記事タイトル:最近稽古で思うこと 


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お名前: Hide.     URL
To 剣士以前さん

そうですね、こういったことってもっと声に出して言っていかなければなりませんね(^^)
[2007/03/09 22:19:02]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

そうですね。
>地稽古も「かかる稽古」と「互格稽古」の違いをはっきりさせたほうがよさそうだし。
これなども、私は別のトピで教えられはじめて知りました。
自分の勉強不足は勿論ですが、教えられないと知らない事が多いです。
先生方はやはり積極的に発言(指導)していただきたいですね。
発言することで議論も生まれ、理解も深まり、意思の統一も図られていくと思います。
[2007/03/09 08:51:33]

お名前: Hide.    URL
To 剣士以前さん

う〜ん、昔はオープンの稽古会なんていうもの自体があまり無かったせいもあるのかもし
れません。つまり、先生もお稽古するのは「自分のお弟子さんかよく知っている関係者」
だったんですね。
ゆえに厳しく稽古してもいくらでもフォローができた。

ところが、今は、あまり知らない方ともお稽古しなきゃいけない。
そうなりますと、あまり厳しいお稽古がつけられないのかも。

私も、初めての方とお稽古するときは、多少遠慮がありますからねぇ(^^;
まぁ、だからといって「打たんかな」のお稽古をされるとカチンときますが(苦笑)


繰り返しになりますが、剣道界全体がもう少し「鍛える」という視点に立ち返ったほうが
いいんじゃないかなぁ。地稽古も「かかる稽古」と「互格稽古」の違いをはっきりさせた
ほうがよさそうだし。
しーやんさんがご心配なさるのも、私には大いにうなずけることなんです(>_<)
[2007/03/09 07:54:11]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

上に立つ人々が本当にその辺を理解しているのか、に疑義があります。
勿論、十分理解している方が多いですが、理解が足りないただ剣道の腕が立つ、
という人も多いのでは?
現在の高段者も戦後生まれが多くなり、アメリカ主導の教育を受け、学生時代は
赤旗振ってた人が多いのでは?

ちょっと穿った見方ですかね?
[2007/03/08 23:11:20]

お名前: Hide.    URL
礼法や所作が「形骸」に陥り、魂がこめられていないのではありませんか?
それが「かかり方=心栄え」に変化をきたしているように思えます。

とはいえ、知らない人にお互い同士注意しあうのはなかなか難しいものがあると思います。
ここはやはり、上に立つものがしっかりと「稽古をつける」という視点に立ち返って元に立
っていただきたいと私は考えているわけです(^^)
[2007/03/08 22:58:36]

お名前: 剣士以前   
マナーの事とか、師・弟子の関係など昔(江戸時代まで)は、武士の基本的なたしなみでした。
剣術を行なう前に、そういう教育を受けた人たちが剣術をしていました。
しかし現在は武士はなくなり、日本的な礼儀や考え方も廃れました。
ですから、剣道をしている人には剣道をしながら、またはそれを通じてそういう基本的な
礼儀・考え方を教育していく必要があります。
そういう自分も出来る限り勉強していているつもりですが、知らない事が多く、また
知っていても実践できないでいる事が多いです。
剣道の理念や剣道修錬の心構えもそういうことをいっていると思います。
そして最終的には人のあり方まで、求めています。しかし、理念で謳っていながら
実際にはその辺が大変あやふやです。
別のトピの話になっちゃうかもしれませんが、そういうことは全剣連がもう少し
啓蒙に力を入れるべきところです。
しーやんさんが不満に思っている剣道をしている人々もそういうことを知らないで
やっているだけと思います。
悩める中年剣士さんが仰るように注意してあげる事が大事だと思いました。
(全剣連が主導権を取ってくれないなら)
[2007/03/08 22:48:16]

お名前: 悩める中年剣士   
このトピを契機に色々愚考しました。
剣道界が広く門戸を開放している限りは、色々な考え方を持つ方々がいて、その結果
稽古マナーが乱れるような現象が起きるのは、当然と言えば当然なのかも知れません。

ただ、人間は耳を持っています。口もあります。そして昨日の自分より、今日の自分の
方が進歩している(というか是非そうありたい)ものです。ちょっと遠回しな言い方
をしましたが、つまり稽古マナーが悪い方がいれば、それを注意することは可能ですし、
その方がちゃんと人の忠告を受け入れることのできる人であれば、きっと改善して
くれるのではないか? もし忠告を受け入れられないような人であっても、いつかは
その方が成長して、分かってくれる日が来るのではないか? 従って、竹刀を交えての
稽古だけではなく対話ができれば、時間はかかるかもしれませんが、思いは通じる
と思います。

しーやんさん、ちょっとまどろっこしいかもしれないし、対話をすると言っても、
なかなか適当な機会はないかもしれませんが、いかがでしょうか?
[2007/03/08 13:00:32]

お名前: 浜露 松草   
おはようございます。

若干、方向性がずれてしまったようで、申し訳ありません。

稽古というものは、例外なく、伝統的に学ぶことですから、
マナー、いわゆる所作を大事にしますよね。

誰もが、マナーとは形式だけではない、ということをご存知のはず。
モラル、と言い替えてもいいでしょう。

剣道に限ったことではありませんが、
いきなり我流で始めた人はいないだろうと思います。

稽古前に、神前、先生方、お互いに礼をし、
訓戒を読み上げることを、最初に教わったものでした。

こうしたことが、伝統的な学び方、に繋がるものでありましょう。

もしも、それらを無視することを、俺流というのだとしたら、
剣の操法のみに心とらわれ、理法の修練をしていない、
ということになりましょう。

万人が、一つの価値観で統一されることはないとしても、
要となる、守らなければならない基盤があります。

私は、それを人道、と表現しました。

今の世の中、乱れがちではありますが、人道に反しているのではなく、
人道を知らないだけではなかろうか、と私は感じております。

先生方への、かかり方、にしても、どうすればいいのかわからず、
多くの人がやっているとおりにしておけば、間違いない、と考え、
流されているのではなかろうか、と。

そうですね。
所作が、何のためにそうするのか、を自分で考え、解釈し、
そこから自分の道を見出すことができ、それを俺流と呼ぶのでしたら、
私は、それでいいと思いますよ。
[2007/03/08 09:54:42]

