記事タイトル:学生の本分 


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お名前: お   
k;llじょkgじゅ
[2002/07/31 00:14:13]

お名前: Hide.   
to むくぞうさん

>でも、代わりの選手がいないわけでもなく、全国へとつながるような落とせな
>い試合でもない場合や練習試合や合同稽古などのときに、ほんの1時間を検定
>に回すことがなぜいけないのだろうかという疑問なのです。
>練習の妨げにならないように遅い時間の塾を選んでいるのにもかかわらず、た
>またま練習が伸びたときに、塾の時間なので帰らせて欲しいことを伝えても、
>それをみとめてもらえないことが理解できないのです。

最初のカキコでは、そこまで読み取れませんでしたので、これまでやや的外れな
回答になってしまいましたとこをお詫びいたしますm(_ _)m

たしかにおっしゃる通り、これは少し度が過ぎるようですね。指導者には「部と
してのけじめがつかない」という思いがあるのかもしれませんが、好ましいこと
とは思いません。剣道部の父母懇談会の様なものは行われないのでしょうか? 
そうした場で、はっきりと先生にお願いしてみるのがいいと考えますが・・・。
[2001/02/20 10:57:48]

お名前: むくぞう   
最初にカキコしておきながら、傍観者になってしまって、恐縮しております。
私としてはただ選択権が本人に無い事を問題にしたかっただけなんですが・・・
試合と検定とどちらが大事かは子供たちにもわかっているはず。
でも、代わりの選手がいないわけでもなく、全国へとつながるような落とせない試合でもない場合や
練習試合や合同稽古などのときに、ほんの1時間を検定に回すことがなぜいけないのだろうかという疑問なのです。
練習の妨げにならないように遅い時間の塾を選んでいるのにもかかわらず、たまたま練習が伸びたときに、
塾の時間なので帰らせて欲しいことを伝えても、それをみとめてもらえないことが理解できないのです。

顧問の先生はとても熱心で、そのことに感謝の気持ちが無いわけではありません。
それに勉強するしないは本人次第ということも重々承知の上で、発言したわけです。
(個人的には「剣道における人間形成」という話題に対しては反発を持っておりますが)

ひろさんが代弁してくださって、感謝しております。
あまり難しいことは言えませんので・・・
[2001/02/19 19:48:30]

お名前: Hide.   
>武道もかわりつつあると言うことを僕らは認識しなくてはいけないと言うこと
>ですかね。たしかに、今の日本で昔の剣道の精神と言うものを伝え続けていく
>のは難しいことかもしれません。それは仕方のないことだし、僕はそれでいい
>と思ってます。Hide.さんもそういう考え方ですよね?

戦後の剣道は「新しいスポーツ」として生まれ変わり普及に努めてきたわけです
が、その間に様々な矛盾をはらんできてしまったことは事実です。「スポーツor
武道論」しかりですね。しかし、私の個人的見解ですが、剣道は「刀法を礎とし
た日本の伝統的な文化」と考えています。文化は人とともに変遷し、新しい意味
や価値観を付け加えながら育っていきます。学び方や取り組み方にも人間の多様
性と同じようにさまざまなものがあっていい。ただ、その頂点として目指すもの
が「人間形成」「人格の完成」であってほしいと念じています(^^)

あくまでも一例ですが、茶髪の子が剣道に価値を見いだし剣道に取り組んでくれ
ることは素晴らしいことと考えます。坊主じゃなければ剣道部員じゃない、なん
てことは思いません。それをきっかけに、剣道の中からより高い自身の価値観を
見いだすことができるかもしれません。昔だって跳ね返りはたくさんいましたし
ね。その表現方法が異なるだけでしょ(笑) むろん、好ましいとは思いませんが、
それは剣道の持つ文化性よりも若者文化の浸透性の方が強いわけですから、まだ
彼が剣道のなんたるかを理解しえていない、文化としての剣道に目覚めていない、
そう考えることにしています(^^)

そういった意味からいくと、この問題もひろさんんがおっしゃるような「現状認
識の差異」ということに帰結してしまうかもしれませんね。むろん、ひろさんの
おっしゃったことは真摯に受け止めさせていただきたいと思います(^^)
ただ、私は私の信じることを、このインタネというメディアを通じ啓蒙していく
ことしか方法がありませんから。
[2001/02/19 11:33:41]

お名前: ひろ   
>しんやさん

  なんだかだんだん学生の本分と話がずれている気がしないでもないですが、折角御下問
頂いたのでお応えすると、まず最初の話は、過去と現在を否定しているわけではないです。
しんやさんが言われているような意味での良いものは残していきたい。例えば柔道なんて
のはもう完全にスポーツになってしまった。東京オリンピックでオランダ人の選手が熱狂
する自国民を払いのけ、対戦相手に対する礼を尽したあの光景は、当の発祥の日本人の
最強選手たる田村選手の容赦ないガッツポーズの前に、幻想の最後の領域まで打ち壊して
しまった。僕個人としては剣道はああいう風には絶対になって欲しくないですね。

  ただ、その場合、先程の話でいえば、過去と現在と否定する、という場合に、例えば
安易に「人間形成」と言う人達は、早い話が「現在」を否定して過去に回帰する、という
姿を取っているように思われても仕方のない側面が多くある。そのことに対して注意を
向けて欲しかったということです。

  で、僕はもともと「人間形成」論に対する否定論者ではないんです。例えば一部の道場
などは地域社会とも連携を取りながら子どもに対して本当に良い意味での礼を身につけさ
せている。(しんやさん達が哀しくなるというのも、例えば対戦相手に対する配慮と感謝
の欠如をスポーツの勝負事に見るからでしょう)

  こういう活動をしている人達に対して僕は非常な尊敬を払っているんです。それだけに
、人格的に問題がある人は論外として、安易な個人主義礼賛にも流れて欲しくない。要は
「人間形成」の看板にきちっと実体を与えて欲しいというのが理想なんです。ただ、それ
に対して余りにも無自覚であるなら、それはその看板は害毒しか齎さなくなるから、折角
看板を掲げている以上は、自覚して受継げる領域を維持・形成し続けていって欲しいと
思っています。
[2001/02/17 14:12:13]

