記事タイトル:残心を取る必要性が分かりません 


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お名前: Hide.   
to 親馬鹿一刀流さん

>表現を変えると打突のキメが捨て切る所で、打突後の備えが残心という事でど
>うでしょうか。

そうですね、これだとわかりやすいですし、子供にも説明しやすいかもしれませ
ん(^^) 「打ちきる」「決めきる」と「残心は」一体でありながら少しニュアン
スが違いますよね。広義に考えればそれらは「残心」といえますが、狭義には分
けて捉えなければいけないでしょうヽ(^.^)ノ

お名前: 親馬鹿一刀流   
to HIDEさん

抽象的な事を書いてしまったようです。
表現を変えると打突のキメが捨て切る所で、打突後の備えが残心という事でどうでしょうか。
捨て切るを打ち切ると読み替えた方が良いかもしれません。
キメの所で、相手の打ちを怖がって、腰が引けていたり、打ちが中途半端になった物は一本とは
ならないと思います。
打ち切った時の勢いが自然な余勢となって間合いが切れて、備えの残心に繋がると考えます。
また、打突後の抜けが必ず必要ではなく体当たりの形が残心になったり、小手打ち後、剣先を突
垂れ、胴胸に付ける形も残心と思います。
この時、形だけの残心ではなく、打ち切った後の余韻を引っ張って、「どうですか?まだ来ますか?」というような気持ちでの備えを持ちたいと考えています。
以上は、私の稽古の中での基準ですので、全ての方に当てはまらないかもしれません。
実際小学生を相手にして本当に打ち切る事はしませんもんね。

お名前: Hide.   
to 親馬鹿一刀流さん

>残心の事はコップの水滴に例えられるように捨て切った後に何かフッ残る物と
>捉えています。何か残る物とは、捨て切ったからこそ発生する気での押さえ(制
>する事)ではないかと思います。

うーん、難しいですねぇ(^^;
揚げ足を取るみたいなカキコになってしまいますが、捨てきらなかったときには
残るものが存在しないってことですか? そうではなく、捨てきらなかったから、
いっぱい残ってしまった?(笑)

うーん、「気の余韻」かぁ・・・。また、能力を越えた課題が出てきちゃったぞ(^^;ヤベー

お名前: 親馬鹿一刀流   
残心の事はコップの水滴に例えられるように捨て切った後に何かフッ残る物と捉えています。
何か残る物とは、捨て切ったからこそ発生する気での押さえ(制する事)ではないかと思いま
す。
審判の事で、HIDEさんが言われていたように、余勢で間合いを切らずとも打突の瞬間に全てが
完了している場合がありますよね。
これは、当事者と審判が気の余韻を感じられるから、一本と認めるのではないかと思います。

構えには攻撃の為の準備と相手の攻撃に対する備えの二つの意味があると説明された事があり
ます。残心も同じではないでしょうか。
中高生には難しいと思いますので、相手の次の攻撃に備える姿勢、間合い。または、自分が次の
攻撃が出来る態勢を作るという事で良いと思います。
稽古を重ねる事で、気での態勢を作る事が理解できる様になると思います。

掛け声の余韻という事では、メーーーンのン、コテーーーイのイを意識して気持ちを引っ張る事
を意識しています。
修行が進むと無声で出来る様になるようですが、サラリーマン剣士の私としては、一生の課題で
す。

お名前: Hide.   
掛け声や打った後の発声の説明をするとき、私はよく「余韻の美学」の話をしま
すよ(^^)
その時は「よいお寺の鐘」と「悪いお寺の鐘」の話を例に出しますね。「よいお
寺の鐘」は音が消え入ってもまだ余韻がたなびいているような気がするものです
が、「悪いお寺の鐘」は「ゴン」で終わりです(笑) 掛け声も、打突後の発声
も、余韻が必要ですよねヽ(^.^)ノ

話は変わりますが、ブルース・リーの掛け声にも余韻を感じたものです(笑)

お名前: IMAING    URL
いいですねぇ、himさん。(^^)
「余韻の美学」うーん、響きも素敵です。

日本剣道形にも「形の有無にかかわらず、しっかりと残心を示すこと」と
ありますように、残心は「途切れない心」を表すものでフィニッシュと言う形に加えて
フェードアウトの美しさ、そして油断をしない心との総合体だと思います。
剣道で言えばだらだら引きずるのではなく、一本一本をしっかり打ち切って
その上に残心が残ると言うところに単なる格闘技でない日本文化の美しさが見えると
思って稽古してます。
花火の消え際にも似ているような(^_^;)

