記事タイトル:剣道のオリンピック参加について 


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お名前: Hide.    URL
To kzさん

管理人のHide.です。
ここは「剣道いちに会」という、掲示板を中心とした巨大サイトです。ここには「剣道を
普及させる方法」に関連したトピもたくさんございます。
ぜひ「サイト内検索」の機能をお使いになりまして、関連するカキコを検索してみてくだ
さい(^_-)〜☆

お名前: kz    URL
こんにちわ。私は今学校で研究をしてまして剣道を普及させる方法をやっています。皆さんは、どうすれば普及すと思いますか?意見を聞かせてください
http://profiles.yahoo.co.jp/eternal_happy_life   がプロフなんでそこに書いていただけたらうれしいです。お願いします。

お名前: Hide.    URL
To 鎌田さん

管理人のHide.です。

う〜ん、たしかにオリンピックの商業主義は、オリンピックの精神からはかけ離れていっ
てしまってますね(-_-)
アスリートたちを食い物にするようなオリンピックならないほうがマシです(`´)

お名前: 元立ちマシーン   
To 鎌田靖さん

オリンピックを目指すアスリートと政治力は別問題ではないですか?

お名前: 鎌田靖   
オリンピックなど国連と同じように過大評価されてる、あんなものねずみ講にも等しい、現に開催国との誘致工作に絡みハマランチの悪代官ぶりが露呈されたばかり、また放送権獲得のため法外な権利金、これまさしく商業主義に汚染されたマネーゲーム、こんなものに参加して何の得か、選手も柄が悪くなっている、チョーいやだね。

お名前: Hide.    URL
To 南さん

管理人のHide.です。

どういう点がわかりにくいでしょうか?
ご質問があれば、それにお答えする方式でやっていきたいと思いますが(^^)

お名前:  南   
 剣道を初めての5年の若造です。
 
 オリンピック参加の話をもっと考えたくなりました。
 私のように未熟な剣士でもこの問題についてなぜ、みなさんが賛成か、反
 対なのか、理由は話からも理解できます。 
 しかし、そういった話は私の価値観はこうだからこうだ
 という話になれば、発展がはくなってしまうような 気がしてしまいます。
 できれば、僕のような未熟な剣士でも、わかるように、どういった経験をしたから
 イマの価値観にたどりついたのか、そこの話を聞きたいです。
 

お名前: Hide.    URL
to 真也さん

はじめまして、管理人のHide.というオヤヂです。
ご意見ありがとうございました(^^)

そうですね、オリンピック種目になればもっと各国の人が剣道に関心を寄せてくれるよう
になるはずですが、勝負に固執するあまりスポーツ化してしまうことに危惧を覚えます。

お名前: 真也   
こんにちは。はじめまして。
ヤフーさんのところで、剣道のオリンピック化について検索したところ、この記事
をみつけました。
私は今、調べ学習で、剣道の世界においての競技人口などをしらべています。
皆様の意見は、大変参考になりました。
私はまだ、始めて一年弱になりますが、剣道が大好きです。
世界の人が剣道をする、ということは、素晴らしい事だとおもいますが、やはり
オリンピック競技に加わるとなると、複雑な心境になります;

お名前: Hide.    URL
to うんこさん

管理人のHide.です。

アテネのオリンピックは今年です。「大きくなったらアテネに行きたい」とは「オリンピ
ックに行きたい」という意味ではないのですよね?(^_^ メ)

お名前: うんこ   
大きくなったらアテネ行きたい!!剣道大好き!!!!!

お名前: Hide.    URL
To てつさん

KUMDOがオリンピック種目になったら、剣道ではありませんからどんなにスポーツ化されて
もかまいません。でも、剣道が世界各国の思惑によってどんどんルールなどからもゆがめ
られてしまったら・・・、これは、子供たちが国内で学ぶにしても大きな弊害にはなりま
せんか?
国際ルールと国内ルールに分けて大会運営ができるでしょうか??

もうすでに世界大会では剣道ではなくKENDOのようですがね(-_-)

お名前: てつ   
剣道のオリンピック化についてなんですが、例え、剣道が今の柔道のようになったとしても、それは、世界の国々が自分たちのいいように日本の武道を理解すればいいことであって必ずしも正統な日本の剣道でなくてもいいと思います。むしろ、日本は日本で本来の精神文化を引き継いでいけばいい訳だし、韓国のkomdoとかいうスポーツがオリンピック競技になってしまったら(実際韓国は、あの手この手のロビー活動をしている。しかも剣道の起源などとほざいている。今ある剣道の存在意味がなくなってしまうのではないでしょうか。やはり、日本もこの問題に大して組織立った活動してゆくべきであるし、剣道の発展にとっては望ましいことなのではないでしょうか。

