和すべし」とd(^-^)!

この言葉は聞いたことがあります。いつでも10になるようにくらいしか分かりませんけど。
これはこれから先、分かるように長い修行をしていきたいものです。修行の指針としてい
ろいろ先生の言葉を聞いてそのときは分からないまでも心にとどめておくのも良いかと思
いHideさんにいろいろ質問いたしている次第です。(^^)
ありがとうございます。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

お相手と合気になるからお相手の心の中に生じた「驚懼疑惑」を感じることができるんで
す(^^)
合気になることによって、こちらの「攻め気」もお相手のシームレスに伝わりますし、お
相手の「気の流れ」も手に取るようにわかるんですねヽ(^.^)ノ

合気と攻めの関係を、私の師匠は「和す」という言葉をもって説明してくださいました。
少しアレンジしてありますが、おおよそこんな感じです。
「5−5の10(ごごのじゅう)で和したのでは対等。2−8の10(にはちのじゅう)、
1−9の10(いっくのじゅう)で和すべし」とd(^-^)!

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>ともあれ、剣道ぐらいは後先考えず「ここだ」っていうところで思い切って打っちゃってください(笑)

いろいろ考えすぎですね。「無心」が大事ですね!
と、言いつつまたいろいろ考えてしまいますが、「驚懼疑惑」と「合気」について、相手の
「驚懼疑惑」を引き出すため、あの手この手で攻めますが、一方、「合気」というのを聞い
たことがあります。相手の「驚懼疑惑」を引き出すための攻めが、最終的には「合気」の
状態になっていくんでしょうか。稽古のとき、そこのつながりが分からないので、相手の
「驚懼疑惑」を引き出すことを忘れ、合気になるところを探してしまいます。いつもそれ
を先生に「それは自己満足の稽古で上達にはつながらない」といわれます。合気というの
は相手十分、自分十分になったところで技を出すことではないですか。
10年くらい剣道から離れていましたので、年齢と修行段階とのギャップがあり、そこのギ
ャップを埋めようと剣道をちょっと考え始めたら、いろいろ出てきてしまって。まあ、こ
ういう話が好きということもありますけど。(^o^)/

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>いろいろある情報のなかから、ひとつくらいは稽古してできるようになりたい
>ものですが・・・。

そうですね。前向きに頑張ってみてくださいp(^-^)q


>「自分から・・・」って言うことを自分の中にどのよう
>に取り入れていくか、考え中です。

そうですね、性格的なものまで絡んでいることを考えますと、思考回路そのもののスイッ
チを入れ替えなければいけないかもしれませんねぇ(^^;

ともあれ、剣道ぐらいは後先考えず「ここだ」っていうところで思い切って打っちゃって
ください(笑)

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>「できるか」って問題になりますと、別次元なんです。」

なかなかですねぇ〜。
いろいろある情報のなかから、ひとつくらいは稽古してできるようになりたい
ものですが・・・。

昨日(10/8)、高段の先生と稽古する機会があって、私なりに攻めてみたんで
すが、稽古が終わってから、先生にご挨拶に行くと、「もっと、自分から技を
出すように」とのこと。よく思い出してみると、自分の攻めは、面や小手への
打ち色を見せ、間合いに入ったり出たりが中心の攻めだったんです。要するに、
出頭技や応じ技中心でした。これは、高段の先生に稽古をつけていただくにあ
たってやってはいけないこと。反省です。ただ、そのような攻め方は、私とい
う人間そのものなんです。仕事においても私生活においても相手があるものは
すべて相手の行動を見てから、どう対応するかを考えるタイプなんです。例え
ば、買い物をして不良品をつかまされても相手がよほど失礼な態度をとらない
限り、交換さえしてくれれば、クレームを言わなかったりします。そして、私
は、こういう性格について、悪いとも思っていませんので剣道にも出ているん
ですね。決して穏やかな性格ってワケでもないですけど。どちらかというと何
においても「そっちが来たら、こっちもいきますよ」っていうのがすごくいい
と感じているんです。「自分から・・・」って言うことを自分の中にどのよう
に取り入れていくか、考え中です。