他にも弓道、茶道、華道などにも「残心」という概念はありますよ(^^)

お名前: him   
武道だけに限らず、昔の日本には「残心」というか「余韻の美学」というものがあったのではないかと
思います。
例えば、電話を掛けて「それじゃあ」と言ってガチャッと切らずに、一拍間を置く心の余裕。
この一拍の間に、今の相手との会話を反芻する余韻というものが表れるのではないかと・・・
若い頃ありましたなぁ、そんなこと。好きな女の子との電話の余韻を、また次ぎに繋げたいという
想いをこの余韻に託したものでしたが・・・
アハハ、全然関係なかったですかねぇ(^^;・・・失礼しました。

お名前: 勝手に白熊   
To 田丸さん
剣道以外でも、残心と取る格闘技はあります。格闘技と言うより
武道はすべて残心があるのではないでしょうか。
わかりやすい例だと「空手」で、極真空手の試合とかで技が決まると
すぐに次の攻撃ができる姿勢をとります。これも一つの残心だと思いまがいかかでしょうか。
 

お名前: Hide.   
to 田丸胴さん

僕も生徒に教えるのに苦労してますからね(笑)
ただ、もっと他のうまい理由づけがあるかもしれませんので、全国の剣道愛好家の皆
さんからのお答えもお待ちしたいですね(^^)


to トマトマン

うん。
でも最近の中高生の試合を見てると、「形だけの残心」が実に多くなっていて気にか
かってるんだ。フィニッシュって考えると形が大切なようだけど、やはり根本は「油
断をしない心とカラダの備え」であって形ではないはず。時々、相手ではなくて試合
場の中央に向かって形だけの残心をとっているのを見ると悲しくなります。
後輩に教えるときは、心の部分もしっかり話していってあげてくださいね(^^)

お名前: トマトマン    URL
なるほどぉ、「フィニッシュ」って教えてもらえば確かに
なっとくしますね。
よし、僕も2年生になったら後輩に教えるときそう教えよう!

お名前: 田丸胴   
トマトマンさん、Hideさん、なるほど!!よく分かりました。
「現代剣道においては理由づけの根拠が現実的ではありません」・・・正にここに疑問を持って
いたのです、しかし、競技におけるフィニッシュと同じと言う説明によく理解できました、度々
丁寧にお答えいただきありがとうございました。

お名前: Hide.   
to 田丸胴さん

そうですねぇ、考え方の基本はトマトマンが書いてくれたもので間違いありません。
真剣での斬り合いにおいて、勝ったと思っても相手が絶命しておらず油断した瞬間に
返り討ちに遭う、なんていうことがあったため、残心の必要性が説かれてきたのでしょ
う。

でも、それだと現代剣道においては理由づけの根拠が現実的ではありませんね(笑)
そこで、私は子供たちや生徒達に教えるときこんなふうに説明しています。
-------------------------------------------------------
試合で判定を下すのは試合者ではありませんね。「俺は打った」と思っても、審判の
旗が上がらなければそれは一本にはなりません。「打った」と思うならあとから反撃
されないようにしっかりと残心を示して「キメ」なさい。体操競技でも何でも、技が
決まったあとにはフィニッシュの姿勢をしっかりします。それがぐらついたりすれば、
得点が出ませんね。剣道における残心もそうした競技におけるフィニッシュと同じな
んです。一本だと思うならしっかり残心を示し、また、それが審判の判定によって不
十分なら、さらに攻撃が仕掛けられる、あるいは、相手の反撃をかわせるような心と
カラダの備えこそ残心の意義なんです。
-------------------------------------------------------
とまぁ、こんな具合です。いかがでしょうか?(^^)

お名前: トマトマン   
それは、昔の剣道(真剣でやってたころですね)のなごりじゃない
でしょうか?昔の真剣勝負で、相手に切りつけて、よけられたとします。
そして、そのまま油断する=死ですから。
一撃必殺、もし斬られれば死あるのみだったと思うんです。
それが他の格闘技と決定的に違うところではないでしょうか?

お名前: 田丸胴   
。。。残心を取る必要性が分かりません。。。
剣道はじめて2年ですが打てた後は残心を取るよう教えられそうしてきましたが
身近の仲間も残心の必要性と意味がわかっていない様です、残心を取る格闘技は剣道
だけの様に思いますが、なぜ剣道には残心が必要なんですか誰か教えてください。

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