記事タイトル:『強い』と『うまい』について 


書き込み欄へ  ヘルプ
ここは「剣道 いちに会」という剣道専門の個人サイトです!

1.匿名であっても、剣道関係者として気品と礼節あるカキコをお願いします。
2.特定の個人や団体に対する誹謗中傷はおやめください。
3.
個人情報の流出は厳禁です。
  (進路などプライバシーに関わる書き込みは違法行為として罰せられます)
4.書かれた本人や関係者が不快にならないように留意してください。
5.意見と感情論は違います。
  (根拠が明記されていないカキコは意見とは言えません)
6.カキコは書き捨てにしないで最後まで礼節をもってください。

7.ルールを逸脱したトピ・書き込みは、管理人Hide.により削除されることがあります。


お名前: Hide.    URL
To ほったてさん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました(^^)


>私は「強さ」とは試合に勝てることで、「うまさ」とは相手を自分の思い通りにできる
>ことだと思います。
>そして今の剣道は「強さ」よりもまず「うまさ」を目指せと言っているように感じます。

剣道全般のお話としてはそうなのかもしれませんが、トピ主さん(おそらく中学生)が質
問なさっている「うまい」と「強い」はそういう視点ではないのではありませんか。

私はそこを踏まえてお答え申し上げているのですがね(^_-)〜☆
[2007/11/20 23:44:23]

お名前: ほったて   
ずいぶん前のスレみたいですが、私は剣志郎さんの言われていることも一理あると思います。
私は「強さ」とは試合に勝てることで、「うまさ」とは相手を自分の思い通りにできることだと思います。
そして今の剣道は「強さ」よりもまず「うまさ」を目指せと言っているように感じます。
しかし本来「うまさ」は「強さ」の上にあり、そちらを目指す方が本当は遙かに難しいことなのです。
それなのに「強さ」をすっとばしていきなり「うまさ」を求めることに、初心者が疑問を感じるのは当たり前のことではないですか?
またそれが今の剣道の敷居の高さを産みしている原因の一つだと考えます。
私は2002/11/18 の剣志郎さんの意見に全く同意します。
そしてそれ以上に彼に理想的な指導者の姿を見出します。
どんな競技でもやる者の気持ちを考えないものは廃れていって当然だと思うのですが、いかがでしょう?
否定的な意見が多いようだったので、勢いにまかせてレスさせてもらいました。
どうも失礼しました。
[2007/11/20 17:08:24]

お名前: Hide.    URL
To ケンキチさん

管理人のHide.です。「昭和天覧試合」をご覧になってのご意見、ありがとうございました(^^)
いやぁ、私も拝見したときは驚きました。と同時に、「昔の剣道って自由度が大きくて
楽しそうだなぁ」って感じました。決して「あてっこ」だとは思いませんでしたがねぇ(苦笑)

残心の形も色々ですね。決して中段ばかりではありませんでした。「小手を打って陽の構
え残心」「飛び込み胴を打って折り敷いて残心」「片手半面を打って左片手冗談残心」な
んてねヽ(^.^)ノ


ケンキチさんがおっしゃるように、今の剣道で正剣というのはいわゆる「昇段審査向け」の
剣道の集大成(?)です。たいして面白みがありません(^^; 体型や剣風による特質の違
いを出し難い世界です。これでは剣道は廃れてしまいますね・・・。

上段も二刀もけっこう。大いにおやりになるべきですし、そうした方々とのお稽古もどん
どん行なわなければなりません。それが、己の剣道の自由度を増すってことにつながると
思いますから(^0^)
剣道とは竹刀を使って互いに競い合う「自己表現」です。どんな表現方法も認められるべき
と考えます。ただし、心栄えの低いのだけはいただけませんがね(^_-)~☆
[2004/03/16 09:34:21]

お名前: ケンキチ   
今日、友人に借りた昭和4年の剣道の天覧試合の貴重なビデオを見た。
その中で驚いたことは当時の範士や大家と言われていた人々の若さ、
片手技の多さ、動きの激しさ、足さばきの多様さ、審判の所作などな
どである。
特に片手半面が多くてびっくりだった。一番びっくりしたのは片手突
き、片手半面、逆胴の連続技。しかも当時の範士がこれをするのだか
らびっくりだった。
また、試合中に中段から上段になってまた中段にもどしたり多様な剣
道を見れた。
審判が椅子に座っていたり、有効打突を判定する時に手を肩までしか
挙げなかったり…。
「当てっこ」といわれる試合が批判されているが昭和4年の時点です
でにほとんどの試合が究極の「当てっこ」になっていた。

しかし持田 盛二先生と斎村 五郎先生と増田 真助先生は静と動、
中心からの
攻めからの打突という現在の剣道人が目指すところを体現されてい
た。
僕は持田先生の構えに強い憧れを持った。あと植田 平太郎先生の
上段
の美しさに感動した。
当時は竹刀の重さに制限は無かったと聞くので思うのだが今よりも
軽い
竹刀を使っているんじゃないか?と思うくらい竹刀さばきが速い。
絶対
軽いと思う。あと柄皮がすごく長い選手が多かったように思う。
足さばきも左足から踏み込んで相手の右側をぬける飛び込み胴。
歩み足
での遠間からの面など体勢を崩さないようにするために一番適
切な足さ
ばきを用いている感じがした。型にはまっていなかった。

