記事タイトル:人間形成とは… 


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お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

>何故、剣道指導者養成講習と言う名前にしないのですかね。

「剣道指導者」というと「資格っぽくない」ってことなんじゃないですかねぇ(^^;


>結局、某団体の上層部も武道という意味の把握に自信がないのかな?

それこそ、「武士道」を読んでないんじゃないんですかぁ(^_^ メ)
[2007/04/02 22:24:53]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

某団体も何か色々やってはいるみたいですね。 
剣道指導の心構えでしたっけ?あと社会体育指導員養成講習。
剣道指導の心構えは未だ内容を知りませんので論評は差し控えますが、
このトピの主意を踏まえて期待したいです。
社会体育指導員養成講習は中々厳しい内容とうかがっています。
でも、この名称は何か文部省の学校教育の一環のような名前で好きではありません。
何故、剣道指導者養成講習と言う名前にしないのですかね。
武道大学という名前の大学があるようですが、(中身は全く知りませんが)
そういう武道をもっと前面に打ち出せば、社会の認識も徐々に変わって、
活動しやすくなると思うのですが。
結局、某団体の上層部も武道という意味の把握に自信がないのかな?
また、書き過ぎましたね。
[2007/04/02 18:09:08]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

>せっかくの浜露松草さんのトピをだいなしにしたかと思い心配してました。
>これで、何とかつながる。

いえいえ、皆さんが広く考え意見を言えるスペースが掲示板ですので、できるだけ「かく
あらねばならない」的なカキコにはしない方がいいと、思ってますので(^_-)〜☆

すみませんね、かえっていろいろと気を使わせてしまいまして(^^;


>Hide.さんが仰るように現在の我々を統括すべき団体はいまいち活動的ではありません
>ね。

ちょっとこのトピの趣旨から脱線気味になりますが、思うところをお話しておきましょう。

そうですねぇ、やはり中期&長期計画を立てられるってことは、自分がその歳まで生きて
いるってことが大前提だと思うんですよ。やはり執行部が60歳過ぎの方々の集団では、ど
んなに能力が高い方が集まっておられたとしてもねぇ(^^;
だから、先の見通しのない現実味のない施策が多いように思えます。

また、理事や上層部ばかりでなく、全剣連職員も剣道関係者だけで締められている点も問
題かな。もっと、剣道以外の分野から人材を多く登用すべきです。

たとえば、全剣連は広報がとても弱いです。
全日本選手権はそこそこ人が入りますが、日本武道館が満員になるようなことはありませ
ん。全日本女子、全日本八段選抜、全日本都道府県、全日本東西対抗などの主要大会は閑
古鳥が鳴いてます。地元の中高生や道場関係者を無理やり引っ張ってきて、空席を埋めて
いる状態です。これでは、選手も力が入りませんし、すばらしい試合を間近で見られるの
に、それがいつどこで行なわれていて誰が選手なのかっていうことも、さっぱり一般の愛
好家に伝わってきません(-_-)

こうしたところも広報がしっかりしていれば、もっと愛好家に周知でき、見学者も増える
はず。剣道界全体の活性化にもつながるはずです。

広報を一例に取りましたが、他にも「新しい血」を入れたほうがよくなるであろうことはた
くさんありますね。

理事も、警察関係と大学関係の専門家ばかりですので、世俗のことに疎い方々の集まりで
して( -o-) フゥ

こんなところが動脈硬化の病巣でしょうヽ(-.-)ノヤレヤレ・・・


>私なぞは会社と言う利害関係の組織とは関係ない剣友会で、歳の離れた先生のお話を
>御聞きするのが楽しみです。経験から来る含蓄のあるお話からは考えさせられる事が多
>いです。
>昔はそういう機会が普段の生活の中にも多くあったのでしょうね。

御意!
昨今では、そういうことを語ってくださる先生もとても少なくなったように思います。
たしかに「謙虚」なのかもしれませんが、私は上に立つ先生が「サボっておられる」と考え
ます。

別トピにも書いたことですが、最近は、上位の先生方が下位を「鍛える」ということがまず
なくなりました。つまり、厳しい(=きついor息の上がる)稽古をつけてくれる先生が少
なくなったってことです。