>これはたぶん「攻め」に関する話ですね(^_-)〜☆

情報ありがとうございます。次号がでるまで楽しみにしています。(^0^)

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

最近では、剣道雑誌の特集記事も「マニュアル化された内容」ですね(^^;
有名選手や一流の先生を呼んできて、技は打ち、攻めなどについて語らせております。
あれはあれでものすごく参考になりますが、結局はそうしたエッセンスや考え方がわかっ
たとしても、「できるか」って問題になりますと、別次元なんです。

読んで「そういうものなのか」と納得することは大切ですが、そこからは自分との戦いで
す。結局は「百錬自得」。稽古を積み重ねなければ自分のものにはなりません(^_^ メ)


ちなみに、次号(2006年12月号)の「剣道時代」の特集は「緩急強弱で打つ技術」となっ
ています。これはたぶん「攻め」に関する話ですね(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>技は「教わるもの」ではなく「盗むもの」でしたから(^_-)〜☆

事細かに技の説明をしてもらって、練習して、できるようになって、というのでは「道」
ではないということですね。
今の世の中なんでもマニュアル本がたくさんでていてそれにすがっている人も多い中、そ
れではいけないと剣道は教えてくれているということですね。仮に「攻め定石」があるに
せよ、それは、個々が先人を参考にしながら試行錯誤をしてこそ剣道を続けている意味が
あると、単に技が切れるだけでは剣道をしている意味がないと、だから、先生は、禅問答
のようなことをおっしゃる。良い師にめぐり合うのも、本人の求道する心がめぐり合わせ
ているということですね。

なんだか、このやり取りの中で、剣道をしていくに当たって、大きなところで抜けたよう
な気がします。はじめにアップした主旨とは大きくズレてしまいましたが・・・。

そうはいっても細かい技のことをいろいろ聞きたいというところもあるのですが・・・
(^o^)/
そういうときは別でアップします。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>それで年齢に関係なく、若い選手がかなりご高齢の先生に打ち込めない
>といったことがあるんですね。

御意!
それに、間合いって単に物理的な距離だけではありませんからね。精神的な距離といいま
すか心理的な間合いもあります。ご高齢の先生ははこのあたりを上手に使い分けていらっ
しゃるんです(^^)


>だから、自分で気づける人は、どんどん強くなっていきますけど、そうでない人は、い
>つまでも勝つことを味わえず、剣道をやめていくってことになるのではないでしょうか。

おっしゃるとおりです。
稽古の「稽」は考えるという意味だそうです。「古(いにしえ)を考える」とは、「どう
して打てたのか」「どうして打てなかったのか」「なぜ打たれたのか」の検証をすること
に他なりません。それを怠っていたのでは「稽古」ではなく「練習」ですねd(^-^)! 

「観察ー研究ー工夫ー実践ー反省ー観察・・・」というフィードバックがなされる人は
「引き出し(=経験値)」が増えていくわけです(^^)


>私のような凡人には先生が腕をどのように動かしているのかなんでぜんぜんわかりませ
>んので、練習するにしても漠然としかできません。

おやりになっている先生ご本人にもどうやって打っているかわからなかったりするので、
難しい言葉で煙に巻いちゃったりすることが少なくないんです(笑)

でも、昔の先生は言葉でなんか教えてくれませんでしたよ。
何か聞きにいくと「壁に聞きなさい」「床が教えてくれます」なんて禅問答みたいなこと
ばかり。
でも、次に先生にお願いするべく並んで待っておりますと、前に方を相手にヒョイとそれ
をやって見せてくれたりして♪ また、先生と一緒にお風呂に入りお背中を流させていた
だいているときとか、先生がお酒を召し上がって上機嫌にしていらっしゃるときポロッと
ヒントを下さったり。そんな一言がほしくて、腰ぎんちゃくみたいに先生にまとわりつい
ていたものでした(^^)
技は「教わるもの」ではなく「盗むもの」でしたから(^_-)〜☆

