記事タイトル:スポーツと剣道 


書き込み欄へ  ヘルプ
お名前: 田中秀太   
うるさい死ね。
[2002/07/15 15:33:19]

お名前: Hide.   
to 脱サラの農民さん

>剣道は、そこが、明確に記されていることが他のスポーツと違う事だと思って
>います。
>明確に、目標としてうたわれているからこそ、後進の道しるべとなるべく
>諸先輩方も努力できる部分があるのだと思いますが・・・。(^^;)

耳が痛いですね(^^;
私も含め、どれくらいの剣道愛好家が、「剣道の理念」めざして努力しているか
と問われたら、結果はかなり疑わしいものがあります。
ただ、常に意識にはあると思いますが・・・。


>また、その違いをこのような、お互いの意見を公平に言える場以外の場所。
>特に稽古場、道場等、先生としての立場で大声で言われる方も多いと感じて
>ます。
>それらを声に出して言われる方ほど・・・ちょっとな・・・と思う場合が多い
>ようにも思えます。

残念ですが、おっしゃる通りですね。
剣道以外の場では同じ社会人であるべきなのに、まだ剣道の権威を振りかざす高
段者のなんと多いことでしょう。「先生がお偉いのは、道場でだけですよ」と声
をかけてあげたくなります(笑)


>本来、それらはもっと内なるものであり、その姿をもって教えるべきところ・・・
>というとかっこ良すぎますが、少なくとも、指導者として強要すべき事でもな
>いと思います。

本来、教育というものは強要して教えるようなものではありませんね。「実るほ
ど頭をたれる稲穂かな」などともいわれる通り、りっぱな人に対しては自ずと頭
が下がるはずです。権威を振りかざされても儀礼的にしか礼はできません。まし
て尊敬などは・・・(^^;
ただ、私どもは指導者でもありますから、座して待っていても子供達も生徒も伸
びませんので、多少強要してでも教えて参りますが(^^)


>そういった誤った理解(というより、錯覚ですね)を防ぐ為にも他のスポーツ
>との差別化を考える必要のないところのものであると思いますけど。(^−^)

おっしゃることもよくわかりますが、指導者の立場としては、剣道の特質や徳目
をよく理解しそれに沿って指導する必要性があるわけです。良さを強調するがゆ
えの差別化から「剣道は他のスポーツと違って・・・」と言っているのであって、
剣道指導者のすべてが他のスポーツの良さを認めていないかというとこれはそう
ではないと思いますけどねぇ(^^)
[2001/05/08 13:32:59]

お名前: 脱サラ農民   
> しかし、剣道を「純粋に楽しみのためにやっている」人たちの多くがそこから学
> びうる徳目も含めたその「精神性」をも含めて楽しんでいるということにお気づ
> きではありませんか?

そうあることが理想ですね。
そうあっていただきたいし、私も、そうあってほしいと思います。

> そして長年続けて来た先には全剣連が提唱する「剣道の
> 理念」が待ち受けています(笑)

それが、自然に気がつくのであれば、他のスポーツでも
同じように得られうるものだと思います。 ←そこまで行く人は多くはないですが。
剣道は、そこが、明確に記されていることが他のスポーツと違う事だと思っています。
明確に、目標としてうたわれているからこそ、後進の道しるべとなるべく
諸先輩方も努力できる部分があるのだと思いますが・・・。(^^;)

> 私はやはり、どうしてもスポーツであるとは言い切れないんですけどねぇ(^^)

言い切る必要はなと思います。
ただ・・・全く違うといわれると、そうではないでしょ? って言う声があがるのではない
のかな? とは思っています。

剣道には、2局面があり、一般の方がはじめて行う時、その違いだけを声高らかに
言われるとついていけない、せっかくの機会を逃してしまう・・・
ということがあるのではないかと危惧しています。

また、その違いをこのような、お互いの意見を公平に言える場以外の場所。
特に稽古場、道場等、先生としての立場で大声で言われる方も多いと感じてます。
それらを声に出して言われる方ほど・・・ちょっとな・・・と思う場合が多いようにも思えます。
それらは、逆に全剣連の提唱している事を背景として(本当はズレているんですけど)
お上日の丸的感覚(言い方わるいです。・・・ごめんなさいね)で言われているように
思えてなりません。また、そのように言いやすい(言ってしまいやすい)環境であると思っています。

本来、それらはもっと内なるものであり、その姿をもって教えるべきところ・・・というと
かっこ良すぎますが、少なくとも、指導者として強要すべき事でもないと思います。

あ、生活態度や礼儀等の人間形成として必要な指導面を指しているわけではありませんので、
誤解のないようにしてくださいね。
そういった指導は当然必要です。

そういった誤った理解(というより、錯覚ですね)を防ぐ為にも他のスポーツとの差別化を
考える必要のないところのものであると思いますけど。(^−^)

多分、言葉の違い、立場の違いがあって、こんな話になってしまってますけど、hideさん
はじめ、その他の方々とはそんなに大きな意識の違いはないとおもってます。(^^)


なんか、トビと全然違う話を出してしまったような気がしてます。m( _ _ )m
[2001/05/08 02:04:28]

お名前: Hide.   
to 脱サラ農民さん

しかし、剣道を「純粋に楽しみのためにやっている」人たちの多くがそこから学
びうる徳目も含めたその「精神性」をも含めて楽しんでいるということにお気づ
きではありませんか? そして長年続けて来た先には全剣連が提唱する「剣道の
理念」が待ち受けています(笑)

私はやはり、どうしてもスポーツであるとは言い切れないんですけどねぇ(^^)
[2001/05/06 12:56:58]

お名前: 脱サラ農民   
> ほら、よく言われるのが高校野球。なんで丸坊主にしてしかつめらしくやってい
> ながら「爽やかな汗」などと言っているのでしょうね、ってなもんです。
> 「道を究めるためにスポーツをやってます」って人はいないんじゃないですか
> ねぇ・・・(^^;

それは違うと思います。
高校野球に限らず、インターハイ等の全国大会になるととたんに丸刈りが増えています。
最近は、少なくなりましたが・・・。
地区大会優勝の時までは長髪で全国のテレビの前になるといきなり丸刈りという
場面を沢山みてきました。
丸刈りがスポーツをする人の制服という全体の考え方の流れがあります。
私も「え?なんで彼が?」という場面を沢山見ました。
スポーツの楽しみかたが、おかしいのではなく・・・決して、精神論を全面に押し出して
スポーツをやっているのではなく、ほとんどの人が楽しんでやっています。
その延長線上で、丸刈りを選択している、いや、せざるをえない環境にあるのです。
地区大会のバレー、バスケット、卓球等でで丸刈りの学校が何割あるでしょうか?

上位組織と指導者の観念がそうさせている場合がとても多いです。

多くの場合、スポーツを通じて精神的な領域にたどり着く人は
はじめからそのような形式にとらわれている人は少ないです。
そのため、続けられない環境にある人は、あっさり別の道に進みます。
それも、間違ったことではないと誰もが思っていることが多いです。
ほとんどのスポーツを経験したひとが、他のスポーツの有意義性をみとめ、
さらに、そこで得られるものを認めています。
その領域にたどり着く人が大変少ないのです。
また、たどりつくことを主目的と考える人も少ないでしょう。
[2001/05/04 23:46:48]

お名前: くに   
to Hideさん

そうかなぁ…。しかし、○○道は哲学ではありませんからね。そんなものなのかな…。

今月は、頭を書誌学に切り換えないと…。失礼しました。 m(_ _)m
[2001/05/04 12:22:28]

お名前: Hhide.   
to 脱サラ農民さん
>実は、他のスポーツもそうなんですよね。
>本当は色々学べる場があるんです。
そうなんだと思います。
ただ、外国人が日本のスポーツを観たとき「精神性を追い求めすぎて、純粋に楽
しみのためにやっていないのではないか」という疑問の声が上がっているのも事
実です。
ほら、よく言われるのが高校野球。なんで丸坊主にしてしかつめらしくやってい
ながら「爽やかな汗」などと言っているのでしょうね、ってなもんです。
「道を究めるためにスポーツをやってます」って人はいないんじゃないですか
ねぇ・・・(^^;

>願うのは・・・、剣道を続ける方々が後進の指導にあたられる場合に、
>競技性の追及のみでなく、心身の成長に道しるべとなれるような
>そんな世界であって欲しいと思います。
>そこから、本当の剣道が始まることを、後の世代にも教えてあげてください。
ハイ。心して指導にあたりたいと考えます(^^)


to くにさん
>そして、このトビを読んでいるみなさん。剣道って何なんでしょう?
>お話下さいませんか? (^_^)
それってここのトピでかなりやって来ませんでしたか?(^^;
[2001/05/03 20:23:35]

お名前: くに   
どうやらみなさんの意見が集約されたみたいですね。
この先は、では「剣道」とは何か。「道」とは何か…ということになるのかな。
前に「私はトビ主になれない」と書きましたが、考えてみると、入門したての者には入門したて
の剣道観があるのですから、論議が出来ないわけではないはずなんですよね。
5月はちょっと忙しいので、トビ主になって論議を引っ張っていくわけには行きませんが、論議
は、楽しみだな…。
IMAINGさん。脱サラ農民さん。維新志士さん。親馬鹿一刀流さん。みのるさん。ひろさん。
bigginer kenshiさん。HIdeさん。そして、このトビを読んでいるみなさん。剣道って何なんでしょう?
お話下さいませんか? (^_^)
[2001/05/03 09:59:18]

お名前: 脱サラ農民   
> このように競技スポーツは延長線上であり、最高峰である必要があるのですよね。
> だからこそ「剣道は?」という所にたどり着くと思っています。
> 
> 同じ意見では無いですか?