今回貴重な映像を見て思ったのは今の剣道会は持田先生のマネ
をしようと頑張っているのかなと思った。特に所謂「今の八段
審査に受かりそうな剣道」というのの原型のようなものが見え
た気がした。
しかし八段にチャレンジするレベルの人はさておきそうでない
人はドンドン剣道の幅を狭げようとしているように思う。なぜ
ならば持田先生らは精妙な片手技もでき上段もでき場合によれ
ば二刀も使いこなせた。そういった人たちが敢えて中心の取り
合いをし合う、またそんな化け物のような人同士でも中心を取
り合って剣先の攻防に勝たなければ相手を打つことが出来ない。
そこに剣道の凄みを感じるのではないだろうか。片手技や二刀
を邪道といい自分が対応できない動きをする相手を難剣(軟
剣)と呼ぶ、そして自分のやり易い状況でしか相手が打ってこ
れないように稽古以外の部分で仕向けておいてそこで相手を打
ち自己満足に浸る。そんなのが「正剣」と言われている部分が
あると思う、そんなのはインチキだと思うしそんなのはやって
ても稽古は強いが試合は弱い剣士を作るに過ぎないと思う。
そんな指導者にはなりたくないと思うし「ほら、片手半面も
片手突きも逆胴も左右での片手打ちも左右両手、片手上段も正
逆二刀もな〜んでも出来るけど中段で中心せめて打つのが楽しい
からしっかり中段やれよぉ。」と気取らずに言える指導者に私は
なりたい。

いやぁホントに驚いたんですけどこの大会は今の全日本とか学生
の試合なんかとてもとても及ばないくらい「あてっこ」ですよ。
府県選士の部ともうひとつ連盟(武徳会)推薦の部があって、ま
あ前者が今の全日本選手権後者が今の選抜八段戦てとこかなと思う。
両方とも動きが激しかった。色んな技を使っていた。
正剣ってのは担ぎ技や片手技を含まないんですか?二刀は邪剣です
か?試合中に色んな構えをとるのはその構え一筋の人を馬鹿にして
いますか?もしそうなんだったら日本剣道は昭和4年の時点ですで
に腐っていますね。またそうでないとしたら剣道はものすごい勢い
で退化していますね。その場その場で一番合理的な技を出している
状態が見る人にとって美しいと感じると僕は思います。三点防御も
防御技術の進化だと思うし逆胴をもっと認めればもっと減ると思う。
打った瞬間「手と足がパッと合っている」これが正剣だと僕は思い
ます。打つまでのやり取りは個性、戦術、身体能力、剣道観に応じ
て千差万別。ただ打った瞬間の手と足と身体のパッという調和ここ
に美を僕は感じる。これが高いレベルで出来ている人はみんな強い。
長々と失礼しました。
[2004/03/16 02:30:42]

お名前: Dragon Blade   
最近ご無沙汰しておりました。興味深いスレッドでしたので私の意見を述べさせていただいます。

「強い」---   精神的に強く、揺るがず、構えが崩れず、相手の剣風をださせない。
「うまい」--- 技術的に高度のレベルであり、相手の剣風を引き出す。

試合及び稽古でも、自分の打突はできるものの、紙一重で切り返される人は「うまい」で
構えが崩れず、自分の剣道が全く通じない人は「強い」と感じるのではないでしょうか?
高段者の先生に対して「うまい」とは言わなくても「強い」と感じるのは、精神的な部分が
影響していると考えます。
最初の「悩める剣士」さんの質問に答えるとすると、剣道を精進させるためには精神的に強くな
る、強くなれるはずですが、性格がやさしく、精神的にもあまり強くない生徒が技術的に
「うまく」なりたいと感じていると思います。「強い」剣道をまわりに感じさせる人は、性格も
強く、精神的にも強いのではないでしょうか。その発言者の生徒さんは相手をねじ伏せ、己の剣
を全面に出すよりも、技術的にレベルアップし、先の技、応じ技などを駆使するようになりたい
と考えたと思います。
[2002/12/06 12:48:36]

お名前: ないしょ   
人生80年、如何に修行しようとも実戦で極めた先人には遠く及びません。
剣道に集約され、たかだか五十数年の歴史では、高段者もこの程度のものかと落胆です。

悩める剣士さんの発言に真摯に耳を傾け、ご意見を述べるのがこのトビです。
難しい持論は別のトビを立てて堂々とおやりになれば宜しい。

悩める剣士さん、本当は剣道の奥が深いのではなく、星ほどの意見があるだけなのですよ。
剣道は決められた場所をしっかり叩く、シンプルなスポーツ?です。
楽しくやったら宜しい。
[2002/11/21 11:52:28]

お名前: たく   
私は剣道を始めて27年!現在32歳の錬士6段のものです。
剣志郎さん、基本は3ヶ月で身に付くとおっしゃっておられますが、本当にそうなんですか?
私にはとても出来そうにありません。

失礼ですが、どういう剣歴の方なんでしょうか?
興味があります。何年くらい剣道をしておられて、現在何段位の方なんでしょうか?
[2002/11/21 10:20:19]