でも、今もそれは変わっていないんじゃないでしょうか。
車を運転しておりまして、助手席の人にあれこれ道を教えていただきますと、目的地には
迷いなくつけますが、次に行くときもひとりではムリです。地図で苦労して道を探しなが
らたどり着きますと、次回からもOKですね。
私はこのサイトでは皆さんからのご質問に私なりの考えをバシバシ答えちゃってますが、
それにしたって、おやりになるのはご自身ですから(^^; やはり剣道って「教えていただ
く」のではなく、「習うより慣れろ」「習うより真似ろ」だと思いますよ、今でも(^0^)


>直接いろいろなことを伝授していただいて光栄です。

少しでもお役に立てますのならうれしく存じます。
ユーザーにはサポートしませんとね(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
To HIdeさん

>それによって生ずる間と間合いがあるためです(^^;
それで年齢に関係なく、若い選手がかなりご高齢の先生に打ち込めない
といったことがあるんですね。

> ●上を攻めて下を打つ、下を攻めて上を打つ
> ●面を打っていって出小手を取られたお相手の次の一本は小手から入って
くるなどです。
>ただしいずれも100%のものではありません。

こういうのは、野球のピッチングに似ていますね。
100%のものではないにしてもこういうことを意識するのとしないのでは、ぜん
ぜん違うと思います。
しかし、剣道の指導の中では、「自分で気づけ」って感じで、面を打っていっ
て出小手を取ったあともう1回小手を狙って、小手面にのられたりすると「お
まえはバカか」で終わり、そのときどういう理由でどうすべきだったのかとい
う説明がないような気がします。だから、自分で気づける人は、どんどん強く
なっていきますけど、そうでない人は、いつまでも勝つことを味わえず、剣道
をやめていくってことになるのではないでしょうか。

やっぱり、いろいろ分類してみるといろいろな竹刀の使い方がありますね。
私も、稽古のとき一つ一つ意識しながら、やっていきたいと思います

といっても、例えば「巻き上げ」という技の細かいメカニズムがどうしてもわ
かならないんです。

そういうところにも抽象的な説明が多い。これも力のあるやセンスのある人は、
すぐにできるかもしれませんが、私のような凡人には先生が腕をどのように動
かしているのかなんでぜんぜんわかりませんので、練習するにしても漠然とし
かできません。「身法 刀法 心法」のうち、心法は、長い年月修行しなけれ
ば身につきませんが、身法や刀法は、その動きの理屈が分かれば、どこでも稽
古でき、上達できると思うんです。どうすれば竹刀にうまく力が伝わり、力強
い竹刀操作ができるのか、それを理屈で理解し、それを実際できてこそといえるのではないでしょうか。
「剣の理法の修練による人間形成の道」というなら理法を学び伝えていかない
といけないと思います。

>剣道上達BOOKでは、単なる技の解説ではなく、上記竹刀操作に絡めて「攻
め+技」という組み合わせで技を解説してみたわけですd(^-^)!

直接いろいろなことを伝授していただいて光栄です。
剣道を再開し、「攻め」の壁に当たったとき、最初にお世話になったのがHideさんの本で
した。他の本とちがい技の一般的な説明に終始せず、技を出すまでの過程やコートの使い
方まで説明があって非常に参考になってます。ありがとうございます。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

そうですねぇ、ある程度の「定石風」の考え方ならありますが、「こうすればこう」とい
う定型はありませんね。
それは柔道や相撲、空手などのように、体と体が直接的に触れ合う競技ではなく、お相手
との間に竹刀という媒介があり、それによって生ずる間と間合いがあるためです(^^;

「定石風」のものといえば、
 ●上を攻めて下を打つ、下を攻めて上を打つ
 ●表を攻めて裏を打つ、裏を攻めて表を打つ
といったものですね。

また、心理的な「定石風」もあります。
 ●同じ形のよけ方を二度繰り返さない
 ●面を打っていって出小手を取られたお相手の次の一本は小手から入ってくる
などです。

ただしいずれも100%のものではありません。
囲碁や将棋の「定石」はその通り打ってさえいれば「五分の分かれ」で終えることができ
るといったもので、必ずしも必勝法ではありませんので、その点でも、剣道とはかなり異
なりますね(^^)