お名前: Hide.    URL
To 浜露 松草さん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。

もちろん剣道には、さまざまな動機でさまざまな取り組みをしておられる方がおられるの
は存じております。
でも、多くの人が集まる稽古会であればなおさら、マナーというか「お稽古のかかり方を
大切にすべきでは」としーやんさんは訴えかけておられるのだと思いますよ(^^)

まぁ、私も同調して復古主義のような書き方をしてしまった点は反省いたしますが、やは
り剣道には剣道としての「伝統的な学び方」というのがあってしかるべき何じゃないかっ
て考えていますけど。

そのあたりはいかがお考えになりますか?
「俺は趣味のレベルだから、そんなものには影響されない」っていう「俺流」もOKですか
ね、今の時代?(笑)
[2007/03/08 08:01:07]

お名前: しーやん   
皆様のご意見拝聴しました。

>たとえ同じ道を歩いているとしても、
>自分の意にそぐわない者を虐げてしまう権利は、
>少なくとも、私にはありません。

>誰にもない、と思いますよ。

確かにそうです。

しかし、例えば「禁煙」を宣言した人が、仲間から「どうせやめられる訳がない。」
「余計にストレスたまって死ぬぞ。」と馬鹿にされ、結局やめられなかったとか、
「禁酒」しようとした人が、会社の酒席で「俺の酒が飲めないのか」とコップ酒を
ぶっ掛けられたとか、そんなレベルと同様に、週4、5回の稽古に取り組む方が、
「体壊すよ。剣道なんか週1回やればいいんだ。」とかえらそうに仲間から言われた
とかいう話は当たり前のように聞くんです。
本人は一向に意に介していなくとも、周囲は「変態」扱いするとか、そういうのも
結構あるんです。

仮に週4、5回やっている者が週1回の人間に対し「ならず者」呼ばわりすると
ものすごい反発がありますよね。でもその逆なんかまったく聞いたことがない。

そういうくだらないやっかみが剣道家というより人間的に「不誠実」に映ってしまうのです。
週4、5回稽古したい方はすればいいし、週1回で十分と思っているならそれでいい。
何も他人に干渉する必要はないのですが・・・。

そんな奴放っておけといえばそれまでですが・・・。
[2007/03/07 22:14:45]

お名前: 浜露 松草   
はじめまして。浜露 松草と申します。

仮に、私が、
初心者とは、こうあるべきである、
という持論を語ったとしましょう。

多くの反論が予想できます。

剣道を始める動機は、人それぞれ違います。
最初に取り組む姿勢は、人それぞれ違って当然です。

では、
最後に取り組む姿勢は、皆同じものになるのでしょうか。

高段者とは、こうあるべきである、というのは、
私が冒頭で述べたのと同様、無意味な論議だと思います。

こうあって欲しい、という願望は、確かにありますが。

私たちは、人道に反しない限り、
剣を振るうことが許されております。

自分らしく、自分が理想とする剣道に、
少しでも近づけるよう、稽古を重ねる。

それだけでいいのではありませんか。

私は、
剣道とは、自分らしさを表現していく道、
だと考えております。

剣道に限らず、ですが。

たとえ同じ道を歩いているとしても、
自分の意にそぐわない者を虐げてしまう権利は、
少なくとも、私にはありません。

誰にもない、と思いますよ。
[2007/03/07 18:56:46]

お名前: Hide.    URL
To しーやんさん

なかなか辛らつな意見ですが、何だってインスタントが望まれる時代ではありませんか。
じっくり年月をかけて・・・なんていうのは時代的に流行らないんですよ(^^;

酒でもしょうゆでも味噌でも、みんな促成醸造です。本にしたって「世界の名作が5分で
わかる」みたいな「あらずじ本」がベストセラーになるし。スーパーやコンビニに行けば、
それこそインスタントやレトルト、冷凍食品の嵐! 世の中をあげて「お手軽においしい
とこ取り」っていう風潮なんじゃないですか。

100本の素振りを頑張るよりも、八段の先生に直接お願いしてお言葉をいただくほうが「た
めになる」と考えたって、なんら不思議はありません(-_-)


「仕方がない」とは思いませんが、少なくとも自分が関わった子どもたちには「努力して得
られるものの尊さ」についてはしっかりと語っていきたいと思いますし、「お手軽人生」を
歩まないように質実剛健の思想を見に漬けさせていきたいと考えています(^^)
[2007/03/06 22:12:03]

お名前: しーやん   
皆さんの意見拝読しました。

私はここで上の批判をするつもりはありません。ただ、気になるのは上の方が
下のほうのレベルを変に見極めてしまって、「この程度で十分だ」で終わっている
ことが気になるんです。例えば講習会で行う剣道形の講義は2〜3段と6〜7段で
内容がほとんど変わらないという点。要は講習会では本当の導入段階での基本しか
教えないということです。つまり6〜7段でも「どうせ基本出来てないんだろ?
お前ら。」ってな具合で変に受講者のレベルを低く見積もってきている点なんです。

しかし現状は皆有難がって多くの方が参加していますよね。で、大半の方がその手抜
きに気が付かない。

なぜそうなるのか?これは全く違う話を例えに出しますが、

「なぜ人は富士山に登るのか?登りたがるのか?」

それは富士山が日本一高い山だけではなく、姿形が美しいから。いうまでもありま
せん。

しかし実際富士山に登るのは大変ですよね。頂上へ近づくほど空気は薄くなるし、
気温も下がるし、想像以上に登るのが大変な山なんです。
しかも登山道には登山者が捨てた無数のゴミ。下から眺める姿とはえらい違いです。

だからと言っては何ですが、「富士山は登る山ではない。眺める山だ。」と言って、
登ろうともしない人がいる。そんな人たちが、一生懸命登っている人を指差して
笑っているのが今の剣道界の底辺の姿なんです。
もし、登山途中に酸欠で倒れようものなら「ほれ見ろ。言わんこっちゃない。」と
高笑いして馬鹿にするのが今の一部の剣道家の姿なんです。

