記事タイトル:コムドと剣道事情 in USA 


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ここは「剣道 いちに会」という剣道専門の個人サイトです!

1.匿名であっても、剣道関係者として気品と礼節あるカキコをお願いします。
2.特定の個人や団体に対する誹謗中傷はおやめください。
3.
個人情報の流出は厳禁です。
  (進路などプライバシーに関わる書き込みは違法行為として罰せられます)
4.書かれた本人や関係者が不快にならないように留意してください。
5.意見と感情論は違います。
  (根拠が明記されていないカキコは意見とは言えません)
6.カキコは書き捨てにしないで最後まで礼節をもってください。

7.ルールを逸脱したトピ・書き込みは、管理人Hide.により削除されることがあります。


お名前: 慎隆和   
信じられない国家的規模の嘘に一喜一憂した挙句、ホトホト呆れ果てました。
この様な小人の小事に関わって議論するのは日本人の度量に合いません。
言わせておく事と致しましょう。真実は自ずと明らかになる事を知っているのが剣道使い、それを知らずに致命的な恥を見る道を直走るのがコムド使いなのです。
では、さようなら。
[2007/03/04 23:50:14]

お名前: Hide.    URL
Hello Mr. Thomas Chen.
I am Hide.  I am acting as this janitor of HP.

Thank you for giving guidance of HP. 
However, this thread is the subject which is unrelated to your HP.
Supposing you avoid, please make another thread and introduce your HP to you anew.
[2003/08/13 12:24:07]

お名前: Thomas Chen    URL
Hello
My name is Thomas Chen. I have a website on Chinese swords and 2-handed Chinese swordsmanship. Please feel free to visit my website at:

http://thomaschen.freewebspace.com/
[2002/02/25 13:54:25]

お名前: Hide.   
to kumdoloverさん

ようこそお越しくださいました。管理人をしております、Hide.です。

たいへん勝手ながら、貴サイトのことは拙サイトのリンク集にも掲載させていた
だき、広くみな様に紹介させていただいております。私もざーっとではあります
が、拝読させていただいております。
ただ、問題がたいへん微妙なのと、私の手に負えることではないと判断し、あま
り深入りしておりません(^^;


しかしながら、kumdoloverさんの活動はたいへん有意義なものであると理解し、
その知識・見識にも敬服するところは多いのですが、書き込みの文章はあまりお
上手ではありませんね。こういうふうに挑発的な書き方ですと、せっかくこの問
題に感心を持った方がいらっしゃっても「勉強してやるぞ!」とか「ぜひkumdolover
さんとともに活動するぞ!」という意欲がそがれてしまうのではないでしょうか?
(^^; 事実、私も「知らないのかね?」なんて語調だと及び腰になってしました
よ(笑)

また、ハンドルにメルアドがリンクされていないのも、なにか不穏なものを感じ
ざるを得ません。「関わるとやばいのかなぁ・・・」なんてね(笑)

ご自身の主張を広く世間に知らしめたいと望むなら、知らない方々と同じ目線に
たった活動こそ効果を発揮するのではないかと愚考いたしますm(_ _)m
[2001/07/02 09:54:50]

お名前: kumdolover    URL
剣道の韓国式発音は韓国式ローマ字でKumdo(Komdoではない)と書いてコムドと読む。
中日ドラゴンズに在籍したストッパーの宣(ソン)投手の背中にはSUNと書かれていた。
様々な日本文化が韓国起源だと主張して止まない韓国人のナショナリズムを直視せずして
この問題を論ずるなど笑止千万。君らはインターネットで検索くらいしないのかね?
韓国国体ではKumdoを韓国固有の競技だとしているのを知っているか?
大韓剣道と海東剣道のKumdoの名称にまつわる裁判沙汰のことはどうだ?
テコンド、剣道(Kumudo)、合気道(Hapkido)、、、、現代韓国武術の起源捏造問題は韓国内
でも批判されつつある現状も知らないようだな。まったく君らは何を分かっていない。
韓国人が何を主張しているかを直に調べる出もなく一体何を論じているんだね?
下のサイトを読みない。この問題の全てが分かる。

http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/6963/
剣道の起源は韓国にあり!?
「韓国武道の起源捏造、欺瞞性を告発するためのサイトです」

それと、真竹は氷河期を生き延びて南九州に自省していたものだ。
いつの頃からなのか朝鮮半島にも移植されて現在は立派な竹林も生えてはいる。
[2001/07/01 08:09:25]

お名前: Hide.   
維新志士さん、ようこそおいでくださいました。

この問題は非常に微妙なものを内包しておりまして、管理者としてもなかなかうまく
展開できないのですが、維新志士さんが加わってくださって、また、新しい展開が得
られる期待が持たれます。どうぞ、よろしくお願いいたします(^^)
[2001/04/22 11:01:50]

お名前: 維新志士   
おじゃまします、hide.さんにはいつか道の質問のトコでお世話になりました。
さて、コムドと剣道、発祥問題などなどについて、自分の知る限りと私的意見とを書かせていただきたく。。。あ、でも固有名詞などは結構わすれてますんで、そこは御容赦下さい。

ヒデさんのような後段の方なら御存じでしょうが、剣道は明治以降剣術の統一、精神主義を加えて術から道としました。当時、中国など他国では道とよぶ習慣はなく、剣道とは険しい山道の表現として使われていたていどでした。防具の完成は中西派一刀流の面、小手が江戸中期、後期に撃剣と言うようになるころ合いから胴が加わり、それまでは布団を腹に巻いていたはずです。竹刀の発祥は新陰流の袋竹刀がはじめ、そこからの進歩となります。
中国剣刀術の兵法書では朝鮮剣術は諸刃直刀の短剣に盾を持った形と書かれてあるようですし、昔の朝鮮兵の絵には確かにそのような格好の兵が描かれています。その本には倭刀術なるものも載っております。倭とは向こうの言葉では日本をさします。それは倭冦のさいに日本人の諸手湾刀術が中国軍を圧倒したことから中国はこの本を著するにあたり新陰流系統の倭刀繰法をのせ、中国刀術(剣術とは別)はこの影響を受けているとしています。
朝鮮が実際に長刀に変わったのは豊臣秀吉の朝鮮出兵以後のことで、諸手湾刀の日本軍が白兵では圧倒的に強かったため、捕虜の兵隊から刀の作り方、繰法を聞き出し、以後の朝鮮剣は圧倒的に長くなった事実があります。また、朝鮮は永年武術を忌む国でしたので中国や日本のような多岐にわたる流派はなく、また、日本刀のように朝鮮独自の刀匠による名刀が公開されてない以上、諸手で湾曲刀を握る刀法は日本の独自といえます。
日本の弥生時代などの銅の剣の時代のことであればそれは韓国ルートです。日本はその当時全て外来のものでした。しかし、現代の刀は800年以後のもので鉄製ですのでこれは国風文化のころに日本で発祥した可能性のが大きいです。

最後に、自分は愛国者(右翼ではないけど)ですので一言添えさせていただきたいので御容赦ください。空手の大山益達は牛の角を折った伝説の持ち主ですが当時どうせそれは老い耄れか餓死寸前の牛だろう、という批判が他流の空手家達からありました。それについて、大山師は”確かに私の戦った牛の半数は盛りの過ぎた老牛であったろう。いや、例えすべてが老牛であったとしよう。しかし、それが君たちにできるのか。まずは山羊の角を折ってから反論してもらいたい”と言ったそうです。朝鮮の人たちも日本がああだこうだいうよりも日本刀よりも古い鉄製湾曲片刃刀や兵法書、免許などを公開し、歴然たる事実証拠をもってから批判すべきではないのか、と思っている次第なのです。その内容が日本剣法と似ても似つかぬものならば批判される筋合いではないですし、酷似しているのであればそこではじめて話し合うべきです。今のかれらは他国の冒涜のみであって、証拠が無さ過ぎます。これは武道精神とよべるのでありましょうか。

何か中傷的な表現があればこの場でお詫びいたします。
ながながと失礼しました。
[2001/04/21 12:28:52]

お名前: 維新志士   
おじゃまします、hide.さんにはいつか道の質問のトコでお世話になりました。
さて、コムドと剣道、発祥問題などなどについて、自分の知る限りと私的意見とを書かせていただきたく。。。あ、でも固有名詞などは結構わすれてますんで、そこは御容赦下さい。

ヒデさんのような後段の方なら御存じでしょうが、剣道は明治以降剣術の統一、精神主義を加えて術から道としました。当時、中国など他国では道とよぶ習慣はなく、剣道とは険しい山道の表現として使われていたていどでした。防具の完成は中西派一刀流の面、小手が江戸中期、後期に撃剣と言うようになるころ合いから胴が加わり、それまでは布団を腹に巻いていたはずです。竹刀の発祥は新陰流の袋竹刀がはじめ、そこからの進歩となります。
中国剣刀術の兵法書では朝鮮剣術は諸刃直刀の短剣に盾を持った形と書かれてあるようですし、昔の朝鮮兵の絵には確かにそのような格好の兵が描かれています。その本には倭刀術なるものも載っております。倭とは向こうの言葉では日本をさします。それは倭冦のさいに日本人の諸手湾刀術が中国軍を圧倒したことから中国はこの本を著するにあたり新陰流系統の倭刀繰法をのせ、中国刀術(剣術とは別)はこの影響を受けているとしています。
朝鮮が実際に長刀に変わったのは豊臣秀吉の朝鮮出兵以後のことで、諸手湾刀の日本軍が白兵では圧倒的に強かったため、捕虜の兵隊から刀の作り方、繰法を聞き出し、以後の朝鮮剣は圧倒的に長くなった事実があります。また、朝鮮は永年武術を忌む国でしたので中国や日本のような多岐にわたる流派はなく、また、日本刀のように朝鮮独自の刀匠による名刀が公開されてない以上、諸手で湾曲刀を握る刀法は日本の独自といえます。
日本の弥生時代などの銅の剣の時代のことであればそれは韓国ルートです。日本はその当時全て外来のものでした。しかし、現代の刀は800年以後のもので鉄製ですのでこれは国風文化のころに日本で発祥した可能性のが大きいです。

最後に、自分は愛国者(右翼ではないけど)ですので一言添えさせていただきたいので御容赦ください。空手の大山益達は牛の角を折った伝説の持ち主ですが当時どうせそれは老い耄れか餓死寸前の牛だろう、という批判が他流の空手家達からありました。それについて、大山師は”確かに私の戦った牛の半数は盛りの過ぎた老牛であったろう。いや、例えすべてが老牛であったとしよう。しかし、それが君たちにできるのか。まずは山羊の角を折ってから反論してもらいたい”と言ったそうです。朝鮮の人たちも日本がああだこうだいうよりも日本刀よりも古い鉄製湾曲片刃刀や兵法書、免許などを公開し、歴然たる事実証拠をもってから批判すべきではないのか、と思っている次第なのです。その内容が日本剣法と似ても似つかぬものならば批判される筋合いではないですし、酷似しているのであればそこではじめて話し合うべきです。今のかれらは他国の冒涜のみであって、証拠が無さ過ぎます。これは武道精神とよべるのでありましょうか。

何か中傷的な表現があればこの場でお詫びいたします。
ながながと失礼しました。
[2001/04/21 12:12:33]

お名前: Hide.   
to くにさん

わざわざ国会図書館まで・・・ありがとうございますm(_ _)m

bigginer kenshiさんもおっしゃるように、たしかに、韓国産の竹刀って聞きませ
んね。ひょっとして、竹刀に適しているとされる真竹は、生息数が少ないのかも
しれません。あるいは、韓国産のものは韓国国内だけで消費し尽くされていると
か・・・(^^;
[2001/04/21 10:01:56]

お名前: bigginer kenshi   
くにさんへ、

竹の情報、有り難うございます。
真竹が韓国にあると言うことは、立派な竹刀が作れるでしょうね。
韓国の剣道家の方たちは、どこの竹の竹刀を使っているのでしょうね。。。
私たちが手に入れる竹刀は、不思議に中国、台湾、日本産のどれかですよね。。。
自分も、韓国産の竹を用いた竹刀を見つけたらご連絡します。
(いつになるか分かりませんが。。。)
[2001/04/21 04:00:08]