お名前: 悩める剣士   
ひぇ〜ちょっとパソコンを見ない間にものすごいレス数がついてたのでびっくりしました!
全部読むのに時間がかかりました。
今回、大変勉強になりました。剣道って宇宙より奥が深いような気がします。
僕は生涯剣道をやっていくつもりです。ありがとうございました!
[2002/11/20 19:02:24]

お名前: まさ   
「剣道は50歳までは基礎を一所懸命勉強して、自分のものにしなくてはならない。
普通基礎というと、初心者のうちに修得してしまったと思っているが、これは大変な間
違いであって、そのため基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多い。
私は剣道の基礎を体で覚えるのに50年かかった」
(持田盛二先生の談話)
(堀籠敬蔵著 剣道の法則p297)

本当に基礎を習得するのには大変な修行が必要なんでしょうね。
[2002/11/20 18:31:35]

お名前: kimi   
悩める剣士さん

何か、話の方向がずれてしまいましたね。
素人なりに「強い」と「うまい」を考えてみました。

強い:気力、体力、攻め、打ち、軌道などが考えられます。
うまい:読み、タイミング、技術、使い分け、身体の使い方、剣捌き、足捌きなどが考えられます。

やはりどちらも大事ですね。
基本とは、これらの総称ではないんですか.....?
[2002/11/20 18:04:03]

お名前: てつ   
剣志郎さんへ追加です。

僕は中学校の剣道部顧問をしています。
基本に忠実な剣道と試合に勝つ剣道は別個だとは思っていません。
基本に忠実な剣道でも十分試合に通用すると思いますよ。

なのでウチの稽古はひたすら基本が中心です。
もちろん遠征にも行きますが…。
試合で基本に忠実な技、強い攻めが出来たら、小細工がなくても勝てると思っています。

で…良いこと言っても勝てなかったら意味がないといわれればあれですので…。
一応今回の全中に出場しました。
[2002/11/20 17:42:12]

お名前: てつ   
剣志郎さん

僕も正しい剣道のことを言いましたが(両方とも大事ですよ)…
てつのHNで書いてますよ。念のため…
[2002/11/20 17:35:08]

お名前: てつ   
あつしさんへ

ありがとうございます!
僕は強さとうまさを兼ね備えた剣道も存在すると思いますよ。
去年京都大会に出させていただいたときに実感しました。
難しいこととは思いますが、強い攻めと自在な技…2つを身につけたいです!!
[2002/11/20 17:31:37]

お名前: あつし   
剣志郎さんへ
基本とはそんな簡単な動作でしょうか?
私は基本は一生涯かけてもなかなか完成出来ないと思っています。
[2002/11/20 17:13:07]

お名前: 剣志郎   
すいません。場を荒らしてしまうような言葉遣いに陳謝します。ごめんなさい。

ここを見ている若い剣士の皆さんに、語弊の無いように最後に説明させていただきます。

私の発言の全文を読んでいただければ解るように、私は「正しい剣道」を否定している訳ではあ
りませんし、「試合に勝つのが絶対条件」とは申しておりません。ただ、私が提議したいのは、
「正しい剣道」「基本の剣道」に名を借りた「試合否定主義」の隆盛に歯止めをかけたいと思っ
のです。このいちに会で推奨している「自由な剣風」に私は賛同しています。なぜなら「正しい
剣道」を追求して行くと、極めて不自由なものになって仕舞いがちですよね?(攻め方に自由が
なく、一定の法則に則った一連の動作な訳ですから)確かに「勝ち負けにこだわる」というもの
は私も見苦しく感じます。しかし、勝つ事を目的としないのは武道として矛盾に満ちています。

高段者の先生等が言う「勝つ事を目的としない発言」は、単に負けを認めたくない我がままな発
言か、また本人が「無の境地」にまで達せられ、これから自分の進むべき新境地を語ったに過ぎ
ないと考えます。その言葉はあるレベルにまで剣技を極められた方が至る境地であり、さまざま
な稽古を積まれて来た中で、「最もシンプルかつ最強の剣は基本にある」という結論であると私
は考えます。実際、私もさまざまな先生方、道場、試合にて感じるのは「正剣に勝るものはない
」という結論です。「これを極めることが出来たならば、年老いても十分若い剣士と渡り合える
なぁ」とつくづく感じる次第です。

しかし、それには先ず「自由な剣風」の元で、さまざまな修練を行わなければ「本当の正剣」な
ど掴むことはできないと考えるのです。自分も使ったこと無い剣さばきでは対処のしようもない
。その剣さばきに措いて「何が長所で、何が短所なのか?」自分自身が使ったことの無い剣で理
解するのは困難な事です。その技も一回や二回試合や稽古で使ったからと言って理解できるもの
では無いはずです。「このような剣さばきにはこう対処すれば、この技の長所がもっと引き出せ
るなぁ」とか「もっと体をこう使うといいなぁ」とかある程度の結論を出すには相当の修練が必
要です。そして、その結果「こういう技にはこう対処しよう」となって剣が練られて行くのでは
ないでしょうか?