ん・・・、納得してしまう。
その通りなんですよ。

実は、他のスポーツもそうなんですよね。
本当は色々学べる場があるんです。
でも、競技性にばかりとらわれる事が多すぎる。当然です。そういうものを目指しているのですから。
しかし、本当に大事なのはもっと色々あるんです。
獲られることが多いんですが・・・武道と呼ばれるものとの違いがそこにあるんですね。
このあたり、本当は何のスポーツをとっても・・・、その他の武道をとっても、
あるのです。
指導者と呼ばれる方々が本当に考えていってほしいいところです。
偏った勝利至上主義でせっかく得られるものを逃がしている。
そこには勝利至上主義に陥った指導者のエゴが渦巻く事が多い。

体を動かすすばらしさ。そして、競技性を純粋に追求することで得られるかけがえのないものを
最終的には会得できるように導いてほしいものです。

剣道を始めとする武道には二極面がはっきりとあります。
他のスポーツではそれが隠れたところに行ってしまってます。
気が付きにくくなっています。・・・一つのそれを続けていても気がつかない人が多い。

願うのは・・・、剣道を続ける方々が後進の指導にあたられる場合に、
競技性の追及のみでなく、心身の成長に道しるべとなれるような
そんな世界であって欲しいと思います。
そこから、本当の剣道が始まることを、後の世代にも教えてあげてください。
とっても期待しています。
[2001/05/03 02:49:25]

お名前: IMAING    URL
Hide.さん、どうもありがとうございます。
>IMAINGさんの主張は「剣道は競技スポーツではない」ということに
>要約してよろしいということでしょうか?(^^;
はい、これで結構です。

脱サラ農民さん
だから私は何度も「競技スポーツ」と限っていますよ。(^^)
>スポーツとは、身近なものである必要があります。
>一般庶民のためのものでなければなりません。
>スポーツの本質はそこにあります。
ここまでは私も全く同意見です。
で、脱サラ農民さんも書かれていますように
>競技スポーツはあくまでその延長上にあるべきものです。
>各スポーツ種目の最高峰である必要があります。
このように競技スポーツは延長線上であり、最高峰である必要があるのですよね。
だからこそ「剣道は?」という所にたどり着くと思っています。

同じ意見では無いですか?

私の結論もHide.さんが書かれたのと同じで、剣道の中にはスポーツ的な側面が
あるのも認めております。
ただ一貫して申し上げているのは「レベルが低い」事に尽きます。
(みなさんは分かって見えることでしょうが)
だから(スポーツとして)強くなる、勝つことは剣道の目的でない、ということに
つながるのでしょうか。(^_^;)
[2001/05/02 17:48:21]

お名前: 維新志士   
自分もセトさんに同意です。
剣道とは日本刀を用いた剣法の習得を通して道を学ぶ事だと思います。
従って、鍔迫り合いに逃げ込むとか足払いはダメとか組討ち無しとか、もっと言えば
手首のスナップ打ちのような今風の打突は剣道ではないと思い・・・って
これはトピが違いましたか。失礼しました。
[2001/05/02 07:36:56]

お名前: Hide.   
to 脱サラ農民さん
>一般庶民の理解外のところで発展する競技スポーツが過去あったでしょうか?
>世間一般に認められて初めて競技スポーツとしての発展があります。
この論には納得できるものがありますね(^^)



【Hide.の結論】
さて、剣道もその入門においてはスポーツとしての側面が強く意識されるでしょ
うが、経験年数が増えていくごとに、居合のセトさんがおっしゃっているような
「道」の意味合いが強くなってくるのではないでしょうか。私も下の方で述べて
いますが発祥を考えても、レクリエーションではありません。

ですから、このトピックのテーマである「スポーツか否か」という問題は、ルー
ルを決め競技が成り立つという意味から「スポーツとしての側面を持つ」とまと
めてよろしいのではないかと愚考します(^^)

ご意見お待ちいたしております(^^;
[2001/05/01 11:52:53]

お名前: 居合のセトさん   
皆様、おはようございます。
いきなり乱入して私見を述べるのも変ですが、私は極自然にこう捉えています。
剣道というのは剣術を用いて道を学ぶ事。柔道は柔術を用いて道を学ぶ事。
弓道といえば弓術を用いて道を学ぶ事。
武技を用いて道を学ぶ事を総称する場合は武道というと。
それで道を学ぶ場だからお稽古をする場所は道場です。
武技を用いて道を学ぶ場合の最大の特徴はお稽古の中で「命を的にする」という
事だと思います。
自分の命と相手の命のやり取りのお稽古を通して見出すものがあるという事です。
スポーツとひとくくりにされる中にも古来の戦場などに端を発するものもありますが、
命を的にする面を取り除く事でなりたっていると思います。
剣道を外から見ると体を動かしたり、競技を楽しめる面もありますので、その部分で
スポーツという分野に接点を持つ事が可能だという事だと考えます。
どちらがどうのじゃないのですが、現代だとスポーツ風?な意義を言う方が一般に
耳当りが良く、広く理解を得易いのでしょう。
旧幕時代でしたら、剣道の呼称を使わなくても各家でも武家は子弟教育がなされますし
藩校でも道に関しては朱子学だの大陸の教えを土台として学びますので
あえて術だけでは名称として足りないと考える必要がなかったのだろうと思います。
[2001/05/01 10:40:15]

お名前: 脱サラ農民   
> 教員はもとよりプロであろうと、ほとんどの日本レベルの(全てでは無いですが)競技者は
> アスリートとしてレベルが(技術だけでなく)低いと言うことが言いたかったわけで
> 「スポーツの経験がある」程度の人たちにスポーツの本質を語って欲しくは無いというのが
> 私の本論です。

これには全く意見が異なります。
スポーツとは、身近なものである必要があります。
一般庶民のためのものでなければなりません。
スポーツの本質はそこにあります。
競技スポーツはあくまでその延長上にあるべきものです。
各スポーツ種目の最高峰である必要があります。
一般庶民の理解外のところで発展する競技スポーツが過去あったでしょうか?
世間一般に認められて初めて競技スポーツとしての発展があります。
「スポーツの経験がある」程度の人たちが語るからこそ、色々な意味で注目され
発展していくのではないでしょうか?
剣道であれ、他の競技スポーツであれ、その本質がどこにあろうと、
誰もがそれについて語れ、親しみ、そして入っていく。
そうすることにより、裾野が開かれ発展していくのではないでしょうか?
[2001/05/01 03:19:18]

お名前: Hide.   
to IMAINGさん
私の方こそ文意を読み取れず失礼いたしましたm(_ _)m
ということはIMAINGさんの主張は「剣道は競技スポーツではない」ということに
要約してよろしいということでしょうか?(^^;


to 維新志士さん
ありがとうございます。
昨日、近所のパソコンショップ(チェーン店)に行って見ましたが、件のDVD
はありませんでした(;_;)
いやぁ、早く見たいですねぇヽ(^.^)ノ
[2001/04/27 09:35:51]

お名前: 維新志士   
to Hide.さん
昭和の剣豪のビデオ板はDVDの略化されたやつです。ちなみに伊保先生や奥山先生は
個別では取り扱われてはおらず八段範士優勝大会のシーンからのピックです。
DVDだと東京剣道際の模様なども収録されています。個別のピックは自分の記憶が
正しければ、森寅雄先生、高野孫二郎先生、中倉清先生、乳井義輝先生、持田盛二先生
だったと思います。
[2001/04/26 21:35:11]

お名前: IMAING    URL
やはり言葉は難しい。(^_^;)

Hide.さん
>>「ほとんどの、この剣道の経験を積まれている方」というのがイコール「他の
>>スポーツ(私の言う競技スポーツ)の経験がほとんど無いことが多い」と言う
>>ことですよね。
>そんなことはありませんよ。今の全剣連の用具委員や規則委員の方の多くは、大
>学の教員です。この方々は。剣道がご専門には違いありませんが、他のスポーツ
>の経験がほとんどないなどということはありません(^^;
私が言っているのはこの事です。
教員はもとよりプロであろうと、ほとんどの日本レベルの(全てでは無いですが)競技者は
アスリートとしてレベルが(技術だけでなく)低いと言うことが言いたかったわけで
「スポーツの経験がある」程度の人たちにスポーツの本質を語って欲しくは無いというのが
私の本論です。
難しいですね、うまく言えないし言葉にすると正しく伝わらない気がしますし(^_^;)
「楽しむ剣道」「道を求める剣道」「勝ちたい剣道」などいろいろあるように
スポーツにもいろいろ有ります。
で、私がスポーツとして話しているのはその中の「競技スポーツ」の分野に限定して
お話をしてきたつもりですが、なかなかご理解いただけないようです。(^_^;)
[2001/04/26 16:42:17]

お名前: Hide.   
to 維新志士さん
「昭和の剣豪」ですか。DVDではありませんが、ビデオで同名のタイトルのも
のなら知っています。でも、伊保先生や奥山先生はでてこなかった思いますから、
別バージョンかも・・・。ぜひ探して購入したいと思います(^^)

>それと、どなたか戦前の剣道が詳しくどういうものか知ることの出来る資料知
>りませんか。
私も興味ありますねぇ。資料というと、映像でなくても構わないのでしょうか?
書籍であれば、色々なものがでていると思いますが・・・(^^)


to IMAINGさん
>「ほとんどの、この剣道の経験を積まれている方」というのがイコール「他の
>スポーツ(私の言う競技スポーツ)の経験がほとんど無いことが多い」と言う
>ことですよね。
そんなことはありませんよ。今の全剣連の用具委員や規則委員の方の多くは、大
学の教員です。この方々は。剣道がご専門には違いありませんが、他のスポーツ
の経験がほとんどないなどということはありません(^^;


to くにさん
>もっと論議を押し進めていくとしたら、それじゃぁ剣道って何じゃということ
>になっていくのかな? 結構むずかしい話になりそうですね。
一HPで論議するような内容ではないのかも。ぜひ、このあたりを参考に、全剣連でも「21世紀の剣道の理念」というものを明確にしていってほしいと思います(笑)