お名前: くに   
スポーツか剣道かについては、別にトビたてたようですので、私は、bigginer kenshiさんに
聞かれていた事へのお答えです。脱サラ農民さん。そちらでぞんぶんに反論してください(笑)

昨日国会図書館へ行きましたので、韓国の百科事典を引いてみました。
それによると、竹は、世界には12属500余種があるそうなのですが、韓国には4属14種が
生息しているそうです。
その4属とは、

?海蔵竹(ヘジャンチュク)属…(和名)なよたけ。女竹。雌竹。おなごたけ。かわたけ。
?ワンデ属…(和名)まだけ。
?イデ属…(和名)やだけ。しのべ。やじの。
?チョリッテ属…(和名)すず。笹の一種らしい。

現在、竹刀に用いられている竹は、まだけ・孟宗竹・はだけ・けい竹、だそうですが、この内で、
一番多いのが孟宗竹。次がまだけ、けい竹、はだけの順ということになります。(日本の場合ですが…)
この、4種の内では、まだけが、身がしまっていてもっとも竹刀にするのに適しているとされて
いるようです。

そんなわけで、韓国には、現在まだけがあるのですから、竹刀は生産できると思います。

竹は、中国では「祝」と同音であることから、めでたいものの象徴として取り扱われ、四君子
(文人の尊ぶ四種の植物。竹・梅・菊・蘭)の一つとして愛玩もされてきました。
中国に範を求めた朝鮮としては、やはり竹を尊ぶ土壌があったのではないかと思います。
以下、朝鮮古代の歴史や出来事を書いた『三国遺事』と『三国史記』の記事です。

新羅13代の王、未スウ王(『三国史記』では味スウ王)は、農業を奨励し、百済の侵入を何度も
退けた名君だったようですが、在位二三年にして崩御し、興輪寺の東に葬ったのだそうです。
その後の話…。
代14代儒理王の14年、伊西国(『三国史記』では、伊西古国)の人が金城に攻め寄せ、落城しそうになったとき、「異兵」が
現れた。その「異兵」は皆、竹葉を耳に差し挟んでおり、城兵と力を合わせて、敵を撃退した。
そして、敵が居なくなると、「異兵」も消えてしまった。…ただ、未スウ王の墓の前に竹葉が
数万、積み重なっているばかりだった。
〈『三国遺事』巻1。『三国史記』巻2〉

というわけで、竹の話はけっこう古くからあるようです。
楽器として使っていたという記載も上記の本に見えるそうですし。

そんなわけで、竹は、かなり古くから、朝鮮にもあったようだというのが、私の今のところの
見解です。
この件に関して何か御存知でしたら、お教え下さい。
[2001/04/20 15:13:16]

お名前: Hide.   
うーん、みなさんのお話を拝読するにつれて、剣道には「スポーツとしての剣道」
というものが存在し、その存在を認めてもいいのかも・・・という気持ちになっ
てきました(笑)

そもそも「ルールを作り互いに勝敗を競いあう」という事をはじめたときに「ス
ポーツとしての剣道」が生じたのかもしれませんね。ただ、「スポーツとしての
剣道」が剣道の大きな流れの一分野にしか過ぎないという認識はなんら揺るぎの
ない点です。ですから、「スポーツとしての剣道」が剣道のすべてであるような
とらえ形になるのは耐えられません(^^)


たしかに、くにさんがおっしゃるように、若い世代では競技会(試合・大会)で
勝つことを目標にしている人が多いですが、それは学校という短い年月の中で、
他の部活動と同じように競技会が存在し、それに照準を合わせるような指導が一
般的になっているからであり、道場や剣友会だけで剣道に取り組んでいる若い世
代は、必ずしも競技会が目標にはなっていないはずです。


ただ、若い人達にとって、「スポーツとしての剣道」は簡単に自分の進歩向上を
知る目安と稽古への動機づけには持って来いですね(^^) 昇段審査は年齢制限が
あったり何年かの修業年月を要しますが、試合ならそういった制約はほとんどあ
りませんから気軽に自分を試すことができるという利点があります。

論点が少しずれますが、そういった意味からも、私が提唱する「段位更新制度」
を確立し、年齢制限を撤廃し、中高生でも五段六段などの高段位を受験できるシ
ステムにすれば、「スポーツとしての剣道」に振り回される人が少なくなり、よ
り「芸道」としてに道が明確になるかもしれませんねヽ(^.^)ノ
[2001/04/19 09:41:28]

お名前: 脱サラ農民   
くにさんから、反論はまかせた・・・って言われてるみたいなので、
またしゃしゃりでてきちゃいました。(^^;)
本人、荒らしてるつもりはないので、勘弁してくださいね。
逆に、剣道のことについてお話できるのが楽しくてしょうがありません。
近くの剣道家のみなさんとは、面と向かって話す機機会もないので、
本人、とっても楽しんでいます。(^◇^) ←こういうのを愉快犯というのだろうか?(^^;)

Hideさんの言われるように、剣道とバレーボール、野球、バスケットボール等、全てを
同じものとして見つめるという事には無理があると思います。
それぞれの、運動特性があり、使われる筋肉も筋力も違います。経験の違いから観念も違うでしょうし。
ただその違いをもって、スポーツとは違うと言いきることは難しいのではないでしょうか?
とゆうより、分けて考える必要もないのじゃないかと思います。
本来、スポーツとは、誰もが体を動かし楽しめるものであるはずです。
その枠組みをもってすれば剣道も立派なスポーツであると言えると思います。
剣道が楽しいと思われる方は、きっと素振りをしているだけでも楽しいのではないでしょうか?
それは、野球が好きな人がキャッチボールをしているだけで楽しいのと同じ心理状態だと
思うのです。
また、そこで違うと言われると、新たに入っていく人達にとっても大きな心理的
障壁となる可能性もありますよね。そのようなことは避けたい、避けていただきたい
からこそ、別枠とする必要もないのではないかと考えているのです。

競技年齢の問題は、その運動特性に関わるところが大変大きいと思います。
たとえば、バレーボールです。
スパイクなるものが一番の攻撃手段となっている近代バレーではスパイク抜きでは
競技はできません。
スパイクを打つためには、走りこみ、沈み込み、ジャンプします。
その後、体をそらし、利き腕を引き、体全体をひねりながら反らすという複合運動に
入ります。その溜め込んだ力を一気にそれまでの運動を逆方向に行います。
それにあわせ、利き腕を振り落とし、ボールをたたきつけます。
さらに、競技中は瞬時に相手の動きを読み、それまでの体の動きを変化させていきます。
この運動を続けることにより、膝、肩、腰にとても大きな負荷がかかります。
痛めた体にさらに無理をします。
その結果、故障し、競技生命を短くします。
はっきり言って、人間の体に合わない動きを強要し、過負荷を常にかけていることになります。
バレーボールを続けてきた方々には、この結果、膝、腰、肩に故障を持った方が大変多いです。
野球にしてもそうですよね。
よく知られているのは、野球肘です。
剣道の経験のほとんどない私がこんな事を書くのは大変しのびがたいのですが、
剣道には、このような人間の自然な動き以外の動きを基礎とするものはないのでは
ないでしょうか? ・・・「突」の動きはよくしりませんが・・・。(^^;)
少ない経験の中から言うと、剣道は人間にとって、とても理想的な動きをしていると思います。
さらに、防具をつけ、竹刀を持つ事により、この動きがさらに矯正されています。
本当に理想的な動きであると思います。
そして、試合時間ですが・・・、たとえばテニス等と比べ格段に短いですよね。
その短い時間の中で、一瞬の勝負となります。
それにより、体力面以上に精神面での強さ等が活きてきます。
それらが、他の特に球技系のスポーツ等に比べ格段に競技生命を長いものにしていると
思います。

生涯スポーツとは、老人の為のスポーツではなく、若い人も、老いた人も全ての
人が楽しめるスポーツのことです。
体に過度の負担を負わせずとも、小学生からお年よりまで、楽しめるスポーツとして、
剣道はやはり生涯スポーツの王様であると私はおもうのです。

勘違いしていただきたくないのは、剣道が楽であると言っているわけではありません。
逆に、個人技であるがゆえ、精神的にも肉体的にも他の集団スポーツよりハードであると
思っています。稽古では、流しきれない汗を流されていますよね。

最後に、日本選手権をテレビで見るのが大好きです。
宮崎選手(あえて選手を呼ばさせていただきますが・・)の大ファンです。
テレビ観戦も楽しいですよ、剣道は。(^o^)/
[2001/04/19 01:53:21]

お名前: くに   
to IMAINGさん

>私はスポーツ=運動とは思っていません。

そうかなぁ…。中国語でスポーツは「運動」ですよ。(笑)

>スポーツと剣道、この違ったベクトルを似ているからといって同じ土俵で論じることが妙な結
>論になったりするのではないでしょうか?

反論は脱サラ農民さんにお任せしよう。(^_^)

>剣術については私もいろいろとお話して見たいですね。(^^)

ハハハ。トビたててくださいよ。

>最近Iさんという方がそんなスレッドを作られたので、私も1つ参加してみようと思っていま
>す。この先大変興味深いですね。
>ただ、ちょっと理屈っぽい方のようで難しいかも(^_^;)

Iさんですか…。あまりいじめちゃかわいそうですよ。剣術については、私は知識不足。
IMAINGさんにお教えいただくことが多いと思います。資料をお持ちなのですか?
何か調べたくても、ドイツの図書館を利用するのでは大変だと思いますが…。

ついでだから、お聞きしちゃおうかな。剣術の流派って、その起源に鹿島大社が深く関わって
いるように思うのですが、何故なのでしょうか?
香取神道流も、まぁ一緒くたにしてのことなのですが…。
丸目蔵人佐の「タイ捨流」なんかも、鹿島か、香取の「大社」流かと思います。
[2001/04/18 23:15:55]

お名前: IMAING    URL
楽しいですね、話題の展開が早くて(^_^;)
なんと言っても日本時間、アメリカ時間とこの欧州時間で書き込みが8時間間隔で
行えるから24時間チャットの様相です。

まずスポーツについてですが、私はスポーツ=運動とは思っていません。
この定義は確かに人によって異なりますが、「現代スポーツ」という枠組みで考えると
あくまで勝ち負けを競うということが1つのスポーツの目標であるべきだと思います。
その過程において自己研鑽なり創意工夫があってこそのスポーツだと思います。
さらに個人的に言えば、加えて多量の運動量を必要とするものというのもあります。
これに当てはめれば、ゴルフはスポーツではないというのが私の持論ですが、これはおいといて。(^_^;)
そんなわけで剣道は剣道、で良いでしょうね、Hide.さん。
若い子達は剣道の競技的側面を見てスポーツとして行い(私も昔はそうでしたが)、そのなかで
育っていくのだと思います。
それはそれで良いと思いますし間違ってはいませんが、剣道のスポーツ的考えと言うのは
何度も繰り返しになりますが客観性に欠ける判定と言う意味で他のスポーツにはなはだ劣る部分が
あり、目標としにくいと思います。
だから剣道=剣道、競技剣道=スポーツと分けるにしてもこの競技剣道自体が全くお話にならないほど
未成熟であり、さらに一部の既得権者や団体の中身が変わらない(または世界が見えない)現状では
スポーツとしての発展は見込めないでしょう。全く現在の政権党並にお粗末ではないですか?
スポーツと剣道、この違ったベクトルを似ているからといって同じ土俵で論じることが
妙な結論になったりするのではないでしょうか?
単位(ものさし)が違うのです。

くにさん、お久しぶりです。
掲示板は昔2年ほどやっていたのですが、やはり管理人として放置しておくわけにも行かなくて
維持が大変で今はあるけれど、隠してます。(^_^;)
Hide.さんは本当にまめに見ていられて頭が下がりますね。
また、剣道ネタならこの港である「いちに会」サイトでいろいろな方の意見を聞いたほうが
より勉強になると思ってこちらを利用させて頂いております。
剣術については私もいろいろとお話して見たいですね。(^^)
最近Iさんという方がそんなスレッドを作られたので、私も1つ参加してみようと思っています。
この先大変興味深いですね。
ただ、ちょっと理屈っぽい方のようで難しいかも(^_^;)
[2001/04/18 17:26:59]