「中心を攻める剣」を極めてくるとある限界に達してくるはずです。なぜならお互いにとっての
中心線、接線はただ一点しかないからです。互いに気で攻め合い間合を詰めてゆく、切先の攻防
を繰り広げながら、そして「ここなら絶対!」という優位半径(打ち間)に入った瞬間打突を繰
り出す…。そうすると次第に「身体能力によって勝敗が決する」という事に気づくはずです。な
ぜなら、(同じ技量なら)その優位半径は、背が高く、若い人ほど広いからです。

そこで出て来るのが「変幻自在な応じ技」「変幻自在な攻め」です。それは「基本剣道」だけを
修練した人には出せない技です。…よく「全日本剣道選手権の試合で基本がどうのこうの」とい
う方を目にしますが、互いに正剣を極めるほど、よく修練された剣士同士の闘いです。単に正剣
だけを繰り返していて勝負がつくものでしょうか?みなさんの剣道されているからお分かりでし
ょうが、攻めより防御の方が遥かに簡単ではありませんか?あのレベルまで行くとそう易々と斬
り込んではいけませんよ?そこを何とか切り崩して攻めを繰り出して行くのです。技でダメなら
集中力の切れた瞬間や重心の切り替わる瞬間など気や体の隙を突いているのです。基本打ちの様
に綺麗に入るのは稀な話だと考えます。出場選手の全員が全員基本が美しいか?は断言は出来ま
せんが、少なくともそういったレベルの方々の試合です。

一方、京都大会に見られるような正剣の試合もあります。あの大会の趣旨は勝負ではなく、日本
文化としての武道を献納する大会であり、「風雅」「侘び寂び」と言った「文化」としての要素を多分に織り交ぜた試合です。ですから「勝負」という言葉を使わず「拝見」という言葉で試合が行われます。ですから、勝負にこだわったような試合は見苦しく、魅力を感じません。昇段審
査も似ていますが、それは「技量」の他に「人格」という、非常に表現し辛い項目が盛り込まれ
ているからです。実際「本来の人格」など審査のしようもないし、評価することも可笑しな話で
すが、剣風を見れば「どんな稽古を積んで来たのか」「この様な剣風になるにはこういう剣道に
対する考え方の現れだ」とある程度、その人の人格の底辺に接することはできると考えます。ですから、「審査では勝負(技)にこだわるな。自然体(攻め、打突の機会を)でいけ。」と教わ
るはずです。

話がだいぶ反れてしまいましたが、「剣道の基礎」は学生なら3ヶ月もあれば真面目にやってい
る人なら直ぐに習熟できます(正剣を極めるという意味ではありませんよ)。なぜなら、一級、
初段の審査の基準は「基本の正しさ」ですから。ということは在学中の3年間(中高の場合)の
目標としては、仮に「うまい=技巧的に美しい(「強い」という試合中心より基本に忠実に)」とした場合「目標が低すぎる」また、最終的に剣道を極めて行くならば、基礎体力となる「強さ
」がどうしても必要だと私は考えたのです。

人はやっぱり試合の結果によって「やる気」や「目標」が生まれて来るだろうし、やる気や目標
があれば「面白さ」や「深み」に気づき「継続」へと繋がると思うのです。ですから私は「学生
の内は強さを追求してみれば?」と答えたのです。基礎となる強さが無ければ「正剣」などとて
も無理だと私は感じています。

習い始めは「実戦にに則した一本一本の打ち、体さばき」「懸かり稽古や連続技による流れる動作」それを練習するだけでも「動作に無理、無駄のない正しい剣さばき」が身につくはずです。
基本打ちだけではいつまで経っても、その動作に気づかないはずです。試合というものをこなし
てゆく中で「どうやったら勝てるだろうか?」という試行錯誤があって、本当の正しい剣道が見
えてくるはずです。ですから、先ずは試合に打ち込んで見ることです。それから正剣を目指して
も遅くは無く、むしろその為に私は必要だと思うのです。

最後に「正しい剣道」「礼節」を説かれた幾人かのみなさん、自分の意見に誇りを持ってしっか
りとしたHNでお答えになって下さい。私があなた方の答えに怒りを持って答えたのは「発言の主
旨が自分と異なるから論破してやろう」などと思った訳ではありません。どんな意見を持たれて
いてもいいと思うんです。ただ「正々堂々」と言うなら、一般的な姓名に近い普遍的なHNで発言
願いしたい。他サイトのchubouとなんら変わりません。私はご迷惑でなければずっとこ「剣志
郎」というHNで発言いたします。私はそういう部分がネチケットだと思いますよ。

みなさま、それから管理人のhideさま、大変失礼いたしました。
[2002/11/20 16:11:21]

お名前: あつし   
てつさんへ
強い人とうまい人は確かにいますよ!剣先が強くて全く入れないような構えから
グイグイ攻められて、豪快な技で圧倒される人は強いなーって思いますよ。
逆に剣先に力は感じないし、隙があるように見えても技を出せば返し技で仕留められる
、こちらから攻めていっても前で捌かれる。こういう人はうまいなーって思いますよ。
だから剣風であって両方の両立はしないと思います。
人それぞれいろいろな剣風があっていいんじゃないでしょうか。
私は豪快な剣風にあこがれるんで、打たれても、突かれても割って捨てる稽古をしています。
自分の剣風をしっかり持ち、それを目標に稽古に励んだらよいのです。
試合は負けたら意味ないですよ!勝つために稽古してるんですから!!
しかし勝つ為の稽古で捨てたり、打たれたりするんですよ。話がなんか極端になってる
みたいですね。
自分の身長、体重に近い人の剣風を目標にするといいとおもいますよ!
うまくても、強くてもいいじゃないですか!個性があって!
[2002/11/20 15:37:39]