お名前: しんや   
武道もかわりつつあると言うことを僕らは認識しなくてはいけないと言うことですかね。
たしかに、今の日本で昔の剣道の精神と言うものを伝え続けていくのは難しいことかもしれ
ません。それは仕方のないことだし、僕はそれでいいと思ってます。Hide.さんもそういう
考え方ですよね?稽古の方法論のことでも、昔の先生はまったく何も教えてくれなかったと
いいます。自分を強くするのは自分自身だって。ただ、今それは時代になかなかそぐわなく
なってきている。それを証拠に、ここに何人もの人が集まり、hide.さんこれはどうおも
います?面の打ち方わからないんです?ってhide.さんに質問してるんだとおもう。
もちろん、剣道の修行スタイルとしては先のことを考えれば前者のほうが言いに決まっています
だから、最近の中学生高校生はあまり見取り稽古をしないですよね。自分の稽古のほうが大事。
他の人の試合から何か吸収しようとする人のいかに少ないことか。
話し外れましたが、そういう人間の考え方や主張に対するタイムラグは必ず存在します。
かといって、片方だけに固執するって言うのが言い訳ではありません。過去や現在を否定して
成功したためしはありません(文化大革命然り)。僕はそれほど、剣道の人間形成っていう
事に関して、それを盾に権威を振りかざす人が多すぎるとはおもいません。
むしろ、いくら建て前であっても、人間形成を看板に立てることを間違いだとは思えないわ
けです。人間形成の道であるゆえに剣道はスポーツになれません。本当はあまりいろんな
ルールを付け足すべきではないんです。でも、その代わり見苦しい乱闘騒ぎなんて言うのは
ほとんどないですよね(アメフトとかホッケーとか見ていてすごく悲しくなってきます、これが
スポーツなんだって・・・今、日本が熱狂しているサッカーもそうですよね)。
自分の情熱を行動で表すことは必ずしも正しいことではないと剣道は教えています。
それは、剣道が人間形成の道であるからだと、自分は理解しています。
ひろさんはどうおもいます?
[2001/02/16 22:39:06]

お名前: ひろ   
>Hideさん

  もうここまでくると、現状に対して、どういう事実を見てどういう世界観を構成するか
という問題になっていると思います。それでも付け加えると、コギャルが極一部の象徴的
事例なのは確かですが、その時期に地方の公立高校ですら茶髪が五割を越え、現在では体
育会系の部活動でも茶髪は当たり前です。こんなことは僕らの時代には考えられなかった
ことです。剣道にしても、以前なら防具袋にマスコットをつけてくる女子部員が武道館を
埋める光景など想像の彼方にあったことです。そういう意味で物事は気づけばえらく変化
をしている。要はその変化を僕はHideさんよりは多少重きを置いて見ているということだ
と思います。

  まぁそういう前提認識云々をすると妥当性の議論に進んでしまうのでこういう場所で
は難しく、そういう意味では平行線になると思いますが、何も僕の議論に全面的に賛同
して欲しいと言っているのではなく、片隅にこういう考え方があり得て、その視点から
見れば、この事例は大きくはないけれど、それなりに酷い事例に取りうるということを
御伝えしたかったまでで、聞き置くか捨てるかはHideさんの選択に属すると思います。

>しんやさん
  
  言われたようなことのほうが論理一貫してるんです。本質的に武道はそういう側面を
持つし、武道に限らず、芸事は皆そういう選別性を持ってくる。ただ、それならやはり
降ろすとは言わないけれど、「人間形成」の看板は、芸事のそれ程度に縮小しておいた
ほうが、逆に権威を傷つけずに済むと思うんですね。幻想を皆が信じていられているう
ちは良いんですけれど、そういう信仰心の中核が失われている社会状態になると、幻想
は権威に結びつかず、かえって傷つくことになる。個人主義が高度成長と結びついて社会
全体が幻想に実体を与えていた四十年前なら僕は絶対こんなこと言わなかったと思うん
ですけれども。
[2001/02/16 11:14:13]

お名前: Hide.   
to ひろさん

>(当たり前ですがHideさんに対するものではなく、あくまでこの事例に象徴さ
>れる一般的な態度の問題です)

世の中には「今の女子高生はみんなルーズソックスを履いてスカートを短くして
いる。そしてその一部は援助交際という名の売春に手を染めてる」といったイメー
ジがありはしないでしょうか? でも、それって極一部の目立っているコギャル
のせいで、大多数の女子高生はそんなこととは無縁の世界で生きています。
剣道の指導者だって多くの人が「人間形成」を最終的な目標にしながらも、その
様々な修業段階や意識によって、必ずしもそれを実践できない人、つまり「悪目
立ちしている指導者」っていうのが少なからずいるはずです。残念なことですが、
ミクロな事例によって女子高生も剣道指導者も悪い印象を持たれてしまうことは、
真面目に頑張っている多くにとっては非常に迷惑な話です。
女子高生と違うのは、指導的立場にあることと、そういった指導者にかぎって自
己を正当化するために「人間形成」の旗印をやたら強調して振りたがる点です。
やはり罪が重いですね(^^;

ただ、この事例に関してですが、この剣道部の英検問題に関しては、それほどひ
どいと考えませんでしたので、終始一貫してそういう論を張ってきた次第です(^^)
[2001/02/16 08:47:26]

お名前: しんや   
お二人のおっしゃることはよくわかります。よーく理解したうえで、多少のご批判覚悟の上で
書かせてもらいます。

(マネリクさんにおこられるかもしれませんが)燕雀いずくんぞ皓鵠の志をしらんや
っていう言葉がわかりますよねぇ。僕は剣道は結局こういう世界なんだとおもいます。
剣道は一つの武道であり、その局地にたどり着けるのはわずかに一握りの人間だけ。
たとえ、建て前で「剣道は人間形成の道だ」って言った所で、そこにはおのずと限界が
あります。剣道が技術を通しての人間形成の道である以上、それは万人に対して普遍である
ことは不可能だとおもいます。
ひろさんが言いたいのは、そういう剣道は欺瞞だって言う意味ですよね。確かに僕もそうは
思います。剣の道は、言い切っていいのかどうかはわかりませんが、一握りの人たちが
その終着点近くにまでたどり着くものです。ただ、教育って言うものはある程度の虚構
の上に成り立ってるものです。近代教育の歴史は、周知の通り、国民の知的レベルを上げて、
富国強兵だ!っていう軍国主義から、始まったものです。もし、自分の息子を賢くしたい
って言うだけなら、自分で教えればいいんですよねぇ?だから、その流れで、民主主義国家でも
教育を受けるのは国民の権利であり義務であるって言う風になったんだとおもいます。
だから・・・ちょっと言いたいことがずれてきましたが、教育も何もみんなのためじゃない
んですよね。みんなが行くとその質が下がる。今の日本の大学の状況然りです。