互格稽古をして、いいところを一本二本打つだけなら、元立ちも楽ですよね(^^;
かかり手の息を上げるような稽古をつけるためには、元立ちも「攻め」「さばき」「いなし」
「返し」などを駆使していかなければなりませんので、けっこうたいへんです。警察関係の
先生方は、日ごろからそのような元の断ち方をしておられますので、いつまでたってもお
強い方が多いですが、民間に目を転じますと「???」です(-_-)


稽古も含め、七段八段という高段位をお持ちの先生方が、剣道の面でも人間形成の面でも、
もっと先頭に立ってわれわれ愛好家を鍛え導くといった姿勢で臨んでいただければと考え
ております(^^)
[2007/04/01 07:44:45]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん、理系剣士さん、

ご意見有り難う御座いました。
せっかくの浜露松草さんのトピをだいなしにしたかと思い心配してました。
これで、何とかつながる。

Hide.さん

Hide.さんは既に現実的な方法までお考えなのですね。
Hide.さんが仰るように現在の我々を統括すべき団体はいまいち活動的ではありませんね。
想像するに、団体の上層部にご高齢の方が多くて、頭がまだ戦後常態なのかな、
って思ったり、団体として確立しちゃって動脈硬化を起こしているのかな、って思います。
ここ十年、時代は完全に戦後を脱却したと思っています。良い意味でも悪い意味でも。

親の教育は難しいですね。でも、道場が多く出来て、(剣友会でもできると思いますが)
多くの親が参加して先生方の話を聞く機会が増えると良いですね。
私なぞは会社と言う利害関係の組織とは関係ない剣友会で、歳の離れた先生のお話を
御聞きするのが楽しみです。経験から来る含蓄のあるお話からは考えさせられる事が多いです。
昔はそういう機会が普段の生活の中にも多くあったのでしょうね。
また、人生の先輩の話を真面目に聞く風潮があったと思います。ましてや師の話なら。
そうなれば、先生も安閑としていられもせんよね。勉強しなくては。
[2007/04/01 02:33:46]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

いやいや、論理に矛盾があるとかそういう意味ではありませんのでご安心を。
ただ、出勤前の忙しい時間やアルコールの入った頭で読むにはちょっと難しい内容でした
ので(^_^ メ)


剣士以前さんのお考え、至極もっともなことと同意いたします。
拙サイトの7つの提言でも「文化としての剣道の追及」を掲げさせていただいております
し、私個人も「剣道の善用」ということで、剣道は躾教育をするにあたって最適なアイテ
ムであると、繰り返し拙サイトで述べさせていただいておりますゆえ(^_-)〜☆


ただ、現場(道場)での子どもたちへの教育だけに目が行っておりますと、なかなか今の
時代、躾教育は行き届きませんよ。親をもひっくるめて教育しませんと(^^;
そのためには、剣士以前さんがお書きになっている通り、道場で毎回のように親も聞いて
いる状態での「訓話」が必要になってきます。

ところが、今の剣道指導の現状を見ますと、学校開放や公的体育館を「時間」で使用してい
る団体が多く、そうした部分に時間を避けにくくなっている点も問題です。私はそういっ
た意味では「町道場の復権&復活」こそ、剣道の社会的地位の向上と質的向上、さらに教
育的効果の拡大に大いに役立つと考えています。

そのためには、全剣連による「格付け」が必要になってくるでしょう。
(これもどこかに書いたことがあったような・・・)


しっかりした理念の打ち出しと研究。その啓蒙。さらには組織としての全体の統合。
これらを行なうには、老害がはびこっている元組織では、先を見通して施策を行なうだけ
の力がないと思われます(-_-)
[2007/03/31 09:41:33]

お名前: 理系剣士   
横槍で失礼します。
何か読んでいて私と同じような考え方をしている人がいるんだなぁと思い、思わずレスさせて貰いました。

To 剣士以前さん

私のように、幼少の頃から剣友会や道場で剣道を始めたのではなく、学校の部活で剣道を始めた人間は
当時、まだ戦後の影響があった(GHQの影響が残っていた?日教組が強かった?)頃ですので
剣道はスポーツとして始めましたし、またそういう風に当時の剣道の本にもさかんにスポーツであることを強調されていました。