厳しい稽古、荒稽古に戻せとは言いません。しかし気を練る方法ならば道場の中だけ
が稽古場とも限りません。
我々は昔、海や山に向かって素振りをさせられました。それは自然を相手にすることで
人間という生き物の無力さを知り、森羅万象の自然の精気を自らに蓄える意味でも
重要な稽古法の一つだったんです。しかし今では新興宗教扱い。やっている人間は
キチガイとか変態とか言われる。

結局詰まるところ、今の道場で教えられることは基本動作だけになってしまった。
試合に関するテクニックは、学生は試合で勘を養えという方向だし、色んなエッセンス
を省いていくと、道場の中で教えられるのは基本動作だけ。
だから初段〜七段まで教えることは同じになってしまう。

しごきをせずとも、自らを鍛える方法はいくらでもあるのですが、講習会で、
100本素振りを命じられると、すぐ脇に避けて人が振っているのを見ているだけ
の方も大勢いらっしゃる。理由は「40肩、50肩だから。」本当は「しんどい
から。」それでいて地稽古になると俄然張り切って先生方に掛かって、
終われば一目散に先生方の所へ駆けていきアドバイスを求める。
そんな姿を見ているから先生方も真剣に教えることはしない。
運良く昇段すれば「ちょっと小休止」と言って、暫く道場に来なくなる。
これじゃ誰も教えません。

数をかけて振らせるのは体力をつけるためではない。数をかけても疲れない
振り方を体に身につけさせるには数を振らせるしかないから。
何もしごきでも何でもないんです。受験で英単語を沢山覚えるのと同じなんです。
それが今の人には分からない。英単語も知らずして長文読解が出来ますか?

これは剣道に限らず、他のスポーツでも同様の現象があるのではないでしょうか?
一般社会においても良く似たことは沢山あります。

皆分かっている方は分かってらっしゃるんです。でも、「仕方ないんだ」で我慢されて
いる。それが歯痒くて仕方がないんです。
[2007/03/06 21:42:48]

お名前: Hide.    URL
私も、しーやんさんと同じような稽古の経験を積んできました。大学の卒業が昭和56年で
すから、40年代から50年代にかけての話です。

某トピで「荒稽古」について書きましたら、「それは剣道ではない」「ルール上は反則だ」
「指導という名を借りた暴力に他ならない」「誰もそんな稽古を望んでいないのだからいじ
めだ」「先生というおごりから来る虐待だ」と噛み付かれました(^_^ メ)

あの当時は、のんきに鍔ぜり合いをしていようものなら、先生方の足が飛んできました。
床に転がされ、面をはがれ、往復ビンタをいただき、それでかり稽古です。
気合が入っていなければ、壁に飛ばされ、足をかけられて床に転がされ、道場の外に放り
出されたことも数え切れないほど。いつも身体中には無数のあざがついていました。
ハイ、すべて試合規則上は反則ですね(^_^ メ)
しないで有効打突を奪い合う競技には無関係な暴力的な行為といえるでしょう。

たしかに当時の私は、そんな稽古は望んでおりませんでした。でも、あの当時そういう風
に厳しく稽古をつけてくれた先生方には心から感謝しております。苦しくつらかったです
が、先生方は私の限界を知り身体を壊すほどのムリをさせませんでしたし、ぶっ飛ばされ
ても怪我(あざ以外)などはしませんでした。先生方にもそうした心得があったってこと
なんでしょう(^^)


地稽古にしても、しーやんさんがおっしゃるとおりです。
字稽古と入っても互格稽古ではありませんでしたので、結局いつしかかかり稽古に・・・
なんて感じでしたし。ですから最後に先生から「一本勝負」とか「三本勝負」とお声をかけ
ていただくのがホントうれしかったですね。
ここぞとばかりに張り切って、うまく先生に「いいとこ」といっていただけたら、その後の
「かかり稽古&切返し」が免除になったりして(笑)
打てたとしても、心栄えの正しくない引っ掛け立ったりすると、結局「かかり稽古&切返
し」がしっかりついてましたけど(^_^ メ)


やはり、上位者が楽をしているんですよ。
偉ぶるというのではなく、下位者を鍛えるという温かい視点を持つべきなんじゃないです
かね(^^)
[2007/03/06 10:20:03]

お名前: だみ声   
しーやんさん ご意見拝読しました。
驚いたのはしーやんさんが若い頃に受けた稽古内容の描写が昭和39年から3年間(19才から21才ま
で)、僕が受けた稽古内容と酷似している点です。
もし、しーやんさんが30代なら、そんな最近まで僕のあのころの様な稽古がまだ残っていたのかという
驚きですが、 ひょっとしたらもう少しご年配なのかと勝手に想像しております。

ぼくの先生は、 奇しくも今の僕の年齢の時、 僕らを指導して下さいました。 ちょうど京都府警を定年退
職されて、 我々の稽古場へ週に1回お出かけ下さいました。 鹿児島のご出身で京都武専をご卒業でした。
(京都武専卒がどんな専門家であるかなど、かなり後になって知った次第です)。当時教師七段、その後八段を取られたと伺いました。
とにかくこの先生の稽古の記憶は、 しーやんさんと同じで、 切り返しと掛かり稽古のみです。 それこそ
面をかぶったまま ゲぇーや、道場の外へ放り出されたり、 組まれて面を外されて平手打ち食らったり、結
構荒っぽいものでした。 週一の稽古後の首筋は、いつもみみず腫れでした。
現在へたなりにも、指導者として若い人に剣道を教える立場にありますが、 同じ内容で指導はしたことは
ありません。 ただし経験談として、 話すことはあります。

多くの指導者が、 同じような経験をお持ちと思うのですが、 もしこのような稽古を実施したらどうなるの
でしょうか? 場合によっては、 父兄からクレーム、又はいきなり訴訟なんて事が起こるのではないでし
ょうか? 
一見指導内容が「甘くなった」とも受け取られますよね。何しろ学校でも「暴力」と「愛のムチ」の区別
が出来なくなっており、 先生は決して生徒に「体罰」をしてはならないのですから、甘くなるのも当然で
す。