ミクロ的な挫折感は存在します。ただ、そのことに関して、同じミクロ的な挫折をかんじながら
育ってきた、教師、またその集合体である学校って言うのは、完全なる解決法を見つける
ことは出来ません。剣道を知らないひとが、剣道を知らない人に剣道を教えるようなものです。
たしかに、ある程度のマニュアル、そして権威があれば多少はスムーズに物事は進むと
おもいますが、限界がありますよね。

けっきょく、僕らは弱い人間です。毎日十分でも素振りをっていっても、なかなか毎日
することが出来ないほど弱い。だから、そんな自分がいやだったら、自分で頑張ってく
しかない。それが、出来ないならその他大勢です。それでいいなら、それでもいいし。
それがいやなら、頑張ればいい。なにも、もし英検がどうしても受けたいって言うなら、
部活なんかやめて、試験を受けて、道場ででも剣道を続ければ良い。どっちが大事かな、
どっちの方が簡単かなって、僕らは毎回秤にかけて、どっちが大事かを比べ、そのときに
大事な方、手間のかからない方を選んで実行します。
剣道だってそうじゃないですか。相手がいついたときに、自分がそこも一緒にその場に居着くか
思い切って面に行くか。もちろん面に行ったほうがいい、でもなかなかそこを思い切って
面に飛べない。そこが修行です。学校も一緒だとおもいますね。

最初に述べた言葉、あんまり使いたくなかったんですが、時々、僕はふとそうおもうこと
があります。ただ、それだけです。
[2001/02/15 14:41:00]

お名前: ひろ   
>Hideさん

  う〜ん、何も全面的に人格形成を掲げてそれを遂行しろ、などということを言っている
のではないんですね。ただ、現代剣道指導者の殆どが、剣道はスポーツと違う、独自の
存在意義を持っていて、それが現代社会に対して何らかの貢献をしている、という意識を
持っている。その一つの象徴が「人格形成」で、殆どこれこそが現代剣道の意義なんだ、
という意識を暗黙に共有していながら、その具体的な中身が、殆ど放任個人主義追認の
域を出ないとするならば、それは看板に嘘偽りがあり、非常に酷な言い方かもしれません
けれど、少なくともそういう自覚のない人、例えばむくぞうさんなどが引き合いに出して
いる人々(これが極端な事例か一般的なものかについては少し意見が分かれると思います
が)に「人格形成」という言葉を使われれば使われる程、現代剣道の威信は地に落ちていく。
少なくとも暗黙の信仰を暗黙の自覚に変えていく程度の意識変革は要請されると思います。
今回の事例に即して言った場合、何も条件が整備されていない中で、指導者が熱意を込めて
部員達を競争状態に置いているときに、レギュラー争いの渦中にいる部員が、「あのぉ〜
、英検受けたいから……」と、言えるか否か、ということです。それはとってもミクロな
ことなんですけれど、そういうミクロな事例に象徴される意識の問題はあると思います。
(当たり前ですがHideさんに対するものではなく、あくまでこの事例に象徴される一般的
な態度の問題です)

>しんやさん

  一つの解決策としては言われていることは僕も非常に同意できます。ただ、なんでも
自分でやる、には、自分でやってできた自覚と自負心と自信があって始めてリスクを
取れていくわけで、ミクロ的な挫折感がいろんなところで積み重なっている場合は
むしろ他律的に人から何か決めて欲しい、という人間に成長していくと思います。それで
いいという考え方はないわけではないんですけれど。
[2001/02/15 10:07:16]

お名前: Hide.   
to しんやさん

>その人にとってのちょうどいいぐらいっていうのがわかる先生がやっぱりいい
>先生なんじゃないんでしょうか?

アハハ、難しい指摘ですねぇ(^^;
先生っていうのは、イヤでも拍車がかかっちゃうタイプの人間なんですよ(^^;
  ●教師が情熱をもって教える
        ↓
  ●生徒がそれなりに努力する
        ↓
  ●それなりの成果が出て、結果にもつながる
        ↓
  ●生徒も喜び、より熱が入る
        ↓
  ●教師は充実感を覚え、さらに指導に熱がこもる
        ↓
  ●生徒が以前にも増して努力する
        ↓
  ●前以上の成果が出て、結果もさらに上に行く
     (・・・以下略・・・)(笑)

教師も弱い人間です( -o-) フゥ
[2001/02/15 09:09:20]

お名前: しんや   
ひろさんへ>

確かに剣道修行とその掲げる看板には矛盾をはらんだ要素があることは確かだとおもいます。
それでもやっぱり、人間形成は剣道修行の目的であって駄目というわけではないとおもいます。
というのも、人間形成を果たした人っていうのはおそらくこの地球上に存在しないからです。
剣道修行の目的、それは人間形成であるといっておきながら、そこには人間形成というもの
がどういうものかがわからないっていう最大の矛盾すらあります。
僕がいいたいのは、剣道修行って言うのは自分の人生においてオプションに過ぎず、
やっぱり自分自身を磨くのは自分自身であり、教育だけでその人が人間形成を果たせるとは
到底思えません。高校の剣道部然りです。確かに中高大学生に、それを理解しろと言うのは無理
なのかも知れません。でも、その人のその後の人生において、他人の力を借りず
自分で自分を磨いていこうという意思、それこそが人間形成の未知なのではないかと
おもいます。
ひろさんの、いまの教育制度に関するいけんは概ね賛成であります。
ただ、やっぱりなんでもそうなんですが、勉強なら勉強、剣道なら剣道だけって偏っちゃう
のは駄目ですね。その人にとってのちょうどいいぐらいっていうのがわかる先生が
やっぱりいい先生なんじゃないんでしょうか?
[2001/02/14 13:41:41]

お名前: Hide.   
to ひろさん

>>大方の生徒は自分なりの将来の目標を持っているはず
>というHideさんの前提認識は、僕のなかでは「大方の生徒」ではなく、ごく一
>部の強い目的意識に支えられている生徒に限定されるものだと思います。

