記事タイトル:古流の道場に行ったのですが 


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お名前: 片腰   
>居合と抜刀術は違うんですよねー・・・関係ないけど

せっかくですから、どう異なるのか教えてください。m(_ _)m

お名前: ぷちぷち・・・   
通りすがりに言い忘れましたが、
北辰一刀流でやっているのは、居合でなく抜刀の方です

お名前: プチプチ・・・   
皆さんはじめまして。居合と抜刀術は違うんですよねー・・・関係ないけど

まぐねんさんへ
今更ですがちょっと思ったので書かせていただきます
だいぶ誇張してますね・・・
ちなみに切り落としは・・・プチ門下生さんがなんか書いてますね、、、

剣道は竹刀を使った試合に勝つための技・数、北辰一刀流は竹刀もつかいますが
基本的には刀を使って向かい合ったときに勝つための、主に型・正確な技を重視
これはどの古流剣術にも言えるとおもいますが、竹刀剣道で両方が試合ってどちらが強い、勝つといったことはまた別の話です。
偉そうな事をいえた身ではありませんが一応一言。
単にまぐねんさんに北辰一刀流は向いていなかっただけということで
どちらにしろ趣味の範囲なので、自分が気分良く出来る所でやられるのが一番だと思います

あと、プチ門下生さんごめんなさい
自分も、・・・さんと同意見です(^^;

お名前: ・・・   
>>プチ門下生
あまり道場のことをべらべら喋るんじゃない。破門だよ・・・

お名前: プチ門下生   
すみません訂正です。360℃はちょっと暑すぎますね(笑
空なので360度全ての方向です。念のため

お名前: プチ門下生   
>まぐねんさん
確かに戦争時のパイロットの話はよくします。空において、敵は360℃どこから来るか分からない。真っ直ぐ前だけを見ていたのでは、撃墜されてしまいます。広い視野で見ないといけな訳で、遠山の目付けの体験談です。
>切り落としの練習は全くしない
五行の型の中で何度も使ってますよ。43本の技もかなりこの中で使ってます。全くやらない所か繰り返し練習していたでしょう、切り落としは大変難しい技ですから。気が変わったらまた、見学に来てください。
>もと門下生様
始めまして。内容から察すると、信武館と戦っていた頃のかたですか?”自分の剣道の確立”いい言葉です。勉強になりました。

お名前: 剣   
まぐねんよ、お前のようなやつは何をやってもダメだとおもうよ。
テレビゲームでもやってた方がいい

お名前: Hide.   
to まぐねんさん

そうですか。私もまぐねんさんの決断に賛成です(^^)

どこか新しいところをお訪ねになられましたら、ここで報告してくださいねヽ(^.^)ノ

お名前: まぐねん   
皆さん,いろいろと意見を述べていただき,ありがとうございます。考えた末,ここの道場に行くのは止めようと思います。やはり剣道が最優先なので,剣道に対し肯定的な考え方,そしてもっとゆがんでない考えを持つ人のところで練習したいと思います。だから,またいろいろな道場を見学に行ってみたいと思います。

お名前: Hide.   
to 片腰さん

アハハ、たしかにハンドルが違っておりますね(^^;

まぐねんさん、このカキコの方は、「片腰さん」とおっしゃる居合道を中心に学ば
れていらっしゃる方です(っていうご紹介でいいですよね(^^;)。


>ただ私には、失われたものを求めつつ稽古するというのも各流の稽古者の姿とも
>思えます。

うわぁ、なんとも寂しい感じのカキコですねぇ( -o-) フゥ

お名前: 方腰   
こんにちは。

時間調整中に外からです。
門人ではありませんが、少し古流の入り口に立っているものです。
雑誌の取材内容についてはわからないので、うまくいえないのですが、書いてみます。

いまや日々の生活の中で時間やお金を割いて古流を学ぶものがほとんどであると思います。
帯刀の時代は、相当昔ですしその中で程度の差はあれ失伝していくのは、
残念ながら時代の流れのような気がします。

たとえば、
”幕末の剣豪が三人の暴漢に襲われ逆にすべて川に叩き込んだ”
というような逸話からは、
体術の稽古も相当できていたと考えることができます。
今、剣道や居合の先生にどれ位そういったことを想像出来るでしょうか?
(幕末の三大道場の先生のお話です。)

お話の道場では竹刀稽古、形稽古そして居合もしているようですから、相当な時間が必要です。

多大な夢を抱かれて失望されたようですが、
今伝わっている部分を少しでも次代に繋げようと思うだけでも相当な覚悟が必要と思います。
他流や、他の武術でも同様なことはありますので、
礼節を守り、あなたご自身の求められる道場を探しますのも確かに一案です。

ただ私には、失われたものを求めつつ稽古するというのも各流の稽古者の姿とも思えます。

乱文乱筆にて失礼します。

お名前: Hide.   
to まぐねんさん
はじめまして、管理人のHide.と申します。

そうですねぇ、この道場のもと門下生さんがいらっしゃいますので、あまり悪し様
にいうのははばかられますが、まぐねんさんへの受け答えを拝読いたすかぎりにお
きましてはこの道場にお通いになるのはいかがなものかと考えます。