 >本来、稽古とはそうやって気力を練る場ではなかったのではないか?と思うんです。
その通りなのですが、 情報が未消化のまま光速で飛び交う時代では、 理屈抜きで引っ張ることは批判を浴
びるだけになってしまいました。 何もかもに法律が存在し、 企業の中でも無事故のための、出来もしない
ルールが膨大なページ存在する時代です。 そのうち「歩道の歩き方」や、 「傘の差し方」まで法律が出来
るんではないかと思います。

 >そういうところからどうも時代が弱くなった気がするんです。
あらゆる場面におっしゃる様な時代になってしまったようです。 ここで鍛錬のための「徴兵制」の復活な
んて発言しようものなら、 袋だたきに合うだけでしょう。

では、剣道の修業に於いて、 如何に取り組むのかと言うテーマに立ち返ってみると、 「自己鍛錬」が究極
の選択肢ではないでしょうか? それを実践する場合、「他者」を当てにすることは出来ません。 他者は
「訴えられない」範囲でしか関わらないから、味気ないものです。

なんだか白けてしまいましたねえ。 剣道に対するポテンシャルまで下がってしまいました。 

最後に僕は、 自分の技量であの先生の稽古は「分不相応」と思った時は、 並はないで他の空いてるところ
で稽古するよう心がけています。
[2007/03/06 02:33:49]

お名前: ぽいぽい   
しーやんさんへ、ぽいぽいこと錬七です。

あなたとは、言葉ではなくて、竹刀で会話したいですね。
今度お手合わせください。

言葉では、会話にならないと思います。
[2007/03/06 00:32:17]

お名前: しーやん   
確かに私にも焦りがあります。

しかし、私はかつて道場で体験したあの経験を考えると、最近はなんとなく
底が見えてきたような気がして、余計に苛立ちすら覚えるんです。

かつては、道場の隅っこでいつもコソコソと稽古されているおじいさんが何人かいて、
そのおじいさんが、たまに若かりし頃の我々に「おう、若いの、一本やろう。」と
声を掛けてきた。我々は未熟だから、「なんだ、こんな弱そうなジジイ。さっさと
終わらせてやる。」と思い込んで稽古をお願いするわけですが、予想に反し、
このおじいさんは軽快なフットワークで我々の打突を捌き、ポンポンと打ち込んでく
る。我々は頭に血が昇ってしまって、さらに激しく打突を仕掛ける訳ですが、
飄々とした動きで翻弄し、またポンポンとやられる。それを見ていた上席の大先生が、
我々に激を飛ばすという光景が結構あったんです。二、三段と思しきそのご老人
達は戦前仕込みの剣道で我々を翻弄。段位も取らずに趣味で続けられたこの方たち
は、ある意味名人芸とも言えました。昔はこんな方たちが結構いたものです。

また、大先生にかかっていって、スコーンと足を払われて吹っ飛び、倒れたところを
足を持って引きずり回されるという経験もしました。
今大先生でもそんなことをすると、「けしからん」となるわけですが、我々のころは
日常茶飯事に行われていたごく普通の光景だったんです。

そんな中で、剣道の奥深さを知り、どうすればあんなに強くなれるのか、そればっかり
考えてやってきたんです。

若い頃、行列に並んでじっと見ていた、某高名な先生(当時はまだ七段だった頃)と
その教え子の某超有名選手との、鬼気迫る勢いでの地稽古。見ているだけでも、
その迫力が伝わってきて、ドキドキしながら順番待ちをしていたんです。
だから順番が回ってくる頃には疲れて全くまともに稽古にならない。
どうすればあんなことが出来るんだ??とずっとそれを考えてやってきました。

また、その当時の範士の先生方は、我々が勢いよく掛かると、「ハイハイハイ」と
言って打たせるだけで、そのままかかり稽古になり、切り返しをして終わり。
地稽古なんてものは全く頂くことが出来なかったんです。
並ぶだけ並んでかかり稽古。なぜ?と思い、どうすれば地稽古のお相手をしていただ
けるのだろうか?そればっかり考えていて、そうしてある結論に至ったんです。

「気で攻めて、勝ってから打とうとせず、身勝手に打突ばっかりするなら、打ち込み
で十分。それなら打ち込みかかり稽古をしっかりやりなさい。」

ということだったんです。それが社会人になっても続きましたが、
数年が経ち、その先生にかかっていくと、たった3分間だけ地稽古をして頂けた。
結局、中心を攻められ下がりっぱなしだった訳ですけど、「いい稽古だった。」
と後で言って頂き、「ああ、やっぱりそうだったんだ。」と、それからは
合気になった状態で、如何に気で攻めていくかということを意識してやってきたつもり
です。

それだけに、どうも最近は中身がなくなってきたような気がして、見ていて
歯痒く見えてしまうんです。

それこそ、私が高校生の頃は、気力を振り絞って稽古しなければ、羽目板にブッとば
されて、床を転がされて、防具棚に入れられ、扉から外に放り出され、なんてのが
当たり前。面を取られて、なおかかり稽古を続けられ、頭を竹刀で痛打されて、
翌日はたんこぶが出来て面をつけると痛みで顔が歪むほど。それでも稽古に出なければ
いけなかった。
しかし今は高校生が半気で掛かっても、誰も咎める者もいない。
ちょこっと稽古を厳しくすると高校生なんかすぐキレて突いて来る。
それはいいけど、「そんなに憎いなら本気で俺を突いて来い。」と言って、
部位を空けて前に立ってやると、迫力にビビッて遠慮がちに突いて来るので全く
かすりもしない。

そういうところからどうも時代が弱くなった気がするんです。
見せかけばかりの形を追求しても、そこに宿る中身が充実していなければ
まさに「仏造って魂入らず」です。

本来、稽古とはそうやって気力を練る場ではなかったのではないか?と思うんです。

やはり私は、稽古では自分に順番が回ってくるときのある種の緊張感というものを
もっと大事にしていきたいと思うんです。

余りにも今は優しくなりすぎた気がしてなりません。だから稽古に緊張感が
消え失せてしまったような気がします。
[2007/03/05 23:28:46]