竹刀操作にもさまざまなものがありますよ。
私は竹刀操作による攻めを3つのコースに分類しています。
 ●表から攻める
 ●裏から攻める
 ●下から攻める
です。これに「はずして攻める」を入れれば4種類ってことになりますが。
このそれぞれに、
 ●さわり
 ●つけ
 ●押さえ
 ●たたき
 ●はじき
 ●張り
 ●払い
 ●巻きおさえ
 ●巻き落とし
 ●巻き上げ
なんていう手法がチョイスできますし、そこから打てる部位もお相手の反応ごとにさまざ
まです。とても類型化するのは不可能なものがありますので、専門書も「技の解説」に終
始してしまうのです(^_^ メ)

そこで、手前味噌になりますが、拙著「剣道上達BOOK」では、単なる技の解説ではなく、
上記竹刀操作に絡めて「攻め+技」という組み合わせで技を解説してみたわけですd(^-^)!

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>「お相手がそう来るなら、こちらはこうだ」と気持
ちを奮い立たせなければジリ貧ですからd(^-^)!

そこで、こういうとき「攻め」というのは、こういうものだ
っていうのが分かっていたら、なんとか落ちた気分を
元に戻す糸口をつかめるのではないかと思い、この題で
アップしたんです。
将棋にも定石があるように剣道の「攻め」にも定石があるんだろうか?
応じ技など1つ1つのの技の説明はどこでもされていますが、
もっと突っ込んだ、
例えば、竹刀をこんな風に使うと動きにくいからこう使うべきだ
といったような説明はあまり見ません。
剣道では「下がるな」「速く」「強く」「まっすぐ」といった抽象的な指導が
多いのではないかと。そうしているうちに個々の中にそういったものが
できてくるとはおもうのですが、剣道の共通の理論を受け継いで
いかなければならいのではのかと。
たとえば柔道をやっている人に技の説明をしてもらうと、「ここをこう
押さえたら相手の腕に力が入らなくなって・・・」とった
メカニズムの明解な説明をしてくれる人が多い。
剣道ではそういう説明をできる人がどれだけ
いるだろうって思います。
私が知らないだけで、さかんに行われているのでしょうか?

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

>Hideさんの著書でこの言葉をしったとき、目から鱗でした。
>剣道だけでなく、仕事でも、日常生活でも自分への戒めになっています。

そうですか、それはうれしいですね!
私が指導者になるにあたって、師匠からいただいた言葉の一つなんですよ(^^)


>相手と対したときの気ムラがかなり激しい。気分が落ちてるときもこれを何とかするの
>が大きな課題です。

それは私もありますよ。
とくに何本か立て続けに打ち込まれますと、気持ちが落ちてくることがあります。
でもここが大切なところなんですね。「お相手がそう来るなら、こちらはこうだ」と気持
ちを奮い立たせなければジリ貧ですからd(^-^)!

お名前: めざせ達人   
To剣士以前さん

>自分の性格では同じくらいの人とする時が、負けたくない、全力投球になってしまいます。

自分は同じくらいのひととすると、逆に、負けたくないと思う余り、消極的になってし
まいます。いつも先生に注意されます。


To Hideさん

>それを「我以外皆師」といっています。
Hideさんの著書でこの言葉をしったとき、目から鱗でした。
剣道だけでなく、仕事でも、日常生活でも自分への戒めになっています。

気のタメのことでいうと、私がいちばん課題としているのは、気分のコントロールですね。
相手と対したときの気ムラがかなり激しい。気分が落ちてるときもこれを何とかするのが大
きな課題です。

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

少しでも拙サイトがお役に立ちましたのならうれしく存じます(^^)

かかる稽古は辛く苦しいですが、とても大切なものです。昨今、時代がやさしくなったせ
いか、立ち上がりから「互格」で臨んでも先生方も文句を言ったり怒ったりされなくなり
ましたが、昔でしたらぶっ飛ばされたものです(^_^ メ)

かかる稽古は必ず自分を強く鍛えてくれます。
ぜひぜひ、頑張ってみてください!!