お名前: くに   
to bigginer kenshiさん

勝つことですか…。負けるより、勝った方が気持ちいいですよね…。
最近、地稽古について、先生から注意されました。「守らずに、打て」というのです。
それまでは、打たれたくなくて、例えば、面を打って抜けるとき、老先生がすりあげ胴で返
そうとすると、残心をやめて、竹刀を下げ、守っていたのですね。でも、それではいかんと
言われたわけです。なぜか…?
返されることを意識するので、思い切った打突ができなくなっていたのです。そこを注意された
のだと思います。
その先生は更に「地稽古は、何本打たれたかじゃないんだ。何本打てたかなんだ」とも、おっしゃい
ました。勝つこと、当てることに固執するあまり、しっかりとした打ち込みが出来ているのか?
…私の反省材料です。
先日7段の先生に稽古つけていただいたとき、「構えはまぁいいが、打ちが甘いね」と注意され
たので、ちぃ〜とも実践できていないんですけどね (^_^;)

to 脱サラ農民さん

いや〜、ズバッと言って下さいましたね。 (^_^)
ここでは、Hideさんはじめ、剣道=スポーツ説を認めない論客が揃ってますから、説得するの
大変でしょうが、頑張ってください。 (^_^)/~

私は、前に書いたとおり、日本国内では、剣道はまぁ、習い事に近いもので、スポーツじゃない
けど、国際的に普及しようと思えばスポーツにならざるを得ず、それはそれでいいのじゃないか
という、いいかげんな説です。

to しんやさん

撃剣興行のこと、史実だけど、さびしい思いです。
同じ見せ物化しても、相撲は何とか品位を保っているけど、撃剣興行は、本当に、筵を張って
小屋がけした中で、食い詰めた浪人が、投げ銭を求めてやっているような、いじましいイメージが
つきまとって…。
みのるさんの仰有っているのと違う意味かも知れないけど、皿回しや蝦蟇の油売りと一緒の「芸能」
ですよね…。ヤダナー…。自分を鍛えるためのものであってほしいな…。

to Hideさん

でも、若い人は、競技会で勝つことを目的にやってたりしませんか?
日本一・世界一になろうとは思わないまでも、県大会で上位に食い込もうなんて…。
体を動かすものですから、スポーツとしての面もあると思いますけど…。
剣道というものが目指すことと、一致しているのかどうかは…、私は「競技」としての剣道に
あまり興味がないので、やりたいひとは頑張ってくださいとしか言えませんが。

to みのるさん

私は「ダイエット」なんて、もっといいかげんな目的ではじめたので、1級に合格して手帳を
渡され、脱サラ農民さんが仰有っているような目的(?)が書かれていて、ビックリしました。
今は、ダイエットもしたいけど、ちょっと目的は違います。
でもまぁ、仰有るように、幾つになっても進歩が見込めるってこと、いいですよねぇ。
[2001/04/18 15:58:22]

お名前: bigginer kenshi   
しんやさんへ、

W田さんやK川さんは、私にとってはあまりに大先輩。。
毎回のように、基礎から教えて頂いています。
私達はデトロイト大会には行きませんでしたから、お会いしていないと思います。
塚本先生と栄花先生は、シカゴの方でも講習会を開いて下さったので、
そちらの方で御指導を受けました。11月にお会いできるのを楽しみにしています。

本日、スポーツジムで日系ハワイアメリカ人の方と、と家族で剣道の自主練習をしていたら、
白人の親子がやって来て、”これは韓国の武道ですか?”と質問して来ました。
ああ。。。。あまりに素晴らしいタイミング。。でも、ただ一言”いえ、日本のです”
と簡単に答えました。そしたら。日本語でありがとうといわれました。うーむ。
そのあと、また、白人の初老の方がやって来て、突然、太極拳を始めました。
で、その後、”君たちは、KYUDOUの道場が’何処にあるか知っているか?”
と聞かれるのです。”KYUDOU...て、Japanese Archeryのことですか?”
ときくと、”イエス、ワタシ、KYUDOやってましたが、道場がこの辺ではないのです”
”残念ながら、どこに道場があるか私達は知りません”と答えました。
弓道か。。。うーむ。。。。こやつ、できる。

剣道がスポーツかどうかなのですが、人それぞれに”スポーツ”の定義が違うのかも知れません。
剣道の定義というよりも。それから、剣道は剣道です。賛成です。スポーツの定義が曖昧なまま、
スポーツ論はむづかしいかも知れません。
剣道一筋で、剣道を人生、生活そのものと言えるほど打ち込んで来られた先生がたが、
剣道を、他の”スポーツ”と別物として位置付けるのは当然でしょう。
脱サラ農民さんの意見は、剣道以外の”スポーツ”に真剣に取り組んだ経験があり、”スポーツ”の
概念を超える所まで打ち込んだ方から見た意見ではないかと思います。私は、脱サラ農民さんの意見、よくわかります。
どんな分野でも、スポーツと一言で片付けられてはこまる、という程打ち込む事はあります。
やる以上、そこまでやらなけば、その分野を語る事は出来ない。。。と、その中の人はいいます。
段位制度は、多くのスポーツとは違う制度ですね。柔道、弓道、空手道、合気道
(これらがスポーツか、どうかまたむづかしいですが。。。)など、ごく一部に見られる制度ですね。
ですから、確かに、他のスポーツとは違います。うーむ、芸事かも知れない。。。
[2001/04/18 14:39:59]

お名前: みのる   
to 脱サラ農民さん

 >競技スポーツではその創始目的をうたっているもののなかに、剣道ほどはっきりと
 >「心身を鍛え、礼節を忘れず、社会の一員として貢献する」とうたっているものは
 >少ないと思います。
 >年齢的、肉体的なピークを超えても、そのはっきりとした目的があるからこそ、
 >続ける意味もあり、続ける支えにもなるのでしょうね。」
私の場合剣道を続けているのは、どうも脱サラ農民さんがおっしゃるような高尚な目的や
意味があるからではないようですな、指導者としてこれではまずいかな。(^_^;
ただ剣道の魅力にとりつかれてしまって、それ故続けて居ると言うことに尽きます。
何がかと言いますと、年をとってもさらに研究、工夫、稽古をする事により、なお上達をし
て行ける点でしょう。私はとっくに肉体的なピークは過ぎた体ですが、
 >「そして、プレーができること自体を楽しむ域に入っていきます」
とはとてもとてもなりそうもありませんで、まだまだこれからと言う気概でおります。
実際に稽古においては私の半分の年の盛りの若手を相手にしても動じることはありません
し対等に勝負ができます。肉体の衰えで剣道が弱くなるとか頂点を越えて下降線をたどる
と言った事が無いないと言う点で競技スポーツとは一線をかくすのではないのかなと思っ
ています。
 >その目的さえ履き違えなければ、すばらしい生涯スポーツであると
 >言えるのではないでしょうか?
どうも意味がよくわかりませんでもうしわけない・・・(^^)
[2001/04/18 14:14:01]

お名前: Hide.   
「剣道スポーツ論」ですが、図らずもそれを否定していらっしゃる脱サラ農民さ
んの、

>しかし、悲しいかな、これらのスポーツには年齢的、肉体的なピークを過ぎると
>突如としてプレーができなくなるものが多いです。

という一文によって、否定されてはいないでしょうか?


長年剣道を修業されてきた方は、運動学的に体力的ピークを大きく過ぎたいわゆ
る世間一般で「老人」と呼ばれる年齢になっても、若手の選手と互角に対峙する
ことができるのは、剣道をしている人なら誰でもご存じのはず。そして、それは
決して一部の方に限られているのではなく、誰でもその域に到達することができ
うるのです。

もちろん、脱サラ農民さんがおっしゃるように「目的」の部分でも精神性を強く
掲げている特殊性もありますが、競技(実技)の面でもピークを越えてなお若手
に伍していられるというのは、世間一般でいう「生涯スポーツ(楽しみや健康維
持のための老人のスポーツ)」の枠を大きく越えてはいないでしょうか?
それが剣道でいう「奥深さ」ですし、私たちが目指している「不老の剣」なんで
す。

ただ、こうした年齢の方々は、それこそ試合にはほとんど興味を示しません(^^;
つまり、「試合をすることが剣道も目的ではない」と考えているからではないで
しょうか。お稽古をし、自らを高めることに目標を置き、なおかつ、若手とも対
等以上に競技(実技)することができる・・・、これを世間一般でいう「スポー
ツ」の概念に当てはめようとすることの方にムリを感じます。

どうしてスポーツに分類しようとするのでしょう。剣道は剣道として存在して何
か問題があるのでしょうか?(^^) 身体を動かす運藤=スポーツではないはずで
す。相手と勝敗を競う競技形態を持っているもの=スポーツでもないと思います
が・・・(^^;
[2001/04/18 09:48:13]

お名前: しんや   
レス遅れました。

なんだか、ちょっと見ない間に23・・・・早すぎます。読むのが大変。
目が痛い(もう年かなぁ?)。

bigginer kenshiさんどうも!
実は塚本先生と英花先生がおみえになられたときはデトロイトにいました。
知らない間にお会いしていたのかもしれないですね。
日本から来られる先生方は外国ということで緊張が解れるのか、すごく気さくです。
未成年(アメリカでは)にもかかわらず、塚本先生のお酒の相手もさせていただきました。
実は当日の原稿をとある雑誌に送ったのですが、編集社の方から返事がありません。
ぼつになったのかなぁ?シカゴの方にはいつもお世話になっています。今度の十一月
の大会には参加するつもりなのでよろしくお願いします。っていうか、朝陽館の方ですよねぇ。
前回の大会でO崎さんと一回戦やらせていただきました。W田さんやK川さんとも入魂の
中であります、はい。Washington DCのEXITといえば皆さんご存知なのでは。

話が大きくそれました。
ぼくもHide.さんのおっしゃるように剣道の客観的な面白さに欠ける点というのは
昔から思っていました。ただ、見る剣道、見て面白い剣道という点にもし重点を置くなら
いま、韓国のテレビ会社が主催して年二一回全国大会がテレビで放映される大会で
テレビを見る人たちにわかりやすいように黒と白で防具を色分けするのもありかなぁ
と思います。そういう点では韓国の割り切りかたは日本より進んでます。
もし、剣道を芸能、もしくは自己の修練という点で見るなら、そんな色分け方式は
何のこっちゃいという話ですが、ぼくはそれもありかなぁなんて思ってます。
最初の天覧試合のときに、内藤先生の「剣道は見世物ではない」案が退けられていらい
剣道とは次第に見世物になっていく運命なのかも知れません
(撃剣興行なんてのもありますし)。
剣道の歴史はたかだか二百三百年。その間にもいろいろと変わってきたはずだし、実際の
戦闘からもかけ離れて、剣術からも独自の道を歩きはじめました。
僕はそんな、剣術になりたくてなれない剣道・殺し合いよりも活かし合いに
道を見つけた剣道が好きなんですが、それも時の流れとともに変わっていくかもしれない
とは思っています。
剣道が広まっていくことはいいいとだと思います。でも、その上でなくしていくものも
多いことだと思います。そして、いつか剣道とはまったく違うものになりいつかは消え果て
「昔日本でこんなおかしなちゃんばらごっこがありました」って未来子どものための
百科事典なんかで紹介される日がくるかもしれないです。でもそれはそれで、
剣道は剣道としての役目を果たし、日本そして世界の文化に吸収されていくんだと
思います。
まぁ、そんな中で僕らみたいに今の剣道が好きでこうして「茶飲み話」をして
語り合う人たちがいても言い訳ですよねぇ。僕はそうやって昔にこだわり、自分が理解出来る
限り新しいことも受け入れることが出来るような剣道の先生にアメリカでなりたいなぁ
と思います。
Kumdoをやられてる人ともよく稽古します。あっちのいいところもあればこっちのいいところ
もある。そういう風に取り合えずは自分たちの剣道を高めて行ければいいなぁと思ってます。
僕にはまだ、剣道の行く末を動向という資格はないですね。
若気の至りから来た文章だと思ってください(消すのもったいないんで(笑い))精進精進。
[2001/04/18 07:16:37]