お名前: Hide.    URL
To 日本海人さん

管理人のHide.です。
上のトピにレスをつけさせていただきました(^_-)〜☆

お名前: 日本海人   
小学5年から高校まで柔道をしてた者ですが、最近の柔道の試合、国際試合を
見てると嫌気がさして、ついテレビのチャンネルを変えてしまいます。
礼節も無く、相手を思いやる心も無く、勝った負けたで大騒ぎと激しく涙・・涙・・
これが日本の武道かと目を疑う光景が、我が日本人選手によっても繰り広げられてます。
もう日本の柔道は滅びたと言っても過言ではないでしょう。

だからせめて剣道だけは日本の武士道精神を絶やさずに継承する武術として、
後世に伝えるために変質せずにいて欲しいと思います。
そのためには絶対にオリンピック競技になっては駄目です。
仮に韓国がクムドを前面に出して競技種目にしたとしても、日本剣道は参加すべき
ではないでしょう。あらゆる文化が世界基準という名のもとに本質を失ってきつつある現代、
それに抵抗するものが日本にも一つはあるべきです。

武道精神が国威発揚精神にスリ変わったときこそ醜いものはありません。
クムドは韓国人の民族性と相まって、国威発揚の道具となるかもしれませんが、
日本の剣道はそうならないように望みます。

お名前: Hide.    URL
To ひろさん

繰り返しになりますが、剣道は「面白いもの」や「楽しいもの」ではありません。長く勉強して
くるうちに、その面白さや楽しさがわかってくるもので、美味しい食べ物やスポーツとは違
うと考えます。

剣道を正しく伝えるために、何もオリンピックを利用する必要はないのではありませんか?
競技ではないところに、剣道の深みや尊さがあると考えておりますので、ことさら競技を使
って興味をあおる必要はないと考えます(^^)

「なぜ、オリンピック」なのですか???

日本においても、京都大会の立会いのほうが、チャンピオンシップになっている大会よりも
すばらしい立会いがたくさん見られるではありませんか。勝敗を競うのではなく、心栄えを
表現するのが剣道では???

お名前: ひろ   
物事色々な伝え方があります。核心から教える、形から入る、遊びながら学ぶ等々、でも結
局おいしい食べ物は国境を越えて伝わってゆくし、便利な道具はどんどん世界で売れていま
す。サッカー、テニス、空手、バスケットボール、柔道、ゴルフ・・・、面白い事、楽しい
もの、人々の体と心を鍛え人間性の向上に資するこうしたスポーツや武道も例外ではありま
せん。だったらもっと積極的に世界へ日本の剣道を紹介し、世界の人達に剣道の面白さ素晴
らしさを体験させてあげたらいいではないかと思うのですが。難しい精神論は二の次で、そ
うした「形」から入り、海外の人にまず剣道の存在を伝えてゆくところから始めたら意外な
ところから、情熱ある剣道人が育ち剣道についての新たな、真剣な疑問が湧いてきて、剣道
が人と共に更に発展してゆくのでは?と思うのですが。

お名前: Hide.    URL
To ひろさん

>目標に向かってあるいてゆくほうが、新たな問題点も見えてくるし、自分自身必要なこと
>が沢山分かってきます。何事も新しいことに挑戦する、ってそう言う事じゃないですか?

世界大会でずいぶんいろいろなことがわかったはずです。その問題点をなんら解決していな
いにもかかわらず、先へ進もうとするのは無謀なのではないでしょうか?(^^;
文化の異なる外国の方々に正しく剣道を普及させるにもっともふさわしい方法を、もう少し
模索するべきと考えるものです(^^)

お名前: ひろ   
 走りながら考えよう、でいいと思うんですが・・。例えば歩いてる時、自分の目の前、足元
ばかりにとらわれているより、遠くを見据えて歩くほうがスムーズに歩けますよね?目標に向
かってあるいてゆくほうが、新たな問題点も見えてくるし、自分自身必要なことが沢山分かっ
てきます。何事も新しいことに挑戦する、ってそう言う事じゃないですか?

お名前: Hide.   
To ひろさん

日本人の剣道観すらまとまっていないのに、どうやって剣道を外国に広めることができま
しょう。私は、まず、足元をしっかりと固めるべきだと申し上げているのです(^^)
剣道は文化です。一国の文化を広めるには、「走りながら考えよう」では心もとないのでは
ないですか? それこそ、先達に申し訳ありませんよ(^^;

お名前: ひろ   
>>「オリンピックに参加するから、試合規則を整備しよう」とか「外国人審判員を教育しよ
う」ではダメなんです。そういうことが動機になるうちは、剣道はまだ成熟していない上
古だとは思いませんか?(^^; 
 私はそうは思いません。例えば東大に入るために勉強する。一流企業に入るために面接を繰り返す。中間テストで上位を取るために学ぶ。等々・・・。何事も始めはこのように何かを達成するために、その目標を達成するためにやるのではないですか?その意義や深い意味についてはそれを通り過ぎて初めて実感としてわかるものではないですか?はじめから完成したものなどありません。ましてや剣道はこれからも発展しつづけ、人々の心の糧となるはずです。その可能性をひでさんは否定なさるおつもりでしょうか?剣道とはそんなものでしょうか?私はそうは思いません。己の心を磨くためにあるのではないでしょうか?心とはなんですか?私は無限の可能性を秘めていると思います。ならば無限の精進と無限の可能性と、素晴らしい世界が続いてゆくものと信じています。この「一つの道」を通して得られる貴重な経験をなぜ世界の人達にわかってもらおうとしないのですか?日本だけで終わってしまって、先人の人達に申し訳ないと思わないのですか?今ある剣道をやってられるのは一体誰のお陰だと思っておられるのですか?私はそこをお聞きしたい!!是非みなさんにお聞きしたいです!

