記事タイトル:高野佐三郎先生 


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お名前: 松原   
始めまして。
平成17年に102歳で他界した父は、高野先生と親交があり、由来の品々がありますが。一人娘が嫁ぎましたので、一部を処分いたしたく考えております。
今、高野先生由来の掛け軸をどこかで保存していただけないものかと考えております。
皆様のご意見をお聞かせいただけると幸いに存じます。
私事のみにて、失礼させていただきます。

お名前: 修道学院   
>>大手さん

あの〜もう少しお調べになってから書き込みをされたほうがよいのでは・・・・・・
高野先生は背丈も恰幅もあられた方で‘背も小さく痩せておられたのは‘ライバルと称された中山博道先生のほうです
ついでに言いますと最初の範士号授与は明治35年でその時点で7人、高野先生が範士号を授与された大正2年には既に数十人の範士がおられましたよ

お名前: 剣士   
高野先生は、すごい人だと聞いています。
この、ホームページはとても役に立ちました。

お名前: 剣道好で御免なさい   
私、年齢45歳の弱小3段でございます。しかしながら、
剣道好きで、また昔の剣道人に凄く興味が有り、過去の素晴らしい先生方の事を、
検索又は著者本を購入しています。
何故か、それがかなり良く娘に変な父と言われます。
高野佐三郎範士についてですが『面打ち」はともしも「胴の手の返りはさらに難しいから胴打ちもおろそかにするな」と申された高野先生の胴打ちは右、左、右と3本ぐらい連続の左右胴を打ち、最後は片手突きで咽喉を突き、右手でポンポンと柄頭をたたくのが得意であった。と申されています。
又昔の小野派一刀流の「打ち返し」は、
左面を二本、右面を三本と自分の思うとおりに打ち込んで行く為一歩誤れば額を直撃
されて血まみれという惨事も生じたそうです。
小野派一刀流は素面素小手で打太刀のおもうがままに打ちまくった為に受太刀はまったくもって命がけで有り、直撃の洗礼を受けない為には瞬時の油断もゆるせなかったと、
高野先生はその真剣味を説かれております。
今日の学校剣道の基礎を築いた剣道会の巨星。日本剣道形制定委員の一人。
剣道範士。

お名前: Hide.    URL
To いいもと君

拙サイトがお役に立ちますればうれしく存じます(^^)
昔の先生方の教えを勉強することはとてもいいことです。ぜひぜひ、研究を深めていって
くださいね!!

お名前: いいとも   
大手さん、詳しいご説明ありがとうございます。
大変参考になりまして。
これからは、しっかりと勉強していきます。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

高野先生については、書物も多数ありますよ。ぜひ、そうしたものにもあたってみてくださ
い(^^)

なお、情報をくださいました大手さんにおかれましては、本当にありがとうございました(^0^)

お名前: 大手   
書き込みを読み返し再度書き込みします。
高野範士の剣道は技術とか精神を超越したところにあった。
88歳の父にして今だにわからないところである。と申しております。

お名前: 大手   
55歳の剣道を始めて10ヶ月の者です。
残念ながら88歳になる高齢の父が心臓発作に倒れ現在看病付き添いのため1ヶ月前より
休止をしていますが高野範士のことにつき書き込みをさせていただきます。
病気中の父から聞いた話ですが、父は昭和15年に高野範士に稽古をして頂きました。
当時、父は陸軍工科学校の将校学生として、また学校の教官として勤務していました。
剣道に関しては武徳会4段、陸軍戸山学校両手軍刀術2段そのうえ京都の16師団に配属中
には師団代表として全国大会に出場し、なおかつ中国大陸に出征し中国軍と軍刀を使っ
ての白兵戦を戦ったり、年齢も25歳、人生の中で一番旺盛な時だったと申しております。
10名ほどの全国の選び抜かれた陸軍の猛者が集まり1名づつ順番に高野範士に1本勝負の
稽古をつけてもらったのですが、先に稽古をしている巨漢の剣士が本当に目に見える
ほどのゆっくりとした高野範士の打ちを簡単にもらっている。不思議だなとは思いつつ
父の番となり蹲踞より稽古にはいったところ、背も小さくやせて何の気迫も感じられず
本当に打ち込んでよいのかな?などと思いつつ対峙したところ、面を打とうとしたら先生
竹刀が邪魔になり、小手を切ろうとしたら、これまた竹刀が邪魔になり、一瞬迷ったと
ころ、ホイと言う声とともにポンと打たれた。
父の次に稽古をした者は、巨漢であり高野範士に軍隊仕込みの物凄い体当たりをしたと
ころ半分の大きさにしか見えない高野範士に逆に跳ね飛ばされたそうです。
戦後は艱難辛苦の中、事業を立ち上げ経済的に政治的に成功を治めましたが、父は常に
誰にほめられようが言っていました。所詮は私は私の範囲であり、世の中には信じられ
ない、名人、達人がいると常に高野範士の名前を出され自分自身にも言っていました。
現在、病気療養中ですが高野範士との稽古を鮮明に記憶され書き込みをさせていただきました。なお当時の範士の称号を持っていた先生はは日本国中で2名だけだったそうです。
ご参考にして頂ければ幸いです。

お名前: いいとも   
高野佐三郎先生の名前は、良く聞くけど、どんな凄い人だったかは、よく知りません。
勉強不足で申し訳ありませんが、教えてください。

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