お名前: Hide.    URL
To しーやんさん

>それは稽古後の挨拶の行列を見ていても思うことです。
>どうもこれはお礼と言うよりは何かアドバイスを欲しがっているような風にも感じ
>られるのです。

そうですね、それはあるでしょうね。
でも先生方にしても、大して印象にもない人にでもサービス精神から一言言わなきゃいか
んから、たいへんなことだと思いますよ(^_^ メ)


>とにかく、人から言葉で教えられることに慣れすぎているので、何か言ってもらわない
>と不安なのでしょう。
>これが問題です。

たしかに問題ですね。
「考え、観察し、工夫する」といった繰り返しこそ稽古なんですがねぇ( -o-) フゥ
[2007/03/04 22:48:03]

お名前: だみ声   
八段を目指して毎回挑戦されている皆様にとって、 高名な先生がお越しと聞けば、 出向いて行かれるのは
ごく自然なことではないでしょうか? 目指すものが八段でなくても、 そこに一般の剣道家も出向いてお
れば行列が出来るのは仕方ないのではないでしょうか?
八段取得のための講習会でもないなら、「八段挑戦者のみ」私の前に並びなさい、なんて言う高名な先生は
いないと思いますし・・・
高名な先生に長い行列が出来るのも自然なことで、 並ぶ人の「この先生に頂く稽古の心構え」などそれぞ
れですので、 知るよしもありません。 
しーやんさんのお気持ちを推測してみると、「僕ほど真剣にこの先生との稽古を望んでいない人は、 じゃま
だから別の先生の所へ行って欲しい」と言う感じがするのですが如何でしょう?
お気持ちは分かりますが、 方法はありませんね。 そこにしーやんさんの「いらだち、不満」が生じて今回の
カキコとなっているのではないかと感じましたが如何でしょう?

 >そんなに東奔西走するなら、お目当ての先生がいらっしゃる道場に行けばいいのに
 >と思うんですが、そこが今の剣道家の奥ゆかしいところなのでしょう。
 >変に気を使いたくないから大勢が集まる稽古会へ行き、そこで横着する。
 >名前は覚えられないし、万一悪い印象で覚えられても、次は掛からなければ良い。
 >その先生のホームタウンへ行けば、出入り禁止を食らうかもしれない。
 >が、ここでは余計に気を使わなくても良い。
 >そういう打算が見え隠れしますね。
この一文の内容は、そのまましーやんさんにも言える部分でもあると思います。 高名な先生が「近くの
道場においでになる」からこそ大勢がぜひ「手合わせを」となるわけだし、 なかには「記念に」稽古をい
ただくだけの人もおられるわけですよね。「そんな人は来るな!」と思っても言えないですね。 自然長い
行列が出来るし、 高名な先生にとっても、 「どこへ行っても自分の前に、いつも一番長い行列が出来る」
のは悪い気はしないと思います。 ご自分に大勢が稽古を望んでいる「証」であり、ご自分の業績がこんな
形で現れている点に、納得や満足されることではないでしょうか?

 >ある県で、市の武道振興会が運営する道場が、一般人を締め出しました。
これには賛否両論あると思いますが、運営する側のポリシーの問題であると思います。 今回の稽古会の
「主旨」が明確にうたい上げられ、浸透されておれば、 それを了解の上「参加」していただく事になります。
でも・・・・
 >悪く思わないで下さい。道場の中で伝えたいことを正しく伝えるには、
 >それを受ける側にそれなりの努力と姿勢が必要だからです。
 >その意思がある方だけに来て欲しいと言う、厳しいメッセージなんです。
よほど上手に説明されないと、せっかくの高度な「稽古内容」も「伝統技」も反発されるだけに終わって
しまえば元も子もありません。 なにしろ「その意思のある方」の意思の幅や技量の幅をどう判断するのか
単純でない要素を抱えての「締め出し」であり、逆に「会員」になっておれば、 OKでは軽薄とも言われ
かねません。 会員になるために「入塾試験」などが公正に行われる制度などが必要になりそうですが如何
でしょう?

辛辣なカキコのしーやんさんから、痛烈なご意見が来そうな予感を覚えつつ、 上記の様に意見発表させて頂きます。

おっと・・・
シーやんさんには「いちに会の部屋」に12/28立てられたトピで、僕は「あなたの、そんなに熱心に
剣道に取り組まれる目的」をお尋ねさせて頂きましたが、 よろしければお知らせ下さい。
不肖、この僕は、剣道は「面白い!」が根幹になってます。 「勝って」喜ぶだけでは「未熟」と言われ
負けても「納得 (満足とは違う)」が出来たり、 竹刀で打ちあう一見「凶暴」と思える攻防の中に、おおげ
さにいえば、人生そのものの全てを語りうる「思想」を感じるから、そこを追求して行くのだ、が目的で
あり、だから剣道を続けています。
[2007/03/04 12:37:34]

お名前: 剣士以前   
しーやんさん

現状がしーやんさんの仰るとおりとすれば、由々しき問題ですね。
私は週末土日だけの剣道ですから、所属剣友会の稽古だけで十分です。
だって、自分より優れた先生が沢山いらっしゃるからです。
そして時には近くの他の剣友会と合同稽古があります。
もしそこに自分より優れた方がいらっしゃらなくなったら出稽古もあるでしょうが、
そんなすごい腕のはずもなく。
みなさんそんなに自分の所属剣友会・道場でたくさん稽古していて、それでも足りなくて
出稽古に来ているとすれば皆さんはすごい腕前なんでしょうね。
それに所属剣友会で先生に受けた指摘を稽古するだけで時間が足りないはずで、
よそに行ってもっと多くの指導を受けては消化不良になっちゃいます。
指導は自分の師から受けるべきものです。師は弟子の全体を見て総合的な判断から
順序立てた指導をして下さっているはずですよね。