それに比べて、最近は「武道」であることが強調され、これを右傾化と感じるか、本来への回帰とみるか
剣道への人それぞれの経験によって分かれるところだと思います。

大変このへんの考察が面白く(しかもキリスト教にまで話が及んでいる)感心させられました。
更に纏まったものができたら面白いですね。

これが、武道科による剣道感(近代の)ではなく、西洋思想に近い(感化された?)理系からの近代剣道感です。
[2007/03/30 22:22:58]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

論理に矛盾がありましたか? (頭までへたれたか!?)
どんどん突いて下さいね。竹刀で突かれなければ大丈夫です。
実は別件のトピを立ち上げようと下書きしたものを、トピの立ち上げ方が解らないので
手直しして、ここに転用したものです。
ちょっと自信が揺らいで来ました。
[2007/03/30 22:01:46]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

まだ、全部を精読していないためコメント不能ですm(_ _)m
でも、自分の考えって、カキコしているうちにどんどん変わってきたりするものですし。

いっぺんに多くを語ろうとすると、「あり??」なんてことにも(^^;
[2007/03/30 21:17:44]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

ちょっと相応しい内容であったかどうかは分かりません。
また、正しい考えであるかどうかも分かりません。
自分自身ちょっと突っ走ってしまう性格なので、皆さんが引いてしまわなければ
良いのですが。
(それにしても、書いてみて、やはり意を尽くしていない...。)残念
[2007/03/30 08:52:42]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

アハハ、別に批判したわけではありません。
私自身、それらをきちんと読む時間的なものを惜しんでしまっておりますので、かなりの
「ものぐさ」ですのでm(_ _)m

ご意見感謝いたします。
じっくり拝読し、コメントさせていただきたく存じます(^^)
[2007/03/30 07:11:09]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

失礼しました。 仰る通りです。ものぐさでした。
一応、自分の言葉で書いてみました。
皆様のご批判をお願い致します。

皆様

昨今の社会情勢は浜露松草さんがおっしゃる通りです。投資会社の企業買収、
ガードレールや滑り台の盗難に代表される金属の盗難、イジメ、政治の低迷等など、
殺伐とした社会情勢です。こういうことは昔から色々ありましたが、
最近は「えっ、そんなことのために?!」とか「たったそんな金額のために?!」と
思う犯罪や事件が多いと思います。
これらを一概に論じることは難しいと思いますが、何かが違う、と思っています。
また、全然異なる話ではありますが、いちに会のトピでも越境入学、日の丸・国歌、
塾と剣道などの議論がありました。
一々に意見を書くことは混迷を深めるだけと思いましたので、
最近は書き込みを遠慮していましたが、総括的な、根源的な部分で提案が出来るなら
と思い、書き込みいたします。