お名前: 剣志郎さんへ   
あなたの言うことはよく分かるつもりです。

しかし、「強ければ正しい」と思っている人も多いように見受けられます。
試合のみに執着してしまい、そういう感覚になってしまっているのならば
悲しいことだとは思いませんか?
試合には強いが礼儀作法のいい加減な学生を多く見かけるようになりました。
剣道が人格形成にはならず、あてっこの技術のみを磨いているという感じ。
もちろんそうじゃないところもたくさんあります。

ですが、剣志郎さんのいう前段だけで止まっている指導者、選手が多いことが
…さん等の言いたいこと何じゃないですかね?
[2002/11/19 23:25:41]

お名前: てつ   
しばらく見ないうちに殺伐とした感じになってますね。

僕自身は試合(全国大会などにも)にも出てますし、強くなりたいとも思いますが、より正しい(語弊がないように基本に忠実と言い換えてもいいです)剣道で勝ちたいと思っています。

ただ、強くなるにも基本に忠実でないと頭打ちしてしまうものですし、より合理的な打突が基本になっていくのではないでしょうか?
僕の場合はスランプになると、基本に立ち帰るようにしています。小手先の技ではなかなか本当に調子が戻らないからです。
ですので僕の個人的な意見としては、やはり基本に立ち帰り立ち帰り稽古していくのが大切なんだと思います。

僕の結論!強さもうまさも両方兼ね備えられるようにみんなで稽古しましょうよ。
ここで言い合いしていても強くならないし…
僕は悲しいです。
[2002/11/19 23:13:48]

お名前: 剣道部中学生   
どうも、はじめまして。きれいさ、正しさと強さって確かに必ずしも同じにはなりませんよね。
うちで教えてくれている先生は、きれいでとても強いです。その先生はどうやら昔からきれいだっ
たようです。でもその先生が強いのは、警察で何十年も稽古を積んでいるからであって・・・。今
の僕らにそうなれというのは酷な話です。
うちの部の練習では、無理に勝つことは無い、正しくやって負けるなら仕方が無い。といわれてしまいま
すが、やはり勝たないと楽しくないし、試合に強くないと試合に出してもらえない。正しくやって
いても試合に強くないから、後輩にポジションを奪われる・・・。これは上の学年には耐えられな
いことです。指導力、後輩の信頼はやはりある程度実力によるところが大きいです。露骨に態度に
出す後輩もいるので・・・。でも先生にも言われているし、正しくやろうと思い、打ち、振りはき
れいにしています。まがった相面や小手を打つ相手には、同じような技で対抗せず、何とかそうい
う技に引っかからないようにする、ガードする、とかで対処していますが。避けるのも、三所避け
はしないようにしてます。だから勝負にはつらいけど、何とかそれで勝つしかない、それで負けた
ら仕方ない、と思っていますが。
小学校のときの同輩と試合場で会いますが、そこの先生はひどいと思います。練習試合ぐらいで負
けても、相手チームに聞こえるぐらい怒鳴り散らし、怒ります。友達に聞いた話では、おまえら今
から帰って練習な、といって、帰って試合で負けた生徒をしごくとか・・・。また、場外に出た学
生は、試合が終わって戻ったら拳骨でぶん殴られてました。実際その友達も剣道の形は汚くなって
しまいました。勝つためにきれいな剣道を捨てたとか。勝たないと、むちゃくちゃ怒られて、大変
だからだそうです。だから、それでも、その学校は県ではかなり強いとこに入ります。やはり怖い
先生に、やたらめったらしごかれた方が強くなるんだな後は思いますが。でもそこまでして剣道続
けても楽しくないと思います。そいつは高校ではやらないかもって言ってるし、今も辞めたいけど
辞められないって言ってます。指導者の方がどういう方針化によって学生が翻弄されるのはつら
いです。実際僕もその中学に言ってたら剣道を嫌いになっていたかもしれません。
何か長々と書いてしまいました。でも学生にとっては試合は死活問題ということをわかって欲し
くて書いてしまいました。すみません。
[2002/11/19 22:59:02]

お名前: 剣志郎   
皆様…、大変失礼しました。
ちょっと感情的になりました。よく居るじゃないですか?人の意見にまっとうな答えも出さず、
自論も説明せず、ただ「正しいのだ」という大先生…。私、ああいう輩は好きにはなれません
。どう思うかは人それぞれです。ただ、相反する意見をお持ちならば、何故正しいのか説明す
る義務があると私は思います。

また答えに窮して、質問を質問で返すようでは議論の余地がないと思います。…私が皆さんの
師匠で答える義務があるのであればひたすら答えますが、みんな同じ立場で意見を交換してい
るのに、一方だけが答え、一方だけが質問するというのはいいかがなものでしょうか?