ある意味、無礼ですね。
[2007/03/04 07:40:00]

お名前: しーやん   
こんばんは。

本日もある稽古会に行きましたが、いつも以上に輪をかけて酷い状況でした。

基立ちの八段の数に対し、集まった剣道愛好家のやたら多いこと多いこと・・・。
40分間の稽古で常に12〜3人の行列が出来、これではかかれても多くて2名。
普通だと1名が精一杯でした。当然一人しかかかれず、結局下へ下がって、七段以下
の方と数をこなすことに専念しました。

こういう状況にもかかわらず皆行列に並ぶんですよね。早めに見切って下へ下がって
互角稽古でもすりゃいいのに・・・。
七段クラスの先生でも力のある方は大勢いらしていました。
その力量を見極めるのも剣道家としては大事なこと。

そんなに東奔西走するなら、お目当ての先生がいらっしゃる道場に行けばいいのに
と思うんですが、そこが今の剣道家の奥ゆかしいところなのでしょう。
変に気を使いたくないから大勢が集まる稽古会へ行き、そこで横着する。
名前は覚えられないし、万一悪い印象で覚えられても、次は掛からなければ良い。
その先生のホームタウンへ行けば、出入り禁止を食らうかもしれない。
が、ここでは余計に気を使わなくても良い。
そういう打算が見え隠れしますね。

ある県で、市の武道振興会が運営する道場が、一般人を締め出しました。
ある意味公共施設とも言えるその道場で、一般人を締め出し会員制にするわけだから、当然ものすごい批判を受けるわけなんですけど、理由を聞いてみると、
やはり前述の要素が多分にあることが分かりました。
最近は会員外の出稽古を締め出す所も結構増えてきました。

悪く思わないで下さい。道場の中で伝えたいことを正しく伝えるには、
それを受ける側にそれなりの努力と姿勢が必要だからです。
その意思がある方だけに来て欲しいと言う、厳しいメッセージなんです。

立派な青少年を育成する場として、高校生以下を指導する為の自由参加の稽古会は
あってもよいですが、大人だけの稽古会は自由参加にするとこういう問題が
必ず起こってしまうんです。

どうも最近は剣道愛好家の方たちが何を目指し、何を求めていこうとしているのか、
それが見えないことが多いんです。
体を動かす為だったら、それこそ他に楽しいスポーツは沢山ある訳で、何も剣道に
こだわる必要もない。
剣道をやることで、得られるものは何なのか、それを得る為にやらなければならない
ことは何なのか、それをもっと考えていって欲しい。

私は剣道がこのまま棒叩き運動で終わって欲しくないんです。
いつまでも「剣道」であって欲しい。
[2007/03/03 22:23:57]

お名前: しーやん   
こんばんは。

本日もある稽古会に行きましたが、いつも以上に輪をかけて酷い状況でした。

基立ちの八段の数に対し、集まった剣道愛好家のやたら多いこと多いこと・・・。
40分間の稽古で常に12〜3人の行列が出来、これではかかれても多くて2名。
1名が限界でした。当然一人しかかかれず、結局下へ下がって、七段以下の方と
数をこなすことに専念しました。

こういう状況にもかかわらず皆行列に並ぶんですよね。早めに見切って下へ下がって
互角稽古でもすりゃいいのに・・・。
七
[2007/03/03 22:15:42]

お名前: しーやん   
皆さんの書き込みを拝見させていただきました。

やはり、感じることは皆同じということも分かりました。

正直なところ、思うのは、皆教えられすぎて自分で考えることをしなくなった
ということです。

それは稽古後の挨拶の行列を見ていても思うことです。
どうもこれはお礼と言うよりは何かアドバイスを欲しがっているような風にも感じ
られるのです。

これは私にも経験あることなのですが、稽古後に駆け寄ってきた方に、
「ありがとうございました。」と頭を下げられ、私も普通に挨拶で返したのですが、
すかさず「何かありましたら(アドバイスを)お願いします。」といわれて呆気に
取られたのを覚えています。

とにかく、人から言葉で教えられることに慣れすぎているので、何か言ってもらわない
と不安なのでしょう。

これが問題です。

だから東奔西走に繋がるんです。より高名な先生の言葉のほうが説得力あるように
聞こえるのでしょう。
しかしそれが自分にあった指導かどうかは分かりません。
とにかく今は指導過多なので、自分で取捨選択していくことも必要なのです。

自分で考えて、試行錯誤して、ものにしていかなければ本当に身にはつかないのに、
人からちょっと教えられただけで、それで満足しているような風にも見受けられるんです。

自分もそう思うんですけど、今は指導がインスタントになって、コンビニ化して
しまったような気がします。

剣道は本来、気が遠くなるほどの膨大な基礎訓練の積み重ねによって、自分の中に
形が出来てくるものだと思います。
一見遠回りのようでいて、それが一番の近道な筈。
[2007/03/03 12:00:49]

お名前: Hide.    URL
あり、昨晩レスしたんだけど、書き込まれてないなぁ(>_<)
気を取り直してもう一度書きますね。


To 剣士以前さん
>有り難う御座います。
>そういう気持ちで稽古に臨みたいと思います。
恐れ入りますm(_ _)m

>50のリバ剣で体力はないけれど、ないなりに全力+アルファで力を出し切ることが
>向上につながると思いました。稽古は苦しいものですよね。
先生方はちゃんとこちらの限界を見抜いておられます。それにちょっとプラスして、限界
を伸ばしてくださる。ありがたいですねヽ(^.^)ノ
でも、年々、そういうお稽古をつけて下される先生が少なくなってまいりました( -o-) フゥ


To じじさん
30代前半の方でいらっしゃいましたか。それは失礼しました。
私は、まだ、20代の方かと(^^;

>若造の勝手な印象なんですが、やはり自然にかかっていく稽古になる先生も
>いらっしゃいます。
それは、先生の遣い方が優れていらっしゃるからだと思います。
そういう風に引き出すためには、ご自身もきついはずなんです。ありがたいことです(^^)