お名前: Hide.   
To ひろさん

「オリンピックに参加するから、試合規則を整備しよう」とか「外国人審判員を教育しよ
う」ではダメなんです。そういうことが動機になるうちは、剣道はまだ成熟していない上
古だとは思いませんか?(^^; あわてて規則を作ったり審判を育成しようとして失敗
(?)した例を、我々は柔道に見ているではありませんか。

私は「剣道を伝統文化として後世に残す」ということを、恥ずかしながら自身のライフワ
ークとして考え実践しているつもりですが、それは、競技という氷山の一角を突き動か
すことによって成し遂げられるとは考えておりません。「いいものであれば残る」はずで
す。あわてずにその核を育てることこそ、我々に今求められていることだと思います(^^)

お名前: ひろ   
HIDEさんや親馬鹿さんのトピを読むたびに剣道について考えさせられること多く、大変勉強に
なります。私も今の剣道試合審判規則についてや審判員の公正さについては柔道と違い、一瞬
で決まる為、その判定が誰からみても納得の行くものであるようにするのは、際どい瞬間が出
てくることは予想がつきます。あの柔道でさえ篠原選手の誤審があったように、完璧には行き
ません。そうであれば審判員をしっかり教育すればいいではありませんか。いくら「主観」の
問題とはいえ、しっかり教育した上でやれば、問題ないはずです。それより、日本人的に細か
い一本の概念や精神性ばかり追求していてはそれこそ今の審判規則に縛られているものですし
、「主観」にとらわれているものではないでしょうか?大切なのは「日本人の主観」なのですか?折角戦後立派な先輩方が、後世の為にと四苦八苦し残してくれたこの「剣道」を私達の「
主観」で廃れさせていいものでしょうか?「量の増加は質の低下」と申しますが、例えばゴル
フにしろ野球にしろ、サッカーにしろ、底辺が広がるから後世の人達が参加しやすくなり、道
具も安くなり、切磋琢磨が生まれるんじゃないでしょうか?そしてそのトップもそうです。質
は結局低下しません。むしろ向上するではないですか。それは、あとから来る人達に負けない
ように、一番上の人にもより以上の精進が求められてくるからです。だからいくら広がっても
ゴルフのマスターズはマスターズの価値があるし、サッカーのA1はいつでも最高峰等々。その
為にしっかりした試合審判規則の議論も必要でしょう。しかしその議論もオリンピック参加と
いう起爆剤がなくて国内世論を統一することなど不可能ではないでしょうか?また、今のまま
では日本の将来は少子超高齢化になって行く中、廃れてゆくことは火を見るよりも明らかです
。そうした現状を考えずに、幾多の先輩方が残したくれた今の剣道を、日本人の「主観」で絶
やしてしまうのは実に残念でなりません。例えば現在マイナー競技は日本国内でいくつもあり
ますが、そうなってしまってからではもはやオリンピックなど夢のまた夢。いずれ過去の遺物
と化してしまうでしょう。偉大な先人達の血と汗と努力の結晶である「剣道」を世界の人達の
ものとすることこそ、私達日本人の文化を真に大切にすることであり、日本国民にとっても素
晴らしき教育となると思いますが、如何でしょうか?

お名前: Hide.   
To まささん

相撲の国際化と剣道のオリンピック化は、並列することができないものだと思いますが。
相撲というのは、勝敗を争う競技ですよね。しかも誰でも出られるというものではありま
せんで、厳しい新弟子検査を突破し、各部屋で「相撲道」という文化性をいやというほど叩
き込まれて、日本の国内で行なわれる土俵で勝敗を競うのです。
もし、相撲のもつ文化性を否定するような力士が現れたとしても、まず、大相撲の土俵に上
がることは不可能でしょう。
オリンピックは違います。

その競技にエントリーさえすれば、どの国のどのようなバックボーンを持った選手であ
れ、出場することは可能なんです。剣道における「競技のルールさえ逸脱しない」という条
件にさえかなっていればです(^^;
「競技における剣道」には、ご存知の通り「最低限のルール」しか存在しません。反則事項の
多くも、「剣道を学ぶものであれば、そんなことはしないだろう」という「性善説」のような
考え方で、細かなものについては明記されてきませんでした。有効打突も反則も「審判の
主観」に大きく委ねられているのが、現代の試合審判規則なんです。