お名前: 脱サラ農民   
私、剣道はやはりスポーツであると思います。
と言うよりも、剣道と他のスポーツを区分けする必要はないのじゃないかな?
と言うのが本心ですね。
バスケットでも、野球でも、バレーボールでも、競技スポーツとして頂点を目指し
知恵を振り絞り、努力を重ねることから沢山のことが獲られます。
頂点に近い方々のプレーにはどのスポーツも芸術と言える動きがあります。
またそれに近づこうと努力する姿は見ていても思わず声をかけたくなるものがあります。
しかし、悲しいかな、これらのスポーツには年齢的、肉体的なピークを過ぎると
突如としてプレーができなくなるものが多いです。
そして、プレーができること自体を楽しむ域に入っていきます。
しかも、その頃には、あちらこちらに故障を抱えていることが多いです。
結局、プレー自体を楽しむ事自体、期間的にも短くなってしまう事が多いです。

剣道と違うところは、こういった過程で得られるものを、目標として
はっきりうたっているかどうかだと思いますが・・・。
競技スポーツではその創始目的をうたっているもののなかに、剣道ほどはっきりと
「心身を鍛え、礼節を忘れず、社会の一員として貢献する」とうたっているものは
少ないと思います。
年齢的、肉体的なピークを超えても、そのはっきりとした目的があるからこそ、
続ける意味もあり、続ける支えにもなるのでしょうね。
その目的さえ履き違えなければ、すばらしい生涯スポーツであると
言えるのではないでしょうか?
[2001/04/18 03:23:37]

お名前: bigginer kenshi   
すみません、bigginer kenshiです。
一晩寝ている間に、こんなに勉強になる話がたくさんかかれていて、
感激しました。先輩の皆様、有り難うございます。

ところで、自分の書いたことで、修正、追加があります。

1)外国人の剣道愛好家は、さむらいになりたくてやっている
のではないのではないか?

自分で、考え直してみて、これは言い過ぎでした。
さむらいの姿、精神にあこがれて、剣道をされている外国人の方が、
圧倒的に多いような気がします。ゴルフ、テニスといったスポーツ
と比較論を展開するあまり、論におぼれてしまったと反省します。

2)みのるさんの芸能論について。
もう一度、じっくり考えました。芸能というのは、つまり、
“心を打つもの”という意味なのですね?そのような自分を
形成するための、奥深い手段として剣道をなさっていると言う
ことだったのですね?昨夜、返事を書いたときには
そこまで思い至っておりませんでした。
目が覚めたような気がします。
肩の力が抜けるなどとは、軽口でした。

3)勝つという野心はない。

年を取ってから剣道をはじめたので、自分が剣道をはじめる勇気
を持たせるために、自分に言い聞かせてきた考え方ですが、
これはあさはかであることに気づきました。勝ちたい、という気持ちが
あるけど、初心者なので、勝つことはできない。。。
だから、勝つことを忘れよう、としてきたのですが。。。
やはり、勝ちたい気持ち(負けると言う悔しさと一体)を正面から
認めて、修行しなければ“心を打つ剣道”は目指せないことを、
今更ながら悟りました(浅い悟りですが)。

コムドへの反応に始まり、諸先輩方の意見をお伺いしていきながら。。。
くにさんのおっしゃるとおり、剣道を勉強する
とてもいい機会になりました。Hideさん、このホームページを作って
下さり、本当に有り難うございます。

春海坊さま、

シカゴの道場では、私たち、いい先生に恵まれていて、心から幸運だと
思っています。8段の前田先生(日系二世)は、いつも腕を組んで、
こわーい目つきでみんなを見ています。ほとんど、口を開きません。
前田先生に見られていると、緊張してしまい、引き締まります。
でも、稽古が終わると、とってもにこにこしていらっしゃる。。。
ああ、日本人。。。です。もし、シカゴまでいらっしゃる機会があれば、
是非、ご指導ください。
[2001/04/18 01:12:14]

お名前: くに   
to Hideさん

自己表現の手段としての剣道ですか…。なるほどね。こと剣道に限らず、行為によって自己を
研鑽し、研鑽された自己を、行為によって表現するということは、あるでしょうね。
完成された行為というものは、これまた、剣道に限らず、美しいものですね。
…しかし、剣道で自己表現が出来るというのは、防具や竹刀が肉体の一部のようになるまで
稽古した方が、はじめて言えることのようにも思います。
私の剣道じゃ、ドジな部分と未熟な部分しか表現できませんからね。 (^_^;)

to IMAINGさん

やぁ〜おひさしぶりです!
なんか、また役者が揃ってきて、とんでもない論争になりそう(笑)
アメリカ組の方々もそうですが、外国に居ると、日本にいるより日本人であることを強く意識
せざるをえないのでしょうね…。
私は、オリンピックの種目にするのに反対ではありません。ただそれは、「剣道」ではなく、
「kendo]であろうと思います。もうそれは、国籍を失った、良くも悪くも、スポーツとしての
「kendo」であると言うことです。
審判も、今のようなレベルを維持することは出来ないでしょうから、いきおい、当たれば得点に
なるような、あてっこ剣道になるでしょうし、今では考えられないような、卑怯な手を使って
勝とうとする者も出てくると思います。それによって、ルールの改変もあるでしょう。
今の剣道をどれだけ世界基準として残せるかというのが、その時の課題になるでしょうね。
でも、剣道って、あてっこでも楽しい!
オリンピックを見て、剣道という競技を知ってくれた世界中の人が剣道をはじめ、世界中の
人と竹刀を交えるなんて、楽しいんじゃないかと、思うんですよね…。

剣道の中に日本を見いだし、その精神を守ろうという方には、アホみたいな意見でしょうが…。

そうそう、IMAINGさんのHPに掲示板が無いんですが、作らないんですか?
流派の話なんか、したいですけどね…。
(お〜っと、来月はレポーターに当たっていて、忙しいんだった)

to 春海坊さん

歴史の調査、期待してます。後学にとって、貴重な研究になるかもしれませんよ。

自国の文化に誇りを持つということ、素晴らしいですね。
日本に居て、春海坊さんなんかを見ていると、「国際人」というイメージなのですが、春海坊
さんや、bigginer kenshiさん、しんやさん、IMAINGさん…の方からすれば、日本人であると
言うことが、海外で生きていくための原動力になっているんですね。なんだか、うれしいな。

でも、今の私達が伝統文化と思っているものって、そんなに古い物じゃ無いものもあるんですよね。
例えば、にぎり寿司なんかも、一般的には、文政年間(1818−31)に、江戸・両国の
花屋與兵衛が考案したとされていますが、それ以前に原型があったにせよ、200年程しか
経っていないわけです。(これ以前は、ちらし寿司のようなものがあったようですが、さらに
古くは、慣れ寿司など、今の寿司とはだいぶ違うイメージの食品になります)
竹刀や防具を使った剣道も、それから100年位しか遡れないでしょう。
漢籍の書誌学なんかやっていると、300年なんて、ついこの間です。でもそれが、「伝統」
なんですね…。1000年前(平安時代)の風俗、十二単や、歌合わせなどは、「伝統」と
呼べないんですね。それが伝統と考えられていたのは、600年前くらいまでで。
…話がそれてきたかな?

ま、とにかく、伝統は時代と共に変わっていくものだと思います。
新しい伝統や日本を作っていくのは、私達なんでしょうね。
[2001/04/17 22:08:46]

お名前: 春海坊   
くにさん、
>やはり「おひさしぶり」という挨拶で入ってこられましたね(笑)

そーなんですぅ。毎回これでおはずかしい。若いヤツはこき使われるしビンボー暇なしの
典型みたいなもんでですから・・・・レスが蛍光灯になっていると思うんで、ますます
ハズカシイ。こちらの剣道の歴史をちょっと調べてみようと思います。剣道の、というより
剣道に関った人たちの、です。彼等にとって何故剣道だったのか、剣道とはなんだったのか?

Biginner Kenshiさん、
>アメリカの中で、移民個人が認知されるには自分の国に対する誇りを持たなくて
は、やっていけません。

はい。その通りですよね。自国の文化に誇りを持たずにここで生活できません。自分はもう
十年以上サンフランシスコで暮らしていますが、ありとあらゆる紆余曲折を経て辿り着いた
のが「日本回帰」です。実際アメリカに居るので、あくまで精神的なものに留まるしか無い
日本回帰ですけれど。日本が歴史と共に培って来た文化とそれを創り出した精神は素晴しい
ものです。自分はそれを誇りにしてます。
日系の先生はかっこいいですよ。立ち居振る舞いからきっぱりした性格そのものまで、正に
お武家様。稽古の時静かな物言いできっぱり言われると、顔中口にして怒鳴る先輩より遥か
にびびります。はい。

話は変わりますけど、シカゴの道場は結構名が轟いてますナ・・・アメリカの剣道界が狭い
とは言えど実際カリフォルニア以外の方と知り合えるチャンスがあまり無いんで、ネットは
スゴイ。これからもよろしくお願いします。この場を創って下さったHide.さんに感謝!です。

話はまた変わりますが、自分は剣道のオリンピック化には個人的には反対です。Hide.さんの
言われる様に客観性が無さ過ぎるのと、そもそも世界各国から剣道をオリンピック競技にする
のに充分なレベルをもった審判の数が揃うもんなんでしょうか?それに剣道は競技であるだけ
でなく、あまりに深く精神性と結びついているーーーま、これは自分にとって、ですが。
自分の先生は「剣道には2つある。試合剣道と稽古剣道だ。試合剣道は相手と戦い、稽古剣道
は自分と戦う。この2つはお互い切り離せないが全く違うものでもある。そのうち解るよ」と
おっしゃいました。そんな難解なもんをオリンピック化できるものなのか・・・?
先生のこの一言からの思い付き・・・あ、飛躍してるのはわかってます・・・が、武士道にも
2つあるのかも知れません。表面に現れて「武士道精神」と名付けられ、戦時中悪用されたや
つと、少なくとも3〜400年間日本の社会を支えて来た根底にあったものと。武士道の本質
とは何ぞや、という幽玄なる疑問の道に踏み込んでしまいますな、こりゃ。

なんか、取り留めのない書き方になってしまいました。ここらへんにしときます。
[2001/04/17 18:29:00]

お名前: IMAING    URL
みなさんお久しぶりです。
しばらく忙しくて来れなかった間にこんなに楽しそうな話題が広がっている。(^_^;)
kumdoはともかく、「剣道」と「スポーツ」って話は大好きです。
(「道場の安全性について」っていうスレッドにも書きましたが、反応は無かったけど)

Bigginer Kenshiさんはじめまして<(__)>
私の意見は剣道はスポーツではない、です。
剣道は剣道であって、それ以上でもそれ以下でもないです。
確かに「競技」という側面は持っていますが、そこだけを取り出して「競技スポーツ」だと
捉えるのは「木を見て森を見ず」的状態だと思います。
また、スポーツという観点から見た場合も剣道ははなはだ未成熟ですよね。
Hide.さんが書かれていた通りの判定の方法の部分も、また反則に対する考え方も。
「紳士のスポーツ」と呼ばれる伝統のあるスポーツは世界にもいくつかありますが
どの競技も「反則をしない」事が紳士的だ。などとはうたっていませんよね。
ルールの中で最大限利用して、かつその中でどれだけ自分の(またはチームの)力を出し切るか?
というのがスポーツの基本です。
また、これは見る側の要求ですがTV映えすることや1強状態が許されないことなど
現代スポーツとして求められるものも多いので、その部分まで認めるとならない限り
軽々しく「オリンピック」などと言うべきではないと考えています。
単純に「人気が出れば」「知名度が上がれば」等といって剣道をオリンピック化したはいいが
その後で真の「スポーツ」の洗礼にあい、「こんなはずじゃ無かった」「こんなのはもう剣道ではない」などと
嘆くことにもなりかねないのでは無いでしょうか?
(最もそんな簡単にオリンピック種目にはなりませんが)