なるほど、これは私の言葉が足りなかったと思います。「自分なりのおおまかな
将来の目標や夢」ですね。私も高校の教師をしておりまして剣道部以外の生徒も
担任していたわけですが、高校生ですら「明確な将来の目標」をもって受験に臨
める子は一部でしたからおっしゃりたいことはよくわかります(^^;

ただどうでしょうか、剣道指導者も「勉強なんかしないで剣道だけやってればい
い」なんていう暴言は吐かないと思いますし、成績や行動なども担任などの事細
かにチェックして指導にあたってると思いますよ。本人を促す努力はするものの、
自宅へ帰って勉強しないのまで剣道指導者のせいとは言えないでしょ(^^;


>僕が問題にしたかったのは、「そういうことまで剣道指導者に押し付けるのは
>無理がある」と言っておきながら、片方で「現代剣道は剣の理法習得を”通じ
>た”人間形成である」という看板を掲げていることです。

剣道部の活動が直接「剣道の理念」に直結するものとはかぎらないのではないで
しょうか。とくに、部活動の目的は「部の勝利」です。そのための技術指導です。
剣道を修業していく大きなる指針というか頂上が「人間形成」なのであって、「部
の勝利」はその山の途中の小高い尾根ですよ。最終的な頂上を目指しつつも、ま
ずは「あそこまでたどり着け!」と尾根を目指させるのが現場の指導者なんじゃ
ないですか?(^^) 最初から大上段に構え、「ウチの部は全剣連が掲げる『剣道
の理念』を実践するべく、人間形成を目標として、正しく社会性のある人間にな
ることを目的として日々のお稽古を実践し、試合の勝ち負けなど度外視しても、
君たちに人間として真っ当な生き方を貫き通させるべく、学校生活全般からきちっ
と指導育成していく所存です」なんて剣道部があったら、生徒は逃げちゃうと思
いますけどねぇ(笑)

むろん、指導者の資質によっては尾根しか目に映らない人もおりましょう。でも、
指導者本人も修業半ばの人であれば、なかなか頂上まで見据えたルートを自覚で
きないかもしれません。五里霧中、暗中模索の指導者の方が、大多数かもしれま
せんね。このように剣道指導者とはいっても全員が万能なわけでも人格者でもな
いわけですから。でも、そういう人達に「人間形成の看板を下ろせ」は酷でしょ。
剣道指導者ばかりでなく、教師すら一人もいなくなっちゃいますよ。私はこう考
えます。生徒同様、みんな未熟かつ未完成な人間なんですから(^^)
[2001/02/14 11:16:06]

お名前: ひろ   
>Hideさん

  う〜ん、これは認識上の問題で平行線を辿りそう(というか最初からそうなのかなぁ)
なんですけれど、折角レスをして頂いたこともあるので、もう少しだけおつきあい頂き
たいと思います。

  まず、「本人の問題」という領域についてです。しんやさんが言われることを逆説的
に取ると、最近の中学生は過去に比べて自律的な行動を取れておらず、むしろ非常に
他律的(つまり他の人の行動や環境に左右されやすい)という現状認識に捉えられます。
これはこれで憂慮すべき問題なんですが、どういう処方箋を提示するにせよ、この認識
自体はそう外れていないと思います。と、考えると、

>大方の生徒は自分なりの将来の目標を持っているはず

  というHideさんの前提認識は、僕のなかでは「大方の生徒」ではなく、ごく一部の
強い目的意識に支えられている生徒に限定されるものだと思います。僕らが育ってきた
時代ですら大体においてせいぜい大学入学における偏差値序列の中か、あるいは「その
外」、という範囲ですら、多くの中学生は物を考えられる範囲は限られています。
無論、そんな中にも「本人なりの目的」はあるでしょう。しかし、前述したように、
行動目的の決定自体が半ば他律的、外性環境的に決められている状況下では、その
言葉自体がかなり霞むというのが僕の認識です。

  そういう中で育っている生徒達、まして異質な行動に対しては集団的パニッシュメント
を食らうことを暗黙裡に示されている生徒達ひとりひとりにしてみれば、例えそういう意識
がなかったとしても、個別環境の指導者の意志というものは決定的な影響力を持つと思う
んです。これは善し悪しの問題ではなくそういう現状なんだということです。そうした中で
、本人のかすかな意志や葛藤を、剣道指導者が無自覚な外性的環境を与えることで踏みにじる
ということなら、本人の挫折感は一様のものでなくなる恐れがあるわけです。

  もしここまで認識した上でなお「個人の問題」と言うのなら、それはそれで構わないん
ですが、その場合には、やっぱり「人間形成」の看板には無理がある。技術としての現代
剣術指導の域を出ないことが剣道指導者としての役割だというならそれはそれで一つの
論理一貫性を持つでしょう。ただ、所謂「強い学校」と言われる中にも、例えば「文武
両道」といった形で学業との(半ば強制的)両立を行わしめているところもあり、仕組み
方としてはそっちのほうがまだいいと思うんです。無自覚な結果を「本人の責任」と言って
しまうのなら技術伝達者としてならともかく、「人格形成」の指導者資質としてはどうかと
思います。

  ただ、この問題に対して、「本人」たる個人を強いものにすることで凌ぐ手段もあります
が、本人が「本人」として行動し得るには、何らかのエンパワーメントが必要で、中学校
程度だと、殆どの場合は、学業にしろ運動にしろ、何らかの優越性原理があり、それが
学校当局などのパワーを持つ存在に暗黙の認知を受けて存在することになるので、そこまで
全員を持っていく、或いは、少なくとも物理的な暴力を備えた存在にするなどの対応に
なるでしょう。それならばそれでまだ分かる。僕が問題にしたかったのは、「そういうこと
まで剣道指導者に押し付けるのは無理がある」と言っておきながら、片方で「現代剣道は
剣の理法習得を”通じた”人間形成である」という看板を掲げていることです。もし、
後者の側面を強くするなら、個を強くするにせよ、強制的にフラットな技能を身につけさせる
にせよ、何らかの形で人間形成過程に対する”具体的な自覚”が必要だと思います。
指導され育てられている過程の人間に対して、成人並の個人主義を理念的に適用するのは
、そもそも無理があると思います。それは一見自律性を尊重しているようで、実はその人
達の人間としての尊厳を結果として放棄していることに過ぎないからです。
[2001/02/14 08:35:52]