この極めて客観性のないルールをもって行なわれている、たいへん不備な競技であるもの
を、オリンピックに持ち込むべきでないことはおわかりいただけると思いますがいかがで
しょうか?(^^)


ちなみに、私が思うに、相撲もオリンピック化したら、あの様式美を保てるかどうかは疑問
ですよ(^_^ メ)

お名前: まさ   
私はひろさんのご意見に共感を覚えます。

今日の日経新聞に、朝青龍が横綱となり、十両以下の各段でも、序二段を除く優勝者4
人が外国出身という記事が掲載されていましたが、その背景にはNHKの衛星放送等を
通じて相撲が世界中に放映されるようになった事実があるそうです。衛星放送を通じて
世界中の人々が相撲を知ることになり、世界中の若者が相撲の世界に挑戦してく
る・・・すばらしいことだと思います。

私は、剣道のすばらしさを世界中の人に知ってもらうことは意義があることであり、オ
リンピックはその大きなきっかけになると思います。

確かに、柔道はオリンピック競技となることにより、スポーツ化してしまったように思
いますが、それはオリンピック競技化に際し、柔道の本質・中核的なものを世界に対し
て説得的に説明できなかったことに原因があるのだと思います。

では剣道はどうでしょうか。剣道の精神的なものは何か、その中核的なものは何か、何
故当っただけでは1本にならないのかということを、外国の方はもちろん、日本で剣道
を学んでいる子供達に対しても、きちんと説明されていないように思います。

それが世界に対して説得的に説明することができる時、剣道は武道としての独自性を維
持しつつ、オリンピックを通じてそのすばらしさを世界中の人に知ってもらうことがで
きるのではないでしょうか。

ところで、剣道の本質・精神性・武道性・文化性の具体的な中身は何なのでしょうか?
剣道連盟は、剣道の本質についてのその考えを明らかにしているのでしょうか?

お名前: Hide.   
To ひろさん

あのぉ、この掲示板って「自動改行」しませんので、長文になる場合は、申し訳ありませ
んが、エディターなど 改行を入れた文章をアップしてくださいm( _ _ )m


そうですねぇ、ひろさんのおっしゃることもよくわかるのですが、中高生においても「試
合に勝つこと」だけが励みや喜びになるわけではないと私は考えるんです。それは最も簡
単な目標の設定であって、逆に、「勝利を目標」とした場合、それにうまくはまれない子供
たちを「燃え尽き症候群」などに追い込み、剣道離れさせてしまっている実情からも目を
そむけることはできません。

我々指導者は、「勝利という目先の餌」を上手にちらつかせながらも、決してそれに左右さ
れないしっかりとした剣道感を育てていってあげることこそ望まれるのではありませんか。
相変わらず、大会が乱立しておりますが、練成会や稽古会を交えたものも多くなってきて
います。それは、「勝ち負けだけ」を目標にしてきた戦後の剣道が、少しずつ転換してきて
いる兆候ではないかと考えています。

親馬鹿一刀流さんもおっしゃっておられますが、オリンピック化はまだ、時期尚早なので
はないでしょうか(^^)

お名前: 親馬鹿一刀流   
ひろさん
私なりにひろさんのご意見を自分が理解しやすいように要約してみました。
取り違えている点がありましたらご指摘下さい。

1.>剣道は普及させるものではない。
  >剣道は人に見せるものではない。
  >剣道は勝ち負けを競うものではない。
  という考えには賛同する。
2.親馬鹿の意見に賛同するが剣道の修行の段階を経た上での意見ではないか?
3.段階の過程で勝負に勝つ喜びも必要。
4.試合で技術に磨きがかかり自己の修練の度合いを測ることが可能である。
5.試合に勝つためには自己鍛錬が必須である。
6.試合に勝つためには身体能力だけでは勝てない。試合に勝つためのテクニックだけでは勝てない。
7.世界中の人々に剣道を精進して頂いた上で、試合に勝つ技術だけが剣道ではないことを知らしめ
  る努力をすることが我々の役目。
8.オリンピック参加を含め、剣道の為に発展的、柔軟な考え方が必要。

どうやらひろさんは、剣道の技術を高め、文化を継承する作業を、日本の閉じた世界で行うだけでは
なく、オリンピック競技にして世界中の方が試合技術に精通することで剣道の技術をより高める事が
出来る。
また、試合技術に精進した上で、如何にして自分自身に勝ち、剣道を通して立派な己を築き、世のた
め、社会の為に自分を生かす事が剣道の本質である事を世界の方に理解してもらえる。
誤った方向に向かいそうなら我々日本人が正していけば良い。とお考えなのだと読み取りました。

これは、私が先に書きました日本の剣道界が試合規則の一本にこだわっている現状があるのでオリン
ピック化はまだ早いという意見に対し、そんな消極的にならないで国内の剣道に対しても、良い方向
に向かうように努力しましょうよ、それが出来るはずですよと言われていると捉えます。