お名前: 剣士以前   
Hideさん

ご教示ありがとうございました。良く理解できました。明日からは先生にかかる稽古を致します。また、ご教示ください。


まざせ達人さん
良くわかる気がします。個々の性格もあるような気がします。
先生とするときは、自分は若干精神的に遠慮があります。
ここがめざせ達人さんとの違いかもしれませんね。
自分の性格では同じくらいの人とする時が、負けたくない、全力投球になってしまいます。
めざせ達人さんのように先生とするときこそ、遠慮ナシに全力投球できるようにします。

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん
これは調べたことがないのでわかりませんが、かかり稽古の語源って、ひょっとしたら
「かかる稽古」だったのかもしれませんね(^^)
でも、「かかる稽古」は「かかり稽古」とイコールではありません。結果として「かかり
稽古に移行してしまうことがある」とは思いますが。

「かかる稽古」とは、先生の打突を待ったり誘ったりしないで、機と見たら自分から仕掛
けて打つ稽古のことです。
先生はこれに対して「引き立て稽古」という稽古を行います。対峙する中から、攻めたり
ちょっとした隙を作ったりして、かかり手に「機会を与えていく稽古」が「引き立て稽
古」ですね(^^)
「引き立て稽古」のうまい先生とお稽古しますと、あたかも自分が強くなったような錯覚
すら覚えますヽ(^.^)ノ

ただし、こちらの錬度が足りませんと、明確な隙を作っていただかなくては打突チャンス
が見出せず「かかり稽古に移行」してしまうこともありうるわけです(^^;


To めざせ達人さん
>この人すごいなあって思う人は必ず、初心者の人にも流してませんね。
>それでこそ人間形成の道。誰と稽古しても、稽古にならないなんで
>傲慢なこと、すごい人は思わないんですね。
仰るとおりです。
それを「我以外皆師」といっています。電脳剣士稽古会のモットーでもあります(^0^)
たとえ子どもからでも学ぶべき点はたくさんありますから。

私の師匠は、私が剣道指導者になるときにこんな課題をくださいました。
「いいか、稽古は『ちょっと強く』じゃ。圧倒的に強いのはいかん。『ちょっと強く』が
大切なのじゃ。初段と稽古したら初段よりも『ちょっと強く』、五段と稽古したら五段よ
り『ちょっと強く』、八段と稽古したらそれよりも『ちょっと強く』じゃ」

「ちょっと強く」は、とても難しいことです。お相手の力量を的確に察知し、それに合わ
せたお稽古をしなければならないわけですから。いまだ、満足にできませんが、私の努力
目標となっています(^^)

>気の溜めはともかく身体的な溜めは方向転換がしにくいことや起こりが見えてしまうと
>本で読んだものですから。
たしかに「タメ」と「居付き」は紙一重。そこが難しいんですね。
でも、タメることによってお相手に四戎が生まれ、「攻め→打突」という形よりも圧倒的
に「攻め崩す」ことができるんですヽ(^.^)ノ

お名前: めざせ達人   
To Hideさん

>最近は上手の人にかかっても「互格稽古」をしてしまう方ばかりですが、本
来は「かかる稽古」をしなければいけません。

稽古の中で気をつけていることは、下手と稽古するとき
たとえ初心者の方にも流さないということです。
この人すごいなあって思う人は必ず、初心者の人にも流してませんね。
それでこそ人間形成の道。誰と稽古しても、稽古にならないなんで
傲慢なこと、すごい人は思わないんですね。
私もそれに一歩でも近づきたい。そう思っています。

>剣道の攻めをさらに細分化しますと「攻め、タメ、さそい」の3つの要素に分けられます。
>これは、古武術でも同じと考えますが・・・(^^;

そうですか。
気の溜めはともかく身体的な溜めは方向転換がしにくいことや起こりが見えてしまうと
本で読んだものですから。
ちょっと理解不足でした。


To 剣士以前さん
>実力的に同じくらいの相手なら、徐々に向上できる、経験的に会得できる、
と考えています。 

僕の場合は、稽古で先生に引き出していただいて、自分の向上を感じます。
実力的に同じくらいの方より、捨てるを実感できます。


To 元立ちさん 

>少し焦り過ぎてる気がします。

行くてが見えなくなったので、迷って早く活路を見出したいとあせっていたの
か分かりません
そうですね。そんな簡単に達人にはなれませんよね。

お互い達人めざして頑張りましょう(^o^)