>私も自分より若い方や学生さん・子供たちと稽古する機会も多いのですが、基に
>立つほうも難しいですよね。
自分だけが「打てばいい」というような稽古は、お相手のためになりません。とくに子ども
たちに対しては、それ以上に動いて合気になってあげませんと、お相手はちっとも稽古に
なりませんので。
元立ちってホント勉強になりますよヽ(^.^)ノ


To 祥さん
管理人のHide.です。

>警視庁の特練の方の懸かり方を
>参考にしていたつもりでしたが、全く別の稽古をしていたんですね。
さすが、警視庁皆さんはよくかかり方をわきまえております。ゆえに、やはり地が鍛えら
れているんですね(^^)

>野間の先生によく「もっと仕掛けろ」と言われるのは
>きっとhideさんが書かれていたこの心がけが不足していたんですね。
「正しく打てば、正しく返される」、これが剣道の理であり、かかり方でもあると思います。
「打たんかな」「打たれまい」の稽古は見苦しいし、己を育ててはくれません。
剣道は「捨て所を探す競技」ですので(^_-)〜☆
[2007/03/01 21:27:13]

お名前: 祥   
しーやんさん>
非常に参考になるトピを立てていただきありがとうございます。

hideさん>
ご指導ありがとうございます。

野間道場に行き始めて、先生への懸かり方がよくわからず
互角稽古のような懸かり方をしていたと猛省しています。
警視庁の特練の方の懸かり方を
参考にしていたつもりでしたが、全く別の稽古をしていたんですね。

「攻防の中で機会が見えたら、迷うことなく打っていく。
 機会が見えなければ、無理やりにでも崩して機会を作るように心がける。」

野間の先生によく「もっと仕掛けろ」と言われるのは
きっとhideさんが書かれていたこの心がけが不足していたんですね。
ありがとうございました。
さっそく今夜の稽古から注意していきます。
[2007/03/01 12:56:11]

お名前: じじ   
Hideさん
こんばんは

私は現在30台前半です。
まだまだ未熟ですので以後ご指導くだされば光栄です。

本件を機会とし、かかる稽古を実践できるよう修行します。

若造の勝手な印象なんですが、やはり自然にかかっていく稽古になる先生も
いらっしゃいます。
そういう先生は受けっぱなしではなく、やはり応じ技を頂戴し勉強になります。
私も自分より若い方や学生さん・子供たちと稽古する機会も多いのですが、基に
立つほうも難しいですよね。
目上の先生にかかる稽古と共に、基にたつ時は、稽古をすることで、お互いに
向上できるような稽古を目指さないといけないなぁと感じてます。

幼稚な意見失礼しました。
またアドバイスいただければうれしいです。
[2007/02/27 21:08:35]

お名前: 剣士以前   
Hide.さん

いい話をうかがいました。
有り難う御座います。
そういう気持ちで稽古に臨みたいと思います。

先日野間道場にお邪魔し、ある先生に稽古を御願いしましたが、
どうしようもなくて、ただただ打ち込みました。
かかり稽古みたいになりました。
その先生は、私の限界をよく見ていらして、「はい。そこまで。」
私はほっとしましたが、先生は「それではきり返し。」
私は「えっ!?」
こんなにきつい切り返しは高校以来でした。最後の面一本が打てませんでした。
稽古はこうするものなのだな。と思いました。
50のリバ剣で体力はないけれど、ないなりに全力+アルファで力を出し切ることが
向上につながると思いました。稽古は苦しいものですよね。
ちょっと題から外れていますが。

今のリバ剣・遅剣はそこのところを忘れてる、もしくは知らない。
何かの機会にこういうお話をしていただけるとありがたいです。
こころします。
[2007/02/27 20:57:24]

お名前: Hide.    URL
To じじさん

管理人のHide.です。
ご意見ありがとうございました。


>特に目上の先生に対しては、一方的な攻めは通用しなく、生意気ですが相手を
>「引き出す」ところに機会が生じると最近感じてます。

それは互格稽古の考え方ですね(^^)
じじさんがおいくつの方か存じ上げませんが、やはりお若い方はかかる稽古と互格稽古の
違いがわかっておられないのででしょう。

上位の先生に「攻めて引き出す」なんていう稽古のかかり方をするのは無礼なことなんです。
攻防の中で機会が見えたら、迷うことなく打っていく。
機会が見えなければ、無理やりにでも崩して機会を作るように心がける。
それが、目上の先生へのかかり方です。

その中から、打たれたりさばかれたり引き出してもらって、「機会」を学び「攻め」を知る
んです。剣道は「正しく打てば正しく返される」のが理ですからd(^-^)! 


>初太刀・一本勝負が問題ですねー

初太刀はもちろん先をかけて「必ず一本にする」という強い気持ちが必要です。
「一本勝負」と声をかけていただきましたら、「何が何でも一本とるぞ!」という強い気持
ちが必要。両方とも、一本にこだわっていいと思いますよ(^_-)〜☆
[2007/02/27 20:47:30]

お名前: じじ   
こんばんは

稽古の仕方。私はまだまだ若造ですので、分かってないのかな?
ただ、小さい頃からずーっと稽古しているので、目上の先生には打っていかざるを
得ない圧力のようなものを感じますよね。
私の場合はむしろ、安易に打ち込んでいくのを控えようという気持ちがあります。
攻め返し・機会を見出さなければと。
特に目上の先生に対しては、一方的な攻めは通用しなく、生意気ですが相手を
「引き出す」ところに機会が生じると最近感じてます。

しかし、高段者の先生はみなさん「どんどん打っていって、返されることで
鍛えられるんだ」とおっしゃいます。
私はこれを機会に、少し考えを修正し、かかっていく気持ち・姿勢を見直そうと
思います。

初太刀・一本勝負が問題ですねー
未熟者なんでそこで変に勝負にこだわらないで出来ればいいのですが><
[2007/02/27 20:15:13]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

私もつい先日、剣道雑誌の編集者とそんな話をしたばかりです(^^;
 ●今の人たちは先生方へのかかり方を知らない
 ●先生方も「鍛える」稽古をしない
とそんな内容でした。
それは時代が優しくなったせいばかりでなく、高段者が楽をしている証拠だと私たちは結
論付けました。


