記事タイトル:和顔既以暢 


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To まんきちさん

拙サイトが少しでもお役に立ちますればうれしく存じます。
稽古後はいつでもにこやかに挨拶を交わせる自分でありたいですね(^0^)
[2005/03/14 08:07:10]

お名前: まんきち   
みなさん ありがとうござます。
竹刀袋の写真が載ったHP(商品紹介の頁ですが)がありましたので 見てください。
http://www.budogu.jp/cart/syousai.cgi?itemcd=fa012
どこかの偉い先生が 好きな「ことば」で書にされたのかなあと思ってもみてます。
[2005/03/13 12:53:50]

お名前: まんきち   
くにさん どうもありがとうございます。
試合や稽古のあと 面を取ったあと お互い笑顔で挨拶できることって良いですよね。
[2005/03/13 12:41:06]

お名前: くに   
補足です。
『礼記』の鄭玄注に「暢、猶充也」とあるから、満ち足りたさまなんでしょうね。
顔は穏やかになり既に満ち足りたということで、いっぱいお稽古して満足出来たという意味に使っているのかな?
失礼しました。
[2005/03/13 10:55:25]

お名前: Hide.    URL
to くにさん

お出ましいただきましてありがとうございます(^_-)〜☆
[2005/03/13 07:44:37]

お名前: くに   
まんきちさん、はじめまして。
わたしもご質問にお答え出来るわけではないのですが、管理人さんのご指名もありましたので
書かずもがなのことを書いておきます。

まんきちさんも、高野佐三郎先生は偉大なりさんのご紹介下さったホームページを御覧になって
「和顔既以暢」の意味をお調べになったのかと思います。
それでだいたいおわかりになると思いますが、補足をチョッとしておきます。
建安七子の生きた建安(196-220)は後漢の最後の年号であり、魏・呉・蜀が覇権を争った三国志の時代の
幕開けの頃と言う事になります。
世は乱れて血なまぐさい争いが続いていたわけですが、この詩の作者の応ヨウという人は、
戦乱の故か、各地をさまよい歩いて、かなり苦労した人だったようです。
この詩は、曹操の子の曹丕が五官中郎将になった建安16年以降の作品だそうで、24句からなる五言古詩
の一節ですね。
前半で自らを雁に例えて各地をさまよった苦労を歌い、後半では宴席に招かれ、曹丕が心を開いて
歓待してくれた喜びを歌っています。

公子敬愛客 公子客を敬愛し
楽飲不知疲 飲むことを楽しみて疲れを知らず
和顔既以暢 和顔既に以て暢び
乃肯顧細微 乃ち肯えて細微を顧む

「和顔既に以て暢び」は「和やかになったお顔はすでに緊張を解いて打ち解けている」といった
ところでしょうか。
「細微」は数にも入らぬ賤しい私(応ヨウ)ということでしょう。

何故こうした句が竹刀袋に書かれているのか?
偃武の後は穏やかな交際をしましょうと言う事なのか?
類推するくらいしか出来ませんので、お許しの程を。
[2005/03/13 02:32:22]

お名前: ?08    URL
ガンバ。
[2005/03/12 00:22:07]

お名前: 高野佐三郎先生は偉大なり   
こんなHPを見つけたので、見てみてください。

http://mypage.odn.ne.jp/www/s/a/sankodou/files/sitisi2.htm
[2005/03/11 19:46:26]

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

う〜ん、私はダメだなぁ(^^;
こういうのはくにさんがお得意かもしれませんね(^_^ メ)
[2005/03/11 08:25:26]

お名前: まんきち   
先日 10年以上使用していた竹刀袋がとうとう朽ち果てそうになったので新調いたしました。
そこに染めこまれていた文字がかっこよかったので選んだんですが。
「和顔既以暢」と書いてあります。
いろいろと調べましたが やっと 読み方(わがん すでにもってのび)と
意味(和らぐ顔は既に満足のご様子)そして建安七子の代表的詩人の一人である応トウの詩の
一部であるという事までは 何とか分かりました。
なぜ 竹刀袋にかかれているのかが分かりません。
剣道と何か関係が当然あるんでしょうが。。。
知ってる方は おられませんか。おられましたらお教えください。
[2005/03/10 20:43:10]

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