お名前: 剣士以前   
To Hideさん

これは恥ずかしい質問ですが「かかる稽古」とはかかり稽古とは異なるのでですか?
全てこちらから打っていく稽古、という意味ですか?
手順を始めて知りました。
恥ずかし、恥ずかし......。
ご教示をお願い致します。

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

それでいいんですって(^0^)

最近は上手の人にかかっても「互格稽古」をしてしまう方ばかりですが、本来は「かかる稽
古」をしなければいけません。最後に先生から「三本」「一本」なんて声をかけていただいて
はじめて、互格稽古に入れるのです(^^;

かかる稽古は休めませんから苦しいです。先生にもどんどん返されちゃうし、打っていけ
なければ打ち込まれてしまうでしょう。でも、「正しく打てば正しく返される」というの
が剣道の理ですから、打たれても気にせず、しっかりと打ち切ることを目指しましょう!

お名前: 元立ち   
めざせ達人さん

少し焦り過ぎてる気がします。
高段者の方に打ち負けるのは当たり前の事、高段者の方は何十年と技や気位、攻めを
勉強なさってきた方です。
私達ポッと始めたリバ剣が少し研究した位で「勝って打つ」が出来る程浅い世界なら
続ける意味もないのではないのでしょうか?
やはり地道な稽古の中で試行錯誤や研究、先生方の指導に拠って少しづつ培われるものでしょう。
お互い達人めざして頑張りましょう(^o^)

お名前: 剣士以前   
To Hideさん

ありがとうございます。でも本当は先生にかかるときは、ほとんど見透かされています。これは先生と対するより、同じくらいの人とやったほうが良いかも、と思っています。

To めざせ達人さん
私はここんところは、やはり「読めていない」・「引き出すつもりが、
その上を行かれて引き出されている」と思っています。
溜め、というのはその読み合い・かけ引きの時間のような気がします。
攻撃的に、読み合いの主導権をとる方法(技術的に・精神的に)に欠けていると
思っています。技術的には、先生方に色々教えていただきますが、実感できないうちは
難しいと思っています。
でも、実力的に同じくらいの相手なら、徐々に向上できる、経験的に会得できる、
と考えています。 だから真剣な試合がしたいと思っています。
いかがでしょうか?

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん
管理人のHide.です。

>返し技・受け技をするときでも、相手の打ちを引き出すように考えています。
すばらしいお心構えだと思います。
「引き出す」というのは「攻め勝って」いてこそ始めてなしえること。とても難しいです。
でも、常に先をとるというお考えはいいことですよ(^0^)


To めざせ達人さん
>ただ、構えの問題なのかなんなのか、負けてなくても打たれますけどね。(-。-)
構えも技も攻めも読みも精神力も、すべてにおいて負けているってことですよ(^_^ メ)
一つ一つクリアしていきませんとね。

>そうすると「勝って打つ」には「溜め」は必要ってことになりますね。
もちろんです。
剣道の攻めをさらに細分化しますと「攻め、タメ、さそい」の3つの要素に分けられます。
これらをケースバイケースで、自由に組み合わせて使うことが「攻め上手」ってことです
ね。
これは、古武術でも同じと考えますが・・・(^^;

お名前: めざせ達人   
>「打って勝つな、勝って打て」

それができるようになるのが、修行ですね。
高段の先生にかかるとまさに「負けて打たれ」ます。
剣士以前さんも同じことをおっしゃっている。
ただ、構えの問題なのかなんなのか、負けてなくても打たれますけどね。(-。-)

そうすると「勝って打つ」には「溜め」は必要ってことになりますね。
古武術なんかでは、「溜めない動き」といいますが・・・
そこに古武術の目的と現代剣道の目的の違いがあるのか・・・