でも、今の「理念」や「修業の心得」を読めば、全剣連は剣道をスポーツとして
考えていないのは明確ですね(^^)
[2001/04/26 09:02:02]

お名前: くに   
to IMAINGさん

>>剣道=スポーツ論は実際には不要だと思います。そのとおりです。でもくにさんお望みな
>ら、剣道=スポーツだの立場でディベートしても良いですよ。
>(言葉遊びになってしまいますが)

こりゃぁ私の発言じゃありませんよ〜。
まぁ、いいんじゃないですか、このへんで…。私も、言いたいことはだいたい書いたから。
(回転寿司の例は失敗だったけど)
ただ、剣道=スポーツと思ってやっている方って、そんなに少ないとは思えないんですけどね。
建前で武術と言っているような方が、案外居るような気が…。Hideさんも、その辺はわかっていて
ご意見を書いて居られるようですが…。だから、脱サラ農民さんのような主張が、もっと出てくるかと
思ったのですが、出ませんでしたね。
もっと論議を押し進めていくとしたら、それじゃぁ剣道って何じゃということになっていくのかな?
結構むずかしい話になりそうですね。
私は、再開して日が浅いから、トビ主になると、みなさんの打ち込み台になりそう…。
自分の理念の中に剣道があるといったところですからね。

to 維新志士さん

仰有るように、戦前の剣道は剣術の流れを汲んで実戦的なところがあったと思います。
軍隊の剣道では、戦術として引いても怒られたそうですし、当てるのでなく、切り落とすような
打ち方をさせられたようです。
戊辰戦争以来の戦争に従軍し、実際に相手を切った剣士も存命だったでしょう。
私も、剣道を再開してから調べてみたら、剣道に関する著作がかなり出ていることに驚きました。
「剣道日本」や「剣道時代」「武道」なんて雑誌のバックナンバーを読むだけでも大変です。
浅学な私に、維新志士さんの求める本を御紹介する力はありませんが、そうした膨大な資料を
眺めていると、見えてくるものがあるようにも思います。
ここのHPも勉強になるし、自得することもあると思いますが、先ずは雑誌でも御覧になっては
いかがでしょうか?お求めの問題の糸口があるかもしれませんよ。
[2001/04/25 23:33:51]

お名前: IMAING    URL
私の言いたい事はかなり書き尽した感がありますが、1つだけ(^_^;)

>剣道=スポーツ論は実際には不要だと思います。
そのとおりです。
でもくにさんお望みなら、剣道=スポーツだの立場でディベートしても良いですよ。
(言葉遊びになってしまいますが)
>剣道≠スポーツと考えられている方々が多い事も理解しました。
>色々価値観があることは良いことだと思います。
>しかし、その価値観が剣道の経験を積まれている方ほど剣道以外
>(この場合、武道以外といったほうがよろしいのでしょうか?)
>のスポーツと剣道は別のものだと言われる現実に直面します。なぜでしょうか?
ここで、私が口をすっぱくして言いつづけているのは「ほとんどの、この剣道の経験を
積まれている方」というのがイコール「他のスポーツ(私の言う競技スポーツ)の経験が
ほとんど無いことが多い」と
言うことですよね。
だからトップが頭の固い協会になり、柔軟性が無いので進歩しにくい。
日本のスポーツというレベルでは他の分野でも実は五十歩百歩ですが。(^_^;)

だからこそ、スポーツであってもなくても脱サラ農民さん(うーん素敵なHN(^^))の言われるような
底上げや向上のためにそういった勉強をして欲しいものです。
[2001/04/25 17:31:33]

お名前: 維新志士   
剣道には、大悟、というものが存在するはずです。つまり、教えてもらわないで知ることです。
つい最近のはなしですが、自分は現在山の中で道場も行けず、練習相手もおらず、
という状況でぼんやり木刀を握って山を眺めてますとふと巻き落とし技のコツがわかった気が
しまして、さっそく友人に木刀で打ちかかってもらったところ、相手の木刀をみごとに飛ばす
ことが出来ました。無論、これは約束組手みたいなものですし、得物は木刀なので剣道で
同じようにいくとは限りませんが、一応、妙意を得たわけです。

皆さん、DVDで「昭和の剣豪」を見たことがおありでしょうか。実は自分は居合の先生に
勧められたからといって剣道をやるかどうかは結構迷いました。そこで、1本参考のために
購入したところ、内容に感動し、剣道を始める決心をいたしました。
その内容は今の手首のスナップ打ちのような面でなく、どうどう振りかぶって面をまさに真剣
で切ったような伊保先生や相手の竹刀を巻き上げてしまった奥山先生、
70歳にして30〜40代の6、7段の剣士を全く寄せ付けない中倉先生や持田先生など、
多数の有名剣士を紹介しているフィルムです。そこで、はじめて剣道は武道である、
とハッキリ認識しましたし、そういう先生方には常に真剣が想定されておりました。
実際に切り合う云々というよりも、そういう魂が剣道で磨かれたから技も切っているよう
になる、と思いました。このあたりは今の剣道の先生方や稽古からはなかなか見ることの
出来ないものだ、とも思いました。また乳井先生のインタビューのところなど、
今の自分の剣道観に大きく影響しているとも思います。

だから何だ、と言われても説明はできません。この上記2項が自分が剣道は武道であるべき、
と思う理由ではないか、とただ感じるのです。

それと、どなたか戦前の剣道が詳しくどういうものか知ることの出来る資料知りませんか。
あれば、教えて下さい。お願いします。
[2001/04/25 15:17:04]

お名前: Hide.   
to 脱サラ農民さん

>しかし、その価値観が剣道の経験を積まれている方ほど剣道以外
>(この場合、武道以外といったほうがよろしいのでしょうか?)
>のスポーツと剣道は別のものだと言われる現実に直面します。なぜでしょうか?

たしかにそうですね。
ただそれを、「長年愛着をもって取り組んできてそれなりのステイタスを持って
いるがゆえの身贔屓」という見方はしてほしくないと思います。

剣道を勉強してまいりますと、そこにある種の哲学が存在することに気がつきま
す。これは、「歴史的にどうこう・・・」とか「思想的に・・・」なんていうの
とは別次元です。けっして、精神論を振り回すのではなく自分自身、「いわゆる
スポーツと考えたときに納得のできない事象」に多々、出くわすんです。それが
「剣道は他のスポーツと違って・・・」という言葉になってくるんだと思います。
ろくすっぽ具体化できていないにも関わらず、です。私もその一人でしょうが・・・(^^;


>本来、スポーツは,体を動かすという人間本来の欲求にこたえ、爽快感、達成
>感、他の人との連帯感等の精神的な満足感を与え、健康の保持増進,体力の向上
     (・・・後略・・・)

たしかに脱サラ農民さんが列挙されたようなことは、すべて剣道にも当てはまる
ものですね。でも、何度も述べますが、それは剣道の持つスポーツ性であり剣道
の全体から見たら、ホンのわずかな部分でしか過ぎないのです。
ある物事の一側面だけをとらえてそのすべてがそれとイコールであると断じるの
はいささか乱暴なのではないでしょうか(^^;
[2001/04/25 09:40:41]

お名前: 脱サラ農民   
ちょっと辛口になってしまいますが・・・・
くにさんのご要望にお答えして・・・。(^^;)

剣道=スポーツ論は実際には不要だと思います。
剣道≠スポーツと考えられている方々が多い事も理解しました。
色々価値観があることは良いことだと思います。
しかし、その価値観が剣道の経験を積まれている方ほど剣道以外
(この場合、武道以外といったほうがよろしいのでしょうか?)
のスポーツと剣道は別のものだと言われる現実に直面します。なぜでしょうか?

本来、スポーツは,体を動かすという人間本来の欲求にこたえ、爽快感、達成感、
他の人との連帯感等の精神的な満足感を与え、健康の保持増進,体力の向上にも
寄与するものです。
さらに子供にとっては、身体の基礎、運動に生涯親しむ態度、健康的な生活習慣
などの育成とともに、仲間との交流、スポーツマンシップにのっとった行動、
目標に向けての計画的な練習とその達成のための努力などを通じて人間形成に役立てるものです。
こういった観点からすると、剣道と他のスポーツとの大きな違いが私にはみつかりません。

また、競技スポーツは、競技水準の向上を主な目的として行われるものであり,
自己の可能性の追求や極限への挑戦といった最高度の競技性を求めていく視点に立った
スポーツの楽しみ方と言えます。
このようなスポーツのフロンティアを切り拓いていく競技スポーツは、
競技を行う人のみならず、競技を見たり、応援したり,競技大会の準備・運営
を支えることなどを通じて、すべての人々がその素晴らしさを享受できるものです。
特に,選手たちの極限へのひたむきな挑戦、その結果として生まれる記録は、
見る人の多くに大きな夢と感動を与えるとともに、次代を担う青少年のスポーツに対する
興味や意欲をかき立て、スポーツ全体の普及・振興、さらには、青少年の健全育成にも
役立てるものです。

さらに,スポーツは,同一ルールの下、言語の壁を越えて世界共通に行えるものであり
国際競技大会への参加や様々な交流活動を通じて諸外国との相互理解や友好親善、
にも大きな役割を果たしていると思います。

競技人口の違いがあるかもしれませんが、現在では剣道も同じ側面を持っているのでは
ないでしょうか?