それでも私としては今の日本の剣道では難しいだろうと思います。
オリンピック化をきっかけに、今の日本の剣道は間違えているところが多いので、是正しましょうと
いう動きがおきるかもしれませんが。

前に書きました事は私個人の考えであり、何を言っているのだ剣道はそんな甘いものではない、生き
るか死ぬかの戦いに文化などあるか、強ければ良いのだ、そのための技術だと言われる方がおられる
かもしれません。

また、私個人も今の試合規則は、たまたま全日本剣道連盟が便宜上定めたものだとおもっており、
今の試合規則の範囲だけで剣道の全ての技術が高まるとは思えません。
何故面突き、胸突き胴突きはないの、中段の構えに左小手は有効にならないの、下から切り上げる
技は有効にならないの、首を振って肩を打たれて1本にならないのは何故、組討はどこにいったの
等々疑問に思っている事がいっぱいあります。

試合そのものを否定しませんし、技術向上の助けになっているとも思いますが、ある講習会で剣道
競技の特性として他の競技は、反則ぎりぎりのプレー、あるいは野球のストライクゾーンぎりぎり
の投球がファインプレイとして賞賛される。剣道はストライクゾーンど真ん中の投球を賞賛する
と言われ大いに納得いたしました。
この考えを国内の試合で浸透させてからではないでしょうか?

お名前: ひろ   
 HIDEさん、親馬鹿一刀流さん、HIMさん、私如き浅学者のご意見に真摯にお答えを頂き、感謝いたします。私もみなさんがおっしゃる、剣道本来の姿を正しく伝えてゆくことの大切さや勝利至上主義といった傾向について大変大きな危惧を持っております。日本国内では各種大会に向け、まるで受験勉強のようにやっきになっている姿をみていると、みなさんのご意見至極もっともであると共感いたします。
 ところで
>剣道は普及させるものではない。
>剣道は人に見せるものではない。
>剣道は勝ち負けを競うものではない。
というお話ですが、私も最終的にはそうであると思います。最後は誰に伝えるわけでも、誰に見せるためでもないし、まして勝ち負けのためでもない、如何にして自分自身に勝ち、剣道を通して立派な己を築き、世のため、社会の為に自分を生かしてゆけるか、というところにあると思っております。しかしながらやはり最初の段階として基本の修練があり、応用があり、試合があるように、段階の問題、という認識であるという事はいわずもがなであると思います。段階がある以上、その過程をひっととびにすることはできません。故に最初はどうしても稽古で学んだことを、試合で試し、勝負に「勝つ」喜びも必要であります。またそれによって技術に磨きがかかり、勝敗を通して、自己の修練の度合いを計ることができます。そしてその最高の舞台である八段大会や全日本、世界選手権等々各種大会において自分自身つらい稽古に耐え、あらゆる困難を乗り越えて勝負に「勝つ」ことを目指す中に、大きな自己鍛錬があることも認めなければならないと思います。勝敗にこだわることもひとつ、技術的な段階とはいえ、このものさしは「常に己を省み向上を目指しているか?」というものさしであり、これは身体能力が衰えようと、終身に渡って続くひとつの修練のものさしの「ひとつ」であることはみなが認めるところと思います。剣道は力だけでは勝てません。強く成れば成る程、相手を「みる」深い洞察力が求められます。そこから動きを見抜き、人を見抜き、人間と世界の本質までをも見通すようになった方々が歴史に名を残されているような立派な剣士であり、武士であると思うのです。中には間違って力ばかりを追い求めた方もいらっしゃると思いますし、これからもそうした方が出てくるでしょう。しかしそうしたことはいつの時代もあることですし、そのことばかりに気をつかっていても現状はなんら変わらないと思います。何事もはじめから終わりまで完璧になどゆきません。剣道の歴史だけを見てもそれは明らかです。ならば今ある剣道の姿を今できる限りの努力を持って、世界の人に問い、世界中の人々の精進を持って、さらに剣道をより高みに持ってゆけるよう努力するのが、今いる私達の役目ではないでしょうか?停滞は衰退の始まりといいます。すべての物事は時事刻々と変化しつづけています。ならばオリンピック参加を含め、私達ももっと発展的に物事を見つめてゆく視点と柔軟な考え方が必要ではないかと思うのですが、如何でしょうか?