それは倫理感と教育、そしてそれらを含めての価値観です。

まず倫理感ですが、戦後、日本はアメリカの指導の下に教育を始めました。
(ここのところは独りよがりで異見も多いかと思います)
民主主義や個人の権利の原理原則は間違っていないと思います。
ただし、アメリカの指導は簡単過ぎて、表面的過ぎました。
欧米ではこれらの事を行う前提として、キリスト教などの倫理観がありました。
そういう土台の上に民主主義は良く機能すると思います。
日本では儒教やその他宗教、武士道的な倫理観がこれに当るわけですが、
アメリカは民主主義や個人の権利を行うのと同時にこういう日本的倫理観のもととなる
ものを否定しました。日本の現状の問題点はここにスタートしていると思います。
それだけではないかもしれませんが。
村上ファンドの村上さんか、ライブドアの堀江さんのどちらか忘れましたが、
「お金儲けのどこが悪いの?」という発言がありました。
お金儲けが悪いと思っている人は誰もいないと思います。
ただ、何事も節度が必要と思っているのです。
お金より大事なものがあるということです。論理のすり替えにしか思えません。
ただ、昨今の荒んだ事件などを見ていると、ほとんどそれを地で行っている事件が多すぎます。
個人の権利の主張にしても、そこだけを議論の拠り所として論理を展開している事例が
目に付きます。公益・公義を損なってまで個人の権利を主張するのは疑問です。
公益と個人の権利の落とし処を探るべきです。
法律に違反している、いないの前に倫理的にどうなのかを考える風土が必要です。
自律心です。
唐突ですが、そういう規範が武士道であったりするわけです。
法律で全てが解決できるものではありません。
法律の判断を求めなければならないところへ行く前に、
人は倫理感で物事を解決する努力をしなければなりません。
そしてその倫理観は多くの人が共通して認識するものでなければなりません。
ある人は諾、ある人は否、では困ります。
ではこの倫理はどのようにして人の心に醸成するものでしょうか。
それは教育と思います。
ここから教育の話になります。
この場合教育は学校での教育のみでなく広義の意味です。
剣道を単なるスポーツとお考えの方には関係ないことなのですが、
私の考える剣道ではここにやはり剣道がなすべき義務があるのではないかと考えているのです。
教育が全てを決すると言えば言い過ぎでしょうか? 
教育には、知育・体育・徳育があります。
知育は学校で教えてくれるものですね。
知育は最近見直しがされて内容の濃いものに改善されようとしています。喜ばしい限りです。
現代の世界では高い教育レベルを保持していかなければ国民の豊かな生活は守れません。
「衣食足りて礼節を知る」礼節を守れる生活レベルが必要です。
体育も学校の部活がその一翼を担ってくれていると思います。
では徳育はどうでしょうか?
これは社会・家庭・学校が一致協力して教育するものです。
学校だけで教えることは不可能です。
私は、剣道を日本の伝統文化と捉えるならば、この伝統文化こそ日本の
心のバックボーンとなる徳育に積極的に関与していく義務があると思っています。
(ここが一番言いたいことです)
では伝統文化とは何でしょうか? 
単に昔のことを形だけ受け継ぐことでしょうか? 
そうではなくて、伝統文化はその精神性までを受け継がなければ継承しているとは言えません。
伝統文化というのはその精神性の継承に他ならないと思います。
剣道を志す人は人間形成をもっと自覚して行うべきですし、先生方はさらに、
そういう講話・指導を青少年に行うなどの努力をすべきです。
そして剣道の理念を掲げる全剣連はもっとそこを強く打ち出すべきです。
21世紀の武士道とは何か、闘争の術と道との解釈などもっと突っ込んだ議論が必要です。
戦後剣道再開の道を開いてくれた先達はその当時の社会状況であまり明確な言葉使いが
出来なかったこともあり、当時の社会状況に受け入れてもらえる言葉使いで
剣道の理念・剣道修錬の心構えを記されました。
しかし、時代も変わり、もっと明確に日本の伝統文化を強調しても良いのではないでしょうか。
倫理観とは長い歴史の上で皆が安全で心地よい生活を送って行くために経験的に生まれたものと思います。
ですからそれは日本の歴史・伝統・文化と密接に関係しています。
全剣連では剣道は日本の伝統文化と言っています。
しかし、心が伴わなければそれは伝統とは言えません。
形だけのものは既に伝統の本質を失っているのです。
ですから、全剣連は心の研究をもっと深めるべきです。
そういう研究をしている学者さんたちを援助して研究を深めるべきです。
単に竹刀を振り回し勝った負けたということのみでは伝統文化は守れません。
人間形成とは何か。人格の完成を目指すことと思います。
完成するわけはないと思いますが、少しでもそこに近づこうとする努力が大切です。
そして剣道はそういう場を与えてくれる一つの機会です。
剣道は剣と人間形成の融合と思っています。だから「道」が付いていると思います。
私は、だみ声さんが書かれているように、
剣の修行が他のものに比べ人間形成に優れたものとは思っていません。
剣技だけを見れば殺傷の技術です。心を磨くのは実は日々の生活の中にあると思います。
ただ、私にとって剣道は実際に改まってそういう事を考える機会を与えてくれる場なのです。昔は子供時分からそういう倫理観や教育を受けてその後、剣を習ったりしたわけですが、
現在は状況が違います。剣道を通じてそういう教育を積極的に行うことが求められると
思っています。
ここまでのところ浜露松草さんのご意見と何ら変わるところはないと思います。
しかしながら、剣道の稽古の場、そしてその団体等はそういう伝統文化(精神性に重点を置き)
を受け継ぐ場所であり、教育の場と思っています。
その結果として社会で活躍する人々が出てくると思いますし、出ていると信じたいです。
元来、政治は崇高な職務です。
一概に政治家を貶す風潮がありますが、多くの政治家は崇高な目標を持って政治家になった思います。
そういう中には剣道を通じて心を磨き、政治家になった人もいるのではないでしょうか。
人にはそれぞれ向き不向き、適性があります。 
剣道を学び、初段でも二段でも社会で活躍している人もいれば、
剣道の適性を持っている人は高段位に進み称号も得ると思います。
孔子は最初政治に志し、それに挫折して教育に力を入れました。
それは次代を担う者を育成するためでした。 
剣道はこの教育に専心することが本質と思っています。
ただ、前にも述べましたが、その教育の内容をもっと具体的にすることが現在の
剣道には欠けている、と思います。
「礼」一つとっても、もっと具体的にその必要性や意味、その心を示すべきです。
そういうことを持続することで、目には見えないけれども、人間形成・社会貢献ができ、
剣道修練の心構えもかなえら得ると思います。
剣道雑誌類を見ると、改善の余地は有るのかもしれませんが、
先達の人生や、言葉などを多く紹介しています。
それは剣道の理念に適ったものと解釈しています。
結論としては、剣道はそういう人間を育てる場であって大きな土台たるべきものと思います。
[2007/03/29 11:11:31]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