はあ・・・・疲れた。(^o^;)
[2001/04/25 02:19:59]

お名前: くに   
親馬鹿一刀流さんやみのるさんも登場して、さらに論戦もレベルアップしたし、私の主張は
もう言い尽くしたので、聞き役に回ろうかな…。
Hideさんの懸念は、わかるけど、一部の古武道のような運命をたどるかなぁ剣道が…。
まぁ、庇を貸して母屋を取られるようなことになっては、確かに困りますけどね。
どうも、剣道をスポーツと主張する方が現れて、堂々と趣旨を述べないと、このままの流れで
終わりそうだな…。このムードの中で、それを主張するのには、かなり勇気が必要でしょうが。

おっと、こんな時間だ。これで終わります。失礼しました。
[2001/04/24 23:49:18]

お名前: IMAING    URL
みなさん、いろいろご意見ありがとうございました。
考え方の違う方も、同じ方向を見ている方もいろいろ見えて面白かったです。
剣道が好きなら何でも良いのですが、またテーマを絞って議論を深めていきたいですね。(^^)

親馬鹿一刀流さん
>具体例(昨日習った事です)試合規則
>スポーツは、ルールギリギリのプレイを賞賛する傾向にある。
>例:テニス等のラインギリギリのサーブ。バスケットの3歩まではボールを持って移動できる
>事その他。
>剣道は、ルールギリギリの試合(稽古)をして一本取っても賞賛されない。
>姿勢を崩した打ち、場外反則を狙った体当たり、暴力的な行為その他。
連盟もなかなか良いことをしていますね。
ただやはりこの中での「ルールギリギリのプレイを賞賛するのがスポーツ」という見方には
自分の視点でしか物を見られない人種の偏見のようなものが感じられます。
いわば民間の経験の無い公務員で組織された官僚組織のような、ですね。(^^)
この見方は一面は捉えていますが、これだけではありません。
つまり真の競技スポーツと言うのはルールだけでなくいろんな意味でギリギリ(限界)を目指すものだと
言うことです。
そういう意味においては剣道でも限界の稽古やギリギリに攻めで追い込まれた際の、「捨てた打ち」が
良いものであるという認識もあるのではないでしょうか?
本当はそんなことではなく、何が強いと言うことなのかなどの方法論が確立されていないというのが
剣道の、いや多くの日本人のスポーツに対する認識の低さだと思います。
1本という基準が本当に明確になったときに、はじめて剣道はスポーツに昇華できるのかも知れませんね。
ただ、その場合は1本が決まる試合など何年かに一度くらいしかお目にかかれないかも(^_^;)
(誤解の無いように繰り返しておきますが、私は剣道がスポーツになる必要は無いと考えてますよ)

Hide.さん
柔道の世界は分かりませんが、この間のシドニーで見られたように日本の連盟?は剣道と同じく
スポーツに対する考えが甘そうですね。
あれが誤審であったとしても、Judoのルールには「審判の判定で勝ち負けが決まる」とありますし
「判定に不服がある場合はコーチが両選手が去る前に申し出る」とある以上、そのルールを無視しておいて
あとで「誤審だ」「武道家なら正々堂々とすべきだ」などと言うのは負け惜しみを通り越して
恥ずかしくもありました。(T_T)
[2001/04/24 20:25:27]

お名前: みのる   
親馬鹿一刀流さん

 >昨日剣道連盟の講習会に出席させて頂き色々勉強させて頂きました

そうでしたか、実は私も参加いたしまして大変有意義な二日間を過ごしました。
前から講習会の話題が出ていればお稽古をお願い出来たかもしれず残念でした。
このスレッドのご意見はみなさんそれぞれ剣道に対する思いが違うのだなと考
えさせられます。私の場合は初めからスポーツとしては剣道の稽古をしており
ませんで、他にスポーツとしてはテニスをやっておりました、もう歳でリタイ
アしましたが40代までは毎年春〜秋にはいろんな試合に出ていました。練習
は勝つ為に毎日のようにやりましたが、デモンストレーターみたいにきれいに
ボールを打てても勝たなきゃ何の意味もない世界です。格好がわるかろうがど
んな打ち方であろうが、勝てば官軍、勝つことが最上級ですから。相手に勝つ
ことが必ずしも最上級ではないところが剣道はスポーツではないと言われる所
以かとも思います。でも私は剣道そのものをよく理解した上で剣道もスポーツ
に属するのだとする分には一向にかまわないと思います。しかしながらオリン
ピック種目にするのにはなじまないのではないかと思っています。(^_^)
[2001/04/24 16:43:59]

お名前: Hide.   
to くにさん
僕が言いたかったことは、IMAINGさんが書かれている「将来の子供たちがコムド
やKendoがスポーツで古流として「剣道」をやる人がいるなんてことになって欲し
くは無い」ということなんです。ダブルスタンダード論は理解できなくもないの
ですが、どちらが取っつきやすく楽しいかは「競技(スポーツ)としての剣道」
にほかならないと思われるんです。外国の人たちも、「応援は拍手のみで」「ガッ
ツポーズ禁止」なんていう小難しい剣道よりも、大歓声をあげられ、勝った選手
が派手にパフフォーマンスし勝利を鼓舞する「Kendo」に飛びつくことでしょう。
あたかも「柔道」が「Judo」になってしまったがごとく・・・。

ちなみに、柔道家のみなさんは、「Judo」をどうお考えなんでしょうねぇ・・・?(^^;


to 親馬鹿一刀流さん
IMAINGさんの「(剣道は)競技としてはレベルの低いスポーツだ」と親馬鹿一刀
流さんのカキコによって、かなり剣道の持つスポーツ的要素とそれ以外の部分が
具体化してきたように思われます。どうもありがとうございますm(_ _)m 民族
主義を持ちだすより、はるかにわかりやすいですね(苦笑)

でも、こうした内容を連盟の講習会で、ですか? いやぁ、剣道連盟の講習会も、
最近は高度な話をするようになったんですねヽ(^.^)ノ
私が埼○県の講習会に出ていたころは、審判と剣道形の講習しかしませんでした
けど・・・(^^;
[2001/04/24 08:55:11]

お名前: 親馬鹿一刀流   
こちらのテーマについて私の考えの結論は、「剣道はスポーツの要素が一部はあるが、スポーツ
ではない」です。

昨日剣道連盟の講習会に出席させて頂き色々勉強させて頂きました。
こちらのテーマに関係のある事も多くありました。

それらの事を含めて書かせていただきます。

1.競技スポーツの観点の考え
前に別項でHideさんが書かれていた事で、「試合は剣道全体の2割」という事、その通りと思
います。それで、8割の内、3割くらいがスポーツにも剣道にも共通する物があるのではと思い
ます。
(例えば、相手を尊重する礼儀、健康促進、試合とは離れた所での競技そのものの楽しみ等)
残りの5割(5割と定義して良いか分かりませんが)は剣道だからこその物があると思います。

具体例(昨日習った事です)試合規則
スポーツは、ルールギリギリのプレイを賞賛する傾向にある。
例:テニス等のラインギリギリのサーブ。バスケットの3歩まではボールを持って移動できる事その他。
剣道は、ルールギリギリの試合(稽古)をして一本取っても賞賛されない。
姿勢を崩した打ち、場外反則を狙った体当たり、暴力的な行為その他。

2.剣の理法の重視
竹刀で行う競技(スポーツ)と考えれば、2段打ち3段打ち。外れたからもう一本。小手の握り
だから一本にならない。首を振って肩に当たっても一本にならない。鍔迫り合いをする事も良い
のでしょうが、ある段階にきたら自らそれらを嫌うようになる。

3.剣道は自己修練の要素が強い
剣道は打った打たれたもあるが、稽古の中で自分が目標とする内容にこだわるところがある。
打って反省、打たれて感謝の気持ち。また、あえて打たない。気持ちが動いたか動かなかった
かを大事にする所がある。
剣道の稽古以外に普段の生活、目に見えない所でも、自分を律する精神的な所がある。

うまく表現できないので、5割の違いを書き尽くしてはいませんが、剣道の経験者なら分かっ
て頂けると思います。
剣道の修行過程で、2割の試合の部分、運動としての楽しみがほとんどの方も多い(外国人も
含めて)と思いますが、やはり一般的に捉えられているスポーツとは違うと思います。
私は、少年指導をしていますが、試合(競技スポーツ)に強くなる事だけが剣道の目的ではな
い事を指導していきたいです。
[2001/04/23 22:21:35]

お名前: IMAING    URL
みなさんお久しぶりです。
くにさんのご想像通り、週末はスイスとの国境あたりまでMTBのレースに行ってきました。
結果はおいおい私のHPにアップしますので、興味のある方は見てください。m(__)m
(剣道ネタも進めないといけませんね・・・・自己突っ込み^_^;)

