記事タイトル:師川添哲夫 


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お名前: 一剣居士   
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このトピが立っていたのを今まで気が付きませんでした。
徒然にカキコさせていただきます失礼 お赦しください。

実は私は 川添先生の後輩筋にあたる世田谷のK舘卒なのです・・・
もっとも私はK舘高卒でK舘大には進みませんでしたし、剣道部に所属していませんでしたか
ら、直接の後輩ではまったくありません。 しかも一面識もありませんしお姿を見る機会もあり
ませんでした。 しかし部に所属していなかったとわいえ、剣道を嗜んでいた身でもあり、川添
先生のお名前とその達人たる巷話は、存じ上げておりました。

うろ覚えですが・・・昭和50年頃だと思うのですが、たしかNHKで、当時K舘在学中か卒業直
後の川添先生を追ったドキュメンタリーのような番組があったと記憶しております。私が中学1
〜2年の頃だったと思います。 その番組の内容はK舘剣道部と川添先生の剣道と人となり密着
取材したような内容だったように思います。 いまだに記憶にあるのは、その番組の最後でK舘
キャンパスを蛇腹(ジャバラ:K舘学生服の別名)姿で闊歩する川添先生と、バックに流れてい
たK舘剣道部歌です。 それから数年後 私がK舘高に進んだ時に、あの番組で見た風景と剣道
部歌にふれたとき、あぁー これだぁー と感慨があったことも記憶にとどめています。

私は高校卒業後しばらくして剣道と疎遠になってしまいました。 所帯も持って自分の中から剣
道が全くなくなっていたある日 そのニュースは流れました。 おりしもバブル経済の真っ只中
修学旅行で海外へ行くことがあたりまえになりつつあった頃です 「なんとも傷ましい、悲しい
事故が起きてしまったな・・・」と刹那的にニュースを見ていると「高知」「川添」「体育教師」
という三ッつのキーワードが私の中で結びついてしまったのです。  ガウロスさんがおっしゃ
っているように当初は「全日本剣道の・・・」というようなコメントはありませんでした。
たしか夜も遅い時間だったと思いますが、同窓会名簿を引っ張り出して探し出して、K舘大に進
み剣道部の寮監をしていた友人に電話をしました。 何回か話中でした、そしてつながって夜中
の突然の電話を詫びると「川添先輩のことじゃろ」と 切り出してきました。 定かには覚えて
おりませんが、その友人もK舘剣道部OB達との連絡に奔走していたようです。 私は人違いの
可能性を断ち切られたおもいで、眠れぬ夜を朝までニュースを見つづけていたのを覚えております。

それから一年ほど経たある日その友人から封書が届きました。川添先生を忍ぶ会の案内でした。
OB諸先輩の連なる中、献花だけでもさせていただこう・・・ と列席させていただきました。
その席上 万感の思いで口ずさみました K舘剣道部 部歌を・・・・・

武蔵高原月冴えて松陰森の影蒼し 剣士の胸は火と燃えて刃にさゆる月宿し
嗚呼K舘の剣道部 嗚呼K舘の剣道部

水玉かぶる夏の日にたまなす汗の心地よさ 真冬の板場凍りなば我が血潮もてあたためん
嗚呼K舘の剣道部 嗚呼K舘の剣道部

とうとうと鳴る大太鼓四海の眠り呼び覚ます 熱火相打つ掛け声に皇国武道の誇りあり
嗚呼K舘の剣道部 嗚呼K舘の剣道部



野輩の身を省みずつれづれのままにカキコさせていただきました。
K舘諸先輩方 卒業生諸兄 訂正加筆がありましたらお願い申し上げます。
無礼・不敬の段はあしからず お赦し下さいませ。

お名前: him   
私は、川添先生が二度目に全日本選手権に優勝された時に、その場におりました。
一撃必殺の面・・・それを出す機会をジ〜ッと覗う・・・正に我慢の剣道とうい感じが致しました。
その時以来のファンでありましたが、中国の列車事故の時は本当に泣きました。
本当に惜しい方が亡くなられてしまった・・・そう感じました。
その直後、マスコミがご家族を追いまわし、奥様の審査会場にまで押しかけてニュースで流したり・・・
ワイドショーも娘さんの試合を取材したり・・・と、あの時は正直、やり切れなかったです。
ただ、あの時の奥様の気丈な態度が、剣道家とはこういうものなのか・・・と非常にインパクトが強かった・・・
ということであったのかも知れません。

あの時、NHKに「川添先生の全日本での試合のビデオがないか?」と問い合わせましたが、簡単に「ない」と言われました。
本当にないのだろうか?・・・と、今でも疑ってはおりますが(^_^;

お名前: ガロアウス   
川添夫人の話ならこのサイトで既に出てます。
http://ichinikai.com/bbs1/5010986328125.html

お名前: 凪@オフィス   
はじめまして 凪です
 川添先生がなくなられ、もうずいぶんと経ってしまったんですね
私は指導などもしてもらったことも無いですし、何の接点もないのですが、上段の勉強
するときに、友人のビデオでたった二試合ですが、出ておられました。それが元になって
さらに上段にのめり込んでしまいました。それ以来、憧れの選手でした。
高知へいくことがあれば行ってみたいとは思ってますが、迷惑でしょうね(^_^;)
 
あ、川添先生の奥さんですが、円子さんではなかったでしょうか(?_?)