ルーツについてはその捉え方の問題があります。
遡れば日本の歴史などというものは基本的に大陸から文化の輸入を受けてきた歴史がほとんどです。
欧米文化の直接流入はやはり明治維新後がほとんどで、それまではわずかなものでしょう。
そうやって大陸から渡ってきたいろいろな文化が日本で加工?されて日本の文化として
成長していったものでそれをルーツは大陸だ、と言っていては・・・・。
ただややこしいのは第二次世界大戦下での占領政策とそのときに日本軍に「剣道」を強制された
という歴史的屈辱感が伴っているのでしょうね。
あくまで文化の伝達というのはその背景がどうかでこのようにどんな風にも変わりうるのですよね。
だからこそ難しいって感じがしますが。(^_^;)
なんかまとまらなくなってしまいました。
久しぶりなので(と言い訳ですが)
また頭からゆっくり読み直して考えてみます。
ではでは
[2001/04/17 18:01:13]

お名前: Hide.   
芸能と芸術はだいぶニュアンスが違うかもしれませんが、私は馬場欽司先生が『剣
道芸術論』を書かれる以前から「剣道は肉体芸術だ」という主張をしてきました。
残念ながら、本や雑誌で発表したわけではありませんし、こうしたメディアも持ち
合わせておりませんでしたのであくまでも口頭だけの話ですが・・・(^^;ザンネン

なぜ芸術かというと、自分の精神(魂・思想)を竹刀を使って表現するのが剣道だ
と考えたからです。だから、私は「剣道を武道だ」などといっていわゆる「スポー
ツ論」に反対しているのではありません。
さらに、剣道において競技(試合)としての側面は極くわずかな割合しかないので
す。その人の剣歴にもよりますが、試合を目的に剣道に取り組んでいる人の割合は
全剣道人口のどれくらいにあたるでしょうか? 確かな推測ではありませんが、
20%くらいなのではないでしょうか。ですから「勝敗を競いあうだけ」のオリン
ピック競技にはふさわしくないし、競技だけを目的に剣道に取り組むのは本質とし
てはいかがなものでしょうか(^^;

たとえば、クラシックバレエには世界的なコンテストやコンクールも多数存在しま
すし国内の大会もありますが、それを目指してバレエをやってる人はどれほどいる
でしょうか? ピアノやバイオリンなどの楽器もしかりですね(^^)

私は剣道もそんな種目のひとつではないかと考えています。すばらしい先生の剣道
は、その人の生き様や哲学までも表現しうるものですし、その立ち居振る舞いから
打突に至るまで感動を呼ぶすばらしいものです。これを「肉体芸術」といわずして
なんと表現いたしましょうヽ(^.^)ノ
[2001/04/17 16:53:41]

お名前: くに   
to bigginer kenshiさん

竹については、近々国会図書館へ行くかも知れませんので、行けたら韓国の百科事典で調べて
見ます。昔は、竹も笹も「竹」だったようですから、仰有るとおり、大きい竹が自生していな
かった可能性も、ありますね。

to みのるさん

芸能ねぇ…。私も、習い事だという感じは、強く持っています。
図書の分類なんかでも、剣道関係の本は、芸術の中に入れられているんですよね。だいたい、
茶道なんかの本の隣に置いてあります。
お茶も、抹茶を飲むだけなら、粉を入れて、お湯を注ぎ、茶筅でかき混ぜればいいだけですけど、
茶道では、茶室を建てて、床飾りをし、道具を運び出して、それを清め、茶碗をお湯で温め、
やっとお茶を点ててお出しする。後で、道具や葉の説明までするんですから、行為だけ見たら、
やっぱり、茶道なんかも「芸能」なのかな…。

「道」って、何なのでしょう?
生きる道?自分が進むべき道? 剣道なら、剣を使って、自分が進むべき道を勉強するので
しょうか? 
みなさん、どう考えているのかな?
私の答えは、…?

宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で言ってましたね。「求道、すでに道である」って。
…そんな所かな。
[2001/04/17 15:26:31]

お名前: bigginer kenshi   
みのるさん、

芸能ですね。。。私自身も、言われてみれば芸能としてやっているような。。
剣道で勝ちたいと言う野心が、全くありませんから。

自分の書いたスポーツ主義ですが、”突き”の怖さを考えれば、
やはり、剣道はテニスとは違いますネ。サッカーやラグビーはスポーツだけど
格闘技だという方がいますね。剣道も、格闘技だけどスポーツだという風に
思いたいな。。。柔道も関節技は、スポーツのイメージを超えています。

でも、所詮、初心者の戯れ言だと思って下さい。
実際に剣道を指導されているHideさんや、多くの剣道愛好家が剣道を簡単に
スポーツと割り切れないのはよく分かるつもりです。自分も、修行を積めば
考え方が変わるかも知れません。

芸能と言う捕らえ方はいいですね。。。
なんか、すーと、肩から力が抜けてやる気が湧いて来るような。。。
30才から30年やっていらっしゃるということは、人生の達人ですね。
おそれいりました。
[2001/04/17 12:13:55]

お名前: みのる   
剣道は私にとっては芸能だと思っています。
舞踊の世界、お茶の世界、お華の世界、歌舞伎の世界およそ「道」言われているのは
一生が修行であると言いますが、今まさにそれを実感して居る次第です。
わたしは30歳ちかくなってから始め、試合のための剣道ではなかったので
どうしてもスポーツと言う観点より習い事と感じているのを否めません。
まぁいろいろとその人なりの剣道があるということですな。(^_^)


剣道歴30数年になりますが、まだまだ求める事が多くあり、どこまで到達できるかを
楽しみにお稽古をしています。
[2001/04/17 10:25:34]

お名前: bigginer kenshi   
くにさんへ、

竹に関する情報有り難うございます。
そう、“竹”とよべる植物は韓国にもあるとは思いますが、竹刀に使える竹が
自生しているかな?という疑問なんです。もしあるなら、韓国製の竹刀が
たくさん販売されているんじゃないかな?ま、でも、韓国のコムドの
ホームページでは、“道具は日本で開発された”と書いているので、このことに
こだわってもしょうがないですね。。。すみません。

Hideさん、

私は、くにさんのおっしゃるように、日本とそれ以外の国のダブルスタンダード
になってもいいと思います。私が、審判能力のない初心者だからかも
知れませんが。それに、すでに、アメリカの剣道の審判規則も、微妙に日本の
ものとは違うようです。審判規則や、一本の定義も、難しいのは分かるのですが、
剣道を学びはじめた人間の立場で書かせてもらうと、やっぱり、簡易化した
方が、勉強しやすいと思います。あいまいで高尚な部分は、“段位認定”で
問題にすればいいのではないでしょうか?

それから、剣道を“特殊な”スポーツとか、“スポーツではない”、というのは、
気持ちはよく分かるのですが、外国人は基本的に
スポーツだと思っていると思います。samuraiがはじめたスポーツ。
でも、剣道やるからって、samuraiになれるとは外国人の方は考えていないので
はないでしょうか?
それに、剣道はスポーツだって考えたほうが、本当にのびのび練習できるような、
楽しめるような。。。武士道との関連付けが行き過ぎると、剣道教育も、
妙なひずみが出てきて、勘違いした先生が、子供たちを苦しめたりしませんか?

剣道は素人ですが、教育人の一人としては、スポーツとしてもっと
軽く考えたほうが、習う側、とくに子供たちは楽しめるのではないかと。。
私はロッククライミングをやっていますが(最近さぼってますが)、
本当に命懸けになるアルパインクライミング(本当の山で、厳冬期登攀を目指
す)とスポーツクライミング(室内人口壁中心.安全です)があります。
アルパインクライミングこそが、現代に残された本当の武道だ、という人も
内輪には多いのですが。。長谷川恒夫さん。。。もう、ヒマラヤで亡くなられ
ましたが。死ぬという恐怖無しのスポーツクライミングは、
本当に楽しいものです。また、その結果、スポーツクライミングが進歩し、
人間が登れる限界がどんどん発展しています。そして、そのために生み出された
技術(指や足の使い方)や練習方法が、どんどんアルパインクライミングに
取り入れられています。クライミングの世界から見れば、剣道は、スポーツ
クライミングに相当していて、やっぱり、スポーツだと思ったりするのです。
仮に、完全にスポーツ化してしまったkendoが生まれても、それは、日本の
剣道にいい影響を与えると思うのですが。別の分野からみた意見ですが。

嘉納治五郎は、西洋のレスリングと日本の柔術をミックスして、あくまで
スポーツとしての柔道を作ったということです。柔道の場合、もともと、
国際性があったという幸運があるのではないでしょうか?一方、本流の柔術
は、アメリカではグレイシー柔術(ブラジル版)が一番人気があるという面白い
ことになっていますが。。。

まとまりなくてすみません。。。
でも、日本の剣道、もっとスポーツ性を強調したほうが、いいのではないかと
思います。スポーツ図解“剣道”という小さな本の冒頭に書いてある、
“剣道スポーツ論”に私は大賛成です。
[2001/04/17 09:22:25]

お名前: くに   
みなさん長文のレス付けて下さるので、こちらが、例によっての〜んびりと書いている間に
レスが入ったりしちゃって、ちょっと、とんちんかんなことになっちゃうことがありますが、
お許し下さい。

to bigginer kenshiさん

竹は韓国にもあると思いますよ。竹という字を使った言葉も辞書に載ってますし。
私が見たのは『大東韻譜群玉』という、李氏朝鮮時代(1798年頃)に出来た類書ですが…。
いつ頃からあるのかは知りません。種類も分かりません。
「竹刀」という項目も、無かったですね。
韓国の百科事典でも見た方が良さそうですが、家には無いので…。
韓国の方にでも聞いた方が正確なことがわかるのでは?

to Hideさん

仰有るとおり、オリンピック競技になれば、今日本で剣道をやっている者には受け入れがたい
ルール改変がありそうに思います。
その時、どう対応するのか…。国際化していろいろな国の方と剣を交えられるのは嬉しいこと
ですが、それによって失われるものも大きいですよね。
私は、国際競技としての「kendo」(komdoでもjiendaoでも構わないんですが)はそれとして、
国内では今までのルールでやるような、ダブルスタンダードでいいと思うのですが。
私の短い剣歴でも、何カ所かに出稽古に行かせていただきました。そこで感じたのですが、
(大きくは変わらないのですが)細かい点で、それぞれの道場でローカルルールがあり、それ
によって上手くいっているようなこともあると思います。

美技を見るのはいいのですが、競技会にあんまり興味のない、いいかげんな剣士なので、発想も
いいかげんになってしまうのかもしれませんけど…。

でも、この問題、いろいろな意見が出そうですね。
競技会に、基本的に興味のない私は、トビ主になれませんけど…。
[2001/04/16 17:10:21]

お名前: Hide.   
うーん、たった2日東京を留守にしただけで、ずいぶんカキコが進んでしまいま
したね。bigginer kenshiさん、くにさん、しんやさん、色々なご意見ありがとう
ございます。
いやぁ、日本しかも現代という狭い枠の中でしか剣道を考えていない自分にとっ
ては、「目から鱗」のような思いです(^^; こうした視点に触れられるのも、イ
ンタネの力だと思い、つくづくこのサイトを開いてよかったなぁと思います(笑)

さて、みなさんの高尚な話の中で私の拙い意見を開陳するのは心苦しいのですが、
komdo問題とは少し離れますが剣道のオリンピック化の問題についてのお話をさ
せていただきたいと思います。


私が剣道のオリンピック化に反対している理由は、競技としてあまりに客観性が
ないからです。
剣道における有効打突の要件は「適正な姿勢での気剣体の一致」とあります。ま
た、円形であるにも関わらず、竹刀は「刀」としての見方もあり、ツルの反対側
(刃)で「刃筋正しく(スィングと刃の方向の一致)」打突しなければなりませ
ん。しかも「冴え」という問題があります。どんなに強く打突部位を打ったとし
ても「手の内の冴え」がなければ一本になりません。また、打突後の残心も「単
なる形」ではなく「相手に対する心とカラダの備え」で必ずしも有形のものでは
ありません。
競技をする上で最も大切なポイントの争点である「有効打突の判定」そのものが、
極めて曖昧な基準によって成り立っています。けれども、、日本国内においては
それほど問題なく競技が運営されています(^^;
ルールを改正して客観性を増そうにも、その具体的方法を考えつきません。曖昧
な基準であるがゆえ公認審判員制度も確立できませんし、外国人の審判員の育成
など「有効打突絡み」だけでも課題も山積みです。

また、今の試合審判規則では反則行為などが最低限しか決められていません。
どうやら、「(日本人で)剣道を学ぶものは(その理念に照らし)モラルを疑わ
れるような反則ぎりぎりの行為をしてまで勝ちを追求しない」という暗黙の了解
(ルールによって縛るのではなくモラルによって競技制を保つ)が出来上がって
いるからのようです(^^;


私を含め多くの日本で剣道を学ぶものにとって、こうした在り方を不思議に思う
こともありませんし、さほど大きな問題は生じません。それは、剣道が「竹刀を
操作して決められた打突部位を打ちポイントを競う競技」としてよりも「剣道を
媒介として自分自身を律する規範を作り上げる」ことに重きがおかれているから
ではないかと愚考します。

つまりbigginer kenshiさんが言われるように「競技=スポーツ」としてよりも「宗
教的」「道徳的」な意味合いに重きをおく人が多いからではないでしょうか?