「●●を読め」では話が終わってしまいますので・・・(^_^ メ)
皆さんもカキコしにくくなっちゃいますしね。

私もそれゆえ未熟&稚拙ながら、考えるところを述べさせていただいておりますm(_ _)m
[2007/03/29 07:48:04]

お名前: 剣士以前   
浜露松草さん

追伸です。
人間形成と理念、そして社会活動(政治も含め)の関係は孔子の生き様と論語に
明確にその答えがあります。
それに同意するかどうかは個人個人の考えなのですが、私は剣道の理念はそれと同一と
解釈しています。
こういう書き込みは卑怯な方法に思われるかもしれませんが、前にも述べましたように
私の文章ではその意を伝えることが難しいです。
葉隠れさんは、シニカルな書き方をしていますが、論語も意味では同じ事を言っています。
[2007/03/28 09:15:34]

お名前: Hide.    URL
To 葉隠れさん

管理人のHide.です。

そうですねぇ、「人間形成という絶対値」があるわけではなく、それは各々の中にあるよう
にも思えます。
それゆえの「理念」と捉えたほうがいいのかもしれませんね(^^)
[2007/03/28 07:50:41]

お名前: 葉隠れ   
 人間形成を文章で知りたいのですか。
 ・・・・・無理ですよ。

四文字熟語でさえその中身を知るには、それ相応の苦痛を味わう必要があるのです。

表面事を知るにも、その域まで行き着く必要はあるのです。

誰かに教えてもらえば、
ヒントぐらいは掴めると思っている事自体が間違いと思いますがね、
[2007/03/28 00:30:25]

お名前: 剣士以前   
浜露松草さん

立派なトピを立ち上げていただき有り難う御座います。
何度も、書き込みの文章を考え、推敲しましたが、うまくいきません。
これをキチンと書き込みするには自分は役不足です。
皆さんの意見ももっともと思います。
ただこの問題を深めたいのであれば「武士道」「論語」に入っていくべきと思います。
「士」という言葉の意味一つにしても浜露松草さんの求めている答えのヒントがある
と思います。
Hide.さん、だみ声さん、好月さん、のご意見は正しい答えの一面を表している、と思います。
生意気なようですが、
是非、新渡戸稲造先生の「武士道」と論語(下村湖人の論語物語が入りやすいです)
をご一読下さい。

手抜きのようで申し訳有りません。
でも、浜露松草さんのように正しい気概を持っている方にはその方向に進んで
頂きたいです。
[2007/03/26 23:53:36]

お名前: Hide.    URL
To 浜露さん

>曖昧なイメージではなく、具体的な取り組みについて思索していただくことが狙いでした。

剣道の専門家と呼ばれる人たちは剣道人口の中でごく一部でしかありません。
そういった方々は、「仕事=剣道」ですから、より、社会的な貢献度合いが高いのではな
いでしょうか(^^)