この「正しい剣道」については諸派議論が別れるところでしょうが、現在のルールにおいて許
される一本は現代剣道における一本です。これは紛れもない事実のはずです。それを否定する
という事は、言い換えれば「我流剣道」に他ならないと考えます。その人が感じる美しさ、強
さ、正当性のみが許される剣道です。どのような組織においても一定のルールがなければ成り
立ちません。どのように緩いルールであっても、ルールはルール。我流が正しければ我流に進
まれよ。「自己満足=自己練成=道」とは思わない。

剣術と剣道を別に考えられる方々が多いが、それは言葉遊びにすぎないと考えます。そうやっ
て別けて考えられる方の多くは「剣術は相手に勝つ為の術だ」とおっしゃれますが、他人に勝
には先ず苦しい修練に耐える自分を磨かなければならない。「自分を磨く」これすなわち「己
に克つ」事と同じではないのですか?その体験の中から一般社会に通じる人格形成を目指すの
が剣道の目指す所ではないのでしょうか?他の武道はどうでしょうか?「試合に弱くとも正し
ければ良い」何て武道はないし、「正しければ強い」というのもない。強さを追求することは
武道の根本なんです。つまり剣道も同じことではないのではないでしょうか?

何のために「正しさ」を追求するのですか?…それは「強くなりたいから」ではないのですか
?強さを否定することは正しさを否定することにはなりませんか?武道とはそういうものです
。華道や茶道の「侘び寂び」の追求ではない。…そして強さの追求の果てに来るものは何か?
それが「貪(どん)」の思想(色即是空なんかもそうかな?)な訳です。そこにもののあわれ
を感じ、「勝って感謝、負けて勉強」の礼節を知り、互いに自己研鑽し、人格形成の一助、道
に昇華せしむるのが剣道ではないのでしょうか?

…さん、これで答えになったでしょうか?(笑)
[2002/11/19 19:17:24]

お名前: 剣志郎   
…さんへ
そう来ると思ってましたよ(笑)。
先ずは質問に答えようよ。そうしたら私も答えますよ。剣道と剣術の違いについてね☆
[2002/11/19 18:04:26]

お名前: …   
剣道と剣術の違いは何なんでしょうか?
何のために道という言葉が付いているのでしょうか?
[2002/11/19 16:14:46]

お名前: 剣志郎   
…さん。
正しい剣道って何ですか?
○○剣道大会の優勝者は何の競技で優勝したんですか?

私も剣道において「勝つ」という事が最重要で、最終目的ではないと考えています。それはひと
つの通過点でしかないと思っています。私は勝てないというのに理屈を説くのは単なる指導者の
オナニー(自己満足)に他ならないと考えます。

正しい剣道って正剣のみの話なんでしょうか? かつぎ、横面、横への体さばきは、剣道ではな
いのでしょうか? 古流で言う「井桁崩し」の足さばきでなければ、正しい打突ではないのでし
ょうか?私も修行の身ゆえ、ぜひご教授頂きたい。
[2002/11/19 12:34:25]

お名前: 剣童   
失礼します。

剣志郎 様
お話が高度です・・・(^^;)
現代剣道の抱える問題の、根幹に鋭く切り込まれていらっしゃいますが、難しすぎます・・・(汗)
私は、昔から伝えられている技で、いかに最近の変な(逆霞(あっ 私が勝手に呼んでいるだけです。))
技を制するか、そのための稽古方法はどうすればよいか・・・?
こんな感じで、稽古に取り組んでおります。


悩める剣士 様
対戦した時、射すくめられたように圧倒される相手は 強い!
圧倒されないけど、一寸した隙に技を決められて油断できない相手は 上手い!
こんな感じでしょうか・・・?

全日本などで勝ち進む選手は、この両方を兼ね備えていますが、その中でも「剣風」といった
ものが現れます。
剣先を利かせてグイグイ攻め込む選手や、逆にその剣先を捌きながらチャンスを伺う選手などです。
(どちらでも相手によって使い分けれる選手もいます。)



悩める剣士 様
[2002/11/19 11:41:31]

お名前: 剣士郎さんと同意見   
試合に勝つことは重要なことだと思います。

その理由として、子供が剣道を始めるきっかけは友達に誘われたり、兄弟の影響だったり
面白そうだからやってみようというようなことなどが理由としてあげられます。
そして日ごろの練習の成果を試合で発揮するわけです。そうした中で、なかなか勝てないと剣道に対する気持ちが薄れていくように思います。どんなスポーツも同じだと思いますが、勝てば嬉しいし、辛い練習の事など忘れさせてくれます。試合に出れば負けるというような状況が続くとだんだん嫌気がさしていき、最終的にはやめる結果になってしまったという子供達を何人も見てきました。
剣道は、どちらかというとマイナーなスポーツです。そのうえ剣道人口は少子化に伴い年々減少してきており、この先どうなるのか予測すると不安になります。
ある剣道の偉い人は「勝つことだけが目的ではない、剣道を通じて色々な事を学び将来に生かして欲しい」と言っていました。たしかに正しいと思いますが、今の子供は一昔前の子供とは違って強制的にやらされたりするのを凄く嫌がります。子供達は楽しいから剣道をやっている訳で、子供達の「楽しい」とはどういう事かと言うと、「友達と会える。試合で色々な所へいける。優勝すると祝勝会がある。」というような事なのです。
結局は勝つことが重要な一因となる訳です。
私の子供も小さい頃から剣道をやっていて、来年高校に進学します。それも剣道で進学します。どうなるか判らないですが、自分が好きで選んだ道なら最後までやり通すと信じています。
勝つことが全てとは言いませんが、重要なことだけは間違いないと思いましたので書き込みをさせて頂きました。

長々とすみませんでした。
[2002/11/19 09:50:25]

お名前: 同意見   
>どうも「正しくなくとも試合では良く」「昇段は正しくなければならない」みたいな
>可笑しな事をそのまま是認しているような気がするのです。

そんな考えがあるのがおかしい。
でも、そんな考えは剣道をきちんとしてない人の意見でしょ?
実際…さんの言うように今回の全日本の評判が良くなかったのがその証拠では…
[2002/11/18 22:16:40]

お名前: …   
試合に勝つことがそんなに重要なことでしょうか?
そしてそれはどんな形でも勝てばいいのでしょうか?