競技として広めオリンピック化するためには、万人にわかる客観性が不可欠とな
るでしょう。かといって、柔道が「一本」と「技あり」以外に相手の反則行為な
どもポイントにする「加点減点法」を取り入れ客観性を増し今の競技形態になり
ましたが、柔術の流れを組み嘉納治五郎が作り上げた柔道とは違った「JUDO」に
なっていないでしょうか?

剣道も国際化するにあたって客観的なルールに改正し、同じ用具を使ったよく似
ている「Kendo」になってほしくないというのが私の考えです(^^)
[2001/04/16 13:36:17]

お名前: くに   
しんやさん、おひさしぶりです。

kumdoではなくkomdoです。komdoは、「剣道」という字の韓国語読みです。
私は、見た目がほとんど同じなのではなく、同じ競技を指していると思ってますが…。
ただ、韓国には韓国の剣術の歴史があり、その上に乗って、剣道というものを見ているのでは
ないかと思います。

統一の問題ですが、国際競技として剣道が認知されるようになったら、日本の主張だけが通る
ということではなくなると思います。日本の伝統を考えると、承伏しかねるようなルールが採択
される場面も、出てくるかも知れません。しかし、国際化すると言うことは、そうして、国籍が
無くなるということではないでしょうか?
競技の呼び名が、「kendo]になるか「komdo」になるか。もともと、武術としてはうちの方が
伝統があるからと「jiendao」(中国語の読み)になるか…。
それももう、国際協議の場で決められる問題で、我々の手を離れてしまう事のように思います。

>“日本武道から発展しましたが、今では、アメリカの剣道が最強です。なぜならアメリカには
>アメリカンフットボール精神があったから”

ハハハ。それも楽しいですね。
エドウィン・ライシャワー元駐日大使が、日本の明治維新が成功したのは、日本に元々あった
伝統技術の上に、西洋文明を受け入れたからだ。と言っていましたが、自国の文化や伝統の
ベースがあって、そこに外国で出来た新しい成果を受け入れ、自国のものとして消化した方が
自国民も受け入れやすいし、その土地に根付いて、新しい伝統として、長く続けることもできる
のではないでしょうか?

日本で生まれた競技としての剣道が世界中の国で行われ、その土地土地の伝統と結びついて定着
し、様々な人達と竹刀を交えられるなんて、素晴らしいことだと思いませんか?

剣道を「komdo」と呼んでいる人達が世界中に普及したなら、「komdo」と国際競技で呼ん
だっていいとさえ、思いますけどね。

歴史ですが、捏造なんてそんなに簡単にできるものではありません。ちょっと調べればわかる
ことに、目くじらをたてることもないと思います。

「日本人」であることを、強く意識して生きて居られる方には、脳天気な発言に見えるかも
知れませんが、私は今、いろいろな方と剣道が出来ると言うことが楽しくて仕方がないので、
こんな気持ちでいます。

前にも書きましたが、私のは、茶飲み話です。御寛恕ください。
[2001/04/15 16:42:56]

お名前: bigginer kenshi   
もう、”民族意識”は落ち着いているのですが、思い付いた事があります。
竹刀ぬきに、剣道の歴史は語れないですよね。。。
馬場キンジ(漢字でない!)先生の”伝統の技術”にもありますね。
で、竹なんですが。
竹にも色々ありますが、竹刀とかに使える太くて固い、いわゆる有用竹は
孟宗竹、淡竹、真竹、の3種類のようです。これら全てが、竹刀に使われるのかは知りませんが、。。
真竹の竹刀は高いですね。。。

日本の竹は、中国の南部から鹿児島に輸入され(。。たと思います。500年ぐらい前だったかな?
自信ありません)、もともと日本にはなかったと聞いた事があります。記憶違いかも知れないけど。
ちなみに、”竹”というのは植物分類学上の竹ですけど。笹や唐竹、支那竹、は含まれません。
こういう竹、韓国には自生していないのでは?していても、ごくわずかじゃないかな?
日本の真竹の北限は、東北当りのようですが、竹の生産料は、圧倒的に九州以南。
御存じのように、台湾、中国南部の竹で作られた竹刀は安いですね。
でも、韓国の竹で出来た竹刀って、聞いた事ないな?
道着、防具は韓国製のものが一杯流通しているけど。
竹は、寒い地方になる程、細くなるようですが、、、韓国の冬は寒すぎるのではないかな?
私は植物学者ではないので。。。責任は持てませんが。。
でも、コムド問題は、様々な意味で、解決済みだ僕は思います。

日本の皆さん、是非是非頑張って、世界剣道大会で、いつも優勝して下さい。
私には出来ない仕事です。

はやく寝た方がイイと思うこの頃です。
[2001/04/15 16:04:26]

お名前: bigginer kenshi   
しんやさん、

”これから剣道が発達する上で何らかの形で統一する必要がありそうですよね。
だって、見た目はほとんどおんなじですから。”

そうでした。そこなんでした。問題は。
ただ、韓国のコムド選手は、国際kendo大会に参加するし、韓国コムド連盟の主な組織は
国際kendo連盟に属しているようです。
くにさんの書き込みにもありました。。。(そうですよね?くにさん?)
つまり。。。統一はされているのではないでしょうか?既に?
[2001/04/15 14:04:10]

お名前: bigginer kenshi   
しんやさん、

はじめまして! DCというのは、つまりワシントンということですか?
ワシントンでは、もしかして、日本大使館付き自衛官のかたが稽古に来て下さってりして。。。?
もし、シカゴ周辺にいらっしゃる事があれば、是非、稽古をつけて下さい。
よろしくお願いします。
コムドなんですけど、インターネットで調べてみると、KomdoとKumdo、両方使われているようです。
韓国剣道の方では、まだ英語表記が統一されていないのかも知れません。

よく、自分の書いた文章を読むと、”国際化したスポーツなんだから各国の流派ができてもしょうがないよ”
と建て前論で納得する一方で、”日本の特許が侵される!”みたいな意見も書いてしまって、。。。
やっぱり、まだ納得できていないのかも。。。

で、ちょっと、もう少し考えて気付いたんですけど。。。
仮に、コムド過激派が国際的な公の場で、彼等の主張をしたとしても、彼等の主張が受け入れられる心配は
全くないと思います。。。アメリカに住む人間として気付いたんですけど。
”特許権”論争になった場合、日本と韓国の起源論争に決着をつける為には、当然、第3国が裁定を下すでしょう?
で、その第3国で、きっと一番発言力をもつのはアメリカでしょうね?
アメリカの剣道は、かつてお侍さんのまま移民した日系アメリカ人が大きな力をもっているのでアメリカの剣道会が
コムド過激派の意見を認めるはずはないでしょう。
また、アメリカで剣道をやっている人には、結構、アメリカの軍人さんがいらっしゃいます。
特に、海兵隊。海兵隊といえば、そのもっとも輝かしい功績は、太平洋戦争における対日勝利。
その記録映画をみていたら、太平洋戦争当時の”恐るべき敵、ニッポン”の紹介として、
日本国民が、小学生の時から”戦士教育”を受け、”伝統的な”剣道を子供達が練習している姿を移してます。
日系アメリカ人でなくても、アメリカの歴史の中に、日本の剣道の歴史が記されています。
15世紀(かな?)以降に、東/極東アジアへ進出して来たヨーロッパ各国の”見聞録”にも日本、韓国、中国の武道の
ことがきっと記されているでしょう。これらの第3国も、正しい裁定をしてくれる事でしょう。
過激派に踊らされて、”民族意識”を刺激されてしまった私は、やはり剣道の初心者。
”とどまらぬ心”には、程遠かったです。

私より、遥かに剣道の上手い家内は、私が夜も眠れず”日本人意識”に燃え上がって、このサイトに書き込みしていた時、
チャットのチャンネルで”うちのネコが天井に話し掛けているのですが。。。そういうネコいます?”
という話で他のネコ愛好家と意見交換しておりました(結構、こういうネコはいるそうです)。
これが、不動心かもしれない。。。

ところで、自慢させていただきます。
特に、きっと、日本で一生懸命剣道をやっている皆さんが、とってもうらやましがる、アメリカの剣道事情。。。
剣道指導者が少なくて困っているだろうと言う事で、塚本博之先生(最年少8段の先生だそうです)、栄花直輝先生が
数カ月前に中西部へ来て下さいました。シカゴでは、うちの子供たちを含む5人(幸運にも、そのときたまたまたったの5人!)だけの
子供達に、栄花先生が一時間近くとってもやさしく稽古をつけてくれました。大人の方は、塚本先生の、これまた暖かく、
丁寧な手ほどきを頂きました。もちろん、お二人と地稽古をみなさんつけさせて頂きました。稽古は全部で2時間ちょっとでした。
”いやー、アメリカで剣道をやっていてよかった。。。”と多くの日本人剣士の意見。本当は、国際親善で、アメリカ人に指導される
つもりで来て下さったと思うのですが。。もちろん、アメリカ人も一杯いましたけど。
そのあと、アメリカ人の皆さんが、写真を一緒にとったり、サインをお二人にお願いしていたので、私達も一緒に記念撮影をし、
サイン入り色紙を頂き、子供達の竹刀のつばにもそれぞれ、サインを頂きました。
ちなみに、栄花先生の色紙には”清新”と書かれておりました。

アメリカで剣道をやっていると、いいこともあるものです。
ということで、剣道事情inUSAらしいことが、ようやくかけました。

しんやさん、DCの方でも、こういう”アメリカにいる役得”あるんではないですか?
[2001/04/15 13:47:33]

お名前: しんや   
こんにちはbigginer kenshiさん
僕も実はDCで剣道をしております。

Kumdo(確かこういうスペルだったように思います)にかんする皆さんのご意見伺いました。
ただ、これから剣道が発達する上で何らかの形で統一する必要がありそうですよね。
だって、見た目はほとんどおんなじですから。
[2001/04/15 09:45:38]

お名前: くに   
to bigginer kenshi さん

前の書き込みは、長いのも長かったのですが、ほかの用事を片づけたりしながら書いて
たので、時間がかかっちゃったんです。ハズカシイ… (^_^;)

私の知識は、儒教に関しても武士道に関しても、余技みたいなものですから、あまり
買いかぶらないでください。
日本で剣道やってる方でも、「六三四の剣」(マンガ)や「宮本武蔵」(吉川英治。小説)
を見て、武士道のイメージを作っている方って、多いのではないかな。
でもまぁ、コムドに関しては納得していただけたようで、良かったです。
ではまた。
[2001/04/13 17:48:36]

お名前: bigginer kenshi   
くにさん、

返事が遅れてすみません。
素人の中国剣術・古典思想影響論へ、とても正確な解説をしていただき
本当に有り難うございます。Komdo論も大切ですが、くにさんのおっしゃるよ
うに、まず、日本の剣道の歴史をよく認識することが大切だとおもいます。
くにさん。。。最後に書き込まれた文章、とーーっても時間がかかったのではな
いですか?色々調べていただいて感謝感激です。私の方は、理科系なので、
この問題については理屈をこねるだけで逃げられますが、それでも、実は、本当
に自分の研究がおろそかになっている数日です。漢籍の書誌学がご専門なのです
ね。。。これは心強い見方です。現代剣道のスポーツ化以前の、武士道の起源に
ついては、まさに“信頼できる筋”の情報がいただけます。


自分は、中学高校で習った漢文が好きで、論語や孟子の本を読んで、人生訓をみ
つけて喜んでいるたぐいの者です。確かに論語では、武を軽んじると言うか、否
定するような印象がありますよね。つまり、儒教を本気で信じていくと、武士道
は成立しないですよね?それにもかかわらず、儒教を勉強する朱子学や陽明学が、
徳川幕府時代の武士の教養になったというのはすごいことではないですか?
つまり、武士が、自分の受け入れたいところだけとって、気に入らないところ(武を軽んじる概念)は、捨てたと。とても要領のよい勉強をしていたのではな
いかと感じます。別の味方をすれば、中国の古典思想を勉強はしたが、
結局、そのときの日本武士が持っていた思想にあわせて解釈しただけで、
心から吸収したと言うのではないのでしょうね?
だから、中国古典思想の“影響”はあったけど、やっぱり、“影響”だけみたい
ですね.