お名前: 剣士以前   
めざせ達人さん

自分はヘたれ剣道をしているリバ剣親父ですが、いつでも先手を取ろうと考えています。
返し技・受け技をするときでも、相手の打ちを引き出すように考えています。
それが先の先とか、先々の先とか、後の先とかという風に理解しています。
しかし、だからといってただ無闇に打って行っても、返されるだけです。
そこで、相手に打突の機会を与えないように考え最善のタイミングと思うときに、
後は野となれ山となれ、と全精力を傾注し、攻撃します。
でも実際には、うまくいきません。だから修行が大事なのですね。
いつでも、考える剣道をしようと心がけています。
こう言うとなんか偉そうですが、実際はヘタレ剣道です。
Hideさんやその他の皆さんのように自分は高段者ではありませんので、その程度しか
認識していません。 もし、間違っているようならばご教示ください。
老い先短いので、遠回りは避けたいと思っています。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人さん

そうですか、リバイバル剣士の方なんですね(^^)


>どんな強さを目指せばよいのか迷っているんです。
>それを考えるについての一環で「攻め」にぶち当たったんです。

そうですか、それはいい筋道でいいところへたどり着きましたねヽ(^.^)ノ
ありふれた言葉ですが、
 「打って勝つな、勝って打て」
というのがあります。
これなどは、ご自身の攻めの強さを具体的に目標としやすい考え方だと思いますがd(^-^)!

お名前: めざせ達人   
>お若い方のようですから
それほど若くないですよ。30代半ばです。(^^)

剣道にカムバックしたときに、強さとは何かって
考えるようになったんです。
っていうか、学生のころは、大会が目標でそれを
目指してがんばればよかったのですが、
大会から遠ざかった今、稽古量も限られ、
どんな強さを目指せばよいのか迷っているんです。
それを考えるについての一環で「攻め」にぶち当たったんです。

お名前: Hide.    URL
To 粋さん

管理人のHide.です。

「攻め」って「攻めのため」に行なうものではありません。
また、「攻めたつもり」になってもお相手が反応してくれないとするならば「攻めたこ
と」にはならないんですね(^^;

お名前: 粋   
攻めすぎて、相手に技を読まれたら、カッコわるいっす!!
だから、攻めることは、大事だけど、攻めだけが大事とは、おもいません

お名前: Hide.     URL
To めざせ達人君

>「捨てる」って「夢中になる」っていうことなのかなぁ。
>相手に対しているときには、あれこれ考えるより、夢中でいってみます。

「捨てる」と「夢中」は少しニュアンスが違いますが、まだ、お若い方のようですから、
とりあえず自分の全力をお相手にぶつけることが「活路」になることが多いと考えます。

無我夢中になってお相手に喰らいついていく。
そんな試合展開ができれば、自然に捨てられるかもしれませんね(^_-)〜☆

お名前: めざせ達人   
元立ちさん、Hideさん、ご意見ありがとうございます。
「捨てる」って「夢中になる」っていうことなのかなぁ。
相手に対しているときには、あれこれ考えるより、夢中でいってみます。
考えるのは、面をはずしてから。
そのために黙想ってあるんだろうか。
そうしてみます。

お名前: Hide.    URL
To めざせ達人君

>僕の段階では、「攻め」とは、負けないように相手にかかわって
>相手に打たさないように、かつ相手のスキをつくって、ここぞというときに
>捨てて打つ(打つことに集中して打つ)ということなのでしょうか?

その通りです。
どこかで捨てて打ちませんと、勝ちは得られません。
よけるのがどんなにうまくても、引き分けにしかなりませんので(^^;

「どこでどうやって捨てるか」どのレベルであっても、それが問題なんです。
幸いなことに剣道は、捨てて打って打たれたとしても、血が噴出したり命を落とすことが
ありません。捨てて打って「失敗した」場合には、「ここで捨ててはダメなんだな」とい
う反省材料にすればいいだけです。

そういう蓄積をしていくことが「稽古」なんじゃないですかね(^_-)〜☆

お名前: 元立ち   
めざせ達人さん

竹刀を刀に変えて考えてみてください。
『生』に拘って避けるに転化したら、それは『死』を意味するとは思いませんか?
江戸時代だって剣を木刀や竹刀に持ち替え『捨てきる』を教えて『気持ちで負けない』を
教えていたのではないかと思います。
切られる恐怖が『生』、相手を切るのが『死地』の領域だと愚考するわけです。

現代剣道に置き換えてみましょう(昔も同じだと思いますが)。
私は捨てきられる打ち程怖いものはありません。
自分はヘタレ剣士ですので高段者はわざと空けて打たして頂いたりしますが
中学生辺りの避けあう剣道をする輩には力で押し潰してしまう事もあります。
(意識に応じる気持ちがある子には絶対しませんが)
極端に云えば避けて機を伺う剣道してたら応じ技の稽古や掛かり稽古も無意味だと思いませんか?