今は勝てなくても正しい剣道をしていくことが大切だと思います。
きれい事だと言われそうですが…
相手をだましたりして、さわって勝っても何の値打ちもないよ…って教えてあげたいですね。

同じ意味で今回の全日本は面白くありませんでした。
立花選手の面打ちにのみ感動をしました。
[2002/11/18 22:12:50]

お名前: 剣志郎   
どうも☆hideさん☆
ちょっと言葉が足りなかったようですね…(恥)。
根本的には一緒の事なんですよ。ただ、ちょっと嫌味入りなんです(笑)。
そもそも剣道において「正しい剣道」と「勝率」が正しく比例していない事が問題であると考え
るのです。どうも「正しくなくとも試合では良く」「昇段は正しくなければならない」みたいな
可笑しな事をそのまま是認しているような気がするのです。
私はそのような考えは認められませんし、剣道を難解かつデタラメに錯誤させる要因であると考
えるのです。

そのような中、私なりに小中学生に指導して行く上で「そんな曖昧な答えができるだろうか?」
と考え、導き出された答えが「各年齢(幼小中高一般)による有効打突のレベルの違い」という
理由付けでした。最終的には正しい(基本)とされる剣道を目指しつつも、あなた方のレベルな
らこの程度…という「打突の最低ライン(hideさんと同じです)」を示し、「その一本は今だ
から許される(許容範囲)のであって、現状に満足することなく、更に上を目指しない。」と指
導しています。

自分の教え子達にハンデ(正しい打突のみだぞ!)を背負わせて、試合に出させる訳には参りま
ません。「どうして僕の正面打ちじゃなくて、あんなしゃがんだ小手がはいるの?」何て尋ねら
れた日には、普段の稽古(正しい打突)に対して疑問を抱かせてしまいます。折角、正しい稽古
をしているにもかかわらず、試合ではまったく勝てない子にしてしまうのです。じゃ、勝てるよ
うに稽古すれば?…となりますが、皆さんだって稽古しているのに、そんな簡単な訳がありませ
ん。そんなのは正当という名の詭弁だと私は思います。

そもそも、そんな正しくない打突認めなきゃいい…何て考えにもなりますが、現実それは不可能
ですよね?(皆さんもご理解できると考えます。)そもそも、練習の成果と試合結果が比例して
いなければならないはず。それがリンクしないのは審判員のデタラメな判定があるからです。ま
じめに稽古を続けて身に着けた技をデタラメな打突によって、無為にされてしまう。

審判員に出された判定に盾突くつもりはありません。それなりに鋭意努力されている訳ですか
ら。と言う事は逆に「審判員が有効打突と認める一本は、そのレベルにおいて許される正しい
打突」となるのではないでしょうか?「うまい=強い」なんだ!…と導いてあげるのが指導者
ではないでしょうか?

おっしゃられるように、剣道の基礎があやふやでは試合になど勝てません。そんな事は周知の
事と思い、特には記載しませんでした。しかし、一方でそんなあやふやな剣士のデタラメな打
突を「一本」と認めて運営される試合、大会もあるのです。はっきり言って頭に来ますが、私
は「それはそこのルール。この大会に参加した以上、文句は言うまい。逆にそのルールを目一
杯自分のものにして勝ってみよう!」それが私の考えです。

大人が抱く難解な疑問をそのまま生徒に与えるべきではないと考えるのです。また、審判員の
方々への不敬不信となるような発言も慎まなければなりません。そんな考えの中からの発言で
した。  長々とすいませんでした☆
[2002/11/18 19:26:54]

お名前: Hide.   
To 剣志郎さん

>私はhideさんとは違う立場から、「学生の内は強くなる事を求める」方をお勧めします。
>なぜなら、所詮、3年、4年程度で剣道の妙味の域にまで達することはないからです。

剣志郎さんのおっしゃることもわかるのですが、やはり試合に勝とうと思ったら、基礎をし
っかり学んでいくのが一番だと思いますけどね。基礎をないがしろにして有効打突はあり
えません。レベルに応じた有効打突の違いはあるでしょうが、その年代ごとに目標とするべ
き打突の最低ラインというものも存在します。あてっこに走りすぎるあまり癖が強くなり、
どうにも矯正が難しくなってしまう例も少なくありません。
学生を指導する立場からしても、「強くなること」よりも「正しく打てるようにすること」
を優先すべきと私は考えますが(^^)
[2002/11/18 12:41:21]

お名前: 剣志郎   
はじめまして☆
何となく、言葉のアヤのような気もしますが…(苦笑)。
私の考えを述べるなら、「強い=勝率」「うまい=技巧的」「美しい=規範的」の意味合いが強いような気がします。(何か国語の授業みたい…)
これらの言葉をごちゃまぜに使われている先生が多いので、あくまでも私見です。