お名前: ひろ   
 HIDEさん、親馬鹿一刀流さん、HIMさん、私如き浅学者のご意見に真摯にお答えを頂き、感謝いたします。私もみなさんがおっしゃる、剣道本来の姿を正しく伝えてゆくことの大切さや勝利至上主義といった傾向について大変大きな危惧を持っております。日本国内では各種大会に向け、まるで受験勉強のようにやっきになっている姿をみていると、みなさんのご意見至極もっともであると共感いたします。
 ところで
>剣道は普及させるものではない。
>剣道は人に見せるものではない。
>剣道は勝ち負けを競うものではない。
というお話ですが、私も最終的にはそうであると思います。最後は誰に伝えるわけでも、誰に見せるためでもないし、まして勝ち負けのためでもない、如何にして自分自身に勝ち、剣道を通して立派な己を築き、世のため、社会の為に自分を生かしてゆけるか、というところにあると思っております。しかしながらやはり最初の段階として基本の修練があり、応用があり、試合があるように、段階の問題、という認識であるという事はいわずもがなであると思います。段階がある以上、その過程をひっととびにすることはできません。故に最初はどうしても稽古で学んだことを、試合で試し、勝負に「勝つ」喜びも必要であります。またそれによって技術に磨きがかかり、勝敗を通して、自己の修練の度合いを計ることができます。そしてその最高の舞台である八段大会や全日本、世界選手権等々各種大会において自分自身つらい稽古に耐え、あらゆる困難を乗り越えて勝負に「勝つ」ことを目指す中に、大きな自己鍛錬があることも認めなければならないと思います。勝敗にこだわることもひとつ、技術的な段階とはいえ、このものさしは「常に己を省み向上を目指しているか?」というものさしであり、これは身体能力が衰えようと、終身に渡って続くひとつの修練のものさしの「ひとつ」であることはみなが認めるところと思います。剣道は力だけでは勝てません。強く成れば成る程、相手を「みる」深い洞察力が求められます。そこから動きを見抜き、人を見抜き、人間と世界の本質までをも見通すようになった方々が歴史に名を残されているような立派な剣士であり、武士であると思うのです。中には間違って力ばかりを追い求めた方もいらっしゃると思いますし、これからもそうした方が出てくるでしょう。しかしそうしたことはいつの時代もあることですし、そのことばかりに気をつかっていても現状はなんら変わらないと思います。何事もはじめから終わりまで完璧になどゆきません。剣道の歴史だけを見てもそれは明らかです。ならば今ある剣道の姿を今できる限りの努力を持って、世界の人に問い、世界中の人々の精進を持って、さらに剣道をより高みに持ってゆけるよう努力するのが、今いる私達の役目ではないでしょうか?停滞は衰退の始まりといいます。すべての物事は時事刻々と変化しつづけています。ならばオリンピック参加を含め、私達ももっと発展的に物事を見つめてゆく視点と柔軟な考え方が必要ではないかと思うのですが、如何でしょうか?

お名前: Hide.   
to 親馬鹿一刀流さん

ご意見ありがとうございます。

日本人の方が剣道のスポーツ化に肯定的な現状にあっては、オリンピックかはそれにさら
に拍車をかけることは火を見るよりも明らかです。まずは、全日本選手権や八段戦、七段
戦など、日本の剣道の中心となる大きな大会から「勝たんかな」の姿勢を一掃しなければ
文化性など構築はできませんよね(^^;


>また外国人のほうが、日本人よりも日本の文化を大事にし、精神性を大事にお稽古
>されているという記事を多く見ますので、オリンピック化して外国の方に教えて
>頂いた方が良いかもしれませんね。

それは、剣道がオリンピック種目にないからだと思いますよ。外国人の方は日本文化の延
長線上に剣道を観ておられる。競技としてではなく文化ですね。だから、精神性のような
ものもしっかり勉強しようと考えてくださるのではないですか?
一方、「打倒日本」とばかり試合テクニックに磨きをかけ世界大会に臨んできている国も
あるわけでして・・・。
オリンピックかすれば、国によっては優秀な選手に褒賞金などを出したり、オリンピック
でメダルをとった選手に対する生活の保障なんていうことも出てくるでしょう。国の名誉を賭けて戦うのがオリンピックですから、当然そうしたエキサイトした状態にならざるを
得ませんし、国内においても、日本人選手の戦いぶりに一喜一憂することは目に見えてい
ます。
>剣道は普及させるものではない。
>剣道は人に見せるものではない。
>剣道は勝ち負けを競うものではない。
という親馬鹿一刀流さんのお考え、実は私も同じなんです。ただ、こうしたサイトを運営
しております関係上、あまりおおっぴらには言えませんが(^^; 広く普及させることより
も正しく伝承する道を私は選びたいのです。先人が命のやり取りの中から残してくれたこ
の素晴らしい「文化としての剣道」を、あとの世代にも正しい形で伝承するのが我々の勤
めなんじゃないでしょうか(^^)

お名前: 親馬鹿一刀流   
親馬鹿です。
単純なオリンピック参加推進論、武道とスポーツの相違論とは違うひろさんの
真剣なご意見を読ませていただき私も色々と考えてみました。
大いに賛同する点と、賛同できない点があります。

私個人の結論を言いますと、オリンピック競技にするのはまだまだ早いと思います。
私なりに考えてみたのですが、Hide.さんのお考えと同じのようです。

剣道に対する考え方は人それぞれで良いと思っていますが、私個人は
剣道は普及させるものではない。
剣道は人に見せるものではない。
剣道は勝ち負けを競うものではない。
という考えを基本的に持っています。