お名前: しんや   
そうですよね。ぼくもhide.さんの意見に賛成です。
今の学生(自分もそうなんですが)っていうのは、どうも先生に頼り過ぎって気がします。
大学生もあまりにも簡単に大学にいけるので、その数が多くなり多くの弊害を生み
出してもいます。本当にその人が勉強したいかって言うのも、成功者の意見っていうより
その人自身の問題なわけですよねぇ。むしろそういったことを教えるのはどちらかといえば
親の役目であるべきだし、それに、当事者として、あまり他人にその責任を押し付けたくは
ないですね。だから、いまだいじなのは、誰に責任があるかっていうよりも、どうやって
その問題を解決するかだと思うのですが。
[2001/02/10 15:32:02]

お名前: Hide.   
to ひろさん

>で、それをも個人主義的に、ああそりゃ完全に本人の問題だと言われるなら、
>それは剣道が(成功者、強者以外の)人間形成に失敗し続けている、実に魅力
>薄い「道」だと指弾されても仕方ないでしょう。

私へのレスということなのでお答えさせていただかなくてはなりませんね(^^)

私が「剣道を一生懸命やってるということを免罪符にしているのは、むしろ本人
のほう」と言っているのは英検を受けに行く行かないの問題ではありません。日
頃の学習状況の問題を言っているのです。自分の将来の目標が「剣道指導者」な
んていうのならともかく、大方の生徒は自分なりの将来の目標を持っているはず
です。その目標のために努力するしないは剣道の指導者や剣道の魅力とは別物な
んじゃないでしょうか(^^;

むろん、課外といえども教育活動ですから生徒の人間形成の一助になるように活
動して行くのは剣道にかぎらずどの部活動も等しく同じ使命を持っているはずで
す。生徒の人生に対する啓発も、指導者の役目としてあるでしょう。ただ、この
掲示板の「剣道の品位と精神」でも話題になってますが、剣道そのものが人間形
成の道と完全にイコールでないことも確かなようですので、剣道指導者にそこま
でかぶせるのはどんなもんなんでしょうか(^^;


ちなみに

>そういう状態の中で、形式上の個人主義を自明の価値として強要すれば、まか
>り間違えばその子の持つ挫折感は一様のものでなくなる。

の意味がよく理解できないのですが、前の文章とのつながりをかみ砕いてお話い
ただけますでしょうかm(_ _)m
[2001/02/10 10:57:37]

お名前: ひろ   
既に提案者のむくぞうさんが意見を出されないのにこの場でこれ以上反論めいたことを
言うことは避けたほうが良いのかもしれませんが、Hideさんへのレスとして書いておきます
と、なるほど「言われたわけでも、そう強制されたわけでも」ないし、表面的には自由な
選択権が保障された上でのことかもしれません。しかし、もしその選択権を行使し、試合の
日に英語検定試験を受けにいくようなことが続けば、集団行動を乱した悪印象を査定者で
ある監督に与えることになるでしょう。

  こういう小さなことをクリアできるほどに条件が良ければいい。例えばその子が非常に
強くてその程度の査定や周囲の目など意にも介さないというならば良い。しかしそうでない
状態で、しかも昨今の中学生(ここに書かれている方々が昨今の中学生の現状をどの程度
承知されているか存じませんが)で、そこまで個人主義的な立場を貫けるのかは疑わしい
と思います。そういう状態の中で、形式上の個人主義を自明の価値として強要すれば、
まかり間違えばその子の持つ挫折感は一様のものでなくなる。

  で、それをも個人主義的に、ああそりゃ完全に本人の問題だと言われるなら、それは
剣道が(成功者、強者以外の)人間形成に失敗し続けている、実に魅力薄い「道」だと
指弾されても仕方ないでしょう。
[2001/02/09 13:45:40]

お名前: Hide.   
to IMAINGさん&しんやさん

段位点数制ですが、採点基準が難しいですからねぇ。どうやって数値化するかは
たいへんな問題です。我々が「あの人の剣道はいい」と言った場合でも、「なに
が」「どのように」いいのかは、まったく基準が分かれるところだと思います(^^;

私が更新制にしたいという最大の理由が「既得権にしない」ということなんです。
既得権にするから、「権威」が生じてしまう。まして、少数しか合格させないと
するならば、たいへんな権威になってしまいます。しかし、たくさん発行しても
降格の可能性があれば、権威としてではなく純粋に技術水準の目やすたりえるの
ではないでしょうか(^^)
[2001/01/29 16:00:34]

お名前: しんや   
すみません、ついうっかり、改行するの忘れてました・・・。
教えるってことは本当に難しいです。今、数学の家庭教師と(アメリカで!!)、学校で剣道
を教えるコーチみたいなのをしています。今まで、ほとんど受身で剣道をやってきたので、
いざ、どうやって教えるかということになると・・・難しかったです。まず、彼らが何を考えて
いるか、どういう考えで剣道に取り組もうとしているのかを(アメリカですから)理解しなく
ちゃなあ、と思いました。後、教えてみてわかったんですが、僕の教えかたって全部僕の先生
が教えてくれた方法なんですよねぇ。ほかの方法、つまり自分で考え出した方法っていうのは
すずめの涙ほどです。人に聞いたやり方だから、いざ教えるとなるといまいちよくわからない。
なんだか、釈然としないことが多かったです。たとえば、ここはどうしてこうなのかとか聞か
れた時に、うまく説明できなかったり・・・。教える側としての責任を感じることは非常に
多いです。教える側にたってみてはじめて、その難しさもわかったし、またそこから学ぶことの
多さにも気づきました。

剣道720点って言うのはやっぱり変ですねぇ。結構点数って言うのは決定的な要素を
もちます。あ、この人は何点なんだっていうことで、そこから固定的なイメージにとらわれて
しまいます。でもたとえば、八段とか範士とかっていわれたら、いろいろ想像できますよねぇ。
この人はこんな八段だ、あの先生はこんな範士だとか。だから、そういうあいまいさも、
ある程度は残しておいた方がいいようには思います。IMAINGサンの言うとおり何回かの試験
ある程度の時間的経過を見て段を発行した方がいいと思います。あんまり大量に発行してしまう
と、ありがたみもなくなっちゃいますしねぇ。ありがたみは大事です、剣道協会が組織として
生き残っていくには。英検一級ももってる人が少ない、英検協会があまり発行したがらない
から、ありがたみがあるし、また変に神々しい力を持ってしまうのかもしれないですね。
[2001/01/26 23:50:40]