私はhideさんとは違う立場から、「学生の内は強くなる事を求める」方をお勧めします。
なぜなら、所詮、3年、4年程度で剣道の妙味の域にまで達することはないからです。
「小中高とずっとやってますよ」っていう方がいられるかも知れませんが、36、37、38、39
とそれぞれの間合いがあり、試合も運営上の理由から、当てこ、打合い、タイミング、的確な打突、
理合に合った打突…へと変化して行きます。
(事実、小中学生に本来の有効打突を求めて試合を運営していたら、日が暮れても終わりはしない…)
つまり、その世代に合った試合運営があるので、本当意味での「うまい、美しい」と成るまでにはかなり習熟が必要であり、
「=強い」「試合に勝つ」には直ぐに結びつかないと思うからです。(殺人的に稽古をすれば別でしょうが…笑)
剣道の妙味を知る上で、試合に勝つと言うことも大切な事なので、まずは取り組み易い方から目指してみてはいかがでしょう?
[2002/11/17 02:41:00]

お名前: ななし   
両方ないとだめなんでは?
ただ、きれいにうてるだけでは「上手い」とは言えず
試合に勝てるなら「強い」とはいえないと思います

きれいに打つことだけを求めるだけでは
稽古できれいな面をうつことは出来ないと思います
気、攻めが「強い」からこそきれいな「上手い」技が
出せるのだと思います

というかそんな面倒な事を考えず、一生懸命やってれば
両方とも会得出来そうですがね・・・
結局切り返し打ち込み  これにつきますね
[2002/11/17 02:11:09]

お名前: てつ   
追加です!
試合を見ていても、「あの人強いなあ」と感じる人と、「あの人上手いなあ」と
感じる人とがいると思います。その違いでしょうね。

本当に強い人というのはどちらも兼ね備えていますよね!
[2002/11/15 15:54:31]

お名前: てつ    URL
僕もお二人の意見に賛成です!

あとは…
理合(理屈と言い換えてもいいかな)を考えて稽古をすれば「うまく」なり、
何も考えられないくらいの激しい稽古を行えば、「強く」なると思います。

ということは「うまい」は技術面、「強い」は精神面ということになるのでしょうか?
それだけではないのですが…。

でも…hideさんの言うとおり、「うまさ」と「強さ」のどちらかを求めるのでなく、
その両方を目指すことが大切でしょうね!
[2002/11/15 15:51:08]

お名前: ヘタッピ剣士   
悩める剣士さんへ
あくまでも、僕個人としての考えですが、「強い」は動じない心、精神面等。「うまい」は
上手い、巧いと書けるように、技術面のことと思います。試合では「うまさ」があることに
よって、「強さ」につながり、その自信から思い切った技から、切れのある「うまさ」が出て
くるのでは・・・。って思いますよ。
[2002/11/15 12:04:51]

お名前: Hide.   
悩める剣士さん、はじめまして。管理人のHide.というオヤヂです。どうぞよろしく(^^)

そうですねぇ、「強い」と「うまい」ですね。この場合「強い」は「試合に強い」を指し,「うま
い」は「基本に忠実」と考えることができるでしょうか。
悩める剣士さんがおっしゃるように,「強い=うまい」が理想です。みんなこれを目指してお
稽古していると思いますよ。でも、現実問題として考えると、必ずしもイコールにはなっ
ていないようです(^^;

と申しますのも,昇段審査では体を曲げてよけたり体勢を崩してよけたり(打ったり)すれば
それが大きなマイナスとして観られてしまいますね。でも、試合であれば,打たれるよりも
そうやってでもよける選手が「粘り強い」として評価される(「きれいだ」とは言われないで
しょうが)傾向にあります。打ち方もしかりですね(^^)

試合の場合,たとえそれが無駄打ちであっても、手数を多くして攻撃的に試合をする人が勝
つチャンスが多いですが,審査の場合,あまりガチャガチャと打つのは好まれません。たとえ
あたらなくても,「しっかり攻めて打ち切った」モノを善しとされます。

ただ、極めていけば,「強い」も「うまい」もひとつに融合するものです。クラブの仲間は当然
そんな先のことまで考えていないでしょうから、当面の目標として、「強い=試合に勝つこ
とを目標にお稽古したい」という人と、「うまい=今は勝負を考えるよりも基礎をしっかり
と稽古したい」と考える人とに分かれたものと思われます(^^)


こんなお答えでいいかな?(^^;
[2002/11/15 10:39:20]

お名前: 悩める剣士   
今日、僕たちのクラブで話し合った事ですが…

今日、練習のはじめ素振りをしようとしたとき、自分でもいろんな事を言っていて
覚えてないんですが『強くなりたいと思ってる人手を挙げてみて?』と質問したところ何人かが手を挙げなかった(後輩の経験者)ので『なんで?』と聞くと、『強くなりたいというか
うまくなりたいです。』と言ったのです。僕は強くければうまいし、うまいということは
強いということだと思っていました。(強くなる=うまくなる)
まぁ『強い』『うまい』と一口にいってもいろんな強さやうまさがあるとおもいますが、
試合の話からこうなりました…
これをどう思いますか?

よくわからない稚拙な文ですみません。言いたいことはわかっていただけたでしょうか?
[2002/11/14 19:27:35]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る