“剣道に思想なんてあるのかな?”
うーむ。剣道と武士道を混同しているのですね、私は。
思想に重点がないなら、技術のための理論に重点がある?
とすると、剣道自体、特に現代剣道は、やっぱり競技ですよね。
スポーツですよね?オリンピック種目にしてもいいんじゃないかなあ?
オリンピック種目にすると、剣道が形骸化する、、、という話を聞きましたけど。。そういう意味では、競技になった段階で、“形骸化”はとっくに成立して
いるような。。。まあ、僕は初心者で、剣道の何たるかが分かっていないのでし
ょうけど。

私が、この数日一所懸命勉強した種本は、
“武道のことば、現代に活かす勝負の鉄則”(PHP研究所)です。
アメリカに住んでいるので、種本はこんなものです。
でも、この本は、とても勉強になりました。
沢庵和尚の、“不動智”とは、“うごかぬこころではなく”、
“何にも止まらぬこころ”という説明は、感動しました。
剣道と言うより、仕事に役立つといった本ですが。。。
一般向けなので、学問的に正しいかは分かりません。
子どもに剣道のことを話すときに昔の偉大な武士の言葉を教えるのに
役に立っています。

言志四録は、“新編、言志四録”(これもPHP文庫でした)を読んだだけです。
書いた方は、井原隆一と言う経済界の偉い方のようです。
ですから、これも学問的には。。
ただ、帯に“坂本竜馬、吉田松陰、勝海舟、西郷隆盛ら数多くの幕末の志士たち
が範とした名著”言志四録“と書いてあったので、受け売りで書きました。
これも、剣道と言うより、仕事に役立ちタイプの本ですけど。。
“礼譲とは、鎧なり”というのには感動しました。

くにさん、本当に有り難うございました。
私も、自分の研究に戻ります。
でも、今後も是非、日本の武士道への、儒教の影響を教えてください。
よろしくお願いします。
[2001/04/13 15:43:14]

お名前: bigginer kenshi   
春海坊さん、Hideさんへ、

御返事有り難うございます。
前回の文章は、“責任を感じて”まじめに取り組んだ結果、
書いている間に御二人の返事が入ってしまいました。返事が遅れてすみません。

前回のHideさんの示した基準で、自分の意見をまとめてみました。
書きましたように、私自身は、もう納得しました。

さて、春海坊さま。。。。ご質問に答えると、分かる人には、
分かってしまいますね。。。アメリカの剣道社会は、狭いですからね。
自分たちは、昨年までSan Diego道場で稽古をさせていただき、
現在は、シカゴの朝陽館道場で稽古をさせていただいています。家内が、
昨年の、リトル東京のNISEI大会(日本の皆様、日系二世記念大会という意味
です)に出てがんばりました。私は、家内が自慢です。私自身は、
全然。。。理屈ばっかりで。。。まず、正しい素振りからです。

アメリカの剣道道場の日系の先生の雰囲気が、今の日本人より、
“日本人らしい”というのは賛成です。アメリカに移民してのちも
剣道をされている日系人の家系というのは、由緒正しいお侍様の家系
である場合が多いようです。Hawaiの剣道連盟のホームページに詳しく書いてあ
ります。http://www.hawaiikendo.com/history.htmlをご覧ください。

“日本人らしい”というのは、“明治日本人”あるいは“お侍様の香り”という感じです。
アメリカの中で、移民個人が認知されるには自分の国に対する誇りを持たなくて
は、やっていけません。永住を覚悟して生活をはじめると気づきます。移民でな
りたっている国なわけですから、お互いの先祖の国の風習や文化を尊敬しあうこ
とで人間関係を良好に維持する習慣があります。アメリカ人は、アメリカの文化
というのは、つまり、“全世界の文化の良いところを集めたもの“とよく言いま
す。それが、たとえ建前だけでも、とても大切なことです。そうすると、かつて、
明治時代に移民された旧武士の方々は、日本人が脱亜入欧論ののち現代日本人へ
と変化する中で、アメリカに移住した当時の日本人の文化、風習を維持してきた
と感じます(肯定的な理由だけではないでしょうが)。タイムカプセルみたいに。
日本語を話せない日系人剣道家の方も多いのですが、姿、歩き方、
目つきなどは、にこにこしていても“お侍様”を感じます。かっこいいです!
とぼくは思います。誇張が入っているかもしれませんが。。。

SanDiego道場の日系の先生とお話して、びっくりしたのは、剣道をやっているだけではないのです。空手もやり、柔道もやり。。。まさに、武士たるもの
“武芸百般”を目指すよう教育されたのかな?と感じたことがあります。
白人の方で道場に来ていた人と話したときにもこれまた驚きました。
剣道だけでなく、居合もやり、空手もやっている人が結構いるのです。
こういう方々は、剣道家ではなく、“武士道”を目指しているようです。
別の味方をすれば、“さむらいおたく”ともいえるでしょうが。。
日本人である自分の方が、はるかにいいかげんなので、恥ずかしくなります。
春海坊さん、そんな経験ありませんか?
[2001/04/13 14:12:03]

お名前: くに   
春海坊さんおひさしぶりです。
やはり「おひさしぶり」という挨拶で入ってこられましたね(笑)

春海坊さんの書かれた、アメリカでの戦中・戦後の剣道に関する記述は、貴重だと思います。
今書き留めて置かなくては、関係者が死亡するなどで、わからなくなってしまうことも多い
はずです。また、広い国土に分散して住んで居られたので、全体像を見渡すことはかなり
むずかしいようにも思います。
移民に関する資料は、日本の国会図書館で意欲的に収集したことがあり、ある程度こちらでも
調べられるのですが、やはり、そちらでお調べになった方が、よくわかるでしょう。
申し訳ありませんが、そんなわけで、私はよくわかりません。
興味をお持ちでしたら、むしろ春海坊さんのような、アメリカ在住の若い方が、記録に残す
なり、資料を集めるなりされるのがいいのではないかと思います。
私は、漢籍の書誌学なんかやっている関係で、外国の図書館の資料なんかも使わせていただいて
いますが、その気になってお願いすれば、けっこう協力してくれますよ。
私も、協力できることは、協力します (^_^)

bigginer kenshi さん。続きです。

??について。
中国が、日本の武術のルーツかと言うことですが、それは、そうかもしれませんね。
人間が道具を使い始め、獣やお互いを殺し合い出したのがはじまりとするなら、エチオピア
かスーダンの大地溝帯あたりに端を発していると言うことになるのかもしれません。

現在の中国剣術は、拳法の技の一つのような扱いですね。香港のカンフー映画なんか見ていても
斬り合ってるんじゃなく、格闘している中で剣を使っているような感じですものね。
ルーツが同じだとしても、形は変わってしまいましたね。

??について。
『言志四録』ですか…。佐藤一齋ですね。道徳の教科書のような本だと思ってましたが…。
日本の場合、朝鮮ほど儒教道徳にがんじがらめになっていたわけではないので、常識的な
ことがかいてあるだけだろうと思い、読む気にもなりませんでした。すいません。
江戸時代を通じてということになると、いろいろな本が読まれていますね。武士道関係で
著名なのは『五輪の書』や『葉隠』でしょうか。
今でこそ有名ですが、『葉隠』は佐賀藩の秘本だし、『五輪の書』も、吉川英治が宮本武蔵を
有名にしてから知れ渡った本かも知れませんので、どれだけ読まれたのか…。
庶民レベルでは、石田梅岩の石門心学などが普及版だったのかな…。
昌平坂学問所では、四書五経(『論語』『孟子』『大学』『中庸』『易経』『書経』『詩経』
『礼記』『春秋』)を勉強していたと思います。

?について。
そうですね。でも、日本はそんなにガチガチに儒教道徳を履行していたわけじゃないと
思いますが…。文化や思想に関して、中国の影響を多く受けていますね。
江戸時代には、安藤昌益や山片幡桃などというユニークな思想家も現れて、頭の中はみんな
一緒というわけでもなかったように思うのですが…。

さて、そんな中で、剣道に関する思想のようなものが出来ていたのかどうか…。やっぱり、まだ
わかりません。今でも、あるのかなぁ思想なんて…。(失礼!)

「気」についても、剣道では、いつ頃から言い出したのか…。
鍼灸の方では、「子午流注」なんて、かなり古くから使ってたんでしょうが。
「理合」についても同じです。
勉強不足ですいません。

大韓剣道会のHPには、「百済では刀部を置いて剣を製作し、兵法者が日本に渡った記録を
たどることができる」と書いてあります。
百済の刀部の事は、恐らく『三国史記』か『三国遺事』に見えるのでしょうが、兵法者の事は、
果たしてどんな書物に、どんな風にかいてあるのか…?
本当は、そんなことを一つ一つ検証する作業から入らなければならないと思うのですが、時間が
かかりますよね。
これ、真面目にやってると、自分の研究が出来なくなってしまう…。
そんなわけで、まぁ、茶飲み話として聞き捨ててください。
[2001/04/13 13:59:15]

お名前: bigginer kenshi   
くにさん、
(春海坊様、HIDE様への御返事は、次回に書きます。すみません)

ご丁寧な返事有り難うございました。
実は私も、この記事を書いていると、とんでもなく時間を
取られ、自分の本業に影響が出はじめています。
きっと、くにさんも貴重な時間を割いて、
返事を書いてくださったのだと思います。
ありがとうございます。


一人で色々考え、くにさんの返事を読み、internet上での
komdo vs kendo論争の存在に気づき、そしてまた、
自分の持っている剣道関係の本を読んで“戦後の禁止状態から竹刀競技としての
復活、現代剣道への発展過程”での多くの方々の苦労を知り、ある自分なりの結
論に達しました。そして、韓国の友人や、道場の先生にkomdo vs kendoの質問
をするのを止めました。これは、まったく有害な質問になると気づいたからです
(今更ながらですみません)。それから、自分たちが日本人であるということの
identityと、この問題を関連付けるのは建設的ではなく、やはり自分にも有害で
あるという結論に達しました。これは、あくまで、剣道初心者の、私個人の見解
ですが、私はこれで気持ちがすっきりしてきました。私は、科学者であり、先生
でもあるので(先生とは、時に、真実の自分を隠しても、君子を演じる勇気が必
要な職業ですね)、“知的所有権”や、“特許”、“誰の業績なのか?”という
ことにこだわりすぎたのだと反省しております(職業病というやつですね)。