お名前: IMAING    URL
剣道を選ぶか?英検を選ぶかって考えって、一昔前の「3無い運動」の話に似ていますね。
(愛知県ですが)
あの頃は「16歳になったら法的に免許が取れるのに、学校が禁止するのはおかしい」なんて
話がラジオの深夜放送や少年たちの間ではまかり通っていましたが、実質私が思っていたのは
「禁止」であることを知っていて(又は後から知って)入った高校で、さらに義務教育でも
なんでもないから辞めるのも自由であるはずなのに、そこに居たい且つルールも守れない(免許が欲しい)と
言うのは甘えでしかないのでは?て考えてました。(^_^;)
勉強なら良くて、オートバイはいけないなんて言う次元ではないと思います。
ましてや英検、漢検は勉強ではなく試験だし・・・・
というわけで、きつい言い方になってしまって申し訳ないのですが剣道部に所属することを
選んだのもお子さんなら試験を受けたいのもお子さん、さらに選択権は自分にあるわけですから
周りがどうこうする必要はない(出来ない)と考えます。
大切なのは危惧されているように、剣道に甘んじて勉学(こういう言葉は好きではないですが)を
疎かにしないことを願います。(^^)

しんやさん
教師に物事を押し付けること事態は間違ってないと思います。
ただしいけないのはその教師に権限を与えていないことです。
企業でもそうですが、「責任と権限」の二つはセットにしてないと何も出来ません。
まあ人を扱う職業はHide.さんが言われてますように、それだけでも難しいですが(^_^;)
そういえば、私も名古屋出身なのでしんやさんの学校は良く知ってますよ。
私は落ちこぼれで「管理教育」で有名な学校へ行ってましたが(^^)

Hide.さん
段位更新制についてですが、更新時の方法を点数でってのはどうでしょうか?
でもって単純に試験一回で決めるのではなく、パイロットの資格みたいに
「年間稽古時間数」なんてのも考慮に入るという、ペーパー高段者抑制のために(^_^;)
しんやさんが言われたように「剣道720点」ってのは格好悪いので、点数の呼び方を
考えるのも良いかも?
[2001/01/26 17:26:53]

お名前: Hide.   
to しんやさん

学問の本質論と日本の学校教育の現状とは必ずしも相容れないものがあるでしょうが、
しんやさんのおっしゃることが、本質だと思います。
われわれ教師には「馬を水のみ場に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはでき
ない」という言い方があります。要は、生徒のやる気以外の何ものでもありません。
私も自分自身で剣道と勉強とを割り切ってやってきたものですから、勉強できないことを
剣道に転嫁した考え方には否定的にならざるを得ないのです(^^;

剣道の点数性は難しいと思いますね。なにせ、客観性が持ちにくい競技ですから。
むしろ、現行の段位制を生かしながら、「更新制」にしていったほうがいいと考えるんです
けどねぇ。


to ひろさん

いくらなんでも指導者が「勉強はやらんでいいから、おまえら剣道だけやっとれ!」とは
言わないと思うんですよ(~~) 百歩譲って、少なくとも学校の教員であれば、そういうこと
は言わないんじゃないでしょうか。
人間は、誰でも安きに流されやすいものです。剣道を一生懸命やってるということを免
罪符にしているのは、むしろ本人のほうなんじゃないのでしょうか(~~;
[2001/01/26 10:31:39]

お名前: しんや   
まあ、学生の立場から言わせていただくと、勉強をするしないは先生の責任じゃなくて、本人しだいなんじゃないですか?別に勉強が嫌いならそれはそれでいいと思います。大学にいったってどうせバイトで、テストの前は一夜づけ、覚えたことなんて次の日に忘れちゃうって言うのじゃ、あんまり大学の意味はないですし(そんな友達はいっぱいいます)、実際いろんなことは、社会に出てから、たとえば会社に入ってから学ぶことの方が多いはずです。たとえば、八百屋になりたいっていうのに、大学では八百屋のなり方は教えてくれないし(経営は教えてくれるかな)、大蔵省に勤める人でも、その半分以上が東大法学部卒で、実際仕事をはじめてから経済を勉強しなおすという人が多いそうです。その八百屋の経営学だって、実際一番大事なことは実際に経営をして経験から学んでいくわけです。
剣道でも、先生の説明とかそんなのを聞いてるだけじゃ絶対強くなれません。自分で実践し工夫するから全国対価にも出られるようになるだろうし、本当の面白さもわかるようになってくるんじゃないですかねぇ?

日本はどうも、先生にいろんなことを押し付けすぎだと思います。いじめが起こるのは学校の教育が悪いからだとか、うちの息子の勉強ができないのは教師のせいだとか。何いってるのって感じですよねぇ。

ところで、僕の学校は進学校でした。進学校で剣道が強いところでは秋田高校が有名ですが、まあ、うちも進学校で剣道の盛んな高校といっても差し支えはないんじゃないかと思います(最近あまり振るわないですが)。クラスの半分が東大京大に行ってますが、やっぱり勉強できるやつらは、みんな自分で勉強してました。学校の勉強以外の勉強も熱心でしたね。逆に中学校のときの友達のほとんどは今就職しています。やっぱり輝いて見えるのは、自分のやりたい勉強を自分のやり方でやりぬいてる奴ですね。そういう二つの世界を見ていると、やっぱり成績なんてそんなにその人の人生に必要じゃないんだろうなぁっておもいます。学校の先生にはもっとそういうことを教えてもらいたかったですね。Hide.さん!

段の点数制は面白いです。でもそうすると、剣道560点の先生とかそういう風に呼ぶんですかねぇ。おれは、前回の審査で、800点取ったぞとか・・・
[2001/01/26 07:49:18]

お名前: Hide.   
to むくぞうさん

>でも、剣道をとったら何も残らないことに愕然としている先輩を見ていると、
>他人事では無い気がします。

これって本当に剣道部や指導者のせいなのでしょうか?それらを理由にして勉強
をサボってきたという背景がありませんでしょうか?