確かに、今の全剣連がおやりになっておられることがすべて正しくて立派ではない
と思います。しかし、ご自身がおやりになっておられることにしか目が向けられな
いようでは、本当の意味での「心法」の域まで達しているかどうかは不明です(^^;
剣術は竹刀剣道の世界からはとかく色物的に観られがちですが、キチンと流派の教
えを存続し門弟も数多くおられる道場も少なくありません。まぐねんさんの心に響
くものが感じられないとするならば、教えを請うても深いものが得られないように
思われます(^^)


to くにさん
お答え、ありがとうございますm(_ _)m


to もと門下生さん
ご自身の剣道には、今でも北辰一刀流の息吹が脈々と流れておいでなのですね!
素晴らしいことですヽ(^.^)ノ

私も、子供のころ指導を受けた道場が「北辰一刀流の流れを汲む」と言われており
ました。実際、その道場で形稽古をしているところを見たことがありませんでした
が、そういうのをひとつのステイタスに感じておりました。
大学時代に小野派一刀流の師匠と出会い、指導を賜わりましたが、自分の剣道に
ルーツがあるってうれしいですよね。もと門下生さんも、ご自身の剣道をさらに深
められていかれますことを、切に希望いたします(^^)

お名前: もと門下生   
私は小中学生のとき、この道場に通っていた人間です。かつては、一学年が30人
ほどいて活気があり、選手に選ばれるのにも苦労したものです。先生は小学生の心
をたくみにつかみ、レクリエーションなども取り入れそれは楽しいものでした。
東京都でも上位にランクされ、他県の有力な道場から何人も出稽古にくるような状況
にもりました。剣道の名門校にも進学した先輩もいました。こどもにつきそわれる母親
にたいして剣道教室を開くなど、父母との
コミュニケーションも積極的でした。私自身も古流を体験しました。(居合道、組太刀)
組太刀には五行之形というものがあり、これは確かに基本となるものです。先生はその点
を強調されたのでしょう。北辰一刀流は日本剣道形に一番多く採り入れられた流派です。
現在いかなる状況にあろうとも、全剣連はこれを無視はできないはずです。
私自身は、高校・大学と剣道部で活動していたため、また転居した関係もあり、道場から
自然に遠ざかりました。その後、全道連から脱退したことを知りました。門弟数はその
ころ極端に減少した模様です。非常に悲しく思いました。しかし、私はこの先生から
剣道を学び、育てられました。その指導は現在でも確実に生きています。私、古流に
徹すことができず、全剣連の段位も頂戴しています。しかし、このような経歴から、現在
の剣道を全部受け入れることはできないでおります。今後も自分の剣道を確立すべく努力
していきたいと思います。このようなもと門下生が一人でも剣道界の末端にですが存在
していることをお知り置きください。

お名前: くに   
まぐねんさん、こんばんは。
これは、Hideさんはちょっとレスつけにくいことかと思いますので、私なりの考えを書き込みます。
私なら、その道場には入門しません。
43本の組太刀をやらないからではなく、その先生に指導者としての敬意が払えないからです。
私も、自分が古流を習っているわけではないのにこんな事を書いていいのかと思いますが、5本の形は、
基本形であり、一刀流は本来その形を全うできれば免許皆伝になるような意味のあるものだと思います。
だから、その形だけをやりなさいと仰有る先生の言葉が間違っているとは思いませんが、まぐねんさんの
お気持ちがどの辺にあるのか考えられず、ご自分のペースでしかものを言えないというのは、指導者として
適当でないのではないかと思います。

古流の学び方ですが、これも、あくまでも私ならということですが、形を使いますよね、古流は。
私は、その形を見て、自分に響いてくるものがある先生に入門したいと思います。
恐らく稽古は、来る日も来る日も同じ事のくり返しで、派手に打ち合うこともなく、何のために
こんな事をやっているのかと嫌になるようなものではないかと思います。しかし、素晴らしい形を
見ていれば、あれを打つためにやっているのだと辛抱も出来ると思います。
流派の名前だけで入門を決めるのは、やめた方がいいのではないでしょうか。

お名前: まぐねん   
はじめまして、最近北辰一刀流の剣術の道場へ見学に行ってきました。そこでは開祖千葉周作の
制定した組太刀が43本あり、今も受け継がれていると、「秘伝」という雑誌にも載っていたので
すが、行っていた組太刀は5本だけ。そこで、「43本の組太刀はやらないのですか」と聴いたとこ
ろそこの館長先生が大変お怒りになって、「そんなものをやっても全く意味がない。あんな古臭
いことをやっても力は上がらない。この5本の方だけやっていれば竹刀剣術など何てことないん
だ」、といって質問には答えてくれませんでした。おまけに、私が「剣道連盟に所属しているの
か」と聴かれて、「そうです」と答えると、「剣道連盟のやってることなんかやってもだめだ。
あいつらはなっちゃいない。こないだの全日本の大会もどってことない。あんなことをやっても
強くなれない。うちの5本の組太刀と切り返しと掛かり稽古だけであんなやつらに負けはしない、
うちにきて練習をしなさい。」といって、興味のあった組太刀については何も答えてくれません
でした。
これはどう取るべきなのでしょう?私自身北辰一刀流には興味があったし、一刀流の切り落としは
ぜひとも学んでみたいと思っております。しかし、切り落としの型の練習は全くなく、行っても剣
道連盟の事を悪く言われて、自分が若い頃軍隊の大会で優勝したことの自慢話や戦争に生き残る
にはどうするかといった話をえんえんされるばかりで精神的につらいです。正直言って人間とし
てもどうかと思ってしまいます。やはり流派の名前だけで入門するべきではないのでしょうか?
古流の方はどこに深い意味があるのかよく分からないので、入門するとき何を見て決めたら良い
のかわかりません。古流を選ぶ時にはどうしたら良いのでしょうか?

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