>武道とは、かくもこうあるべきである、その道を志すからには、かくもこうあるべきで
>ある、と。
>武道を習う者全員を、専門家として育成しようとするのは、どうかと思います。

どのような取り組みであっても、指針となる「学び方」は示されねばなりません。
そういったものを明確にしているのが「理念」だと考えますが(^_-)〜☆

それを閉鎖的に捉える人もいれば、開放的に捉える人もいるわけでして、私は剣道って学
ぶ個人個人に対してキャパシティが広い競技だなぁと思ってますが(^^;


>私も、全く同感ではありますが、剣道界最高の称号である範士と呼ばれる人であれば、
>もしかすると、世のため人のために何らかの活動をしているのではなかろうか、と思い、
>できれば、そういったお話を伺いたい、と考えた次第です。

範士だからといって、共通の剣道観を持っているわけではありませんし、その全員が専門
家ではありません。
それぞれのフィールドでご自分なりの方法でフィードバックしておられると考えますが。
[2007/03/23 23:58:36]

お名前: 浜露松草   
>Hide.さん

政治家を挙げたのは、例えばの話です。
曖昧なイメージではなく、具体的な取り組みについて思索していただくことが狙いでした。

ところで、私は、武道全般に、どことなく閉鎖的な印象を持っております。
武道とは、かくもこうあるべきである、その道を志すからには、かくもこうあるべきである、と。
武道を習う者全員を、専門家として育成しようとするのは、どうかと思います。
運動不足解消のために取り組む人もいるでしょうし、レクリエーション的な目的もありましょう。
武道を教える立場にある人は、習いにきた者を、まるで弟子のように扱っている印象を受けます。
教え子と弟子は違います。先生と師匠は違います。指導者ともなれば更に別格です。

という中、特に剣道は、人間形成という万人共通の指標を提示しているわけで、
具体的に開放的な活動に繋がるものがあっていいのでは、と思ったわけです。

>人にはそれぞれ生きる道があり、その中で自分にできることに尽力をするってことで
>十分社会貢献になっているのではないでしょうか。

私も、全く同感ではありますが、剣道界最高の称号である範士と呼ばれる人であれば、
もしかすると、世のため人のために何らかの活動をしているのではなかろうか、と思い、
できれば、そういったお話を伺いたい、と考えた次第です。
[2007/03/23 13:13:08]

お名前: Hide.    URL
To 浜露さん

悟りを開いた人がみな政治家にならなければいけないのなら、日本の議員は坊主だらけに
なっちゃいます。

でも人にはそれぞれ生きる道があり、その中で自分にできることに尽力をするってことで
十分社会貢献になっているのではないでしょうか。

理念に謳われている「人間形成」って、そんなニュアンスだと思うのですが、浜露さんは私
の考えに対してどのようなご意見を持っておられるのか、お話を伺いたいですねぇ(^_-)〜☆
[2007/03/22 23:29:59]

お名前: 浜露松草   
>まるさん

ありがとうございます。
大の兵法、小の兵法、という見切りは、とても感慨深いものがありました。
確かに、武道の目標は、敵をつくらないこと、といっても過言ではありませんよね。


>好月さん

ありがとうございます。
はじめまして。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
良い先生に巡り合ってらっしゃるのですね。羨ましい限りです。
そうですね。正しい人間はこうあるべきだ、という形は、ありませんよね。
己の弱さを克服し、弱さを抱えながらも、強さと共に歩んでいく、そういうものであるかもしれませんね。
人は死ぬまで修行のど真ん中、といえるのかもしれません。


>Hide.さん

いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、何に活かすか、ということは人それぞれで、ひとつの方向性に収束する、というもの
ではないのでしょうね。
人道に則り歩んでいく、ということで、そのための手段は無限にあるのかもしれません。
民族の誇り、文化としての剣道、確かに、全剣連のサイトでも、武士の生活を慮る、ということを述べて
いますよね。制度も社会も変化しておりますが、歴史の中で培った大切な心は、後世に遺していくべきで
しょうね。


>だみ声さん

ありがとうございます。
そうですね。人道に背くようなことがあれば、名人、達人、巨匠と呼ぶに値しませんものね。おっしゃる
とおりだと思います。
その中で、他のスポーツにはない剣道独自のものを挙げてくださったことに、感謝いたします。
元は、人を斬り殺すための操法ですから、曲がり違えれば、たちまち凶器・狂気となってしまいますものね。
そのメッセージは、古来の武士が、命がけで培った理だと思えます。
[2007/03/22 10:38:53]