まずスポーツについてですが、どうも私の書き方がうまくないようで理解されにくいですね。
確かに剣道は競技という側面がある以上、スポーツの範疇に入ると言って良いでしょう。
ただ、私が言いたいのは「競技としてはレベルが低いスポーツだ。」ということです。
くどいかもしれませんが、だからくにさんの言われる
>大会に出て上位の成績を残すことに全精力を使っている道場を見ると、これは私の思っている
>剣道ではなく、競技(スポーツ)としての剣道をやっている人達なのじゃないかと思えてしまうので…。
という人たちには、上位の成績を残すため・勝つためにやるなら「剣道」よりももっと勝ち負けが
わかり易くルールも(そういう意味で)整備された競技を行うべきだ。
というのが私の考えです。前にも書きましたように、確かに剣道はスポーツとして見るとお粗末ですが私はそれで良いし
それが剣道が剣道であるための良さでもあると思っています。
だからオリンピック化や新競技「Kendo」の誕生など冗談ではないです。
Kumdoもしかりですね。
ただそこまで競技スポーツの世界を知らない「剣道家」やその周囲の人たちが、ただ剣道人口を
増やしたい、広めたいとかまた競技で勝ったり昇段審査ががないと稽古を続ける目標を維持できない
「誤った」考えのつまり精神的子供の人たちの「剣道オリンピック化」論に強く反対するもので
ここまでの私の意見はそれの付随事項です。

世界大会は剣道ですからあれでよいでしょう。
あれでも見て思うのは、日本や韓国の選手がもっとも本来の「剣道」から乖離しているようにも
見られるのが寂しいですね。

最後に「回転寿司」です。(^_^;)
初期は確かにくにさんの言う通り、安いネタをロボットで握って客もネタも回転が早い。ってのが
売りだったのですが、やはり消費者は欲張りなものでだんだん高級嗜好になってきました。
そして今では本物の職人が産直のネタを握る店が増え、従来の安さだけの回転寿司は淘汰されてきています。
当然本物の?寿司屋もファミリー客は減る一方で、今は組合も回転中心だとか?
市場論理はこう言ったものだと思います。
テコンドしかり、コムドもまた将来の子供たちがコムドやKendoがスポーツで古流として
「剣道」をやる人がいるなんてことになって欲しくは無いですね。
[2001/04/23 18:28:02]

お名前: くに   
to ひろさん

私は、スポーツと誤解されるんじゃなく、スポーツ剣道があってもいいと思うんですけどね。
それは、「剣道」じゃないと言われれば、別の名前にしてもいいと思います。スポーツチャンバラ
と剣道の中間くらいの競技かな…。
大会に出て上位の成績を残すことに全精力を使っている道場を見ると、これは私の思っている
剣道ではなく、競技(スポーツ)としての剣道をやっている人達なのじゃないかと思えてしまう
ので…。

to 脱サラ農民さん

剣道=スポーツ論を展開して下さいよ。(笑)

to HIdeさん

>「剣道」には「剣道」として広まってもらいたいのであって、「Kendo」としてスポーツ化さ
>れたものは「剣道」ではありませんよ。それならいっそ、「Kumdo」
>がオリンピック化されたほうが気持ちイイくらいです。あ、これは極論ですが(^^;

私、基本的にHideさんと考えが違うとは思ってないんです。
国際競技としても、「世界剣道…」なんかは、今のルールのままで残して欲しいと思ってます。
これは、このルールに同調できる国や地域の「剣道」愛好家の大会として。
全精力を出して戦うのはいいのですが、勝敗にこだわる余り、汚い手を使ったり、自分たちに
有利になるようなルール改変など行わない。勝っても負けても、打たせていただいた相手に
感謝する気持ちを忘れずに、礼節を重視すれような、終わって、勝っても負けても、すがすがしい
気持ちで帰ってこれるような大会として残して欲しいと、思うのです。

さて、オリンピックに代表されるような、スポーツ大会ですが、IOCのような、主催者の都合で
改変が行われる事があります。各国に公平に一票を与えるというような運営が行われてもいます。
スポーツとしては、そうした運営でいいのだと、私は思います。
そうすると、剣道というものがいじられて、その精神を見失ってしまうものになりかねない。
…その通りだと思います。それは、今の剣道の、スポーツとしての一面を抜き出して行う競技
だからです。だから、韓国の剣道会の会長さんが「KOMDO」をオリンピック競技にしたいと言うなら、
そうしてもらえばいいと思うのです。

ちょっと、お寿司の話をします。
回転寿司が出始めたころ、普通のお寿司やさんは、大変驚異に思ったそうです。お客さんがみんな
取られてしまうのではないかと心配したんですね。
ところが、現在では、余り心配していないようです。
なぜか?
お寿司のネタが違ったのですね。今では、けっこういいネタを使う回転寿司もあるようですが。
お値段に合わせたネタを使ってくれることで、子供達にとって、お寿司というものの入門篇の
役割をになってくれた。
そして今、回転寿司と普通のお寿司やさんは共存状態です。

私は、スポーツとしての剣道と、自己研鑽のための剣道は、今でも共存しているように思います。
その、スポーツとしての剣道が国際競技として行われていてもいいのじゃないかと、思うのです。
[2001/04/23 15:09:37]

お名前: Hide.   
なるほど、くにさんとひろさんがおっしゃられるように、日校生の民族意識を持
ちだして日本の若者と比べるのは間違いのようです(^^;

ひろさんがおっしゃるように、この問題は誤解を招きやすいですね。とくに日本
では「ナショナリズム(愛国心)=軍国主義」といった風潮が根強いですから、
私が考えているようなことを実践していくことは難しいのかもしれません。でも、
我々の心が常に故郷の原風景を希求するように、日本人の魂は古の日本文化(民
族の魂)を希求するものと思いますが・・・(^^)

ま、ナショナリズムと剣道の話はこのトピックからそれますから、このへんで打
ち切りにしますか・・・。あ、自分で持ちだしておいて申し訳ありません(^^;


to くにさん
>私も、仰有ることわかります。だからダブルスタンダードにするべきだと思う
>のです。
それがイヤなんです(笑)
「剣道」には「剣道」として広まってもらいたいのであって、「Kendo」としてス
ポーツ化されたものは「剣道」ではありませんよ。それならいっそ、「Kumdo」
がオリンピック化されたほうが気持ちイイくらいです。あ、これは極論ですが(^^;

むろん、今の「剣道」が必ずしも理想的な競技かというとそうではないと思いま
すし、試合審判規則にもより考えていかなくてはいけないことがあるでしょう。
ただ、「国際化のため」「オリンピック種目にするため」「テレビの前の視聴者
に分かりやすくするため」の改革には賛成しかねます。

様々な目標をもって剣道に取り組んでいらっしゃる方の存在を認めつつも、「剣
道」は「剣道」を真剣に学ぶ人たちのために歴史と哲学に基づいて改革・改良さ
れ、21世紀によりすばらしい文化として継承されていってほしいんです(^^)
[2001/04/23 11:25:40]

お名前: 脱サラ農民   
随分、RESが遅くなってしまったので、どうしようかと躊躇していましたが、
一応、お答えしとかないといけないかな?って思いまして・・。(^^;)

IMAING さんの言われたことについて・・・
> 剣道は「右手前、右足前」の形が基本です。
> これは人間の日常生活から考えると不自然では無いですか?
> 理想的な動きとはやはり「バランス」に尽きると思います。
> その中で、直線的な動きを良しとする剣道は(それだけではないですが)必ずしも理想的とは
> 私は思っていません。

話は、生涯スポーツ・故障についてのことでしたよね。
人間の動きに不可欠な物は、間接と腱です。
この間接と腱を痛めることが他のスポーツでは多いです。
剣道には、この間接と腱に過負荷となる動きがなく、さらに防具と竹刀を握る
ことによって矯正され、故障に結びつきにくくなっていると言えます。
筋力の充実している時期には筋力が腱の補助をしていますが、
筋力の衰えとともに、腱への影響が顕著になってきます。
 ・・・・・私はそれで膝がボロボロになりました。(−−;)
剣道にはそういった無理が少ないという意味ですので、
現代の生活と同じ動きかどうかは、おっしゃるとおり違う部分もあるでしょうね。

Hideさんの言われた事・・・
> 私は「誤った精神性を振り回すと教育的に弊害がある」と考えておりますが(^^)
その通りだと思います。
体と心の形成段階である時期に、「精神論」だけを唱え、逆に
子供の心を「ズタズタ」にすることがあることを注意しなければならないでしょうね。
特に成長期の体を完成した大人の体と同等に考え稽古することは故障の原因ともなります。
一番大切な時期の無理による故障は心にも傷跡を残しかねません。
不幸にも故障した場合にはそのあとの十分なケアが必要です。
そのあたりを全て「精神論」だけで終わらせるようなことは絶対あってはなりません。

体が出来上がり、一人の社会人として生活している大人同士の「精神論」とは全く別です。
大人は自分に無理な「精神論」が展開されれば拒否することもできます。
また、「精神論」を否定しては社会生活が成り立たない部分も多いです。
人間形成期、特に肉体形成初期の子供教育に無理な「精神論」があってはならないと思います。

民族主義に関しては、感情的な話題をなりやすいので、コメントは
控えさせていただきますね。(^^;)←逃げてる
[2001/04/23 02:07:17]

お名前: ひろ   
 う〜ん、このあたりはやっぱりというかなんというか、完全に価値判断の領域に入って
くるし、Hideさんの言われるように、こういう掲示板で、互いの言葉を誤解する可能性
がある状態でやりとりをするにはあまりにもナイーブな話題なのかもしれません。その
意味ではこのやりとりは最初から限界があるかもしれませんね。

 なるべく簡単な言葉を用います。ナショナリズムがそれ自体として排外的なものか
どうか、という問いかけをされました。これ自体はニュートラルなものです。ただ、
これがニュートラルであり続けるには、他の国の人も他の国の文化があって、相互に
尊重している、或いは文化的な優劣意識を持ち込まないということが大前提になり
ます。それをひっつけて自国への愛着を持つんだったらそれは構いません。が、
それをひっつけて教えないと、「自国は特別なんだ」という意識だけが先行する恐れ
があります。