お名前: えーじ   
RHさん
残念ですね。
RHさんのカキコミをみて、涙が出てきました。

お名前: えーじ   
川添先生とはなにも接点はありませんでしたが、
憧れでしたねぇ。
大学のときの先輩が高知学芸出身で四国大会で
優勝経験のある先輩がいたのですが、
事故の翌日「今日からしばらく稽古休む」と
言い残し、真っ青な顔で高知に飛んで帰られました。
本当に残念です。

お名前: みのる   
川添先生が亡くなられて年月が経ちますが未だに現役のごとくにそのお名前は光っていますね。
先生が亡くなられて多分2年後くらいだったと思いますが、私が新潟県での六段昇段審査を
受審したときに川添夫人も受審されておりました。そんな事で川添先生とはなんの接点も
ないのですが、おりにふれ川添先生のお名前にふれると特別な感じをもっています。

お名前: Hide.    URL
管理人のHide.です。

川添先生とは、大学時代の中国・四国遠征で、一度だけお手合わせを願ったことがありま
す。中段同士ではそこそこやれたのですが、先生が上段をとられましたら、その威圧感で
足がすくみましたね。
どちらかといえば上段を得意にしていた私ですが、岩のような不同の気迫に、いつしか気
圧されておりました・・・。

もう亡くなられて17年になりますか。あらためましてご冥福をお祈りしたいと存じます
(合掌)

お名前: RH   
TO 琥郎さん

そうですか神奈川県にいらっしゃるのですか!やはりお父様も哲夫先生のファンだった
のでしょうか?本当に先生の偉大さを感じます。それとレスの中に、薄っすらしか覚えて
いない親父の剣道…と有りましたが何かものすごく心に響きました。
高知に帰って来る事が有りましたら是非ご連絡ください!

お名前: 琥郎   
姉は高知にいますが、自分は神奈川に事情で引越しました。

お名前: RH   
TO 昔の剣士さん・琥郎さんレスが遅くなりましてすみません。

昔の剣士さんの言うとうり川添先生の教えを守って練習に励むつもりです!
追伸ですが、最初のカキコの時12歳離れた弟の事を少し書きました。
その弟が、2歳か3歳位の事ですが・・・ 確か忘年会か何かのお酒の席で
私の親父が何の根拠も無く突然!哲夫先生に(お酒が入っていたせいもあるのですが)
「先生!この子を必ず剣道で日本一にする!」と豪語したそうです!
この子とは私では無く、よちよち歩きの弟の事です。何の根拠も無くですよ!(笑)
*最近母から聞いた話なのですが、永子先生(川添夫人)もこの話を覚えていたそうです*

その弟も高3になり県体個人2位でめでたくインターハイ個人・団体の代表選手となりました。
客観的に見てまだ日本一になれる腕はとてもじゃ無いですが・・・・ですが!何故か
先生がついていてくれたらもしかしたら… と思います。 因みに弟が県で個人優勝した
試合が一つだけあります!春季大会なんですが、この大会別名川添哲夫杯と言います。
これも弟が優勝した後知った事です!!

PS琥郎さんは高知にいらっしゃるのですか?

お名前: 琥郎   
自分は高岡郡に小学生まで住んでいました。
姉は父親に川添先生が出場される大会によく連れられていったそうです。
(当時姉は四歳、自分は赤ん坊でした)
父親もその三年後にこの世を去りますが、
姉はその前日父に突然、
『竹刀を持ってこい。稽古をつけてやる』といわれ、
庭で指導を受けたあと
『お前は女だが佐々木家の頭なのだからしっかりするんだぞ』
と言われたそうです。
死ぬ前というのは、そういうのがあるんですかね?
川添先生の剣道。薄っすらとしか覚えていない父親の剣道。
一度見てみたかったと悔やむばかりです。(どうしようもない事ですが)
訳のわからない内容になってしまい申し訳ありませんでした。
実家にいる姉にも連絡をいれておいたので、姉も書き込みをすると思います。

お名前: 昔の剣士   
RHさんすごく羨ましいです。
私たちが学生の頃の憧れの先輩であり、先生でした。
東京に来られた時は一本でも稽古を頂くために世田谷まで通ったものです。
七段の受験も上段のためか?数度失敗し、合格したときにはすごく喜んでいらしたのを
思い出しました。