お名前: だみ声   
久しぶりに興味深いトピを立ち上げて頂き、誠にありがとうございます。
さて、 人間形成と剣道の相関性に関する議論として記述させて頂きます。
結論から先に言うと、 私は剣道が特別に人間形成を促す要素を多く持ったものだとは思いません。

おっしゃるようにもしそうであったなら、 剣道家の多くが聖人君子になっているはずです。 剣道以外のスポー
ツや武道をやる人や、 職人と言われる人の中には十分に人間形成を成し遂げておられると感じる人は大勢います。 
ただ剣道をやるからには、 漠然とその打突技術だけを磨くのではなく、 打突に至る動作の始まりから残心までを
自分のみでなく、 周囲で見ている人にも感動を与える打突に仕上げる必要があると考えています。
このような感動を呼ぶ打突が出来る人というのは、剣道以外の生活全般のあらゆる部分でも、真剣に取り組み、
剣道の修業の中に取り入れて創意工夫し、 いつも自分を磨いているはずです。 勿論文字通り人間性に欠けるよ
うな振る舞いはあり得ません。 いわゆる「立派な人」と言われるのだと思います。

剣道も含めてあらゆる分野で名人、達人、巨匠と言われる人は、みんな人間形成を同時になしとげております。
というかそうでなければ名人、達人、巨匠と言われる人として認められないのだと思います。 名人達人巨匠と認
めるのは、 本人ではなく世間であるわけで、 長く真剣な修業の末に自然に身に付く「徳」や「人間性」等がそう
認めさせるのだと思います。

こう考えるとあらゆる分野に名人達人巨匠はいるわけで、 その人達はやはり「人間形成」の目で見ても、 申し分
ない領域に到達しておられると思います。

剣道の達人が、 本当に達人の領域に達した時、やはり世間はその人を「達人」とよび、心酔する人は弟子になり
たいと願い、教えを請うのでしょう。
こういう意味で考えれば、 あえて剣道では剣道理念として「人間形成」を歌いあげたに過ぎないのであって、 人
間形成を伴わない修業自体があり得ないものと思います。

一つ剣道の特殊性に絡む人間形成があるとすれば、 剣道の起源が真剣を用いた殺傷技術の修練であるため、 「心
正しからざれば、剣又正しからず」と戒め、 「正しい心で剣を振るのだぞ」と教えている。
そして、そのためには正しい人間であれと説き、剣の腕を上げる前に(同時に)「正しい人間」「徳を積んだ人間」
「尊敬される人間」「生き方の指標になる人間」であれとのメッセージではないかと理解しております
[2007/03/21 22:51:36]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

いやぁ、なかなか深いお題で、私ごときがレスをつけられるような内容ではないかもしれ
ませんが、とりあえず考えていることをお話したいと考えます。


>人間を形成するというからには、それはつまり、剣道が、世のため人のためであるとい
>うことを示唆しています。

という部分を大前提にお話を進めておられますが、本当にそうでしょうか?
自分を律し、人格を磨き、後進に人として「生きる道」を説き、「生きる力」をつけてや
るることに尽力することも立派な人間形成だと考えますが(^^)

また、剣道を社会に善用し、立派な社会人として勤め上げることや、ご自身がおやりにな
っている会社をしっかり切り盛りしていくことも人間形成なのではありませんか?

何も政治の世界にもを投じることばかりが人間形成なのではなく「自己実現」も「自己鍛
錬」も含め、それぞれの人生において立派に生き抜くことこそ「人間形成」なのではない
でしょうか(^_-)〜☆


単に技術だけではなく、21世紀そして22世紀に民族の誇りである「文化としての剣道」を
残していくことも立派な社会貢献だと考えますがいかがでしょうかねぇ(^^)
[2007/03/21 22:03:50]