 また、日本のナショナリズムの特質として交戦性、排外性があるかという問いかけ
については、現在、それ自体としては「無い」。これは無いと思います。ただ、過去
の歴史的経緯を強く意識している人達からすると、「いや、あった」という意識は強
いわけです。逆に言えば、日本でも原爆や沖縄関連の利益団体が相当ありますが、一
般的に言って、やったほうは忘れていてもやられた方は覚えているわけです。このあ
たりは理解しておかないと、余計な騒乱が起こる。その時に「今は無いんだからいい
がかりだ」なんて言おうものなら、歴史的正統性の影に隠れた被害者意識が全面に
出てきてしまう。こんなものはさっさと処理したほうがいいんですが。

 また、朝鮮民族のナショナリズムについて言えば、朝鮮民族の場合はそうでもしな
いと、自国のアイデンティティを保てないという問題が常に付きまとう。まして在日
朝鮮人の方々は、自分達以外は、極端な話他国人という環境の中で、なんとかアイデン
ティティを保つためには、民族意識を強くもつしかない。これは、アメリカの日本移民
の間で柔剣道が盛んだったということと軌を一にしています。逆に、在日朝鮮人の方
などからすれば、「日本人は、日本人という『自明性』の中で生きているから、民族
意識は、問われなくても既に浸透している」という考え方を持っているわけで、ストレ
ートに並べるのには少し事情が異なります。

 ついでに言っておけば、他ならぬ剣道についても、韓国人は「剣道の起源は自分達に
あり」なんてことを堂々と言っています。これは完全にナショナリズムから出てくる
もので、そうでなければこんな正統性論争なんてする必要はありません。ナショナリズム
そのものは価値中立的なものであっても、常に偏見を助長し、正統化するのに利用されや
すい道具だという事実にナイーブであってはまずいと思います。

 また、これだけ経済諸要素や文化要素が流動的になると、国家ありて国民ありき、
という国家共同体主義的な考え方は、他の国でも全てを覆い尽くすことは難しい。
ただ、いろいろな要素が流動的になる中で余計にナショナリズムや地域主義に訴え
るようなことは現在でも出てきています。こういうナショナリズムは、Hideさんの
嫌がる排外的な代物です。問題はこういうものが出てきたとき、いろいろ手を打って
おかないと、それこそ「(1)成美堂、スポーツ図解コーチ、剣道」のような
考え方とストレートに結びつけられてしまう恐れがあるわけです。

 いろいろ書きましたけれど、要は、「そういう事実」ではなく「そう思われる」事
のほうが現在では問題です。本質的にはそうではなくても、そう「思われた」瞬間に
いろいろな誤解が生まれる。そんなものは捨て去っておけ、とサクっといえるような
時代ではない。かなり怖いことなんですけれど。
[2001/04/22 17:01:27]

お名前: くに   
すいません。遅ればせの参加です。

to IMAINGさん

私も、仰有ることわかります。だからダブルスタンダードにするべきだと思うのです。
なにもオリンピック競技になったら、国内の剣道までその基準でやらなくてもいいでしょう。
オリンピックに出たい剣士は、追加メニューでそれ用の稽古をすればいいと思いますけど。

世界剣道は、いまのまま。日本の剣道のルールでやればいいのです。
どうも私は、オリンピックが権威化しているのが気に入らないので、「KOMUDO」という競技を
オリンピックでやりたいというならそれでいいじゃないかと思ってしまうんですよね。
そのかわり、それは「道」ではなくスポーツなのだから、ルールも明確にするし、勝敗がはっきり
テレビの前の視聴者にもわかるように、衣装も赤やピンクもOKと、大相撲のまわしのようにし、
できれば、フェンシングのように、有効打突部位に当たればランプがつくようにするとか、とにかく、
見せ物としてのスポーツの要素が、ふんだんに盛り込まれてもいいようなものにすればいい、と
思うんですけどね…。 過激でしたか?

to Hideさん

立礼がいつ頃できたのか知りません。
高校の頃、茶道部で江戸千家のお茶を習っていて、文化祭の時「野点(のだて)」と称して屋外
に縁台をしつらえ、椅子に座って点前をしました。
やり方は、平点前という、一番基本的なやつでしたが…。
そして、それが「立礼(りゅうれい)」と言うのだと教わりました。
もっとお茶に詳しい方が居られたら、教えていただきたいですね。

to bigginer kenshiさん

行き過ぎた精神主義ですか…。そうですね。行き過ぎはいけませんね。
私は、剣道は自分の為にやっているんですよね。だから、自分に必要だと思ったら、厳しい稽古
でもやりますし、必要ないと思えばやりません。
これからは、大会や試合が多くなる季節ですが、私は試合で勝ちたいと思ってやってるわけでは
ないので、先生から誘われてもお断りしています。
道場も、今行っているところで修行させていただくのが、自分にとってプラスになると思うから
行っているので、得るものがないと思えば、変わるだろうと思います。
息子の道場も換わらせましたが、同じような理由です。
はじめは、こういう考え方はしませんでしたが、今はそうです。

剣道をやっていれば、日本が分かるのかというと、私は「NO」だと思います。
剣道を通じて、いろいろな方と巡り会い、本を読んだり調べたりして勉強し、はじめて日本への
理解も深まるのだろうと思います。ただ竹刀を振るだけでは、何も見えてこないと思っています。
これは私個人の考えで、人に強制するものではありませんが、多くの方に、剣道だけではなく、
日本を理解するためのいろいろな分野への勉強も、始めていただきたいと、願ってはいます。

五言絶句ですが、韻を合わせただけではだめなんですよ。平仄と言って、声調を整えなくては
いけないんです。律詩は、さらに二句毎に「連」と呼ばれる関連付けがひつようですし、結構
難しいんですよ〜。余談でした。

最後に、民族意識の問題ですが、また感情的な論議になってもいけませんので、深入りしないように
したいと思います。

Hideさんが仰有ったことについて、ちょっと思い出したこと…。
農本主義者・橘孝三郎の檄に「国を離れて国民社会なく、国民社会を離れて個人なし。故に
国を愛せざる者は人にあらず!」というのがありました。
妙に説得力がある檄だなぁと、高校の頃見ていたのですが、国家というものは人が作ったものです。
人が作ったものは、内からにせよ外からにせよ、人によって滅ぼされるものだとも思っています。制度としての国は認めますし、支持もしますが、絶対視するようなことはどうかと思います。(別に、Hideさんが絶対視しているというわけではありません)

もう一つだけ。
朝鮮の民族主義ですが、日本の物差しで考えるのはどうかなぁ…。
あそこは大陸と地続きで、北方からの侵略を何度も受けています。元寇と応永の外寇以外、
太平洋戦争までたいした侵入を受けていない日本とは、条件が違うんじゃないでしょうか。
強い民族意識を持たなければ、満州族のように、漢民族に吸収されてしまったのではないかと
思いますけどね…。

雑感で、答えではありませんけど。

ところで、IMAINGさんどうしたんだろう?
週末で、遊びに行っちゃったのかな?
[2001/04/22 17:00:36]

お名前: Hide.   
to bigginer kenshiさん
>”剣道は、スポーツでは無い。特別なんだ!”というとき、”特別だ”が行き過ぎ
>てはいけないのでは?ということなんですが。
結局、この「特別なんだ」という指導者の心の中に「なにがどうスポーツとは違うの
か」という具体的な像がないっていうことが問題なのでしょう。だから、あいまいな
「特別なんだ」で、精神主義を強調してみたりする。それで、シロウト衆やご父母、
子供たちを煙に巻こうとするから話がややっこしくなる(^^;
要は、指導者の勉強不足が、剣道の精神性をうまく一般に認識させられないゆえんな
のでしょう。これは、剣道界を上げて考えるべき問題のようですね。

昇段審査では学科試験が課されますが、こうしたことが問題として出題されることは
まずありませんね。剣道の指導者となるべき段位としておおよその目安ですが四段以
上と認識されているわけですから、それ以上の人たちには、きちんと剣道の持つ精神
性を他に伝えられる能力を持てるような出題が望ましいのではないでしょうか(^^)


to ひろさん
ひろさんの文章は、いつも難解ですねぇ。私がこうした文章を読み慣れてないせいか、
文意を把握するのに何度も読み返さなくてはいけません(^^; それでも、ちゃんと理
解できているかどうか・・・(笑)

>また、「日本民族」という観念自体が、国民国家の形成過程から出てきたもので、
>この論理自体が明治国家的な色彩を色濃く持っています。
日本民族としての自覚を持つことは前時代的なことでしょうか? また、国民は国家
があってこそ存在するもので、国家により自由を保証され権利を守られ、また国民自
体が国家を支えているものなんじゃないですか?(^^;

私は縁あって在日朝鮮青年同盟のバックアップする日校生(日本学校に通う朝鮮国籍
の学生)の発表会に何度かお邪魔しましたが、そこでは「民族」というものに誇りを
持ち自国の文化を愛する多くの中高生や若者の姿を見ました。今の日本の中高生で、
どれだけ日本という国を愛している人がいるでしょうか? もっとも、自分が国によっ
て支えられ守られているという自覚がない大人が多いから、政治にも無関心でいられ
るのでしょうが・・・(^^;
おっと、話題がそれた・・・。

>しかし、ナショナリスティックなシンボルを用いる(論理的には、「日本人でなけ
>ればこうした感覚を手に入れることは出来ない」という排外観との接続は、少なく
>とも流布していく段階では極めて簡単に起こることです)こと自体、危険性から完
>全に免れているわけではない。
うーん、難しい文章だなぁ(笑)
別に私は「日本人でなければ〜」なんて言うことは申していないはずですが。でも、
ほら、「民族性」とか「お国柄」っていうのは各国ともあるじゃないですか? 「日
本人らしさ」っていうのも当然あっていいと思いますし、最近は薄れてきたかもしれ
ませんがかつては存在したわけでしょ? でも、それが「軍国主義に接続する印象を
与えかねない」だなんて、日本人のナショナリズムが排外的で好戦的とでもおっしゃ
りたいのでしょうか???(^^;