以下に自分の見出した理由を書きます。
長いです、すみません。
またまた仕事の時間が減りました。
でも、自分がはじめてしまった話題です。
責任を感じています。

剣道に限らず、世界中に広まっているスポーツ(剣道も、もはや本当に人を殺す
ことなく、競技となった以上、スポーツと呼ぶ、という意味で用います)の現在
を考えてみました。テニスやゴルフはイギリスが起源だそうですが、今や、主要
なプレイヤーはイギリス人(アングロサクソン)ではなく、非アングロサクソン
系アメリカ人だったり黒人だったり(タイガー)しますよね。イギリスでは、ロ
ンドンに優秀な外国人がやってきて、学問や経済活動を行うことをテニスの状況
にたとえて、“ウインブルドン現象“というらしいですが。テニスやゴルフをす
るとき、もはやイギリスにあこがれたり、イギリス紳士にあこがれてやりません
よね。あこがれるのは、素晴らしい選手の姿(人間としてあこがれる姿)であり、
それがアメリカ人だろうが黒人だろうが、その素晴らしい選手に少しでも近づこ
うとがんばるわけですよね。野球も、アメリカ人になりたくてやっている人はい
ないですよね(いるかも)?アメリカで剣道をやっている日本人・日系人以外の
剣士皆さんも日本のかつての偉大な武士や、現在の素晴らしい剣道選手にあこが
れてやっているのだと思いますが、日本人になりたいわけではありません。
つまり、日本人を自覚するために剣道をやるというのは、あくまで日本人の理屈
だということです。だから、私自身の日本人としてのIDENTITY問題と、
外国人のかたの剣道認識を関連付けて慌てるのはナンセンスだと考えました。

日本のレスリングは、かつてとても強く、“日本のお家芸”などと新聞で書いて
ありました。なぜかというと、八田一郎という柔道の偉い方が、柔道の経験を生
かして日本レスリングを発展させたのだそうです。きっと、相撲のこともあるの
でしょう。で、ここに、“日本のレスリング”という概念が出てくるわけです。
“ただの“レスリングとは違う、柔道や相撲の強さを持った“お家芸”。
剣道も、同じ道を歩んでいるのではないでしょうか?システムは日本でできた。
理念も日本でできた。でも、日本という国をはなれ、日本人という民族を離れて、
その“道”、“スポーツ”としての素晴らしさを外国の方と一緒に目指したら、
国によっては、その国の固有の何かと近づけて(ルールや競技名は変えないこと
が原則ですが)、その国らしい剣道というのが生まれることは容認するべきこと、
あるいは喜ぶべきことであり、それによりより素晴らしい剣道が生まれるのでは
ないか。そんな風に考えはじめました。それが、スポーツとなり、競技となった
剣道の運命なのではないかと。それに、IKFやAKF(アメリカ)という、国際団
体や日本国外の団体がはっきり“日本武道から発展しました”といっているので
すから、それでいいじゃない。そんな気がしてきました。

“日本武道から発展しましたが、今では、アメリカの剣道が最強です。
なぜならアメリカにはアメリカンフットボール精神があったから”
なんてことになると(ならないでしょうけど。だってやっているのは半数が日本
人か日系人ですから)、日本の方はさみしがるでしょうけど、このような可能性
の存在が、国際化した剣道の宿命ですね。剣道はやっぱり日本!と思われるため
には、ルーツにこだわるより、日本の剣道選手が、少なくとも競技者として常に
最強であることが必要だと思います。テニスやゴルフの現状が、剣道のいまとこ
れからを考えるのに参考になりませんか?勝つため“だけ”の剣道はよくない、
と僕も思います。でも、日本人以外の剣道選手が常に上位に入れば、“日本のレ
スリングはお家芸”みたいなことを他の国にいわれるでしょうね。。。日本の、
とても強い剣道選手の皆さん、がんばってください。これは、僕にできる仕事で
はありません。そう思うと、気が楽になりました(すみません)。


ここまでくると、剣道のオリンピック化問題も気になりました。
僕は、初心者です。ただ、日本人だというだけですから、部外者っぽい意見にな
るでしょうが、オリンピック化するべきではないでしょうか。
“剣道”を国際化した以上、審判がむづかしくても、オリンピック化する努力は
するべきじゃないかな?そうでなくては、成長を続けてきた“剣道”という
“生きている精神”が、成長を止めてしまうのでは。。。?
各国風の剣道(ルールは、すでに日本発祥剣道にもとづいていますよね)が生ま
れてきて、それで、日本剣道が脅かされて、でも、それでも日本剣道の選手が勝
ち続けるための覚悟をもって(これこそ“決死の覚悟ですね”)オリンピック化
すれば、日本の剣道は、いまよりもっと強くなるでしょうね。でも、“武道”だ
からと反対があるのも存じています。でも。。。でも、柔道も競技となった段階
で、“武道”としてのこだわりから“決死の覚悟”で抜け出して、日本の柔道選
手はすごいプレッシャーの中で日夜努力しているように思います。韓国剣道が、
常に国際大会で上位独占をするようになってからオリンピック化したら、コムド
がオリンピック名になるかもしれません。それが、剣道を強くしてきた韓国の
人々の努力への感謝の気持ちになると、外国の人は考えるかもしれません。オリ
ンピック化の際のルーツ確定は、特許承認みたいな気がします。話が大きくなり
すぎましたね。でも、コムド問題に関して、感情論をはずし、現実的対応策を考
えたら。。。僕は、こういう結論に到達しました。第3者的ですみません。


KOMDOと、読み方を変えて(というか、日本語読みは許されない国内事情があ
るのでしょう)、韓国、アメリカ、オーストラリアなどで色々な組織ができてい
るようですけど、主要な組織は国際KENDO連盟に所属し、韓国のKOMDO選
手の皆さんは国際KENDO大会に参加されるわけですよね。私のこの認識は正し
いかどうか分かりませんが、INTERNET上のさまざまな情報をみるとそのよう
です。それは、要するに、KOMDOはKENDOの別の読み方にすぎないと、多く
の方が認めているわけですよね。結論はでていますね。過激派はいるようですが、
過激派に躍らされてはいけないのでしょうね。僕は、躍らされてしまった訳です
けど!この問題を韓国の友人や、自分の先生に持ち込むのは、よくない。やめま
す。

最後に、一生懸命、押さえてきた本音に近い意見を書きます。
コムド過激派の意見は “虚偽事実”だとおもいます。
このばあい、“歴史改ざん”という言葉はよくない。
“歴史”は国によって、時代によって、いつも変わるものです。
過激派の意見は、“事実(FACT)”を無視している、と表現するべきでしょう。
“真実(TRUTH)”という言葉もいけない。真実も、人それぞれによって変わる
主観的なものだから。でも、“いいもの”が国際化してしまい、愛好者が増えれ
ば増えるほど、“特許争い”に手を上げる団体は出てくるのが普通です。オリン
ピック化が必要な気がします。国際KENDO連盟の副会長だった韓国の立派な剣
士の方(大戦中、日本で日本軍属として剣道を学んだそうです)が、最近発足し
た国際KOMDO連盟の会長になったと書いてありました。そして、KOMDOを
オリンピック化したいと発言していると書いてありました。どこまで事実かは知
りません。この方が、古い時代の剣道を学んだということは、“武士道”も“切
腹”という概念も学んだのでしょう(大戦中でも、軍人は切腹していましたか
ら)。もしかしたら、本心ではないかもしれませんが、そのかたの心情は別問題
として、これは“特許権争い”を宣言する動きの存在を示唆しています。国際
KENDO連盟の皆さんの対応が必要だと思います。


剣道の実力も、経験も全然ないのに、剣道の先生方に向かって、こんなに長く剣
道の文章を書くのは、恥ずかしいのですが(“武道”では許されませんね)、
どうか、大目に見てください。成人してから剣道をはじめると、練習そっちのけ
で、理屈に走る傾向があります。練習しなくては。
ああ。。。仕事もしなくっちゃ!

くにさん、返事を戴き、本当に有り難うございました。
[2001/04/13 11:41:37]

お名前: Hide.   
Biggner Kenshiさん、お初です。ここの管理者をしておりますHide.と申します。
どうぞ、よろしくお願いいたしますヽ(^.^)ノ

くにさん、ついに来てしまったか・・・といった感じですね(笑) でも、こうし
た形でアメリカ在住の方からお題を提示してもらったのはありがたいことだと考
えます(^^)


実はコムド問題は、ここ数年、日本でもかなり熱狂的なグループ(?)が存在し
まして、あちこちの剣道サイトの掲示板を占拠して丁々発止の論戦を繰り広げ、
ひどいときはその弁舌の激しさでサイトそのものまでを危機に陥れてしまうとい
うことをしてきました。

むろん拙サイトにも同様のカキコがありましたが、そうした事情を知っておりま
したので、私は今日までとりあわないできたのです。ただ、ずーーーっと心の奥
底でもやもやしたものを抱えていたことは事実です。

その方々の話では「韓国は空手に端を発したテコンドーを時刻の武術としてオリ
ンピック種目に押し上げた。それと同様の手法で歴史を捏造し、コムドのオリン
ピック化に向けて動きだしている。このまま手をこまねいていてはコムドがオリ
ンピック種目となり、国際的な駆け引きで劣る日本の剣道はコムドの亜流として
甘んじることになる」というのです(^^;


私は、剣道はもう30年以上もやって来ましたが、そのルーツなるものについて
国際的な視点を持っておりませんでしたので、この問題にコメントできる材料や
知識を持ち合わせておりません。もっぱら、聞き役にまわることになろうかと思
いますが、ご了承くださいm(_ _)m

ただし管理者としてお願いしたいことは、拙サイトでこの問題を論ずる場合、
Bigginer Kenshiさんもおっしゃるように「戦争」がらみや「教科書問題」など両
国間に根強く残っている政治的・感情的な問題になり、意見を出しあった両国関
係者が傷つけあうようなことにだけはしてほしくないと思っております。
どうか、書き込まれる場合は、両国に関係する読者の気持ちをよくお考えになっ
て、適切な文章表現を心がけていただきたいと念じますm(_ _)m
[2001/04/13 08:37:35]

お名前: 春海坊   
くにさん、お久しぶりです。
Bigginer Kenshiさん、初めまして。春海坊と申します。
Kumdoの事ではありませんが、お二人の博学を頼んで・・・

この前先生と飲んでた時にちょっと出た話題なんですが、戦後暫くの間、日本で剣道が禁止されて
いた頃も、こちらの(カリフォルニア)の道場は続いていた、という話があります。
日米間がキナ臭くなってからは剣道をやる事自体、むつかしかったでしょうし、戦時中は日系は
強制収容所に入れられたりで、剣道をやるのは不可能だったと思いますが、強制的に禁止されは
しなかったそうです。それでも本家本元の日本の剣道がアメリカによって禁止されるのを複雑
かつ無念の思いで眺めているしか無かったそうで、戦後の日本剣道復活は感涙ものだったとか。

ある意味では戦前の剣道から途切れることなしに戦後剣道に移行することが出来たそうです。
先生も「聞いた話しだけど、」と前置きなさったので真実か伝説かは自分には判りません。
何か御存知ないでしょうか?なんかこれもルーツ調べみたいで申し訳ないですが。だだこちらの
道場の(SFだけでなく)雰囲気が日本が忘れた日本らしさ、を感じる時が結構あるもので。
それが(しんやさんがどこかで書かれていました)単なる外国の伝統に対する想い入れなのか、
昔の日本からの流れなのか、気になりました。

Biginner Kenshiさんは、もしかしてSHOTOKYO道場ですか?実はこの間の南北対抗でUさん
(超小柄でむちゃエネルギッシュな方)と当っちまって地獄だったんですよ〜!ありゃ韋駄天や!
[2001/04/13 03:06:24]

お名前: くに   
bigginer kenshiさん。こんにちは。

御家族みんなで剣道をされているんですね。家族の会話に共通点があって、素晴らしい
ことだと思います。うちは息子と私がやってます。家内も中学生の頃やっていたので、
話はお互いにわかるんですけど。
私の剣歴も、bigginer kenshi さんとあんまりかわりませんよ。高校の頃半年強やって、
いろいろあって辞めたあと20年以上のブランクがあり再開。それから1年4ヶ月しか経って
いない、初段ですから。
私も、インターネットでこのHPを見つけたときは、嬉しかったですね。高校の頃は、監督とか
コーチなんて居ない公立高校の剣道部ですから、先輩が教えてくれるんですが、自分たちも
良く分かって居なかったのか、あんまり技とか教えてくれないんですよね。
Hideさんは、鹿