そもそも地稽古というのは、「地を鍛える稽古」であって、総合稽古なんです。上の先生
にお願いするときは、「かかる稽古」で、機会と見ればどんどん打ち込んでいって積極的
に技を仕掛ける稽古をするものです。先生方もまた「引き立て稽古」ということで、機会
なら打たせる、そうでないなら「さばく」「返す」などを行なうのです。

そして、ある程度息が上がってきたところで、「一本勝負」とか「三本勝負」と声をかけて
いただいて、ここからが互格稽古のはずなんです。
もちろんそれは勝負ですので、今度は先生の技を待ってもかまいません。とにかく、死力
を尽くして一本を狙いに行く稽古です。

打たれたならば「もう一本」などと粘らないで、「参りました」と頭を下げ、最後には
「かかり稽古をお願いします」とか「切返しをお願いします」とお願いするものです。


ところが昨今は、しーやんさんがご指摘のような状態。
しかし高段者も、そういう無礼な稽古を見過ごしにしてしまうので、「それでいいんだ」
ってかかるほうが思っちゃってるわけです(-_-)
いきなり互格稽古なんか始めるような人は「はい、かかり稽古」っていっちゃえばいいん
です。

まぁ、しーやんさんが皮肉交じりに書かれてますが、私もあちこちに稽古に出かけますが、
地稽古の最後に「かかり稽古と切返し」をつけてみますと、クモの子を散らすように自分
の前から列がなくなるのが現在の状況です(^^;


別に高段者に「威張れ」といっているわけではありませんが、稽古のかかり方を知らない人
たちにそういうことを教えるのも高段者の務め。かかり稽古や切返しを受けるのってけっ
こう体力を消耗しますので、高段者自身が楽をしちゃってるんじゃないかなぁ(^_^ メ)


あともう一点ですが、師弟関係がなくなったというのも今の剣道をだめにしていますね。
「一人の師匠にしっかりと育てていただく」というのが剣道本来の学び方。その師匠の許
可をいただいて始めて「出稽古」なんです。
ところが今の剣道家は師を持たない。
で、あちこちに高名な先生を求め、その先生とお稽古をします。

そこまではいいのですが、ちょっとでも声をかけていただくと「●●先生の薫陶を受けた」
なんて勘違いして言いまわる始末。しーやんさんの「一本とった」も悪質ですが、迷惑な
話ですよ、まったく(-_-)


剣道界はこのままではどんどん悪い方向にいってしまいます。
どこかで誰かが楔を打ち込みませんとね( -o-) フゥ
[2007/02/26 08:20:41]

お名前: しーやん   
久しぶりにカキコします。

最近思うことがあります。

最近は色んな稽古会に行っても、やたら人数が増えたように思います。
それも子供より大人。一般の道場は数が減り、子供の数も確かに減りました。
しかし、どこかの偉い先生がやっている稽古会や、剣道連盟の稽古会には毎度の
事ながらやたら大盛況。それだけ、求める人が多いってことは歓迎すべきことでしょう。
が、しかしそうも言ってられません。
最近の剣道愛好家の方を見ていて思うんですが、ネットの氾濫と情報過多のお蔭か、
昇段審査が近くなるともうあっちこっちへ東奔西走。あの先生、この先生を求めて
駆けずり回って稽古に押しかけます。その結果、待っているのがものすごい行列。
開始30分経っても順番が回ってこないことなど当たり前です。

あっちの道場がいい、こっちの道場がいいと聞けば一目散に東奔西走。
確かに心構えとしては立派かもしれませんが、どうも節操がないような気がします。

で、肝心の稽古ときたら・・・それだけ求める姿勢がありながら、やることと言えば、
とにかく「一本当ててやろう」という気持ちで、何とか横着して一本当てることしか
考えない稽古姿勢だったり、折角の機会に気力を精一杯振り絞って、全身全霊を込めて
出し切るということをしなかったり。

で、たまたま一本当たったら、「あの先生から一本奪った」と自分の道場へ帰って自慢する。

そして、一番問題なのは順番取りです。最初の30分はお互い同士の稽古ということで、
先生方は面をつけないで見ていることが多いのですが、その時に面をわざとゆっくり
つけて、その30分間、誰とも稽古しないで、順番待ちをする者が現れる始末。

皆求めて大勢の人が集まってくるのだから、お互いが気持ちのよい時間を過ごして
帰れるような配慮が何にもないのですね。自分だけ満足できればいいという
我欲の固まり。それが前述の稽古態度にも現れているのでしょう。

ダラダラと稽古を続けず、短時間で精一杯出し切って、打たれたら終わって反省と
いうところがなく、打たれまいと散々逃げ回り、時間を引き延ばして、横着して一本
当たれば自慢してってのが、最近やたら増えたように思います。

どうやって稽古で自分を上げていこうかという姿勢が何も感じられない方が本当に
増えました。根本的に稽古のやり方が間違っています。
基立ちの先生もそんな姿勢を感じ取っているのか、最近は真面目に稽古される先生も
減りました。全く意味のない当てっこなんかやったって、疲れるだけで、それで
大勢もの人間を相手にしていたのでは、とても体力が持たないからでしょう。
余計にピリッとした空気がない。これを見ていて、全く剣道を知らない方はどう思う
のでしょうか?こんなものやりたいと思うのでしょうか?

名前や肩書きだけ追い求め、媚びて自分の中身を上げることすら考えない。
上げようとはしているのかもしれませんが、間違った方向のまま誰からも
修正されない。
そういうところから日本の剣道の低迷が見えてきているような気がしますね。

もし、剣道連盟が、「切り返し、打ち込み、掛かり稽古」だけの稽古会を実施すれば
一体何人来るのでしょうか?
参加者に素振り500本ぐらい振らせるなら、何人が参加するのでしょうか?

そろそろこういうことも考えていかなければならないのではと危惧するところです。

皆さんはどう思われますか?
[2007/02/26 00:40:23]

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