お名前: 好月   
久しぶりにカキコします。
浜露松草 さん まるさん はじめまして!よろしくお願いします。

To 浜露松草 さん
私も「人間形成」云々は、大げさすぎると感じています。・・・が、
私、以前 範士九段の先生に聞いた事があります。
「私見ですが…」とお断りになった後、「剣道はその方の性格が如実に出てしまい
ます。消極・積極どちらも長短ありますが、その過ぎたところが隙となります。」
「剣道では、<直心><赤心>を良しとして、心の曇りを払うための努力が必要です。」
また、「剣道だけしていては、心の曇りは拭えません。生活の中でも努力しなければ
剣道は良くはなりません。」
詳しく書くと長くなるのですが・・・
 要するに、欠点を克服する作業が、生活の中に生きるようになる。そしてその人の
人間性も豊かになって行く。それが「人間形成」…   というようなお話でした。
ですから、政治家や博士、世のため人のためにならずとも、昨日の我に今日は勝つべし
と気概をもって生きておられる方は「人間形成」の修行ど真ん中だと私は思います。

To まるさん
>つまり剣道は小の兵法で個人の「生き方」なので、直接的に国家社会に関わらない方 がよいと思います。

 私も、そう思います。というか、もっと個々それぞれのすごく小さな「人間形成」が
あっていいかな。とお気楽に考えています。
 私の場合、湯割を2杯で止めるのも、冷たい稽古着に身を包むのも、「人間形成」で
あって欲しいな、と思ってます。
[2007/03/21 19:59:32]

お名前: まる   
なかなか面白い問題提起ですね。
剣道は何を目的にして存在しているのか私自信よく判らないことだらけです。

今のところ、江戸時代まであった剣術理法を統合し、噛み砕いたものを大衆化させ
後世へ伝えてゆく為に創られたものであり、『心身を一致させ胆力を養う』のが目的
と考えてみたり。

>世のため人のために、どのような活動
つまり剣道は小の兵法で個人の「生き方」なので、直接的に国家社会に関わらない方が
よいと思います。
「人は石垣」というように一人一人が歯車になっていければと。

政治は大の兵法で「兵法は軌道なり」というように、心の中に一匹の鬼をかわねばなりません。
最強の兵法は「敵と仲良くなること」だそうですので手段は違いますが、これをもって
剣道は「人間形成の道」としませんか。
[2007/03/21 16:56:08]

お名前: 浜露松草   
 全剣連は、剣道とは、人間形成の道であると明言しています。人間形成とは、どういうことでしょうか。
単に、自己鍛錬や自己実現であるなら、そのように表現すればよく、人間形成というお題目を唱えるには、
いささか大げさの感があります。

 人間を形成するというからには、それはつまり、剣道が、世のため人のためであるということを示唆して
います。では、剣道を修めた者が、世のため人のために、どのような活動をしているでしょうか。後継者の
育成や指導に勤しむだけなら、単に、自己鍛錬、自己実現を教えるに留まってしまいます。

 今の日本・世界の現状に、全く問題がないと考えている人は、おそらくいないと思います。剣道によって
人間が形成されていくなら、世の中に目を向けないはずがありません。範士が政治家となり、世の中を正し
い道に導いていくような姿が、あって然るべきだとは思いませんか?人間としての正しい在り方を、世の中
に示さなければならないとは思いませんか?それは、人の理を修めた者の、義務といえるのではないでしょ
うか。修めただけでは、何もしないのと変わらないのではありませんか。

 おそらく、多くの人が、自己鍛錬、自己実現、後継者の育成・指導に留まり、先に進展していないので
しょう。剣道誌を見ても、世のため人のためになるような活動の紹介は、皆無に等しいといえます。教育問
題を取り上げるのが、せいぜいでしょう。往々にして、剣道の技術そのものの紹介が目立ち、剣道を通じて
身につけるべきもの、活かすべきものの紹介は、きわめて少ないように思えます。

 護身という観点からすれば、剣道は役に立ちません。スポーツチャンバラのほうが、数段マシです。剣道
は、剣の技法を学ぶためのものではありません。もっと次元が違うところにあると思うのです。

 みなさんは、どう思われますか?

 私は、大して剣道を修めているわけではなく、偉そうなトピックではありますが、みなさんのご意見を伺
いたく思っております。また、議論を、一定の方向に収束する意思はなく、単に、問題提起や、あるべき姿
の再確認が目的と捉えていただければ幸いです。
[2007/03/21 13:50:09]

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