お名前: めざせ達人   
「捨て所を探す競技」ですか。
そういえば、先生方はよく「捨てる」ということを口にされます。
その「捨てる」ということがどうもよく分からない。
「生」にこだわるというのも武道の追求すべき課題であると思うんです。
「捨てること」と「生にこだわること」どのようにつなげて考えたらいいのか。
難しい。。。

僕の段階では、「攻め」とは、負けないように相手にかかわって
相手に打たさないように、かつ相手のスキをつくって、ここぞというときに
捨てて打つ(打つことに集中して打つ)ということなのでしょうか?

わけの分からないスレですいません。

お名前: Hide.    URL
>勝負にこだわることを嫌い「正々堂々と敗れる」みたいなことをいうのはナンセンスよ
>うな気がします。

そんなことはありません。打たれっぷりが悪いのはいけませんね。
剣道では「正しく打っていけば正しく返される」って言われるんです。また「捨て所を探
す競技」なんてもいいます。

どこで思い切るか、そして思い切ったら打たれることをもいとわない。まさに剣道ってそ
んな部分にこだわる競技だと思いますヽ(^.^)ノ

お名前: めざせ達人   
検索したら、驚くほどたくさんのトビがありました。皆さん自分なりに試行錯誤しておられる。
皆さんの苦労を参考にさせてもらいながら、僕も試行錯誤していきたいと思います。
「攻め」限らず、剣道のことについて考えると、どんなことを考えても結局、剣道を
修行していくことによって目指す「強さ」とは何だろう?というところに行き着いてしまいす。剣道はもともと戦時に相手を制圧するためのもの。要するに「勝つ」=「生き残る」を目的としたもの。剣道も「勝つ」それ一義であるのではないかと思うんです。
勝負にこだわることを嫌い「正々堂々と敗れる」みたいなことをいうのはナンセンスような気がします。
でも、必要な気もします。
いろいろ思うところはあるのですが、話せば長くなって、ご迷惑をおかけしてはいけませんので
今回はこれくらいに。。。お答えを下さった方、ありがとうございました。これからもアップしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

剣道では「攻めを考え出すと、初級卒業」といわれます。と同時に、深遠なる剣道の入り
口に立った証でもあります。喜ばしいことである半面、ここから先が実は本当に難しい。
大いに追求し甲斐のあるテーマなんですねヽ(^.^)ノ

ちなみに、「攻めとは?」ということに関しましては、すでに何度も拙サイトに取り上げ
られております。すばらしく深い内容にまで踏み込んだトピもありますよ。
「サイト内検索」の機能をお使いになりまして、関連するトピを読破してくださいますよう
お願いいたしますm(_ _)m

お名前: 元立ち   
高段者でも悩む問題のようですね。
「こう攻めれば打てる」マニュアルはある筈がないと思うのです。
その中で少しでも攻める境地に近づくには
*相手より先に打つ
*めざせ達人さんが言われてる「常に前に出る」
*避けるより打ちに行く
など単純に『攻める』事から『本当の攻め』が生まれてくるのではないかと考える次第です。

技術の向上と気合が融合できることが上達の道と稽古に励んでます。

お名前: めざせ達人   
よく先生に「攻めろ」といわれますが、具体的にどういうことなのか
いまいちよくわかりません。「前に出ること」と理解して前に出ても、
打たれるし、「気の攻め」と理解して打つなら打てという気持ちで相手に対峙
したら、ほんとに打たれてしまいます。それなら動きのパターンか?でも、
剣道は相手のあってのことだから結局、決まったパターンなんかには
到底持ち込めないんです。「攻めとはこういうもの」というのが頭の中ででも
わかったら、それを目指していろいろなことがわかってくると思うんです。

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