>確かにそうですが、受けたいと思っている子に受けても受けなくてもいいもの
>だから受けられなくてもいいじゃない・・というのは一方的なような気がしま
>すが・・

部活動は強制加入ではありません。自らが望んで「その競技をやりたい」という
気持ちをもって入部してくるものです。様々なレベルがありますが、部活動とい
うのは部としての活動目標や活動方針があるものです。部員はそれに納得し、あ
るいは納得できなくても従うことによって部としてのまとまりができるのです。

剣道の場合でしたら、大会は1日で終わるでしょう。しかし、バレー、バスケ、
野球などの球技系種目は、ひとつの大会を何週間にも分けて毎週毎週試合します。
それこそ、英検や漢検の受検どころではありません。まして団体競技ですから、
それらの試験を受けたいと思ってもチームを抜けることは困難なのではないでしょ
うか。もしそれらの受験を望むなら、顧問の先生に話して了承をもらうか、受入
れられない場合、レギュラーをあきらめるか、最悪、退部という選択もやむを得
ないかもしれません。同じ目的意識を持てない部員は、残念ながら仲間からもボ
イコットされてしまうでしょう。

私も部活動の指導をしているときはこれら検定を受けさせられないことがありま
した。大会シーズンと試験が重なっているので、たとえ1回の練習試合といえは
ずすことができなかったからです。しかし、生徒達には日頃から「家庭学習の時
間が少ないのだから、授業に集中して学習面に不安を残すな」と指導をしており、
必要に応じて担任などとも話して学習状況もチェックしました。検定を受けられ
ないことが本人の学習意欲に影響を及ぼさないようには配慮してきたつもりです。

内申の比重とおっしゃいますが、それら検定が入試に影響するのは推薦の場合で、
それも、推薦条項に「英検3級以上を推薦基準とする」と明記されている場合の
みです。それとて英検がメインになっているのではなく、「英語の評定がが4以
上、もしくは英検3級以上」などというようになっているものです。ですから、
英検や漢検そのものが受験資格になることなどあり得ませんし、そんなことをし
たら大問題です。受けられない子が振りになるような受験制度を世間一般が容認
するはずがありませんね(^^)

むくぞうさんのお気持ちもわからないでもありませんが、ご子息にも剣道部や剣
道を「勉強しない理由」「受験に失敗した理由」にさせないような受け取り方を
させていただきたいと願いますm(_ _)m
[2001/01/25 09:49:11]

お名前: ひろ   
>むくぞうさん

  確かに英検が内申(及び資格)に影響があるのは事実ですが、例えば無条件で十点加点
がある、というシステムではなかった(せいぜい同点の時に参考になる程度)ように思い
ます。最近の東京都の入試制度までは分からないですが。

  Hideさん達が言われるように、受験制度、社会的影響から考えればネグリジブルなので
すが、多分問題なのは、こういうことが続いていると、「剣道をやっていたから勉強がで
きなかった」という気の持ちように本人サイドがなってしまう可能性が大きくなることだ
と思います。「剣道がなくなったらなんにも残らない」というのは、些か極論だと思いま
すが、そういう論理が本人の中で有効な説得力を持ってしまうような事例は山のように転が
ってますから。心が強くなるか否かは、小さなターニングポイントの積み重ねだと思いま
す。その意味では、指導者サイドの意識には疑義を持たれることは自然だと思います。
[2001/01/25 09:44:56]

お名前: むくぞう   
to Hideさん

> 英語検定にしても漢字検定にしても、学校の必修というわけではありま
  せん。受けても受けなくてもいいといった類いのものです。

確かにそうですが、受けたいと思っている子に受けても受けなくてもいいものだから
受けられなくてもいいじゃない・・というのは一方的なような気がしますが・・
今年から高校受験もいわゆる内申の比重が高くなって、資格も大事な部分になってきているわけです。
目標とする学校に入るために、少しでも・・と、検定を受けている子も少なくないのですよ。
まあ結局は日頃の努力次第なんですけどね。

でも、剣道をとったら何も残らないことに愕然としている先輩を見ていると、
他人事では無い気がします。
[2001/01/24 19:40:11]

お名前: IMAING    URL
英検については確かにshinyaさんと同じ意見ですね。
最近は企業でも管理職になるために某電気メーカーは800点必要とか、某自動車メーカーは600点が基準だとか
TOEICが重要視されるようになってきてますね。
これからの子供は英語やPCなどは何もアドバンテージでなく、出来てアタリマエ。
それに加えて専門の何かが必要になってくるのでしょうね、大変です。

ちなみにTOEICが何故もてはやされるかという理由は単純に英語の語学力というよりもコミュニケーション能力を
測定するという方式にあります。
膨大な問題数と戦う集中力や高度にレベリングされた採点内容で、英検のように合否だけでなく
今のレベルをかなり正確に判断できるという意味で使いやすいからでしょう。
ただ、英検1級のレベルというのはそんなに低いものではないので、持っていて英語がしゃべれない先生というのは
英語力の問題ではなく、きっと日本語も不自由なのでしょう(^_^;)

英語に関して言えば、共通一次(古い)の頃は語学が苦手で仕方が無かったのですが、やむなくこんな仕事をしている現在、
毎年新聞でセンター試験の問題なんかやってみてますが、クイズのように簡単に出来てしまいます。
まあ言葉なんてそんなものです。

一つ思ったのですが、段審査も合否判定でなく、”何点”なんて出たら面白いですね。(^^)
[2001/01/24 17:10:54]

お名前: Hide.   
to しんやさん

アメリカで実際に生きた英語を使ってらっしゃる方からのレポートですから、こ
と英語に関してはこれ以上信ぴょう性のあるものはないでしょう(^^)


>英検も剣道の段のように目標にはなると思うけど、必ずしもそれは強さや
>その人の英語が流暢かとかそういうことを表すものではないということですね。

なるほど、これはいい例えかもしれませんね。これから、使わせていただきます(^^)
[2001/01/24 09:08:54]