本当に日本人には戦争アレルギーが多いんだなぁと思いますね。個人の価値観だとは
思いますが、国歌や国旗を愛せない国民がこんなにも多いということも疑問です。よ
き社会人になるとはよき国民になることと同義ではありませんか? みんなが日本民
族としての自覚と誇りを持ち、日本という国を愛し、自国の文化を大切にし、日本を
よくしようと考えていくことが必要なのではないでしょうか。そのために、剣道はと
てもよい教材のひとつだと考えているのですが(^^)
[2001/04/22 10:33:33]

お名前: ひろ   
>Hideさん

 こういう事に関して論ずるほどの知識はありませんし、Hideさんのお気持ちは良く分かる
ので、あまり言いたくもない気もしますが、それでも言うなれば、馬場武雄先生の使用して
いる論理は、少なくとも社会的には、ナショナリスティックな文脈に捉えられるものです。
(例えば、「剣道によって・・・・」以下の記述は、修身斎家治国家的な儒教的価値観に
属するもので、成員間の実質的平等を求める現代民主主義思想とは原理的に対立するなど)
また、「日本民族」という観念自体が、国民国家の形成過程から出てきたもので、この論理
自体が明治国家的な色彩を色濃く持っています。(その後に出てくる「日本人本来」という
表現から「日本人」という観念を形成した上で、それを悠久普遍なものと捉えること自体も
同様です)

 ただ、だからと言ってこれが軍国主義とストレートに接続するものではない、という点に
ついてはHideさんの言われることは間違ってはいません。しかし、ナショナリスティックな
シンボルを用いる(論理的には、「日本人でなければこうした感覚を手に入れることは出来
ない」という排外観との接続は、少なくとも流布していく段階では極めて簡単に起こること
です)こと自体、危険性から完全に免れているわけではない。確かにこの発言は軍国主義を
賛美するものとは全く無縁ですが、それこそHideさんが強調している、歴史的文脈から言
えば、軍国主義と接続しているような印象も与えかねないものがあることは否めないでしょう。

 ただこういう事は、軍国主義に対して過度な警戒心を持っている一部の層に対しては
インパクトがありますが、そういう文脈を知らない人、特に子どもに対しては全然免疫が
ない。問題は、全然免疫なく正しいことだとして覚えてきたことが、社会的な価値観と異
なってしまったときに、その価値の範疇において、本人と社会の間に鮮鋭的な価値対立を
産んでしまい、互いにえらく困ることがあるわけです。

 まぁここまで書いてしまうと些か針小棒大な言い方に聴こえますけれど、依拠している
論理体系に無自覚に伝播すると、せっかく伝えたいこと(例えば「もののあわれ」や「
風雅」で「思いやりがある」人間なんていう観点はまさに僕も持って欲しいものとして
賛成します)を異なる角度から誤解され、妨害されることもないわけじゃないと思います。
[2001/04/21 20:32:50]

お名前: bigginer kenshi   
Hide.さん。
基本的には、Hide.さんの意見に異論はありません。
”行き過ぎた精神主義”は、”過った精神主義”と同意に用いています。
スポーツ主義があまりに大勢になると、剣道の大切な部分が失われる、という意見も同感です。
そこにも異論はありません。

確かに、図解コーチでは、軍国主義への反省が色濃く、ノンポリ一市民としては、
この本の序文は、少々考えが古いかも知れないと思います。私の気にしている”行き過ぎた精神主義”は、
軍国主義とかとは全く関係ないのです。例えば、怪我をしても精神でカバーしろ!(僕も
壁ではそうしますけどね。だって、逃げられないから)と、ま、これも、一般的スポーツ
でも、よく言われる事ですけど。ただ、これが、”これは剣道なんだ!スポーツとは違うんだ”てな
方向に行くと、一般的スポーツでいわれる次元を超える事があるような。。。ないのかな?
それから、司馬遼太郎が”このくにのかたち”等で書いている、むら意識。道場や学校の部が、
そのまま”むら社会”のようになる。これも、いい部分とわるい部分があり、また、何も剣道に
限らず、他の集団でも日本ではよく見られることでしょう。ただ、一度、道場(部活)を止めると
戻して貰えないとか、他の道場にも行きづらいとか。。。このような対応にも一長一短はあるでしょうが。
継続は力なり。。。と言う事を教えようとしているのでしょうが。
過度の対応は、どうかと。で、その時に、”剣道は、スポーツでは無い。特別なんだ。”といわれると、
かちんとくるような。
こういうよくない例は、きっと多くはないのでしょう。
ただ、私が気にしている”行き過ぎた精神主義”とは、このような二つの例を導き出すようなものです。
特に、高校生以下の剣道の指導の場合です。これが、”過った精神主義”に
基づいた結果だと、多くの剣道の先生が納得されているなら、私はとても安心します。

改めて書きますが、何も剣道に限った問題では無い。。。ということは認識しています。
”剣道は、スポーツでは無い。特別なんだ!”というとき、”特別だ”が行き過ぎては
いけないのでは?ということなんですが。
それから、剣道の中に、競技とは別のとても大切な精神が流れている事はよく理解している
(まだ初心者ですが)つもりです。そして、その競技以外の部分が、剣道をカッコよく、
美しく、また魅力的にしているし、私自身もそこに惹かれるのです。

えーと、メッセージは伝わったでしょうか。。。?
[2001/04/21 12:06:03]

お名前: Hide.   
to くにさん
立礼というのは知りませんでしたね。これは後からできた作法なのですか? 茶
道も時代につれて変化してきているっていうことなのかなぁ・・・?(^^)


to bigginer kenshiさん
>(2)剣道はスポーツではないという一方で、精神主義が行き過ぎると、弊害
>もある。
というお立場のようですが、どのような弊害があるとお考えなのでしょうか?
私は「誤った精神性を振り回すと教育的に弊害がある」と考えておりますが(^^)

一般の書店で手に入る剣道関係の書籍は、その出版社の都合で「スポーツシリー
ズ」の中の一冊とされていることが多いと思いますので、「剣道はスポーツでは
なく武道です」なんてことは欠けないとは思いますし、入門してくる子供達には
「武道」といってもピンと来ませんからそうなっているものと考えられますが(^^;

「(1)成美堂、スポーツ図解コーチ、剣道」は私も持っております(知り合い
が執筆者の一人なもので(^^;)が、この本の「剣道スポーツ論」こそ、読者に歪
んだ固定観念を植え付ける危険性があると考えます。
この本の論旨は、
 ●日本人の心の持ち方=「忠君愛国の心」=軍国主義的である
と短絡的なつなぎ方をしています。むろん、先の大戦中、軍国主義によって剣道
や他の武道の持つ「武士道精神」がわい曲・悪用されてしまった経緯があること
は否定しません。しかし、それだからといって「剣道はスポーツではない」と剣
道の持つ精神性を口にする人を軍国主義や右翼のように見るのはいかがなもので
しょうか。こちらの方こそ、読者である子供達に謝った認識を与えかねない危険
性があると危惧します。

私は剣道という伝統文化を通じて子供達には「日本人としての豊かな民族性」を
身につけてほしいと願っています。そのために剣道は多くの教材を提供してくれ
ます。それはスポーツとして「競技をすること以上」に大切なことと私は認識し
ています。だからこそ、「剣道はスポーツではない」と言い続けているんです(^^)

馬場武典先生はその著書『剣道礼法と作法』の中で、父である馬場武雄先生の言
葉として以下のようなものを紹介している。
--------------------------------------------------------------
剣道によって心身を錬磨するということは、今更言う必要はない。そんなことは
当然であって、「人は生きるために物を食うのである」と言うようなものである。
剣道によって如何なる人間を育てるのか。それは剣道によって(国家)経綸の原
理(国を治める、みんなの役に立つ)を教え、日本民族の形成充実を期せ。そし
てその理想の人間像として、
 『もののあわれを感じ、
    風流で、優雅さがあり、
      思いやりのある日本人』
となることを目指し、こういった人づくりをせよ。

     (・・・中略・・・)

厳しい勝負の中から「もののあわれ」を学び、剣道の世界(寒・暑中稽古や理法
など)に強い影響を与えている自然に学んで「風流」を身につけ、詩ごころ(歌
心)や、一木一草の揺らぎにも感動する心を育てる。
また、剣道の攻防や作法などの所作ごとにおいては、粗野・粗暴ではなく「優雅」
な美しい動きを心掛ける。そして、これらのものを通じて「思いやり」(愛・慈
悲の心)をもち、日本人本来の美しい民族性を取り戻せということ(・・・後略・・・)
--------------------------------------------------------------
これは剣道において特殊なもののとらえ方でしょうか? いえ、違います。競技
が中心となった剣道=「スポーツとしての剣道」の中で忘れられてきてしまった
ことに他なりません。

「スポーツとしての剣道」の存在は認めるとしても、それが剣道の主流や大勢を
占めるようになるのは間違いですし、「剣道はスポーツです」という意見にはど
うしても賛成しかねます(^^)
[2001/04/21 09:57:44]