50年前に剣道という武道(文化)を絶やしてはいけないと先輩方が奔走して作
られた全日本剣道連盟という組織があります。
現在広く行われている剣道は、先輩方の思いとは別にたまたま作られた試合規則
に従って稽古されていると思います。
もちろん全ての方とは言いませんが、剣道人口の大半は試合に良く出場する小学生
から大学生までの方々であり、普段の稽古は試合規則での1本を求めて稽古してい
ると思います。これが悪いと言っているのではありません。
剣道は試合に勝つための技術の勉強の後に更に奥の深い、また更に楽しい世界があ
ります。
ところが現在の日本の剣道人口の大半は競技剣道の勝敗に主眼をおき、奥の深さ、
人間性を高める領域に至る前に剣道を止めてしまったり、七段クラスの方でも1本
取った取らない、当った当らないにこだわってお稽古されている方が結構多いと
思います。
リバ剣の方々のほとんどが試合に出ていたときより、試合にこだわらないでお稽古
している今の剣道が楽しいといっていますね。

日本の現在がこういう状況で、オリンピック競技に加えても、剣道の本質は理解さ
れないのではないでしょうか?
まずは、多くの方の剣道観を変える必要があると思います。
もちろんしっかりした理念、指導方針で剣道の本質を教えながら、試合でも良い
成績を残している道場はありますし、いったん人口は減るとは言え社会人の方の大
半は剣道の本質を理解してお稽古していると思います。
残念なのは、試合に強い方、段位の高い方が人間的にも上であるかのような振る舞
いをされる方がおられる事です。

ひろさんのご意見を尊重するとすれば、試合から離れて気づく剣道の良さを理解し
てもらうための前準備としてオリンピック競技にして切磋琢磨してはという考えは
あります。
また外国人のほうが、日本人よりも日本の文化を大事にし、精神性を大事にお稽古
されているという記事を多く見ますので、オリンピック化して外国の方に教えて
頂いた方が良いかもしれませんね。

お名前: him   
そもそも、オリンピックは「スポーツの祭典」であり、ひろさんがおっしゃるような「武道を広める場」
ではないと考えますが。
ですから、発祥はともかくJUDOはスポーツであり、もはや武道ではないと思います。
「剣道はスポーツだ」と割切らない限り、オリンピックには馴染まないでしょう。

お名前: Hide.   
改めまして、管理人のHide.です(^^)

ひろさんのご意見は、たいへん発展的なものの考え方ですね。私は心配性なものですから、
どうしても、剣道がスポーツ化してしまう危惧ばかりが先に立ってしまいます(^^;

しかし、オリンピックかに踏み切る前に、国内の剣道愛好家に対して、ひろさんがお考え
になっておられることが十二分に浸透していかなければいけないのではないでしょうか。
われわれはどうしても「武道かスポーツか」の問題に消極的です。この部分の国内でのコン
センサスがしっかりし、剣道というものの本質と進むべき方向性を一致させておきません
と、海外の人たちに対して「剣道とはかくあるべきだ」という姿勢が示せないのではないで
しょうか。私が憂える点はその部分です。

早急な国際化は、本質の歪みを引きおくすものです。私たちは柔道がJUDOになっていく
過程をいやというほど見せ付けられているではありませんか。私などは、現行行なわれて
いる世界大会すらも「チャンピオンシップトーナメント」ではなく京都大会形式の立ち会い
にした方がいいと考えているくらいでして(^^)


ともあれ、皆さんのお考えを広く伺いたいですね(^o^)
ちなみに、このトピは、ここじゃなくて「剣道談話室」の方が良かったかもしれません(^^;

お名前: Hide.   
管理人のHide.です。
ひろさんのカキコですが、横に伸びてしまいましたので読みやすく書き換えました。

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剣道はスポーツか武道か?やはりオリンピック競技化をするためには、この論議に終止符
を打たなくてはならないのでしょうか?

結論を出す前に、そもそも「武道」である剣道の素晴らしいところは、様々な学術体系や
道徳律、先人の教えを含んだメンタルな部分と実際に身体能力や技術が必要とされるハー
ドの部分がさまざまに融合・昇華し、人間性の向上を目指している所にあります。この「武
道」を単なる「スポーツ」としてしまうということは「武道」の、素晴らしい人間性の向
上に資するところが極めて平準化されてしまい、力まかせの当てっこ剣道になってしまう、
という危惧から発していることはみなさん周知のところだと思います。

翻って現在、世界で共通の身体競技として認められ、世界中の人々が共通の目的を持って
切磋琢磨しあえる環境である「オリンピック」に参加する、ということはやはりその規則
という「ルール」に従って行わなければ世界という舞台でより大きな、より高いレベルの
切磋琢磨はできない現実があります。オリンピックが世界の競技として認められているの
はまさにここにあると思うのです。世界中の人間が民族、言語の枠を超えて、競い合い人
間の限界に挑戦する。もしここで剣道が参加することになれば、多くの人が始めは勝負に
勝つことだけにこだわり、科学トレーニングや練習の効率ばかり追求しスポーツ化され、
多方面から「剣道」に対する疑問、質問が噴出することでしょう。
しかしやがてそうして鍛えられた人達が、勝つこと負けることについて、剣道とは、「武道」
とは何かを、またその精神を生かすためにはどのように剣道をするべきなのか、について
真剣に考え始めるはずです。また考えなければ勝てるはずもないし、より一層剣道はメン
タルな部分が非常に重要であるということを知り、その本来の姿について考える機会を提
供できると思うのです。