お名前: しんや   
僕は英検三級しか持ってません。まったく受けてないですね。
でも、海外に居ると、英検って・・・そんなに受けようかなっては思わないですねぇ。
それより日本の大学生に最近人気があるのはTOEICです。こっちのほうが英検より
生きた英語で、入社のときもこっちを聞かれるほうが多いと聞きます。英検一級持ってても
英語しゃべれない人はまったくしゃべれない、確か僕の高校の英語の先生にもそんな人が・・・。とまあ、これはいいとして、高校時代は僕は英語が一番嫌いでした。高校の最後
の英語の成績は3。みんなにほんとに留学するのかって聞かれました。
ま、高校で習う英語と実際の英会話は違うということです。まあ、まったく無意味ではない
ですが。

と、言うことです。英検も剣道の段のように目標にはなると思うけど、必ずしもそれは強さや
その人の英語が流暢かとかそういうことを表すものではないということですね。
[2001/01/23 22:52:04]

お名前: Hide.   
to しんやさん

しんやさんはshinyaさんなのですね?(笑) そう、最近、新しいshinyaさんが出て
きましたから、それで気を遣われたのでしょうか? ありがとうございます(^^)

そうですね。学問のとらえかたっていうのが日本ではといいますか現代ではあま
りにも狭いですね。どちらかというと知識の吸収にのみ終始し、そこから発展し
てくる教養や知恵といった部分にまで言及をしません。これは、たいへん危険な
ことだと思います。
知識の集積ならコンピュータにはかないません(^^; 人間がいかにそれを使いこ
なすか・・・。これは知恵のレベルですし、知識を連結させるのにも知恵が必要
ですね。

英検や漢検を受ける・・・、たしかにそれによって計れる客観的な知識もあるで
しょうが、知恵として英語や感じを使いこなす能力を身につけることに級は必要
ないと考えます。
ちなみに、しんやさんの英検の級は?(笑)
[2001/01/23 09:43:16]

お名前: しんや   
こんにちは、はじめまして。
学生の立場から書き込みさせていただきます。

一応自分の経歴をお伝えしますと、
中学校 三重県玉城中学校
高校  愛知県東海高校(東海大学付属ではありません)
大学  (現在)米国ジョージワシントン大学

ということです。中学校高校ともに全国で有数のとまでは言いませんが、過去に数度県代表と
なったこともある、所謂名門校のひとつでした。現在はアメリカの首都ワシントンDCにおいて
留学中です。大学進学のときは非常に悩みました、剣道をとるか勉強を取るか。結局留学
の道を選び、日本の大学の剣道部に入ることは断念しました。現代の剣道において僕は
大学剣道部の役割は非常に大きいと思います。学生剣道からの脱皮の時期でもあり、かかり稽古
や打ち込みによって、将来の剣道の地盤を作る非常に大事な時期です。日本に帰ってくる度
思うのは自分の自力のなさです。激しいのみ稽古によって培われる自力が足りないことです。
ただ、文武の両道を以ってこそその人の剣に息吹が吹き込まれるものだということです。
何も、文というのは学校で学ぶ数式や漢詩などではありません。古きを温ね新しきを知ること
です。その上でこそ、知識が役に立ち、そこから知恵が生まれてくるものだと思います。
剣道だけの人生はつまらない、そう思います。剣道を活かせる人生こそが楽しい。宮本武蔵も
その反省は学問と芸術のものでした。ほかには、たとえば小川(忠)先生の百回稽古を読んでも
わかるように、先生は古典に非常に造詣の深い方でした。斎村先生も書道の達人であったと
聞いています。
まず、剣道ありき、ではないと思います。また、勉学ありきでもないと思います。例え、中学
生高校生大学生であっても、剣の道にかかわる以上、その両方の道があってしかるべきです。
幸い、渡米してから日本にいてもなかなかめぐり合えないほどの良師に邂逅し、稽古に励む毎日
であります。
その昔、二人の偉大な先生がアメリカに渡米されました。一人はフェンシングの全米チャン
ピオンとなり、またその一生をアメリカの剣道普及のために費やされ、もう一人は早稲田卒業後
留学生として渡米し、また、その帰国後どれほどアメリカでの剣道普及に尽力を尽くされたかは
現在剣道時代で連載中の通りであります。前者は森寅雄先生で後者は笹森順三先生であります。
目標にするにはやや大きすぎる二人ですが・・・。この二人の先生は何も剣の道だけで生き
てきたわけではありませんでした。笹森先生は言わずと知れた貴族院議員。また森先生も証券
会社を経営していたと聞きます。
少し話はそれましたが、剣の道と学問の道。それは二つに分かれているのではなく二つ平行に
並んで走っているものと理解しています。それもまあ、また本人の心がけ次第なので
しょうが・・・。

いろいろとえらそうなことを書いてしまってちょっと後悔しています。すみません。
謙虚に学んでいく気持ちを忘れてしまったら、そこでその人の成長は止まる・・・
っとまた偉そうな事を書いてしまいました・・・。反省。
[2001/01/22 15:10:53]

お名前: Hide.   
to むくぞうさん

うーん、頭の痛い問題ですねぇ。
むくぞうさんのおっしゃることはが正論だと思います。残念ながら、強豪校とい
われる学校においては、部活動が優先していることがほとんどですね。
しかし、英語検定にしても漢字検定にしても、学校の必修というわけではありま
せん。受けても受けなくてもいいといった類いのものです。むろん、推薦入試を
考えるとき、英検や漢検の級によって優遇されることもありますが、それは付加
価値であって、学校の授業で実力をつけていけばいいことなのではないでしょう
か。英検や漢検を受けさせないことが、勉強が本文である学生の学ぶ権利を侵し
ているとは言いきれないのではないでしょうか?(^^;

実際、私も英検を受けるチャンスがありませんで、中1の時にとった4級しか持っ
ておりませんが、大学を無事卒業することができましたが・・・(^^)
[2001/01/21 10:08:50]

お名前: むくぞう   
息子の通う中学校の剣道部は、県内でも上位の成績を収める部です。
なので、土・日は試合、練習試合などほとんどがふさがっております。
英語検定、漢字検定も土・日にありますよね。
検定を受けるべく申し込んであっても、試合等に重なると、剣道が優先になってしまうようです。
それが本人の意思ならよいのですが、部として(先生の意向として)
まず剣道ありき・・なのです。
本来中学生の本分は学習にあってしかるべきなのではないかと思っておりましたが
強い部というのはそんなものなのでしょうか?

皆様のご意見をお聞かせ下さい。
[2001/01/20 18:08:06]

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