川添先生に教えていただいたことを大切にして、これからも、楽しく・厳しい剣道を
続けてください。

お名前: RH   
TO ガロアウスさん

僕の勘違いですみません。17年前では無しに15年前だったようですね。
>川添氏は奥さんも有名な全日本選手権者で、剣道界では知る人ぞ知るビッグカップルでした。
 この方は永子先生のことですよね!もちろん僕も少剣の頃御指導していただいておりました。
 この話をご存知でしょうか?列車事故がおき生徒の保護者の方々が現地の事故現場に、チャー ター便で向かわれる中、永子先生は最後まで現地に行かなかったそうです!
 訳は「自分は教師川添哲夫の妻です!生徒の保護者の方が全員行かれるまでは私はいけませ  ん!1番最後でかまいません」と言ったそうです。
 

お名前: ガロアウス   
 私の手元の本で調べると、高知学芸高の修学旅行上海列車事故が起きたのは、
1988年3月24日のことのようですが、私はこの事故について、多少記憶して
ます。
 なにげなくニュースを見ていたのですが、事故にまきこまれたという川添哲夫氏
は、全日本剣道チャンピオンの川添氏ではないかと気づいて、テレビに釘付けになっ
てしまったのです。川添氏は奥さんも有名な全日本選手権者で、剣道界では知る人
ぞ知るビッグカップルでした。上段の川添というと、同じく上段の名手、千葉仁氏
と共に一世を風靡していたのです。
 最初、死亡と報道された女の子が生きていたり(それを発表するときの校長が、
本当にのどを振り絞るという雰囲気でした)学校に集まっていた父兄の焦燥しきっ
た顔などは、いまでも忘れることができません。
 ところで、私が驚いたのは、川添氏があの剣道の川添氏とテレビがなかなか言わ
ないんですね。これが柔道の山下氏であれば、最初からそう報道したでしょうに。
剣道というのはマイナーだなとつくづく感じました。
 テレビのアナウンサーが川添氏のことを全日本剣道チャンピオンと紹介し始めた
頃は、時計の針が朝の四時を過ぎていたと記憶します。
 生徒、教諭含めて26人亡くなった大事故でしたが、その後問題になったのは、補
償金です。中国は当初、百万とか二百万とか提示していたのですが、日本側はのめ
るはずもなく、補償交渉は難航しました。中国当局に言わせると、中国人犠牲者は
ほとんど何ももらえないのだから、日本人に百万円というのは、中国にしてみれば、
破格の好条件ということだったようですが、国による人の命の値段の差というのは
冷酷なものです。(その後、五百万円程度で妥結したと聞いてるものの、その金の
出所が中国か学校なのか詳細は知りません)
 ルール改正で、千葉氏や川添氏が活躍していた時代は過去のものとなりましたが、
あの事故だけは私も忘れることができません。

お名前: RH   
よくいちに会で川添先生の名前を目にします!自分は小学校の頃川添先生に剣道を
教えていただいておりました。その時から凄い先生だ!とは思っておりましたが、
自分が歳をとるにつれて、よりいっそ偉大さを感じております。
話は17年前に遡りますが、小学校を卒業し中学校に入学した私は剣道を
辞めてしまいました。(中学校の剣道部の活動が盛んでなかった事もあり…)
剣道をやりたい気持ちは有ったのですが、ご存知の通り先生は学芸中高の先生でも
有りましたので、(少年剣道は学芸高校で当時練習をしていた)違う中学校の生徒が
学芸で練習出来る訳もなく、どうしようと迷っていました。
そんなある日、自転車で帰宅している川添先生とバッタリ近所の道で出会いました。
私の父も川添先生の弟子で仲が良かったため、私が剣道を辞めた事ももちろん先生は
知っています。出合った瞬間僕は時間が止まりました!!確実に怒られる!と思った
からです。けど違いました・・・
「清道剣道を辞めるな!もう一回しよう!」
それは優しい言葉でした。僕の通っていた学校の事情を知っていたのかもしれませんが
まさかあの先生が、練習の時には鬼の様に見えたあの哲夫先生が、自分に優しい言葉を
かけてくれた… 本当に嬉かったです!もちろん返事は
「はい!」一言返事でした。感無量とはこう言う事を言うのだろうと子供ながらに覚えて
おります… ですが事件は二日後におきました。
学芸列車事故です!先生は他界してしまいました…
お通夜に行き、目を閉じた先生の顔見た瞬間からの記憶があまり無いのです
後で聞いた話ですが、同じ少年剣道だった友達のお母さんが言うには隣りの僕
は放心状態だったそうです。その場から抱えられるように退室したそうです。
落ち込みました。本当にショックでした。結局剣道を辞めてしまいました。
実は自分には12歳離れた弟がいまして・・・
その子が中学校から剣道を始めました!弟に感化され自分も5年前から又剣道
を始めました。今は本当に楽しいです!たらればにはなりますが、あの時悩んだまま
剣道をしていたらもしかしたら、今楽しく剣道をしていなかったかも知れません!
よくよく考えてみるとあの時先生から「剣道をやめるな!」と言う御言葉がなければ
今剣道をしていないかもしれませんし… ほんとに人生は何が起こるかわからない!
とつくずく思いました。今現在下手な剣道を楽しくやっています!先生が他界する2日
前あんなお言葉をいただけた事を今あらためて誇りに思っています。


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