誰もいきなり「武道」についてなんて考えはしません。剣道をしている人ですら、はじめ
は基本基本でそれから試合。勝つか負けるかはその次ですから、「武道」としての姿が失わ
れることばかり危惧するのではなくて、勝負に際しても、「武道」の精神が如何に大切であ
るか、を教えることのほうが、日本だけで小さくお家芸としてマニア化してゆくよりも、
ずっと健全で意義のあることではないでしょうか?またそうしてゆくことが真の「武道」
継承の姿ではないかと思います。

だいぶスパンの長い話ですが、そうして考え抜かれた「武道」の認識が、実際に行う「剣
道」の在り方ににじみ出てきて、更に普段の生活の中で生かしてゆければ、その人は立派
な「武士」であり、「武道」を体得した、と言えるのではないでしょうか?そういう方が増
えれば自然と剣道の素晴らしさを知る機会も増え、ひいては剣道が広く世に普及し、大き
な国益、いや世界の財産となるはずです。剣道とは単なる「身体競技」ではない!!とい
うことを証明すべく、日本で生まれたこの「武道」が、その精神が、国家社会を愛して、
広く人類の平和繁栄に寄与せんとする世界「剣道」に成長できるよう、また様々な課題を
覚悟の上で、剣道のオリンピック参加が一日も早く実現されますことを希望してやみませ
んが、みなさんは如何でしょうか。

お名前: ひろ   
剣道はスポーツか武道か?やはりオリンピック競技化をするためには、この論議に終止符を打たなくてはならないのでしょうか?結論を出す前に、そもそも「武道」である剣道の素晴らしいところは、様々な学術体系や道徳律、先人の教えを含んだメンタルな部分と実際に身体能力や技術が必要とされるハードの部分がさまざまに融合・昇華し、人間性の向上を目指している所にあります。この「武道」を単なる「スポーツ」としてしまうということは「武道」の、素晴らしい人間性の向上に資するところが極めて平準化されてしまい、力まかせの当てっこ剣道になってしまう、という危惧から発していることはみなさん周知のところだと思います。翻って現在、世界で共通の身体競技として認められ、世界中の人々が共通の目的を持って切磋琢磨しあえる環境である「オリンピック」に参加する、ということはやはりその規則という「ルール」に従って行わなければ世界という舞台でより大きな、より高いレベルの切磋琢磨はできない現実があります。オリンピックが世界の競技として認められているのはまさにここにあると思うのです。世界中の人間が民族、言語の枠を超えて、競い合い人間の限界に挑戦する。もしここで剣道が参加することになれば、多くの人が始めは勝負に勝つことだけにこだわり、科学トレーニングや練習の効率ばかり追求しスポーツ化され、多方面から「剣道」に対する疑問、質問が噴出することでしょう。しかしやがてそうして鍛えられた人達が、勝つこと負けることについて、剣道とは、「武道」とは何かを、またその精神を生かすためにはどのように剣道をするべきなのか、について真剣に考え始めるはずです。また考えなければ勝てるはずもないし、より一層剣道はメンタルな部分が非常に重要であるということを知り、その本来の姿について考える機会を提供できると思うのです。誰もいきなり「武道」についてなんて考えはしません。剣道をしている人ですら、はじめは基本基本でそれから試合。勝つか負けるかはその次ですから、「武道」としての姿が失われることばかり危惧するのではなくて、勝負に際しても、「武道」の精神が如何に大切であるか、を教えることのほうが、日本だけで小さくお家芸としてマニア化してゆくよりも、ずっと健全で意義のあることではないでしょうか?またそうしてゆくことが真の「武道」継承の姿ではないかと思います。だいぶスパンの長い話ですが、そうして考え抜かれた「武道」の認識が、実際に行う「剣道」の在り方ににじみ出てきて、更に普段の生活の中で生かしてゆければ、その人は立派な「武士」であり、「武道」を体得した、と言えるのではないでしょうか?そういう方が増えれば自然と剣道の素晴らしさを知る機会も増え、ひいては剣道が広く世に普及し、大きな国益、いや世界の財産となるはずです。剣道とは単なる「身体競技」ではない!!ということを証明すべく、日本で生まれたこの「武道」が、その精神が、国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せんとする世界「剣道」に成長できるよう、また様々な課題を覚悟の上で、剣道のオリンピック参加が一日も早く実現されますことを希望してやみませんが、みなさんは如何でしょうか?


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