お名前: bigginer kenshi   
私も参加させていただきます。
だんだん、遠慮がなくなってきて申し訳ありません。。。

スポーツの定義は、本当にあいまいです。定義をここで明確にしても、定義とは別に、
スポーツという言葉が持つイメージが問題になる場合もあるでしょう。
モータースポーツって言葉ありますね。私には、どうしても、バイクレースが厳密な意味では
スポーツではないような気がするのですが、ま、イメージとしては分かるような気がしますね。
将棋は、頭のスポーツだ。これも分かる気がしますね。どう考えてもスポーツじゃないとおもうけど、
将棋は。でも、段位制度があるな。。。(ま、やはり、芸事でる。。。という共通項はあるわけですね)。

私の立場は、剣道はスポーツだ!と認めてください!というものではありません。
私の立場は、
(1)剣道にはスポーツ性があるということ、
(2)剣道はスポーツではないという一方で、精神主義が行き過ぎると、弊害もある。
という二点です。もちろん、議論が進み、私の知識が増えれば立場は変化するかもしれませんが。。

剣道をはじめようとする子ども、大人がまず、おそるおそるはじめること、
それは、本屋さんで、剣道の本を探して読むことです。
私の買った本は(いま自宅ではないので。。記憶は定かでありませんが。。)、
(1)成美堂、スポーツ図解コーチ、剣道
(2)ジュニアスポーツシリーズ、剣道
(3)伝統の技術、馬場欽司
(4)剣道攻めの定石、佐藤??
(5)新剣道上達講座、伊保清次
(6)すぐつよくなる剣道講座、伊保清次
(7)This is Kendo (English)
(8) Perfect guide of Kendo

です。(1)(2)は、完全にスポーツと定義しています。特に、(1)では、
過度の精神主義への警鐘がかかれています。
(3)は、スポーツと言うイメージよりは、武道、ああ、かっこいい剣道、、、という感じです。
(4)は技術論中心で、スポーツ論はまったく出てきませんが、”他のスポーツとくらべて”という
表現を読むと、剣道はスポーツの範疇として捉えられている印象をうけます?(5)(6)では、
他のスポーツでの技術、理論、練習方法を紹介しつつ剣道の理論を説明しており、ここでも、
”他のスポーツと比べて”という表現が頻出し、それは、剣道がスポーツの一種目である印象を読者に
与えます。(7)は、完全に、英語でスポーツと表現され、しかもオリンピック種目への登録が
容易に可能だと序文にかかれています(著者は日本人とアメリカ人)。ただ1956年出版であり、
当時の日本人が世界へ認めてもらうためにオリンピックに重きをおいていた。。。
という時代背景もあるでしょうが。
(8)は、スポーツ性もさることながら、伝統性、精神修養の大事さもよく書いてあって、読む限り、
スポーツというより、美しい日本の武道、というイメージです。

で、何がいいたいかと言うと、素人が手に入る情報を分析すると、”剣道は、スポーツの一種目”
とイメージしてもいたしかたない。。。そういう本を読んでしまう、ということを理解して欲しいのです。
もちろん、剣道には歴史があり、さむらいのイメージが重なりますから、”他のスポーツ”とは違うし、
スポーツという言葉のもつイメージとは違う、伝統的なもの、美しいもの、かっこいいもの、
精神的なものはだれでも認めます。でも、スポーツじゃない!と強く否定されると、却って、
問題がややこしくなると感じます。

話をずらします。
hideさんの、外国での茶道論について考えていて、俳句を思い出しました。
こちらの小学校で、Haikuの授業があります。西部でも、中西部でも子供たちが
学校で習います。おそらく、東部でもあるでしょう。日本語は使いません。英語ですが、韻の数を
俳句のように制限し、季語を決めて、短い文章で、素晴らしい詩をつくる文学の一分野です。
Haikuで、日本の心、芭蕉の心が分かるかといえば、ま、無理でしょう。でも、日本の俳句が
目指した、短く、季語を使い、美しい韻でできた詩で、すばらしい情景が心の中に広がるようなものを
作る。。。という、いかにも日本的な文学手法(それは日本文化の一つと呼べるかもしれません)
は十分理解されていると思います。あ、でも、俳句とは違うけど、韻を踏んだ短い詩といえば、
中国の五言絶句のほうが、ずっと先だな。うーむむづかしい。くにさん、任せました。
でも、剣道とスポーツという議論から外れているので無視してもいいです。すみません。
[2001/04/21 05:13:05]

お名前: くに   
すいません。いろいろ書きたいんですが、時間がありません。後で必ず書きますから、許して下さい。

一言だけ。Hideさん。茶道の方では、立礼と言って、椅子に腰掛けてやるお手前もあります。
ごめんなさい。
[2001/04/21 00:38:07]

お名前: Hide.   
うーん、僕もどうしようかな・・・と思っていて、ついつい「コムド〜」の方に
書いちゃってましたので、IMAINGさんにこうして新しいトピックを立てていただ
いたことを感謝いたします。なんか、誰が管理者だかわかりませんねぇ(笑) で
も、みなさんのおかげで、こうして剣道を巡る様々な問題を考える手だてをいた
だいているのですから、ありがたいことですヽ(^.^)ノ


>要はこの「競技スポーツ」としての剣道だけに集中している方々(若い子も含
>めて)が「これがスポーツの世界だ」と勘違いすることが無いようにと思って
>いるのです。

私がオリンピック化を危惧するのも、実はそこなんです。日本にいる若い世代に
さえそうした心配があるというのに、剣道というもののバックボーンや精神性を
知らない(身近に感じることの少ない)諸外国の剣道プレーヤーは、競技という
ものを前面に出してとらえやすいと思います。その結果、「競技(スポーツ)と
しての剣道」だけが独り歩きしてしまう危険性があります。
くにさんやbigginer kenshiさんは「それもまたよし」というお考えのようですが、
それでは、「真の剣道の普及(国際化)」にはならないのではないでしょうか。

たとえば、茶道という分野を考えたときに、外国には畳もなく正座という風習が
ないからそのエッセンスだけをとりだして、イスにかけた状態でお茶を立てたと
しても(精神性が保たれていれば茶の道だと千利休はいうかもしれませんが(^^;)、
それが文化としての茶道を学んだ(行なった)ということになるでしょうか?

思想と歴史に裏打ちされた所作・礼法まで含めて学んでこそ、文化なのであって、
そのエッセンスである競技部分だけを「普及のため」と言って海外に広めるよう
なやり方はいかがなものでしょうか(^^)
[2001/04/20 08:56:28]

お名前: IMAING    URL
みなさんこんにちは。(^^)
なんか「コムドと〜」のスレッドに書き込めなかったので新しく立てちゃいました。(^_^;)
はじめにはっきりしておきたい事があります。
私が言ってきた「スポーツ」の定義は「競技スポーツ」のことです。
そもそも言葉というものは翻訳という作業をはさむとどんどん分からなくなりますよね。
その為にスポーツを運動や体育などと代えて理解しようとしたりするから誤解が生じます。
例えばスキーのノルディック複合でジャンプを飛躍、クロスカントリーを距離とか
アルペン種目のダウンヒルを滑降、スラロームを回転、ジャイアントスラロームを大回転などのように
メジャーリーグを大リーグってのもありましたね。(^_^;)
こうしていくと枚挙に暇が無いですのでこれくらいにしますが、つまり言いたい事はそのままで
考えるということです。
そこで英英辞典でsportを見てみました。(^_^;)
(本当の語源はギリシャ語らしいのですが、ちょっと横着して)
するとathletic gameまたはoutdoor amusementとありました。
まあアウトドアどうこうはともかく、競技のものと運動?の2種類に大きく分けられます。
で、やっとはじめに戻りますが私はこの「競技」の部分でお話をしてます。

で、「スポーツとしての剣道」を否定するわけではないです。
つまり私が言いたいのは剣道の一側面として「競技スポーツ」という部分があることは
間違いないことですが、その世界では剣道は如何にも体制、ルール、中身等お粗末です。
まあものさしが違いますからそれでいけないことは無いというのは前にも書きましたが。
要はこの「競技スポーツ」としての剣道だけに集中している方々(若い子も含めて)が
「これがスポーツの世界だ」と勘違いすることが無いようにと思っているのです。
まだまだ日本という国は、「競技スポーツ」の世界ではダントツに後進国です。
前にも書いた「卑怯な手段」についてもお互いが裏までわかるレベルで攻め合っての上で
はじめて反則は意味をなさなくなるのであって、「相手が反則をしてこない」という安心感の
上での攻め合いは「甘え」でしかありません。
野球で言えば、「ビーンボール」は絶対いけないものです。
しかし際どい所を攻めるのは大事な戦術です。この違いを日本人はまだまだ理解していない人が
多すぎるということです。
だからJリーグでプレイする欧米人が手を使う(もちろんボール扱いではなく)のや
激しいボディチェックを見て、「これが本場式だ」と背景をしっかり考えずに真似ようとする風潮など
その最たるものです。

あと脱サラ農民さん
>剣道の経験のほとんどない私がこんな事を書くのは大変しのびがたいのですが、
>剣道には、このような人間の自然な動き以外の動きを基礎とするものはないのでは
>ないでしょうか? ・・・「突」の動きはよくしりませんが・・・。(^^;)
>少ない経験の中から言うと、剣道は人間にとって、とても理想的な動きをしていると思います。
剣道は「右手前、右足前」の形が基本です。
これは人間の日常生活から考えると不自然では無いですか?
理想的な動きとはやはり「バランス」に尽きると思います。
その中で、直線的な動きを良しとする剣道は(それだけではないですが)必ずしも理想的とは
私は思っていません。

くにさん
長くなっちゃいましたので(^_^;)「剣術」ひとつ別に立てます。

ではでは
[2001/04/19 18:24:58]

このテーマについての発言をどうぞ。
氏名
E-mail URL


半角カナは使用しないようにしてください。文字化けします。
記事一覧に戻る